アロハ野郎のRun & Ukulele Blog

初ウルトラマラソン *完走記*





◆プロローグ

こんなに不安を抱えてのレース参加は始めてだった ……

ウルトラマラソン出場の為に、増やした練習で痛めた膝が完治していない不安。
その膝痛で思うように練習をこなせなかった不安。
それに100キロと言う未知な距離に対する不安、実際42キロ以上走った事が無い。
今までも始めてホノルルマラソンに出場した時や記録を狙った大会など、
不安な気持ちが高ぶった事は有るが今回は特に不安と緊張で一杯だった。

そもそも、100キロウルトラマラソンに出場する事を決めたのは
日頃通うスポーツクラブでの場当たり的な何気ない会話からだった。

ただ、出場を決めてからは、レースの中で確かめたい事がいくつか生まれていた。
1つ目はやはり、100キロの過程の中で自分自身がどこまでチャレンジできるか?

もう1つは、自分の走っている理由が何であるのか?

こんな事を言うと変に思うかもしれないけど、
未だに自分が走る理由がハッキリと見つけられずにいた。

よく人に「何で走っているの?」と聞かれるのだけど、
その度に『健康の為にとか、持久力を付ける為に』等と曖昧な言い方で済ましてきた。
もちろんこの言い方も間違いではなく、ちゃんとした理由の1つ1つなのだけど、
ハッキリと『これだ!』と言うモノがない。 
100キロも走れば何か見つかるかもしれない。
見つかれば、もっとランニングが楽しくなり、楽しさが人に伝えられるかもしれない。
これが見つかるかどうかも不安の大きな1つだった。



◆スタートラインへ

今回、スポーツクラブでランニングの練習を共にしている仲間2人と
チャレンジ富士五湖100キロマラソンに出場した。

1人はMさん。私と同い年だが、練習の鬼で酒もたばこもやらない。
いつも冷静で物静かな人だ。ランニング仲間の師匠的存在で、
フルマラソンも2時間50分台で走る市民トップランナー。
もう1人はK君、いつも陽気で周りを笑わす。たばこは吸うし、私と一緒で酒も毎日、かなり飲む。
但し、走力は素晴らしくフルマラソンを3時間30分台で走りきる35歳。
この2人と前日から現地に入り当日に備えていた。

前日から寒気が西日本から押し寄せ気温も2度を下回り、受付に駆けつけた出場者が皆、口々に寒さを訴えていた。
僕たち3人も足早に受付を済ませ、宿舎に戻り当日5時のスタートに備え、
9時には床に着いていた。(しかし3人とも興奮してか、あまり眠れなかった)

あっと言う間に起床予定の3時になり、重たい体にムチ打ちながら食事(コンビニで買ったおにぎり)を済ませ
スタート会場の富士北麓公園に車で向かう。

会場周辺は夜明け前なのでまだ真っ暗。 会場だけが照明に照らされており、
その明るい場所にどこからともなく、ぞろぞろと集まってくるランナーがいる。
何かその光景が滑稽で、まるで虫に群がるアリンコの様だった。
外に出ると真冬の様な寒さが身体中を襲ってきて、眠気が吹き飛んでいく。
スタートの準備をし、ゲートの近くまで行くと既にスタートを待つランナーが身体を寄せ合ったり、
ストーブの周りで寒さから逃れる様に賑わっていた。

気温0度、日中の最高気温も11度と発表されていた。
風が無ければ走るのには丁度良いコンディションなのだが、
どちらかと言うと、寒いより暑い方が自分には合っている。

カウントダウンが始まり、いよいよスタート! 
4月27日(土)午前5時00分、号砲と共に、未だ暗くてひっそりとした山道に向け走り出して行った。



◆スタート~10キロ

スタートしてすぐは緩やかな登りが続く。 
周りのランナーは皆、ゆっくりと慎重に歩を進めていた。 
フルマラソンとは違い最初から全開で走る人も無く、100キロの距離と
今日の長い一日を楽しもうと、興奮した気持ちを皆抑えている様だ。
僕たち3人は1キロ6分ペース(1時間に10キロ)で50キロまで一緒に走り、
そこからは各自、自分の足と相談したペースで押していく計画を立てていて、
最初の5キロは身体をほぐし、雑談しながら併走していた。

