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浄蓮の滝… わさび沢… 寒天橋… 天城隧道… かの名曲「天城越え」に出てくる伊豆の名所です。 よく歌うんですけどね、カラオケで… でも歌詞を載せるのは止めておきます。 かなり刺激的な内容の歌詞ですから(笑 そんな天城に行ってきました。 あ、これ、浄蓮の滝のそばで見かけた天城越えの歌碑です。 うひょ~、この苔生した感じが・・・歌の内容が内容だけに・・・ 一日目はね、浄蓮の滝に立ち寄って、 踊り子のお宿にたどり着いた頃には真っ暗になってました^^ 「踊り子の宿」ですよ。 なんだか雰囲気あるじゃないですか!!! 川端康成氏がお泊りになったこともあり、 伊豆の踊り子のイベント?の際に撮影された 川端康成氏と若かりし頃の吉永小百合さんが 揃っておさまったお写真が展示されていました。 なんだか味のあるお宿じゃないですか? 私好みです q(^∀^)p お風呂も風情のあるいい感じのもので、 いや~日ごろのしがらみから解放されましたぁ・・・ 二日目はいよいよ天城越えです! といっても、まずはちょっと自然を満喫ということで 八丁池を目指してハイキング^^ ハイキングコースの入り口までバスに揺られ、 こーんな感じの道を行き、 青スズ台の展望台を目指し、 目の前にそびえ立つ万三郎岳を目指し・・・の予定でしたが、 まあ山歩きデビューの私ですから、今回は目指すのは 八丁池、ということにいたしました(笑 歩く、歩く、歩く・・・いやー、結構がんばりましたぁ。 ずい分歩いた・・・と思いましたが、八丁池についてびっくり! 子どもやお年寄り、立派なカメラと三脚を担いだ方、 中にはマウンテンバイクを担いできた若者・・・ 地元の方には散歩道?だったのでしょうかね@0@ でも行く価値あります! すごくきれいな風景が見られました。 こんど行く時は、大きなおにぎり持っていこうと思いました。 あそこで食べたらきっと美味しいに違いありません! 苔に覆われた岩、手の届く場所に色づいた木の葉・・・ どれも日常では見られない風景。 癒されます・・・^^ 帰りは七滝によって、マイナスイオンいっぱい浴びて、 伊豆の踊り子に会って、 旧天城トンネルは・・・越えずに写真に収め(笑 帰途に着きました。 久しぶりに心からゆったりできたいい旅行でした^^
November 24, 2011
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ちょっと海へ行ってまいりました。 サッバ~ン・・・ あれれ・・・やっぱり梅雨時期の海の光景はちょっと寂しいかなぁ。 ここにあいちゃんが水着で寝そべっていたりしたら、 すごくいい・・・あ、えっと、いい加減にしてくれ!って感じでしょうか・・・^^; でもごみひとつなくきれいが海岸がずーっと続いているのは すごく気持ちいい光景です。 うん、これはほんとすごくいい! 浜昼顔っていう名前の花だそうです。 海岸の入り口にいっぱい咲いていました。 うーん野草にもちゃんと名前があるんだよね・・・当たり前の話だけど。 ヒメジオン・・・そんな花も咲いていました・・・残念ながら写真はないけど。 こういう光景も湘南海岸では見られないよねぇ。 すごく癒されますよね。ほんとに・・・ ああ、こういうものにも目が釘付け・・・私うっとり。 できるなら、うちに持って帰りたかった・・・なんちゃって・・・^^; 最近写真と撮りに出かける時間もすっかり減ってしまいました。 まあ、でもそんな時間も遠くない将来きっとできるでしょうね。 定年まであと・・・えーっと何年かなぁ・・・
June 15, 2011
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その夢の中で、私は巨大な迷路の中にいた。 そそり立つ生垣に囲まれた周辺を照らす明かりは、 暗く深く青黒い大空にぽっかりと浮かんだまんまるい月の明かりだけだ。 両手を広げた程度の幅しかない迷路の通路にいる私の足元にまで 月明りは十分な光を照らすことはない。 前に進むには、暗闇に目が慣れるのを待つしかない。 迷宮の通路の片隅に腰をおろし、膝を抱えてそのときを待った。 不安でさびしくて先の見えない迷宮の生垣は、ただ音もなく 私の目の前にたちはだかっていた。 私はなぜこの迷宮に迷い込んでしまったのか、 ここにいることにいったいなんの意味があるのか、 先へ進む勇気を奮い立たせる力を、この私が持ち合わせているか、 そんなことを私は考えて何度も何度も迷宮を彷徨う自分の姿を思った。 暗闇に浮かぶ月の前を一筋の雲が通り過ぎ、その輝きを一瞬だけ奪い、 雲が行き、ふたたび月明りがあたりを照らしたとき、私はゆっくりと 立ち上がった。 私は歩き出した。 ながいながい通路を私は歩き続ける。 方向によって、空に浮かぶ月のあかりが通路を先まで照らす場所もあった。 けれど角をまがるとその明るさは一瞬にして消える。 生垣は生きているように、意志があるように、そしてうねるように通路に せり出して道を行く私にせまってきた。それでも狭い通路を進んだ。 不安な気持ちが私を襲う。 角を曲がると月明りが延々と続くながい通路を照らし出した。 私の中の不安な気持ちをおさえきれず、私は先の知れない長い通路を 走り出した。 きみは、ぼくがきみのことをどれだけ好きか、知らない そんな言葉が私の後ろでおおきく膨らんで迫ってくる。 私は後ろを振り向かないようにしてながいながい通路を走り続けた。 足をとられて転んでは立ち上がった。 生垣から飛び出した小枝をかき分ける手が傷つき、 時折り大振りの枝が頬にあたり、痛みを感じることもあった。 ふたたび雲が月を覆い、あたりから光を奪った。 それでも私は両手で暗闇をかき分けながら、先へ先へと 進み続けた。 そして生垣につっこんで跳ね返ると同時に大きく尻餅をついた。 きみは、ぼくがきみのことをどれだけ好きか、知らない。 いったい何なのだ。 私はなぜこの迷宮の中で疾走しなければならないのか。 私はなぜこの言葉に追われるように迷い続けているのか。 私は少しずつ疲弊して、私は少しずつあきらめ始めていた。 ここで歩き続ける意味などありはしないのだ。いや、もしかしたら この迷宮自体になにも意味などありはしないし、私を不安に陥れる言葉さえ、 怖れるほどの力を持っていることもないのかもしれない。 涙がこぼれた。 それでも私は歩き続けることをやめなかった。 いまはただゴールをめざし、この迷宮を通り抜け、いつもの安らぎの場所に 戻りたかった。 何度も何度も角を曲がり、迷いながら私は歩き続けた。 疲れると、私は膝を抱えて迷宮の通路の片隅で休んだ。 その時だけ、思い悩むことをやめて大好きなことを考えた。 暖かいベッドとやわらかい肌に包まれる安らかな時間を思って まどろんだ。 じっとしていると身体が冷える。 目を覚ました私は再び歩き始める。 そんなことを何度繰り返しただろうか。 ふと角を曲がると、私はぽっかりと光の灯った出口を見つけた。 私はもう走り出したりはしなかった。 穏やかな気持ちで、ゆっくりと出口に向かって歩き出した。 もうその言葉が私を追ってくることはなかった。 ふとポケットの中にくしゃくしゃになった紙切れがあるのに気がついた。 私はそれを取り出して、その言葉を書き記した。そしてきれいに折りたたんで もう一度ポケットの中にしまった。もうその言葉を怖れることはない。 ただ忘れずにいたかった。私はちいさな紙切れをポケットの上から ポンポンと叩いて存在を確かめた。 出口を出ると、もう不安もなぜ私がこの迷宮の中を彷徨っていたのかも、 はっきりとわかった。 それは・・・ 刺激 だったのだ。 この迷宮の中に隠された秘密、この迷宮の意味するものはそれだった。 それを私に伝えるためにこの迷宮は存在した。 それがわかったら、不安が消えた。 私は巨大な迷路を後にして、丘の上の私の場所に向かって歩き出した。 家に着いて自分の部屋に入ると、灯りもつけずに、私は窓辺に向かった。 重い木枠の窓に手をかけて外側に大きく窓を開け広げた。 冷たい風が私の頬を抜けた。 あの巨大迷路が見渡せる。 まあるい月に照らされた巨大な迷路がそこに横たわっていてた。 深い緑の生垣の中に黒い線がいくつも描かれていた。 私が迷って彷徨っていた場所だ。 けれど今ここから見ると、それは美しいみどりのじゅうたんのようだった。 もう怖くない。 私はその美しい迷宮の中で、それを見つけ出したのだから。 私はベッドの中にもぐりこんだ。 今日は穏やかな気持ちで眠れそうだ。 私はいつもの自分の部屋で目を覚ました。 ベッドとチーク材のパソコンデスクの上にパソコンがひとつ。 私はベッドに横たわったまま、ふとんから足をにょっきりと突き出した。 股下76センチ。つま先を伸ばせばもうすこし長そうだ。 ペールオレンジのネイルカラーで塗られたつま先をカーテンにかけて引いた。 部屋の中に光が差し込んだ。 今度はふとんから両方の足と手をにょっきりと出して大きく伸びをして、 枕元に転がっている sleeping beauty という名のメラトニンの錠剤が 入った缶を指先でこつんとはじいてから、ゆっくりとベッドから起き上がった。 今日も生姜いりの紅茶とバナナで一日が始まる。 長い冒険の夢は私を少しだけ強くしてくれた。
October 28, 2010
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秋本番・・・と言っていいものやら・・・。 今日も半そで姿の人を見かけました。 朝夕は冷えるとはいえ、今日も台風一過の上天気となりました。 さて・・・私は先日、大井川鉄道に乗って、 ちょっと温泉までいってまいりました。 大井川鉄道といったらSLでしょう、とおっしゃるそこのあなた! そう。私たちったら何も知らずに金谷の駅にたどり着き、 SLの切符を購入しようと窓口へ・・・。 「すみません、千頭まで大人2枚」 「予約、してます?」 「?」 一日に3本しか出ていない千頭行きのSLは、予約でいっぱいなのでした。 ああ・・・なんにも知らない私たちは、しかたなくローカル列車各駅停車の旅を することになりました。 SLちゃん、これが最後になるかしら・・・ 金谷にて。 ローカル列車で85分の旅。 のどかな景色を楽しみながら、美しく刈り込まれた茶畑の眺めながら、 それはそれでいい時間が過ごせました。毎日の忙しい時間と流れ方が 違うんじゃないかと思えるくらいにのんびりとした85分。貴重な時間とも 思えちゃいました。 千頭からバスに乗って、さらに山奥の温泉宿へと向かいました。 寸又峡温泉です。静かだったローカル列車の旅から一転、バスは超混雑! それも私たちよりも少しお兄さん、お姉さんといえる方々が、とても元気で にぎやかで。 あの年代って、箸がころんでも笑える年代でしたっけ? 温泉宿について一休みしてから、ちょっと散歩に出かけました。 夢のつり橋へ。 夢なのか、幻なのか・・・それはこの世のものとは思えないような光景。 ダムの人工湖の真っ青な湖面の上に一筋の糸のような儚げにかかる橋。 あれは何? 蜘蛛の糸? ・・・みたいな・・・(笑 なんとかたどりついた橋は・・・ こんな感じ・・・幅は1メートルもないじゃぁありませんか・・・ *_* その上、つかまる手摺りもなく、ほっそい鉄製のワイヤーをつかんで進むしかない・・・。 一歩足を踏み出すごとに、揺れる、揺れる! ほんと、この写真一枚に命かけました(ジョーダンです) でも、いい経験しました。 たぶん、あんな危険な橋は二度と渡ることはないでしょう・・・って たとえなんだか、本音なんだか・・・。 温泉街に戻る頃にはもう当たりは真っ暗。 ちょうど和紙のあかり祭りをしているということで、 通りには住民の方々の手作りの明かりがあちらこちらに並んでました。 なんだか映画かドラマのセットの中に迷い込んだような気分になっちゃいました。 「夢のつり橋殺人事件」・・・なんちって(笑 翌日は、大井川鉄道の井川線というトロッコ電車に乗ることにしました。 終点までは一時間半ほどかかるというので、途中の接阻峡温泉まで行くことに。 ちゃんと切符にに鋏をを入れてもらいました。 今でもあの懐かしい鋏、こんなところでは使われているんですね~。 カチカチ音を鳴らして切符をを切る駅員さんはまだ若い。 鉄道マニアがそのまま駅員さんになっちゃったのかな。 井川線は普通の電車よりも幅が狭くてちっちゃい。 でもそれがまたなんとなくかわいかったりして。 車窓から眼下に大井川を眺めながら、にわか鉄子の心は高まっていくのでした。 接阻峡温泉で下車した私たちは、さて温泉街で昼食でも・・・と思いましたが・・・ これまた私たちの考えは甘かった! 接阻峡温泉駅で下車したものの、駅周辺には茶畑しか見当たらない。 次に列車には乗って千頭まで戻らなくてはならないので、そう時間もないし・・・。 そしてとぼとぼ歩くこと十数分、一軒のお店を発見。 「営業中」の赤いのぼり旗を かかげた店(家?)の中に入ってみると、だーれもいない。 「すいませ~ん」 何度か声をかけたらやっと人が現れた。でも店の人じゃなかった(笑 近所のおばさんらしき人が店の人を呼びにいってくれました。 そこで天ぷらそばをいただきましたが、それが・・・なんとも美味しい!! 裏の山で採ってきたの?的な山菜と 店の前で採ってきたの?的な茶葉の天ぷらがのったおそばは 温か~く私たちのお腹の中にしみ込んでいきました。 お腹も心も温まり、満足した私たちはふたたび接阻峡温泉の駅へ。 さて、温泉街はどこだったのだろう?とちいさなわだかまりを頭の隅へ追いやって ふたたびトロッコ列車にのって千頭へと戻った私たちなのでした。 これで、私たちのにわか鉄子の旅は終わり? と思うでしょう? いやいや、これからです。 私たちは金谷までのSL切符を持っているのですから。 本物のSLですっ! 煙だってはいちゃうし、汽笛だってお腹に響きます。 石炭だってくべられて、オレンジ色の炎だって見えちゃうし。 もうこれはマニアじゃなくても興奮します。 こんな車内は、まるで戦時中か・・・みたいな(笑 こんな体験二度とできないかも。 窓を開けてSLを満喫しました。 車輪の音も 煙のにおいも 駅に着いた時に吐き出される蒸気も ついでに、車掌さんも素晴らしかったです。 彼女のハーモニカで、車内は一瞬にして「歌声喫茶」になってしまったくらいです。 * * * * * * * * * * にわか鉄子 大井川鉄道の旅は、静岡で夕食がてらに寄った居酒屋さんの 静岡おでんで締めくくられました。 楽しかった~! 生きてるって面白いね。 まだまだ知らないことがたくさんあります。 鉄子の旅の次は、歴女の旅? それはまた、いつかの話ということで。
October 27, 2009
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今日よこはまは天気上々。空は真っ青でした。 気分も晴れやかで、久しぶりにちょっと歩いてみました。 最初の写真は横浜開港記念館。ツタのからまる重厚な門構えは、館内見学する人しか入れないの? という感じで素通りしてしまう方も多いでしょうが、実は裏をまわれば建物全体が見られるし、 反対側にはカフェだってあるのです。私は・・・いつも近道に使っています^^; 反対側のカフェはこんな感じ。開港記念館のツタも、開港広場(日米和親条約が結ばれた場所です) の木々もすこし秋っぽい色になっていたような・・・。 大桟橋入り口のわき道から象の鼻(かつてイギリス波止場と呼ばれていた場所)へ向かいました。 今は象の鼻パークなる広場になっていて、やはりちいさなカフェがありました。カフェのが窓ガラスには 文字がならんでいます。 中からみると青空に文字がぽっかり浮かんでいるよう^^ ここで、キッシュとランチに・・・と思いましたが、売り切れでした。残念。 結局今日のランチはとっておきの穴場カフェでビーフカレーをいただきました。 じつはこれ、C定食! サラダも、飲み放題のコーヒーもついて650円!! JICA横浜国際協力機構の中にあるカフェ。 でもテラスもあってすごく気持ちがいいんです。 海も見えるし横浜ジャックも正面に見えます。 お腹もいっぱいになり、桜木町までもうひと歩き・・・。 太陽と横浜の香りをいっぱいにうけて、満足、満足の一日でした。
October 16, 2009
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「あゆみちゃんのうちまで車で送っていくよ」 車のドアを開けながら剛史が言った。 「いいえ、今日はこれから横浜へ行くんです。用事を済ませてから友人と会うから」 「それなら横浜駅まで送っていこう」 手を伸ばせは、すぐそこに剛史がいる。いつもなら私のことを力強く抱きしめてくれる 剛史が、なんだか少し遠くに感じる。運転席に座る剛史の横にひとりの女性がいるだけで、 私との間には厚く全てを遮断する壁がそびえたっているように思える。 帰りの車の中では、圭子の母親と父親だけが話しをしていた。ほかの誰もが口を開かない。 緑に囲まれた車道を走りながら外の景色を眺めているうちに、私は夢の中に落ちてしまった。 真っ白い空間の中に圭子がこちらを見て立っていた。それは私がよく知っているふくよかな頬と 長い黒髪のままの圭子だった。 出会いは繰り返すんだよね? 圭子はまた賢ちゃんと出会うんだよね? 私が死んでも、また圭子と出会って、 そしてまた楽しいときを過ごすことができるんだよね? 私は夢の中でそんな質問を繰り返した。けれど、どうしても聞けないことがあった。 私は剛史とどうして出会ったの? それもまた、生まれる前から決まっていたことだったの 夢の中でさえも圭子に聞けないもどかしさが、喉に詰まって私は苦しさにもがいた。 「あゆみちゃん、疲れただろう? 今日は朝早くからずっとだったからな」 私は剛史のそんな声で目が覚めた。 「ごめんなさい。私、うとうとしちゃって・・・」 バックミラーの中で剛史が私をじっと見つめている。私はこの剛史という人がいるから、 ハイでもなくローでもない平穏な日々を送れている。しかし、私は剛史に心を支配されながら、 また一方で金銭的に夫に支配をされているということを忘れてはならない。 あゆみちゃん。 あゆみちゃんはまだまだきっと恋ができるね。 ふたりで並んで歩いて行ける恋ができるよ。 最後に言った圭子の言葉を思い出した。 私は並んで歩きたいのだ。誰かと肩を並べて一緒に生きていきたいのだ。支配される なんて考えはもう終わりにしなくては。 「私、ちゃんととなりに並んで歩きたいから」 私はバックミラーに映る剛史の目をまっすぐに見て言った。 「はい?」と助手席の剛史の妻が振り返った。 「いえ、ここで降ります。東急ハンズに用事があるので。ここから歩きます」 「ああ、それならあの信号のところで止めるから」 剛史は何を感じただろう。 こんな状況でいったい何を言い出すんだ・・・ そんな風に思ったかもしれない。夜のメールを気にするくらいの剛史だから、もしかしたら 怒ってしまったかもしれない。それでもいい、と思った。私は人形ではない。「あゆみの 好きなように・・・」といいながら、私の前を歩いている剛史に、無理をして小走りでついて いくだけの私でなくたって構わない。 いつか胸を張って誰かの隣を歩きたい。それが夫なのか剛史なのか、それとも他の 誰かなのかはわからない。一度くらい立ち止まったっていいではないか。地球は青く水を 湛え月は闇夜に輝き、時は留まることなく大河のように流れ続ける。それは変わることなく、 留まることなく。そう見えるのは、それがあまりにも大きく計り知れないからだろうか。 毎日という時間の流れは止めることなどできなくても、私は今立ち止まろうとしている。 そして、もう一度歩き始めることができるまで、もう少し・・・。青い車を見送って、信号機 が点滅する横断歩道に向かって私は急いで走り出した。 おわり *このお話のストーリーはフィクションです。
June 23, 2009
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よく晴れた朝だった。一周忌の法要はほとんどが親類だけのこじんまりしたものだった。 見知らぬ人たちの中に剛史の姿を探した。8畳ほどの控え室に剛史は腕を組んで座って いた。隣には私とそう歳のかわらない女性が座っている。剛史には声もかけずに私は 賢二を見つけて声をかけた。 「今日は声をかけてくれてありがとう。圭子に久しぶりに会えた気がするよ」 「いえ、こちらこそありがとうございました。法要が終わったら、お義兄さんの車でお墓まで・・・」 「そうですね。わかりました」 そう答えて剛史をみると、私に向かって小さく頭を下げた。まるで初めて会う人にするように。 剛史の車には剛史の妻と圭子の両親と一緒に乗り込んだ。圭子の母親とは、高校時代の 圭子の思い出を話した。時折りバックミラーに目をやると、こちらを見ている剛史と目が 合った。剛史の妻はあまり話しをしない人だった。それとも、もしかしたら、私という他人 がひとり加わったので、口を閉じていたのかもしれない。 圭子の墓はまだできあがったばかりの美しい公園墓地の一角にあった。あたりには 緑も多く、静かな空間にときおり鳥の鳴き声が響く。墓の横にはラベンダーが植えられて いる。季節になればラベンダーの香りがあたりいっぱいにひろがることだろう。 若い僧侶が読経をあげて納骨の儀式を終えると、参列者は駐車場へと足を向けた。 「賢ちゃん、いい場所だね。圭子はここで静かに眠るんだね」 「ええ。そうですね」 「ラベンダーのいい香りがするね。安心したよ。ここならきっと圭子もゆっくりできる」 「ええ・・・」 賢二が何か言いたそうだった。 「圭子、賢ちゃんに感謝していると思うよ」 「そうでしょうか・・・」 「どうして? 圭子はそう言っていたもの」 「ぼくは圭子に寂しい思いをさせたかもしれない。もっともっと元気なうちにしてあげられる ことがたくさんあったかもしれない・・・」 「そんなことないよ。お願いだからそんな風に思わないで」 「ぼくは・・・圭子を死なせたのはぼくだから・・・」 私はあの日、賢二が「圭子を殺したのはぼくです」と言ったのを思い出した。 「それって、どういう意味なのかな」 賢二は口を閉じたまましばらくお墓を眺めていたが、ふと私のほうをみて言った。 「あの日、呼吸が止まりそうな圭子を見て、ぼくはどうしても圭子をひとりで逝かせたくな かった。すっと繋がっていたくって、生まれ変わっても一緒になりたくって、そしてぼくの ことを忘れないでいてほしくって・・・」 「うん」 「呼吸器をとって唇を重ねたんです。そんなことをすればそうなるかということも知りながら・・・」 「そっか・・・。圭子は幸せだったね。最期の最期まで幸せだったね」 圭子はきっと賢二のことを忘れはしない。生まれ変わっても、また生まれ変わっても、 広い世界の中で賢二を見つけ出すことができるだろう。最後のキスに魂をこめた賢二 という存在が圭子にあったことがうらやましく思えた。ふたりは最期まで、きっと並んで 歩いていた。 ふと駐車場をみると、青い車に剛史が寄りかかってこちらを眺めている。 「大丈夫。またいつか、生まれ変わっても、圭子はきっと賢ちゃんを見つけ出すと思う」 「そうですね・・・」 涙を拭う賢二の背中を押して、私たちは駐車場へと歩きだした。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 21, 2009
