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天国と地獄




今日は「天国と地獄」について書こうと思う。

なぜ、これが書きたかったテーマの一つかと言うと、HPのテーマのもう一方、すなわち「幸せ」に関係してくるからである。

もっと言えば、「天国と地獄」を考えることはとりもなおさず、なぜ私たちが生きているのか、という永遠のテーマに
関係するからであり、その理由を考えるとき、必然的に、人間の幸せというものを考えることになる(と思う)からである。

最初にお断りしておきますが、ここに書くことは自分の考えをまとめるために、とり止めもなく書くものなので、ここでまとまった考えがでてくるかどうかは、書いて見なければわかりませんので、悪しからず。


では、はじまり、はじまり・・・・

まず、「天国」と「地獄」というものはいったいあるのか、ないのか、あるとしたらどこにあるのか、その辺から考えてみたい。

そのためには、ここで言う「天国」とはなにをさすのか、同じく「地獄」とは何をさすのか、ということを明確にしてからでないと、
人によってその定義がまちまちだろうから、なんだ、そんなことか、ともなりかねない。

私がここでいう「天国」「地獄」とは、人の意識が「ここは(あるいは、これは)天国だ」「ここは地獄だ」と認識する、もしくは
そう感じる場所のことを言う。

普通、天国とか地獄というものは、「あの世」すなわち死んでから行くところ、ということになっている。

しかし、死んでから行くところには「天国」や「地獄」はありません。

なぜって、死んだ後に待っているのは「絶対世界」だからです。

至福に満ちた、時間や空間の制約もない、意志がすべてを左右する世界があちらの世界です。

至福に満ちているんだったら「天国」ではないか、と思われる方も居るかもしれません。

でも「天国」というのは「地獄」や一般的に言う「苦難に満ちた現世」に対比して言う言葉です。つまり「相対世界」の言葉であり、概念です。

相対世界というのは、今我々が生を受け、日々悩み、苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみ、笑い、泣き、して生きているこの世界のことです。

そこでは時間が一方向にながれ、時空間を一定の物理法則が支配し、我々は少なくとも現在の科学ではその制約を逃れることができない「相対世界」です。

一方、あの世、すなわち死んだあとに行くところは「絶対世界」です。

これがなにを意味するかと言うと、唯一絶対の存在(これを「神」といってもいいですが)が支配する、いや、唯一絶対の存在そのものであり、われわれは死後そこに戻るだけなのです。

その場合、そこが至福に満ち満ちていたとしても、それを天国だ、と考えるための比較の対象がありません。そこはただ、そう在るのです。

したがって、我々が「天国」と「地獄」と言う場合のそれは、実はあの世にはありえないのです。

では、どこにあるのか、ということになりますが、私の考えでは、それは「この世界」にある、としか考えられません。

というより、それがあるとしたら相対世界の中だけにしか「天国」も「地獄」もありえないと思っています。

つまり



(まだ途中)


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