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西暦2004年睦月蝶人花鳥風月狂歌三昧 なにゆえに「ごちそうさん」を日に2回も見るのかそれほど暇人ではないはずなのに なにゆえに同じ水曜日に休むのか向かい同士のイタリアンレストラン なにゆえにかくまで美味なるや藤沢爽風舎がつくる安価な食パン なにゆえにものに怯えて噛みつくや被災地からやって来た次郎 なにゆえに政治を歌に詠まないのかそれがあんたの政治的立場だからさ なにゆえにこれほどの傑作を採らぬのかといたずらに選者を怨みし朝も再々 なにゆえに人の心は見えぬのかすべての人は通り過ぎゆく なにゆえにあの警官は逮捕しなかったのか国会議事堂めざし突入せしわれを なにゆえにEMIもフィリップスも無くなったのか栄枯盛衰クラシック・レーベル なにゆえに「誰もいなくなりました」というのまだ私たちが生きているのに なにゆえに福田の里より電話しないホームステイの息子よ元気か なにゆえに道は左に曲がるのが気持ちいいのか亡き酒井君に訊ねている なにゆえに突然悲哀に墜ちるのか倹しき我が家も妻子もあるのに なにゆえにニイ・キュー・パッ、サンキュッ・パと値決めするのか商人たちの可憐な策謀 なにゆえにティンパニーを大叩きする音楽くらいは穏やかがよし なにゆえにたった一日で終わってしまったのか東西十五万人が集まった関ヶ原の戦い なにゆえに「ハムレット」を演じたかったのか甥が叔父を殺す北朝鮮の悲劇 なにゆえに地球に優しく人に優しく大合唱をやめたのか妙な企業不気味な国民 なにゆえに私のメールをシカトする無礼じゃないかなんとか言えよ なにゆえにかくまで時代は閉塞するか三橋美智也よ「夕焼けとんび」を歌え なにゆえに今日も私は歌を詠む死んでも私を遺すためとや なにゆえに君は岩を手でつかまなかったのか92年夏ザルツブルクの山顛で なにゆえにかくも肩ひじ張って生きているのか十五夜よりも十三夜が好き なにゆえに人間にはパンツが必要なのか猿はパンツを穿かないのに なにゆえに障がい者に暴行をはたらくのか汝自身の精神障がいを知れ なにゆえにsupercalifragilisticexpialidociousよりsmilesが長い英語なのかsmileしながら考えてみよう なにゆえにどこで止めてもナイスショット ヒッチコックの映像の凄さよ なにゆえに遠くをみれば昔を思い出すのか目と脳の遠いつながり 悲しさは疾走なんかしないいつも私の部屋の片隅で佇んでいる お父さん僕を怒ったり注意したりしないでちゃんとちゃんと可愛がってくださいね なにゆえに青春時代を振り返らないのかあまりに不様に通り過ぎたから 蝶人
2014年01月31日
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ふぁっちょん幻論 第80回01秋冬「米同時テロの影響」でNYコレ中止。ジュリアーニ市長、ラルフローレンなど参加して「ファション・フォー・アメリカ」キャンペーン開始。マンハッタン・チャイナタウン付近の縫製業に解雇吹き荒れる。01冬「コクーンニングcocoonining消費=巣ごもり消費」=クリスマス、愛子様誕生。家内で家族が身を寄せ合って安全と絆とささやかな幸せを確保確認し生活を完結させる消費行動=クライスラー「愛の喜び」などヒーリング音楽。02年パリコレでは強さよりも穏やかさ、静けさ、ボヘミアンやエスニックが主流。初登場ロンドンの前衛デザイナー、フセイン・チャラヤンが遊牧民ルック。02/9消費の2極化と「$1ストア」台頭。米国衣料品価格は02-03年1年間で3.6%下降。原因は中国製で全体で昨比3割増。02年にはじめて米国の対中輸入額は日本を上回った。リーバイスは自社米国6工場を閉鎖し、中国に生産委託。03/夏の格安水着をスウエーデンの格安セレクトショップH&Mが発売、大好評。自社工場持たず中国など世界に900社の仕入れ網駆使。100ドルジーンズ ヒップアップ、脚を長く見せるロスのL・カランの「セブン・フォー・オールマンカインド」、JOES JEANS(02年6億伊藤忠がボブソン通じ販売)がニーマンマーカスなどの高級百貨店で人気。月産10万本限定。低価格ギャップ20-30ドルとベルサーチなど高級250ドルの中間価格帯で人気。03/4「イラク戦争」の影響=米で独ポルシェ、仏ワインなどの不買運動。SARSで景気後退。トム・フォードを愛用するカルザイ議長02-03ミラノ秋冬メンズコレクション=グッチのテーマは「1930年代のフォーマルへの回帰」。03春夏ミラノ・コレクション 02/9月23日~10月1日テーマ1=60年代のSF映画の世界を彷佛させるレトロ・フューチャースタイルテーマ2)=80年代セクシー・スタイル03パリコレ総括=「エレガンス再発見」03コレと反戦運動 03パリコレサンローランでトム・フォードが唇付き靴。1930年代超現実主義者ダリやデザイナーエルザ・スキャパレリの唇形ポケットや昆虫ネックレスなどの引用。シュールレアリズムはファシズムを呼び出し、それが第2次大戦につながる。なにゆえにニイ・キュー・パッ、サンキュッ・パと値決めするのか商人たちの可憐な策謀 蝶人
2014年01月30日
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音楽千夜一夜第323回 正直いうてシギスヴァルト・クイケンとその一党の演奏に感動したことは、あの怪異な顔つきのせいもあって一度もないのですが、例によって1枚276円也のコスト・パフォーマンスの良さに惹かれて、ついつい衝動買いしてしまいました。 バッハ、ハイドン、モザール、ジェミニアーニ、ムファット、ラモーなどの作品を古楽器で演奏したハルモニア・ムンディの10枚組は超一流レベルとはいえないけれど、それなりに楽しませてくれる。 いちばん聴きでがあるのはおそらくラモーのオペラ「ゾロアストル」の世界初録音で、この3枚組だけでも確実に元は取れるはず。彼らはこの名曲をよどみなくクイクイと聴かせてくれます。 なにゆえにティンパニーを大叩きする音楽くらいは穏やかがよし 蝶人
2014年01月29日
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「神曲」の地獄篇は、1つには人間には神の報復があると思わせ、1つには人間をして秩序と規範に向かわせる効用がある。 無聊を慰めるために2種類以上の音源を同時多発的に鳴らしたり、音源の種類をどんどん交換してみると、いっときにせよ通常の音楽鑑賞の退屈さから免れることができるだろう。8/17 私たちの注意力の限界はたかだか5分であり、その最大値はほんの数秒にすぎない。だから私たちは瞼を閉じる瞬間に聴こえてくるあるかなきかの非音楽的音響を含めた「音楽」に、驚くほど鋭く反応するのである。8/17 かつての国家神道の拠点であり、戦争最高責任者たちはもちろん無名の死者の遺骨も本人や家族の許諾なく勝手に埋葬したりするいかがわしい神社に、年に一度だけ政治家たちが公人として参拝するのは浅はかな売名行為である。そんなに英霊に感謝したければ、毎朝近所の神社を私人として参拝すればよい。13/8/16 自己愛こそは、あらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである。ラ・ロシュフコー(二宮フサ訳) 我々の情熱がどれほど長続きするかは、我々の寿命の長さと同じく、自分の力ではどうにもならない。ラ・ロシュフコー 情熱はしばしば最高の利口者を愚か者に変え、またしばしば最低の莫迦を利口者にする。ラ・ロシュフコー 時折民主党が世論を味方につけて自民を圧倒し、矢継ぎ早に政治改革案を打ち出した日々のことを思い出す。あの時点でもう少し彼らがうまくたちまわっていたら、こんな悲惨な状況を迎えることはなかったのだが。