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金ヶ崎城2代目タイガース非公式サイトです 前回に引き続き8月11日に観て回った福井県のお城の紹介の3回目を公開するね 大野市の「越前大野城」から福井市の「一乗谷城」と回って 最後は福井県敦賀市金ケ崎町にある「金ケ崎城」を訪ねます 戦国の歴史上のドラマがあったところで前から一度は行ってみたいとおもってたのよ 織田信長公最大のピンチともいえる「金ケ崎退き口」と「朽木越え」 これ有名だよね これは信長公最大の負け戦と言われてる ホントに命が危なかったのよ 1970年 朝倉氏を攻めた織田軍は金ヶ崎城を攻撃して開城させるんだけど 突然同盟国だった近江の浅井長政が兵を挙げて背後から進軍してきたのね 浅井長政の正室だった信長公の妹お市の方が事前に信長公に知らせようとするんだけど書面では浅井家の人たちに気づかれてしまうわ そこで陣中見舞いとして両端を結んだ小豆の袋を送り「袋のネズミ」を暗示させて兄に挟み撃ちの危機を伝えたという話も残っててなかなか劇的な戦いだったみたい 占領した金ヶ崎城で軍議が行われ 浅井長政が裏切った以上 ここは一旦朝倉征伐をあきらめて京都へ撤退することが決定されます 浅井と朝倉の挟み撃ちから逃れるため 木下藤吉郎と三河から援軍に来ていた徳川家康にしんがりを命じて 信長公は少人数の手勢と共に琵琶湖の北から西回りで京都へむけて退却することにしたのね これが「金ヶ崎の退き口」と呼ばれてます 途中の朽木谷では一向一揆の襲撃に遭ったりして 信長公が一時消息不明となったりもしたけど 命からがら無事に京都へたどり着けたっていう戦いでした前の2つの城からは少し離れてます 越前大野城や一乗谷城から金ケ崎城へ移動するのは結構遠いのよ 次の航空写真の白い〇が大野市で黄色の〇が金ヶ崎城 距離は60キロくらいあるわね 車の移動では中部縦貫道から福井北JCTを経て北陸自動車道へ入り敦賀ICまで行く方法が速く1時間以内で着くけど料金が1700円くらいかかるのよ ちょっと今貧乏なのでそのお金は帰りの高速料金に回して 一般道を1時間半 仕方ない・・・朝倉領最西端の難攻不落の出城 航空写真で見るとよくわかるけど敦賀湾に突き出した緑豊かな小さい半島の先に金ケ崎城があります 周囲はセメント工場や港湾施設が取り巻いてるけど これは近代になって埋め立てでできた土地で 戦国時代は半島の周り三方は海 右の山から攻められたら逃げ場のない「背水の陣」なのね だからこそ強いわけ そのため右の山には手筒山城という支城があって まず攻め手はこの支城を陥とさないと金ヶ崎城へ迫れない二重の防御になってるのよね そのうえ山伝いしか侵入路がないから狙い撃ちされてしまうのよ 長期戦で兵糧攻めするくらいしか攻略できないけど もし攻撃に時間がかかりすぎると朝倉本軍が駆け付けてきて後ろから挟まれてしまうわ まさに難攻不落の城ね海側から見上げてみる 半島部分はそんなに高さは無いと言っても絶壁に近い傾斜の崖なんだよね 海側は簡単に登れないよ 半島の北側から見上げた写真がこれ スポーツクライミングの選手でも厳しいとおもうよ そして振り返ってみると周りは海だから近づくのも大変だったんじゃない? 上の写真から180度後ろを振り返って撮ったのが次の写真 まるっきり海です 2代目が立って写真を撮っている駐車場も戦国当時は海 たまたま海は静かで波は穏やかだったけどちょっと荒れたら半島に近づくこともできなかったんだろうね 登り口が全く見当たらず 仕方ないので南側に回ってみました南側は広々とした公園になってる 半島の南側はきれいな芝生が鮮やかな臨海公園です 写真で前方に見える緑に覆われた山が金ケ崎城よ この芝生公園も昔は海だったのね 金ヶ崎緑地公園はいろんな見どころがあるよ 詳しくはこちら金ヶ崎緑地 - 旅する港町つるが 敦賀観光協会公式サイト (tsuruga-kanko.jp)を参照してね 南側にも上り口が発見できず 困って公園の建物の係の人に聞いたら「ちょっと離れたところに登山口があるよ」と道順を教えてくれました 結構な時間をロスしちゃったなあ 上の写真の〇で囲んだ部分の拡大が次の写真 これが金ヶ崎城です城跡へ登ってみました 登り口には金崎宮と朝倉神社があって そのわきから坂道が始まってる そこには「史跡 金ケ崎城」の石碑が建てられてるからすぐ分かるよ 階段が整備されてるから何とか登れるけど傾斜はかなりキツイ コースは最短なので意外に早く上まで行けたかな 歴史は古かったのね 登っていく途中で「金崎古戦場」の石碑があるよ でもこれ信長公の時のものじゃないんだって 南北朝時代に足利尊氏によって京都を追われた新田義貞がこの城に立てこもって交戦した時のものらしいわ そのころから既にに城というか砦があったわけね きっと戦略的に重要な場所なんだ 詳しくはウィキペディア金ヶ崎城 - Wikipediaで見てね登った上にあるのは展望台だけ? 何もないから眺めを楽しんできました ホントに何もないわけじゃなく実際は半島全体が公園に指定されてて山の中に遺構は点在してるから じっくり時間をかければ当時のお城の建物配置などを確認することはできるよ 今回は時間がなくてそこまでできなかった 天気が良く海も穏やかなのは好いんだけど なにしろ日陰にいても暑くて この日は登るところが多かったし 汗かいて大変 ほとんど人が来てないのもわかる気がするわ 上まで登ってるのは見た感じ地元の中高年の人だけね 健康ウォーキングかな? 