全574件 (574件中 551-574件目)
なんだろう・・・ここ数日の間、いったん、意識を「ゼロ」に戻せと言われている感じがします。スピリチュアルにおける概念や思考も、生活スタイルも、人間関係における自分のあり方も・・・「すべてをいったん、ゼロに戻せ」、と言われている感じです。戻すところはスタートの「1」ではなく「0」です。再スタートではなく、「0」です。「無」です。なんだろう。なんか、新たな変化が起きそうな予感です。
2008.02.23
以前、携帯のほうのコミュで、「鬼退治」をする流れになったと書きました。でも、実は、それは、自分の中の鬼退治をするための流れだったことに気づきました(笑)少し前、私はこんな日記を書ていました。******************・・・私は「大海清濁併せ呑む」 という言葉のように自分に合うものも合わないものもすべてを包み込める大きな自分になりたいと昔からずーっと思ってきました。が、見なくてよい情報には上からシャッターが降り、ネットの場合は繋がらず、文章などは読ませてもらえず(笑)受けてはならない情報からは頭痛に似た圧迫感を感じ、上はありがたいことに分かりやすいサインを送ってくれるので繋がらなくてよいものとは繋がらないように自分の舵を取ることが出来るようになってきました。そのことに感謝しながら周りに流されぬよう自分は自分の道をゆく。。。それでよいのだなぁと数日前にふと思いました。日々の生活の中で、自分が嫌悪感を抱いたり嫌だなと思った人や出来事もそれぞれに置かれたゾーンでそれなりの役割を果たしているのだから私や誰かに裁かれる必要もなく必要な気付きは必要な時にもたらされ、それはそれでよいのだろうと。自分に合わないものを拒否、否定するというのではなく、それはそれで存在を認めつつ、かといって無理に関わる必要はなく、自分は自分のゾーンを守って歩いていけばいい、ただそれだけのことなのだなと、上とやり取りしながら気付いたことでした。清濁併せ呑むということは自分自身がまずしっかり確立できていなければできないことなのだなぁとも思いました。まず自分自身がしっかり自分の足で立ち、まっすぐに天に向かって顔向け出来る生き方をしているかどうか。決してそれは、善人になれといっているのではなく、自分自身に正直に、自分自身に忠実に生きているかどうかということだと思います。そして、清濁併せ呑むって陰陽を統合するって意味にも捉えられるし、光りも闇もすべてを受け入れるって意味にも取れるし、なんか深い言葉ですよね。私もいつかはそんな、清濁を併せ呑めるような、大きな器を持った人間になれるよう日々、自分を見つめながら、常に天と確認を交わし合いながら与えられた自分の道を今日もてくてくマイペースに進んでおります・・・**************この日記を書いたのは2月の頭。そしてその後に鬼退治らしき流れに合流し、私はいつの間にかおかしな方向に流されかけていることに昨日、気が付きました。私は、あの日記を書いたときは、人が人を裁く(心の中で)必要はない、人が人に対して善悪の烙印を押す(心の中で)必要はない、そう思っていました。悪のエネルギーをばら撒いている人がいても、我々がわざわざその人を裁かなくても、天が裁いてくれるのであって、私たちが同じ仲間である人間を裁く必要はない・・・そう思ったのであの日記を書きました。でも、私は頭ではそう思いながら、心の中で、人を裁き、人に悪の烙印を押していたがために、「悪を退治する」という「正義感」という、偽善の名のついたエゴに引き寄せられ、いつの間にか呑み込まれていってたのです。今思えば、「鬼退治」の流れに意識を向け始めてからずっと調子が悪いというか、たいしたこともしていないのにエネルギーの消費が激しくて疲れてばかり。大切なエネルギーを奪われ、正常な思考回路が麻痺してきていて、2~3日前なんかは、本当に気が狂いそうになっていました。でも、ふと、悪と戦い、悪を滅ぼすことがわたしの使命ではないのにと、昨日、気づきました。それは、友人とのやり取りの中にあったある言葉でした。「憎まなくてもいいものを憎むように仕向けられたのではないですか?」