後の祭りとはこのことだ。8/10 ジャン・クリストフ・マイヨー振付のモンテカルロ・バレエの「白鳥の湖」をみると、英国やフランスやロシアの同名のバレエの上演が児戯に類した体のものと思われてくる。ところで過ぐる68年、俺たちは児戯に類することばかりやってきたのではなかろうか?8/9 息子が遠くへ去ってしまうと、私は途方もない淋しさを感じた。恐らく私の両親が感じたに違いない淋しさを。8/9 今日一日はある人の追悼のために沈黙を守ろう。 どうしてこの国の人々はチャラチャラしたチンケな洋犬を好んで飼うのだろう。ウルトラ右翼の本流にして超愛国主義者のわたくしは、自慢じゃないが、山中深く棲息する由緒正しい無料の野性の和犬しか飼ったことはない。つまり野良犬だあな。8/13 夜遅く滑川に沿って歩いていたらポチャンという水音がしたので、もしやと思って川面を覗きこむと2メートル近い鰻が月明かりの中で踊りくねっていた。私の夏の懐かしき友、滑川名物の天然大鰻。8/6 安倍内閣が法制局長官の人事に手を入れた。これは憲法96条改定策と同様、正面から敵陣に向かうのを避け、まずは外堀から埋めて天守閣を倒そうとする卑劣な家康的陰謀であるな。どうして日本がアメリカの敵と戦う必要があるのか? NHKは一日も早く「サラリーマンNEO」を再開せよ。NHKのアナは「なので、なので」などと白痴的に発音しないで、「それなので」「そーゆー訳なので」「あたしがこんな莫迦なので」などと、「なので」のよって来たる所以を内包した日本語で発語せよ。13/8/4 すたすた坊主とはおれのことよと白隠言い あ、そう。それほどナチスの手口にあこがれるっていうわけですか。それより君は敬虔なカトリック信者なんだから神社なんかに参拝しないほうがいいんじゃないかな。 小林秀雄がどんだけ偉いか知らないが、文藝批評家というのは人の褌で相撲を取る残酷にして自己中で能天気な三枚目だ。おのれが七度生き直しても絶対に書けない小説を、偉そうにたった七分で酷評して顧みない。 なにゆえに「ハムレット」を演じたかったのか甥が叔父を殺す北朝鮮の悲劇 蝶人
2014年01月28日
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西暦2013年葉月蝶人狂言畸語輯 さすがは「徹子の部屋」だ。もっぱら黒柳徹子が喋りまくっている。 全国津津浦浦まで張り巡らされている安倍自民党のポスターをはがせ。顔は笑っても眼は笑っていないあの虚ろな表情はそうとう不気味だし、そもそももう参院選挙は終わったのだ。8/31 広島カープのユニフォームはとても醜い。ブルーの色目の選び方、特にボトムのそれの気色悪さには身の毛がよだつ。間違いなく全球団中最悪。いったいどこのどいつがデザインしたのか。13/8/29 君主の寛恕は、往々にして民心を得るための術策に過ぎない。ラ・ロシュフコー(二宮フサ訳) ケアホームを利用する入居障碍者に対して、市独自の家賃補助を求める陳情書を鎌倉市議会事務局に提出した。神奈川県内、他市では、国の補助金のほかにそれぞれ市独自の家賃補助があるのだが、鎌倉市にはないのである。8/27 短歌や俳句で旧字、旧仮名を遣う人の方が圧倒的に多い。私はその国語国文学的正統性を認めないわけではないけれど、実際にそれを遣う時に少なからぬ抵抗を覚えるのは、その慣習が既に時代遅れであり、事実上「旧字、旧仮名は死んでいる」からだろう。13/8/25 ユネスコの世界遺産登録を願う人間の大半は、観光で大儲けしたい商魂とか、なんでも有名になりたいという虚栄心で動いているのであって、その遺産の真価などはどうでもよいのである。 「演歌」か「怨歌」かはいざ知らず、藤圭子の潰れた喉から発せられる奥深い低音は、私たちがとっくの昔に遠い場所に置き忘れた忌まわしき野蛮の跳梁だった。藤圭子よ、今宵冥界からの「夢は夜ひらく」を聴かせてよ。8/23 日米4000本安打を達成したヤンキースのイチロー。彼がブルージェイズで孤軍奮闘する川崎と2塁ベース上で交わしたさりがないタッチに、いたく感動した。8/23 絹のパジャマは偉大なり。寝苦しい真夏の夜もこれさえあれば涼しく過ごせる。 いい人ね、優しい人ねと「伊豆の踊子」で出てくるような言葉で人の性格を断じてはならない。人間の地金は、表層の「人間脳」や中間部の「動物脳」の内部ではなく、その下にある「爬虫類の脳」の奥底に潜む固い果実のような原核に在るからだ。13/8/20 当たり前のことだが、スタンダールの「赤と黒」やドストエフスキーの「罪と罰」などを知る若者は殆んどいない世界に私たちは生きている。
2014年01月28日
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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.618あの有名なトラップファミリーの自伝を1956年に映画化した西ドイツ作品で、私は後年の「サウンド・オブ・ミュージック」よりこちらをとる。ジュリー・アンドリュースよりルート・ロイヴェリクのほうが圧倒的に素晴らしい。ナチの魔手を逃れて遥々アメリカまで逃げのびた家族たち。NYの入国管理所に響き渡るシューベルトの「菩提樹」が涙また涙のかんどうを呼びます。ラストで歌われる「ブラームスの子守歌」。これを見たのはたしか私が小学生の時だったから、半世紀ぶりの対面かしら。それにしても洒落たエンディングだなあ。続編はすべてアメリカロケ。それが西独映画なのも珍しい。晴れた空にエンパイアステートエントビルとクライスラービルが映える。なんとかかんとかNYに上陸したものの、興行師に契約を破棄されたり客が不入りだったりいろいろ苦労しながらも最後はこの新大陸の移民として見事定着するまではらはらどきどきが見所。ラストは「美しく深い谷間で」を家族一同で歌いつつ「アウフビーダーゼーン」とお別れ。いい映画です。なにゆえに「ごちそんさん」を日に2回も見るのかそれほど暇人ではないはずなのに 蝶人
2014年01月27日
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91)26歳の美人秘書付きのオフィスを無料で貸してあげるけど、使いませんか?とある親切な方が申し出てくださったので、私は大川のほうに向かった。オフィスの近くに見慣れない2人の男が待ち受けてして、私を無理矢理銀座に連れて行こうとする。 92)仕方なくいいなりに成って見知らぬバアに入り、飲めないジャックダニエルを一口だけ舐めていたが、トイレに行く振りをしてうまく脱出することに成功した。 93)銀座の地下はものすごく深いところに地下鉄を含めた何層もの広大な地下通路が走っていて、それが大川の向こうまで走っていることを私は初めて知った。恐らく東京の地下には地上を上回る交通網がすでに敷かれているのだろう。 94)やっとこさっとこ前のオフィスに入っていくと、26歳の美人秘書の代わりに62歳くらいのおばさんが一人ぽつねんと座っていた。 95)私の嫁入り先は古い封建的な約束事が根強く息づいている地方だった。はじめは大人しくしていた私だったが、歳月の経過とともにだんだん本領を発揮して、ある日思い切って謎めいた埃だらけの部屋を開けた。 96)まるで江戸時代のような畳の奥座敷には虫に食われた帳簿が何冊も並べられていて、数人の男が会計の実務に従事していた。彼らは私を見ると驚いたが、帳簿を見た私がたちまちこの家の危機的な収支状況を把握したのを知ると、驚きをさらに新たにしたようだった。 97)第2の部屋、第3の部屋と次々に私が秘密の部屋を開けはなっていくと、誰かの注進でそれを聴きつけた夫が、まるで青髭公よろしく目を大きく見開いた。 98)眉目秀麗な彼は、若者を代表して「風次郎」役に選ばれた。この共同体のトップモードをさし示すという重要かつ誇らしい役目だ。 