ねこねここねこ

今朝の電話

      今朝の電話

はじめ
牛ではなかった
しかし
今は牛で口をもぐもぐ動かしている
牛なら草をたくさんたべるのだが
途中で
牛になったので
あえて
牛のようなものとして
受話器をとり
紅葉した南京ハゼの葉を
ぼんやりかぞえて
訃報を聴いていた
死んだのは
ぼくの知らないひとだが
そういうのが一番おそろしいと思った
知らないひとが
ぼくの知らないまに
黙って息をひきとって行くベッドは広い
死生観の大きな目がつめたくみひらいている
式の日とだんどりをきき
紅葉したのは
全部で七枚だったと思った
朝の冷えた床
皮ふだけで
数回身ぶるいした
すでに
牛のようなものから
死ぬようなものになっているのだなと思った

訃報の電話を受け取った時のことを書いた詩であるが
冒頭に出てくる「牛」とは 何を意味しているのであろうか?
もぐもぐと反芻する牛。
草ではなく、思考を反芻する人間と置き換えてみようか。
人の死の知らせを聞きながら、庭の南京ハゼの紅葉を数えている作者。
南京ハゼの紅葉を数えてみたところで、ひとが死んだという事実は変えようがなく
作者は、葬儀に立会い、

死んだのは
 ぼくの知らないひとだが
 そういうのが一番おそろしいと思った
 知らないひとが
 ぼくの知らないまに
 黙って息をひきとって行くベッドは広い
 死生観の大きな目がつめたくみひらいている


…と、死と生について考え、感じずにはいられないのだ。




南京ハゼの紅葉する秋の詩、秋の死。

最後の節は、のんびりした牛の姿と、死ぬようなものという曖昧な言葉で
ぼかされているが、知らないひとの訃報を聴いて、気弱に事実を
心(目)から逸らしてしまいきれない作者の凝視の姿勢を感じさせる。


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