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マリィのつぶやき
一大事と申すは、今日ただ今の心なり
一大事と申すは、今日ただ今の心なり
吾れ世の人と云ふに,
一日暮らしといふを工夫せしより,
精神すこやかにして,又養生の要を得たり.
如何ほどの苦しみにても,一日と思へば堪へ易し.
楽しみも亦(また),一日と思へば耽(ふけ)ることあるまじ.
一日一日と思へば,退屈はあるまじ.
一日一日をつとむれば,百年千年もつとめやすし.
一大事と申すは,今日只今の心なり.
--- 正受老人集
坐して死す
末後の一句
死,急にして,道(い)い難し
無言の言を言とす.
道(い)わじ道わじ
雪の街深く存在する歴史的文化遺産 正受庵
歴史に疎く非読書家の私にとってこの町の最大の文化遺産について語るのは大変に難しいことです。
しかしそんな私がちょっと勉強してみたので簡単ですがご案内していきましょう、、、
<正受(しょうじゅ)とは誰?>
「正受庵:しょうじゅあん」は臨済宗の傑僧、道鏡恵端禅師(正受老人)が晩年まで、ひたすら座禅三昧に暮らし、後年いわゆる臨済宗の「中興の祖」といわれる白隠禅師が座禅修行した小庵です。
正受老人は名を 慧端(えたん) といい、松代藩主真田信之(幸村の兄)の子。
大阪冬の陣ならびに夏の陣で大活躍した真田幸村の甥にあたり、故あって母は飯山藩主松平家に預けられ、産声は飯山城内であげたといいます。
じつは正受は、信之が満76歳のときに側女との間に「間違って」生れてきた子供だということで、ゆえに真田家の家系図には載せられていないし、母李雪の素性もはっきりしないとうことらしい。
慧端(えたん)は至道無難禅師の弟子です。
正受庵はその至道無難禅師の寺、江戸(麻布)の至道庵とともに江戸期の「天下の三庵」に数えられています。(もうひとつは犬山の輝東庵)
飯山藩主松平公が北信随一の寺院建立の寄進を申し出たとき、正受老人は「出家は三衣一鉢で事足れり。民の富を奪って何の利益がある。」とまあ要するにお金は市民のために使ってくださいと固辞し、寺院の代わりに水石と七株の栂(一位の木)を拝領した。正受庵第一の宝物である。
水戸光圀公が「是非水戸藩へ」との誘いも断るなどという話もありますように、正受老人には地位も名誉も無用のものであった。
このページの下方に説明と写真あり
http://www.geocities.jp/tatuo572/p52a.htm
正受庵の石段を登ったところにいた蝶
白隠蹴落し坂
正受老人の弟子には臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師がいます。
調べたところによりますと白隠は静岡県沼津の生まれで15歳の時に出家しています。
若く自信に満ち溢れていたときに信州から来た禅師の案内で飯山まで来ました、正受老人に会うためにです。
ところが白隠はこんな粗末なところに住んでいるものはろくなものじゃないと思ってしまいます。
そのことが分かってしまったからか白隠と会った正受老人は「お前が学んだものではなく実際に見たものは?」と問うと「そんなものがあったら吐き出しますよ」と答え、それでは吐けと言われるとげぇっと吐くまねをしたのだそうです。
正受老人は白隠に「お前のようなものは一人で悟ったと思っているくそ坊主だ」といって怒鳴りつけたり蹴ったりしたというのだ。
そこで白隠は8ヶ月間正受老人にスパルタ式禅の指導を受けました。
この白隠と正受老人のやり取りはなかなか面白い話ですがはしょります。
あるとき白隠は飯山の街中を托鉢して歩いていたそうですが、はたと悟ったということです。
その場所がどこだか分かれば面白いのですが、、、
島崎藤村にして「小京都」といわしめた飯山の町並み
おっと、、まだ続きます、この話
追記
道鏡慧端(正受老人)は寛永19年(1642)の生まれだそうです。
最近映画「阿弥陀堂だより」でこの庵が使われました。
しかし私の感じとしましては町の人にこの正受庵は忘れ去られています。
そして藤村の「破戒」の主人公が飯山小学校の先生だったこと、藤村はここらあたりのことを部落差別が激しいところとして描いている、というようなことも、今となっては・・・
さてさて、、、ところがこの正受庵はそのまま大きくはならずに結局住むものもないままに荒れ果て忘れ去られていってしまいます。
山岡鉄舟が明治天皇が長野に来た時に随行していて正受庵が廃寺になったことを知りますと正受老人のことを知っていた彼は兄の泥舟と一緒に長野県や国に復興を働きかけたということです。
調査のために訪れた泥舟が屋根裏などから正受老人の辞世句などを見つけました。
鉄舟は自身の書いた書などを売って資金を作ったということです。
明治初年正受庵再興のために飯山を訪れた時に滞在した大聖寺には、彼の雄渾な筆跡が残っています。
現在は
鉄舟の御安心処とネーミングされた公衆トイレ(!)
がその名を残すばかりです・・・
一大事と申すは、今日ただ今の心なり
吾れ世の人と云ふに,
一日暮らしといふを工夫せしより,
精神すこやかにして,又養生の要を得たり.
如何ほどの苦しみにても,一日と思へば堪へ易し.
楽しみも亦(また),一日と思へば耽(ふけ)ることあるまじ.
一日一日と思へば,退屈はあるまじ.
一日一日をつとむれば,百年千年もつとめやすし.
一大事と申すは,今日只今の心なり.
--- 正受老人集
坐して死す
末後の一句
死,急にして,道(い)い難し
無言の言を言とす.
道(い)わじ道わじ
正受庵は修繕する予定だったということですが先の中越地震で随所に被害があり結局修理復元することになったのです。
たまたま店にその復元に携わる復元専門の宮大工の方がお見えになり、食べ終えたボンゴレのパスタの皿を前に正受庵の事を聞きました。
市はお金がないので工事は時間がかかるそうです。
完成は来年ということです。
私がこの庵を知ったのは実はフランス人エリックのおかげです
実をいえば私もこの街に住んでいながら正受庵の事はよく知りませんでした。
フランス人の知り合いエリックに「禅」のはなしを聞いてから調べたりしたのです。
それまでは町の中の単なる1軒の寺に過ぎませんでした。
以前の我が家の前には小さい弓道場がありそこに弓道の修行をしに来たエリックと出会いました。
飯山にはちょっと有名な弓の師範がいるのです。
彼は言いました。
「キュウドウハリツゼン」(弓道は立禅・・・いわゆる立ってする禅だということです)
寺の街雪の街飯山に「禅」をしに来てみませんか。
正受庵で座禅を組むもよし。
しかし私はゆっくり歩く「散歩禅」をおすすめします・・・
石の上にさくらの落葉堆し正受老人ねむりて在す
島木赤彦 昭和40年 長野県飯山市飯山 正受庵にて
臨済宗の傑僧、道鏡恵端禅師(正受老人)がその上でいつも座禅をしていたという
座禅石
正受庵は今もひっそりと佇み時には禅を組む人を広く受け入れています。
(今は残念ながら工事中だけど)
正受庵の観光案内はひとまずこれにて・・・
<蛇足>
友達が街の和菓子屋さんで
「正受庵」という名前のお菓子
を作っています。
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