99)私は彼の補佐役をおおせつかり、丘の頂上に据え付けられたインカ帝国の祭壇のような席に座ると、古代の共同体の家や畑がアリのように小さく見渡せた。 100)全身紫ずくめの奇妙な恰好をした「風次郎」はすっくと立ち上がり、「これが俺たちの新しい制服だあ!」と叫ぶと、しばらくしてその声はこだまになって帰ってきた。 101)絢爛豪華な着物の裾から手を入れて豊かな乳房を鷲づかみすると、彼女は厳しい目で私を睨みつけたが、かといって自分から逃れようとはしないのだった。 102)まだ春だというのに夏型の大きなヒョウモンチョウが原っぱでゆらゆら動いている。この品種らしからぬ緩慢な動きだ。しかも巨大なヒョウモンの翅の上に別の種類の小型のヒョウモンチョウが乗っている。 103)私がなんなくその2匹のヒョウモンチョウを両手でつかまえ、これはもしかして2つとも本邦初の新種ではないかと胸を躍らせていると、半ズボン姿の健君も別の個体を捕まえてうれしそうに私に見せにきた。 104)それは確かにヒョウモンチョウの仲間には違いないが、いままでに見たこともない黄金色に輝いており、国蝶のオオムラサキを遥かに凌駕するほどの大きさに興奮はいやがうえにも高まるのだった。 105)私たちはバタバタと翅を動かしてあばれる巨大な蝶を懸命に両手で押さえつけていたのだが、それはみるみるうちにさらに大きな昆虫へと成長したので、もはや彼らを解放してやるほかはなかった。 106)しかし巨大蝶は逃げようとせず、その長い触角をゆらゆらと動かし、「さあ私のこの柔らかな胴体の上にまたがってみよ」、とでも言うようにその黒い瞳で私たち親子をじっと見詰めたので、まず半ズボン姿の健ちゃんがひらりと巨大蝶の巨大な胴体の上にまたがった。 107)息子に負けじと私も別の巨大蝶にまたがり、そのずんぐりとした黒い胴体をつかんでみると、あにはからんやそれはくろがねのような強度を持っていた。 108)私たちがそれぞれの大きなヒョウモンチョウに騎乗したことを確かめると、2匹の巨大な蝶はゆっくりと西本町の子供広場から離陸し、狭い盆地を一周すると、はるか地上の片隅に見慣れた故郷の街や家や寺山、銀色に輝く由良川の流れが見えた。 109)それから巨大な蝶は猛烈なスピードで故郷の街を遠ざかり、波がさかまく海をわたり、大空の高みを力強く飛翔しながら成層圏に達し、そこからまた猛烈なスピードで下降した。 110)ぐんぐん地表がちかづいたので、よく見るとそれは教科書の写真で見たことのある万里の長城だった。気がつくと巨大蝶の姿は消え、私たち二人だけが大空の真ん中にぽっかりうかんでいる。私たちは思わず手と手を握り合った。 111)しかし墜落はしない。無事に飛行は続いている。私たちはそのまま元来た空路をたどって故郷に帰還すると、そこには仲間の巨大蝶が勢ぞろいしていた。その後蝶たちは、住民の飛行機としての役目を半年間にわたってつとめたのちに、南に帰っていった。 なにゆえにかくまで美味なるや藤沢爽風舎がつくる安価な食パン 蝶人
2014年01月26日
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西暦2013年睦月蝶人酔生夢死幾百夜 70)中国の戦地で孤立した私たちは、手榴弾を投げ尽くしてしまった。しかたなく地の果てまで逃亡すると雪が激しく降って来た。その場にうずくまって雪がやむのをまったが、しばらくして私はとうとう梶上等兵になった。 71)さっきまで見ていた夢を全部思い出すんだ、吐き出すんだ、とどこかで誰かが怒鳴っていたので、私は目が覚めた。 72)いつかどこかで行ったことがある懐かしい場所。その遠い思い出の場所に限りなく近づきながらも、私はそこにたどり着くことができないのだった。 73)おいらはあいつが憎らしくて殺したんだけれど、牢屋に入ったら国はロシアン・ルーレットでおいらたちを殺すんだ。たまったもんじゃあないぜ。と死刑囚の私は呟いた。 74)返品してくれよ、こんな欠陥商品を作りやがって。しかも修理したのにまた故障しやがって、なにが日本を代表する世界のトップ・メーカーだ。社長を出せ、社長を! 75)いくたびも、またいくたびも快楽の絶頂に達した吉行和子と藤竜也の絶叫で、わたしは朝まで寝られなかった。 76)私たちはしばらく東シナ海をさまよっていたが、やがて同乗していた2人の若者は言葉も上手になったので大陸に残り、私は母国に帰還することにした。 77)私が乗り組んでいる潜水艦の艦長はちょっと変わった人物で、いつもなにやらブツブツ繰り返し言っている。注意して耳を傾けると、「大好きだお、真理ちゃん」と呟いているのだった。 78)訓練の時にも「敵艦見ゆ、大好きだおお、真理ちゃん」、「魚雷発射、大好きだお、お真理ちゃん」と号令をかけるので部下から馬鹿にされながらも愛されていた。 79)艦長は水兵は体を鍛えておかねばならぬという信念のもと、狭い艦内を陸上競技場にみたて、私たちを全力で疾走させるのだった。 80)さてその日は母港の地元民を艦に招待する日だったが、艦長はいきなり若くてきれいな女性の手をつかんで艦内に連れ込み、みずからあちこち案内して回った。 81)艦長は魚雷の格納庫の傍に彼女を引っ張り込んで、「ほらほら、これが水雷だ。こいつで敵さんのどてツぱらに風穴を開けるのだ」と言いながら、いきなりチュウしてしまった。 82)もうこれで何年になるのだろう。私は教団の責任者として毎日新幹線で東京と大阪を往復しているのだが、精も根も尽き果てた。「教祖」などとあがめられ、奉られても、その実態は1個のでくのぼうに過ぎなかったのである。 83)学校の卒業旅行は英国風のグランクルーズだったが、中東だかアフリカあたりで私は集団から脱落してしまった。ここはいったいどこなんだ。チュニジア?それともアルジェリア? 見たこともない風景が広がり、やたら暑い。 84)暑い砂の上に横たわっていると、奇妙な形をしたこれまでに見たこともない大中小のリスがやってきて食べ残しのパンをむさぼり食っている。と、その時黄色い巨大なそして異様に美しい網目ニシキヘビが、リスたちの背後でとぐろを巻いた。 85)私はある地方都市で市の広報誌の編集をまかされていたが、その仕事をロスの私立探偵フィリップ・マーロウの捜査と意識的に勘違いし紫のキャデラックに乗っていたのでさまざまなトラブルを引き起こすことになった。 86)私が下宿していたのはちょっと色っぽい元美人の姥名桜だったが、これが事あるごとに私に首を突っ込んでくるのだった。 87)ローマの皇帝がその教戒師である私にこう語った。6人の男女をとらまえて「3人の男は明日ライオンと闘え」と命じると、その前夜までには3つのカップルが誕生している、と。私が王国から略奪した3つの玉手箱は、セピア色に塗り替えられた。 私はジェットコースターの先頭に第一の玉手箱を置いてこれに跨り、「さあ発車するのだ」と号令をかけたが、玉手箱には車輪がないことと、私の2人の美貌の部下が、第2、第3の玉手箱に無事に跨っているかどうかを終始気に掛けていた。 88)しかし幸いなことにその不安は杞憂であった。私は安心してジェットコースターの突進に身を任せていたが、それがあまりにも天空高く登りすぎたためか、突如玉手箱もろとも地上めがけて真っ逆さまに転落した。 そして猛烈なスピードで地表に激突するまさにその瞬間に、私はもはや玉手箱の中身になんの関心もなく、2人の美少女にも全く欲望を覚えないことがわかった。 89)私は神保町の金ペン堂主人の薫陶を受け、長年の研鑽の末にずば抜けた性能を誇る万年筆を1本2千円で製造することに成功した。それから私は腐女子2名の支援よろしくこれを1本2万円でネット販売したので、ほんのいっときだけは大儲けしたのだった。 90)私は、喉の奥に生えているジャックの豆の木にぶらさがりながら、どこまでも、どこまでも降りていった。