海の水も澄んできれいです でもここまで車で走ってても海水浴してる人ってほとんど見かけないよ 暑すぎるからかな? 最近はライフセーバー不足で海水浴場を閉鎖してるって話も聞こえてくるよね というわけで 早々に降りてきてもう一度お城のほうを1枚撮って終わりにしました 暑さには参ったけど予定した3か所を回って 夕方6時には無事家に帰れてよかった 日曜でも全然渋滞とかなくスムースに移動できたのは意外だったなあ最後まで読んでくれてありがとう どうでした 面白かった? とくに越前大野城~一乗谷城~金ヶ崎城と全3回を読んでくれた方には感想頂きたいなあ つまんないとかでも構わないよ 反応がないのはちょっと寂しい・・・ コメント入れてくれると嬉しいです 期待しないで待ってるよ次はいつどこを紹介できるかまだ分かりません やる気は十分なので待っててね
2024年08月15日
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一乗谷城2代目タイガース非公式サイトです 前回からの続きです 8月11日に観て回った福井県のお城の紹介の2回目です 「越前大野城」を後にして 福井県福井市城戸ノ内町にある「一乗谷(いちじょうだに)城」に向かいます ここはお城というよりも周辺一帯も含めて「一乗谷朝倉氏遺跡」として貴重な歴史資料になってるのよ 広い範囲で遺構が残っていて城下町の姿が好く確認できる 現地では発掘調査に基づいた街並みが一部復原されてるし 広大な公園として散策を楽しみながら歴史を感じることができます越前大野城から約20キロ わりと近いよ 次のマップを見てもらうと 右の端のほうに赤いマークがあるのが「越前大野城」 左端のほうに「一乗谷」があるよね 「越前大野城」からだと 大半を国道158号線で道なりに行けちゃうから意外に近いんだよ 距離にしておよそ20キロ 所要時間30分ぐらいで着いちゃう 半日で2か所を訪ねることができるわけよ朝倉氏五代の拠点として繁栄した城下町 山間の土地であり城は山の上にあって防御も固く簡単に攻め落とせないということで 室町幕府時代には10代将軍足利義稙や三好一族に追われて逃げてきた足利義昭なども朝倉氏を頼って一乗谷に来ているよね 応仁の乱で荒廃した京都から文化人の多くも避難してきたため 京風の文化が伝えられて大いに繁栄してたんだって このイラストを見ると大体の様子が分かるけど 発掘されて整備が進んでいるのはまだ一部に過ぎないみたい マップの方角は右上方向が東で右下方向が南 御殿とその周囲の城下町は おおよそ東西500メートル南北約3000メートルの範囲で思ったより狭いんだよ ここに最盛期には約1万人が暮らしてたって推定されてる かなり人口密度が高いわねでは朝倉氏の館跡に行ってみよう ホントはお城の跡も観たかったんだけど 本格的な山城なため標高473メートルもあって路もかなり険しいのよ しかも暑さが半端じゃなかったからねえ もう一か所行くつもりだし 6時ごろには家に帰ってないといけない用事があったから 今回は断念したんだよね お屋敷跡は手前の大きな木の向こうに見える土塁に囲まれた中です 礎石などの遺構しか残ってないから遠方から中の様子は全くわからない 近づいてみるよ 正面入り口となる「唐門」です 敷地全体がお堀に囲まれてるから錦鯉なんかがいるね この門は朝倉氏の時代のものではなく 江戸時代中期にお寺の門として建てられたらしいわ ではお屋敷の敷地の中に入るよ とても広いので驚くけど やっぱり平面的な目線で見てても規模や形がよくわかんないのよ ということでお城のある山のほうへ少し上った位置から見下ろして撮ったのが次の写真 これでやっと全体が見えました こりゃ広いわ!何階建てだったかもよくわかりませんが 人間と比較しても大きな御殿だったのは間違いないね 朝倉氏の人たちは普段ここで暮らしてたのよ 近くには朝倉義景の墓所もありますでは屋敷の南に続く庭園に回ってみます こちら特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡 特設サイト (fukuisan.jp)も参照してみると詳しく載ってるよ 京都の文化を取り入れ庭園整備もされているんだけど ここの特徴は露天風呂なの これは独自の文化なのかな? まず解説板で確認してみて 庭の池のようだけど岩で囲ったお風呂なんだって 形もブーメランみたいに変形だし周りが囲ってあった感じはしないよ 普段は池だったのかもしれないね 周りから丸見えだけど 当時のお風呂は真っ裸で入るわけじゃなかったらしいからこれでよかったのね で次の写真が実物よ ちょっとわかりづらいけどイラストマップにもちゃんと載ってるから探してみてね 石が不規則に置かれてるふうにしか見えない?