仕向けられたのではなく、私の中にある「悪を憎む」という小さな種が存在していたがために、同じようなエネルギーに同調し、種に栄養を与え、成長させてしまっていた・・・もっと別の言い方をするならば、私は善も悪も、光も闇もすべて包み込んで引き上げていきたい・・・常々そう思っていたのに、私の中に、偽善という「正義感」が存在していたがために、いつのまにか、悪を退治しようというエゴのエネルギーに同調し、自分の中の「善エネルギー」を間違った方向に消費していたがために、変に疲れてしまっていた・・・。そして、それを招いたのは、決して人のせいではなく、自分の責任であり、自業自得なのだということ。・・・自分の中に存在する「悪」は使い方によって善にも悪にもなる。以前、そのことを日記で書きました。でも、自分の中の「善」も同じ。使い方によっては、それは善であるにもかかわらず、「悪」に変わってしまう。それを“偽善”というのではないのかな。そして、私は今一度、自分の歩いていくレールを確認しました。コミュの中に起きた「鬼退治」・・・その流れに入って行ったのは自分の中の鬼に気付き、自分の中の鬼退治をするため。だったんです(笑)そして、私は、もう、悪と闘うことはしない。善だ悪だという区別意識は私の中で無くそうとすべて同じように抱きしめ、一緒に光に変わっていきたい、それだけなんだとそう思いました。奇しくも、そのことに気付けた昨日は満月。浄化エネルギーの高まる日です。私は、自分の中にあったエゴを今一度紙に書き出し、それを自分の中に感じ、それが自分の中にあったことを認め、そしてすべて手放すのだと決め、その紙を破いて捨てました。満月の浄化のエネルギーに助けられ、私は再び、軌道修正することができました。エゴは、本当に厄介で、捨て去っていたと思っても、いつの間にか心の隅にこっそり潜んでいて、知らず知らずのうちにエネルギーを吸収して成長していたりします。それに気付かぬまま日々を過ごしていると、エネルギーを奪われ、心の目が曇り、正しい判断ができなくなってしまう。だから、日々、右でもない左でもない、偏りのない真っ直ぐな心で自分を内観し、不必要なエゴがあったらそれを素直に認め、手放す。この作業はとても大事だと感じます。今日は、憑き物が落ちたように私は軽いです。この機会を与えてくださった天に、そして陰でサポートしてくださっている仲間たちに心から感謝します。ありがとうございました.。・:*:・゜`☆、。・:*:・゜`☆
2008.02.22
昨日は満月でした。とても綺麗な満月で、優しく、柔らかで、温かく、その光に触れるだけで心身が浄化され、清められるようでした。私は現在、携帯のほうのコミュで、新月と満月の日に、自分の浄化と地球の水を浄化する祈りと瞑想をするコミュを立ち上げ、数人と一緒に祈りを捧げています。昨日の満月ももちろん、浄化の祈りと瞑想をさせていただきました。なぜ、こんなことをやるようになったかと言うと、ある日、受けたメッセージと、「月からの使者」がやってきて、私に金の輪っかと天女のような衣を授けてくれたことがきっかけでした。受けたメッセージの内容と言うのが、地球や宇宙のために何かしたいのなら、月の力を借りて水を浄めなさいという内容でした。詳しく言うと、新月と満月の日に水を浄化する祈りとワーク(瞑想)をしなさいとのこと。地球は水の惑星と言われるほど水の占める影響力は強力であり水は地球の命でもあります。また、人体にも水はかなり大きな影響を及ぼしています。だから直接、水を浄めることによって地球や人を少しでも癒すことが出来るのかも知れないなぁとメッセージを受けながら考えました。水は波動にとても敏感ですしまた、水と月は密に関係しているから…浄化のパワーを増すために月の力を借りなさいという意図なんだろうかなと思いました。突拍子もないメッセージだったのでちょっと驚きましたが、このメッセージを受け取る前から月が妙に気になるし、月のエネルギーが常にそばにあったのを私は感じていました。また、今度はそのメッセージを受けた数日後に、寝ようとしていたところに、ある女性が現れました。その女性は、昔の、平安時代のような下膨れの顔?に細い眉に細い目、十二単のような着物を着た頭に金の輪っかをつけた女性でした・・・。