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前世から時空を越えてつながっている人たちのことをソウルメイトというのだそうだ。 ひとりの人間のソウルメイトは何人もいて、たとえばそれは大きな樹の葉が枝に連なって ひとつの樹木をつくりだすように人もひとつのグループのまま生まれ変わりを繰り返す。 ある時代ではその人は私の夫だったり、ある時代ではその人は私の息子だったりし ながら何度も何度も再会を繰り返して、愛し合い助け合って人生を学ぶ。 しかし、運命は時にひどく辛い試練を与えたりもする。ある時代に殺しあった敵同士が ある時代では夫婦となってお互いを責め、苦しめる状況を作り出したりもする。それを ソウルメイトと呼ぶのだろうかと考えもするが、それはまた苦しみの中から人生を学ぶ ための宿命でもあるというのだ。 私は読んでいた本を閉じてコーヒーに手を伸ばし、コーヒーカップの中はとうに空に なってカップの底に茶色い輪を作っていることに気がついた。 ふと思い出して、バッグから携帯を取り出して昨日見つけた着信記録を確認した。 それは圭子からの着信記録だった。一年も経っているのに、私は圭子の携帯アドレスも 電話番号も抹消していない。それは私の中で圭子は未だ生き続けているような気がして いるからだ。昨夜、圭子からの着信記録を見つけた時は驚いたが、もしかしたら賢二も 私と同様に圭子の携帯を解約できないでいるのかもしれないなどと思って圭子の携帯に 電話をかけてみたが、携帯のむこうで機械的な声が圭子の携帯はすでに解約されて いることを告げた。それでは昨晩の着信記録はいったいなんだったのだろう。 私は通話記録をもう一度確認して、ひとりで小さく笑ってしまった。その電話は圭子の 携帯からの着信記録ではなく、自宅からかけられたものだった。賢二だ。賢二が自宅 から私の携帯に電話をかけてきただけのことだったのだ。私は迷わず賢二に電話を かけた。呼び出し音がしばらく続いた後、懐かしい声が聞こえた。 「はい、八神です」 「もしもし、田之上です。昨日電話もらったみたいだから」 「ああ、あゆみちゃん。ええ、昨日電話しました。圭子の一周忌がとり行われるので・・・」 そうか、あれからもう1年も経ってしまったのか。 「あの日、電話をもらって以来だね。元気にしてる?」 「ええ、まあなんとか・・・」 賢二が言葉を濁した。とても元気とはいえそうな感じではない。妻を亡くした夫が、そう 簡単に心穏やかな日々を過ごせるようになるものではない。賢二の心にまだ圭子が 生きているといっても過言ではないだろう。 「賢ちゃんに聞きたいことあったんだ。法要には喜んで出席させていただきます。圭子の お墓の場所も知りたかったし・・・」 「そうですね。ぼくもお会いするのを楽しみにしています」 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 20, 2009
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4月に入ると、テレビのニュースでは日本の各地での花見の様子が映し出され、横浜 でも桜が花開くのがあちこちで見られた。桜の花の美しさは遠くから見た薄桃色の樹全体の 形でもあるが、私が好きなのは桜の樹の下を通った時に、はらはら舞い降りてくる花びらの 下を歩くことだった。まるで空から舞い降りてくるような花びらを見上げるのは、空色と 薄桃色のコントラストは実に美しく、自分はこの空の下に生きているということを改めて 実感させてくれるように思えるからだ。 圭子の病室の窓から見える丘も、薄桃色の桜の花でおおわれた。そんな様子を横目で みながら鴎橋を渡って圭子のいる病室にむかった。いつものように「こんにちは」と声を かけると、「はい」と答えたのは圭子の母親だった。 「あゆみちゃん、いつもありがとね。わたし、ちょっと飲みもの買ってくるね」 そう言って、圭子の母親は私と入れ違いに病室を出て行った。 「先週の日曜日に賢ちゃんとお花見に行ってきたよ。その後、ドライブしてきた」 私が病室に着くなり、信じられないでしょうと言わんばかりに圭子が私の時の様子を話して くれた。けれど、その頃には、もうすでに圭子はひとりでは歩くことも立つことさえもできない ことを私は知っていた。 「うへー、アツアツデートの報告ですか。うらやましいね」 えへへ・・・と圭子がめずらしく照れたように笑った。このところ、胸膜と骨に転移したガン の痛みを緩和するために使っている薬のせいでうとうとすることが多く、表情も乏しいことが 多かった。車から降りることはなかったとはいえ、賢二とのドライブがよほど嬉しかった のだろう。 「ドライブを楽しめるくらいなら大丈夫。次は横浜花火大会でも行きましょうかね」 うん、と小さく頷いた圭子が「なんだか今日はちょっと眠い」と言って目を閉じた。浅い呼吸を くり返し、時にはそのまま呼吸を止めてしまうのではないかと心配になった。 「失礼しまーす」 明るい声がして、若い看護師が入って来た。 「八神さん、点滴換えますね」 圭子が目を開けてゆっくりと頷いた。 「その薬、あまりたくさん使わないほうがいいんでしょう」 圭子が不安気に小さな声で訊ねた。 「そんなことないよ。八神さん、痛いのをがまんすることないよ。大丈夫。つらかったら ちゃんと言ってくださいね」 モルヒネだ、と思った。圭子は全て知っている。賢二は全てを圭子に話しているのかも しれない。一番信頼している賢二にまで隠し事をされるより、全てを話してもらったほう がより信頼感も深まるのだろう。けれど・・・たぶん賢二は辛いと思う。そんな事実を妻に 知らせる役目など、できるならしたくないはずだ。 看護師が点滴を付け替えて出て行くと、私は話に詰まってしまった。病室の中が静寂 に包まれる。窓の外を流れる運河の上を一羽の鴎が飛んでいるのが見えた。 「あゆみちゃん。あゆみちゃんはまだまだきっと恋ができるね。ふたりで並んで歩いて 行ける恋ができるよ。身体にだけは気をつけてね。病気は大変だもの・・・」 その日から二週間も経たないうちに圭子は逝った。圭子が35歳になった翌日だった。 その事を知らせる賢二からの電話は出先で受けた。 「今日の明け方、圭子がなくなりました。最後につぅーっと一筋の涙を流して。ぼくが 殺したんです。ぼくが・・・」 そう言って賢二は言葉を詰まらせた。 「なに言っているの。圭子はずっとずっと賢ちゃんに感謝してるって言ってたよ。賢ちゃん がしてくれた全てのことに感謝してるって。ありがとうのひと言でしか、その気持ちを表わせ ないのが歯がゆいって言ってたよ」 携帯のむこうで賢二が声を立てずに泣いていた。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 19, 2009
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「なあ、あゆみ。メールのことだけど」 「メール?」 「夜のメールは困るんだよ。家族の前じゃあゆみからのメールをチェックできないし、 返事だって書けないんだ。だから・・・」 「ごめんなさい。わかってる、もう夜はメール送らないから。ほら、食べよう。この海鮮 ビーフンもすっごく美味しいよ」 本当は、夜が一番寂しいのに・・・。 私はそう言いたかったけれど言わなかった。わかってる。夜には家族の団欒ってもの があるってこと。たとえ夫婦にそれがなくなったとしても、ふたりだけでなかったら団欒が あったっておかしくない。 食事を終え、外にでると雨が降っていた。 「タクシーひろおう」 広い空間と高い天井。大きなベッドもソファも茶系でまとめられていて、シックな感じで 落ち着ける雰囲気だった。私はすっぽりと剛史の胸に身体をうずめて抱きついた。 「あゆみは甘えん坊だな。いくつになっても高校生の頃みたいに感じるよ」 「やあね、私、もう34よ」 「そうだな。おれだったもう38になったんだから。昔圭子とあゆみがふたりで並んで学校 に通っていた頃を思い出すよ」 私が高校の頃から剛史はもう私よりずっとずっと先を歩いていた。当たり前のことだ けれど、私がどんなにがんばっても剛史においくつことはなく、私はあとからついて行く だけの存在でしかありえないのだ。 「あゆみ、そこに立ってごらん」 「え、このままで? はずかしいよ」 「いいから。あゆみの裸をよく見たいんだ」 私はゆっくりと立ち上がって剛史の目の前に立った。 「私は剛史にとってどんな存在?」 「あゆみは・・・ぼくの宝物だ」 剛史の指が私の唇に触れ、そして首筋を通ってゆっくりと下へ向かう。そうして私は 動けなくなる。まるで魔法にかかったように私の身体中の神経全てが剛史の指先に 集中する。 私は支配されることを望んでなんかいない そう思っても、どうすることもできなかった。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 18, 2009
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みなとみらい駅に着いたのは6時少し前だった。4番出口は最近できたばかりのオフィス ビルとけいゆう病院に行く人が主に使う。大きな病院の診察時間はとうに過ぎているせいか、 人の通りはほとんどない。長いエスカレーターの先に見える小さな空は、もうすでに暗闇 に包まれている。エスカレーターの下は静寂に満ちて、ときおり聞こえる視覚障害者用の 誘導音が都会の寂しさを募らせる。ふとエレベーターを見上げると、上から剛史が手を ふりながら下ってくるのが見えた。 「待ったかい。今日はけいゆうの仕事が最後だったんだ」 「ううん。そんなに待ってないよ」 「手が冷えてる。悪かったね。こんなところで待ち合わせ。でも、店はエスカレーターを 上ったらすぐなんだ」 剛史が私の手をとって両手で包み込んだ。 その店は、剛史の言ったとおり、エスカレーターを上ってすぐのビジネスビルの1階に あった。金曜日だというのに店内はそう混んでいないように見えた。しかし店は長細く 奥へと続き、中には若いグループの先客がいた。 「なにがいい。あゆみの好きなものを注文していいぞ」 「それなら・・・砂肝の辛子味噌和えと、青梗菜としらすのうま煮と、大根餅と、海鮮焼き ビーフンと・・・」 「おいおい、どんだけたくさん食べるんだよ。よし、あとは青島ビールだな」 「うん」 剛史は「あゆみの好きなように・・・」という言葉を口癖のように使う。けれどそれは まるで私を子ども扱いしているようだ。剛史は兄のように父親のように私を包んでくれて いるように感じ、また私は支配されているようにも感じる。 「あゆみ、この青梗菜のうま煮、すごく美味い。ほら、皿をかしてごらん」 「うん」 「うまいだろう?」 「うん、おいしい!」 私は剛史の隣をちゃんと 歩いているだろうか。後ろからついていくだけの関係で 終わりたくない。手を引かれるだけの私でいたくない。私だって剛史の手をとって引っ張り あげてあげられる私になりたい。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 17, 2009
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12月、学校が冬休みに入る前最後の土曜日に、私は圭子にクリスマスケーキを届けた。 圭子はその時すでに食事を口にすることはできなかったけれど、「賢ちゃんと一緒に クリスマスを」とサンタクロースの飾りのついた小さなケーキを買って行った。 「賢ちゃんにジングルベルを歌わせよう。ここの夜は静かすぎるのよ」 「それなら、耳元でささやくように歌ってもらわなくちゃね。看護師さんがとんでくるよ」 「そうね。ささやくようにね。あゆみちゃん、それ、グッド。いただき」 この頃の圭子は胸膜にガンが転移していたために、息は浅く声もか細かった。 「圭子、眠くなったら寝てもいいよ」 「うん、そうしようかな。ちょっと眠くなったかも」 私は圭子の手をとった。圭子が私の手を微かに握り返す。 「今度はお正月明けに来るからね」 「うん」と小さく答えた圭子が静かに目を閉じた。 日本語検定試験も終わり冬休みを迎え、2月の結果を待つだけとなった。年末が近づくと、 普通の会社勤めの人たちにとっても冬休みを迎えた子どものいる家庭でも忙しく毎日が 過ぎていくものなのだろう。しかし私にとっては、日本語学校が休みに入ると、一変、 時間が経つ早さをその速度を緩めたような感覚を覚える。模擬テストを作ることも、 翌日の授業の準備をすることもなくなると、私はただ家事を淡々とこなすだけの毎日を 過ごすことになる。一日中誰とも口を利かないでベッドにもぐりこむ時間になってしまう ことも少なくなかった。 剛史にメールを送ることもある。けれどそれは剛史にとって、喜ばしいことではない。 携帯メールは私との関係が発覚するきっかけにもなりかねないからだ。 ある日、私は剛史に一通のメールを送った。「観たい映画があるの。一緒に観にいきたい」 ほんの短いメールだった。答えにくい質問をしたわけではない。不可能な希望を述べた わけではない。けれど、1日待ってもその返事が送られてくることはなかった。 2日目の朝、剛史から一通のメールが送られてきた。 今日、会える。 あゆみの喜びそうな台湾料理の店を見つけた。 午後6時、みなとみらい駅4番出口のエスカレーターの下で。 いつもこんな調子だ。剛史からのメールは当日の都合で送られてくる。映画を観にいく ことはかなわないようだったが、それでも、剛史に会えることがなによりも嬉しい。私は 家事を早々に済ませ、夫の夕食の仕度にかかった。 茄子の冷製サラダと鶏肉のローストを皿に盛ってテーブルに並べた。「炊飯器に中華 おこわあります」と書いたメモを添えた。夫の好物を用意すれば機嫌を損ねることはない。 「急な用事で日本語学校の同僚と会うので、帰りは少し遅くなります。夕食は用意して あります」そう夫にメールを送ったが、夫からメールの返事が返ってくることはなかった。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 16, 2009
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「ねぇ、圭子。前世って信じる?」 「前世?」 「そう。人は何度も生まれ変わるんだって。私はたぶん、今ここに生まれる前も圭子とは 知り合いだったと思う。だって、高校の入学式の日にバスの中で知り合ってから、毎日 一緒に学校に通うようになって、今日まで23年間も友だちやってるんだもの。縁がある に決まってる」 「そうね。そうかも知れないね。それなら、私と賢ちゃんはきっと前世でも夫婦だったかも しれない」 「そうだよねー。圭子は賢ちゃんとどうしても結婚したかったって言ってたもんね」 「賢ちゃんは私を救ってくれると思った。ずっとずっと愛してくれると思った。賢ちゃんは 本当に優しくて、私にしてくれる全てのことに感謝しているのに、それをありがとうの ひと言でした表現できない自分が歯がゆいよ」 以前の圭子ならこんな風に言いはしなかった。まるで心にある全ての気持ちを誰かに 伝えておかなければいけないというように、オブラートに包んだような言い方をすること がなくなった。 「圭子でなくて、どうして私でなかったんだろう」 「え?」 「ベッドの上にいるのが私で、ここにいるのが圭子だったらよかったのに。圭子は賢ちゃんと こんなに愛し合っているのに」 「なにかあった?けんかでもした?」 なんにも・・・そう言ったら、涙が溢れてしまった。圭子の前で泣いちゃいけないのに。圭子の 前では笑顔でいて、圭子にだって笑っていてほしいのに。愛を語る人の前で、幸せを 演じるのは容易ではない。 「大丈夫。いつものことよ。圭子のところのように何年経ってもいちゃいちゃしているほう がめずらしいのよ。どこのうちも夫や妻に不満のひとつも持っているってものですよ」 私はおどけて笑ってみせた。もう私と夫の間には何日も会話がなく、話題を見つける 気持ちにもならない。その寂しさを圭子の兄と身体を重ねることで紛らわしているなどと、 言えるはずもなかった。 「私も圭子のように、夫と手を繋いで寝てみようかな」 「うん、そうしてごらん。きっと幸せな気持ちになれるよ」 「そうかもね」と答えながら、私は日に焼けた剛史の大きな手を思い出していた。私の 心も身体も支配し続ける力強い手だった。笑顔は上手に作れたと思う。圭子の大きな 目が安心したように私に微笑みかけた。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 15, 2009
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私はアルミシートを破っていつもの錠剤をテーブルの上に並べた。大した薬ではない。 ごく軽いうつ症状を抑えるために飲んでいるものだ。それを飲み始めてから2年ほどが 経っていた。不妊治療を止めて剛史と付き合うようになってから、私は将来に希望を 見出すことができなくなった。私は誰にも必要とされてなどいない。神様は私に何も 与えてくれはしなかった。そんな考えが時に私を取り巻いた。耳の奥で小さな虫がキイ キイと音をたててうごめくような感覚が眠れない長い夜に私を苦しめたこともあった。 今ではそれらを飲むことは、私にとってサプリメントを飲むこととさほど変わりはしない。 ハイでもなくローでもない今の状態を保っているのだから、それらを飲み続けることに もう抵抗を感じることなど全くない。 バナナとトーストとミルクティー。いつもと変わらない朝食を終えて薬を口に放り込んで 水で流し込んだ後、私はあわただしく身支度を整えた。テーブルの上の朝食の横に 「コーヒーメーカーはセットしてあります。あとはボタンを押すだけ」と書いたメモを残して うちを出た。 今月に入って、来月日本語検定試験を受ける生徒たちのための補習授業も始まった。 11月に入って忙しい毎日が続く。疲れていないと言ったら嘘になる。けれど多少の ストレスがあるくらいのほうが、緊張感があって足取りが軽く感じられるのは学生時代 からのことだ。抗うつ剤を飲むような状況になったのは、決して仕事のせいではない。 ただ、私に興味を持たない夫との将来に、何も希望を感じることができなかった日々が ほんの少し長く続いたせいだ。仕事が忙しいくらいのほうがいい。クリニックの先生も そう言っていた。 地下鉄のドアが開くと、私は人をかき分けるように駅に降りて大きく溜息をついた。 車内のどんよりとした湿った空気が身体の中にウイルスのように充満しているような 気がしたからだ。教科書の入った思いバッグを肩にかけなおしながら、私はエスカレーター に向かって歩き出した。土曜日だというのに人が多いのは、私が勤める学校が横浜の 観光地からそう遠くない場所にあるからだ。 今日は午前中の仕事が終わったら圭子に会いに行くつもりだ。授業のレジメを書いて、 あと片付けをしたとしても、3時の面会時間には余裕で間に合うはずだ。今日は何を 話そう。高校時代の思い出話をしようか。日本語学校での出来事を話そうか。それとも 実家の庭では金木犀の香りが楽しめることを話そうか。そんなことを考えながら駅構内 から出ると、駅前のバス停にバスがすでに到着していて、列に並んだ人たちが乗車し 始めているのが目に入り、私はバス停に向かって走り出した。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 14, 2009
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午後10時をまわっていた。目の奥が痛い。私はキーボードから手を離して目頭を 押さえた。明日までに模擬テストを作らなければならないというのに、なかなかそれに 集中することができなかった。 今日の出来事が頭から離れずに、身体の奥のどこかでまだ及川剛史の身体の一部 を感じている。及川剛史は圭子の兄である。3歳年上の剛史は体格がよく、学生時代に フットボールをしていた頃とあまり変わらない。高校時代から私の憧れの存在でもあった 剛史と再会したのは、私が不妊治療を諦めかけていた頃だった。製薬会社に勤める 剛史と病院の駐車場でばったりと会った。私が高校を卒業してから10年以上も経って いたのに、剛史は迷わず私声をかけてきた。「お茶でもどう」そんな彼の気軽な言葉で 始まった。 月に一度か二度、お互いの仕事帰りに都合をあわせて落ち合った。私は日本語学校 で週に4日ほどレッスンを受け持っている。夫にレッスン日や時間を偽って剛史と会う ことは難しいことではない。そうして私が剛史と付き合うようになって4年目になる。 パタンという音が静かな空間に静かに響いた。それは夫が寝る時間であることを意味 していた。夫と私が別々に部屋を持つようになったのは、不妊治療を止めた年だった。 「辛ければ止めればいいし、子どもが欲しいのなら続ければいい。ぼくのせいで子ども できないのではないのだから、ぼくには関係ない」 夫がそう言ったのがきっかけだった。私は不妊治療を止め、それから間もなく寝室を 別にすることを夫に申し出た。 剛史はたくましく優しかった。それは愛があるから優しいのではない。それは剛史の 性格でもあっただろうし、またふたりの関係を続ける為でもある。私はそれを知りながら、 剛史に依存することを止められない。 「こっちにおいで」 そう言って私を引き寄せる。私はただ彼に身をゆだねるだけだった。剛史は人形を扱う ように、ひとつひとつボタンをはずして私から服を剥ぎ取っていく。そして私の全てを支配 する。心も身体も剛史に抱きしめられていれば安心で、私はそこから逃げられない。 「ねえ、私は剛史のことがずっとずっと好きだよ。剛史がどう思っていたって平気。お願い だから、もう一度だけキスをして」 剛史はいつもと同じ顔をして、私の頬にキスをした。 「毎週圭子を見舞ってくれてありがとう」 こんな時にそんな話を・・・ 「さて、もう帰る時間だ。あゆみの身体もまたしばらくは見られないな」 そう言いながら携帯をチェックする剛史を、私はベッドの中から見上げた。私の顔じゃ なくて身体。 「そう、しばらくはね。あなたが私を欲しくなるまでね」 それまでの間は、あなたの頭の中には私はいない・・・そう言いたかったけれど、私は それを言わなかった。自分が惨めになるだけだ。私は誰にも必要とされていないという ことを認めることになるだけだと分かっている。 12時をまわった頃、仕上がった模擬テストがプリンターから低い音と共に吐き出された。 私はそれを見つめながらタバコに火を点けた。 明日の準備が整ったらシャワーを浴びよう、そうすれば火照った身体から解放される。 そう思いながら私は細く長く白い煙をはいた。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 13, 2009
