全15件 (15件中 1-15件目)
1
年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず 今年も桜が咲いた。 見慣れた美しい景色は毎年同じように見えて、でも去年とはどこか違う。 花は同じように咲くけれど、人や人を取り巻く環境は全く同じではないのだ。 4月は始まり、そして変化の季節。 変化は時として別れの形を取り、一抹の寂しさを伴う。 そしてちょうど桜の儚い美しさと相まってしばしば私たちを感傷的にする。 よく言われるように、日本人は桜に対して特別な思い入れを持っている。 毎年桜前線の到来は大きなニュースであり、人々は花見に出かけては、散るのを惜しむ。 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という古歌にもあるように、美しさの絶頂で散る花として、桜は時に我々の心を乱し、感情を高ぶらせてきた。 言ってみれば刹那の美の象徴であり、そのあまりにも潔い散り際は日本人にある種のカタルシスさえもたらす。 そしてこのカタルシスを経て我々は変化を受け入れ、消化し、乗り越えてきたのかもしれない。 その意味で桜は、極めて日本的な花である。 花を落とした桜が青々とした若葉をつける時には、また前を向いて自分の道を進んで行けるように。 満開の桜にさまざまなことを思い出しながら、ひとときのあはれに思いを馳せた。
2016年04月03日
コメント(0)
さまざまのことおもひ出す桜かな 芭蕉桜が満開である。桜についての一番古い記憶は幼稚園の頃、家の近くの桜の木が切られると聞き「好物の桜餅が食べられなくなる」といって泣いたことだった。その心配は杞憂だと知った春、買ってもらったばかりのランドセルを背負った6歳の私のとなりにも桜は写っている。アルバムをめくれば、それから中学校入学、高校入学、大学入学と、節目の写真にはどれも桜が色を添える。社会人になってからの桜も感慨深い。新たな職場へ希望半分、不安半分で向かう道すがらに見た桜。別れの季節のほろ苦さを味わいながら見た桜。自信が持てず地面ばかり見ていた時、散り敷いた花びらに思わず見上げた満開の桜。患者さんを看取って帰る早朝の神がかり的に美しかった朝焼けの桜。咲いたと思えばすぐに散ってしまう、一瞬だけの美しさ。その強烈な印象が、ちょうど春という変化の季節にある人々の記憶を焼き付ける。いろいろな人の人生の節目を切り取り、思い出させる一種の装置、それが桜なのかもしれない。今年の桜を思い出す時、未来の私は何を思うのだろうか。
2015年04月06日
コメント(0)
またまたほったらかしでした。でも、まあまあ元気にやってます。ホームシックもちょっと治ってきました♪初めて受け持ちの患者さんを亡くしたり血液学会でいろんな先生に会って刺激を受けたりその夜に大学オケの本番を見に行って懐かしくなったりそうこうしてるうちに、バッハの無伴奏バイオリンを聴いてみたくなったりラジバンダリ。まあ、いろいろありました。相変わらずモタモタバタバタやってますが、ちょっと楽しくなってきた♪めっちゃ小さいけど確かな進歩かな。で、突然ですが芸術と文化の秋。天気もよかったので、遷都君と鹿を堪能しに奈良まで行ってきました。と思ったら、鹿も遷都君もいませんでした…。しょーがないので(笑)、正倉院展に行ってきました。毎年やってて今年はなんと60回目。噂には聞いてたけどすごい混雑でした。まず入場待ちで30分!みんなそんなに聖武天皇のファンなのか!?などと突っ込みつつ、どんなお宝があるのかと胸踊らせながら待つこと30分。ようやく会場に入ると外以上の混雑ぶり。人口密度高っ!でっかい香木とか、ちっちゃい尺八とか、綺麗な鏡とか、綺麗じゃない鏡とか、その箱とか。ジャパネスクというよりはオリエンタルな香ただようお宝でした。あと、仏教儀式に供した色とりどりの仏具。幡とかは一部に当時の色彩が鮮やかに残っていて、ちょっと感動!でも、どう見てもペルシャ絨毯の柄にしか見えない…。アラベスクというか唐草文様というか。天平の昔には、日本は随分オリエンタルな国だったのでしょう。青丹よし、匂うが如く咲き誇っていたかつての寧楽の都を垣間見た気がしました。それから、今回のイチ押しのお宝は何と言ってもコレ!椰子の実。名も知らぬ遠き島より流れ落つ椰子の実一つ。その発芽孔を大きくあけて口に見立て、なんとも情けない感じに、垂れ目をつけられた椰子の実君は、ご丁寧にも内部に漆まで塗られて千年も後の私たちを泣きそうな顔で見つめ返してくれていました。ムンクの叫びみたい。なんでこの椰子の実君が宝庫に納められたかはわかってないそうです。