しばらくすると急な下り坂になり、少しペースが上がって来ていた。
下り坂は膝にダメージが大きいので、2人に頼みペースを落として貰った。
気が付くと、徐々にうっすらと明るくなって夜が明けてきていた。
道も平坦になり、山中湖を目指し淡々と歩を進める。
5キロ地点のエイドステーションで水だけ取った。
スプリットタイムは28分29秒、予定より早いタイムだがペースを落とす程では無い。

忍野八海を通り10キロ地点まで冗談を飛ばしながら3人で楽しく走る。
10キロのスプリットは58分42秒、予定通り良いペースだ。



◆10キロ~20キロ

10キロ過ぎにK君が併走から離れる。  トイレタイムだった。
フルマラソンでもよくあるが1度トイレに行くとその後何度も催してくる。
男は良いが女の人は大変だ。
Mさんと2人でゆっくり進み、K君を待つがなかなか追いついて来ない。
しばらくすると山中湖に出ていた。    
澄んだ空気が気持ちよい! 富士山が綺麗に姿を表している。 
こんなシチュエーションで走るのは最高の気分だった。

まだ7時前なのに、湖畔ではバス釣りの人がターボボートの手配をして賑わっていた。 
バス釣りの付き添いに来ていたで有ろう女の人が、僕らを見ながら不思議そうな顔をしていた。  
考えてみれば朝の7時前に、変なゼッケンを付けながら黙々と走っている集団と遭遇したら、誰でも奇妙に感じるかもしれない。

やっとK君が追いついてきた。 しばらく3人で併走していた。  
山中湖の対岸が遠くに霞んで見える。本当にここを1周するのかと思った。
まるでこの1周が100キロぐらい有るのではないかと感じていた。
やがて20キロのエイドに到達していた。  
ここではバナナとチョコレートを手に一杯抱え、走りながら頬張っていた。
20キロスプリットは2時間01分06秒、まずまず。



◆20キロ~30キロ

20キロを過ぎると山中湖畔のサイクリングロードに入っていった。 
いつの間にか風が強くなり、気持ち良いランニングに水を差す。 
ウインドブレイカーを羽織り身体を冷えから守る。 
手袋をしていないK君が寒さで凍えていた。 
ビニールの替えの手袋を持っていたのでK君に貸して上げる。 
寒い時期のランニングは手袋が必需品だ。
冷えは指先から全身に忍び寄ってくるから。
25キロのエイドはパスし、そのまま進む。 25キロのスプリット2時間30分52秒。

予定通りのペースでママの森を過ぎ、山中湖を1周していた。 
山中湖を最後にする時、小学生ぐらいの男の子がハイタッチして来た。
気持ち良かった、元気が湧いてきた。
30キロ地点では上着の脱ぎ捨てが出来るエイドがある。 上着を捨てるか迷っていた。
結局、そのまま走ることにした。また何時寒さが襲ってくるかもしれないし、暑ければ脱いでいればいいことだから。  
30キロのスプリット3時間01分40秒。 
エイドで結構、時間をロスした割には予定より1分40秒しかオーバーしていない。 絶妙な時間配分だった。



◆30キロ~40キロ

30キロのエイドを後にした直後に、穏やかな足音の集まりが乱れた。
僕たち3人のすぐ後を走っていた50歳位の女性が突然、何かに躓き倒れ込み頭から地面に転んでいた。  
「ゴツッ!」鈍い音が3人の足を止めた。
手を貸して起こしてあげると額から血が出ていた。「大丈夫ですか?」
ふらふらした足取りだったが、しっかりした笑顔で
『私は平気!エイドまで戻り少し冷やして行くから進んで下さい。ありがとう』と気を使っていた。 
「無理しないで下さい」と言いながら後ろ髪を引かれる様に手を振って先を急いだ。
それから3人共、しばらく無口になっていた。

山中湖に向かった道を今度は戻り河口湖に向かう。
先ほど走って来た道なのに景色が全然変わっていた。 
車も多くなり、なるべく歩道を走る様に気を使う。

普通マラソン大会はハーフでもフルでも大概は交通規制するので、
車道の真ん中を気兼ねなく走れる(交通規制も時間制限は有るのだが)がウルトラマラソンはそれが無い。
ランナー自身が車に注意し、安全管理をして走らなければならない。
もっともウルトラで交通規制してたら1日中、車は走れなくなってしまう。

35キロのエイドでスポーツドリンク、バナナ、ブドウ糖タブレットなど口に入るだけ放り込む。
食べれる時に食べないと後で身体が動かなくなる。それにお腹が減っていた。
35キロのスプリット3時間31分42秒、予定通りのラップで通過。