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10月も終わりに近づき、薄手のジャケットでは少し肌寒さを感じるような秋を感じる 天気だった。運河沿いにあるその病院は2年前に建て直され、まだ新築のようだ。 四角い小さな病室の窓からは小高い丘が見える。春になればそこには薄桃色の桜で 覆われた美しい景色が一枚の絵のように見えるのだが、今はそれを思い出すことも ままならない。 そこは私の職場から近く、歩いて15分ほどの場所にあった。だから週に一度くらい 圭子を見舞うことは私にとってなんともないことだ。しかし、それをもう3ヶ月も続けている のは、ただ圭子が高校時代の同級生というだけの理由ではない。まわりが子育てに 忙しくする中で、子どもがいなかったふたりが時間を共有することも少なくなかったし、 言葉には出さなくても子を持てなかった寂しさを分かち合うような感覚があった。それは いわば同志のような関係でもあったように思う。 病室のドアをノックして中に入ると、カーテンのむこうから「あ、来た、来た。あゆみちゃん?」 といつもの圭子の声がした。 「今日の調子はどう?」 「うん、まあまあ」 「今日はお母さん、まだ来てないの?」 「今、下の売店に行ってる」 「そっか」 「今日も天気いいね」 「うん」 「賢ちゃん、今日もここからご出勤?」 「そう。私のベッドの横にそこのベッドを出して寝てるんだよ」 圭子はそういって、窓際にたたんで寄せてある簡易ベッドに目をやった。 「毎晩手とか繋いでお話してるんじゃないの」 私が茶化すようにそう聞くと圭子はてらう風でもなく答えた。 「そう。ずっと手を繋いで話してる。寝るまでずっと」 そして「賢ちゃんは優しいから」と小さな声で付け加えた。 「賢ちゃんと出会ってよかったね」 「うん」 透き通るように白い圭子の笑顔が切ない。圭子のガンが再発して入院してから、もう 4ヶ月以上経っている。ベッドでの生活が彼女から筋力を奪い、今では歩く足取りも おぼつかない。大きな瞳ばかりが目立つその笑顔の奥に隠された悲しさとか不安とか、 そんなものは私がいくら慮ったとしても、実際には私の想像以上であることは間違い なくて、結局、私は圭子には何もしてあげられないということがわかっていた。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 12, 2009
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地球は青く水を湛え月は闇夜に輝き、時は留まることなく大河のように流れ続ける。 それは変わることなく、留まることなく。そう見えるのは、それがあまりにも大きく計り 知れないからだろうか。そう考えると、明日も知れない人の人生とはなんて儚いもの だろう。毎日という時間の流れは止めることなどできないのに、私は今立ち止まろうと している。こんなちっぽけなひとりの運命など地球の、宇宙のそれとは比べものに ならない。 * * * * * * * * * * その店は私の隠れ家で、片隅の古びたソファに身体を投げ出して、コーヒーを すすりながら時間を忘れて本を読むのが好きだった。土曜日の午後、勤め先の 日本語学校でのレッスンを終えて、予定のない午後の時間を過ごすつもりだった。 「すみません。コーヒーひとつ」 「ミルクとお砂糖は」 「えっと、ミルクだけでいいです」 「はい。450円になります」 ニスの剥げたカウンターの向こうで、よれよれのTシャツを着た若い店員がコーヒー メーカーから白いカップにコーヒーを注いだ。ソーサーにはねた滴が茶色いしみを 作った。店員はダスターでそれをぬぐうとコーヒーを差し出した。 私はコーヒーを受け取って、店の奥へ歩き出した。店内は古い倉庫のような雰囲気だ。 ビルとビルの間に作られた空間を屋根で繋げただけの場所だった。壁の一面には 隣の煉瓦作りの壁に鉄階段がむき出しのままで、赤茶けた鉄扉に吸い付くように 設えられていた。 壁には赤と黒でデザインされた一枚の絵がかかっている。広い店内には、色も形も 違う払い下げのソファとサイドテーブルがいくつか置かれ、その間を縫うようにテーブル とデザインの違うチェアが置かれていた。 私はサイドテーブルにガレ風のランプが置かれた古びたソファを独り占めして身体を 投げ出し、一杯のコーヒーをテーブルにおいてバッグから一冊の本を取り出した。つい さっき、地下鉄の駅にある本屋で気になって手にとった本だった。前世をテーマにした 内容に興味を惹かれたのは、もしかしたらあの日圭子の夫八神賢二が口にした 「ぼくが圭子を殺したんです」というひと言に関係しているのかもしれない。 つづく *このお話のストーリーはフィクションです。
June 11, 2009
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ギャラリーを閉める時間が近づいた時、外の石段に人影が見えた。 ドルチェの佐々木比呂だった。 「まだ、だいじょうぶですか」 「もちろん。来てくれたんですね。ありがとう」 白いワイシャツと黒いパンツ姿は、店で見るいつもの佐々木の服装だった。 「あ、すみません。マスターに頼んで、少しだけ抜け出してきたんです」 部屋の奥から、果歩がにやにやと笑いながら歩いてくる。 「あら、佐々木君、そんな理由をつけなくたって、朝から来て、何時間でも居てくれて よかったのに」 頭に手を置いて困惑した表情を浮かべる佐々木を横目に、果歩が私の耳元に囁いた。 「佐々木君は琉夏に『ほの字』らしいわよ。口下手な彼だから、よろしくね」 なんだか古めかしい言い方が果歩らしくて可笑しかった。 今日はお先に失礼するわ、と言い残して果歩は石段を下りて通りの向こうに消えていった。 佐々木と私は、ゆっくりとギャラリーに展示された写真を見てまわった。 佐々木が一枚の写真の前で足を止めた。 「蓮くんが命を吹き込んでくれた黄色い太陽は、奇蹟とやらを起こしてくれたかい」 私は、佐々木を見上げてにっこりと笑った。 「そうね、黄色い太陽が奇蹟を起こしてくれたとしたら、それは私が横浜に戻ってくると 決めたことだわ」 母たちが帰った後で、来年には母と莉久が横浜の祖母の家に越してくると果歩から聞いた。 それは驚いたことに、年老いた祖母を気遣って莉久が言い出したことだった。春になったら 莉久はこの街をもっと知るようになる。丘の上から見渡した港の風景も、石畳も、煉瓦 の建物も、潮風も、木漏れ日も。私が自分の中にしみ込んでいた横浜の風景を眺め ながら横浜に戻ることを決めたのは、その話を聞く少し前のことだった。初めて5人で 暮らす祖母の家で、私の中にまた別の歴史が刻まれることになる。 「新しい一歩を踏み出すんだね」 「そうなるのかな」 「そうだよ。蓮くんは琉夏さんの中に深く沈んでいって、琉夏さんの一部になる」 「私の一部?」 「そう。これからは、生きてゆくすべての力は思い出と輝きと共に。幸福も充実も、挫折も 後悔も、すべてが心の中に沈殿してかき乱されることもなく、何もなかったように静かに 密かに存在し続けていく。そういう記憶が人を作っていると思うんだ。いつか澄んだ心の 中に一匹の魚を放って、それがなにもなかったように平穏に泳ぎ回るビジョンを思い 浮かべてごらんよ」 「蓮の思い出が私の中で埋もれてしまうってこと?」 「埋もれるっていうよりも、やはり蓄積されて一部になる感じ。それは悪いことじゃない。 一枚の油絵を描く時、深い色合いの下に、思いもよらないような色がその下に塗られて いることを完成した絵を見る人は知らない。つまりは、ひとりの人生を完結させるには 誰も知ることもないような想いが心の奥深くにあるって思うんだ」 ドルチェのカウンターの中で、無言でグラスを磨く佐々木の口から、こんな言葉が出るとは 思ってもみなかった。私は、しげしげと顔を覗いて笑ってしまった。 「ぼくは、琉夏さんがここにいるだけでうれしい。辛かったのは知っている。それでも、 今ぼくの隣で笑っている。それだけで感謝したい気分だ」 「佐々木君・・・」 「なに?」 「キスしよっか」 佐々木は、じっと私をみつめて言った。 「琉夏さんは、マスターが言った通りの人だ」 肩に手を置いて、唇を重ねただけのキスだった。 佐々木は夏の匂いがする。花火の夜、様々な国籍の客が入り混じり大騒ぎをした。 汗やビールや港のにおいが入り混じった夏の匂いが記憶の中から呼び起こされた。 二十六になった今でも、蓮を失ったあの日のことを思い出しては心の中がかき乱されている。 その思いは、時には行く先を見失って、悲しみと混乱はぐるぐると頭の中でスピードを あげてあちこちにぶつかりながら。どうしたら蓮に関するすべての記憶が私の心の奥深くで 静かに眠ってくれるというのだろう。今の私には、その答えは見つけられない。けれど、 蓮が私の一部になるとしたら、なにも悲しむことなどありはしない。ただ、何もなかった ように色んな思いが沈殿して、ゆるやかな時の流れを楽しみながら、澄んだ水で満ちた 心の中を一匹の魚がおよぐ平穏な日を夢見て歳を重ねていきたい。誰に知られること はなくとも、確かに蓮と私の歴史が私の中にあると思いながら。 完
July 18, 2008
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時計を見るともう四時をまわっている。 「おう。ちょっと失礼するぞ」 「マスター、来てくれたんだ」 「琉夏の初めての写真展だ。見損なうわけにはいかない」 「うん」 前島は肩をゆすりながら、ゆっくりと歩く。一枚一枚に丁寧に目を通してギャラリーの 中を進んで行った。私は前島の大きな背中を追って、一緒に歩いた。 「琉夏、お前に始めて出会ってから十年になる」 「うん」 「結構長いな」 「マスターと私が結婚していたとしたら、なに婚式だろう」 「あほ。知るか、そんなこと」 「お前はいい写真が撮れるようになったな。蓮に負けないくらい上手になった」 「ほんとう?」 「蓮が写真の中に時間を閉じ込める才能があったとしたら、お前には、写真の中に人生 を閉じ込める才能があるな」 「マスターったら、ほめすぎよ」 私たちは、一枚の写真の前で立ち止まった。 「この写真には、今でもこれを撮った時の蓮の気持ちが閉じ込められてる」 こんな写真が好きなのは、たぶん世の中に二人しかいない。やせっぽちの細い肩口にある 小さなほくろの写った写真だった。 私たちが果歩たちのもとに戻ると、母と莉久が帰り支度をしているところだった。 「マスター、私の母です」 「おかあさん、ドルチェのマスターの前島さんよ」 母は「ああ、ドルチェの」と言って頭を下げた。 「琉夏がいろいろとお世話になっているようで」 「いやいや・・・こんな時、おれはなんと挨拶をしたらいいのかな」 「父親ですって言っておけば」 「莉久!」 訝しげに莉久の顔を見る母を、莉久は全く気にもとめない。 「おお、莉久か。見違えるほど大きくなったな。おれのこと、おぼえてるか」 「いや。顔は覚えちゃいないけど、昔、琉夏が自分の父親に合わせてあげると言って、 ひげ面のおっさんのところに連れて行かれたのを覚えてる」 「そりゃ、すごいな。お前は大したやつだ」 話が飲み込めずにいる母親に、私は顔の前で手をふって、「冗談よ」と囁くように呟いた。 つづく
July 16, 2008
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「琉夏」 「ん?なに、おねえちゃん」 「いい写真展になったね。あんたの写真も、蓮の写真もすごくいい」 「うん。蓮も喜ぶよ。だってあいつのお気に入りの写真ばかりだもの」 「あほルカ」 後ろで声がして振り向くと、母と莉久が立っていた。中学二年になった莉久の背丈は 母親とほぼ同じ背丈になった。 「来てくれたんだ」 そう言って肩に手を置こうとすると莉久はそれを払って、面倒くさそうな顔をして写真の 展示してあるギャラリーの中へと進んでいった。莉久は、私が母のうちを出た歳になった。 表に出さない彼の心の中は、いったいどんな風になっているのだろうかと思ったが、 たぶんそれは莉久自身のもので、これからあらゆる思い出を心の底に積み重ねて彼の 未来を生きていく。それが人生を作り上げるソースになることだけは間違いない。誰が なんと言おうと、私の心の中には私自身を創るありとあらゆるソースが蓄積していった ように、彼の中にも少しずつそれが始まっているのだろう。 「琉夏、たくさんがんばったね」 眩しそうに私を見る母の目に、涙が浮かんでいるようにも見える。 入り口に設置されたカウンターでは、母と果歩が並んで座り、雑談に花を咲かせている。 そのとなりでは、莉久がゲームに興じている。目じりにしわが目立つようになった母と 果歩は、いつからこんなに仲がよくなったんだっけ・・・。そんなことを考えながら、私は 立ち上がって小さな窓に近寄った。通りには白いパラソルが広げられたオープンカフェで、 のんびりと休日を過ごす人が見える。時折通り抜ける海からの風が、高く空にそびえる 銀杏の葉を揺らし、木漏れ日がチラチラと紋様を変える。静かな空間の中で、心の奥に 静かに沈殿していた昔の記憶がゆっくりと上へ上へと浮上してくる感覚があった。 窓の外に見えるキングと呼ばれる横浜県庁本庁舎は私の好きな建造物だった。 クイーンと呼ばれる横浜開港記念館も、雨の似合う元町商店街も、誰もいないイギリス館の 部屋からの眺めも、全ての記憶はっきりと目の前に浮かび、それらはどれも私の身体に なじみ、何年もの間私と一緒に時を刻んでいたように思えた。それはもはや思い出ではない。 たぶん、私の中で新たに生まれた感情だった。この街の風景もこの街の空気も、そして ここにいる家族も、一緒に時を刻み続けた私の一部だった。 湧き上がってくる熱い何かに、私は身体を震わせた。 つづく
July 14, 2008
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時が流れるのは驚くほど早い。 あれほど大きな災害で、タイだけでも20人以上の日本人が亡くなって、各国の死傷者を 合わせれば、かるく100万人を越える。テレビでは毎日のように現場の映像が流されて いたというのに、数週間もしたらニュース番組からその映像は消え、日本ではまた いつもの日常が流れていくだけで、南の国々では家族や住む家を失った人も、食事も ままならずに劣悪な状況であらゆる病気の不安と隣り合わせの暮らしをしている人たち が確実にいる。それなのに、目に見えなくなった現実は遠い国では幻のように人々の 思考の回路からはずされていく。それは思い出とは違う場所に保存されるようで、心に 蓄積されるとこもなく、水蒸気のように蒸発して消えていくのだ。 でもそれは私の中では幻のようにも、水蒸気のようにも消えていきはしなかった。蓮の 笑顔、蓮が撮った写真、蓮と過ごした日々の思い出が心の中に沈殿して、ときおり ゆらゆらと心が波立つたびにそれらが表面に浮き上がろうともがいていた。人の心から 空気のように消えていってしまった出来事が私にとっては心の一部になってしまっていて、 その悲しさを誰かに語ったとしても、それはその人の心に響きはなしない。そういう場合、 たいていの人は自分の心の奥深くにそれをしまいこんで、浮上してこないように祈りながら 生きていく。上手にしまいこんで笑顔を作ることに成功する人も多いかもしれない。 けれど、私にはそれがなかなかできなくて、意識しているわけでなくても人づきあいの 範囲はあまり広いとはいえない状況が続きいていた。 だから自分の撮った写真が評判を呼び、多くの見知らぬ人から感想やメッセージを 貰ったことに、私は少しの戸惑いを感じていたのかもしれない。それはほんのささやかな 仕事の励みでしかありえないと思い続けていたのも、そのせいだったのだろう。けれど、 写真展を開くことになったのは、私にとって何かの始まりだったような気がする。仕事と 写真展の準備に翻弄する毎日は、私の心に波が立つ時間さえも与えはしなかった。 スタジアムを囲むように作られた公園を抜けて、大通りへ向かう。大通りに沿って 植えられた銀杏の葉の緑が美しい。横断歩道を渡って、建物の石の階段を駆け足で 上ると、開け放たれたギャラリーのドアの近くに立っていた果歩が振り向くのが見えた。 「琉夏、遅かったじゃない。オープン時間まであと三十分もない。これが一般企業の社員 だったら、上司に怒られること間違いなし・・・」 「はいはい、わかりました」 『モノクロームの向こう側から』と書かれたサインボードが入り口に置かれている。壁に 飾られた写真を、順を追って見ながら歩いていくと、最後のエリアに蓮が撮った写真が 数枚展示させている。私と蓮が好きだった写真ばかりだった。 写真展一日目、専門学校時代の友人も含めて、ギャラリーには仕事関係の人、 取引先の人まで思った以上にたくさんの人たちが来てくれた。 「女の尻ばかり追っていると蓮は言われていたけれど」 専門学校時代の友人が蓮の写真の前で立ち止まり、昔を懐かしむように顔を見合わせた。 「蓮は女を撮らせたらピカイチだった」 そう言って笑うみんなの顔が、蓮の写真が好きだったと言っているように見えた。 専門学校を卒業してから約6年。それぞれ自分の仕事を見つけ、別々の人生を歩んで いる。みなの顔をみていると、学生の頃にタイムスリップするのは簡単なことで、ここに 蓮だけがいないことが不思議に思えてしかたがない。 「琉夏の写真展のおかげで、プチクラス会みたいになった。蓮の写真にもまた会えたしね」 再会を喜んではしゃいでいた仲間達もひとり、またひとりと自分の居場所に帰っていく。 二時をまわって、誰もいなくなったギャラリーで私と果歩のふたりだけになり、少しだけ 力がぬけた。私は小さな椅子を蓮の写真の前に運んで腰掛けて、白い壁にかけられた 蓮の写真を眺めていた。 つづく
July 13, 2008
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浩一が滞在したのは、大使館が用意した空港近くのホテルだった。そこには、日本人 被災者たちの家族が滞在しており、数人の大使館員職員が対応に当たっていた。 そこで手渡されたのが、蓮が泊まった部屋にあった荷物とカメラだった。 ホテルに到着しても、被災者たちの家族は落ち着く暇もなく現地職員による説明を聞く ことになった。ほとんどのものは、いつ家族と再会できるかと職員に詰め寄っている。 けれど、安否の確認されていない蓮を探しにきた浩一は心臓が締め付けられるような 激しい鼓動を感じながら、その輪から離れた場所で、意識して大きく息を吸って呼吸を 繰り返した。 翌日は、現地の職員や通訳と共にカオラック地区に向けて車で出発した。町の入り口 付近から道は海岸線に沿って伸びている。壊れかけたホテルや商店が沿道にならぶ道 に積み上げられた木片やプラスチックの残骸が通行を妨げる。 そこに建っているホテルは、ほとんどが海岸線に沿って建てられたこじんまりとした 小さなものばかりで、その客の多くはヨーロッパからの観光客だった。テレビで流される ニュースではこの地区での死者の数は7百名にも及ぶと発表されていると聞いていた。 浩一を乗せた車はがたがたと揺れながらゆっくりと進み、泥にまみれた小学校の校舎 の前にたどり着いた。車を降りると、町の中は湿った空気がどんよりと身体にまとわり つき、異様なにおいが鼻をつく。それは浩一が、今まで経験したことのない空気の においだった。数え切れないほどの木の棺が並んでいた。高い塀に囲まれたその場所 では空気が流れることはなく、浩一は思わずタオルで口を覆った。遺族達は、棺の 置かれた校舎前の通路をゆっくりと進んだ。 ふと話を止めた浩一が顔を上げて私の顔を見た。 「琉夏さん、大丈夫?」 私はうなづく。 浩一は言葉を選ぶように、静かに言葉を続けた。 「小学校の広場、教会もシティセンターも見たけどね・・・」 結局、浩一は二日経っても蓮を見つけることができなかった。もっとここで蓮を 探したいと願ったけれど、時間がそれを許してはくれなかった。 「お兄さん。ありがとうございます。本当にありがとうございます」 そう言って、私は何度も浩一に頭を下げた。たぶん、蓮がここにいたら私と同じ気持ち だった。家族だろうがそうでなかろうが、血がつながっていようがそうでなかろうが、 それは全く関係がない。人として、誰かのためにあの場所に行ってくれたことに、私は 「ありがとう」というひと言でしか表現できない自分が歯がゆかった。 ホテルのロビーで浩一とわかれる時、私は小さな封筒を手渡された。 「これは、琉夏さんに。蓮のカメラの中に入っていたカードチップです。これは君が もらってくれないか。 蓮もきっとそう願っていると思う」 「浩一さん・・・」 私はあの震災の日から、涙を流すことも忘れていた。けれど蓮が残した、写真の入った 小さなカードチップは手の平であまりにも小さく、あまりにも軽かった。今はこれが蓮の 重さなのだ。そう思ったら涙がでて止まらなかった。 つづく
July 10, 2008