↑ちょっと似てないんだけど、イメージはこんな感じ(笑)(^ー^;Aその女性は、私の頭に、金の輪っかを乗せてくれ、白い天女の羽衣のようなものを私に被せ、全身を包んでくれたのでした。「あなたは誰ですか?」とたずねると「月からの使者ですよ」とにっこり笑い、「この意味は後に分かりますよ」と言って去っていきました。この女性は、後に、月光菩薩様だったのかもしれないと分かりました。金の輪っかは月の力を利用するための智恵とアンテナ、天女の衣みたいなものは自分をプロテクトして浄化するためのものだそうです。そして、あるとき、突然、「ハッッ!!!」と、ひらめいたのです。前に受けていた「祈りを行いなさい」というメッセージと、その月光菩薩様が繋がっているのだと気付き、その「新月・満月の日に水の浄化の祈り」の作業を実行することを決めました。それは先月の満月から行っています。そういえば、楽天にも、“新月と満月の日に祈りを捧げましょう”というサイトをされている方がいらっしゃったことを思い出しまして、ちらっと覗いてみたら現在もしっかり活動されていらっしゃいました。その会は、新月と満月の日の夜11時にみんなで祈りを、5分でも1時間でも、出来る範囲でやりましょうという会みたいです。参加されている方は現在150数名だったかな?どんな祈りを捧げるのかまではわからなかったですが、今回私が言われた作業とかなり似ているのかなぁ??なんて思いつつ、私の日記に賛同してくれ背中を押してくれる仲間がいたもので、携帯のほうでコミュを立ち上げ、現在も(月に2回ではありますが)細々と水の浄化の祈りを捧げています。携帯のほうのコミュには、満月の日に、祈るというようなコミュがあったのですが、そちらは自分の願いごとを叶えるのが目的のようで、地球や人への奉仕とはちょっと違う趣旨でした。私は、しばらく前からもう、神社仏閣、月や宇宙に、自分のための願い事(エゴ)をするのはやめています。ただただ、いつも私たちを守ってくださって、導いてくださってありがとうとざいますという、感謝の気持ちを送る・・・それだけです。ご先祖様にもそうです。彼らはすでに私たちを守り、導いてくださっている。それなのに、更に自分の願い事をするなんて、図々しいというか(笑)違うよなって。お願い事をするよりも、ただただ感謝の気持ちを伝える、捧げる、というのが本来あるべき姿ではないのかなぁと思うからです。と、ちょっと話がそれましたが(^ー^;Aその、「満月と新月の日の水の浄化の祈り」について私がメッセージでこうしなさいといわれた作業を詳しく説明します。まず月に感謝の祈りを捧げ、月の光が自分自身の身体(詳しくは体内の水)を綺麗にしてくれ浄化してくれるイメージをします。次に自分の魂とオーラに月の光を当て、不要な感情やエゴが浄化されるイメージをします。続いて地球をイメージし自分が月の光になったつもりで地球上、地球内の水に光を当て、水をどんどん綺麗に浄化していくイメージをします。次に地球上に生きる人々に光を当て、人々の体内の水を綺麗にしていくイメージをします。最後に再び、月に感謝の祈りを捧げ終了です。これ、何分かかるかわからないけどそんなたいした時間はかからないと思います。レイキが使える人はレイキを使いながらイメージするのも良しだと思います。昨日も満月で、ちょうどその祈りを捧げたところだったのですが、ひめのさんが日記で「水」について書かれていたのでこれはまたタイミングの良いリンク・シンクロだなぁと思ってこの日記を書かせていただきました(*^^*)興味がある方はぜひ、新月・満月の日に、上の内容を参考にして、好きな時間帯に好きなだけ、水の浄化の祈りの瞑想をされてみてください。y(^ー^)y♪
2008.02.21