2014年01月26日
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ある晴れた日に第197回新宿駅西口のいちばん代々木に近いトイレから、下のボタンをはめながら出てくるK義兄さんと出くわした。 「おお」、と「おお」、「久しぶり」と「お久しぶり」とが期せずしてぶつかった。 折しもラッシュアワーで大混雑する駅構内、 「いまちょうど紀伊国屋でね、君の本を買いに行ってきたんだ」 「あんなくだらない本をわざわざ奥沢から買いにいらしたとは。共著のうえに短い文がちょこっとだけ出ている本だから、お送りしなかったんです。まことに申し訳ありませんでした」 と急いで詫びて、それ以上立ち話もできず、「じゃあ元気で」、「お元気で」と頭を下げたのが永の別れとなってしまった。 春ともなれば奥沢の川面を埋め尽くした桜花。K義兄さん、あなたは初めて上京した私に自由が丘でいっとう眺めのいい部屋を紹介してくださった。 K義兄さん、誇り高き帝国の軍人よ。 一度ならず二度までも米国の駆逐艦に撃沈され、太平洋の波濤に投げ出され、そのつど奇跡的に友軍に救助された歴戦の勇士よ。 胸を張り、背筋を伸ばし、頬を紅潮させ、 「いくさに身を捧げしわが生涯に悔いなし」 と声を張り上げられた、在りし日のあなたの姿を私は忘れない。なにゆえに今日も私は歌を詠む死んでも私を遺すためとや 蝶人
2014年01月25日
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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.617 原題は仏語でサボタージュ。敵国のスパイが自国に紛れ込んでいるのでそれをやっつけるというキナ臭いお話ですが、にもかかわらず映画の自由さ、楽しさ、面白さが120%発揮されたヒッチの傑作です。 ヒッチの演出力の凄さは再生中の映像をどこで止めてもスチールとして完成していることで、これは古来多くの名匠、巨匠と共通する最大の特徴です。 最後にNYに戻ってブルックリン造船所、はては自由の女神の右腕のてっぺんでの格闘まで出てくるサービスとサスペンスのきわまりが物凄い。これはヒッチ自身がかれの想像世界に殉じているのですね。 ナチの「悪い奴」、ヒロインの盲目のオジサンという「底抜けに善い人間」など色々な人間が出てくるがヒーローを助けるかどうかを巡ってサーカスの芸人の意見が割れ、それを「民主的に」多数決で決めるというのも面白い。 なにゆえにどこで止めてもナイスショットなのかヒッチコックの映像の凄さよ 蝶人
2014年01月24日
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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.615&616 イタリアンで料理したマカロニ・ウエスタンは本番ハリウッドの西部劇の不振につけこんで大ヒットしたようだが、演出よりもタイトルデザインや音楽によるB級シネマ的味付けで関心を呼んだのではなかろうか? イーストウッドの出世作だが、彼よりも相棒のバンクリーフの存在感の方が際立っている。 いい子、悪い子、普通の子というトリオがあったが、「続夕陽のガンマン」では善人、悪人、卑劣漢の三人が登場して、あの手この手で相手を出し抜こうとする。もちろん善人なんて一人もいない。 まったくバカバカしい映画で、亡き淀長さんも褒めにくいと思うが、強いて言えば三人同時の決闘くらいか。しかもそれがどうしてあのような結果になるかはよく分からないような描き方になっている。 監督は前作と同じセルジオ・レオーネだが、演出はまえのほうがましでほとんど出たとこ勝負のようなもの。エンニオ・モリオーネも相変わらずの冗談音楽でつきあっている。 なにゆえに地球に優しく人に優しくの大合唱をやめたのか妙な企業不気味な国民 蝶人
2014年01月23日
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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.614 どうにもミュージカルとミュージカル映画はどこがばかばかしいのかよく分からないくせにばかばかしくて見る気にもならないが、でもまあ我慢してみてしまったわけだが、思うにかの有名な「チムチムチエリ」の歌が無かったら、こんなしょもない映画はヒットしなかったのではないだろうか。 なかんずく途中でウオルトデーズニー特製のアニメが出てきて、ポピンズ嬢たちにからんだりするところなぞ限りなく退屈だが、子供たちの2シリングを巡って銀行が大混乱するところなどはそれでまもまあ辛うじて見るに耐える。 結局この映画の見所とは、最初と最後でメリー・ポピンズが空から舞い降りて空に向かって旅立つ所で、はてさていったいこの女性は魔女だったのか、はたまた天使だったのかと首をかしげているうちに、この余りにも長すぎる映画は終わるのである。 木枯し紋次郎や風の又三郎と同様、いずこからともなくやって来たメリー・ポピンズは、退屈で権威と秩序に覆われた此岸の人々の日常性を非日常的なポップなノリで愉快にひっかきまわして、それが一段落すると彼岸に旅立ってゆくのである。 すなわちメリー・ポピンズにあらずして、メリー・ポップピンズなり。 なにゆえにsupercalifragilisticexpialidociousよりsmilesが長い英語なのかsmileしながら考えてみよう 蝶人
2014年01月22日
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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.613ご存知連合軍のノルマンディー上陸作戦を描いた一大ドキュメンタリー風歴史映画である。この作品はなんと4人の映画監督を使っているが、それらを一手に束ねている実質的な監督は、あのジョン・フォードも泣かせて黙らせた剛腕プロデューサーのダリル・F・ザナックであることはいうまでもない。この作戦を扱った映画はその後続々登場するわけであるが、たとえば「プライベート・ベンジャミン」の冷徹なリアリズムと比べると、ジョン・ウエインやへンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャムなどの登場人物をみてもわかるように、近代戦争とはいってもどこか一抹の野趣と浪漫を湛えた巨大な西部劇のようにみられないこともない。ロバート・ミッチャムが指揮するオマハビーチの塹壕奪取にしても乃木将軍の203高地の悲惨な人肉地獄に比べればまるでピクニックのようなものだ。映画の中ほどで川沿いの道路を進軍する連合軍の兵士を捕えたカメラが、彼らが橋を渡って高台にあるカジノを占拠するドイツ軍に向かって丘を登ってゆくところを延々とヘリコプターによる空中移動撮影でとらえた長回しがあるが、私はこれほど見事なロングショットは見たことがありません。それにしても当時の私たちの父祖は三国同盟の一員であったわけだから、当然連合国の上陸が成功しては困るわけなので、彼らになり代わって私の大好きなクルト・ユルゲンスの視線でこの大作を眺めてみたのだが、残念ながらやはり連合軍が打った大ばくちは大成功を収めてしまうのだった。なにゆえにあの警官は逮捕しなかったのか国会議事堂めざし突入せしわれを 蝶人
2014年01月21日