とりあえず面白いから入れとけ、ってなったんでしょうね。正倉院の中って、結構ガラクタもあるみたい。貂のミイラとか、アコヤガイに割り箸をくっつけたスプーンみたいなやつとか。訳がわかんない宝物?もいっぱいでしたが、並んだ甲斐ありなかなかに充実した展示でした。その後、ちょっと足をのばして春日大社に。その昔、拝観料をケチって本殿を参拝しなかったので今度こそ!と思ったら、時間切れでした…。うぅ、残念!次こそは絶対拝観するぞー!と心に決めつつ、ちゃっかりお願い事はした私。「いい血液内科医になれますように。」思えば去年の今頃には、まさか全然知らないところでただ働きをするとは思ってもみなかった…。(ちなみに今は給料出てますが。)当時は大学病院で感染症やるか、小児血液やるか、はたまた呼吸器内科やりながら細々と血液内科やるか、その辺りで決めかねて悶々としてました。たまたま、一人で北海道に心臓外科修業に行くのを決めた友達と旅行した時に、私も外に飛び出して頑張ってみようと思って動き出したのが11月の最終週。それからまだ1年も経ってないなんて!あの時の決断は自分にとってまあよかったのかな。などと感慨にふけりつつ、鹿くんたちに鹿せんべいをあげたのでした。なぜか、春日大社の森には鹿がいっぱいいました。飛火野の隣だから?遷都くんには会えなかったものの、鹿には会えたのでちょっと満足して奈良を後にしたのでありました。それから大阪に戻ってプチ飲み会。ちゃんこ鍋を食べつつ、めっちゃ色々聞いてもらってなんというか、目からうろこでした。わかっちゃいたけど、私って笑っちゃうほど子供ですな…。ま、B型なもので、そういう自分も好きだけど。そんなこんなで、貴重な3連休はあっという間に終わったのでした。またがんばろ。
2008年11月02日
コメント(9)
かなり遅ればせながら、あけましておめでとうございます。早いもので、国家試験前にせっせと更新していた時からもう二年以上が経ちました。その間、いろいろな方にご訪問&カキコをいただき、ほんとに感謝です。今年もよかったら時々のぞいてやってくださいね。さてさて、実は年末に風邪をひいてしまいまして、せっかく進路が決まったにも関わらず、なんとなく燃え尽きたような生活を送っておりました。体調が悪いくせに、折からの忘年会シーズンでなかなか風邪が治りきらず。小児科で悪性腫瘍の化学療法中の患者さんをもっていることもあり、うつしては大変ととっても肩身の狭い年末でした。でもおかげさまで寝正月を堪能したせいで、風邪もほぼ治り、「健康ってすばらしい!」と、職業柄痛感している今日この頃です。大げさですね、ハイ。患者さんにもうつってないようで、ひと安心です。でも、完全に正月ボケでございます。正月中は昼前に顔を出していたので、仕事始まってからもなかなか起きられないっ!しかも、仕事始めの献血バイトは今までで二番目ぐらいに忙しい献血でした。うぅっ。そして、私が行くと必ずといっていいほど何かが起きる。この日も、始末書いっぱい書きました…。えーん。いっときますが、私のミスとかじゃないです、一応。。。最近、マイカーをゲットしたので、車通勤がちょっと楽しいです。我が愛しのヴィッツ君は、早くも満身創痍になってしまいましたが。。。さて、気を取り直して。今日は競技かるたのクイーン、名人決定戦をじっと見てしまいました。NHKで昼の1時から6時まで、えんえんやってました。あそこまで長丁場だと、やってる人も見てる人も疲れるだろうなぁ。実は去年もおととしも見てたのですが、さすがは「畳の上の格闘技」、すごいです。お人よしに「はい。」とか言いながら取るんじゃなくて、無言で札を十枚ぐらい蹴散らしながらババッと払うんです。これは見ててちょっとストレス解消。しかも、一字決まりの札というのがあって、「む」という文字をきいただけで取れる、なんて札も結構あり、読み始めてから1秒未満で取ってたり。すごいスピードです。そんな瞬殺なので、札の位置は全て暗記。それを一日に何試合も、6時間することもあるんだとか。うへー、すごい記憶力と集中力と持久力です。クイーンは4年目、名人は10年目とあって、なんだか別格の強さです。世の中にはすごい人もいるもんです。ちょっと触発されて、百人一首のCDを探してみようかと思ったのですが、めんどくさいのでやめました(笑)来年もまた見ようっと。さて、一応今年の抱負です。やるべきことをためこまない。もう何年も年始には密かにそう誓っているのですが・・・。今年こそは、頑張るぞうっ!まずは、溜め込んでるサマリーとレポートと感想文・・・。こんな私ですが、今年もよろしくお願いします!