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街にはまだ正月の雰囲気が残る金曜日の午後だった。ホテルのロビーに着くと、 バッグの中から携帯を取り出して、蓮の携帯に電話を入れる。思いがけず着信音が 鳴ったのは、私が立つ入り口からそう離れてはいないソファに腰掛けるひとりの男性の 携帯だった。背の高い細身の男性は立ち上がって私のほうへ歩み寄ってきた。 「立花琉夏さんですね。蓮の兄で、長谷川浩一と申します。今日はわざわざお呼びたて して申し訳ありませんでした」 「いえ、とんでもないです。私のほうこそ電話をいただいて感謝します」 頷いた蓮の兄は八歳ほど年が上だと聞いていたが、疲労でやつれたこの顔は、彼の 年齢よりもずい分上に見える。 「コーヒーでも飲みましょうか」 私は、コーヒーラウンジに向かって歩き出した浩一の後に続いた。 「顔色、あまりよくないね。大丈夫ですか」 それはあなたも同じです・・・と言いかけて、私は苦笑した。 「大丈夫です。できればお話をすぐにでも聞かせていただきたいです」 浩一は私の目をまっすぐに見て頷いた。 「まずはね、琉夏さんにお見せしたいものがあるんです」 浩一が荷物の中から取り出したのは、蓮のカメラだった。それは私が見覚えのある カメラで、蓮が日常、街中で写真を撮るために持ち歩くカメラだった。 「ホテルの三階に残されていた蓮の荷物はスーツケースとこのカメラがひとつ。大きい カメラバッグの中にはカメラは残されていなかった」 お兄さんに買ってもらったと言っていた大きいほうのカメラは、たぶん、蓮が持って でかけたのだ。 「あの・・・このカメラの中、見てもいいですか」 小さなカードチップの中には、クリスマスの時に撮った思い出の写真が現れた。それは タバコをくわえたドルチェのマスターの写真だったり、ビールを運ぶ私の後姿だったり、 顔の赤い身体の大きな外国人に抱きしめられている子供のような私の姿だったり。 一枚、また一枚とカメラのモニターに映し出される写真を送っていくと、突然私の知らない 南の町の姿が映し出された。 小さな家が並ぶ車道にまっすぐにどこまでも伸びる電線。肩を並べて笑顔を振りまく 地元の子供たち、切り出しの木材とやしの葉で作られた小屋には無造作に並べられた 野菜や魚が見える。どの写真にも活気が溢れ、蓮がその場所を歩いていた状況が目に 浮かぶようだ。 夕暮れをバックに沈みゆく太陽をみつめる小さな少年のシルエット。すっかり陽の暮れた テラスで、髪に花を飾ったウエイトレスの女性の笑顔にきらきらとかがやく松明のあかり が映っている。女性のウエストの曲線がとても美しい。その画面を心に刻み込むことが できる素晴らしい写真で、そのどれもがとても蓮らしい写真に思えた。 市場は蓮とふたりで歩くはずだった。 この濃い紅の夕日は蓮と一緒に見るはずだった。 「あちらの様子、聞かせていただけますか」 つづく
July 9, 2008
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果歩が私のうちにきたのは3日目のことだった。アパートにやってきた時には、私は 毛布に包まって眠っていた。真っ暗な部屋に、テレビから放出される明るい光が私の上 に降り注いでいたという。果歩に揺り起こされた私は目を開けて、買ってきたスポーツ 飲料を口にしたと聞いたが、私にはその記憶が全くない。ただ、毛布の中で丸くなって いた私は、誰かにしがみついて子供のように再び眠りについた夢をみた。 翌日、ベッドの中で目を覚ました時は、すでに午後二時をまわっていた。カーテンの 開け放たれた窓から入る太陽の光が部屋を照らし、冷え切っていた部屋は暖かく 生命力に満ちている。キッチンから漂ってくる酸味のある匂いが空っぽになった胃を 締め付けて、口の中に唾液が溢れた。こちらに背を向けているのが、母なのかそれとも 果歩なのかよく分からない。重い頭を押さえながら何度か目をつぶったり開いたりし ながら、ぼんやりした思考の回路を遡った。私の隣で、子供をあやすようにして眠りに つく私の背中を擦り続けてくれたのは間違いなく果歩だった。 「目、覚めた。なんか飲む?」 「いらない。ほしくない」 「だめ。水分も食事も、ちゃんと摂らなきゃだめ」 幼い頃の私をしかりつけるような果歩の言葉が遠く懐かしい記憶の中から呼び起こされた。 トレーにのせて、テーブルに運んでこられたのは、ミネストローネ風のトマトのスープ だっ た。玉ねぎもにんじんもセロリも、私が子供の頃に食べられなかった食材だが、 なぜかこのスープだけは好きだった。トマトの酸味とバジルの香りが嫌いな野菜と混ざる と、嫌いな野菜の臭いは全く気にならなくなるから不思議だった。 「ベーコンもパスタも入ってる。ゆっくり食べて、少しずつでいいから。みんな心配してる。 おばあちゃんも、お母さんも、莉久も、マスターも」 会社のツアーに参加した客は、全て安否の確認が取れたと果歩は言った。そして、 少しの沈黙の後、「あの日タイに行った個人旅行のお客様は安否の確認が取れて いないの。たった一人しかいなかったのに、なにも情報が得られてないの。 琉夏、 ごめんね。ほんとにごめんね」と目を伏せた。 蓮についての情報を何も得られないまま、時だけが無駄に過ぎた。テレビの画面 からは、少しずつ地震に関しての情報を伝える番組がなくなっていった。時折り、報道 番組で流されるのは、毎日少しずつ増えていく死傷者の数と、被災者に送られる募金の 送付先の情報に過ぎなくなった。 私が蓮の実家の電話番号を調べだし、連絡を取ることができたのは、年が明けた 1月3日だった。電話にでた蓮の母親に東京の写真工芸専門学校で同級だったと 伝えると、大使館からの連絡で蓮の兄が地震後、現地へ向かったと話してくれた。 「立花さん、テレビでも連日流されているように、現地はそうとうひどいらしいです。 夫の具合が悪いので私が行くわけには行かず、蓮の兄が現地に行っています。浩一 からは一度連絡があったっきりです。本当に、本当の蓮はあの場所にいるんでしょうか」 そう言って蓮のお母さんは泣き崩れた。 蓮と血の繋がらぬ歳の離れた兄は、被災地でどんな気持ちで蓮を探しているのだろう。 被災者が集まる避難所を、弟の姿を求めて彷徨っているのだろうか。道行く人々に、 蓮の写真を見せて、その行方を捜しているのかもしれない。そう考えると、息が詰まる ようで、呼吸することも何かを考えることもままならない。 私は生きているのか死んでいるのか、そんな感覚さえも失いかけた時だった。 着信を知らせる携帯電話を手にとって見ると、電話の主は蓮だった。私は止まりそうな 呼吸を整えるように大きく息を吸い込んで応えた。 「もしもし」 「もしもし、立花琉夏さんでいらっしゃいますか。私、連の兄で浩一と申します。ご存知 かと思いますが、昨日、タイから成田に着いて、今、都内のホテルに宿泊しています。 明日、静岡に戻る予定ですが、その前にお会いできないかと思って」 蓮の携帯電話からの声は、私の知らない男性の声だった。体中から力が抜けて、 私はその場に座り込んでしまった。 つづく
July 1, 2008
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私があのニュースを聞いたのは、タイに向けて出発する前日のことだった。 2004年12月26日、東南アジア沿岸沖地震、時間午前7時58分(日本時間午前 9時58分)にインドネシア西部、東南アジア沿岸のインド洋で発生したマグニチュード 9.3の地震である。私がそのニュースを最初に知ったのは果歩からの電話だった。 「琉夏。テレビ見た」 「え、なに。見てないけど・・・」 「落ち着いて聞いてよ。東南アジア沿岸ですごく大きい地震があった。プーケットも 大変な被害。ものすごくたくさんの死傷者がでてる・・・」 私は電話機を握りしめたまま、テレビのリモコンに飛びついて電源を入れた。 果歩の言うとおり、テレビではアナウンサーがくり返し地震のことを伝えている。私は テレビの中で起こっていることを信じることができなかった。翌日私が旅立つはずの、 そして蓮が待っているはずの異国の町は、大変な被害で町中がめちゃくちゃだった。 その映像のどこかに蓮がいるのではないか。そんな風に考えて画面を食い入るように みつめていた。 「もしもし、琉夏」 「おねえちゃん、蓮は? 蓮のいるところは大丈夫なの?」 「それが。ツアーの客は団体行動してるから、案外早く確認が取れそうなんだけど、 あんたたちは、個人でエアチケットとホテル予約してるから」 「だから、なに? 蓮はどうなってるのか教えてよ」 「琉夏・・・」 「どうしよう。おねえちゃん、どうしよう・・・」 私と蓮が宿として選んだのは、高級ホテルの並ぶプーケットから車で一時間ほど 行った場所にあるカオラック地区で、ビーチの目の前にあるホテルだった。3階建ての 小さなホテルは全室がオーシャンビューというのが売りだった。 たぶん、カオラックの繁華街の市場には色とりどりの熱帯の果実が並べられていた。 そして窓も扉も壁に囲まれることもない開放的なレストランには海風がいっぱい通り 抜け、そのどこにも活気に満ちた笑顔がたくさんあるに違いなかった。蓮と私が楽しみ にしていた太陽の国の光景は、私たちのカメラに、そして心に消えることなく刻み 込まれるはずだった。 それから、テレビでは連日、地震のニュースがテレビで映し出された。怖しい地震の ことを不安げな様子で語る現地の住民、静かな海岸に押し寄せる津波に飲み込まれて いく人の映像。ツアー客、現地駐在員の安否情報が繰り返されたが、団体ツアーに登録 していない蓮の名前がそのリストに載ることはない。 私は何度も大使館に電話して蓮の安否を訊ねた。けれど返ってくる言葉はいつも 同じで、「身内の方以外にはなにもお話できません」という返事が繰り返されるばかり だった。果歩にも、蓮の安否を確認するメールを何度も送ったが、返事はなかなか 返ってくることはなかった。果歩も自社のツアーで東南アジアに行った客の安否の確認 と、その家族への対応に追われていたに違いない。 私が蓮と泊まるはずだったカオラック地区は、この地震でタイ国最大の被害を受け、 諸外国からの観光客に関する数だけでも七百人を超す死者がでたと報道された。 テレビに映し出される映像には、蓮とふたりでインターネットや旅行雑誌で調べたカオラックの 風景はどこにもない。土台だけが残され、跡形もなくなったビーチハウス。海岸から 一キロも離れた場所に流された大きな船。かろうじて残っている三階建てのホテルは、 津波で突き破られたのか、海岸側からむこうに向かって壁に大きな穴が開いていて、 その部屋の中には何も残されていない。海岸沿いに積み重なる木片は、いまやその 元の形が何であったのかは想像することもできない。私はくり返し放送される被災地の 映像の中に蓮の姿を探して目を走らせ、テレビの前で一日の大半を過ごした。 私から時間の概念がなくなってどれくらいたっただろう。昼となく夜となく、東南アジア 沿岸沖地震のニュースを報道するチャンネルを探すことをくり返す。食欲もなく、疲れる と毛布に包まって眠り、また目を覚ましてテレビのリモコンを手にとってチャンネルを探した。 つづく
June 30, 2008
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蓮のお気に入りの私の写真を持ってふたりで前島のもとを訪れたのは、私たちが専門学校を 卒業して2年目の冬だった。あの年、私と蓮はタイのビーチで正月を過ごすつもりだった。 比較的時間や休暇の自由だった彼はクリスマスを一緒に祝った後、写真を撮るために 私より先に成田から飛び立つことになっていた。 一週間後にクリスマスを控えた金曜日、私たちが向かったのは横浜のドルチェだった。 このシーズンには、前島のところにくる客は特に多かった。外国人は日本にいることを 忘れて大騒ぎをするが、日本人もそれを全く気にすることなく受け入れるから、ドルチェ ではクリスマス前の週末にはクレージーな夜が延々と続く。 注文されたビールやカクテルがカウンターの上を飛ぶかう。だれが注文して、だれが 飲んだのか分からなくなるような時もある。見るに見かねた私は、前島と共にカウンター の中に入って、手伝おうと注文のビールを注ぎ始めた。週明けには蓮はひとり日本を 飛び立つというのに、ゆっくりした時間を過ごすことも出来そうのもない。 「琉夏の城は、琉夏がいなくちゃまわらないな」 申し訳なさそうに前島が笑って蓮の前にビールのパイントグラスをどかりと置いて言った。 「あちらの琉夏のファンとおっしゃる方からのおごりだ」 前島の視線の先には、どっぷりと太った赤毛の男が笑っていた。 午前一時を過ぎると、店からひとり、またひとりと客の姿が消えていった。 「やっとゆっくりできる。せっかく来てくれたのに、のんびり話も出来なくて悪かったな」 「いえ、この店も、マスターも、琉夏から聞いていた通りです。いい加減な店で、 めちゃくちゃな客ばかりだ」 「おいおい、琉夏。おまえ、この店のこと、彼氏にそんな風に言っていたのか」 「あら、間違えじゃないでしょう。あとは風変わりなのマスターがひとり」 「おいおい・・・」 「その風変わりなマスターにクリスマスプレゼントです」 蓮が差し出したのが、今でもドルチェの壁にかかっている写真だ。 「琉夏の写真だね。彼氏に裸を撮ってもらったのか」 「マスター、首から下は写っていないのに、どうしてそれが、裸だと思うの」 「さあ、なぜだろう。だけど、見ればそれが分かる。撮り手の気持ちが伝わるような、 いい写真だ」 そういって、前島はあごひげを撫でつけながら何度も頷いた。 その時から、ドルチェの壁には蓮が映した一枚の写真が飾られている。 それは、店の中にあるほかのものたちと同じようにこの店の雰囲気になじみ、まるで 何年もの間、居心地のいいその場所で静かに時を刻んでいるように見える。たぶん、 写真の撮り手の心とほくろのある背中が、ほかの全てのものたちとともにこの店の歴史 の一部になるために。 つづく
June 29, 2008
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「琉夏、オレだけど。 いるんだろ? 開けて」 そう言って、ピアノの鍵盤で音楽を奏でるように指でドアを叩く。少しだけ焦らしてドアを 開けると、人なつっこい笑顔が現われて、私のおでこをちいさく小突く。いつも変わらない 彼の笑顔が私の心を躍らせる。飾り気のないTシャツとよれよれのジーンズは相変わらすで、 彼は部屋に入るなり、安物の赤いテーブルの前に腰を下ろして同じことを言う。 「ねぇ、ポカリある?」 蓮は気がついているのだろうか。私のアパートに来ると開口一番のせりふはいつも同じだ。 冷蔵庫からポカリを取り出して手渡そうとすると、買ってきた袋菓子を口に放り込んだまま 振り返り、「あん」と返事ともつかない声でちいさく答える。 部屋の中の荷物は、横浜から越してきた時よりはいくらか増えたが、そのどれも誰か からもらったものばかりで、あまり二十歳の女性の部屋とは感じられる彩がなかった。 まるでモノクロームの写真のような色合いが私には心地よく、背伸びをしない暮らしだった。 アルバイトをしていた印刷会社では、毎日のように数えきれないほども色を使った 印刷物が機械から吐き出され、そして梱包されてどこかへ運び出されていくのを見た。 色は人の目を惹いて、ときに誰かを魅了する。かつて、私が図書館で見た一枚の ポスターに目を奪われたように。 けれど、その頃の私が好きだったのは、4色のインクから作り出されたカラーではなく、 心の中に作り出される色だった。ファインダーからのぞいた色は、瞬時にして私の心に 組み込まれて、記憶の中で輝きを失うことがなく、その一瞬の時間を止めた。たとえ それがモノクロームにしたとしても、閉じ込められた生命が、その中に見ることが出来た。 たぶんそれは蓮も同じで、だから私たちはふたりで一緒に写真を見るのが好きだった。 蓮が撮った私の写真もパソコンの中に取り込んであって、私たちはそれを見て大いに 笑った。華奢な身体は、やはり色気とは無縁だった。 蓮のお気に入りの一枚は、私を背中から撮った写真だった。たぶん蓮が撮りたかった のは、私の肩甲骨の上のほうにあるほくろだと思う。いつもは隠れているが、首をかしげて 後ろにまわした手が髪を掻きあげると、その黒々としたほくろがあらわになる。 「こんな写真で喜ぶのは、たぶん、蓮とドルチェのマスターくらいだよ」 「じゃあ、いつかふたりでマスターに会いに行って、この写真をプレゼントしよう」 それから蓮はCDプレーヤーに手を伸ばし、その日の気分にあった音楽を選び始めた。 私は蓮の横に腰を下ろし、膝の上にCDをいっぱいに広げた彼の背中に寄りかかる。 鼻腔の奥に微かに甘い香りを感じる。私の大好きな彼の匂いだ。散らばったCDを前に、 真剣な顔をする彼に子猫のみたいに絡み付いてみたくなる。 「なんだよ」 眉間にしわを寄せて身をよじる彼の頬にキスをすると、彼の横顔が少しだけ笑った。 蓮がプレーヤーに手を伸ばしてかけた音楽は、エリック・クラプトン。私が「wonderful tonight」が好きなのを、蓮は知っている。 その時間はゆっくりと、ゆるやかに流れるように過ぎてゆく。会いたかった気持ちや 愛しい気持ち、心の奥に隠していた苛立ちや不安。そんな気持ちは唇を重ねるとすべて が帳消しにされて、厚い粘膜に覆われた子宮に戻ったように安心できる。私を抱きしめる 力強さとは反対に、その唇の柔らかさが、羊水の中でゆらゆらと浮いているような感覚 を思い起こさせるから。そこにいるふたりの時間が夢でなく、彼の匂いは幻ではない。 そう信じて、私はもう一度部屋の中をぼんやりと見回した。 つづく
June 28, 2008
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私が今の仕事をするようになって四年が経つ。蓮は卒業後、知り合いのつてで、 デザイン事務所のフォトグラファーとして就職した。もちろん、私も写真が好きだった けれど、それだけで食べていくには自信がなかった。結局アルバイトをしていた印刷 会社の編集アシスタントをしばらく続けることにした。大きな出版社の編集やデザイン 作業を請け負うような仕事もあって、締め切りが近づけばそれなりに忙しく、その頃の 私にとって、カメラは趣味の延長のようなものでしかなかった。 写真を撮るという楽しさを忘れたわけではない。時間が空けばカメラを片手に外に でて、かつて私がそうしたように、街角の光景にレンズを向けた。それから社に戻って パソコンで写真を確認する。撮った写真を眺めて、最高の一枚を探し出す作業は、 かつて私が蓮が大好きな休日の過ごし方のひとつだったことを思い出す。 昨年、担当していた雑誌の連載小説に使われた私の写真がちょっとした評判に なった。小説の内容もさることながら、意外にも写真の影響と考えられるような感想や コメントが社に多く寄せられた。写真で身を立てることなど簡単でないことはよく知って いたから、読者からの反応を嬉しいと思いながらも、それは私にとって仕事への ささやかな励みでしかない。それでも、少しずつ私の写真が使われることが多くなると、 さらにいい写真を撮ることに時間を費やしたくなる。私はチーフにばれないように時間を 割いて外を歩き回り、被写体を求めた。小さな会社だったし、締め切り間近でないかぎり バタバタと忙しくなるようなこともない。そして幸か不幸か、入社4年目の私は、そんな ことができるようなポジションに身を置いていた。 チーフがそのことを知らなかったことはないだろう。けれど、この業界は後学のため、 といえばたいていのことが許されるようなあいまいな職場であることが少なくない。つまり この会社のだれもが、ドルチェの客のようなものなのだ。何ヶ月かすると、写真を撮る ために外で時間を過ごすことにも暗黙の了解が得られる立場になり、ライターとともに 現場にカメラを持っていくような仕事がまわってくるようにもなった。 来週、私の写真が横浜の商工会議所の主催するイベントのひとつとして展示される ことになった。果歩が勤めていた旅行会社を通じて熱心に私の作品を押してくれた。 街のあらゆる光景を収めたモノクロームの写真は、現代を生きる人々の心を映し出す、 私からのメッセージだった。アマチュアと変わらない私の写真を展示してもらえるのは、 幸運でしかありえない。蓮がこれを聞いたら、きっと自分のことのように喜んでくれたに 違いない。 今年はとても暑くて、朝の9時だというのに、窓の外ではゆらゆらとアスファルトから 熱気が放出されているようにみえる。私が生まれた夏から二十六回目の同じ季節が やってきた。目を覚ますと、すでに蓮の姿は消えていた。よれたシーツとほんの少し残る 温もりだけが蓮がいたという痕跡を残しているような気がして、買ったばかりのソファや テーブルの上に、私は彼の姿を探した。 暑さに顔を歪め、汗を拭きながら歩く人は今、いったい何を考えているのだろう。窓の 外の通りを歩く人の心が覗けたなら、それはそれできっと面白いと思う。考えている のは、うまくいかない仕事のことかもしれないし、それとも昨日別れた恋人のことかも しれない。それとも何十年も寄り添う連合いのことを想っている人も、この街を行く何百 という人の中にはひとりくらいいるのかもしれない。誰かが私の心を読んだら、きっと 人は笑う。お前はまたそんな夢を見ているのかと。 私はカーテンを引いて太陽の光を遮り、キッチンに向かってゆっくりと歩きながら、 数年前に住んでいた小さなアパートの湿った部屋を思い出した。そこでは蓮はいつ だって、昨日のように突然やってきて、月日が経った今でも私にその匂いを忘れさせて くれない。 つづく
June 27, 2008
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私と蓮が身体を重ねるのは、私がその日窓辺に置かれた椅子の上で服を脱いだ時と 同じくらい自然だった。 キスが挨拶だとすれば、その先は会話。そういう意味で蓮は「会話」の仕方を知って いたと思う。私たちはお互いのすみずみにまで「挨拶」をして、ふたりの距離を確認した。 くぼみに沿って二人の身体はまるで低反発クッションのように重なって、私の身体は 脱力して彼の中に溶け入った。 祖母のうちに住んでいた頃、合わせ鏡というのを見たことがある。同じような形の鏡 なのに、比べてみると少しだけ違い、片方がもう片方を包み込むように重なってひとつになる。 蓮と私が合わせ鏡・・・そんな風に思えて嬉しかった。そして、短い時間の中で、蓮の 匂いが私の身体の一部になった。 「ねぇ、蓮はおんなの人の写真を撮ると、いつもその人と寝るの?」 「んー。 いつもってわけじゃないけど、その人がいいって言えば・・・。だって、オレが きれいだと思ったおんなの人だもの。すみずみまで知りたいと思うのって当たり前の ことだろう?」 「そうかもしれない。でも、蓮が私にすることを他の人にもするのかも思うと、少し変な気分」 「そうか? 今までそんな風に考えたことなかった。オレ、ちょっと感覚が変なのかも・・・」 「こんな話をベッドの中で、初めての男の人をする私も変なのかもしれない」 つづく