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ある晴れた日に第196回 月曜から金曜までは障がい者ホームで過ごし、土日は自宅で暮らす君。 土曜日はミニストップでお弁当を買って、自販機でお茶を買ってから、家中の100円玉を製造年別に整然と並べる君。 日曜日にはミニストップでお弁当を買ってから、自販機でお茶を買ってから、小学6年生のときの授業日程を大きな模造紙に何枚も書きまくる君。 そして大好きなトマトシチュウを何杯も何杯もお代わりしては、何回もトイレへ行って巨大なウンチに変える君。 そんな君が、きょう誕生日を迎えた。 なんと四〇回目の誕生日を迎えた。 君の大好きなチョコレートケーキの上に、四本の蝋燭を立てて火をつけ、 部屋の電気を消してから、私たちは大きな声で歌った。 HAPPY BIRTHDAY TO YOU! HAPPY BIRTHDAY KOU-KUN! すると四〇歳になったばかりの君は、私に向かってこう言った。 「お父さん、僕を怒ったり、注意したりしないでね。僕をちゃんと可愛がってね」 HAPPY BIRTHDAY TO YOU! HAPPY BIRTHDAY KOU-KUN! おお耕君、父は約束するよ。約束するとも。 君をぜったいに怒ったり、注意したりせずに、ちゃんと、ちゃんと、可愛がることを。 HAPPY BIRTHDAY TO YOU! HAPPY BIRTHDAY KOU-KUN! お父さん僕を怒ったり注意したりしないでちゃんとちゃんと可愛がってくださいね 蝶人
2014年01月20日
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照る日曇る日第651回 全14冊の真ん中手前の1冊です。 主人公の「私」がヴィルパジリ夫人のサロンに出入りするようになり憧れのゲルマント公爵夫人と淡い交わりを結びようになるのですが、ドレフェス事件に興味のある一握りの奇特なご仁を除いて、おおかたの読者はその余りにも退屈な貴族サロンのおしゃべりに辟易して東の横綱「源氏物語」に匹敵するこの西の横綱格の大著を投げ出すのでしょう。 おお、度し難き愚か者め。古来名著には、必ずまったりと弛緩する凪のやうなロンドがあり、最後には「宇治十帖」を激しく超越する嵐のやうに激烈なコーダが待ち設けていることも知らずに。 さて本巻の最大の読みどころは、尿毒症に冒されたあの優しかった祖母が次第に日一日と衰え、やがて静かに帰天するまでのじつに精密で精妙な描写で、じっさいに祖母を病床で看取った人なら、死が人世の幻滅をことごとく持ち去ったあとに「うら若い乙女の姿で」ベッドに横たわった在りし日の彫像を目の当たりにするに違いありません。 祖母が瞑目した瞬間、「私」の悲嘆が真摯なものであるかどうかを、祈るふりをして組んだ両手の間から監視している修道士の眼を「私」が鋭く見返すと、修道士は慌てて両手を閉じるのですが、この二人のそんな遣り取りを隈なく観察しているのが、この作家の二月の氷のように冷徹で畏怖すべき視線なのです。 なにゆえに障がい者に暴行をはたらくのか汝自身の精神障がいを知れ 蝶人
2014年01月19日
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照る日曇る日第650回 キーン翁の講演「世界のなかの日本文化」、司馬遼太郎との対談「日本人と日本文化」、「世界のなかの日本」を3本柱に、安部公房、梅棹忠夫、井上ひさし、星新一、山崎正和、芳賀徹、小西甚一、辻邦夫との対談をおまけにつけたボリュウム豊かな1冊です。 対談というのは、ある意味では相撲や剣術の真剣勝負に似ていて、見知らぬ2人が刀を向けるようにして口を開けば、たちまちにしてその人の力量がお互いに伝わり、その瞬間に(別に勝ち負けを争っているわけではないのに)勝負がついてしまいます。 最初にキーン翁と立ち会ったのは、好漢司馬遼太郎選手ですが、はじめのうちは、たかがアメ公のインテリ風情、とちょいと小莫迦にしながら、長刀を大上段に振りかぶったところ、江戸時代の日本人が必ずしも儒教の影響を受けてはいなかったという事実を次々につきつけられ、いきなり胴を払われて一本、勝負あり。 こんなはずではなかったと、遼太郎選手は眼の色を変えて打ちかかるのですが、どこをどう突いても蝶のように舞い、蜂のように刺す碧い眼の太郎冠者義経に軽くあしらわれ、さすがの弁慶も参ったと降参する辺りから、本当に実のある対話が交わされていく有様が手に取るように分かります。 こんな調子で次々に登場する対話者に対して圧倒的な勝利?を収め続けたキーン翁が、青眼=正眼に構えたままうーむと唸って動けなくなったただ一人の相手とは、他ならぬ雌雄つけがたい浩瀚な日本文学史を書いて火花を散らした痩身の碩学小西甚一氏その人でありました。 芳賀徹氏を行司役とするこの短い鼎談の中で、わが国の能と謡に関して丁々発止と切り結ぶご両人の造詣の深さに感嘆しない読者は、恐らく一人もいないはずです。 なにゆえにかくも肩ひじ張って生きているのか十五夜よりも十三夜が好き 蝶人
2014年01月18日
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ある晴れた日に第195回 パンツをはけば、君は、もっともらしい君になる。 「やあこんにちは、ごきげんよろしゅう」 「お砂糖は1杯にしますか、2杯にしますか?」 とか、なんとか言っている。 パンツを脱げば、君は、とつぜんいやらしい君になる。 「良子さん、今夜は月がきれいですね」 「ねえねえ、いいじゃないですか、別に減るもんじゃなし」 などと囁いておる。 はたして、どちらがほんとうの君か? と、君に問うても仕方が無い。 分かっているのは、人世にはパンツが必要だ、ということ。 人世にはパンツが必要だ。 なにゆえに人間にはパンツが必要なのか猿はパンツを穿かないのに 蝶人
2014年01月17日
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音楽千夜一夜第322回 つい最近消滅した英EMI盤によるヴェルディ・オペラ全集35枚組CDを聴き終わりました。 この1枚153円也の超廉価版ボックスセットは、全集ではありませんが、ヴェルディの代表的な16のオペラ作品が収録されているので、彼の記念イヤーにふさわしいコレクションといえましょう。 指揮者の中心はリッカルド・ムーティで、彼の指揮による『ナブッコ』『エルナーニ』『アッティラ』『マクベス』『椿姫』『シチリア島の夕べの祈り』『仮面舞踏会』『運命の力』という8つのオペラ演奏はいずれも聴きごたえがあります。 さらにジュリーニの『ドン・カルロ』、メータの『アイーダ』、レヴァインの『ジョヴァンナ・ダルコ』、パッパーノの『トロヴァトーレ』、そしてモノラル後期の録音からセラフィンの『リゴレット』、サンティーニの『シモン・ボッカネグラ』と、名指揮者の名演奏が続々登場しますが、やはりももっともヴェルディのオペラらしい演奏は、カラヤンの『オテロ』と『ファルスタッフ』でありましょう。 いつも思うことですが、ヴェルディのオペラを初期から最晩年までその作曲年代別に聴いていくと、誰の演奏で、何度聴いても、その音楽世界の濃さと深さが、その順番で高まっていくことが実感されます。 また『マクベス』、『オテロ』『ファルスタッフ』は、いずれもシェークスピアの原作ですが、これほど原作の精神に忠実で、しかもその文学的エッセンスを見事に音化した例はほかにないでしょう。 なにゆえに君は岩を手でつかまなかったのか92年夏のザルツブルクの山で 蝶人
2014年01月16日