ここから国道138号線を河口湖方面に進む。苦手な下り坂が続いている。
自然とペースが上がった時、“異変”に気が付いた。
膝に痛みが出てきた!    とうとう来たか~ 
心配していたが、今まで忘れて気にしていなかった。 どんどん痛みが増してくる。 

隣のK君が、歪めた顔に気が付き 『どうしたの? もしかしてヒザ!』 
僕は頷き「下りだけペースを落とすから先に行って」と2人から離れた。
下りがしばらく続き、平坦な道になるともう2人の姿は見えなくなっていた。

少しペースを上げようとした……  上がらなかった。  

膝だけでなく、2本の足にも疲れが出始めていた。 まだフルの距離にも達していない。

……… 残りの距離を想像した ………  気が遠くなった。 

なるべく膝に負担を掛けない様、足のストライドを短くピッチ走法に切り替える。
少し楽になった。
そういえばお腹が減って来ていた。この先のエイドでおにぎりが用意されてるはずだ。
何か食べればまた元気になるかもしれない。40キロのエイドまで、もうすぐだ。

僕がエイドに着いたと同時にMさん達が走っていった。そんなに離されていない。
少し安心しながら、おにぎりを2個、バナナ2本、チョコレート、オレンジ等、
お腹一杯食べた。水分も充分補給し、ゆっくり走り出す。
40キロのスプリット4時間01分09秒、ペースは落ちていなかった。
この5キロを29分27秒で走っていた。この前の5キロより早い。
下り坂がペースを乱していた。



◆40キロ~50キロ

右手に富士急ハイランドが見える。開園前か人の姿があまり見えない。
今日は連休初日の土曜日だから、沢山の人で賑わうんだろうなと、ぼんやり考えていた。

しばらく走るとフルマラソンの距離、42.195キロ地点に到達していた。
4時間13分12秒。1年前のフルマラソン自己ベストより20分ぐらい早いタイムだ。
つくづく進歩したなと実感した。 
たった1年前はあのタイムでゴールした後、まったく動けなかったのだから。

ここからは未知の世界だ。 東恋路を右折しまっすぐ河口湖に向かう。
左手に宝石の森博物館を通過し、緩やかな登り坂を走る。
何となくだるくなってきた。 
フルの距離を通過してか、気持ちが途切れて来たのか、
さっきから残りの距離ばかり計算している。 
まだフルを通過して2キロも走っていないのに。
まだ半分も走ってないのに。

ようやく河口湖大橋を渡る。河口湖に架かっている大きな橋だ。
橋の中央まで来て少し立ち止まる。 本当に素晴らしい景色だ。 
今日は富士山も良く見えるし、河口湖も綺麗だ。
湖面ではバス釣りをするボートが何隻かたたずみ、ボートの上で若いカップルが
楽しそうにはしゃいでいた。 
あの人達には僕はどんな風に映っているんだろう? 
『何のために苦しそうに走ってるの?』よく聞かれる言葉だ。
走り出しながら自分にも同じ言葉を繰り返していた。
橋の終わりが45キロ地点だった。4時間40分03秒、少しペースが落ちて来ていた。

河口湖美術館を左手に通過し、小さい橋を4つ越える。身体が急に重くなってきた。
痛めていた右膝をかばってか、左足の付け根と脛の前に痛みが出始めて来ていた。
50キロのエイドはレストスティションになっている。着替えも事前に預けてある。
エアーサロンパスも置いてある。早くエイドまで着きたかった。
48キロ位から、50キロのエイドに着いたら何をするか、そればかり復習する様に考えながら走っていた。 
そうしないと身体の痛みが増えてきそうだった。 

やっと50キロに到達! 50キロのスプリット5時間14分53秒、
予定より約15分オーバーしたものの、途中寄ったエイドでのロスを考えれば上出来だ。

早速、レストスティションで痛みが出ている箇所に、エアーサロンパスを惜しげもなく
たっぷりと吹き付ける。
上の長袖シャツを半袖シャツに着替え、ついでに靴下も替える。
足の指や踵、腋の下、股の間の擦れ易い所に、擦れ防止クリームを忘れずにすり込む。
足のマメや腋ズレ、股ズレを起こすと血の滲む様な痛みが襲ってくるからだ。
替えの靴も用意していたが、靴には違和感が無かったので
替えて後悔するよりも、このまま同じ靴で走る事にした。 
トイレも済ませ、バナナやチョコレート、オレンジ等で糖分補給と水をたっぷり飲めるだけ飲み、後半の50キロへと走り出す。
レストで費やした時間、23分02秒。



