堤さんちの犬の「白」は
いつ頃からいなくなっていたのだろうか
ご近所なのに
きょう
不意に、そのことに気が付いた
奥さんは
このへんもうるさくなりましたわねぇ
暴走族や、なにやらと、いっただけで
「白」の話を避けるように世を憂い
私も話しの流れに乗って
ついききそびれて
では
といって
ポストに向かうために
細い道を何度も曲がったのだが
「白」は
自分の死のことをどうかんがえていたのか
私は私のことを
どの流れにそって考えていこうとしているのか
世の細い道を何度も曲がって
こうして
死は支配力を持たぬ
ディラン・トマスは愛について書いている
が、それもまた
死にいたる病い?
生没不詳の明るさだろうか
S.K氏の没後、発行された詩集の中に収められている詩のひとつである。
近所の家の 犬が死に、気づかずにいた「私」。
飼い主の奥さんは 「白」の話題を避ける。
堤さんの奥さんは 「白」が死んだ悲しみを、漠然と
世の中のことを 憂いてみせることで、「白」の死を
悼んでいたのだろうか?
犬の「白」は、自分の死を どのように考えていたか。
それは、人間の考え方だと 私は思う。
死を哀しむのは 人間。
「死は支配力を持たぬ」と S.K氏も 書く。
S.K氏も 人の世で 生きていくことに 様々な思いを
抱いていたことだろう。
「生没不詳」。S.K氏は この言葉を 詩の中で 繰り返している。
生没不詳の明るさ。
愛を、また 生を 謳いあげる ひとの心は 死を見つめ
それ故に 哀しい 明るさを放つのかもしれない と 思う。