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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.612&鎌倉ちょっと不思議な物語第309回 いよいよ原節子特集が終わりに近づき、満員御礼の川喜多記念映画館で、本作を鑑賞しました。高村光太郎を山村聡、智惠子を原節子が熱演する1957年の東宝映画であるぞよ。 監督はヒロインが長く鎌倉浄明寺の熊谷邸に身を寄せた他ならぬ熊谷久虎であるが、彼のなみなみならぬ、そして小津にもおさおさおとらぬ思慕と愛情が、画面ぜんたいに満ちあふれる愛の映画である。 じっさい若き芸術の徒として画筆をとるショートカット姿の清純なヒロイン、精神に異常を来たした彼女の、まるで観音様のお顔から御光が差してくるような神々しい、至福の、そして恍惚の表情はこの映画の白眉であり、おそらく原節子が出演したすべての映画の、すべてのシーンのなかでももっとも美しい、日本映画史上不滅の名場面であろう。 熊谷久虎は、独逸でイトレルに会って心酔したり、戦時中私が蛇蠍の如く忌み嫌う極右国粋主義に入れ上げてとかく評判の悪い人物ではあるが、義妹原節子への至情の愛(それはもしかすると精神的なものだけではなかったかもしれない)がうみだしたこの記念碑的な数秒ゆえに、私はその演出のゆるさも、カットつなぎの素人芸も、なにもかも許そうと思うのである。 なにゆえに政治を歌に詠まないのかそれがあんたの政治的立場だからさ 蝶人
2014年01月15日
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音楽千夜一夜第321回 私がモーツアルトのヴァイオリンソナタの演奏で求めるのは、夢のような儚さとこの世を遠く離脱したようなある種のはるかさである。 そうなるとやはりグリュミオーとハスキルのデユオにとどめをさすが、この独逸人二人による演奏も捨てがたい。 ヴァイオリンソナタとはいうものの、むしろ主役はピアノのほうにあるので、オルベルツの明るく、平明で、そのくせいっさいの虚飾を取り払った、誠実で質朴で淡々とした演奏が、かえって作曲者の孤独な内面を的確にとらえているような、そんな感じがするのである。 正月は終わったが、この冬の寒さに耐えるためにときどき聴き返したいと思う。 悲しさは疾走なんかしないいつも私の部屋の片隅で佇んでいる 蝶人
2014年01月14日
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「これでも詩かよ」第58番&ある晴れた日に第194回 朝夷奈峠を登って、熊野神社を通って麓まで戻ってくるあいだに、いろんなことが起こる。 春まだ浅い日の朝まだき、水たまりに忽然とあらわれて交尾し始めたカエルたち。 ある夏の日、大発生して狂ったように飛び回るルリシジミたち。 ある秋の夕べ、突然星月日と歌いはじめたサンコウチョウ。 そしてまだ松の内の今日の午後、いきなりバチバチと爆ぜるような音と共に、 枯れた樹木の梢から豌豆の鞘のようなものが降ってきた。 それらはバチバチバチバチと爆ぜながら、一斉に降ってくる。 どこまで行っても、私の頭めがけて、次々に降ってくる。 私は立ち止り、 その豌豆の鞘が立てる不思議な音を、それがなにかの啓示であるように耳を傾けていた。 なにゆえにかくまで時代は閉塞するか三橋美智也よ「夕焼けとんび」を歌え 蝶人
2014年01月13日
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照る日曇る日第649回 医療の立場から(我が家の恩人でもある)佐々木正美氏、療育の側から海老名わかば園の諏訪利明氏、自閉症者の家族&専門職の立場から横浜市総合リハビリセンターの日戸由刈氏がそれぞれの視点から発言されているが、重度の自閉症者の兄、その兄の為に身命を擲って介護の極点まで到達された母(いずれも故人)という家族のもとで成人された日戸由刈氏の文章を読みながら涙が止まりませんでした。 突然トイレに行き服を決まった順序で全部脱ぎ、頭を便器に突っ込み、その後バスタオルで頭を丁寧に拭き、服をまた順番にきちんと着る。もし誰かが途中で誰かが止めればもう一度頭を便器に突っ込むところからやり直すという恐るべき「こだわり」を、この障がいの人々は大なり小なり持っています。 このとき大方の親や療育指導者は暴力を用いてでもそれを強引に抑止し、断固として健常児者のようにふるまうように「指導、教唆」するのですが、それはかえって逆効果となり生涯に亘って消えることなく、脳内で増幅拡大再生される精神的な傷跡を蓄積することになるのです。 たとえそれがいかなる善意に基づいているにせよ、脳の先天的な機能障がいをもつ自閉症児者を、風邪やガンのように「治そう」としたり、スパル教育的に「改善・善導」することが、いかにナンセンスで、場合によっては致命的な行為であるか。(ほかならぬ我が家の自閉症者もその悲しい犠牲者の一人ですが。) 日戸氏がいうように、「平坦ならざる人生を歩んで行く彼らをいたわり、ねぎらい、人間として尊敬を持って遇する」こと。そして「障がいを治そうとしたり、良くしたり、変えようとせず、そのまま彼らを歩ませること」こそ、この器質障がいの持ち主たちに取るべき基本的な態度ではないかと、悪しき親としての自戒をこめて、痛感するのです。 なにゆえに福田の里より電話しないホームステイの息子よ元気か 蝶人
2014年01月12日
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「これでも詩かよ」第57番&ある晴れた日に第193回 朝はコーヒーとトースト、 昼は「笑っていいとも」を見ながら生協の関西風キツネうどん、 夜は肉じゃがとご飯とみそ汁とデザートにイチゴを食べて、 寅さんの映画を一本見てからお風呂に入り、 「いろいろあったけど、今日もなんとか一日終わったね」 などと言いながら、親子三人枕を並べて寝てしまう。 「たまには朝の七時までぐっすり寝ていたいね」 という声も確かに聞こえた。 「いつまでこうしていられるのかしらね」という声も。 ああ、静かな海と楽しい航海。 われらは今夜も船に乗る。 三々五々で宙に舞う。 しかし波一つない海岸には、 大きく傾いた一本の松の木だけが、 しきりに北風にそよいでいるだけ。 私こと今日もいろいろありまして、それなりに楽しかったのですが、 そのいろいろが突然無くなる日が、 誰にも訪れると改めて知った。 神と仏の不在は、いつまでも続くのであるか。 やはりこの世には神は再臨せず、 無量千万億の菩薩は地上に湧出しないのであろうか。 私の驚き。 それは、あれだけ人世と神様にシニカルだった伯母さんが、 いよいよとなるとガバと祭壇にぬかずいたこと。 けれども、彼女はほんとうに神様を信じていたのだろうか? 迫りくる死の恐怖に耐えきれず、 目の前を流れてきた木の十字架に縋り付いただけではなかったのか? ここで皆さんに質問。 もしもこの世に神仏のご一人ご一体もいまさずば、 あなたの人世 寂しいですか? 空しいですか? そう訊かれたら、私だっていくぶんは寂しく空しい気持ちに襲われるが、 その寂しさと空しさにじっと向き合うことが われらの人世を、より実直なものに仕上げることになるのではなかろうか。 人間は神仏なき世にあって ただ一匹の動物として生まれ、一匹の動物として黙って死んでゆく。 それでいいのだ。それでいいのだ。 ああ、静かな海と楽しい航海。 われらは今夜も船に乗る。 三々五々で宙に舞う。 なにゆえに出したメールをシカトする無礼じゃないかなんとか言えよ 蝶人
2014年01月11日