◆50キロ~60キロ

走り出した途端、身体が全然動かなくなっていた。 
身体中の痛みと言うより、力が湧いて来なかった。 
レストでの休憩で、気力が途切れてしまったのか?
とにかく走れなかった。

よくウルトラマラソンでは、50キロからが本当のスタートだとか、70キロを無難に走り切る事が完走の目安。
と言われるけど、僕はそのスタート段階でもうボロボロだった。

途方に暮れて歩き出していた。 まだ、今来た距離を同じだけ走らなければならない。
『何の為に走っているのか』 『何にそんなにこだわっているのか』 急に弱気になって
走れない言い訳ばかり頭の中で繰り返していた。
もう随分歩いている気がした。
30分いや1時間位、時間が経った様に感じていた。時計を見るのも億劫だった。

その時、後ろから声を掛けられ、ポン!と肩を叩かれた。 「あっ!」……
『どうしたの? 元気ないよ!』 さっき30キロ地点で転んだおばさんだった。
地面にぶつけた額がむらさき色に腫れ上がって痛々しい。でも顔は元気に笑っていた。
「続けていたんですか? おでこ大丈夫ですか?」僕はびっくりした。
『少し休んだからね。もう大丈夫。 せっかく来たのに、このぐらいでリタイアしたらウルトラに出た意味がないわ』
 どう見ても痛そうだった。
多分、自分だったら鏡で顔を見た瞬間、リタイアを決めているだろうな。
「膝に来てしまって。 それに足が全然動かなくなって…」

『それがウルトラマラソンなのよ!みんな誰でも足に来てるわよ。
でもそこから、どこまで出来るかがウルトラの面白い所なのよ』

一緒に歩きながら笑顔で元気付けてくれる。

『さっ、60キロのエイドでうどんがでるよ!食べたらまた元気が出てくるから』
そう言って走り出して行った。     言葉が出なかった……          
なるほど……と思った。  ここで諦めたらいつものフルマラソンと同じだ。
未知の世界になってからがウルトラのチャレンジなのか。 
それを止めたらウルトラに出た意味が無いし、何回チャレンジしても同じ事だ。 
足が痛い事を走れない理由にしている自分が恥ずかしくなった。 
これだけ走っているのだから痛くなって当たり前なのか。
常にベストの状態で走れる補償もないし、環境だって変化する。
雨の時は、寒さで体温が奪われるし、ピーカンの時は、暑くて脱水症状になる事もある。
そんな環境や身体の変化を気にするのではなく、
その中で自分がどこまでチャレンジ出来るかがウルトラマラソンなんだ。 

あのおばさんのウルトラスピリッツに脱帽した。

走る勇気が湧いてきた…… まるでスイッチが入った、おもちゃの様に走り出していた。
時計を見た。 歩き出してから15分しか経っていなかった。

ペースは1キロ7分~7分半に落ちていたが、前に前に着実に進んでいた。
河口湖から西湖に出る道に進む。 くねくねと曲がっている登り坂、
車が唸りを上げながら通り過ぎる。上っていく車がやけに速く感じる。
坂を登ると55キロエイドが有った。 このエイドでは水だけ取り、60キロに急ぐ。
早くうどんが食べてみたい。
55キロのスプリット6時間21分46秒、 かなり落ちていた。

西湖に出るとキャンプ場があちこちに有り、みんなお昼ご飯の用意をしている。
やはり釣りをしている観光客で賑わっているが、時折吹く強い風に震えている。
走っているとあまり感じないが、今日は結構寒いらしい。
キャンプしに来ていた集団が声援をくれた。
中には面白がってる人もいたが、元気づけられた。 
55キロ過ぎから歩くランナーが目立ってきた。 “白い”ゼッケンの人もかなりいる。

富士五湖ウルトラマラソンは距離別に3種目で大会が構成されている。
ビギナーズの77キロ(ゼッケン 緑) ・ レギュラーの100キロ(ゼッケン ピンク)
そしてチャレンジの117キロ(ゼッケン 白)
ビギナーズはコースが基本的に違う(最後の25キロは一緒)。 
レギュラー100キロは山中湖、河口湖、西湖、精進湖を回るコースで、
チャレンジは本栖湖も全部回る。その分17キロ多い。
117キロの部は100キロの部よりスタートが30分早く、僕に追いつかれるランナーは相当苦しんでいる証拠だ。