これで周りの地面より深いところで40センチぐらい掘り下げてあるよ この深さだと肩まで浸かれないから使ってた時はもう少し深かったかも 戦国時代の露天風呂なんて初めて見ました 勉強になったわ復原された街並みを体験しよう この遺跡群の目玉は発掘調査によって出てきた遺構から当時の街並みが復原されてるところね 見学料350円で中を歩いてみることができるよ 外から見てても次の写真のようによくわかんないから絶対中を見たほうがいいよ 500メートル×3000メートルの地域に こういう整地された土地が広がってて昔はそこに住家やお店などが立ち並んでいたそうよ 参考にこちら一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並|おすすめの観光スポット|【公式】福井県 観光/旅行サイト | ふくいドットコム (fuku-e.com)も参照してみてね それでは復原された街並みを見て見ようね こんな感じよ 一般の家や商店なんかは小さいわ 1DKみたいな間取りしかないし庭もあるけど広くないのよね こういう家がびっしり並んでたんだろうね 実際どうだっかわかんないけど屋根は板を並べて石の重しで押さえてるだけよ これじゃ台風で飛んじゃうよね これは藍染をする職人さんの作業場かな 染料がたっぷりはいった甕がいっぱい置いてあるねちょっと贅沢な武家屋敷 これは直参の家臣の武士がすむ武家屋敷の門 上のほうの写真にあるように町人の家には門なんてなかったから豪邸ね 敷地も町家に比べたら10倍くらいあるんじゃないかな? 母屋と倉庫と馬小屋があって井戸も掘られてるし 観賞用に庭木があるのもなかなか贅沢だとおもう 母屋には8~10畳くらいの部屋が3つほどあるから 町人の家の5倍以上の広さでしょう 中では家の主が将棋指してる これは母屋の北側ですが 御覧の通りトイレは屋外に作られてるよ 中が丸見えだけど扉ってあったんだろうね? どうなのかな??? これは見た目で涼しくなってもらおうとディスプレイされたものでしょうか 風が吹くと風鈴が一斉に鳴っていい感じです ということで「お城めぐり」と言いながら城下町の紹介になってしまいました 一乗谷城には別の機会に登ってみたいですが 熊もでるそうなので冬がいいかな でもこの地域って雪深いしね チャンスがあればってことにしよう 今はイベントもやってるから 機会があったら行ってみて!戦国時代の城下町の暮らしが分かるよ 詳しくはここ戦国宝探しin一乗谷朝倉氏遺跡 不思議な夢と石の声 (sengokutakara.com)を参照してみてね お城の遺構などはこちら一乗城山・一乗谷探訪 (jalps.net)も参考になるよ! ここまで読んでくれてありがとう これで第2部「一乗谷城」は終わりです 続けて20:00ころに第3部「金ヶ崎城」をアップするよ! ぜひ読破してくださいね
2024年08月15日
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越前大野城2代目タイガース非公式サイトです お城好きの皆さんこんにちわ 久しぶりのお城めぐり 2代目が引き継いでから第1回として書いたのは「岐阜城」だったの覚えてる?(日本のお城巡り二代目バージョン第1回岐阜城 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)) それが2023年5月22日だったから1年以上間が空いちゃってるのよね 実際にシーズン中は観戦もあってなかなか行けないってこともあります 今回3連休の真ん中だった8月11日に福井県内のお城を3か所観てきたので3回に分けて順次紹介するね! ロード3カード連続負け越しはショックだけど 気分転換のつもりで読んでください まず最初は福井県大野市にある「越前大野城」からスタート山越えのショートカットで強行 上のマップで①のしるしがあるところが「温見峠」(ぬくみとうげ)で 岐阜県と福井県の県境 ここから南が岐阜県本巣市 北が福井県大野市よ このルートはいちおう国道157号線なんだけど ひどいところは道幅が3メートルもないような難所もあるんだよ 岐阜県側の最後の民家から福井県側の最初の民家まで約70キロくらいひたすら山道 この間に対向車は5~6台なので助かるけど バイクの人が結構スピード出してくるので怖いわよ 親子のサルも出てきたし 戦国時代の特徴を残す平山城 大野市に入ると平坦な市街地に小山があるからすぐわかるよ 到着しました これは北側から見た大野城 北側は田園が広がる穀倉地帯 南側が旧城下町で今は市の中心地になってるんだ 山の真ん中やや左に天守閣があるんだけど見えます? 平山城といえば滋賀県の「彦根城」や愛知県の「犬山城」 岐阜県の「岐阜城」なども同じ様式だよね 越前大野城の違いは川や湖をバックにしていないことかな城下町側に回ってみよう 城の南側は観光客向けの施設なども充実してて 売店では大野市の物産だけでなく福井県内のいろいろなものを扱ってるので県内観光の参考になるよ 日曜日だったけど観光客は少ないし外国人観光客を見かけないから静かに観て回れるのがいいわね 駐車場はかなり台数を確保してくれてるから車で安心して行ける 下の写真が城下町から見上げた越前大野城の天守 1968年に鉄筋コンクリートで再建されたもので2層3階のこじんまりした大天守と2層2階の小天守がセットになってる可愛らしいお城 福井県のHP越前大野城|おすすめの観光スポット|【公式】福井県 観光/旅行サイト | ふくいドットコム (fuku-e.com)も参考にしてみてねでは天守閣まで登ってみます 資料によると越前大野城の標高は249メートルとなってる でも見た感じ50~60メートルくらいにしか見えないわね 多分周囲の平野部の海抜がすでに200メートルぐらいあるんだろうな 案内図にあるように上り口は3か所あるわ 今回は図でいうと左になる「西登り口」から入山しました こちらが最短コースらしいので・・・ そんなに高くない山だけど登り始めてみるとかなり勾配は急です 暑い日だったので汗びっしょりになったよ 木陰はあるけど蒸し暑さはどうにもなりません ここの上りだけでポカリの500ミリリットル1本消費しました 熱中症怖いから天守閣正面に到着したぞ うんやっぱり小さいけど可愛いわ 姿は2代目の地元の岐阜城に似てますね ホントにお客さん少ないのよ のんびり来るには穴場かもしれないよ 案内してくれるボランティアの人もいるし 歴史好きな方はじっくり観れるとおもう 天守から北側の城下町を眺望してみると 大野市の中心市街地が広がってます 丸印をつけたあたりが 最初のほうに紹介した売店や駐車場のある場所ですよ やっぱこうしてみると高いとこにあるんだなって実感します 次に北側の様子を眺めてみるよ これが南側とはまったく様相が違ってて「同じお城の周辺なの?」