こうもり塚古墳の近くに立っている一本の木。その木の根元には「北神」という文字が彫られた石版が立っていました。たぶん、古くからの、その近辺の守り主か何かではないのかという感じでした。そしてその木が、私に対して歓迎の意を表するどころか、“裏切り者”という怒りと憎しみにも似た声(エネルギー)を私にぶつけてたのです。後頭部が締め付けられるようなすごい圧迫感でした。どうしてだろう???私はこの土地にご縁のある者なのに、歓迎されてもいいはずなのにと思っていた私はその待遇が不思議でなりませんでした。そして、自分の意識を過去に飛ばしてみると、いろいろなことが見えてきました。・・・私は飛鳥時代、この吉備の国から奈良の明日香村へとお嫁に行きました。自分の生まれ育った国、吉備の国の発展のためです。私がお嫁に行ったことで、明日香と吉備は交流が盛んになり、一時期はとても発展したかのように思えました。しかし、大化の改新が起こり、最終的には、私は吉備の国を発展させるどころか、私が明日香にお嫁に行ったことによって私の故郷に住んでいた人々は殺されてしまうはめになり、私はその土地の人々から“裏切り者”という烙印を押されてしまったようです。しかし、私からすればそれは「悲しい誤解」でありました・・・私はただただ故郷を、ご縁のあった人々を守れなかったという懺悔の念を抱き、後に出家して、ただただ懺悔と悲しみに暮れた晩年を過ごした気がします・・・。でも、実際は、遠く離れた故郷の人々に危険を知らせるどころか、私の胸のうちの想いなど伝えて謝る手段もなく・・・愛しき故郷の人々は私に対する不信感や怒りを抱いたまま亡くなっていったのです・・・。だから、あの木には、そんなふうにして犠牲になった人々の複雑な思いや悲しみ、無念さが同調して染み付いていたのだと思います・・・だからこそ私は歓迎されなかったのだ・・・。そう感じます。しかしながら、誤解なのだ、自分の本心はこうだったのだと、いまさらどんな言い訳をしようとも、結果的に私は故郷の人たちを守れなかった。こうもり塚古墳を作ってくれた人々を守れなかった。そのことは、何ものにも変えがたい事実であり、私のために犠牲になった人々、巻き添えにしてしまった人々に私は心の底から、魂の底からお詫びと謝罪の気持ちを届けなければなりません・・・。だから私は心から懺悔しました・・・。「あなたたちを守れなくて吉備国を守れなくて本当にごめんなさい。それでも、私はあれからずっとあなたたちを愛して遠く離れた故郷を愛してやみませんでした。本当に本当にお役に立てず、皆さんを救えず、申し訳ありませんでした・・・。」ずっとずっと魂の胸の奥に支えていた積年の想いをやっと今、言葉として、波動として、吐き出すことができました。私のこの気付きと懺悔の気持ちは、時間と空間を越えて、あの木や犠牲になった人々に必ずや届いていることでしょう。この私の懺悔、想いを知ることにより、空に帰れる魂は少なくないはずです。そして私に「裏切り者」という想いをぶつけてきたあの木も、きっと理解してくれたことでしょう。気の遠くなるような長い長い年月を経てやっと、わたしたちの和解は為されたのです・・・。私は今再び、吉備国を守るために、同じ吉備に生まれ戻ってきました。今こそ、過去の誤解を解き、犠牲になった人々を浄化させるために・・・今度こそ、故郷を、愛する人たちをしっかり守るために・・・私は再びここ「岡山」に生まれてきた・・・そう感じます。・・・できれば、私はもう一度、きちんとあの場所に行って実際にあの木に触れてもう一度謝って、あの木と、あの土地の人々と抱きしめあいたい・・・。そう思います・・・。こうしてひょんなことから、私の過去世と、その過去世でご縁のあった土地との関係などがイロイロわかったのですが、どうやら、この一連の流れは、私の過去のブログ「創生の絵から」の内容とリンクしているようで、過去からの浄化されない想いやそこに染み付いた土地の浄化をすること=私の魂の浄化となっていることがとても分かりやすく理解できた一連の流れでした。まだ今後も、こういった作業は続いていくと思われますが、まずはこうしてこの機会を与えてくださった天に改めて心から感謝したいと思います・・・。ありがとうございました。
2008.02.18