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照る日曇る日第648回 「夏の呪文」「闇の乳房」「破船」「秘祭」に続く北の詩人の最新作が届けられました。 冒頭の「青い魚」を皮切りに「キャベツ」、「そら豆」、「カブ」、「サラダ菜」、「みょうが」、「歯」、「ルピナス」、「メークイン」、「ラ・フランス」、「ブラック・オリーヴ」、「オレンジ」、「プラム」、「海月」、「オリーヴ・オイル」、「柘榴」、「林檎」、「肩甲骨の木」と全部で18の詩篇が並んでいるのですが、その大半が私たちにとっても身近な場所にある、いわばなんの変哲もない題材なのです。 ところが詩人がひとたびそれらを凝視すると、「わたし」はたちどころに「青い魚」へと変身し、キャベツの葉は「死者たちの掌」、そら豆は「わたしの醜い親指の第一関節」に、サラダ菜の真ん中には「わたしの桃色の乳首」が咲くことになる。 このようにいともたやすく対象に憑依し、対象と主客一体となった瞬間から、詩人独自の美しくも恐ろしい魔術的な幻想が次々に生まれてくる姿は、一種の驚異というべきでしょう。 そしてそれは、キッチンから飛び立ち、窓から外に出て、街路や海や広大な空を舞い、遠くはるかな宇宙の高みへと飛翔していくあいだに、なにやら人類の普遍的な夢と記憶の記念塔へと変容していくようなのです。 日常から非日常、「いまここ」から「いつかどこか」、個から出て普遍、全体へといたる目には見えない、高くて、氷のように透き通ったスケルトン。 大本教の開祖出口なおが、おのれの身近な素材に憑依して、世界認識の鍵となるお筆先を解きはなったように、詩人は、おのが身の周りのありとあらゆる事物に憑依して、独自の詩語をはなち、それによって固有の世界認識に通ずる独創的な回路を見いだしたのではないでしょうか。 なにゆえに人の心は見えぬのかすべての人は通り過ぎゆく 蝶人
2014年01月10日
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茫洋物見遊山記第144回&鎌倉ちょっと不思議な物語第308回 ここは鎌倉ではありませんが、限りなく鎌倉に近い逗子の山の上に立つ曹洞宗の古刹、海雲山岩殿寺で、境内からはかつて泉鏡花が賛嘆した逗子湾の絶景をいまも眺めることができます。このお寺は古くはかの後白河法皇が参拝して坂東33ヶ所第2番の霊場と定められたそうですが、法皇が東下した史実はないので、これは眉つばでしょう。しかし鎌倉幕府の将軍との縁は深く、長女大姫の病回復を祈願して頼朝と政子は、夜な夜な第1番霊場の杉本観音からの巡礼古道をたどり、お百度を踏んだと伝えられています。されどそもそも大姫の病気は、頼朝が彼女の婚約者であった木曽義仲の長男義高との相思相愛の仲を引き裂いた精神的なショックからきており、いわば自業自得ともいえましょうが、昔も今も子を思う親の心に変わりはないと改めて思わされる逸話です。ところが月夜の鬱蒼とした杉木立の中を頼朝夫婦が手に手をとって歩んだ巡礼古道を、ほかならぬ逗子市が道路建設のために破壊したために、この歴史的遺産は往時の姿をとどめることなく、その途次で無惨にも断ち切られてしまったのです。お寺の裏山に立ち、その道路越しに遥か鎌倉を望めば、環境破壊の傷跡とともに、はかなく消えた中世のひとつの恋の行方を偲ぶことができるでしょう。なにゆえにたった一日で終わってしまったのか東西十五万人が集まった関ヶ原の戦い 蝶人
2014年01月09日
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照る日曇る日第647回&音楽千夜一夜第320回 谷崎潤一郎が序文を書いている表題作、外国人向けの本邦案内書である「生きている日本」、各地の訪問記である「日本再見」、そしてクラック音楽についてのエッセイ「わたしの好きなレコード」他一篇の三冊の単行本を一巻にまとめた分厚い本であるが、なんといっても面白かったのは、かつて「ドナルド・キーンの音盤風刺花伝」というタイトルでレコード芸術に連載された音楽談義である。 メトロポリタン歌劇場の全盛時代に著者が耳目を属したフラグスタート、メルヒオール、ピンツア、ビヨルリング、ニルソン、カバリエ、ロス・アンヘレスなどへの共感もさることながら、50年代のカラスの「トスカ」をまの辺りにした著者が、「私を愛して、アルフレード、私があなたを愛するのと同じくらいに!」と叫んだ時のカラスと、光源氏への愛と現世への愛をいままさに捨て去ろうとする瞬間の六条御息所のためらいを重ねて見せる時、それは最高の高みに達するのである。 私は「フィガロの結婚」の白眉は、第4幕の最後でアルマヴィーバ伯爵が許しを乞い、伯爵夫人がそれに応ずるわずか数小節にあること信じている(だからベームが素晴らしく、アーノンクールなぞ二流三流の指揮者の演奏が全然駄目なのだよ)が、著者もその見解を認めたうえで、モーツアルトの天才は、他の作曲家がしたであろうようにその黄金の旋律を繰り返して展開しなかった底知れぬ懐の深さにあると論じているが、さもありなんと頷かれる。 ミラノスカラ座で「神々の黄昏」のサクラに雇われた話、1941年のメットでワルター&フラグスタートの、1950年のザルツブルク音楽祭におけるフルトヴェングラーとまた彼女との「フィデリオ」を聴いた著者の終生忘れ難い感動、英コベントガーデンでカラスの「ノルマ」を聴いた著者の絶叫が、その海賊版CDに収録されている話、三島由紀夫は「レオノーレ序曲第3番」を聴いているうちに「「獣の戯れ」のプロットを思いついた話等々、じつに興味深い逸話がてんこもりの本書は、音楽と文芸の共感覚について話が及び、「詩の一行が音楽と化し、一節の旋律が一篇の詩に行きわたる」と論じたうえで、次の一句を示して画龍点睛の見事な大団円となる。 海くれて鷗のこゑほのかに白し はせを なにゆえに突然悲哀に墜ちるのか倹しき我が家も妻子もあるのに 蝶人
2014年01月08日
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照る日曇る日第646回女性教祖と救済思想と副題されたこの本を、とても興味深く親近感を持ちながら読んだ。大本教の教祖としてあまねく世に知られることになったこの女性は、私の祖父の同時代のひとで、当時最底辺、最下層の貧民であった彼女が、質山峠を越えて襤褸の買い出しに行く姿を瞥見したといっていたのを覚えている。郡是の創業者波多野鶴吉翁の影響のもとに基督者となり丹陽教会の設立に尽力した祖父にとって出口なおは奇矯の言を吐く気違い女であり、大本教は正体不明の邪宗であったことは言うを待たない。祖父の強い教育的指導のもとで幼い時から強制的に教会に通わされた私は、亡き塩見牧師が窓の外に見える大本教本部のみろく殿を指差しながら、「あのような得体のしれない多神教よりも一神教のキリスト教のほうが遥かに優れた宗教なのです」と決めつけられたことを覚えているが、にもかかわらずだんだんと興味が失せ、とうとう今日のような無神論者へと腐敗堕落の一途をたどってしまったのはなんとしても残念なことだった。大正10年の第1次大本事件の時は押し寄せた警官隊が爆発させるダイナマイトの音が町中を揺るがせたそうだが、30年後の私は彼らが完膚無きまでに破壊した出口なおと王仁三郎の桃山御陵に似た墓地跡の天王平で、夢中になって蝶を追いかけていたのである。この本を読むと、そんな大本教と出口なおの来歴がじつに詳しく解き明かされていて参考になるが、いちばん驚いたのは、添付された彼女の旧居付近の地図に、私が通った散髪屋さんや好物の餅屋さん、同級生の家などが実名入りで掲載されていることだった。出口なおと大本教は、私の中でいまなおいきいきと生き続けているのである。なにゆえに「みんないなくなっちゃった」というのまだ私たちが生きているのに 蝶人
2014年01月07日