と驚いちゃうよ それが次の写真です どうですか? これって田園が広がる郊外の農業地帯みたいな感じだよね でも山の中の盆地のような場所でこれだけの肥沃な農地を確保してるのは とても有能な人が場所を選定して城下を整備したんだろうなっておもうのね 誰?朝倉氏の領地だった大野三郡 もともとこの地方の大野三郡は朝倉家一門の領地で 織田信長公が朝倉氏を滅ぼすころまでは五代目当主・朝倉義景のいとこにあたる朝倉景鏡(かげあきら)という人の領地だったそうです 1573年に信長公が越前に攻め込んだとき 朝倉義景は追い詰められて拠点である一乗谷城も捨てて景鏡を頼ったのね ところが景鏡は自分の延命を図るために義景を自刃に追いやり その首を討ちとって手柄顔で信長公に差し出したのよ 信長公は一応景鏡の領地を安堵したけど景鏡の評判は地に落ち 1574年に起きた大規模な一向一揆で命を落としたともいわれてるわ初代大野城主は金森長近公 その一向一揆の鎮圧にあたったのが信長公の直参で信頼厚い金森長近だったのね 長近は今回2代目が越えた「温見峠」から大野郡へ攻め込んで一揆を鎮圧したんだよ この手柄で大野三郡のうち二郡を領地として賜り 現在の場所を選定して城を築き城下町を作ったのね 町の礎を築いた人として大野市では顕彰されてるよ 今年は以下のような企画展歴史博物館特別企画展 金森長近公のあゆみ 大野市公式ウェブサイト (city.ono.fukui.jp)が催されてます 金森長近は土木建築に長けていて一説には毛利水軍を蹴散らした甲鉄船の建造や安土城の縄張りなども長近の手柄という人もあるようね その後長近は1586年に飛騨の姉小路氏討伐の手柄で 豊臣秀吉から飛騨一国を与えられ そちらに拠点を移すことになるのよ だから飛騨高山でも金森家はしっかり顕彰されてて 同じように生誕500年にまつわる催しが開催されてるのよ こちら飛騨高山まちの博物館夏季特別展「どうした長近(ながちか)」|イベント|飛騨高山旅ガイド|高山市観光公式サイト (hidatakayama.or.jp)を参照してね実は「天空の城」としても有名 行ったことない人はぜひ一度訪ねてみるといいとおもうよ 大野城は平野部が霧に包まれると そこに浮かび上がる「天空の城」の現象もすごく幻想的なんだって 情報はこちら天空の城 | 天空の城 越前大野城 (onocastle.net)やこちら検証!雲海に浮かぶ絶景「天空の城 越前大野城」はいつ見られる?初めての人向けの登り方も解説|ふく旅記事|【公式】福井県 観光/旅行サイト | ふくいドットコム (fuku-e.com)nなどを参照してみて みなさん読んでくれてありがとう これで第1部は終わりです このあと16:00ころ 引き続き「一乗谷城」をアップするよ ぜひ読んでみてね
2024年08月15日
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岐阜城先代が始めて ほったらかしになってるお城巡り・・・2代目が引き継いで ほそぼそでも書いていこうとおもうんだけど とっかかりは近いところからってことで キムタクの映画でも出てくる岐阜城に行ってきたよ このお城は先代が10年くらい前にアップしてるんでダブるんだけど 10年ひと昔っていうじゃん 新たな気持でご覧ください! 天気も良かったからいい写真が撮れたし この日は(2023年5月18日)気温が33度まで上がる予報が出てたので とても徒歩で登るのは無理とおもい ロープウェイにしたのね 中は割と広くて詰めれば30人くらいは乗れそうかな コロナが収束に向かい外国人観光客の姿も珍しくなくなってるよ 岐阜城の建っている金華山(旧稲葉山)は 標高350メートルくらいなのでロープウェイはほんの数分で着いちゃいます でも新緑の景色は最高! 料金は往復券で大人1100円でした 15分ごとに出発してます 素敵なかわいい添乗員さんが説明してくれるよ 駐車場からロープウェイ乗り場まで5分 上ってお城を観て周辺を散策して下ってきてお土産とか買ったりして駐車場にもどっても2時間くらいかな ロープウェイを降りると少し歩いて登らなければならないわ 自然が多く残ってるので野生動物もいるから イノシシ注意なんかの看板があるんだよ ほかにも秋になるとスズメバチの被害もあるし ハイキングのつもりでいると危ないこともあるのよね 毎年ハチに刺される人は必ずいるよ! 