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アジアの星一番Ver4さんキーワードサーチ
どこの誰だったか、海外に長期間滞在する・と言う体験を、「非日常の日常」と言っていた。
つまり日本で生まれ育って日本語を話す人間が海外で生活するというのは非日常であって、しかしそれが長期間であるため日常化する・ということである。例えば、タダが日本にいる時に夢見たライン川は毎日眺めることによって特別なものでなくなり、ケルン大聖堂は馴染みの教会になる。
しかし、そんな中で新たな発見や体験、自然の神秘・芸術に触れると、やはり感動を覚え、心が震えるような、何故だかとてもすがすがしい・喜ばしい気持ちになる。
氷で覆われたネッカー川に、一週間ぶりに雪が降り積もった。
その静寂を騒がす者はおらず、辺りに満ち溢れるのは白、ただ、白。
この光景を見たとき、目が覚めるような、全身の細胞の隙間を一気に張り詰めた空気が通り抜けるような、今までに何度か感じたことのある・しかし使い古されたものでない、言いようの無い感覚に襲われ、脳の働きは一瞬停止し、言葉が出なかった。
これは、つまり非日常における日常に見られる非日常と言えよう。非日常1と非日常2は似て全く非なる要素から構成され、特にその連続する時間は非日常1において長く、非日常2において一瞬間程である。
非日常2が成立するには、人間の想像力を自然の創造物がはるかに超えていることが条件の一つであるが、そこに我々の想像力の乏しさ・限界を知ることも重要である。我々の限界の先が、「自然」なのである。すべてを知っている者がそれ以上を求めることは無く、更に先へと上へと自らを未知に切り込んでいくことが無い。今まで感じえることの出来なかった、五感が感じる・体全身で感じる新しい情報が、人間を進化させていくのである。
つまり、結局何が言いたかったかと言うと、無駄に御託を並べたて、自分がどれほどその光景に感動したかと言うことをいいたかったのであり、頭を打ったとか、食べたマッシュルームに当ったわけではない。この破壊的な文章から見てとれることは、タダのボキャブラリーが貧困であること、途中で文章を考えることに飽き、無理やり終わらせようとしているのが丸見えであることと、序文から結論に至る過程にブラックホールが生じ、内容が途中で吸い込まれ別物になって出てきているということである。・・・もっと本を読もう。
いやー、本当に、素敵だったなー!!
このテーマであっているのか今日のテーマ。 2009年02月23日 コメント(6)
思へば遠く来たもんだ。 まだあったかい… 2009年02月22日 コメント(8)
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