ちかマムと愉快な娘たち

ちかマムと愉快な娘たち

私立保育園時代


絵画教室、音楽教室、体操教室・・・。
なっちゃんのようになんでもオールマイティにこなす子ならばいいのですが
まあちゃんは人の言う言葉を理解できません。

文化会館のような大きな場所での発表会・・・パニックでした。


まあちゃんには今思えば睡眠障害がありました。
たとえば朝方四時まで起きていて六時に目がさめる。二時間の睡眠。
三人目の赤ちゃんであるみっちゃんを生んだばかりの私にはきつい日々。

しかも・・・
「昼寝の時間に寝ず無理に寝かせようとすると暴れるしこの子には
職員の手が一人完全につかないといけないから・・・」と
昼までに迎えにきて下さいと何度か電話で呼ばれたっけ。
「私も眠れていなくてつらいです」と言えば園長は
「でも自分の子でしょ?みれなくてどうするんです?」と言った。

市の児童家庭科に泣きつきにいったら市でこんな判定の出てる子だからって
どうもお金が園におりたらしい。
園長は何もうるさくいわなくなった。

みっちゃんが生まれて二ヶ月目、主人は半年間茨城へ出張。
私は近くの実家に戻った。まあちゃんの睡眠障害のひどさに驚きながらも
同じ時期に定年退職した実父が交代で起きてまあちゃんをみてくれた。

その時期三ヶ月間他市の療育施設に週一回で通った。
私は違う市なので三ヶ月間しかそこに通えない。
でも措置児になれば毎日この療育を受けられる。
他市の人員枠は一割。
来年の進路希望はこの療育施設で入れなかったときのために公立保育園を希望した。
しかしそこは母子通園。
三人目みっちゃんをお姉ちゃんと同じ私立保育園に願書をだす。
これでまあちゃんがどっちに転んでも通園は二ヶ所ですむ。


その年秋、同じ県内にある自閉症専門病院で「自閉症」と判定をうける。
私の心構えはできていた。
しかし義母の心構えはできてはいない。
「いつもビデオばかりみせてるからそうなったのよ!自閉症って母親の愛情がないと
なるって言う話よ!!」
まあちゃんはビデオは自分でセットしてみてるのだ。消すとパニックを起こす。
主人のいとこに知的障害者がいる。いとこの母親は一歳のときにガンでなくなったそうだ。
「あの子も最初自閉症っていわれていたけどあれは母親が調子が悪くて
部屋にその子を閉じ込めていたからなのよ!」
私は言った。
「じゃあ、遺伝ですかね!!!」

それからしばらくは険悪。一緒に住んでいなくてよかった。

でもその義母も今では良き理解者。

原因を追求すると泥沼化する。お互いがお互いを責めてしまう。
たとえ原因が分かってもまあちゃんが治るわけではない。
そして私は「なんでこうなったか」ではなく「この状態からどんだけ良き方向にむかうか」
というほうに頭を切り替えた。


自閉症・・・・・保育士さんは若い人ばかり。教科書で勉強していてもまあちゃんを
扱いづらそうにしてました。そんな中でいい保育士さんが何人かいました。
まあちゃんをちゃんと愛情をもってみてくれた保育士さん、その人だけにまあちゃんは
おんぶをねだりにいきました。

二月希望していた療育施設に入れることが決定。同時に療育手帳(軽度)を取得。




二歳前後のまあちゃんの特徴は
川にいつまでも石を投げる、サイレンに耳ふさぎをする、人と目はあわない、
一メートルくらいのところからジャンプ、ひらがなや数字をよむ、
車のタイヤやナンバープレートに興味を持ちナンバープレートを読みたいがため
ちょっと特徴あるプレートがついた車が前から走ってきても走って突っ込んでいって
車をとめる(危険!!!)などなど・・・。パパ、とかママなんていってくれないです。
とにかく窓からなど裸足での脱走多し!

苦労しました・・・・・・。



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