天守閣が見えてきた! もちろん再建されたお城です しっかりとした記録や図面などがほとんど残されていないので当時を再現してるわけじゃないそうですが 山の上にそれほど大きくない天守が似合ってるとおもう 3層4階かな? お城の中は資料館で最上階は展望台みたいなみたいなものね 入場料は大人200円よ! お城はかなりきれいになってる 大河ドラマ「麒麟が来る」のときに合わせて化粧直ししたらしいわ では展示内容をいくつか紹介します 山のふもとには絢爛豪華な信長公の館が作られていたそうです でも関ヶ原の戦いの討伐戦で焼けちゃったらしいわ 今は発掘作業が進み どのような規模かが判ってきて次のような想像図もできるようになったみたい 織田信長公の木像 これは復元されたものね ちょっと現代的 信長公が好んで着用したという西洋風の甲冑とマント(これも伝聞や想像から復元されたものみたいだけど) 信長公と言えば「西洋かぶれ」も有名なんだけど 好奇心旺盛な人だったのよね 世界地図が描かれた屏風 これはどうも本物みたい こういう品をそばに置いていたっていうから 日本国内だけでなく世界というものに関心があり夢も感じてたのかもしれないわね 地球儀と眼鏡 信長公の時代のものなのかちょっとわかんないけど 新しいものへの関心が高い人だったという意味の展示かな? ここでウンチクを言うと オーストラリア大陸がヨーロッパに知られたのはクック船長などが到達した17世紀ごろからなので 信長公の時代より後なのね この地球儀にはオーストラリアが描かれてるから18世紀ごろのものじゃないかな?(ただし 古い地球儀にあとから描き加えたのかもしれないけど) 天守最上階からの眺め 岐阜城は先代のブログでも「景色が最高」って書いてあるんだけど ホントその通り! 天気のいい日に登れば素晴らしい眺望をたのしめるよ まず清流長良川が上流から下流まで流れゆく様子を一望のもとに観ることができるの これは岐阜城からじゃないと味わえないわよ ドローン使えばって? 登って自分の眼で観なきゃ!きっと鵜飼の夜は幻想的なんだろうな 次の写真はお城へ登ってくる参道 向かって左側は険しい崖になってて簡単に攻めてこれないのね 実際にすごい傾斜で落ちたら危ないよ ロープウェイで降りてきました 売店ではいろんなグッズを売ってます お土産も豊富にあります いま「日本百名城」に入ってるお城には 御朱印が用意されてるよ! 登城記念に手に入れました もちろん有料で1枚300円 お寺や神社へ行ってもらう御朱印と同じような感じね これから行くところでは集めていこうとおもってるの お城への参道の途中ではお賽銭を入れて厄除けのお札がいただけますよ これは金額を問いません 2代目は5円入れてもらってきました(3枚も!)ヤバいかな おうちの入り口に貼っておくもので 一番上に「門札」と書いてあります それと今年も「お城スタンプラリー」やってるんだね 5月11日からスタートしていて12月28日までです 対象になってるお城は12城で 最初にアプリをダウンロードして 行った先のお城にあるQRコードでスタンプを読み込んでいく仕組みのようです 先代は一所懸命やってたみたいだけど 2代目は追い詰められてるような気がしちゃうのでやりません のんびり廻りたいもん! お城は愛知・岐阜・三重・静岡・滋賀の5県にあるもの 5~6年前は確か長野や北陸・近畿まで入ってたらしいけど 多分ハード過ぎてみんな途中でやめちゃったんじゃないかな 今回ので見るとかなり縮小されてるわねえ さて 次回はいつどこになるかまだわかんないけど お城ファンのみなさんは期待して待っててね!
2023年05月22日
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お城スタンプラリー第4回 9月3日(水曜日)はお昼から時間があったので郡上八幡に行ってきました。非公式サイトの家から車で片道1時間強。半日しか時間がなかったので郡上八幡城の一か所ですが、その分写真をたくさん載せますね♪郡上八幡城 岐阜県郡上市にあります。岐阜県は北の飛騨地方と、南の美濃地方とに分けられますが、郡上というのは境目にあたる微妙な位置で、奥美濃と言われることもあります。でも山が多く雪もよく降るし、気候風土は飛騨地方に近いですね。お城は山の上に在り、眼下には城下町があります。マップで見るとこんな感じ。 小さくて申し訳ありませんが上のマップの中央に山内一豊夫婦の像があります。確認できますか?次の写真がそれです。左上に小さく見えるのが郡上八幡城の天守閣です。 土佐にあるべきこの二人の像が何故ここにあるかというと、初代八幡城主である遠藤盛数の娘が一豊の妻・千代であると云う家系図がこの地方には各所にたくさん残っているんです。近年にはそれを裏付けるような家系図や陣立図が高知県でも発見されているようで、一応「千代の出身地」と名乗っています。 それでは、まず城下から城を眺めてみます。それほど高い山ではないことがわかりますね。 では天守閣近くに行ってみましょうね。 山城らしいどっしりとした風格ですが、お城はどこか模型っぽい雰囲気もありますよね。天守閣を近くで見るとこんな感じ。 もともとのお城は焼失していて、これは再築されたものですが、ふつう再築というとほとんどが鉄筋コンクリートです。でも郡上八幡城は木造にこだわって立て直された非常に珍しい事例です。再築工事中の骨組みの写真が残っていました。 建物の中の様子を見てもまさに木造建築です。雰囲気はありますね。 天守から城下を見下ろすとこんな感じです。町が魚の形をしていると言われてますがどうなのかな? 城下町に降りてくると郡上踊りの提燈が下がっています。7月に始まって9月13日までかな、今もまだ期間中なんですよ! さすが小京都と言われるだけに、古い町並みが残っています。大正時代頃の街並みとのこと。 名水として有名な「宗祇水(そうぎすい)」はこちらの路地の奥。 この社の下からこんこんと湧き出ています。 郡上八幡で有名になったのは食品サンプル。あちこちにお店があります。これは巨大なハンバーグとビビンバ。 最後にパンフレットを載せてということで、少しでも郡上八幡のことが分かっていただけましたか?今年も踊りは行けなかったのですが、暑い夜の郡上踊りはダイエットにもいいとか。さて、しばらくは忙しいので次のお城をを回ることができません。10月になったら頑張ります。ではまたね! http://professor-mino.blogspot.com/