2008年01月05日
コメント(0)
「悲しみよ、こんにちは」風に。突入する前には無限に続くかと思った連休も、気づけば今日で最後です。前半は大学オケの定演の後に燃え尽き、だらだらと家で過ごしてました。そんなわけで休みの日に病棟に行くのがものすごくしんどかったので「そうだ、休みの前日に当直して、朝にちょろっと病棟に行って帰ってきたらいいんだ」と思いついた私。5月2日に同じ魂胆の同僚と4人で大挙して応援当直に行き、なんだかワイワイと仕事しました。ホットラインという比較的重症な患者さんの要請時に鳴る電話が何度か鳴り響いたにも関わらず、みんな帰宅してしまったのですが。結局夜中までかかったわりに、次の日は結構元気に友達と遊びに行きました。といっても、行った先は相変わらずスーパー銭湯なのですが。女二人、GWにデートもせずに長風呂。ヒノキ風呂でテレビを見ながら思いっきり井戸端会議。ま、こんな日もあってもいいじゃない。その後、彼女の行きつけの居酒屋で明日も仕事だからとほどほどに飲み、解散しました。で、翌日は彼女が当直。私も小児科で仕事があったので、ついでに救急でまたまた応援当直しちゃいました。その日も比較的命に別状のない人たちだけかと思ったら、夜中になって重症患者さんが切れ目なく運ばれてきて、結局朝の5時ごろまで働いてました。「労働って尊いのね。」と、しみじみ。さすがに次の日は一日家で寝ておりました。そんなわけで、なんだか気づけば連休の最終日。これまた何もせずに家でダラダラ。やったことといえば、カレー作って、母のパソコンが調子悪かったのをちょっとだけいじくってみたことぐらい。まあ、たっぷり休んだということで。明日からまた仕事、頑張ります。
2007年05月06日
コメント(6)
去年のちょうど今ごろ、国家試験の発表でした。ドキドキしながら待ち構えた合格発表。でも、受かってからの方が大変でした。そしてそれはきっとこれからも延々と続く道のりなんでしょう。さて、今年の合格発表よりも一足早く、桜が咲きました。今日のお昼、オーベンに誘われて外に食べに出た時に一本だけ5分咲きの桜が。陽の光の届かないオペ場にいると、季節感がまったくないのですが、やっと春を実感しました。そういえば最近暖かくなってきましたね。朝はまだイマイチ寒くて、薄着で行くのを躊躇ってしまうけれど、帰りは自転車をこいでるとじんわり汗がにじんできます。季節はめぐり、もうじき研修一年目が終わろうとしています。今度は後輩達がやってきます。後輩達にも、桜が咲きますように。はあ、ちゃんと「先輩」できるのかなぁ。。。ところで、昨日の当直は今までで一番といっていいぐらい平和だったので、ゆったりと音楽を聴きながら休んでました。持って行ったのはリヒャルト・シュトラウスのバイオリンコンチェルトとバイオリンソナタ。サラ・チャンの演奏で、サヴァリッシュが指揮とピアノを弾いています。サヴァリッシュがピアノを弾いてるところってあんまり見たことないなぁと思いつつ。。。でも頭の中ではこの間の庄司さんと小菅さんの演奏を思い浮かべながら聞いてました。今までこんないい曲を知らなかったなんて!美しい旋律の宝庫のような曲。これでもかとばかり畳み掛けてくるような、思わずうーん、と唸ってしまう。曲を貫いている雰囲気はとても暖かいものなんだけど、ただのきれいな曲では終わらない。リヒャルト・シュトラウスの曲で一応聴いたことあるのって、ツァラツストラとティルと英雄の生涯ぐらいかなぁ。なんだかジャーン、ズジャーンって感じの重たーい曲ばっかりかと思っていたら、こんなにきれいな曲も書いてたのかと、ちょっと目からうろこでした。うーん、なかなかいいじゃん。あと大量に買ってきたCDもぼちぼち聴いていこうっと。あ、その前にマーラーの悲劇的も聴かねば!セルの最後の一撃、未聴ながら大いに興味があります。
2007年03月28日
コメント(4)
今日はうれしいひなまつり。例のひなまつりの歌は短調で、「今日はうれしいひな祭り」と歌っていながらもちっとも嬉しそうなんかじゃないけど。というツッコミはおいといて。一応ひな祭りなので、お雛様の写真をのっけてみました。数ヶ月ぶりのフォトのアップで、どうやるのかすっかり忘れてしまってました。。。(汗)一応、ちらし寿司を作って供えてみました。毛氈がしわくちゃだとか、写真のうつりがあんまりよくないとか、細かいところは見逃してくださいませ。ちなみにこの写真を撮った直後、じゃそういうわけで~とお寿司はさっさと撤収され、私達の胃袋へと消えていったのでした。そしてお雛様も「婚期が遅れる~」との強迫観念のもと、あわただしく片付けられてしまいました。また来年ね、って来年も出すのかしら?またまた週末。