June 26, 2008
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蓮がカメラを顔の前に構えて、シャッターを押す素振りを見せた。 「始めようか」 「ここで、このまま服を脱ぐ?」 「ここでも、そこでも、どこででも」 そう言って、蓮は遮光カーテンを引いた。私は窓際に寄せた椅子に座ったまま、約束 通りに服を脱ぎ、蓮が指差した光の下に向かって歩き出した。 私は、ただ何も考えずに、蓮が言った通りに動き続けた。本当に私の頭から足の 先まで撮るつもりのようだった。カメラが向けられるのは手だったり、足の先だったり、 顎の線だったり、首筋だったり。後ろから肩に向けられていることも、背中のどこかを 撮っているようにも感じられた。背中越しに聞こえてくるシャッターの音は心地よく、 それは私の心がスローモーションで、自由に四角い空間の中を漂うような感覚に させてくれた。 「はだかの写真って、ベッドに横たわって撮るものだと思ってた。蓮も私にそういうことを 要求するとばかり思ってた」 「ああ、そうね。 そういう時もあるけど、おんなの人のきれいな表情って、ベッドに 横たわっている時だけってこともないでしょ」 「でも、手や足の先の写真しか撮らないのに、私が服を脱ぐ必要はあるの」 「間違いなく、ある」 「そうなんだ」 「そう、椅子に座っていても、部屋のど真ん中に立っていても、手の先しか写って いなくても、そうする意味があるの。人の素肌は、確実に想像を掻き立てる」 「私に色気がなくっても? 髪が長くなかったら、少年Aでいけちゃうよ、私」 「琉夏は、きれいだよ。魅力的な少女Aだ」 そんな言葉が蓮の口から出るとは思わなかった。彼は今までにどれくらいこんなせりふ を、私の知らない、美しい身体のパーツの持ち主に言ったのだろう。そう考えると、心臓 をぎゅっと締め付けられるような痛みが私を襲った。 「まいったね。少女Aか。私には全く色気がないって口ぶりだ」 「そんなことないって」 「気を遣わなくてもいいよ」 「琉夏は不思議なやつだな」 「何が?」 「夏琉は服を身につけていても、つけていなくても、とても自然に人と話すんだな」 「あ・・・ごめん」 「なんかさ、男とか女とか越えて、別の世界から来た人みたいだ」 「それって褒めているの、けなしているの」 「いや、褒めてるつもりだけど」 通りに面した小さな窓にかけられたブラインドの隙間から差し込む光が、いつの間にか オレンジ色に変わっている。蓮の横顔が夕日に映えて悲しげに見えた。 「この時間が一番好きなんだ。なんだか心の中が波ひとつない夕凪の海のように静かに 感じられる」 つづく
June 25, 2008
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「ねえ。琉夏の写真、撮らせてよ」 「私の写真? 蓮は変わってるね。私の写真なんか撮っても、見たい人なんていないと思うよ。 私みたいなやせっぽちのいったい何を撮りたいの」 「ぜんぶ・・・」 そう言われたのは、夏休みが明けたばかりの9月だった。蓮とふたりで時間を過ごす ことが多くなって、1ヶ月以上経ってからのことだった。 「ふーん。ぜんぶか。面白いね。どんな写真が撮れるのか、私も見てみたい気がする」 そんな会話をした週末、私は蓮の部屋を訪ねて行くことになった。下北沢の駅から 雑然とした商店街を歩く。沿道に続く昔ながらの商店や飲み屋が入り乱れる中で、 商店街には似つかわしくない店員が店先でタバコをふかすチープな古着の店が興味を 惹く。人や自転車の多いその通りは熱気に満ちて、風は通り抜けてくれない。私は 初めて歩く雑然とした商店街の様子に戸惑いながら、人を避けて注意深く進んだ。 数分行ったところにある雑居ビルの四階の一室が蓮の部屋だった。仕切りのない 殺風景な部屋には、外の喧騒を忘れるには十分な静寂があった。壁際にベッドと テレビ、部屋の真ん中に黒皮のソファが置かれていて、部屋の隅には古びた机とイスが ある。その上のパソコンの画面が明るく光を放ち、モーターの音が微かに聞こえる。 それ以外は、ほとんど普通の部屋らしいものはなく、背景布やストロボや発光板など、 置いてあるものは撮影に使う道具ばかりだった。つまり、蓮は撮影スタジオの中で暮らし ているようなものだったのだ。 「その辺に座ってて」 「靴は脱ぐの? 玄関すら見当たらないんですけど」 「ま、もともと事務所だったんだから玄関なんてものはないな。靴は履いたままでも構わない」 「いい部屋だね」 「無理しなくてもいいよ。今コーヒーを入れる」 私は、部屋を横切り、パソコンの置かれている机のそばまで進んだ。 米軍の払い下げだろうか。この椅子はきっと前島の好みだ・・・私はそんな風に考え ながら、ニスの剥げた木の椅子に腰を下ろした。蓮は湯を沸かして、手際よくコーヒーを 入れる。きっとそれもどこかの店で覚えたのだろう。しばらくすると、微かに湯気をたてる コーヒーが私の前に差し出された。 誰かが作ってくれた温かい飲み物を、あんなにどきどきしながら飲んだのは、たぶん あれが初めてだ。私はコーヒーをすすりながら、蓮を眺めた。人はいつ、どうやって 知らない誰かを好きになるのだろう。何度か会って話して、声を、目を、体温を、そして 匂いを好きになっていくのだろうか。 もともとあまり人を好きになったりしなかった私にとって、ハグやキスは挨拶程度の ものでしかなかったし、残念なことに私は初めてのキスをした相手の名前も、その後 どうしたのかも覚えていない。渋谷のクラブでその夜初めて知り合った人とキスをした ことがあったし、米軍キャンプのアメリカ兵とも楽しく話したお礼のつもりでキスをした。 よく知らない誰かとのキスは全ての日常のほんの一歩に過ぎなくて、それが「好き」の 始まりとは無関係だったし、それが始まるのは、自分が心を開け放ち、身体だけでなく 心までも誰かと0センチまで重ねられた時にやってくるのだろうと考えていた。 それなのに私は、ソファの上でカメラを愛おしそうに抱える蓮を見て知った。人を好き になる瞬間というのは、思った以上に突然やってくるものなのではないかと。 つづく
June 24, 2008
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横浜は東京とは少し違う時間の流れがあるようで、ドルチェで過ごす時間も、港の 見下ろせる丘の上にある祖母のうちも以前となんら変わることがない。温度の高い風は 少し湿っているせいか、いつもよりも潮の香りを強く感じる。大学生というものは、 どうしてあんなに長く夏休みがあるのだろう。梅雨もあけきらないというのに、果歩の 夏休みはもうすでに始まっていた。「たまにはお祖母ちゃんに顔を見せて、安心させたら どうなの」という果歩からの一本の電話で私は横浜に戻ってきた。桜木町からバスに 乗って丘の上までやってきた。日曜日の喧騒といっても東京のそれとはあまりにも違う。 観光客は実にのんびりと、品よく横浜の街を楽しんで散歩しているようだった。 私は洋館の脇に変わらない姿で立つケヤキの大木に挨拶をして、手摺越しに見える 横浜港の景色を確認した。うちに戻ると祖母は驚いた様子だったけれど、嬉しそうに私 をうちに招き入れてくれた。祖母にとっては、私はいつまでも子供のままらしく、「お昼 ご飯は食べたの」とか「お茶を入れるから座りなさい」と世話を焼きたがるのは変わら ない。中学になって突然現れた孫娘と、そうすることで心が繋がると信じているの だから、私はそれに従うだけだ。果歩は私たちがここに越してくるずっと前から自主的に 祖母に会いにきていたから、祖母とこのうちによく慣れ親しんでいる。それに対して、 私がなかなか馴染めないのは、私が中学で初めてここにやってきたからという理由だけ でなく、自分の居場所にこだわり続ける私の損な性格のせいなのかもしれない。目の前 に差し出されたお茶をすすりながら茶菓子を頬張って、私は祖母に言った。 「私、ちょっと散歩にしてくる。果歩が帰ってきたら携帯に電話してって伝えてくれる」 日曜日の夜、店の中に客の姿はまばらだった。ドルチェに行けば、そこは我が家の ような気持ちになれる。ビールサーバーからグラスを少し離してビールを注いで、グラス の底に5センチほど泡をためる。少し置いて泡が落ち着いたらグラスを傾けてサーバー の口を斜めに深く差し込んで、静かにビールを注ぎ込む。美味しそうに注がれたビール のグラスを果歩の前に差し出した。まだコツを忘れてはいないようだ。 「琉夏、いつでも帰ってこられるな」 そう言って前島は嬉しそうに笑った。私は肩をすくめて見せて、浮かない顔の果歩の 隣に腰をおろした。結局、帰って来いと言った果歩には別の話があったらしい。 男女間の話というのは、細かい部分に踏み入って友人に訊くことはむずかしい。ハグ をしただのキスをしただの、そんなことを自慢げに話す友人はいても、ベッドの上で繰り 広げられることの全てをあけすけに話す人は多くない。ただ果歩にとっては、いつの間 にか私がそのひとりになっていたというのは、理解できないことではない。長い間ふたり だけの時間を過ごし、誰にも言えない心の葛藤を自分の中に秘めているということは、 お互いに心の底を知り合っているからこそ言わなくても解り合えたことだった。そして 離れて暮らすようになって、初めて自分の言葉を表現できるふたりに成長したような 気がする。 「ゆるせない・・・」 果歩は杉崎貴彦と三年近くも付き合っていたというのに、二股をかけられていたことに 全く気づくことがなかった。「私は絶対お母さんのようにはならない」というのが口癖 だった果歩は、いくつになっても少女のように将来の夢を語る。未来は「今」を積み 重ねた延長に過ぎなくて、私にとって果歩が語る恋愛や結婚の話は、姿の見えない 侵略者のようにしか思えなかった。 「おねえちゃんは、いったい何が許せないの。貴彦が果歩の以外女と付き合っていたの がゆるせないの? それとも、自分ひとりで満足しなかった貴彦がゆるせないの? それとも、貴彦を寝取ったその女がゆるせないの?」 私がそんな冷たい言葉を投げかけると、果歩の目から涙が流れる。 「おいおい、琉夏。果歩ちゃんを泣かせてどうするんだよ」 前島はそういって私をにらみつけるような顔をしたが、その表情には果歩に同情する ような雰囲気は全くしない。私は前島が私と同様に、人の涙に動揺するような同情心を 持ち合わせていないことを知っている。 「おねえちゃん、もっと自由になれないの。男は貴彦だけじゃないし、つくすだけが男を つなぎとめる方法じゃない」 「ばか琉夏。あんたに何がわかるのよ。私が今まで貴彦をどれだけ好きだったか 知らないくせに」 「そうなの? ほんとにそんなに好きだったの? 貴彦に好きと思われていなくても好き だったの」 「貴彦は私のことを好きだと言ったもの」 「うーん、その好きは何が好きだったのかな。果歩のことが好きだったのか、果歩の 身体が好きだったのか、それともいつでもさせてくれる果歩が好きだったのか・・・」 「ひどい・・・。琉夏、あんたは人を本当に愛したことがないんだよ。本当に好きな人に 抱かれたことがないのよ」 「そういう果歩だって、結局は貴彦のこと、全然分かってなかったくせに」 「もういい、なにも言わないで。貴彦がどういう人だったか分かってよかったのよ」 私は果歩のそんな言葉を聞きながら、前島とふたりで顔を合わせて苦笑した。 私の顔は母とよく似ている。丸い童顔は、私のサイケな性格とは合致しない。果歩は 母親とは容姿はあまり似ていないが、その性格は、実は母親に似ているのではないかと 思う。「私はお母さんのようにはならない」というのが口癖だった果歩が、未来に夢や 希望を持ち続けられるのは、母と同じように女の性を持ち続けられる才能があるから のように思えてならない。 私は人を好きになったりしない そんなことを決めたわけではないけれど、なぜだか私は人をあまり好きになることが なかった。誰かを好きになると、その相手のことを考えて、まだ起きてもいない将来の ふたりの様子を夢想して、時に空高く舞い上がるように心を弾ませ、時に不安で胸が 締め付けられるような気持ちに苛まされる。 できるなら、人に振り回されて生きるより自分の今を生きることに夢中になれる人生が いい、と思ったのは、たぶんあの頃の私は、自分以外の中に本当の自分をさらけ 出せる心地いい居場所を知らなかったからで、私はそんな居場所が見つけられる なんて思ってもいなかった。 つづく
June 23, 2008
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夏休み前の金曜日、無機質な教室の中には、私と蓮のふたりだけがパソコンを前で 座っていた。数多くある写真中から加工する写真を選び出す作業を黙々とふたりは 続ける。夏休み前にフォトアートのゼミに提出する作品を選び出さなければならない。 マウスをクリックしてアルバムのページをめくるようにして写真を眺めながら、時々 「あ、これは?」「んー、つぎ・・・」そんな会話を繰り返す。締め切った空間の中で微かに 聞こえるパソコンのうなる音だけが時折り響いた。 「琉夏。おまえ、ずっと写真だけでやってくの?」 「まだわからない。写真は好きだし、ずっと続けたいけど、それだけで暮らしていける ほど楽な世界じゃないでしょ」 「うん、まぁな。 でも、オレ、写真をずっと撮り続けたい。だって、女の人って、 マジきれいだし、みんなにそれをみてほしいし・・・」 「それにおんなのからだが好きだから?」 「よくご存知で。こんなこと言ったらどん引き? おれ、好きモノに見られちゃう?」 「そんなことない。きっとみんな同じだよ。ただ、蓮はそれを写真で表現しようとしてる だけ」 ほんのりと冷房の効いた教室の中で、パソコンの前に座るふたりはお互いの顔も 見ず、ぼんやりと明かりを放つ画面を見つめていた。 魅力的な笑顔を持つこの人は、いったいどんな暮らしをしてきたのだろう、そして何を 見てきたのだろう、女性の身体のパーツばかりを写真に撮り続ける理由はあるのだろう かと彼の横顔を盗み見ながら私は思った。 「いつから?」 「なにが?」 「いつから女性の写真を撮ろうと思うようになったの」 「さあ。初めて裸の女の人の写真を撮ったのは、二十の時だった。ぼくが働いていた店 には、写真を撮るといえば惜しげもなく肌をさらしてくれるような娘はたくさんいたからね」 「二十歳のとき?」 「言ってなかったっけ? おれ、もう来年二十五になる」 「え」 蓮は私と同じように、根っからの風来坊のようだった。高校を卒業すると同時に家を 出たのだそうだ。幼い頃に母親が今の父親を再婚したから、父親の連れ子だった兄 とはずいぶん歳が離れており、四人で住む家には居場所が見つからなかったと蓮は 言った。そんな彼は様々なアルバイトを渡り歩いた。コンビニやカフェでも働いたし、 映画館やショーパブで働いたこともあった。 「いろんな場所で働いて分かったのは、おれは人を・・・てか、女の人を観察するのが 好きだってことだった」 「観察だけ?」 「ま、それ以外にもいろいろあったさ。でも、いろんな場所で、いろんな女の人を見ている うちに、おれの見ている女の人たちを形に残してみたくなったんだよね」 「それが写真ってことでしょ?」 「ま、かっこよく言えばね。ただ単に女の裸の写真を撮りたいというよりはいいだろが」 「そうそう」 「でもさ、こんな自分勝手な生き方は、家族の誰も理解してくれないと思ったよ」 「ここには蓮のことを理解する仲間がたくさんいるじゃない」 「まあな。でもさ、本当に理解して欲しいのは、誰だと思う?」 「家族かな」 「二十の時、おれがカメラを始めたいと言ったって、親はそんなことじゃ食っていけない って頭からバカにしたような言いぐさだった。はやく大人になれ、夢を追うのをやめて、 きちんとしろ、ってな」 「そういうのが、普通の親なんだろうね」 「初めてのカメラは兄貴がくれたんだ。おれが二十歳の時、兄貴はもう二十八だった からな。ま、無理したのかもしれないけど」 「無理じゃなく、きっと蓮にあげたかったんだよ。血は繋がっていなくても、家族だから」 私が、自分は他の人に比べると、ずい分本能的で奔放な性格なのだということは、 ずい分前から自覚していた。本当の相手を知ろうとするのは、結構勇気がいるものだと 思う。ましてやそれを言葉にすることは、至極難しいと思えるが、それを実際に行動に 移してしまうほうが比べものにならないくらい容易だということを知っている人は多くは ない。 「ね、蓮。キスしようか」 蓮が口を開く前に、私は彼の口をふさいでしまった。私にとっては挨拶のつもりのキス で、ほんの少し相手を知るための儀式みたいなもの。相手との距離0センチ。 ゆっくりと唇を引き剥がして蓮を見ると、彼はたじろぎもせずに、ただ私の顔をしげしげ と眺めて微笑んだ。私に抱きついてもこなかったし、唇を離した後もキスをする前と 変わらない。「キスは挨拶のつづき」。そんなことは言うまでもなく、彼にとっても同じだと いうことが私には分かったような気がした。パソコンに向かう蓮の姿が、キスをする前 よりも自然になったように見えたのが、なによりもその証拠だった。 つづく
June 22, 2008
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押し寄せる日常は同じ律動をくり返し、東京での一年目の夏になった。学校では 写真論やデザイン概論を学び、カラーリングやドローイングの基礎的なレッスン、それに 加えて、写真表現や映像ワークなど、実践的な授業が行われた。 自分の中にある何かを表現するのは楽しい。自分が表現したいことを規制されたら、 それは自分の個性を表現することを制御されていることになる。たとえば、私には太陽 は赤くなんか見えなかったし、ただ真っ白なだけの画用紙も大嫌いだった。 たぶん・・・だから私は写真が好きなのだ。その風景は私が見たものを、そのまま 残してくれるから。たとえばモノクロームの写真は白と黒の陰影でしかないのだけれど、 なぜかその写真の中の世界には感情があった。ものがそこに存在し、陰影が様々な 想いを表していた。それは手から放れた風船が空に向かってまっすぐに上昇していくの を眺める子供の横顔だったり、よく磨かれたおろしたての革靴をはいて街を行く人の 急いで歩く足だったり。私は、その写真の中にそれぞれの喜びや悲しみ、不安やあせり を覗き見ては自分の世界を楽しんでいた。そんな私が、長谷川蓮と初めて話をしたのは 写真表現の授業の時だった。 自分の写した写真をコンピューターにダウンロードして、加工する。私はあまり コンピューターに詳しくなかったが、最初はクラスメイトになんだかんだと相談しながら、 そして時間が経つにつれて、いつの間にかひとりの世界に没頭する。 数え切れないほどの写真から気にいったものを選び出したり、その時撮った同じような 写真の中から微妙な構図の違い、ずれやブレを確認しながら一番いいものを 見つけたりする。拡大したり、隣に並べて比較したりする細かい作業をしていると、時間 が経つのは驚くほど早い。そんな風に過ごす時間はひとりの世界にのめりこんで誰とも 話をすることもない。誰のものでもない、自分だけの空間では、止まったようにも思える ゆるやかな時間の流れがとても大切に感じられた。 「立花るか、だっけ。いい腕してるね。この写真いいよ、気に入った。でさ、モノクロも いいけど、ちょっと加工してみ。太陽のとこに、黄色入れてみたら?」 そう言って話しかけてきたのが蓮だった。 「太陽に、黄色?」 コンピューターに詳しいようで、「ちょっと、貸して」といって、私を横へ退けてパソコンの 前に向かった。 画面には、雨上がりの街。どこへ向かうのか、足早にゆく革靴のサラーリーマンの 足元で、太陽が水溜りの中で惜しげもなく燦々と輝きながら浮かんでいる。蓮はパソコン 画面に見入って、マウスとキーボードを操作して、モノクロ写真の中の太陽に黄色い 生命を吹き込んでくれた。 「おし、あがり。 どうよ。 マジ、よくね?」 「すごくいい」 「もともと太陽は黄色いんだ。モノクロの中で輝かせたら、さらに輝きを増す。美しいもの を、さらに美しく輝かせてやれるって幸せだと思わねーか」 そう言って、蓮が私の顔を覗き込んだ。満足そうな笑顔が私に向けられ、それが、私 の心にぽとりと何かを落とした。深い底に沈んだ思い出たちが微かに揺れて、ほんの 一瞬身体を締め付けていた何かが弛緩した。しかしそれはまるで砂漠に落とした一滴 の水のようにあっという間に吸い込まれて、跡形もなく消えてしまった。 この男子生徒のように軽いノリの同級生は、この学校には他にも大勢いて、彼もその 中のひとりに過ぎないのだ。私の心はいつもこんな風に考えて、立ち止まる。普通の 娘ならこの笑顔を見ただけで、聖水に映し出された幸運の太陽をみた修道女のように 嬉々として満面な笑顔を返すだろうに。 「うん、いい感じ。サンキュ。えっと、はせ・・・」 「長谷川蓮。 レンでいいよ。みんなそう呼ぶから」 「うん。今度、私にパソの使い方教えてほしいんだけど」 「いつでもOKっす。そちらがヒマな時に声かけてね。あ、携帯番号とかメルアドとか 教えとこうか」 学校では、どの学生も個性的で、自分の世界を持っている。けれど、彼らの全ての センスが私の心を打つわけはない。というのは、彼らの色のセンスや構図のセンスや、 そういったもの全てが、これから私たちがこの学校を卒業した後、広告会社やデザイン 事務所で認められるあらゆるテクニックを磨くための第一歩にすぎないのだ。 けれど、蓮の写真は少し違ったように私は思う。というのも、彼が撮る写真はその ほとんどが女性で、仲間内では「ちょっとイカれた変なやつ」と陰でいうものさえいた。 たとえば化粧もしていない女性の青白い顔に細く剃り落とされた眉の下で幼い目が じっとカメラのほうを見つめる写真を見たことがある。頬から肩にかけての一部分の 写真は、赤く塗られた口だけが薄ぼんやりと開かれているのが印象的だった。そして、 うつぶせに横たわる女性の背中の写真は脊椎にそってへこんだ線のカーブが美しい。 それらはどれも撮った人の意思を感じる作品で、どれも生命を感じさせるものだった。 言葉などいらない、写真の一枚一枚にひとつひとつの物語がこめられてような写真 だったのだ。 つづく
June 21, 2008
