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小泉八雲の旧邸


 「耳なし芳一」、「雪女」、「むじな」などの作者として知られる小泉八雲(こいずみやぐも・別名ラフカディオ・ハーン)。小泉八雲熊本旧居は、明治時代、第五高等中学校(現在の熊本大学)の英語教師として熊本に赴任した際、最初の一年を過ごした住居です。八雲の作品の一つである「知られぬ日本の面影」はここで執筆されたといわれています。平成7年(1995年)に復元された住居内には、八雲の足跡を紹介したパネルや作品のほか、当時、八雲が毎朝礼拝したといわれる神棚も残されています。
  熊本の後,神戸のクロニクル社、帝国大学(東大)、早稲田大学に勤務した。明治37年(1904)9月26日、狭心症で54歳で逝去した。法名「正覚院伝浄華八雲居士」。



東京の八雲
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は外国人でありながら日本を愛し、日本人と結婚し、日本に住みました。晩年は新宿に住んでいました。八雲の終焉の地である新宿区と、生まれ故郷のギリシャのレフカダ町が、平成元年10月に友好都市提携をしたのを経緯に造られ、平成5年4月に開園されたのが「小泉八雲記念公園」です。


⇒東京都新宿区大久保1-7
JR新大久保駅徒歩7分(改札を出て右手方向へ直進、「大久保二丁目」バス停を過ぎて右折、しばらく道なりに進む)
・開園時間:4月から9月迄 午前8時から午後6時,10月から3月迄、午前8時から午後5時






◆小泉八雲 こいずみ・やくも◆
嘉永3年5月(1850年6月)~明治37年(1904年)9月


本名はラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)
ギリシャ生れのイギリス人。
明治23年(1890年)雑誌特派員として来日するが、同年、英語教師として松江中学に赴任。
小泉セツと結婚し、熊本の五高へ転任。
明治29年(1896年)帰化し、上京して東京帝国大学で英文学を講じる。
この間『日本瞥見記』『東の国から』などの随筆で、生活に密着した視点から日本を欧米に紹介した。
明治37年(1904年)アメリカで刊行された『怪談』は、日本の古典や民話などに取材した創作短編集です。


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