先週、「黒媛」の墓であると言われている“こうもり塚古墳”に行って、なぜ、黒媛のエネルギーを何も感じなかったのかが、いろいろ調べていくうちに分かりました。調べてみると、黒媛のお墓・生誕の地だと言われている場所は、ほかにもたくさんあるようです。岡山県の吉井町、総社市上林、同山手西郡、津山市山方、倉敷市黒埼、倉敷市玉島黒崎など、その他にもあるようですが・・・。その中のひとつ・・・私が行ってきたこうもり塚古墳は、黒媛を偲んで(吉備の発展のために明日香に嫁いだ黒媛の功績を称えて)黒媛と縁のあった人々が黒媛の死後に建てたものなのではないかという気がします。あそこに黒媛のエネルギーは感じなかったのはそのせいだと思います。そして、いろいろ調べていて、ご縁を感じたのは倉敷の黒崎という場所です。そこに、黒媛塚というものがあるようです。近々、実際にそこに足を運んでみようと思います。というのも、その地域にとても惹かれるからです。実は、その塚の近くには「不洗観音院」(あらわずかんのんいん)というお寺があります。私はなぜかここのお寺が好きで、安産祈願や厄払いのご祈祷などでお世話になっており、何かあればここに足を運びます。私は昔から、神社仏閣は苦手で、(すぐ変なものをつけてしまうので(笑))初詣などもあまり行かない人だったのですが、この不洗観音院はとても波長が合うというのか、とても居心地が良く、何度でも来たいと思うような不思議なエネルギーの場所なのです。そして、この不洗観音院の歴史(縁起)を調べてみると、驚いたことに私とのご縁がいろんな部分で一致しました。この不洗観音は、大和の長谷寺との深いご縁があるようです。(たぶん、私は明日香に嫁ぎ、後に歳を取ってから、この大和の長谷寺にいました・・・。)長谷寺は三輪山の近くにあります。そして、不洗観音院の本尊は十一面観世音菩薩。脇持として不動明王、毘沙門天がまつられています。山内の守護神は「三宝荒神」「十二社権現」。山外の鎮守神は「貴布彌神社」です。 私の中でいろんなものが次々とリンクしていきます。黒媛のエネルギーはたぶんその地(不洗観音院近辺)にある気がします。そして、黒媛が死んだ場所は吉備ではなく、大和(明日香村近辺)ではないかという気もします。岩之媛を恐れて一度、吉備国に逃げ帰ったというのは事実でしょうが、たぶん、再び明日香に戻っていると思います。そして、伴侶(天皇)の死後、出家したのではないかと思うのですが・・・・・・まぁ事実は分かりませんよね。(笑)そんなこんなが分かったところで、次はなぜ私があの「こうもり塚古墳」の近くにあった一本の木に嫌われていたのかを読み解いていきたいと思います。続く・・・。
2008.02.17
日曜日に、認知症で施設に入っている祖母の面会に久しぶりに行きまして、近くに行ったついでに『こうもり塚古墳』を見に行ってきました。『こうもり塚古墳』は五重塔のすぐ横にあります。五重塔には今まで何度も行ったことはあったのですが、こうもり塚古墳までは行ったことがありませんでした。なんで、今頃行きたくなったのか・・・今はまだよく分かっていません。。。・・・岡山県はかつて広島県東部を含めて「吉備の国(きびのくに)」と呼ばれており4世紀の古墳時代から大和の勢力にも匹敵したと言われ、現在でも数々の由緒ある古墳や神社が見られます。また、古墳は、仁徳、応神、履中天皇陵に次ぐ日本で4番目に大きい前方後円墳である『造山古墳』などもあります。岡山県にある、その有名な古墳のひとつに『こうもり塚古墳』があるのですが、こうもり塚古墳は、墳丘の大きさも古墳時代後期のものとしては全国有数で、石室の全長19.4mも岡山県下最大で、飛鳥の石舞台古墳とほぼ同じ大きさだそうです。石室内に多数のこうもりがいた事からこの名がついているそうですが、仁徳天皇との恋物語のヒロイン黒媛(くろひめ)の墓とも伝えられていて、別名を黒媛塚(くろひめづか)と呼ばれています。黒媛は「古事記・下巻」にのっている吉備海部直(きびのあまのあたへ)の娘で、代表的な美女であったそうです。黒媛は仁徳天皇の寵愛を受けましたが、皇后の嫉妬のために吉備国に逃げ帰ったそうです。ところが天皇は黒媛(くろひめ)が忘れられず、彼女を追って吉備国にやってきて黒媛と楽しい一時を過ごしたとかなんとか。その時の歌「山方(やまがた)に蒔(ま)ける あお菜も吉備人と 共にし採(つ)めば楽しくもあるか」それに対して黒媛は「大和べに西風(にし)吹きあげて雲離れ退(そ)おりとも われ忘れめや」と歌を詠んだそうです。こうもり塚古墳は黒媛(くろひめ)が生きた時代よりかなり後に作られているそうですが、資料も年代も、何が真実なのかは分からないところがあるので、真実は不明です。私は、石室を覗いてみても特に感じるものはありませんでした。(笑)が、古墳から少し離れた所にある一本の「木」が生きていて、すごいエネルギーを放ってました。。。