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私がその電話を受けたのは、「西新宿フォトスタジオ」に履歴書を置いてきてから 数日後のことだ。 「お給料はたくさん出せないけど、それでもいい?」 そんな電話をくれたのは小谷という名前の写真館のオーナーだった。たくさんの給料 なんて必要ないのはもちろんのことだった。お金がない生活は慣れている。だた、私が 欲しかったのは、居場所だ。その翌日から、私は高層ビルの足元の小さな写真館で アルバイトをすることになった。 「西新宿フォトスタジオ」の仕事は、小谷が言うほど暇ではなかった。平日の夕方は、 周辺のオフィスビルのサラリーマンやOLたちが証明写真を撮りに来ることがあったし、 住宅街の老人たちが出来上がった写真を取りに来ることがあった。 土曜日など、家族で記念写真を撮りに来る人があるときには、私は小谷の撮影 アシスタントをさせてもらった。私はこの写真館で働くようになって、初めて家族が 出来上がっていく様子を目の当たりにした。 私が勤め始めて間もない頃、生まれたばかりの子供のお宮参りの記念撮影の依頼が あった。生まれたばかりの赤ん坊を抱えた母親と背広姿の男性の3人だけの写真撮影 だった。若い母親の赤ん坊をあやすしぐさは、不慣れな雰囲気なのに、その顔は自信と 慈愛に満ちて美しかった。若い父親の妻子を眺める目も愛情に溢れている。莉久は こんな風にお宮参りをしてもらっただろうか。私や果歩の時は、母の隣に私たちの父親 はいたのだろうかと想像をめぐらした。 カメラに向かう小谷の顔は、とても嬉しそうで幸せそうだった。アンティークのベンチに 腰掛けた客の手や顔の向きひとつひとつに気を配り、近寄っては向きを直す。時間を かけて話しをしながらシャッターを切る。少しずつ雰囲気が和み、客の顔からも自然な 笑みがこぼれるようになって、一枚の写真の中に、一緒になって間もないひとつの家族 がきれいに収まった。私はシャッターを切り続ける小谷の横で、初めて見る生まれた ばかりの新種の生き物たちを観察するように、静かな空間の中でひとつの家族を 見守った。 私が都会の風景をカメラに収める楽しさも覚えたのもこの頃だった。週に一度の休み に街をさまよって、あらゆるものを被写体にした。新宿の街中をひょいと曲がった細い 路地を彷徨う猫だったり、アパートの近くのさびれた公園の草花だったり、夜の歓楽街を ゆく決して若くはない男女だったり。 街の猫はふてぶてしく肥えているくせに、警戒をあらわにしたその目は悲しげで、私に とっては親しみさえ感じるものだったし、道路の脇でほこりにまみれて薄汚れた花は、 ときとして雨上がりに活き活きとしているのが不思議に思えた。夜の歓楽街をゆく中年 の男女はサラリーマンと商売女なのだろう。若い男女とは比べられないくらい欲望を 身体に滲ませた姿は、背中が冷たくなるほど卑猥だった。私はそんな一瞬のシーンを モノクロで映した写真が好きだった。目では見えない色を心の中で想像して遊べる。 春は驚くほどのスピードで過ぎ、アパートのまわりでは、菊名にあったような大きな 桜の木も、土筆も、シロツメグサも見つけることができなかったし、残念なことに 「西新宿フォトスタジオ」でのアルバイトは思ったほど長く続けることはできなかった。 梅雨が入ったばかりの頃、小谷が体調を崩して入院した。店を閉めると聞いたのは、 それから一週間ほど経ってからだった。 「立花さん、ごめんねぇ。あなたが来てくれたからもう少し長くやれるような気がしたんだ けど、こうなっちゃったら、もういつスタジオを開けられるか分からないから・・・」 電話口で小谷は泣いていたような気がする。それでも私にはどうすることもできなかった。 フォトスタジオを閉めると聞いてから、閉店に向けての整理をするのに、1ヶ月近く かかった。預かっていた写真もすべて客の手に渡り、スタジオに写真を撮りに来る人も なくなった。スタジオの中を整理している時に、色の褪せた古い写真がたくさん棚の中に 仕舞われているのを見つけた。たぶん、今までに表のウインドウに飾られた写真なの だろう。色あせたカラー写真もあったが、ずい分昔に撮られた白黒の写真があった。 その中に、私は髪にパーマをあてた若い小谷が、子供を抱いている写真を見つけた。 その横には背広姿の男性が小谷の肩に手を置いて立っている。凛として、未来をきちん と見つめている家族の姿だと思った。 数日後、片付いたスタジオを閉めて、私はそこを去ることを息子さんのうちに移り 住んだ小谷に電話で告げた。「うんうん」と私の説明を聞く小谷に、私は最後にひとつ お願いをした。 「すみません。小谷さんとご家族の写真、私にゆずっていただけないでしょうか」 空っぽになったスタジオが、その歴史を終わらせる時期が近づいているのが悲しい。 そう思いながら、私は「西新宿フォトスタジオ」のシャッターを下ろし、一枚の写真を 持って写真館を去った。 つづく
June 20, 2008
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新宿の街は横浜とはずいぶん違う。高いビルが並ぶオフィス街とデパートなどの商業 施設と歓楽街が微妙な距離でひとつの大きな街を造っている。スーツ姿のサラリーマン やOLたちも、買い物に来た主婦たちも、流行のファッションに身を包んだ人たちも、 そのほとんどがこの街以外のほかの街から新宿という不思議な街に吸い寄せられて やってくる。歌舞伎町付近を歩きながら、信号が青になると大きな交差点を渡る数え 切れない人たちの波は、いったいどこからやってきてどこへ消えていくのだろうかと 思う。 人の溢れる通りから、小さな路地に一歩曲がると、住宅地は街の賑わいから取り 残されたように古い家やアパートが目に付くことがある。私が住むことになったアパート もそんな場所にあって、築30年以上は経っていると聞いた。モルタルで塗られた二階 建ての安アパートには、予想外に私と同年代の人が多く住んでいて、古めかしい外観と 合わないほど厳ついジャケットに重そうなシルバーのアクセサリーを身につけた青年が 住んでいることも知った。アパートの周辺にある夜の店は、新宿の繁華街にある きらびやかなネオンで人を呼び込む店とは違う。ひと目を避けるように灯りを点し、 木製扉の飲み屋は横浜のドルチェよりさらに胡散臭く感じられた。 繁華街の中で、カフェやレストランや居酒屋のチェーン店にアルバイト先を求めては みたが、明るく元気に振舞う店員たちの顔をみると、そこで働く決心がつかなかった。 いくら安いアパートに入ったからといっても、アルバイトなしでは私の生活は成り立た ない。新宿に越してほどなく、私は横浜ののどかな雰囲気が恋しくなった。 けれど、何もないところから始めた新しい生活は、私にとっては悪いことばかりでは ない。制服を脱ぎ捨てると、何かに縛られていた感覚は嘘のようになくなり、自由に なった私は、孤独と隣り合わせの雑踏の街でひとりの時間の楽しみ方を覚えていった。 初めは、この街では人々はいったいどんな風に暮らしているのだろうと不思議に 感じたりもしたが、慣れてくれば近くの八百屋がやっている惣菜の店や肉屋のコロッケ がとても美味しいと言うことを覚えた。街を行く人も、道端で汗を流して働いている人も、 幾分急いでいるようにも思えたが、一度そのスピードの波から一歩離れて眺める方法を 覚えると、雑踏は遠くで聞こえる波のように感じられるようになったし、近所の人たちとの 挨拶も抵抗なく交わせるようになった。 そして、程なく私は新しい居場所を見つけた。古いマンションの一階部分にあるその 小さな写真館だった。表のウインドウに子供の七五三の写真や成人式の振袖姿の女性 の写真が飾られている。新宿駅から少し離れた場所にあるその写真館は、いくらか 東京の下町的な感じがするが、私がそこを新しい居場所にしたいと思ったのはその 外観を見たからではなく、ガラス窓から店内に置かれている家具たちが見えたからだ。 入り口に二脚置かれた椅子のひとつは深緑、もうひとつは茶色の皮が施されたデスク チェアで、別々のデザインだったけれど、どちらも年季が入っていて美しい。奥の スクリーンの前にセットされたアンティーク風のベンチも、背もたれが控えめにカーブを 描いた上品なシルエットを描いていた。アルバイトの募集はしていなかったけれど、 ドルチェで前島に声をかけた時と同じように、店内に進んで歳のいったひとりの女性に 声をかけた。 「すみません。私、ここで働かせていただけませんか」 白髪の女性は私の顔をしげしげと見つめている。 「急に入ってきて働きたいだなんて。うちは人を雇うほど忙しい店じゃないのよ」 「仕事は何でもいいんです。電話番でも、お客さんの応対でも」 「そう言われてもねぇ。あなた学生さん?」 「はい、4月から写真を勉強します」 「あらいやだ。ここじゃ、なんにも学べないわよ」 「いえ、そうじゃなくて・・・。ここで働けたらいいなって思って・・・」 「ふーん、変わった子ねぇ。そうね、一応といっては何だけど、履歴書は見させてもらおうかしら」 つづく
June 19, 2008
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果歩は奨学金を受け、地元の市大に入学した。果歩の生活は至極当たり前のように 過ぎてゆく。ごく普通に学校に通い、おしゃれなカフェでアルバイトをして、流行の ファッションを追い、彼氏とデートを楽しむ生活だった。果歩にとっての「ごく普通」という のが、私の感覚とは少し違うことは分かっていたから、私が自分の生活を果歩にさらけ 出すようなことはあえて言わなかった。学校では人を避け、週末には酒場でアルバイトを して、ほんの少し気に入った相手とキスを交わすような私の日常は、果歩にとっては 非常識でしかありえないと知っていた。同じ家に暮らしていれば、全く知らなかったとは 言わないけれど、果歩はそれをわざわざ話題に出すようなことはしない。触れられたく ないことには触れないで置く。そんな暗黙の了解が生まれたのは、私たちが生まれ 育った特殊な環境のせいだったのかもしれない。 高三になって、卒業後の進路を決める時期がやってきた。私は姉ほど頭がよく なかったから、奨学金を受けることなどできない。一度は進学をあきらめて、そのまま ドルチェで働いてもいいと考えていたが、どこかに自分の内面を自由に表現する場所が あるのではないかと考えるようになった私が選んだのは、東京の写真工芸専門学校 だった。 専門学校のグラフィックデザイン科では、学科では写真や広告デザインを勉強する。 祖母の家から通ってもよかったのだが、私はそうはしなかった。北新宿に小さなアパート を見つけて移り住むことに決めた。もともとふらふらと歩き回るのが好きだった私 だから、私の中に流れる血にはひとつの場所にとどまれない気質を運命付けるような DNAが組み込まれているのかもしれない。ドルチェからの帰り道にみた横浜の港に 広がる、きらめくガラスの欠片を散りばめたような景色の代わりに、新宿の高層ビルや 繁華街の明かりが私の生活の一部になる。横浜で暮らした思い出の場所が遠くなると 思えば悲しいけれど、母と住んだ家を離れてから、いつかはこうなるのだと、私は 分かっていたような気がする。 引越しの小さな荷物は代わり映えしないものばかりだったが、ひとつ増えたものと いえば、アルバイトしたお金で買った一眼レフのデジタルカメラだった。高級品では なかったが、大き過ぎず手にすっぽりと収まるような感覚の軽めのものだった。私は そのカメラを携えて、お別れとお礼の挨拶を兼ねてドルチェの前島のもとを訪ねた。 「おお、琉夏か。今日が最後かい」 「うん、そう。これからは、なかなか会えなくなる」 「寂しいねぇ。ふらりとやってきた親戚のお嬢さんは、また遠くへ帰っていっちゃうんだねぇ」 「何言ってるの。東京だよ。全然遠くない」 「まあ、そうとも言える。お、新しいカメラだね。ぼくのことも撮ってくれるの」 「もちろん、そのつもりで来た。まだ上手に撮れるか自信はないけど」 そう言ってカメラを向けたが、前島は身動きひとつしなかった。カシャカシャと気持ちの いい音をたてるカメラに収められた前島は、いつもと変わらない、カウンターの隅で タバコをくゆらす、気のいいひげ面のおじさんのままだった。 祖母と姉の住む家から荷物を東京に送った日、私はその夜を菊名の母のアパートで 過ごした。 二年前、私が莉久に父親だと紹介した後、莉久はそのことを母にも祖母にも言わず、 「どこに行っていったの」という母の質問に莉久は答えず、ただ、「お母さん、りくのこと 大切?」と訊ねた。「果歩も琉夏も莉久もみんな同じだけ、とても大切よ」と母は笑った。 その莉久が私とふたりでお風呂に入った時にしげしげと私を見て言った 「るかのおっぱいは、ママのおっぱいとそっくりだ」 母と離れて暮らすようになって五年ほども経った頃だった。莉久の言葉を聞いて、母と 私は親子なのだと改めて思い出した。 「莉久のおかあさんと私は、莉久が生まれるずっと前から親子だもの」 「どんなに離れていても、家族はいつも一緒だ」 五歳になったばかりの莉久が、いったいいつからこんなことが言えるようになったのか と、幼い弟の早すぎる成長が少し切なく感じられた。 つづく
June 18, 2008
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ある中間試験が終わった日、いつもよりも早く帰ると、祖母の家に莉久と母がいた。 三歳になった莉久は、琉夏と顔を合わせると、もじもじと恥ずかしがった。母親似の私と 莉久は、目元の雰囲気がよく似ている。「莉久、元気だった」と頭を撫でながら訊ねる と、その手を払いのけ、私顔をじっと見ながら、「るか、げんきか」と訊いてきた。来年は 幼稚園に入る。父親のいないこの子も、私と同じような質問をされる日が来るのだと 思う。ただ、違うことは、莉久は父親の顔を知っている。力強い腕で抱き上げられて、 その腕に抱きしめられたことがある。そんな莉久は、いったい幼い友たちからの忌憚 ない質問に、いったいどのように答えるのだろう。 「ねえ、お母さん、莉久と散歩に行ってきていい?」 「いいけど、そんなに遅くならないでよ。今日はみんなですき焼きよ」 「分かってる。そんなに遅くはならないから」 母親らしい顔をして、母親らしい言葉を投げかけてくれているのに、その存在はずい分 懐かしい記憶の中のもののような感じがした。 十月になって、残暑から開放された気持ちのいい午後だった。丘の上の公園を抜け、 外人墓地の脇の坂を下って元町へでる。十数分の道のりを莉久の手を引いて歩く。 「るか。りくは、どこへいくの」 「私のおとうさんのところ」 「るかのおとうさんはどこにいるの」 「すてきな場所」 「ふーん。るかは、りくのおとうさんのおうちもどこにあるか、知ってるのか? すてきな 場所か?」 「そうだね、たぶんすてきな場所」 ドルチェでは店の奥で、いつものように前島がタバコをくわえて座っていた。ラジオから は古いポップスが流れている。 「おう、琉夏、今日は子連れかい」 「マスター、莉久だよ」 前島は身を乗り出して、目を細めて莉久を見た。 「お前が莉久か。ああ、そういわれてみれば目元が琉夏によく似ているな」 莉久は前島と私を見比べて、不思議そうな顔をしている。 「莉久、これが琉夏のお父さんだよ」 そういうと、前島は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの顔に戻って莉久に 言った。 「琉夏は私のかわいい娘だ。会ってまだそう経っていないのに大切に思える。子供って たぶんそんなものだ。莉久、おまえのとうさんもそうだぞ。きっとお前のことを大切に 思ってる」 こんなことを言っても、莉久はまだ小さいからわからんだろうな・・・と言いながら、私に 向かって前島は笑う。 「莉久のおとうさんは、りっぱな人だ。おかあさんがそう言っていた。いっしょに住んで いなくても、お父さんはりくのお父さんだと言っていた」 莉久は足を踏ん張って胸を張って立っていた。鼻の穴を広げて拳を握る。 「ああ、そうだ。一緒に住んでいなくたって、血がつながっていなくたって家族は家族だ」 前島が大きな手で頭を撫でると、その手を払いのけて目の前にいるひげ面の男を しっかりと見つめてうなずいた。 莉久は私に似ていると思った。私は彼にはどんな未来があるのかと考えながら、自分 の未来も見えない私が、親子ほども歳の離れた弟の将来を案じていることがなんだか 可笑しかった。 つづく
June 17, 2008
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私は制服が嫌いだった。修道服のような紺色の制服は、まるで捕らわれの身を表す 象徴のようで、自由を求める私の心を古い麻縄のように縛りつけた。もがけばもがく ほど身体に食いこんで痛みが増す。欲望、嫌悪、孤独、不安、そしてそれらを抑制する 偽りの自分。それら全てをうざったい制服で覆い隠し、自分さえも隠して学生生活を 送くることで平穏な日常を保つのが、私にとって生きる方法のひとつだった。真夏だと いうのに、白い長袖のブラウスと紺色のスカート。なぜ、と訊かれても私はあいまいに その答えを濁すだけだった。 もう相手の名前も覚えていないけれど、私の初めてのキスは高二の夏だった。 ジージーと狂ったように鳴き続ける蝉が、うだるような暑さを助長させる。立っているだけ でも、強い日差しは容赦なく照りつけて、制服から出ている白い襟元をじりじりと焼いた。 ある日の放課後、クラスの違う同級生の男子に体育館の裏に呼び出され、突然 「好きだ」と告白された。特徴のない真面目そうな彼の顔は、ひどく赤く、熱を帯びた顔を していた。以前から彼の顔は知っていたし、何度か話したことはあったかもしれない。 友だちの友だち。そんな程度の知り合いだった。 「あのさ」 「なに」 「立花って、付き合ってる人いるの」 「付き合ってる人・・・」 「彼氏とかさ、好きな人とかさ」 「いない」 「立花ってさ、けっこう不思議なやつだよな」 「どこがよ」 「どこが、って。まずは、夏なのに、どうしていつも長袖なのかな、とか。美人じゃない けど、けっこうイケてるのに、どうしていつもひとりでいるのかな、とか」 「べつに、あなたには関係ない」 「そうだけど」 「で、なに。用事が終わったなら、私、行くけど」 「ちょっと待てよ。終わりのわけないだろう」 「じゃ何よ」 「あのさ、おれと付き合って欲しいと思って」 特徴のない顔で、ふたつの瞳がふらふらと泳いだ。彼は確かハンドボール部の部員 だった。しかし、それ以上に私が彼に興味を覚えることはなかったし、それ以上知りたい と思いもしなかった。 暑い夏だった。何もしなくても汗をかき、何もしなくても顔がほてった。答えを考えるでも なく、その時、私はぼんやりと、ただ一点をみつめていた。そして、一歩前に進み出て彼 の肩に手を置いて、ゆっくりと自分の口を相手の首筋に近づけた。 「な、なにするんだよ」 彼の驚き方は大げさだと思った。ただ、ちょっと舐めただけではないか。 引き締まって日に焼けた彼の首筋をゆっくりと流れ落ちる汗のつぶが、美しくて芳醇 な蜜のようで、ほんの少し舐めてみたかったのだ。 彼は大げさに驚いたわりに、目を大きく見開いただけで身を引いたりはしなかった。 だから私はキスをした。驚いた表情の彼に近づいて、できるだけ静かに時間をかけて。 彼がおずおずと吸い付くように抱きついてきた。時間の止まった空間の中で彼の身体 の一部分だけがドクドクと時を刻むのがスカートを通して私の身体に伝わった。うっすら と目を空けて彼の顔を盗み見ると、固くつむった彼の目がすぐ近くにある。彼の手が私 の身体を締めつける。 私はじっとりと張り付く何かを引き剥がすように、汗かいちゃったからと何事もなかった ように身をひいて、「じゃあね」と彼と顔を合わせることもなく、湿っぽい体育館の裏から 校庭のほうへと歩き出した。それが、私がした初めてのキスだった。空っぽの心の中で、 乾いた何かがぽろぽろと剥がれ落ちる感じがして、私はそれを止めることができなかった。 砂利の間から力強く生えた雑草を踏みしめながら、自分は幼い頃に父に抱きしめ られてキスをされたことなどあっただろうかとぼんやりと考えて、それからそれを強く否定 した。きっと父は自分のことを抱きしめたりはしなかったし、キスをしたりもしなかった、と。 その後、彼と付き合うことはなかったし、話をすることもなかったように思う。 それから私は数え切れないほどのキスをした。私にとってそれらは好意や愛情を示す ものではなく、相手を少しだけ知るためだったり、ほんのお礼のつもりだったり。 たいていの男は力強く私を抱きしめる。それを好意の表現だと思われたようで困ること もあったけれど、何年かすると、キスをした後に笑って「キスがしたかっただけ」と言える ようになった。自分がしたいと思う気持ちですることもあったけれど、骨の中を走る髄液 が枯れ果てたようなカサカサとした感覚が付きまとって、いつまでたっても心から消え 去りはしなかった。 なぜ私は挨拶をするような気持ちでキスをするようになったのか。母性の象徴が 温かい胸であり、その胸に抱きしめられることだとしたら、父を知らない私が、男性に 身体を寄せて唇を重ねることで、父性の象徴を理解しようとしているとは考えられない だろうか。 心を満たすことのないカサカサとした感覚は、私を抱きしめてくれることのない父親の 愛を知らない私が、欠けている感情の実態を見つけ出そうと、もがいていた証だったの ではないだろうか。 小さなピースをたったひとつ失ったとしたら、ジグゾーパズルは完成しない。私は身体 から抜け落ちた感情の欠片を見つけ出すために同じ行為を繰り返した。 つづく
June 15, 2008