2月は当直がたまたま全部水曜に集中してたので、一週間のうちでなんとなくリズムができていたからか、金曜に飲み会が多かったです。昨日も某診療部門の看護師さんの歓送迎会で、突然私にまでお誘いがかかり、いそいそと献血帰りに行っちゃいました。でも研修医は私だけで、最初は「ほんとにこんなとこに来てしまってよかったのかな…。」と心細かったのですが。行ってみたら意外になじんでしまいました。ただ、薬剤部の人や受付さんに看護師さんと多職種の人たちとの飲み会は初めてだったので、後であの人は誰だったんだろうと未だにわからない人もチラホラいるのですが…。大きい病院なので、特に研修医の身ではコメディカルの人とこんな風に接する機会もあまりなくて、あつかましくもお邪魔してみて楽しかったです。というか、いつの間にか教授にまで飲み友達として認識されてしまってるし…。週末のいいところは朝寝坊ができるところ。その後はおもいっきり安眠をむさぼりました。そろそろ春本番。私にとっては花粉症よりも春眠暁を覚えずの方が深刻な悩みです。この週末はおもいっきり寝だめをしようっと。
2007年03月03日
コメント(0)
今週は休みもあったり、CVCの勉強会があったりで、水曜日だけしかオペ場にいなかったので、ちょっと気が楽でした。でも、来週以降またずしっとくるのかな。。。今日は月に一度の出張日、というか献血バイトの日でした。いつもは献血車での献血なのですが、今日は初めて献血センターだったので、成分献血などもあって、はじめのうちはちょっと慣れなかった。。。成分献血ができるところはあまりないので、来る人はほとんどが成分献血のレピーター。最短で二週間間隔でできるので、月になんどか通ってるのーという人も多かったです。でも基本的にはすごーーく暇で、一時間に二人とかしか来なかったので、9時から5時までという勤務時間がものすごーく長かったです。しかもせまい個室にほぼ閉じ込められてるし。2時台は全く人が来なかったので、お昼寝して起きては抄読会のペーパーを読んで、また眠くなって寝て…という感じ。やることないのはないで、すごく疲れるものですね。ま、贅沢な悩みですが。。。で、献血が終わったら病院に急行。といっても、麻酔科なので別に患者さんが急変したわけではなくて、某科の新年会に行くためでした。この新年会、毎年教授宅ですごいご馳走が出て、ビンゴ大会まであり、ドンチャン騒ぎをするらしい。なぜか秘書さんから誘っていただいて、またまたあつかましくもお邪魔してきました。まず、最初に名物の「ザッツ21」。乾杯の前にはみんなでこれを3粒飲むというのがしきたりだそうな。それから大ぶりの甘エビ、カニがこれでもかとばかり。それをみんなで無言になりながら食べ、「やっぱりカニは身もおいしいけど、味噌ですよね~」と言った私の声が妙にしーんとなってるところに響いてしまい、「酒飲みだねー」と片付けられてしまった…。ようやく食べ終わっても、そこから次はサラダやら、フライやら、おでんやら、おそばやら、ほんとに食べきれないぐらいのご馳走が次々と出てきて、最後は洋ナシのコンポート。うーん、お腹いっぱい!幸せでした~♪それからお待ちかねのビンゴ大会。私は4等でした。栗原はるみのサラダボールが当たって、ルンルン♪結局12時ごろまでお邪魔してしまい、最後は後片付けをしてから(洋食器はほぼ全てウエッジウッドでした)、奥様のハープを聞かせていただきました。オケでハープの近くで弾いたことはあって、その音色にうっとりしていたのですが、実際に触らせてもらったのは初めてでした。どうやって黒鍵を作るのかと思ってたら、ペダルが7本あって、真ん中はナチュラルで踏み込んだり上げたりでシャープとかフラットを出すらしい。なるほどー!見た目は優雅だけど、実は指も痛いし足もゴソゴソして大変なのよーとのこと。そうなのか。。。滅多にない体験でした。それにしても、またまた関係ないのに馴染んでしまいました…。どうもお邪魔しました。明日は研修医の飲み会。こっちも楽しみ♪
2007年02月16日
コメント(2)
早いもので、もう立春。今年は暖冬だそうで、なるほど今日もお昼はほんとにのどかな陽気でした。とかいってる間に、結局寒中見舞いを出せなかった…。そういえぱ去年の今頃は、国家試験前でそれはそれは…。と思い出そうとしたら、意外にもまったくピンときません。去年の記憶はそこだけ欠落してしまってるようです。ま、おそらくは家でダラダラしながら、勉強しなければとあせりつつ、テレビ見ながらブログ書いたり、気晴らしに料理やらお菓子やらを作ってたんでしょうが…。うーん、あの頃に戻りたいような、戻りたくないような。だって、きっと今国家試験を受けても99%不合格な気がします。せいぜい剥奪されないようにがんばります、ハイ。で、節分も終わり立春。