友人の同人誌その2 エッセイもどき



  人はいろんなことでさまざまな形の恥じらいを見せる。人によって、恥ずかし
 いと感じる対象がかなり異なることは、そういう話題になった時に思い知らされ
 る。とても興味深い。

  人の目を気にして恥ずかしい・・・と感じる現象や行動について、いつも思う
 ことがある。

  つまり、「本人が気にするほど人は気付いてない。」と言うのが、私の持論な
 である。例えば、スカートの裾にちょっとした汚れとかひきつれがあって、本人
 にとっては、どうもみっともないので気になる。だけど、現実、行きずりの他人
 は、誰もそんなことまで気付かないし、それに気付いたとしても、所詮は知らな
 い人のことだから、意識に残ることも、まー、ないだろう。近くでおしゃべりし
 てる友達にも、恐らく気付かれないことがほとんどだろう。

  恥ずかしいってのは、所詮、自分自身、内面の感情、自分のこだわりなんじゃ
 ないだろうか?だから、私が一番恥ずかしいと感じることは、人から教えられた
 「受け売り」を、ニュースソースを忘れてしまって、うっかり当人に逆輸入して
 しまうようなたぐいの行為である。

  その時の相手の反応は「あははは、それ、こないだ私が教えたったことやん」
 と笑い飛ばしてくれるか、恥をかかせまいと、気付かぬふりをして、初めて聞く
 ような顔して聞いてくれるか・・・。

  私は後者の反応をもらうと、もし、あとで思い出した時に余計に恥ずかしくな
 るから、前者のリアクションを望む。しかし、逆の立場の場合は、気付かぬふり
 をして聞いてしまう。そういうことは多々あった。だが、相手は、こういうこと
 にこだわりがないせいか、後になって思い出すことは恐らくないだろうし、たと
 え思い出しても、いっこうに気にならないのかもしれない。

  学生時代の友達に、異常なまでに自意識過剰な人がいたせいか、彼女からの反
 面教師で、恥ずかしがり屋が治ったような気がする。私も、子供の頃は、むちゃ
 くちゃ、極端なまでの恥ずかしがり屋だった。今となっては、やたら恥ずかしが
 り屋だった当時の自分が恥ずかしい。

  大人たちの目から見たら「何をこの子はそんなに照れてるの?(誰もそんなこ
 と気にしてないのに。)」と、自意識過剰ぶりをあざ笑われていたのではなかろう
 か?そう考えると、数十年経った今でも赤面してしまう。と、こういうことも自
 意識過剰なんだろう。そうそう、私は、人から「自意識過剰だ」と思われるのが
 とても恥ずかしいのだ。

  自分は気付かないだけでハタから見たら恥ずかしいことをしてるかもしれない
 のだから、本当に恥ずかしいのはそういうことに気付かされた時。ハナっから気
 付いてる程度のことで恥ずかしがってなんぞいられない・・・ってな、捨てばち
 な気持ちもある。ほどほどの恥ずかしがり屋になるのは難しい。

  人に迷惑をかけるような非常識な言動は論外だが、「ひゃー、恥ずかしいっ、
 穴があったら入りたいっ!」と一人恥じらう程度のことは、本当は、たいしたこ
 とではないのかもしれない。私は、常にそう考えている。



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