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翌週末、私は前島のもとを再び訪ね、薄暗い店内に進んだ。 「本当にやってきたんだな」 私は目の前に座るひげ面の男に薄っぺらの封筒を差し出した。 生まれて初めての履歴書に偽りを書くつもりはなかった。十六歳だった私がその店で 働かせてもらえるとは思わなかったから、母の名と、母と同じ苗字を持つ祖母の名と、 そして果歩と私と十六も歳の離れた莉久の名を並べて書いた。前島は履歴書に目を 落としたまま口を利かない。ひげを撫でたり、頭を掻いたりする動作をしきりに繰り返す。 「立花琉夏、十六歳・・・か」 「はい、十六歳です」 「お父さんは?」 「私が生まれた時からいません」 そう言ってから、その答えの奇妙さに気がついた。まだどこかに生きているかもしれない し、私が生まれたときには、もしかしたらまだ一緒に暮らしていたのかもしれない。 あるいは前島が聞きたかった答えになっていなかったかもしれない。そう考えて、何かを 言い出そうとしてチャンスを失った。 「五人暮らしなの?」 「いえ、三人暮らしです」 「ふーん、そうなんだ。このうちの誰と暮らしてるの」 「祖母と姉と私です。あの・・・」 小さな眼鏡越しに上目遣いで私をみる前島の顔は、前に見たときよりもいくらか歳が 上に見える。たぶん老眼鏡のせいだ。私は父親の顔も、祖父の顔も覚えてはいない けれど、もしかした、目の前にいる前島のような感じだったのかもしれない。白髪混じり の頭を掻く姿には、飾った様子は全くなく、歳を偽ったことも十六歳の私が酒場で 働きたいといったことも咎めたりはしない。ただ、何度も履歴書と私の顔を見比べる 前島になら、どんなことでも話せる気がした。 物心ついた時から父がいなかったこと、父が生きているか死んでいるかも知らないと いうこと、母に新しい家族ができたこと、姉とふたりで祖母のうちに移り住んだこと。 そして街をふらふらと歩いている時にこの店を見つけて、とても気に入ってずっとここに いたいと思ったこと。 「そうか。ここで働くなら、ばあさんが心配しないように、一本電話を入れておかなくちゃ ならんなぁ」 「ここで働かせてもらえるんですか」 「まあ、遠い親戚の子が手伝いにきたと思えば、なんともない」 そうして私はその店で働くことになった。 前島は私に店でしなければならないあらゆることを教えてくれた。大きさの違うビール グラスの名前から手入れの仕方。ビールサーバーの使い方とワイングラスの選び方。 メニューに書かれたカクテルの味を知らない私に、詳しく説明もしてくれた。 知り合いのいないこの街で、誰にも知られないようにアルバイトをしていた私だった から、店に来る客はだれもが、私を前島の遠い親類と聞いて疑わない。私は週末の ほとんどの時間をドルチェで過ごすようになり、街中を彷徨い歩いたり夢想したりする 時間が少しだけ減った。その代わり、私は味でビールの銘柄が言い当てられるように なり、ワインの産地と種類を少しだけ覚えた。自分はお酒が強いと知るのに、そう長い 時間がかからなかった。十七にもなっていない私とビールの飲み比べをしていると 知ったら、あの場にいた客たちはいったい何と言っただろう。 「ああ、さすがマスターの血を引くお姫様だ。琉夏ちゃん、おれの負けだ」 そして、前島は答えるに違いない。 「当たり前だろう。琉夏はおれの娘のようなものだ。手を出すやつがいたらただじゃ おかねえ」 ドルチェは前島の趣味でやっているような店で、前島は五時過ぎればたいていは店に いるというのに、七時にならなければ店を開けることはない。ただ店の奥でタバコを吸い ながら時間を過ごす。日本人の常連客はそれを知っていて、彼らはゆっくりやってくる。 けれど私が開店前に店につくと、外国人客が店のそとで開店を待っていることがよく あった。彼らはあまり時間を気にしない。七時まで開店しないと何度言っても開店前に やってくるのだ。そのいい加減さは前島のそれとよく似ていて、だから彼らはドルチェに くるのかもしれないと思う。私には、そんなドルチェの雰囲気がとても合っていたようで、 英語が得意でなかった私なのに、なぜか異国からやってきた彼らと時間を過ごすのが 楽しかった。毛で覆われた太い腕で抱きしめられても、赤い顔で頬にキスをされても、 私は全く抵抗しなかった。そんな様子を前島はにやにやと笑いながら眺めている。 父親のつもり、と豪語する前島には聞いて呆れる。 ドルチェから祖母の家への帰り道、丘の上までたどり着くと、私はよく洋館の脇に あるケヤキの木のところで足を止めて横浜の港を見渡した。私の大好きな場所だった。 藍色の空は高く広く、闇の中に点々と灯るライトは何かのサインのように感じられた。 光の点をひとつひとつ繋げて線で結び、その上でバランスをとりながら進んでいくと、 どこか知らない場所に行けるのではないだろうか。私に父親がいないことも、母と離れ 離れになってしまったことも、、祖母や姉に気を遣いながら生活しなければならないこと も全て投げ捨てて、ここから抜け出したらどんなに楽だろうか。自分の真実を、包み 隠さず生きてみたい。そんなことを考えながら柵に寄りかかって身を乗り出すと、風が 身体を通り抜けて、空高く飛んで行けるような気分になれた。 つづく
June 15, 2008
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高校に入ってから私が始めたのが「ドルチェ」でのアルバイトだった。 休日に祖母と一日顔を合わせていても話すことはあまりなかったから、私は家を出て ふらふらと街中を歩いて休日のあり余る時間をつぶしていた。横浜には有名な古い 建造物があり、休日には観光客で溢れかえる。けれど私が好きだったのは、誰も寄り 付かないような場所で、観光案内の雑誌にも載っていないような無名の古い建物 だった。青い空に向かって尖った屋根の上の十字架を突き立てるように伸ばす木造の 教会では中の様子を伺って、教会での生活を夢想したり、今はもう使う人がほとんど いない年代ものの公衆電話がある公園では、茂った木々がちらちらと光の模様を 躍らせているのを眺めては時間をつぶした。何故だか私は人よりも言葉をもたない建物 とか会話を交わすことのできない自然の木々を好み、時の流れが止まったような場所に 居心地のよさを感じることが多かった。私が「ドルチェ」を見つけたのも、高校生になって 間もない梅雨の晴れ間の午後だった。 レンガで装飾された壁に、はげかけた金の文字で「Dolce」と書かれた看板が掲げ られていた。風を入れるためだったのだろう。開店前の店は、オイルステンで仕上げ られた無骨な木製の扉が開け放たれていた。中を覗くと、カウンターと小さなテーブルが いくつか並ぶスタンドバーの様子が見えた。薄暗い店内のカウンターにはビアサーバー とビンが逆さにセットされていているのも見える。後ろの壁いっぱいに、名前も知らぬ酒 の瓶が並んでいて、それらはどれもこの店の雰囲気になじみ、まるで何年もの間、 居心地のいいその場所で静かに時を刻んでいるようだった。タバコの煙にいぶされた 壁も、カウンターも、アンティーク風の椅子も、すべてがこの店で一緒に歴史の一部に なるために、ここから離れたくないと願っている。私にはそんな風に感じられて、ひどく 興奮して、吸い込まれるように薄暗い店内に足を踏み入れた。 その時、店の奥から低い声がした。 「なに。なんか用?」 暗くて私には見えなかったが、店の奥にはずっと彼はいたようで、たぶん、店の様子を 伺う私のことを見ていたようだった。 「いえ、あの、すごく素敵な店だなって思って。こんな店にずっといられたら幸せだろう なって」 「いられたら、って・・・。まだ、開店前だから、七時になったらもう一度いらっしゃいよ」 「でも、わたし、お酒飲めないから」 「いくつ?」 「十八」 「じゅうはち、ねぇ。中学生くらいに見えるけどねぇ」 「ですよね・・・。私、ここで働けませんか」 「うち、いま募集してないだけど」 「いまなら、格安で働かせていただきますけど」 「・・・面白いね。履歴書持ってるの」 「いえ」 「それじゃ、今度履歴書もっておいで」 そう言って、ひげ面の男は私に「前島壮大」と書かれた一枚の名刺を手渡した。 つづく
June 13, 2008
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その頃、私は友人と過ごすよりもひとりで時間を過ごすことのほうが多かった。自分が 他人と少し違う生活環境にあったということを認識するようになっていたし、人に よけいなことを質問される機会を避けたかったから、本ばかり読んで空想に耽って いた。いつか小説家になるかもしれない自分の姿や、大好きな自然の中で自由に 暮らす自分の姿を想像するのは、私が生まれるずっと前に、真っ暗な空に浮かぶ月に 降り立つ数分前の宇宙飛行士が抱いたのと同じくらいワクワクと輝くような夢だった。 母は忙しく仕事ばかりしていたから、それを引け目に感じていたのか、私たちが嫌がる ようなことはあまり言わなかったから、やりたいことは自分で決めて実行すればよいと いうような雰囲気がうちにはあった。私はしたいことをして、見たいものを見て、読みたい ものを読んで、自分の時間を好きに過ごした。 果歩は母を真似てよく私の行動に口を挟んだ。真面目で内向的な姉は、周りから は消極的に見られているようだったが、誰にも負けたくないという強い気持ちを内に 秘めているということは私にはよく分かった。たとえ体調が悪い時でも、やらなければ ならないことはやり遂げるというような、頑固な部分が姉にはあって、自我をきちんと 表わすことが多かった。それだから、母と衝突することが多かったのだろう。 その年の夏が始まった頃から、母は食欲もなくお腹が張って気分が悪いと言うように なった。倦怠感と微熱が続き、家に戻っても家事をすることもできないという日もあった。 四十を過ぎた母が、家事と仕事と子育てをひとりで担っているのだから、疲れが たまっているのかもしれない。そんな風に考えていた私たちは、今まで以上に母親に 負担をかけないようにと努力した。 ある夜、テーブルの前でテレビを見ていた私たちに、奥の和室から声をかけた。 「ふたりとも、こっちに来てくれる。ちょっと話したいことがあるの」 ひとり和室に座る母の顔に緊張の色が見える。ちらりと覗き見た果歩の顔は蒼白 だった。無言で立ちあがって母のいる部屋に向かう果歩の後について、和室に入って 畳の上に腰をおろす。 「このところ、お母さん、具合が悪いって言っていたでしょう。病院に行ったらね、 お母さんのお腹の中にはあかちゃんがいるんだって」 母は誰か知らない男の人の子を宿していて、あと数ヶ月後にはその子が生まれる。 私と果歩に新しいきょうだいができると言った。 「お母さんはこのあかちゃんを産みたいと思っているの。ふたりはおめでとうって言って くれる?」 突然の話に戸惑った。私は全く気がついていなかったし、父親がいない私に、弟や妹 ができるなんて考えたこともなかった。すぐには現実として受け止められなくて、嬉しい とか嬉しくないとかいう感情はすぐには湧き上がってこなかった。母と自分の見知らぬ 誰かがキスをして、身体を重ねた。それがどんなことを意味するか知らないことも なかったが、母親が男に抱かれる姿を嫌悪するほど深く考えてもいなかった。ただ、 母のお腹の中にまだ見ぬ妹か弟が宿っていることは、とても不思議なことで、この子供 にはどこかに父親がいると思うと、その父親がどんな風に母が抱く小さな赤ん坊を 眺めるのか、見てみたい気持ちにもなった。そんなことがほんの数ヶ月後に起こるという 事実に、私は単純に興味を持った。 しかし、果歩はそうではなかったようだ。ずい分前から、母親の変化に薄々気づいて いながらも、母が自分たちのほうを向いていないことがあるということを否定しようとして いたのかもしれない。果歩は顔を歪ませて母から目をそらした。 「気持ち悪いよ」 そう言って母親に刺すような目を向けた果歩に私は訊ねた。 「なにが?」 「ばか琉夏。お母さんは私たちよりその子の父親を選んだってことなのよ。だから その子を産みたいの。私たちはそのうちにお母さんに捨てられるのよ」 「なにを言っているの。お母さんはいつだって果歩と琉夏のお母さんじゃない」 そう言いながらも、ゆらゆらと揺れる母の視線が姉に向かうことはなかった。 翌年の春、母に男の赤ん坊が生まれた。莉久と名付けられ、私たちの家族は四人 に増えた。しかし、残念なことに四人の生活は予想以上にうまくはいかなかった。若くは ない母とって子育ては容易いことではなかったようで、仕事は以前のように力を注いで いけるような状態ではなくなった。母が家にいる時間が多くなると、果歩と衝突することも 多くなったし、莉久を連れてその子の父親に会いに行くような母は、もはや私たちの 母親の顔をしてはいない。人を愛する女であり、幼子を抱える乳臭い母親だった。 それなのに、母は莉久の父親のことを私たちに話さない。たぶん母とその男性とは 将来に結びつくような関係でなかったのだと思う。母はそれを私たちに隠そうとしていた ようだが、残念ながら、私たちはそれに気がつかないほど幼くはなかった。ただ、生活が 困窮しているという様子は感じられなかったので、たぶん莉久の父親からの援助が 少なからずあったのだろう。 果歩は母を避けるようになった。学校から帰ってくる時間は、いつの間にか私より遅く なっていたし、図書館から借りてくる本の数も私よりも多くなった。しまいには週末は家に いることもほとんどなくなり、横浜の、港が見渡せる丘の上にある祖母で過ごす時間が 多くなった。祖母は病院で入院患者の世話をする仕事をしながらひとりで暮らしていた。 裕福とはいえない暮らしぶりだったが、生前祖父が外国人相手の仕事をしていたせい もあり、洋風のこじんまりしたうちを構えていて、六十を過ぎてひとりで働くような身に なっても、いじけたり品位を失ったりした感じが少しもなかった。ただ、反対をされた にもかかわらず駆け落ちのようにうちをでて、結局別れてしまった母とは長いこと連絡を 絶っていたらしい。果歩はなぜだか祖母と馬が合ったようで、以前から時々会いに 通っていたと私が知ったのは、ずい分後のことだった。 私たちが祖母の家に移り住むようになったのは、莉久が生まれてから一年もしない頃 だった。高校入学を機に果歩が祖母のうちで住むと言い出したからだ。 「琉夏、あなたにはわからないの? 私たちはじゃまなのよ。お母さんは私たちより、 莉久とその父親のほうが大事なのよ」 そんな風に言われても、祖母の暮らしに、私たちふたりを養うだけの余裕があるのかと 疑問にも思う。それを果歩にぶつけると、 「だって、おばあちゃんはそうしていいと言ったもの。私はお母さんみたいな暮らしを したくないの。ここにいるのもいや」 果歩がそういえば、私はここで母親にしがみついて生活しなければならない理由が 浮かばない。母が新しい生活を作るなら、その舞台に私の出番はないような気もした。 いったいなにが私たち家族をばらばらにしようとするのだろうと考えた。けんか別れの ように交流のなくなった母娘の間に、もはや通うことのない冷たい血流が滞る。老母は 愛しい孫に会いたいがために言いなりになり、乳飲み子を抱える娘はそんな母親と 娘たちに意見する術を持たない。 四人の生活は以前と大して変わらないではないかと考えようとしたが、手のかかる 莉久の子育てに夢中になる母が、すでに成長して反抗期を迎えるような歳になった 娘たちにさく時間の割合はそう多くないということは明白だ。母には睡眠の時間も 足りなかったし、心の余裕もたぶんなかった。少なくとも私にはそう見えた。 母が幼い莉久を連れて出かける回数は少しずつ増えていく。それは平日の午後 だったり、夕食の後だったり。たぶん莉久を父親にあわせるためだ。莉久の父親を 家に入れないという彼女なりのルールを最後まで破ることはなかったが、それが私たち にとって何の意味もなさないということに彼女は少しも気づかなかった。 菊名駅の周辺は数年の間にずい分と変わり、昔遊んだ原っぱにはすでにマンションが 立ち並んでいたし、通っていた中学校に離れがたいほどの友人がいたわけでも なかったから、その場所を離れることに私は未練を感じなかった。私ひとりが母のうち に残っても、母と莉久が作り上げようとしている家族の邪魔なような気もしたので、 少ない荷物をまとめて果歩とともに家をでた。ひとつだけ離れがたかったのは、近くの 団地の敷地内にある、年のいった桜の木が美しい花を咲かすのがみられなくなること だけだった。 三月、私たちは祖母のうちに移り住み、高校生になった果歩はアルバイトを始めた。 私がひとりで過ごす時間はますます増えた。祖母はいつでも優しく接してくれたが、自分 のうちでない、どこか間借りしているような感じがいつまでも拭いきれず、私はなかなか 馴染むことができなかった。 しかし、新しい暮らしは嫌いというわけではない。なにより祖母のうちの周辺の景色が 私を魅了した。横浜の港を見下ろせる丘からの眺めは菊名とは違い、空が広く、 どこまでも見渡せる丘に佇むと私の夢想はとどまることなく膨らんだ。 つづく
June 12, 2008
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私は父親の顔を知らない。気がつけば、立花の家には私と姉の果歩と母の三人で 住んでいた。母は保険外交員をしていて、帰りの時間が不規則になることが多く、 私と果歩は小学校に入った頃からふたりで過ごす時間が多かった。菊名駅からほど 近い小さなアパートに三人は身を寄せ合って暮らしていた。アパートの回りには自然も 多く残り、学校帰りには原っぱで道草を食って帰ることが私の日常だった。湧き水から 流れる小川には蛙やヤゴが見られることもめずらしくなかったし、春にはシロツメグサや タンポポが原っぱに点々と色を添えていた。時間を忘れて積んだ土筆を一握りほど 持ち帰ると母が喜んだ。夏にはオシロイバナで色水を作って遊び、、黒い種の中から 取り出した白い種は白粉のように顔に塗るのも面白かった。誰かに会えば一緒の 遊び、そうでなければひとりで過ごす。そんな時間を、私は寂しいと感じたことなど なかったように思う。 果歩はたいてい私より一足先にうちに帰っていて、6畳の和室に置かれた小さな テーブルに向かって宿題をしていた。ふたりそろえばおやつの時間と決まっていて、 果歩は上手にココアを入れてくれた。ごろりと横になって駄菓子を頬張る私を見て、 口うるさく注意をする。たったふたつしか離れていなくても、私にとって果歩は姉であり、 また母のような存在でもあったのだ。 小学校で、父親がいることが普通だと友だちに指摘されても私は少しも気になら なかった。父親の顔も知らなかったし、うちはこれが普通なのだ、と思っていたから母親 に父親のことを聞きもしなかった。離婚したのか死別したのかなんて、私にとっては どうでもいいことで、料理上手で働き者の母、そして頑張り屋の姉との三人の生活は いつだって平穏に過ぎていたから、深く考えることが誰かを傷つけるとしたら、そんな ことを問題にするのは無意味でしかありえなかった。 ただ、忙しい母に代わって、うちのことをひとりでまかなおうとする果歩は物事を柔軟 に考えることができず、無理をしている姿は、私には切なく感じられて悲しかった。 だから、果歩の言うことに逆らうことはなかったし、そうすべきでないことは、誰に教え られなくてもわかりきったことだった。 私が初めてオペラのことを知ったのは、中学に入ったばかりのことだった。幼い頃から 果歩とふたりで通った図書館に、いつからかひとりで通うようになり、その日も私は 一週間前に借りた本を返却し、新しい本を物色するために訪れた。入り口には大きな 掲示板があり、地域の広報新聞や県や市の施設で行われるイベントや講演の インフォメーションが目立つように張り出されている。そして、私はその中にオペラ公演 のポスターを見つけた。日本の劇団の公演で、真紅に近い朱色の背景のポスターの中 には、修道服に身を包んだ女性たちが聖水に映る黄色い太陽を眺めていているその横 に、大きく主人公と思われる女優が悲しみに顔を歪めているカットがあった。私は、 派手な化粧をしたその日本人女優の名は知らなかった。ただ、「黄色い太陽」という 言葉に目が留まった。 イタリア貴族の生まれであるアンジェリカは恋をして、婚外でひとりの男の子を宿した ことで、出産後にはその罪を問われ、愛する子供と引き離されて修道院に身を潜める ことになった。 ある日、美しく花の咲き乱れる庭で、聖水盤に太陽が黄色く映って輝くのを見つけた 修道女たちは「奇蹟が起こるしるしに違いない」と言って、自分たちの願いを黄色い太陽 にこめた。 「アンジェリカは何をお願いするの」という仲間からの問いに、彼女は、「私は願いなど ありません」と答える。過去の秘密を背負って、散りゆく葉をただなす術もなく待つだけ プラタナスの老木のように生きていたし、これからも彼女の人生は変わることなく続く はずだった。 その日、修道院の前につけられた豪華な馬車から降りてきたのはアンジェリカの伯母 だった。数十年前から、亡くなったアンジェリカの両親の遺産を管理していたが、 アンジェリカの妹が結婚をすることになったからと、アンジェリカがもらうはずだった親の 遺産を全て放棄させて妹に持たせようと、証書にサインを書かせるために修道院を 訪ねてきたのだった。 アンジェリカは快くサインをするが、一族の恥さらしであるアンジェリカのことをよく 思っていない伯母は、手放した息子の安否を尋ねるアンジェリカに、息子はとうの昔に 流行り病で亡くなったと冷たく告げる。 愛する子が亡くなったのを知ったアンジェリカは、絶望のあまり自らの命を絶つべく 毒薬を飲み干す。しかし薄れゆく意識の中で、自殺を戒める神の教えに背いた事に 深い罪の意識に目覚め、聖母マリアに悲痛な思いで許しを請う。すると遠くから天使 たちの声が聞こえて奇跡が起こる。修道院が光に包まれて、アンジェリカの子供を 抱いた聖母マリアが現われ、その子を死に逝くアンジェリカの方に押しやると、その胸に わが子を抱いたアンジェリカは幸せそう静かに息を引き取った。 子供の頃、真っ白い画用紙の上に、黄色い太陽を描いた記憶がある。すると先生は、 「他の人は太陽を赤く書いていますよ。あなたも赤く書いてみましょうね」と言って、私に 赤いクレヨンを握らせた。 自分以外のみんなには太陽は赤く見えているのだ。 太陽が黄色く見える自分はきっと周りの人とは違っていて、 もしかしたら、どこかが変なのかもしれない。 心の中でそう思いながら、誰に訊ねることも確認することもなく、いくつもの誕生日を やり過ごし、時が経つにつれて、いつしか私は黄色い太陽のことを考えることもなく なっていった。子供の頃にはよくあることだ。ただ、あの時私はまだ知らなかった。 思い出は消えることなく身体の中に蓄積して、その人格を作り出す。時として古びた 思い出はどこからか顔を出して、心を少なからず揺るがす存在になる。たとえば静かな 湖の底で古い土砂が幾年もの間揺れ動くことなく沈殿し、地上にいる誰の目にも 留まらずに忘れ去られたとしても、いつか舞い上がって透明な水を濁すことがある かもしれないというように。そうして私は十三歳になった。 もう忘れたはずだった「黄色い太陽」という文字を図書館のポスターの中に見つけた 時、色の褪せた古い記憶がふつふつとよみがえった。身体の奥底に沈殿していた光景 がよみがえり、光のさす水面に向かってゆっくりと浮上しようとしてもがいた。 私が見た「黄色い太陽」は奇蹟のしるし? その日、図書館を出てからも、ポスターの画像が心に残り、聖水盤の中に浮かぶ 黄色い太陽は私の頭の中から忘れることができなかった。 つづく
June 12, 2008