(;= =)たぶん、その土地の守り主かなにかだと思うのですが、その木の根元の近くには、大きな石版が立ってあり、「北神」という文字が彫ってありました。私が、その木にご挨拶するより先に古墳に行ったのがまずかったのか、後頭部にずっと圧力がかかっているような圧迫感がその木のテリトリーを出るまで続いていました。なんでだろう???ってずっと悩みました。私はその土地に、歓迎されるものだとばかり思っていたのですが、なぜこんなに威圧感・圧迫感を感じるのだろうと、不思議でなりませんでした。この時期に、そこに足を踏み入れたこと、呼ばれたことはそれなりの意味がありそうです。それはたぶん、私の過去の呪縛を解く(自分の過去世における、まだ浄化されていない想いやエネルギーを理解して昇華させる)ためのひとつの鍵になりそうです。続く・・・
2008.02.16
ここ数日、三次元以上の私はオヤスミしてるというか、「待て」の状態が続いていました。何が起きてるのかなー?と思ってたんだけど、受信アンテナを再チューニングされているというか?三次元上(リアルな現実生活上)で、魂で繋がっている仲間たちと三次元以上のところで何やら会議してるような感じも受けていました。 なのでここ数日は思いきり三次元の実生活に基づいたやるべきことを淡々とこなしていました。主に、4月から自宅でやろうと思っている仕事関連の下準備や練習に時間を費やしていました。メイクの勉強会に出席したり、友人や旦那さんに、美顔マッサージやパック、メイクの練習台になってもらったり、仕事用のHP製作をやったり諸々・・・。やはり、なんと申しましょうか・・・私たちは肉体を持って生まれてきた以上、この三次元での生活はとても大事なものだと最近、特に感じます。私は、一時期は、スピリチュアルな世界の仕事しかするつもりがなかったのですが、昨年あたりから、三次元以上(スピリチュアルな世界)での奉仕だけではなく、この、三次元世界での、肉体を伴った奉仕も必要なんだと感じ始め、スピリチュアルとは関係のないパーソナルカラーやメイク、ミニエステの勉強などを始めました。要はそれらの“バランス”っていうのがとっても大事なんだと思います。なんでもそうですよね。食生活でも、人間関係でも、なんでもバランスが大事。陰と陽、善と悪、男性性・女性性のバランスもそうですね。どちらかに偏りすぎてはいけないのですね。だからまずは、肉体を持った人間としてこの三次元での生活を幸せに生きる。まずはこれが第一ですよね。そして、できることなら、誰かが・・・この実生活で(スピリチュアルな物事抜きにして)幸せになれるための、そのお手伝いも・・・。アセンションは、スピリチュアルな世界を知っている人たちだけに起きるのではなく、スピリチュアルな世界を知らない、普通の人たちにも同じように起こります。だから、私は、スピリチュアルに関係のない人たちにも同じようにふれあう機会が必要なんだとそういうことなんだなと、分かりました。まぁ、そんなこんなで、ここ数日の私の場合は、スピ抜きの、三次元生活に思いっきり偏らされていたので、そろそろ、引き戻される頃だと思いますが・・・(笑)天と仲間たちとの会議もそろそろ終わる頃なんではないかなとそんな気がしています。何を会議してたのかは分かりませんが。。。私の周囲で、またなにやら新しい動きがありそうな予感です(*^^*)♪・・・イマイチ、まとまりがない日記になっちゃったかもしれないですけどすいません(笑)
2008.02.13
先日、私が描いた自分のインナーチャイルドの絵を見て友人が「かわいいね」ってコメントをくれました。<私のインナーチャイルドの絵>この、私のインナーチャイルドちゃんは、出会ったとき・・・というか、見つけたときはひたすら膝を抱えて泣いていました。彼女に出会ったのは何年前かな?4~5年前かなぁ?それからインナーチャイルドの癒しを含め、過去世や現在における様々な自分癒しを進めていった結果、今は彼女はこんなに素敵な愛らしい笑顔を向けてくれるようになりました。そんなことを友人とやりとりしているうちに分かったことなのですが、その、私の絵にコメントをくれた友人のインナーチャイルドはなんと頭・・・というか、肩から上がないというのです。