2014年09月04日
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お城スタンプラリー第3回 8月31日(日曜日)は滋賀県のお城3か所を回ってきました。夏休み最後の日でしかも日曜日とあってかなり渋滞しました。比較的近い3つのお城なんですが、移動に思わぬ時間を取られて1日仕事になりました。以下紹介します。長浜城 最初に行ったのは長浜城。木下藤吉郎が姉川の合戦〜小谷城の浅井攻めの功績から北近江3郡を与えられたときに築いた城です。今は鉄筋コンクリートの資料館ですが、琵琶湖畔に美しい姿で建っています。まずは公園の噴水の向こうに見える長浜城です。 近づいて見たときの天守(資料館)です。重心が低く安定感のある姿です。何となく岐阜城に似てるかな。岐阜城はまだ行ってないので別の機会に載せます。 同じ敷地内の歴史資料館では特別展が行われていました。 彦根市の方角を眺めると、小さくかろうじて彦根城が見えましたよ!前方の小高い丘の上に天守閣が確認できます。お分かりになりますか?彦根城 次は彦根城です。長浜からは普通なら車で20分くらいですが、彦根城近くに来ると渋滞でした。まず彦根城といえばお堀。お城をぐるっと取り巻いて、内堀と外堀が完全に残っています。素晴らしいですよ。 平山城(ひらやまじろ)と呼ばれる,平地のちょっとした山に造られたお城の代表格。でも高低差は結構あるのでかなり登らないといけません。 この橋は2時間ドラマなどでよく使われる場所のようです。 国宝の天守閣。それほど大きいものではありませんが、建築当時のままに近い状態で今日に残る貴重なお城です。美しい姿に感動。 お城の中もほぼ当時のまま。天守閣に住んでたわけじゃなく有事の際の要塞ですから、中は意外と狭いんですよね。階段は75度くらいの勾配で危ないです。犬山城より急ですね。狭い階段が各階に1か所なので上り下りが時間がかかります。人も多いし、入ってから最上階まで20分くらいかかりました。 別角度からの天守閣。何処から見ても美しいです。安土城跡 最後に安土城跡へ行きました。ここは「日本どまんなかお城スタンプラリ」ではなく、「信長夢街道スタンプラリー」のポイントです。下の写真は登り口。この山上に城跡があります。 階段の勾配はかなりきついし、一段一段の段差が大きいので汗だくになりました。下の写真は天守跡に近い場所。緩やかになってきています。 石段のあちこちには墓石が見られます。建設時の石材不足のため、信長が近在の寺などに命じて拠出させたものらしいです。宗教を信じていなかったと言われる信長らしいです。 天守閣の跡です。それほどの面積じゃないですね。 せっかく城跡までいったのにスタンプは置いてなく、どこにあるのかと思ったらJR安土駅前にある安土城郭資料館だということなのでそちらにも行くことに。 ここで面白いものを見たのですが、次の写真です。これは当時来日していた宣教師のうちの絵心のある人が描いた信長の肖像画と伝えられるものです。かなりリアルで、日本画の肖像とも印象が違います。どちらが近いのでしょうね? 安土城の屏風です。安土城は日本で初めて外国に紹介された城ということで有名ですね。 最後に、頂いてきたパンフレットを載せておきます。だいぶ集まってきましたよ! http://professor-mino.blogspot.com/
2014年09月01日
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お城スタンプラリー第2回 天気は悪かったのですが、時間があったので近いところを2か所2時間ほどで回ってきました。夏休みなので子供連れのお客さんはちょこちょこ来ていましたね。もちろんスタンプラリーの台紙を持った子供もいましたよ。大垣城 まずは地元の大垣城。第二次大戦の空襲で焼けてしまったので鉄筋コンクリートで再建されたものです。平地にお堀に囲まれて立っていて国宝だったのですが、その面影はありません。当時の姿から見てみます。この状態で残ってたら素晴らしかったと思いますが、まことに残念。 では今の姿を見てみると 別の角度から 河川に囲まれて水害の多いこの地域を象徴する浸水のあと。写真の真ん中あたりの石垣に、明治の大水害の時の水位が横線で刻まれています。お城のここまで浸かったということは町はすべて水没ですね。 町を見下ろす。平地に建てられた城なのでそれほどすごい眺望ではありません。 大垣城は関ヶ原の戦いで石田三成が最初に本陣を置きました。合戦ののち、家康の兵によって攻め落とされました。その様子がジオラマで復元されています。墨俣一夜城 同じ大垣市内の墨俣町にあります。藤吉郎の出世物語の原点として有名ですね。稲葉山の岐阜城を攻めるため信長に命じられた木下藤吉郎は蜂須賀衆とともに一昼夜で築いた砦です。資料館が建てられていますが、これは大垣城をモデルにしたもので、実際は一夜で作ったというだけあって粗末な砦だったようです。その絵図が次の写真です。 長良川の中州に築かれたもので、現地に行くとその名残をとどめてはいます。現在の姿はどうかといえば 秀吉像とのツーショット 名古屋方面を眺めています。手前は犀川、その向こうが清流長良川ですが、先日の台風や連日の雷雨などで増水しています。水が青々としているときはきれいな風景なんですが・・・ 東海道と中山道を結ぶ脇街道「美濃路」の宿場として栄えた墨俣宿のほうを眺めています。当時を復元したジオラマと比べてみてください。 岐阜方面を見ると雨に霞んで稲葉山(現在は金華山といいます)が見えました。長良川の向こう岸に県庁と県警本部のビル。そのむこうにうっすらかすんでいるのが稲葉山で、頂上に岐阜城があります。見えるかな? 一夜城の敷地内には、お約束の豊国神社があったり、秀吉ゆかりのひょうたんが飾ってあったりします。今日貰って来たパンフレットを載せて終りにします。 http://professor-mino.blogspot.com/
