ねこねここねこ

というにの先は

     というにの先は



  となり近所を
  おだやかにつなぐ細い路地
  午後の静かなまがり角
  ネコの太郎や
  次郎のテリトリーをよこぎって
  なじみ深い坂をのぼってゆく
  おお 風かおる五月

  ――というに
  だしぬけに詩の一行が吃音的に道づれになる
  ――風かおる五月というに
  以下二行目より
  連綿と続く筈の熱いメッセージ?
  ついでに作者の名前を思いだすためにも
  しばらく歩く
  岡田精肉店まえを通過
  風かおる五月が
  少しおくれ
  というにが一足さきにたち
  野の涯のような袋小路にノロノロと入ってゆく
  元気をだせ
  おじさん
  というにが
  というように私を振り向く

  おお 風かおる五月というに
  ゆうぐれを
  疲れて人々はかえってくる
  三々五々 それぞれの水辺の道を
  キタ村スーパー
  たまご四十八円也お一人さま一ケースに限る
  というにの次の行はいったいぜんたいなんでしたっけ

  探しあぐねた顔つきで
  次郎は次郎の周囲をめぐり
  太郎のシッポは地面すれすれ


* 風かおるの詩は昭和二十年代の学生寮に墨書されていた朝鮮詩人のもの


風薫る五月というに・・・切ない詩だ。
”というに”が先に立つ。
だというのに、何故 こんな気分になるのだろうか。
おお、風薫る五月!
のびやかに謳い上げたい穏やかで眩い季節への思い。
だというのに・・・。
というに ” と続く 朝鮮詩人の書いた詩が、作者の
頭に浮かび、道連れになる。

人の生活の、倦み疲れた情景が、描写される。
具体的に、何ということもない生活であるが、袋小路をノロノロと
夕刻、疲れた顔で三々五々帰途につく人たち。

作者S.K氏が学生時代、寮で読んだ朝鮮詩人の詩。
そこに私は、自分の中学時代以降の心を重ねる。 

探しあぐねた顔つきで
次郎は次郎の周囲をめぐり
太郎のシッポは地面すれすれ


猫の次郎と太郎の姿で終わっているが、切迫した雰囲気を醸し出す。
太郎のシッポは地面すれすれ。
猫が尻尾をぴんと立てている時は、仔猫気分になっていたり
威張っているテリトリーの中だったり。
その尻尾が垂れて、地面すれすれ。
何と重いことか。
本音を書けば、この急迫した雰囲気を、私の感想などで 壊したくなかった。



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