ちなみに昨日の節分は、麻酔科の同門会に行ってホテルで立食パーティーだったので(なんだかデジャビュ!?)、豆まきも巻き寿司のまるかじりもせずに終わってしまいました。今日は立春なので、お雛様を飾りました。いまでにしつこく、それも立春の日に出すのがなんとなく習慣になっているので。。。ごそごそと飾りながら、一年ぶりのご対面。もうだいぶんぼろっちくなってきたなぁと思いながら、きっと25にもなって飾ってるのってうちぐらいかも。こういうのって一体いつまでやればいいんですかね?明日の麻酔の症例は、92歳のおばあちゃんのVPシャントです。しかも、かなり状態が悪い人らしく。。。でも、明日の指導医の先生ってパートのママさんなので、来るのがめっちゃ遅いのよね。はぁ、また明日も朝早いや。でも土日に思いっきり朝寝坊したので明日からまたがんばろっと。はっ、そういえばもうすぐ抄読会だった。お題は「周術期におけるβブロッカーの使用は冠動脈リスクを軽減させるか」というわかったようなわからないようなテーマ。どっさり論文を渡されてしまいました…。こんなに読めないよぅ(涙)仕方がないので、暇な手術中にでもがんばって読みます。
2007年02月04日
コメント(0)
社会人になってはじめて迎える年末。この時期は怒涛の忘年会シーズンでした。なんやかやと理由をつけて今日は医局の忘年会、今日は研修センターの忘年会、とこの二週間ばかし休肝日がほとんどないありさま。で、今日は一大イベント、医局の忘年会でした。まず、一次会は私たちの送別会も兼ねて、お座敷で鍋というお決まりのパターン。送られる人たちみんなに挨拶が回ってきたのですが、一瞬私は忘れられていてラッキー!と思ったら、なんか中途半端にお鉢が回ってきてしまいました。「なんだか全くストレスを感じない研修でした」とこれまたわけのわからない挨拶をし、思えばほんとーに楽しい3ヶ月だったなぁと実感。今回の内科は、ベッド数も少ないこじんまりとした科だったのてすが、研修医が私だけだったこともあり、かなり好き勝手にやらせてもらいました。内科なのになぜか手術に二回も入り(しかも一回は手洗いまでして助手を務めたり)、隣の内科に半ばもぐりこみながら、手術室での全身麻酔下の骨髄採取をやらせてもらったり、そこそこ重症の人もいたので、いろいろバタバタしながらも勉強になることも多かったです。何より、オーベンの先生によく飲みに連れて行ってもらい、最後には「先生はいい飲み友達だよ」と言われたぐらい、妙にかわいがってもらったなあと。うちの病棟は3科からなる寄り合い所帯なのですが、どの科の先生にもすごくよくしてもらい、看護師さんも優しく、ほんとにストレスフリーな研修でした。そんなこんなで忘年会もかなりアットホーム。みんなで今回の鍋の一番の目玉、白子を取り合いながら、一次会からかなりお酒が入っちゃいました。いい感じに出来上がったところで、二次会は日本人の定番、カラオケ。ものすごーく昭和の匂いのするカラオケでした(笑)普段、ほとんどクラシックしか聞かない私はもっぱら聴き役。ま、かなりの音痴だからというのが本当の理由ですが。助教授や講師の先生方がほとんどマイクを独占し、オジ様たちのオンステージ状態でした。一緒に口ずさんでいると、「先生、ほんとは何歳?」年齢詐称疑惑勃発。まあ、いいじゃないですか。閉店ぎりぎりまでねばり、その後帰れないと悟ったメンバーで悪乗りして三次会、立ち飲みやへgo!そこで3時までねばり、話はなぜか私の恋愛ネタに。実は数日前にちょっとした大波乱があったのでした。慰められてるのか、傷口に塩を塗られてるのかわからないままに、閉店ですと追い出され、こうなりゃままよとお次は医局に流れ着きました。そこでもなぜかさっきの続き。結局、ちびちびとビールを飲みながら気がつきゃ朝の5時でした。さすがに今から帰っても明日来るのがしんどいので、そのまま当直室で倒れこみ、翌日はそのまま勤務。ペーペーの私はまあいいとして、昨日最後までいたオジ様達は次の日外来と化学療法室勤務だったのですが、さすがは医者、私なんかより数倍タフでした。次の日は仕事納め。実はここだけの話、この日は年に一度宵のうちから白衣を着たまま乾杯できる日なのでした。病棟の仕事を早々に終わらせて医局に下り、おでんで乾杯!この日は体調を崩していた教授が久しぶりに出勤して来られて、ようやく主のそろった教室でめでたく仕事納めとあいなったのでした。2日連続の飲み会(実は私とオーベンの先生は3連続)にも関わらず、みんな元気で、挙句の果てには「昨日は先生遅くまで一人でしゃべってたねぇ」ときた。いえ、決して一人でしゃべってたのではなく先生達にいじられてたのです(叫)まあ、そんなこんなで楽しい研修でした。とはいえ、なぜか飲みまくってた記憶しかないのはなぜだろう…。また来年もがんばるぞー!