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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.611ジャック・ニコルソンがなんと宇宙飛行士役でシャーリー・マックレーンと悪乗りして丁々発止、嫌み寸前の名演怪演を繰り広げるのが見ものの映画だが、マクレーンの娘役のデブラ・ウインガーが3人の子供を抱えて、まだ若いのにガンで亡くなってしまうという悲しいお話。女房をさしおいてヒョロヒョロ若い女に手を出す夫役をジェフ・ダニエルズが好演している。デブラ・ウインガーはいよいよいけなくなって病院で愛する息子(なぜか娘はいない)に別れの言葉をかけるのだが、本当は母親を愛しているけれど、反抗期で親に反発して無視している長男は、こんな人世の大事な瞬間なのにソッポをむいて突っ張っているのが、まるで幼い時の私のようで微笑ましくも悲しい。息子に対して、デブラは「君は本当は私を愛しながら、わざとそんな不遜な態度を取ったことを、私が死んでから悲しみとともに悔いるだろう。しかしそんな君のことを、私は今許すと言ってあげるわ」とコメントして別れを告げるのだが、先回りしてそんな余計なことを言う必要はまったくなかった。母に死なれた息子は、その時が来れば、自分からその折りの不遜な態度を死ぬほど後悔して泣くのだから。なにゆえにものに怯えて噛みつくや被災地からやって来た次郎 蝶人
2014年01月06日
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「これでも詩かよ」第56番&ある晴れた日に第192回 ことしは、むかし私が勤めていた会社の同僚が他界された。 安永和代さん。 ことしの五月に八〇歳で儚くなられたという。 満州から引き揚げてこられた方で、詳しくお尋ねしなかったが、きっといろいろ苦労されたに違いない。 私が入社した時安永さんはすでに超ベテランOLで、 ちょっと昔風にいうと「お局さん」として小さな組織に君臨していたから、 若い女子は敬して遠ざけていたが、私には優しかった。 しかし私がグアムに出張したとき、お土産に樽の中から兵隊のオチンチンが飛び出す大人のオモチャを買ってきたら、 「課長、課長、見て下さい! 佐々木さんたら、こんな酷いものを買って来たんですよ!」 と血相変えて言い付けられたことがある。 そーゆー軽い冗談をいっさい受け付けない、 とても真面目な方だったのです。 酒井精一さん。 彼の名前は、彼の父上が親しかった農業経済学者の東畑精一氏にちなむ。 東大国文の秀才で、卒論は「保田與重郎論」。 私は彼から「橋」にまつわる興味深い話をはじめて聞いた。 「あのね、僕がいっとう快感を覚えるのは、高速をドライブしながら、車がゆっくり右に曲がっていくときなんです」 と教えてくれた。 私はその一部をちょっと変えて、 「左側にハンドルを切り高速を墜ちゆくときの軽き眩暈 」 という短歌を詠んだが、それを彼に見せる機会はついに訪れなかった。 七月一七日。まだ早すぎる六〇代での急死でした。 さて今宵は西暦2013年のクリスマス・イヴ。 私は深く頭を垂れ、おふたりの霊よ安かれと祈っています。 さほど遠くない日の再会を約しつつ。 なにゆえに道は右に曲がるのが気持ちいいのか亡き君に訊ねている 蝶人
2014年01月05日
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「これでも詩かよ」第55番&ある晴れた日に第191回山の麓の公園で、ひとりの修道女が携帯電話をかけていた。声を潜めて話していた。修道院に入るにはお金が要る、と誰かから聞いた。お金の額で待遇が決まるというのだ。地獄の沙汰のみならず天国の沙汰も金次第?厳しい戒律に縛られてあんがい自由もないのだという。山の上には修道院「無用の者立ち入るべからず」の張り紙。齢老いた修道女の電話は続く。いったい誰と、何を話しているんだろう。なにゆえにこれほどの傑作を採らぬのかといたずらに選者を怨みし朝も再々 蝶人
2014年01月04日
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バガテル-そんな私のここだけの話op.171 &鎌倉ちょっと不思議な物語第307回 たまたま鎌倉に住んでもうすぐ40年になんなんとしているわけですが、当時は昔ながらの商店や食べ物屋さん以外にほとんどなにも無かった田舎町に東京資本のいろいろなお店がどんどんできて、観光客も増えてきました。 例のユネスコ遺産騒動も手伝ってか、最近はアホ莫迦テレビが見境なしにそれらの飲食店や土産物屋を取材し、それまで住民が敬して遠ざけていた超超不味い店にまで長蛇の列ができているのは、バカバカしさを通り越してちょっと怖いような気持ちにもなります。 そんな町に私がたまたま長く住んでいたからといって、色々なところを食べ歩いているわけではないのですが、最近私が入れこんでいる「Trattoria Fonte Kamakura」(トラットリア フォンテ カマクラ)というイタリアンを紹介したいと思います。 その名前が示す通り、リストランテではなく、よりカジュアルで家庭料理風のメニューを供するこの小さなトラットリアは、 鎌倉駅東口から5番のバスに乗り、7分くらいでつく「岐れ路」停留所を降り、進行方向にある「岐れ路」の信号を越えて2分歩いた「大御堂橋」の信号の手前にあります。(途中右側に違う名前のイタリアンがあるので間違えないように) ここはイタリアに留学して料理を叩きこんだ若いシェフが赤ちゃんが生まれたばかりの奥さんと2人でやっているこの店は、とれたての鎌倉野菜や近海の新鮮な魚などが見事に生かされており、そのくせ値段がとても安く、いつ訪れても心から満足させてくれる超お薦めのトラットリアです。客の大半は近所の住人ばかりというのも気に入っているのですが、来鎌倉の節はどうぞその手軽な素晴らしさをお試しください。 店のHPはhttp://trattoriafontekamakura.com/ 奥さん手書きのブログはhttp://fonte22.blog.ocn.ne.jp/ なにゆえに同じ水曜日に休むのかお向かい同士のイタリアンレストラン 蝶人
2014年01月03日
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音楽千夜一夜第319回 ルネッサンスからバロック、古典派、ロマン派の時代を経て現代へと至る過去500年の中で歌われてきたさまざまな合唱音楽の中から、代表的なものを中心に50枚のCDにまとめたお買得なボックセット。2012年度グラミー賞合唱部門受賞のウィテカーのアルバムまで収録されています。 ガーディナーやホグウッド、ピノック、ルセなどのピリオド系に加え、ジュリーニ、デュトワ、ケンペ、ショルティ、デュトワ、デイヴィスといった巨匠たちの名前が並ぶのは壮観で、マクリーシュの『天地創造』、ブーレーズの『詩編交響曲』まで代表的な合唱曲を50枚のCDに収めています。 特に聴きごたえがあったのは、シャイーとゲバントハウス管弦楽団の『マタイ受難曲』で、これはビデオで視聴したときはつまらない演奏だと思ったのですが、このCDは良かった。 その他のバッハの受難曲やカンタータを担当しているのはガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツとモンテヴェルディ合唱団ですが、これは半分過去の人の過去の音楽の面影を耳にしているような印象で、新旧すべてに冠絶するものは、やっぱりカールリヒターとミュンヘンバッハの大演奏でありましょう。 しかしデッカとドイツ・グラモフォンの総力を結集した名演名録音が、安倍蚤糞による価格暴騰にもめげずたった1枚185円という廉価で入手できるのは喜ばしい限りです。 なにゆえにEMIもフィリップスも無くなったのか栄枯盛衰クラシック・レーベル 蝶人
2014年01月02日
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明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願い致します。
2014年01月01日
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