ペースはかなり落ちていたが、歩いている人を何人も追い越し60キロ地点に到達した。
エイドが有ると思っていたが、記録係の人が1キロ先だと教えてくれた。

60キロのスプリット7時間00分26秒、前の5キロより5分早い。 



◆60キロ~70キロ

エイドに着くと待望のうどんが振る舞われていた。
僕も早速、列に並びご馳走を頂く。 具も薬味も何も無い、素うどんだった……
スーパーで売っている、茹でたうどんに汁だけのうどんだった。
だけど美味しかった。 本当に美味しくて、2杯も食べてしまった。
それにバナナ、オレンジ、まるでバイキング形式の昼食のようによく食べた。 
時計を見ると12時07分、お腹が空いている筈だ。

 ここでは椅子が置いてあったが、座らなかった。
座ったら気持ちが途切れる様な気がしていた。
腹一杯だったが、走り辛くはなかった。 それ程、ペースが遅くなっていた。

エイドを出てすぐ、上九一色村の看板が有った。 
例のオウム騒ぎで余りにも有名な地名だ。 
この辺でサリンが作られていたのか…と思うと足取りが速くなる。
速くなったのは気持ちだけで、足はついて行っていなかった。
しばらくして今度は、青木ヶ原樹海の看板! 前後にランナーが1人もいない。
左手がずっと続く。 何かザワザワした雰囲気、今度はマジで足の運びも速くなった。
樹海を抜けると、62.5キロの看板。この辺から折り返しのランナーとすれ違う。 
何処まで行くと折り返しなのか? 少し不安になった。 

前から見たことが有るランナーが来た! Mさんだった。
 さすがに疲れが見られたが、ペースが全然落ちていない。 

…… 後ろにK君の姿が無い ……

『Oさん、ガンバ! 気持ちが切れたらダメだよ!』
彼の励ましはいつもこんな感じだ。  
僕の64キロ地点、Mさんには73キロ地点だった。約9キロ離されていた。
黙々と走り去るMさんを、あの人こそ【ミスターストイック】だな、と思った。

K君はどうしているんだろう? 正直、すぐに彼には会いたくなかった。

そのまま進むと、大きなループ橋が続いている。 かなりの下り坂だ。 
嫌な下り坂だが、それ以上に帰りにここを登って来るのかと思うと、ゾッとした。
ゆっくり坂を下ると、精進湖入り口、65キロエイドに到達。
このエイドでもエアーサロンパスを足に吹き付ける。 
少し恥ずかしかったけど、タイツも脱いで足全体に吹き付けた。
気休めだったが、少しでも足が動いて欲しくて。
65キロのスプリット、7時間55分10秒。
60キロのエイドでかなり時間を費やしたから仕方ない。
まだ走っていられるだけましだ。 この5キロに54分あまり係っていた。

精進湖を一周してまた今来た道を帰るコースだ。
会社の事、家族の事、これからの自分自身の事、色々考えながら走っていた。
何も考えていないと足の痛みに意識が集中してしまう。

もし完走出来たら、今期の目標が達成できるかもしれない。
もし完走出来たら、今年のホノルルでは3時間30分を切れるかもしれない。
理由もなくそう思った。 すぐに逆の事も頭に浮かんできた。
余計な事を考えるんじゃなかったと後悔した。

2.5キロ毎にある距離表示が長く遠くなっている。まるで10キロ位有るかの様に。
かなりペースが落ちていた。足が上がっていない。すり足で進んでいるみたいだった。
前後にいるランナーは歩いている人の方が多くなってきた。
歩きたい誘惑に駆られるが、70キロまではこのまま走る事に意識を集中していた。

ようやく70キロ地点到達。 
エイドで暖かいスープを貰う。疲れた内蔵に気持ち良い。
ペースが落ちてから身体が暑くならず、身体が冷えて来ていた。
食欲も無くなっていた。

リタイアするランナーの為に収容車が停まっていた。 
既に精魂尽きてしまったランナーや故障したランナーが、安堵の表情や疲れ切った表情で乗り込んでいく。
リタイアした時、どんな事を考えるんだろう、満足感なのか? 挫折感なのか?