2006年12月27日
コメント(0)
ついこの間入学したと思っていたら、あっという間に卒業式。なんだかあっという間すぎて、まだ18歳のままと錯覚しちゃうわ~とかほざいていたら、誰も突っ込んでくれなかった…(笑)さてさて、まず朝は6時に起きて、母と二人分の着付けとセット。緊張していたのか、着付けてもらってる途中に、なんだか気分が悪くなってしまった。水分を控えていたのと、前夜実はあまり眠れなかったのが悪かったのかな。水を飲んでなんとか復活し、無事にヘアメイク&着付けが終了。慌てて駆けつけてみたらみんな大講堂前で写真を撮りまくっていた。で、私も合流して写真を撮りまくる。みんな振り袖を着ると見違えるというか、ものすごくきれいだった。やっぱり女は着物よねぇ。今年は圧倒的に振り袖が優勢で、袴は数えるほどだった。しかも、女子では洋服の人がいなかった。こんな年も珍しいかな。あ、一人韓国籍の友人はチョゴリ姿。初めて間近で見たが、ものすごく似合っていて、可愛かった。はしゃぎまくって写真を撮っていたら、あっという間に入場の時間に。教授達や在校生、父兄に見守られながら入場しつつ、早くもちょっとしんみり。その後、学位記授与があり、学長の祝辞に。「これからの人生で、医者として決して心を売らないということを今日ここに誓いなさい」「自らの過失を隠すためにカルテを改ざんしたり、名誉を得るために論文を捏造するようなことはあってはならない。それは医者として心を売ることだ」。医療過誤がこれだけ叫ばれている中、私も他人事ではない。もしも、自分が将来そんな状況になった時、この言葉が蘇るよう、しっかり心に刻んでおかねば。卒業生答辞では、私達の学年の総代が訥々とではあるが、なかなか感動的なスピーチをした。その中で、「○○医大とはなんだろう」というのがあった。「それはこの大学に関わる全ての人。先生方や、学生や、病院のコメディカルの人達も含めた人、これらの人が作り出す何か大きな力が○○医大なのだと僕は思う」なるほどなぁと思った。機械や設備がいくら整っていても、人がいなければ医療は成り立たない。やはり医療は人の慈しみの心やホスピタリティーが原点なのだ。それは同時にこれから身を置く世界の、目に見えない厳しさをも表現しているのかもしれない。いつどんな時も、常に患者さんの身になって考えなさい。これは決して容易なことではないだろう。うーん。でも頑張るぞ!式の後、後輩達が花束と寄せ書きを渡してくれて、ちょっとじーんときてしまった。で、後輩達とさんざんおばかな写真なんかも撮りつつ、その後食事会に。このところ、あまりクラブにも顔を出していなかったので、なんだか話が進まないかなと思っていたが、それも杞憂だった。楽しい時間はあっという間に過ぎ、その後母と写真を撮りに大阪まで行かなければいけなかったので、名残惜しかったがちょっと早めに辞して急いで駅まで向かう。でも、タッチの差で予定していた電車には乗れず。行ってみると母はなんと一時間間違えていたらしく、待ちくたびれたご様子。「あんまり暇だったから、立ち食いそば食べちゃったわ」って、なかなかのつわものですな。結局、無事に予定時間までには着くことができたのだが、リッツに着いた時にはもう疲労困憊。慌てて化粧を直すも、なんだか疲れた顔に映ってしまった。その上、朝からポーズを撮るのに疲れたのか、顔の筋肉がピクピクしてしまい、ちょっと引きつった顔に…。うーん、修正しても見るのが怖いな。その後、ホテルの更衣室で着物を脱いで今度はドレスに。帯を外すとふっと楽になった。帯をずっとしめてると肝臓に皺がよるらしい。ちょっとよったかな(笑)で、ドレスに着替えたはいいが、もともとすごい静電気体質の私、スカートが静電気でくっついてしまう。うわー、どうしよう、エレガードがほしいんだけどコンビニ行ってる時間もないしなぁと思ったが、ダメもとでホテルのブティックに聞いてみたら、なんとあった。さすがは一流ホテル。なんでも用意してあるんだな。それから謝恩会まで、20分という微妙な時間が…。お茶でもしたかったのだが、断念。レストランではバイオリンとギターの生演奏をやっていた。いいなぁ。ぶらぶらと時間をつぶし、みんなぼちぼち到着してきたので、会場に移動。脱いだ着物やらなにやらで、すごい荷物を抱えて帰ったお母様、ごめんなさい&ありがとう。謝恩会ではドレスにお色直しした友達とまたもや撮影会。着物もよかったけど、ドレスも普段見れない感じでまた良し。今年の趨勢は黒のドレスにピンクのシヨールだったようで、このスタイルの子がわりといた。写真を撮ると、なんだか私一人がカラー写真みたいでちょっと浮いてしまった。そうこうするうちに教授たちが到着し、開会。豪華な料理に突進、したかったのだが、耳鼻科の教授につかまりひとしきり耳鼻科に勧誘された。あの、その、今のところは内科系を考えているので…。と言ったが「いやー、内科に行くならなおさら耳鼻科を回っといたほうがいいよ。女医さんにも働きやすい職場だしね…云々」となかなか離してもらえない。