2014年08月17日
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ナゴヤ球場で予定されていたウェスタンの中日-阪神戦がグランドコンディション不良のため中止! 名古屋まで出かけて1日何もしないのもバカみたいだし、せっかくなのでお城スタンプラリーに切り替えました。今年も一からのスタート。つぎの写真が台紙ですが、昨年は14か所だったのが20か所に増えています。松本城や富山城も入っていた、かなりきついです。3月から始まってるのでかなりの出遅れですが、どこまでいけるか頑張ってみます。名古屋城さて、名古屋に行ったんだから最初は名古屋城です下は復元中の本丸御殿表玄関です下から見上げた天守閣、威圧されます名古屋城から見たナゴヤドーム、ビルが邪魔ですが見えます小牧山城次に小牧山城に行きました ここは去年も紹介しました小牧山から見たナゴヤドーム、辛うじて見えます。手前は名古屋空港国宝犬山城 今日のメインは犬山城。去年は行けなかったんです。久しぶりですが、建設当時の姿が残っている数少ないお城で国宝に指定されています。木曽川沿いの小高い山に建てられていて風景に溶け込んだ姿がとても良いですね。古風な天守閣は落ち着きがあります別の角度から見上げるとお城の上から中庭をみおろす 回廊も木製でちょっと怖いです木曽川を見下ろす 先日の台風でまだ増水していますね 建物の中も木造 階段は昔の状態ですからとても急傾斜で、女の子はパンツが見えそう。このお城に上るときはスカートは禁物ですよ。名古屋方面の眺め さすがにナゴヤドームは見つけられませんでした今日行ったところのパンフレット どれだけ集まるかなもう一つ、こんなスタンプラリーもやってます。4か所なので何とかなりそうです 写真では分かりにくいですが、平日なのにお盆休みの人が多いのと、その人たちが子供を連れてきているので、すごく人が多かったです。お城からお城までの道中もずっと渋滞。3か所回っただけなのにドッと疲れました。 http://professor-mino.blogspot.com/
2014年08月12日
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小牧山城に行ってきました 愛知県小牧市は岐阜県との県境にあります。平地の中にポコンと砲台のように山があります。標高は約85メートルですから丘みたいなものですね。 駿河の今川義元を桶狭間に迎え撃って倒し、後顧の憂いのなくなった織田信長は、美濃の斉藤道三の攻略を決断します。信長は桶狭間の戦いから3年後、この小牧山に美濃攻略の城を築き、尾張清須城を出てここに移ります。 信長が拠点としたのは、4年後、稲葉山城(岐阜城)を攻略して居を移すまでの間だけでした。城と呼んでいますが一時的な砦にすぎず、立派な石垣があるわけではありません。今ある歴史資料館のような天守閣があったのかどうかもよく分かっていないようです。 その後、小牧・長久手の戦いで、徳川家康がこの砦跡を拠点にして豊臣秀吉と戦いうまでは荒れたままだったと言われています。 次の写真は北方、岐阜方面を眺めたところ。本当は岐阜城が見えるはずですが今日は少しかすんでしまって、良く見えません。 下の写真は、名古屋城方向ですが、かすんでる上に逆光で、まったく見えません。本当なら、名古屋城も清須城も見えるんですよ。 戦国の三英傑がかかわった城にしては、扱いが地味です。眺めもいいし、いい運動になるし、とてもいいお城ですよ!皆さんにも一度は登ってほしいな。 http://professor-mino.blogspot.com/
2013年11月02日
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岐阜城に行ってきました 岐阜城は岐阜市の東部、金華山の上にある山城です。 岐阜は織田信長が斉藤氏を滅ぼして美濃を制圧した時、初めて中国を統一した周の文王が「岐山に起って天下を治めた」という故事にちなんで「岐の阜」(ぎのさと)すなわち岐阜と命名したと言われています。このお城も、それまでは稲葉山城と呼ばれていましたが、岐阜城に改まりました。 金華山は標高が329メートル。幾つもの登山ルートがあって近くの人たちは歩いて登ったりしてますが、今日は時間もあまりなかったのでロープウェイを利用しました。 上に登ると、頂上の緑の中に天守閣がそびえています。といっても割と小ぶりな天守閣ですね。これは再建されたもので、当時のものは戦国後期に焼失しています。 岐阜の街を見下ろしてみました。眼下に清流長良川が流れていて、その両側に街が開けています。長良川球場なども見えますよ。今日はちょっと雲が多く、遠くはかすんでました。