どんな想いであれ、僕はあれには乗りたくないな。 と思っていた。
70キロのスプリット8時間36分45秒、既に1キロ8分ペースに落ちていた。



◆70キロ~80キロ

いつの間にか、頭の中の距離計算が足し算から引き算に変わっていた。
何キロまで走ってきた足し算から、あと何キロ走ればゴールだと言う、引き算に。

70キロ過ぎの折り返し地点から、また西湖に向けて戻って行く。
腹筋と背筋にも疲れが出始めて来た。走る姿勢が落ち込んでいる。
長いループ橋をひたすら登って行く。腕を振っていないと足が前に出て行かない。
登りでは歩くスピードとあまり変わらない。大股で歩くランナーに抜かれるぐらいだ。
肩に痛みが出始めていた。 腕をずっと振り続けているから、肩に負担が来ていた。
両腕が、鉛の様に重く感じた……。
登りで少し歩いた。 肘も曲げ続けていたのでこわばっていた。
歩きながら腕を伸ばしストレッチする。 肩と両腕に疲れを感じたのは始めてだった。

登りが終わり、また走り始める。
腋を締めて肘を付けながら、肘から先だけを横に振る様にフォームを変えた。
これなら肩に痛みが出ない。 だけど女の子みたいで格好悪い。
少し恥ずかしかったが、痛みを我慢するよりましだ。

さっきMさんと出会った地点に来た。あれから随分、時間が過ぎている。
75キロ地点を通過し西湖入口に入った。
75キロのスプリット、9時間16分40秒。 依然、1キロ8分ペースで走っている。

身体が重い。 体内のグリコーゲンが枯渇している。
次のエイドで何か食べなければ…… 

エイドではまた、うどんが用意されていた。 もう食欲がまったく無くなっていた。
でも食べないと走れなくなってしまう。
結局、無理に口の中に押し込み、力に変わってくれる事に期待した。 
60キロの時と同じうどんだったが、味がまるで違っていた。
その他の物には手を付けず、エイドを後にする。

走りながら後悔していた。 さっき食べたうどんが胃の中でポチャポチャ揺れている。
もう胃の消化機能も無くなっていた。
嘔吐しそうになったが、飲み込んだ。 日頃、酒で鍛えているお陰かもしれない。

77キロの距離表示が見えた。
ビギナーズ77キロの部だったらここで終わりだったんだと、思い返していた。
当初、K君と参加を検討している時、K君が『始めてだから77キロにしようよ』と話していた。
僕は迷わず「ウルトラは100キロだよ。77キロじゃ中途半端で、また100キロに挑戦したくなるよ」と反論していた。
事実、自分の中でウルトラマラソンと言えば100キロしか考えていなかった。

今思えば、あの時の提案を素直に聞いておけば良かった。と後悔していた。
残りの距離と残された時間をぼんやり計算した。
頭の中も疲れていた。 なかなか計算できない。
あと4時間ちょっと。 23キロを1キロ10分で走ればいい計算だ。
いつもの練習ペースなら楽勝だが、動かなくなった身体では自信が無かった。
走りと歩きを交えながらやっと80キロ地点に到達した。 
80キロのスプリット、9時間58分09秒。関門制限時間まで、2時間も残っていた。



◆80キロ~90キロ

80キロのエイドでも、収容車がリタイアするランナーを待っていた。
まるで誘っているかの様に …… 70キロの時より乗っていくランナーの数が多い。
あと20キロなのに…… でも20キロもまだ残っている。
身体中の痛みや疲れには、いつも練習で走っている20キロが途方もなく遠く感じる。
これ以上走ったら、足が壊れて歩く事も出来なくなるかもしれない。
膝が曲がらなくなってしまうんじゃないか?頭痛もするし、肩や腕が重くて動かない。
リタイアする理由は揃っていた。

迷いながらエイドのテーブルに顔を出す。何も食べる気がしない。
既に、内蔵にも疲れが蓄積していた。
ジェル状の栄養補給物が置いてあった。
最近コンビニ等で売っている、あの「ウィダー・イン・ゼリー」とは違う、
アスリート用のカーボショット。僅か30分でグリコーゲンに変わる凄いヤツだ。
これなら口に入るな、と 続けるかは判らないが2本取った。