σ(^_^;)さらに、そのインナーチャイルドとのすごい分離感を感じていると友人は言っていました。私は、驚きました。(T-T)なぜ頭がないのか!!!!!どこかに置いてきちゃったのかは知らないけど、とにかく、頭を探さなきゃって、くっつけてあげなくちゃって私は思いました。でも、どうしたらいいもんかなぁ~って、具体的な方法も分からず、その日は何もすることなく眠りにつきました。そして、その次の日の朝、目が覚めたら、その友人のインナーチャイルドちゃんが目の前に居ました(笑)しかも、頭をつけてくれと、自分の頭を持って来ていました(笑)「えええええええo(笑)」こんなことは初めての経験です(笑)その子は、どうも、頭をつける機会をずっと待っていたようです。更に、その子は、友人と分離してしまっていたので、友人と和解(一体化)することも望んでいました。たぶん、そのインナーチャイルドちゃんに、気付いてくれる人が友人の近くに居なかったんでしょうね・・・。だから、待ってましたとばかりに私のところに来たんだろうなとそう思いました。私はすぐ、携帯で友人にメールをしました。「あなたのインナーチャイルドちゃんが、頭をくっつけてくれと頭を持ってきてるんだけど、私だけじゃあ着けられないから、一緒に着けてあげてくれますか?」と。友人は喜んで、頭をくっつけることに同意してくれました。そして、なぜだか涙が出るとも返事に書いてありました。彼女の潜在意識がインナーチャイルドと一体化するのを望んでいる証拠なのだなぁとそのとき思いました。またその際、「電話したほうがいい?」と聞かれたのだけど、その必要はないと思い、メールのやりとりで十分ですと返事をしました。その間、インナーちゃんは、自分の頭を持って、ちょこんと正座して待っていました(笑)なんとも不思議な光景でした(笑)そして、彼女と私の・・・時間差はありましたが、共同作業が行われました。私は私で、インナーチャイルドちゃんの首を胴体にくっつける作業をイメージの中で一生懸命サポートしました。インナーちゃんの首がくっついたとき、ぴゅーんと、光の柱が立ちました。友人は友人で首をくっつけたとき、周りが一瞬、光ったと言っていました。光を放ったのは首が完璧についた証拠だと私は思いました。そして、光を放った瞬間、インナーチャイルドちゃんは友人と一体化されたようで、それまでインナーチャイルドちゃんの気配を周りに感じていたのが気配を感じなくなったと友人が言っていたので一体化は成功したのだなと思いました。友人はインナーちゃんと一体化してしばらく吐き気をもよおしたそうですが、落ち着いたらとても安らかな幸せな気持ちに満たされたと言って喜んでいました。・・・私のところにも、インナーちゃんの首をつけたあと、なぜだか分からないけど、重たいエネルギーがのし~っと乗っかってきて結構な圧迫感だったので浄化して光に包んで上に上げときました。すぐに楽になりました。なんだったのかなぁ。。。(;= =)しかし、友人は、吐き気をもよおすほど、過去を受け入れることに拒否感があった・・・いったい彼女の過去になにがあったのか。なぜ、友人とインナーちゃんが分離してしまったのか、なぜ、インナーちゃんの頭がなくなってしまっていたのか、私は何も知りません。でも、こんなふうな形でインナーちゃんからの助けを求められることもあるのだなぁと、また、何も知らなくても、住んでいる場所がどんなに離れていても、次元・時空を超えて、サポートする(癒す)ことができるもんなんだぁと、とっても不思議に思ったと同時に、感動した出来事でした。あまりにも突然の出来事で驚きましたが、その友人には、「心を開いて受け入れなさい」「怖れを手放しなさい」「前に進みなさい、扉を開けなさい」みたいなメッセージが前々日ぐらいから届いていたので、ちょうどそれらを伝えていた矢先の出来事でした。きっと、友人が、辛い過去を受け入れる心の準備が整うのを、覚悟を決めるのを、ずっと、インナーチャイルドちゃんは待っていたのだと思います。そして、その作業を、私を通して、天が彼女をサポートしようとしているのだなぁとも感じました。きっと、もう、彼女は一人で歩き出せます。あとは天は直接彼女に働きかけるでしょう。彼女の魂はこれからますます光り輝きます。これからのご活躍がとても楽しみです。(*^^*)