あー、料理がなくなっていくー。とうわのそらだったのがばれたのか(笑)、ようやく解放してもらえた。その後も、4月からお世話になる教授や先生方への挨拶回り。将来どの科に進むかまだぜんぜん具体的なビジョンはないのだが、血液内科が気になるなとか漠然と思ってたので、血液内科の先生に言ってみたら、なんだかすごくびっくりされた。うーん、それって来ない方がいいよってことなのか?ま、でもそのあと気を取り直して勧誘されたから、一応受け入れてはくれるのかな。確かに毎年そんなに人が志望しない科なのよね。人数も少ないし…。でも、結婚とか出産とか考えたら、耳鼻科の教授が言うようにやっぱりマイナー系の方が働きやすいんだろうな。でも、やりたいこととはちょっと違うんだな。やりたいことの方を取るか、都合のいい方を取るか…。結局、やりたいことをやってる気がする。わかんないけど。結局、腹八分目でパーティーは終了。途中、ビンゴゲームがあったのだけど、教授陣が次々と賞品をゲットしていく中、私は見事にリーチにさえならず。いいもん、こんなところでくじ運使い切らなくてすんだんだもんね、と負け惜しみ。しかし、立食パーティーって疲れるな。ずーっと立ちっぱなしだし。私はそんなにヒールが高くなかったので大丈夫だったのだが、高いヒールで気合を入れた子の中にはもう限界、と人知れず靴を脱いでる子もいた。ほんと、女の子は大変なのだ。それから、タクシーで友達の披露宴に移動。ウエディングドレス姿がとっても綺麗だった。ほんと、恋する女は綺麗。私もあやかりたいな。クラスのムードメーカーW君がギター片手に「乾杯」を熱唱したり、質問コーナーで新郎新婦を質問攻めにしたり、かなり盛り上がった。でも、あっという間に終電の時間に。そこから大阪駅まで走った走った。途中走り過ぎて気持ち悪くなってしまった友人を励ましながら、なんとか日付が変わる直前に無事家まで帰り着いたのだった。はぁ、ほんとになんて長い一日だったんだろう。でも、人生でこんなに多くの仲間とこんなに感動した日はもうそんなにはないだろうな。と思うととっても貴重で有意義な時間だった。さらば学生時代。終わってみると、なんだかものすごく大切なものを失ってしまったような喪失感。こうやって大人になっていくのかな。
2006年03月23日
コメント(4)
旅行から一夜明けて、思いっきり朝寝坊してお昼に起床。ダラダラとブランチしてたら、ようやく目が覚めてきたので、今日は卒業式の準備をすることにした。まず、成人式以来二度目に着る振袖を出して、帯やら長襦袢やら小物類がそろっているか確認して…。式当日は、母様も着物を着ようかな、というので、二人分の小物やら着物やらを出していると、結構すごい量になった。それから、当日の朝に美容師さんに家まで来てもらって、髪とメイクと着付けをいっぺんにやってもらうので、座敷を掃除した。最近、猫が家に迷い込んできたらしく、ちょっと玄関付近が汚れてしまってたのでここも掃除。それと、式の後の謝恩会は着物は脱いで洋服で参加するので、その時に着るドレスやらショールやら靴にバッグと、こっちの用意も結構大変。男の子ってのは楽でいいな。ずーっとスーツでいいし、着付けもしなくていいのだから。それから、なんと卒業と同時に友達の一人が結婚するというので、その結婚祝いをどうするか、友人と相談した。なんでも、結婚式はいずれまたやるのだけれど、卒業してしまうとみんな会えないので、みんなが集まれる卒業式の後にお披露目のミニパーティーを開くのだとか。プレゼントは何がいいか本人に聞いてみることにしたのだけれど、「お互い学生だから、身一つで来て」とのこと。でも、やっぱり身一つで行くわけにはいかないよねぇと、カタログギフトにするとか、ウェッジウッドの食器にするとか、結論が二転三転した結果、結局当日にご祝儀と言う形でほんの少しばかり包むことに。ためしにネットでカタログショッピングを調べてみたら、ほんとにいろんなものが載っていた。なかには、バイオリン入門セットというものまであって、ちょっとびっくり。こういうバイオリンって、ちゃんと音は鳴るのかな?それにしても、試験が終わってから遊びまわっているのが悪いのか、気がついたら結構やるべきことがたまってきてた。沖縄と京都に行ってしまう友人の送別会とか、医籍登録に必要な書類を揃えるとか。これでも今日で二つ片付いたのだが、まだまだやり残してることがあるような気がして…。学生から社会人になるのって、結構大変なんだなと、実感しつつある今日この頃です。
2006年03月19日
コメント(5)