気が付くとこのエイドには音楽が流れていた……  

♪夢を~ 乗せて~ 走る~ 車道♪ 明日~への~旅~♪ 
【希望の轍】 サザンの大好きな曲だ…… 


曲に合わせて走り出していた。

もう自分からリタイアはしない …… と決めた。 まだ足は動かせる……
本当に足が動かなくなるまで…… 未知へのチャレンジを続けよう……
時間制限で走ることを止められるまで。

西湖の左手を悶々と走る。 ペースは歩くスピードより少し速い程度。
唄いながら走っていた。  自分の好きな歌を何曲も
意識が跳んでいた。 ランナーズハイに入っていた。 
85キロ通過も覚えていない。 気が付くと90キロ地点に到達していた。
90キロのスプリット、11時間33分18秒。 
1キロ9分近く係っていたが、ラスト10キロ。ようやく先が見えてきた。



◆90キロ~ゴールへ 

走りと歩きを交じえて進んでいた。
河口湖を後にして国道139号線に向かう。

突然、沿道から 『Oさん!残り10キロよ!頑張って!』と声を掛けられた。
ハッ!誰か知り合いかな?  声の主を見ると、知らない家族連れの女の人だった。
大会のパンフレットを持っていた…… 
パンフレットにはゼッケンナンバーの横に名前が載っている。
寒い中、この家族はみんなで応援してくれている。
小さな女の子も母親をまねて『Oさん、がんばって!』と声援を送ってくれた。
お父さんがレースに出ているのかな? そう思いながら手を振って応えていた。
嬉しかった。 気持ちだけスピードが上がった。

残りの距離はもう10キロを切っている。 時間はたっぷり残っていた。
もう最後まで歩いても、充分間に合う計算になる。
走るのを止めなかった。 完走出来ると思ったとき、もっと欲が出てきていた。
ここまで来たら、1分でも1秒でも速くゴールしたい。 
少しでも他のランナーより先着したくなっていた。

国道139号線に出ると、93キロ地点にエイドが有った。
ここでは水だけ補給する。 何も食べる気にならない。あごも疲れていた。
ここから歩道を走るが、切れ目の段差で足を上げるのが辛い。
障害者用の、黄色い点字ブロックの僅かな凹凸も気になる程、足が上がってなかった。
しばらく進むと右折の標識が有り、 船津登山道入口となっていた。

最後の最後で登り坂が待っていた。

坂の終わりが見えない。何処まで続いているんだろう……
コース誘導員に聞いてみた。 約5キロ続くと答えてくれた。
愕然としてしまった。 こんな坂が5キロも…… 
まるで絶壁の様に思えた。 全然、進んで行かない。
福島県白河、泉崎の4号線から、会社の工場に入って行く時の様な登り坂
TBSのオールスター感謝祭と言う番組の、マラソンで最後に出てくる心臓破りの急坂。
上手く言えないけどそんな感じの坂だった。
コースを考えた大会主催者を恨みたくなった。

横を大股で歩いていくランナーに抜かれていく。
僕もそうする事にした。 実際、その方が速かった。
坂の途中に95キロ地点が有った。 90キロから43分14秒費やしていた。

前方に“緑”のゼッケンを付けた女の子が走っていた。77キロのランナーだ。
後ろから見ても辛そうに懸命に足を運んでいる。
どんどん近づいてくる。  だけど彼女は“走っていた”
横を大股で歩き、通り過ぎようとした。

その時!、、彼女がペースを上げた。 {歩いている奴には抜かせない}

そんな気持ちが伝わってきた。
顔を覗くと、必至の形相で歯を食いしばり、無我夢中で足を前に運んでいた。
完敗だった。 彼女は“ランナー”だった。 僕よりもずっと。
ランニングスピリッツを彼女に教えられた様な気がした。
彼女を抜き去るのは“歩く”ではなく、“走る”でないと失礼だ。