周囲に遮るものがないため360度の大パノラマです。 ちょうど近くの幼稚園の年長組の子供たちが遠足に来ていました。聞いてみたらなんと下から歩いて登ってきたそうです。さすが疲れ知らずですが、家に帰ったらぐったりかもしれませんよ。 ふもとの岐阜公園には、自由民権運動の板垣退助氏の銅像があります。明治15年4月6日、この地を訪れていた板垣は演説後、刺客に刺されて暗殺されました。そのとき「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を残したとされます。 岐阜城は城の規模も小さく、展示物などはあまり多くありませんが、とにかく眺めが最高なので一度登っていただきたいですね。もちろん健康のため徒歩で登ることをお勧めしますよ。高齢者の方も沢山登ってらっしゃいますから、負けられません。 http://professor-mino.blogspot.com/
2013年10月11日
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滋賀県北近江地方の2つのお城です 近いところでスタンプをゲットしようとお隣滋賀県の長浜城と彦根城に行ってきました。うちからだと、高速道路を使わなくても長浜城まではジャスト1時間。こんなに近いんだから、もっと早く行ってればよかったと思います。8日に行って来たんですが空がどんよりとして、ちょっと雨もようでした。 長浜城は秀吉もごく短期間しかここにいなかったし、江戸初期には解体されてしまったのでこの姿だったのかどうかはわかりません。姉川の合戦の手柄によって秀吉が初めて信長から大名待遇を許され、新しく築いたお城ということです。その時に城下町も綺麗な碁盤の目に整備したと伝えられています。もちろん天守閣などは無くなってしまってますから、現在あるのは鉄筋コンクリートの資料館です。 さて、長浜城から彦根城までは12~13キロの距離。車で15分くらいでいけます。ひこにゃんの大ヒットから、毎年ゆるキャラ祭りも開かれるようになっています。城下町を再現した商店街も見所ですね。 ここは、琵琶湖に面したちょっとした丘というか小山を利用した平山城です。天守閣は小高いところになって結構登らないといけません。以前にも登っているので、今日は上まで行きませんでした。二重のお堀や建物の大半が当時のまま残っていて、国宝に指定されてます。江戸時代当時のことを知るには絶好の教材ですね。 もちろん入口にはひこにゃんが。着ぐるみは1日3回、30分づつ現れるんですが、予定時間が決まっています。タイミングが悪く今回は会えませんでした。帰りにお城の近くのクラブ・ハリエでバームクーヘンを買ってきて食べました。これで14か所のうち6か所のスタンプを押すことができましたこの次は自分の県内の郡上八幡城と岐阜城を目標にします http://professor-mino.blogspot.com/
2013年09月09日
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名古屋城本丸御殿復元工事 第一期完成 河村名古屋市長の肝入りで進められている名古屋城本丸御殿の第一期工事が終わり、5月29日から一般公開されているので観に行ってきました。 復元工事は三期に分けて行われます。今回は東南部分の玄関と表書院が完成し公開されました。総檜で当時の図面に忠実に再建され、工法も当時と同じです。次の写真はきわだ葺きの屋根。柿木の薄い板を幾重にも丁寧に重ねて造るんだそうです。とても手が込んでます。 中に入るとヒノキの匂いが気持ちいいです。 さすがに御三家筆頭の尾張大納言の御殿!豪華絢爛です。書院の中は金箔をはったふすま絵が再現されています。次の写真は狩野派の虎と豹の絵です。復元されたばかりなので眩しいくらいですね。下の写真は会議室みたいな部屋です。次のは謁見の間の床の間ですね。ピカピカでした。 現在、第二期工事も着手されていて、工事中の様子も見学できるようになっています。大きな仮設建物を造って、その中で御殿の再建工事をしてるので、どんな天候でも休む必要無く工事が進められています。 久しぶりに(20年ぶりくらいかな)、天守閣にも登ってきました。5層7階プラス地下室の計8階建の大天守閣は第二次大戦の空襲で焼けてしまったので、今は再建されたものですが、さすがにデカイ! 大阪城ともいい勝負ですね。てっぺんには名古屋名物金のシャチホコが! 見えますか? シャチホコは、そこらじゅうに「これでもか!」というほど展示されてるなあ。やっぱ名古屋城といえばこれだもんねぇ。 天守閣から名古屋駅の方を眺めてみるとこんな感じです。 今こんなイベントもやっています。3か所、7か所でそれぞれ景品が違いますし、全14か所を回るととても素敵なチャンスがあるとのこと。 ということで帰りに清洲城にも行ってきました。信長が半国大名だった頃の居城で、ここから天下布武を目指してスタートした記念碑的な場所ですよね。まずはスタンプ2か所ゲットです。 想像で再建されたものなので、こんなお城だったのかどうかはわかりませんが、なかなか好い雰囲気のお城です。手入れがきちんとされてて好感が持てるなあ。今年はお城のブログも書いていこうかな。根気が続くかどうか・・・ http://professor-mino.blogspot.com/
2013年06月09日
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