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エア(ブログ管理人)

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2017.12.07
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カテゴリ: 芸能・エンタメ
曲芸師・海老一染之助さんが肺炎で亡くなりました。享年83歳。

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ご冥福をお祈り致します。



 傘の上でまりや升を回す芸で知られる伝統芸能「太神楽(だいかぐら)」の曲芸師、海老一染之助(えびいち・そめのすけ、本名村井正親=むらい・まさちか)さんが6日午前11時31分、肺炎のため都内の病院で死去した。83歳。東京都出身。兄で相方の染太郎さん(享年70)を2002年に亡くし、数年は1人で活動したが、最近は体調不良で入退院を繰り返していた。
 正月の顔として愛された名芸人が年の瀬にこの世を去った。
 三男でテレビ東京報道局次長の村井正信さん(50)によると、染之助さんは病気を患っていなかったが、ここ2、3年は体調が優れず、入退院を繰り返していた。6日朝、入院先の東京都杉並区の病院で容体が急変。家族が急行したが間に合わず、最期をみとることはできなかったという。葬儀・告別式や喪主は未定。
 兄弟コンビ「染之助・染太郎」として人気を博した。兄の染太郎さんが「おめでとうございまーす」「いつもより余計に回しております」とはやす声に合わせて、染之助さんが軽快に傘を回す芸は、正月の風物詩のように親しまれた。
 染之助さんは、02年2月に染太郎さんを亡くして以降、しばらく1人で活動。70代後半になって仕事をリタイアし、妻と都内の自宅で暮らしていた。正信さんは「以前から体を使う仕事をしていましたので、年を取ってからは店じまいをして静かに暮らしていました」と明かした。
 1945年、二代目海老一海老蔵に入門して、染太郎さんとコンビを結成。東京・新宿の末広亭などの寄席や正月のテレビの演芸番組に出演し、お茶の間の人気者となった。
 染之助さんが曲芸の8割ほどを担い、染太郎さんは“口芸”専門だった。染之助さんが親指と人さし指で丸をつくって「弟は肉体労働、兄は頭脳労働。これで(ギャラは)同じ」と言い放つギャグでも観客を笑わせた。
 けんかが多い兄弟だったが、染太郎さんの通夜で染之助さんは「僕が世間に知られるようになったのは兄のおかげ」と遺影に頭を下げた。初舞台から苦楽をともにしてきただけに、兄あっての芸ということもよく分かっていた。

引用
海老一染之助さん死去 83歳「ミスター正月」兄弟で傘回し芸- 記事詳細|Infoseekニュース
 傘の上でまりや升を回す芸で知られる伝統芸能「太神楽(だいかぐら)」の曲芸師、海老一染之助(えびいち・そめのすけ、本名村井正親=むらい・まさちか)さんが6日午前11時31分、肺炎のため都内の病院で死去した。83歳。東京都出身。兄で相方の染太郎さん(享年70)を2002年に亡くし、数年は1人で活動し…




 私も昔は正月番組で彼らの芸を見ていました。あと、学校でも笠回しをしている人がいましたね。
 この様な訃報が流れると、何だか寂しいです。ご冥福をお祈り致します。






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最終更新日  2017.12.07 15:37:44
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