そこから再び、僕は“ランナー”になっていた。



最後のエイドが98キロ地点に有った。
もう何も取らなかった。 

エイドの人が『ここからゴールまで下りだよ』と呪文の様に繰り返していた。

ラスト2キロ、緩やかな下りがゴールまで続いている。

下りは苦手だったが、この時は有り難かった。 勝手に身体が前に進んでくれた。



登りが続けば、必ず下りが待っている。 “人生と同じだな“ と思った。




最後の2キロは今まで走ってきた道のりを回想していた。

最初の30キロは楽しかった。

50キロから身体が動かなくなった事。

80キロでリタイアを考えていた事。





本当に走り続けて良かった………





競技場から歓声が聞こえてきた………



ゲートを潜り、競技場に入っていった。

大歓声が僕を迎えてくれた。
実際、観客は疎らだったが、僕にはそう感じていた。

あと、トラック1周でゴールだ。


コーナーに差し掛かる。



MさんとK君がコーナーで出迎えてくれていた……


『Oさ―ん、やったね!! 完走、おめでとう!』


いつも冷静なMさんが興奮して叫んでいた。

その隣で、いつも陽気なK君が言葉も発せず、
無言のままガッツポーズを何度も何度も繰り返していた。




身体中から、感動ホルモンが噴き出していた ………




コーナーを回り、最後の直線、もう残り50m

場内アナウンスが『Oさ~ん、100キロ完走です。おめでとう!!!』
会場中に響き渡っていた。


ゴールでは、ランナー1人1人にゴールテープを用意していた。

ゴールが霞んで良く見えない。

両手を突き上げ、ゴールのテープを切った。




涙が溢れて止まらなかった ………




◇ 13時間03分16秒 ◇ 


長く辛かった、1日がやっと終わった。   


この日、僕はおそらく記憶に有る中で1番辛い、肉体的苦痛と挫折感を味わった。

けれどもそれと引き替えに、その何倍もの生きる喜びと、
自分自身の弱さに打ち勝つ、不屈の意志を再発見する事が出来た。




そして…… 




たとえようもない、深い達成感に包まれていた………







◆エピローグ

結局、走る理由は見つからなかった。  いや、走るのに理由など要らなかった。

生きている事に、理由を探すのと同じだった。

「走る・マラソン・ランナー」=「暗い・辛く苦しい・孤独」と言うイメージが有るのではないだろうか? 

もちろん、そう言う側面も無くはない。
しかしそれ以上に「楽しい・気持ち良い・仲間がいる」と言う側面も持っている。

テニスをする人に『何でテニスをしているの』とはあまり聞かない。
野球でも、ゴルフでも、サッカーでも。
それはゲーム性が有り、楽しい。と言うイメージが有るからではないだろうか。

マラソンにもゲーム性が有る。
レースでは、時間との駆け引きが常に存在している。
フルマラソンでは、長く単調なイメージを想像されるが、実は秒との戦いだ。
例えば10キロを、1キロ5分ペースで走るとする。
最初の1キロで15秒遅れると、次の1キロで15秒速く走らなければならない。
この15秒速く走るのが、もの凄く難しい。42キロの場合、後半になれば尚更だ。

走る事で、今まで意識していなかった“自分らしさ”に気が付く事もある。

僕は「自分と向き合う・自分の考えをまとめる・自分の行動を振り返る」事に
ランニングする時間を活用している。  これは大いに役立っている。

今回、ウルトラマラソンを走って、気持ちと身体が密接に連動している事を感じた。

気持ちが途切れて諦めかけた時、たった一言の言葉や、一曲の音楽に心が反応し気持ちが蘇って来る。

気持ちの高ぶりに身体が反応して、予想外の力を発揮する。

最後まで諦めない意志を持ち続けることが、いつか結果に繋がる事を実感した。


ゴールして、気持ちが緩んだ直後の僕には、足を1センチも上げる事が出来なかった。





◆あとがき


完走を終えて何日か過ぎると、今回のウルトラ完走記を書いてみよう
と言う想いが膨らんでいた。


1つはランニングの素晴らしさを伝える為に。

文中に苦しさばかり書いたが、苦しさの先にある楽しさを確かめて貰いたい。
きっとその人なりの“自分らしさ”が発見できると思う。


2つ目は記録の為に。

これから先、走る事は続けて行くし、色々なレースに出場もする。
もしかしたらまた、ウルトラに出るかもしれないし、今度は記録を狙うかもしれない。
もっと長い距離に挑戦するかもしれない。また違う感動を味わうかもしれない。
ただ、今回ウルトラで感じた気持ちは日に日に薄れて行くし、
始めて出た時の感動は凄く大きいと思う。


最後は自分自身の為に。

自分らしさを忘れてしまった時に読み返してみたい。
在りし日の自分を、老いてから回想するのも面白いかもしれない。
挫折感から立ち直れない時、気持ちが諦めている時に。
きっと、消えてしまった不屈の闘志に、火を点けてくれる気がして。



                      2002年5月
                        Aloha3 41歳



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