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海のある街に長く住んでいるというのに、なぜかこの街では潮の香りを感じることが あまりない。大型船の石油のにおいがするほうが、何となくこの街の海に似合っている と私は思う。風が運んでくる湿った空気の中に、潮の香りを感じると、「ああ、私は 海のある街に住んでいるのだ」と思い出す。 学生時代、祖母の家に向かう坂をのぼりながら、遠くに見える外国船とクレーンの 並ぶ臨海地区の光景が好きだった。薄ぼけた空色の空間にゆっくりと吸い込まれて いく煙は軽いのか、重たいのか。港に浮かぶ巨大な船は動いているのか泊まって いるのか。滑るように空をゆく、白い羽を持たぬ鳥の名はいったいなんというのだろう か。そんなことを考えながら、学校帰りの道を進むと次第に人影がまばらになる。 洋館の脇にある大きな木の下の柵に寄りかかって港全体を見下して、変わらない風景 を記憶のどこかに刻み込む作業を、私は繰り返すことが私の学生時代の日課の ひとつだった。 思い出が積み重なって私を創った。忘れたはずの出来事も、ぼやけてしまった光景 も、今なら私ははっきりと思い出すことができる。アルバムのページを一枚、また一枚 めくるように。そして、モノクロームの写真にも私は色をつける作業を続けるように人生 を過ごそうと思う。思い出は、若葉が息吹く様子をスローミーションで見るように動き 出す。 山下通りに沿って植えられた木々の間から、イルミネーションに飾られた氷川丸が 煌々と光を放つように静かな海に浮かんでいるのがみえる。潮風に揺れる髪を掻き あげて、久しぶりの横浜の港の香りを身体いっぱいに受けた。かつて丘の上から見た 風景は目の前で広がり、紺色の制服を疎ましく思っていた私ではなく、タイトなパンツ スーツに身を包む私がいる。神奈川県立音楽堂の階段を下りながら、私はいまだ 冷めやらぬ興奮を感じていた。姉の果歩は私ほどではないにしても、今日のオペラは 素晴らしかったという思いは同じように感じている様子だった。 「果歩、今日は付き合ってくれてありがとね」 「うん。でも、来てよかったよ。オペラなんて観るのは初めてだったけど、結構よかった。 琉夏が言うだけのことはある。すごく感動した」 「そっか。よかった。でも、果歩の感動は・・・私ほどではではないだろうけどね」 「なに、その言い方。まるで私がオペラを理解できていないような言いぐさじゃない」 「そんなこと言ってない。まあ、美味しいお酒でも飲んで機嫌直してよ」 「もちろん。お約束どおり美味しいワインでも飲ませていただきましょうか」 「りょうかい。ドルチェでいい?」 私が、このオペラがここで上演されることを知ったのは、二ヶ月ほど前のことだった。 ひとりで行ったライブコンサートの入り口で、開演までの時間をひとりふらふらと歩き ながらロビーで費やしていた。上演予定のパンフレットのラックを眺めているとき、この イタリアオペラの横浜公演の広告を見つけた。 オペラなど観たことがないし、「二十六歳にもなって」と思うのだが、やはり初めての オペラをひとりで観にいくには少々敷居がたかい。一緒に観にいってくれるような友人 も思い当たらなかったので仕方なく果歩を誘った。「オペラなんて・・・」という姉に、 「プッチーニだよ、知ってるでしょ」と言って、美味しいお酒をおごるからと付け加えて、 今日ここにふたりでやって来ることになった。 一度は観てみたい作品だった。たぶん果歩もその理由を薄々気がついていたのかも しれない。何も言いはしなかったが、だからこそ私に付き合ってくれたのだろうと思う。 山下公園から中華街に向かってしばらく歩くと細い路地がある。古い家屋が並ぶ細い 道で、観光客の目に留まることはあまりない。見つけにくいその場所にある「ドルチェ」 という名の店は、私が学生の時にアルバイトをしていた店だった。古びた木製のドアを 入ると、中はカウンターのあるだけの隠れ家のような店で、二十年以上も昔からこの 場所にある。外国人客も多く、なんとなくイギリスのパブのような雰囲気だ。オーナーの 前島はすでに六十近く、今では頭だけでなく、ひげにまで白髪が多く目立つ。 「いらっしゃい」 「こんばんは。奥、いい?」 「めずらしいね。ふたり揃っておしゃれして」 「今日は、果歩とそこでオペラ観てきたの」 「へぇー、琉夏にオペラ鑑賞の趣味があるとは知らなかった。優雅だねー」 「優雅じゃないって。マスター、知ってるでしょ。私の本性。ただ、ずっと観てみたいと 思っていたものが上演されるって聞いたから、今日は特別よ」 「へー、オペラにあこがれる琉夏ねー。考えたこともなかったけど、ま、いいんじゃない。 で、果歩ちゃんもあこがれてたってわけ?」 「それが、ぜんぜん。今日はおごってもらえるってことで、琉夏に付き合ったんですよ」 「やっぱり・・・。 で、琉夏、あこがれのオペラとやらは楽しかったかい」 「もちろん。黄色い太陽は奇蹟が起こるしるしだって。そのシーンを観ただけでも感激 だったよ」 黄色い太陽 その言葉が、私の口からでた瞬間に前島の表情が消えて、「ああ、そうか」と小さく 呟いた。 「やだ、そんな顔しないで。私の写真展が来月開かれるでしょ? その前に見ておき たかったのよ。黄色い太陽は奇蹟のしるしってやつ」 「黄色い太陽って?」 そう言ってグラスを磨く手を止めて訊いてきたのは佐々木比呂だった。二年ほど前から この店で働いているのに、彼が口を利いているのをあまり見たことがない。有名大学の 経済学部を卒業した後、勤めていた会社を辞めて調理師の免許を取り、挙句の果てが 「ドルチェ」のバーテンダーをいう変わった経歴の持ち主だった。 「ああ、佐々木君は知らなかったっけ。私の黄色い太陽にね、蓮が命を吹き込んで くれたの」 「蓮って、あの写真の?」 そう言って佐々木は、壁にある写真に目をやった。 つづく
June 11, 2008
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海のある街に長く住んでいるというのに、 なぜかこの街では潮の香りを感じることがあまりない。 大型船の石油のにおいがするほうが、 何となくこの街の海に似合っていると私は思う。 風が運んでくる湿った空気の中に潮の香りを感じると、 「ああ、私は海のある街に住んでいるのだ」と思い出す。 学生時代、祖母の家に向かう坂をのぼりながら、 遠くに見える外国船とクレーンの並ぶ臨海地区の光景が好きだった。 薄ぼけた空色の空間にゆっくりと吸い込まれていく煙は軽いのか重いのか。 港に浮かぶ巨大な船は動いているのか泊まっているのか。 滑るように空をゆく、白い羽を持たぬ鳥の名はいったいなんというのだろうか。 そんなことを考えながら、学校帰りの道を進むと次第に人影がまばらになる。 洋館の脇にある大きな木の下の柵に寄りかかって港全体を見下して、 変わらない風景を記憶のどこかに刻み込む作業を繰り返すことが 私の学生時代の日課のひとつだった。 思い出が積み重なって私を創った。 忘れたはずの出来事も、ぼやけてしまった光景も、 今なら私ははっきりと思い出すことができる。 アルバムのページを一枚、また一枚とめくるように。 そして、モノクロームの写真にも色をつける作業を続けるように 私は人生を過ごそうと思う。 思い出は、若葉が息吹く様子をスローモーションで見るように動き出す。 * * * お久しぶりでございます。 こんな感じで始まるお話をただ今書いております。 続きを公開するのはいつになるか・・・それは私にも判りません^^;
May 31, 2008
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昨日は江ノ島に散歩に行ってきました。鎌倉から江ノ電に乗り換えて。 車中、湘南の海を眺めながらひとりのんびりぽかぽか日和を満喫。駅に着いて、600mあまりの橋を渡って、いざ江ノ島へ。みやげ物のある細い通りをとおって江ノ島神社へ。その後、展望台を目指し階段を登る登る・・・ 階段はきついけれど、途中、すてきな景色も見られました。 本当は島の反対側から海を見たかったのだけど時間がなかったので、展望台で断念。こーんな景色やこーんな景色を楽しみながら白玉小豆生クリームクレープ(!)を買ってさーて食べよ・・・と思って上の紙をちりちりと破いていたら「きゃっ!!」気がついたら手から私のクレープちゃんがなくなってる!!!!!!な、なぬ~~~~~~と思ったら、トビが私のクレープに突進したよう。飛び去るトビと柵の向こうに落ちた私のクレープちゃん。まったく口にすることもなく・・・ みんなの注目を浴びちゃいましたよ。すごく恥ずかしかったー。たとえば駅で転んでスカートがめくれてしまった時のように・・・後ろの子供は「ぼくみたよ! 鳥がクレープとっていくとこ、ぼく見たよ!」と超興奮状態で騒いでる。そのお母さんが「大丈夫ですか?」と聞いてくれたので少し救われました。 その後、気を取り直して、近くのお茶屋さんでお汁粉食べました。私、負けないのだ!お腹もあったかーくなって、帰途に着きました。 湘南も悪くない。短い時間だったけれど、気持ちいい散歩を楽しむことができました。
January 20, 2008
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横浜日本大通の銀杏もだいぶ色づいてきました。 休日、ひとり時間を持て余した私は、たまには別のところを散歩しようか・・・と インターネットを検索していたところ、「イタリア山庭園」の銀杏がきれいだと 載っていたので、早速散歩に出かけました。 JR石川町駅から元町方面に向かって歩いてほんの10数メートルの角を右へ。 「大丸谷坂」という名の坂を上りきると、右手にあるのが「イタリア山庭園」 入り口正面に建っているのが「外交官の家」 1880年から1886年くらいまで この近くにはイタリア領事館があり、庭園内には現在はこの「外交官の家」と 「ブラフ18番館」が建っている。 室内も無料で見学できるのはイギリス館と同じ。 家具や調度品も当時使われていたもののようで、味がある素敵な家具ばかりでした。 そして、窓からは黄色く色づいた大きな銀杏の木も・・・。 ぽかぽかのサンルームから青い空に映える銀杏の木をひとしきり眺めて のんびりした後、庭園のほうへ降りてみました。 日当たりのいい広々とした庭園には、色とりどりの花もみられました。 だいぶ寒くなったのにね。 がんばってるー ^^; 庭園から眺める風景は関内、山下公園方面。 昔、ここに住んでいた人たちは、 いったいどんな風景をみていたのだろう・・・なんて考えてしまいました。 庭園を東側に少し下がると、「ブラフ18番館」があります。 ここは、しろとグリーンを基調として、ちょっとかわいい雰囲気の洋館です。 歩いていたら、「2時からサロンコンサート始まります」の看板を見つけました。 この日は、ハーモニカの演奏でした。 ハーモニカ・・・っていうと、50年代 夕暮れの街角、懐かしい、ちょっとセンチメンタル・・・なんていうイメージが わいてのですが、聴いてみてびっくり!! そのテクニックにびっくり!! 60歳を過ぎた男性のように見えましたが、ハーモニカ教室の先生だそうです。 写真じゃよく見えませんが、これはハーモニカを二つを使って演奏して います。 高音を出すときには、もうひとつ。 最大3つのハーモニカを 使って、歌謡曲やシャンソンを聴かせてくれました。 エディット・ピアフの 「パダン・パダン」 シャンソン好きな私は大満足でした。 それにしても、普通に音階と伴奏を一緒に吹く・・・。 見ている私は、彼が 倒れるのではないかと心配してしまいましたが、全く息が上がっている 様子はありませんでした。 サロンコンサートは毎週土曜日にやっているようです。 興味のある方は、行ってみてください。 MM地区や元町、中華街あたりの混雑を考えると、結構、穴場かも。 普通の平日なら、もっと静かに散歩できると思います。
November 25, 2007
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昨日は少し時間ができたので、久々に横浜散歩してきました。 歩いた場所は、相も変わらず本牧から関内まで。 横浜山下公園を過ぎて、シルクセンター前、大桟橋入り口付近の交差点。 100年ちょっと前には、ここは浜辺になっていて「日米和親条約」が結ばれた場所。 横浜村、と呼ばれていた小さな漁村の、それもまた村はずれ・・・だった場所が、 今ではこんなに有名な場所になりました。 本当にいい天気。 散歩日和。 この季節、多くのアマチュア芸術家が横浜の風景を描いている姿が見られます。 横浜キングの塔と呼ばれる神奈川県庁。 海岸通りから日本大通りに曲がった ところにあります。 日本大通りは横浜スタジアムから海岸の方向に向かって まっすぐに続く路。 これからの時期は色づく銀杏の木がとても美しい。 私の 大好きな場所です。 夜の散歩は特にいい・・・。 私の場合、ひとりで歩くことが 多いけど、やはり大好きな人を一緒に歩かれることをお勧めいたします ^^; どちらの芸術家さんがお作りになったかは存じませんが、以前は小さな店の 入り口に座っていた「白い人」(私が名付けた・・・)は日本大通りにお引越し。 で、帽子までかぶっていました。 この日のランチは「ZAIM」にて。 天井が高く、壁はコンクリートやレンガが そのままの状態。 外にいるんだか、ベランダにいるんだか・・・。 でも、お気に入りの 場所なのです。 雰囲気とちょっとずれてる気もするけれど、私が食べたのは お魚定食で700円。 その後は、ソファ(これ、ほんとうにうちのソファの感覚!)で、 コーヒーを飲みながら、本を読みました。 最近、なぜかお医者さんの書いた本を読むことが多い。 これも、姫野友美さん という精神科医が書いた本。 本当は男の方向けに書いた本らしい・・・。 でも、 面白かった。 この日のうちに一気に読み終わってしまいました。 ただ今、読書週間(勝手に私が決めた!)にひたっています。 今回は、たぶんまだ止まらない。 ものを書いて外に出す・・・というより、本を読んで 内へ内へと向かっている。 ま、こんな時もありますがな・・・と、静かにそんな時を 過ごすあいちゃんなのです。 (^∀^)ノ
November 14, 2007
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さて、最後の夜ですが・・・私が何事もなく平穏な一日を過ごし、「楽しかったねー」を 連発・・・(ほんとお気楽なのです)。 しかし、友人は呆れ顔「もー。 あいちゃんったら 明日はシャルル・ド・ゴール空港からフランクフルト。 そこからJAL機に乗り換え なきゃいけないんだよ。 せめてJAL機に乗るまで気をぬかないでね!」 と一喝 された。 へーい・・・^^; ってことで、彼女のご指導の下、私たちはド・ゴール空港での 乗り場を調べだした。 なんたって、ド・ゴール空港は広い。 ターミナルを間違えると 乗る予定の飛行機に乗り遅れる言だってあるかもしれない。 ガイドブックと旅行会社 からもらった日程表を見比べながら乗り場を確認する・・・のは友人の役目? へへ。 私は、「~だよね」と訊かれるたびに、「うんうん」「そうそう」と言っている。 ・・・だって、 彼女が調べるといつもすばやくて、的確なんだもの! でも、乗り場がね・・・どこにもかいていないんですよ。 どうしましょ。 どこで聞けば いいのでしょう??? なーんて思っているところに一本の電話。 「アロー」と あいちゃんは答えた・・・のはいいけれど、私、パリに電話をくれるような知り合いは いないんですけど・・・^^ 「アロー。 こちらはエア・フランスでごさいます。 明日○○さまがお乗りになる予定 の、AF2418はキャンセルになりました。」 「はい???」 (なんて言った? まさか飛行機がキャンセルになったなんて言わなかったよね?) 「代わりに別の便を手配させていただきました。 お乗りになる飛行機は・・・」 待って、待って、今メモを取るから・・・もう一度確認させて! ついでに、訊きたい 事がある。 その飛行機っていったいどこのターミナルから出発するの? もう英語の嵐に巻き込まれてしまいました。 相手の方は「Take time!」とは 言ってくれたけれど、急いでいる感じはこちらにも伝わってくる。 きっと、乗客に 連絡しまくっているのだろう。 は~~~~~~ まさかラストナイトまで、こんなことになってしまうとは・・・。 と言いながら、訊きたい ことは全部聞けた。 電話を切った後、友人に全てを話すと、「よかったんじゃない?」 乗るターミナルもわかったし、ちょうど飛行場の話をしている時でよかったね・・・」と。 うん、まあ、良かったのかもしれない。 早速、フロントに下りていって翌日のリムジン のお迎えの時間を変更してもらいました。 そして、私たちは心置きなく美味しい夕食にありつきました。 マグロのステーキと牡蠣・・・とワイン。 メトロの入り口のすぐ近くのビストロで。 あー、最後の夜は過ぎてゆく・・・。 荷物のパッキンもほぼ終わったし、あとは 日本に帰るだけだ・・・。 「あいちゃん! 明日は朝早く起きて、シャンゼリゼ通りまでお土産を買いに いくわよ!」 え~~~、マジですか? へい、へい、 私はどこまでもあなたに ついて行きまっす。 翌日は本当に朝、シャンゼリゼまで行きました。 「MONOPRIX」に行くために! 「モノプリ」ってフランス版ユニクロって存在です。 ただ、洋服だけでなく、化粧品も 食品もある。 ちょっとしたお土産を買うにはいいかもしれない。 とにかく値段は 他に比べるとかなり安いですから・・・^^; 時間を変更したリムジンが迎えに来るのは2時。 で、私たちは12時くらいに ホテルに戻ったのですが、フロントを通ると、なにやらスタッフの女性が電話口で パニクっている。 「 &5*3#!9+@・・・いしだ・・・」 え? 私の名前じゃん! 「それ、私! 私、石田です」 「あー、あなたたちの乗る飛行機が大変なことに なってるのよ。 あなた、日本語話せる?」 ・・・おいおい、いくらパニックになって いるからって、日本から日本のツアーで来ているんだから、日本語が話せないはず ないでしょう^^; で、友人が電話にでたら、私たちの乗る飛行機がキャンセルになったという。 おいおい、またかい? と思っていたら、昨日の話のままだった。 その話なら、 全て機能のうちに聞いてリムジンの時間も変更済みです。 あまりの友人の 冷静な対応にきっと旅行会社の人のほうが驚いたかもしれません。 フロントに いたスタッフの人もね。 迎えが来る時間まで2時間近くあったので、私たちは部屋でのんびり・・・ところが、 フロントから迎えのリムジンが来たとの連絡。 は? 予定より一時間も早く? でも、スタッフが「早く、早く」というので、数分で下りて行くから・・・と電話を切った。 下に下りてチェックアウトの手続きをしようとしたら「そんなのいいから、ビ!ビ!」 というので、遠慮なくそのままホテルを退散させていただくことにした。 結構、電話 使ったんだけど・・・タダになっちゃった! えへ♪ そんなこんなで、ドッタンバッタン大騒ぎ。 ストに当たって、アクシデントに当たって 好天気に当たって・・・の大当たりの旅は終了いたしました。 フランクフルトての 乗り継ぎ? うん。 うまくいった・・・かどうかはわからないけれど、無事JAL機の 搭乗して、やっとぐっすり眠ることができました。 これが今回最後の写真。 フランクフルトの空港で。 夕日、とってもきれいでした。 もう一度、フランスに行きたい! 石田あい (^∀^)ノ
November 3, 2007
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パリ3日目はベルサイユ宮殿へ行きました。 2004年から始まった「鏡の間」の 修繕も終了し、今年の5月から一般公開が再開されたと聞いたので。 メトロ9番で 終点まで行き、171番バスに乗り換えて終点まで。 地図でみると遠いように感じた けれど、一時間もかかりませんでした。 横浜から皇居へ・・・ってくらいでしょうか。 門を入ると「ベルサイユのばら」の世界♪ パリの街中とは違う、本物の石畳って 感じ。 でもね、ここに来ているのは、観光客ばかり。 みんな、か・な・り、うろうろ しています。 案内地図はどこでもらうの? 入場券はどこで買うの? みたいな・・・。 入場券は門を入って左の建物の中で買いましょう。 長だの列が目に入るので、 そこに並べばいいだけです。 ただ、入場料金のシステムがちょっと変わっている ようで・・・詳しくは「ベルサイユ宮殿公式サイト」で(日本語でも見られます)。 この石畳です。 何となく、ドレスを身にまとった人が歩いている姿や、馬車の音を感じませんか? 私・・・感じちゃったんだな・・・これが。 私たちの買った入場券は20ユーロで、日本語ガイドイヤホン付きってやつでした。 これ、結構、いいです! パンフレットはイヤホンをもらった場所のすぐ近くで ゲット出来ました。 ほんと不思議なんです。 ここはまさに本物なのです。 どこを見ても、ドレスの 衣擦れの音が聞こえてきそう。 そして、やはり、鏡の間は圧巻でした。 やはり、観光客の数は半端じゃないでしょ? みーんな私と同じ、おのぼりさんです ^^; 私はつくづく晴女だと思いました。 日本でヤフーフランスで天気を調べていた時は ずーっと曇り続きだったんです。 でも、この日の天気ときたら、ぴーかんでした。 宮殿の外には、ひろー^い庭園があるのですが、これもまた、映画に出てきそうな。 天気のいい日に散歩するにはもってこいです。 庭園はものすごく広い。 奥のほうには、もうひとつ宮殿があるそうですが、そちらには今回はいきませんでした。 その広さったら・・・どんだけ~~~! ひとつだけ不思議に思ったのは・・・この庭園の中で短パンとTシャツでジョギング している人を何度か見かけた・・・、入場券を支払ってまで、この庭園でジョギング?? ってことはないでしょうが、たぶんスタッフの方のお昼休みのレクでしょう・・・日本じゃ ありえないよな・・・って思うけど。 帰りは久しぶりにトラブルもなく、スムースにホテルに戻りました。 いいよね。 穏やかで・・・なんて思っていたら大間違い。 最後に極めつけの問題が発生 いたしました。 私たち、無事に日本に帰れるの??? と思ってしまった ラストナイトなのです。
November 2, 2007
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