奈良に春を告げる東大寺二月堂のお水取り、というのに行ってきた。ローマで高校卒業以来6年ぶりに会った友人が、ぜひ行きたい!とのことで、私も見たことはなかったし、勇んで出かけてみた。行きしなに、お水取りの季節だけ限定で出る「糊こぼし」という椿をかたどった和菓子を買う。ほどよく小さくて、赤と白の花びらがなんとも可愛らしい。白餡のまったりした感じがまたとってもおいしかった。ちょっと早めに出たので、早めの夕飯でもということになり、どこで食べようかと私が悩んでる間に、「ここにしよう」とスタスタと入っていく友人。入ったらすぐに「大仏ラーメン下さい」と頼んでるし、私も焦って「と、豆乳ラーメン下さい」と注文。昔からこんなにてきぱきしてたっけ?「齢とって気が短くなったのよ」と友人は言うけど、同い年だし。東京に行ってる間にてきぱきさんになったのかな。ともあれ、豆乳ラーメンはとってもおいしかった。ぐずつく天気で、雨天決行?とちょっと心配しつつ、市内循環バスに乗り、東大寺へ。鹿があちこちでお出迎えしてくれる中を階段を登ってかなり奥のほうにある二月堂に到着。火の粉がかかりまくることを予想して、焦げてもいい服で行ったのだが、行ってみると火の粉がかかるようなお堂の真下の席は取れず、お松明が辛うじて見えるぐらいの遠くから見ただけだった。平日で、しかも小雨が降ってたにもかかわらず結構な人出で、押すな押すなで大変だった。イタリアなら、絶対にスリが活躍しそうな人ごみ。二人ともついつい癖になってかばんをぎゅっと守ってしまう。いざ、お松明が出てきたら、それはもうすごい勢いだった。遠くから見てるだけだったけど、バチバチッという音が聞こえてきそうなぐらい豪勢に火の粉が舞う。火の粉というか、大きい火の玉みたいなのがぼたっと落ちたりして、大丈夫なのかな?という場面もあったり。全部で20分ほどのあっという間だったが、迫力は十分。帰りはさっさと帰ったからか、すごくスムーズにバスが来て、電車の乗り継ぎもほとんど待つことなくあっという間に帰れた。なんだか名残惜しかったが、ローマでばったりとはちょっとした運命かも。また会いたいな。
2006年03月10日
コメント(2)
気づいたら、今年の3月3日は日本にいない。なので、今日の夕飯がたまたまバラ寿司だったのをいいことに、なんとなくひな祭りの偽写真を撮ってみた。ちなみに、お供えしたバラ寿司はこの写真を撮り終わった直後に私が食べました(笑)なんだか、お内裏様とお雛様の仲が悪いように写ってしまってますが、気にしないで下さいね。
2006年02月04日
コメント(2)
はやくも今日は立春。とはいうものの、ほんとに寒くて「春は名のみの~♪」と歌いたくなってしまう。うちではなぜかお雛様を立春の日に早々と飾るというのがここ数年の習慣になっている。飾り付けるといっても、何段もある豪華なやつじゃなくて、一段にお雛様とお内裏様がちょこんと座ってらっしゃるだけで、三人官女も左大臣、右大臣もいない。あっ、と思ったら、なぜか菅原道真公のお軸も一緒に飾るので、右大臣だけはいるけど。なんだかいつもの年以上に、道真様に「試験に通りますように」とお願いしてしまった。げんきん。お雛様たち、何せずーっと1年間も箱に入っていらっしゃるので、ちょっと寝癖がついてしまっていた。というか、着物の裾がめくれあがってた。去年ちゃんと直さなかったのが原因だな。反省。仕方ないので、ちょっと重いとは思うのだけれど、重しをおいといた。ごめんなさい。もう20年以上も飾っているので、相当ガタがきてるというか、だんだんぼろっちくなってきてしまってる。昔、あさきゆめみしを読んで源氏物語にはまった時には、それはそれはしつこく十二単をながめたものだ。あの頃は平安時代にあこがれて、結構本気で文学部に入って国文学で王朝文学を専攻しようとか思ってた。とはいえ、私の性格からいって、膨大な数の資料を読んで、しかも人の意見に流されず自分の主張を長大な論文にまとめるというのがきっと無理だと思ったので、あきらめたのだが。やっぱ、それを思うと今の分野の方が向いてるのかな。なんというか、全部が全部自分で生み出さなくてもいいし。机上の空論だけど一応理屈としては、自分の持ってる知識を頭の中でいろいろ結びつければ一応診断はできるし、それがわかればエビデンスを基に治療方針を立てればいい。極論すれば医者って、研究を除けば、あんまりクリエイティブじゃなくてもいいのかもしれない。もちろん、医療はアートだ、というし、実際に現場に立ってみればぜんぜん違うとは思うけど。そこは、人間対人間になってくるから。ま、どんな仕事でもそうだけど。ていうか、紙の上でえんえんと五択のマークシートを解いてると、考えがかなり極端になってくる。実際の臨床では違うけど、国試的にはこう。っていうのもあるし。実際に現場に出た時に、どこからともなく選択肢がピコーンピコーンって五つ出てきて、さあどれだ?なんていうわけではもちろんないので、常に自分でいろんな可能性を見つけ出さないといけない。その意味では、クリエイティブでなければならないのだろう。これから学んでいこう。なんだか、表題とはぜんぜん関係のない話をしかもまとまりなく延々と書いてるな・・・。ま、自分の中でもよくわかってないからな。。。今はまず、なんといっても試験に受からなければ、なんだけど。
2006年02月04日
コメント(5)
全15件 (15件中 1-15件目)
1