2008.02.10
『自分で撒いた種は自分で刈れ』・・・以前、私はそんなメッセージを受けたことがありました。そのときはなんとなく、感覚でしか捉えていなかったのですが、先日、そのメッセージの意味がやっとわかり・・・かつて、私が撒いた種・・・その種から育った暴走している雑草をいよいよ刈る時期がやってきたようです。 先日、私はあることを学び、そのときにやっと、長きにわたり着けられていた足かせを外されました。 悪いことをした人が牢獄に入れられて、足に重い足かせを着けられている状態が続いていたようなもんでしたから。(笑)私はいろいろな学びの中で、自分の内なる「悪」に気付き、それから気が付くと、完全に身動きができなくなっていました。 ただただ自分の中の悪に怯え、ただ細々と、誰にも何にも発信しないように、自分の力を封印して、隠者のように過ごすしかありませんでした。 どれぐらい身を潜めていたでしょうか。 だけどその間、内からあふれ出るものは止められず、 上にサポートされながら 少しずつ少しずつ、怖れを手放しながら私は前に進んで行きました。 そしてあることがきっかけで、私は自分を囲んでいた制限を外し重いなまりの足かせを外すことができました。 水を得た魚のように 翼を得た鳥のように 今、私はとても自由です。 そのある「気付き」というのは、以下のようなことでした。“誰しも「悪」は持ち合わせています。 悪がなければ悪に対抗できないから。だけど、 その悪をどのように使うかは自分次第。 悪を生かすも殺すも・・・悪を「善」に使うか「悪」に使うか・・・ それはすべて自分次第。またそれをコントロールしようとするエネルギーがあることも事実。自分さえしっかりしていれば誰かに自分の中の「悪」を悪用されることはないし 誰かを悪に巻き込むことも起きない。”という内容でした。そのことを学んで私はやっと重い重いなまりの足かせを外され自由に身動きが取れるようになりました。 その学びには、仲間が陰でサポートしてくれていました。今再び、 リラの仲間が私を導いてくれています。 彼はリラの魂だという自覚があります。そして彼もまた過去に「悪」の烙印を自分の魂に刻み込んだ歴史があり、自分の撒いた種を刈ろうとしています。 これは以前日記に書いた、「鬼退治」の動きと繋がりがあります。まさか、その「鬼退治」に私も加わることになるとは思ってもいなかったのですが、「鬼退治」、「撒いた種を刈る」といっても、私にできることはとても限られていてとても地道な作業です。雑草にエネルギーを吸い取られている人たちをまず救済すること。まずはそれからです。そしてその作業は自分が撒いた種を刈ることにも繋がる作業でもあり、私に刻み込まれている「悪」の烙印をも浄化して行くことにもなるのだと思っています。時間はかかると思いますが仲間たちと協力し合いながら焦らずに進めていきたいと思います。
2008.02.07
知人から、「陽の気を取り込む絵を描いて欲しい」と言われ、描いた絵です。陽の気を取り込むだけでなく、陽の気を出してくれる絵に仕上げてみました。私の息子はこの絵を見ると「しあわしぇ!!しあわしぇ!!」と言います(笑)旦那はこの絵を見て「ぜんまい???」と言いました(-"-;この絵を受け取った知人の部屋がたくさんの愛と陽のエネルギーで包まれますように・・・。
2008.02.06
昨日の空はなんだか不思議な空でした。。。見た方、いらっしゃらないかなぁ? 普通、空から光が地上に降りて来ているように見えるのに、昨日は地上から、なんかのエネルギーが無数に空に上がっていっているように見えたので、なんだか違和感を覚えました。 また、ある山の上の空間だけがぼんやり青かったり、一部の景色だけ明らかに色が違ってたり(笑)そこだけ異国というか、異空間のような、別世界のようで。 色セロハンを通して見るみたいな感じです。私はオーラとかは見えないので、自分の目がおかしいのかと思っちゃいましたが何なのかよくわかりません。なんだったんだろう。(笑) 同じようなものを見た方、この現象が解る方、いらっしゃったら教えてください(笑)さて、話は変わって本題ですが、 最近、自分がたくさんいて、それぞれの持ち場でそれぞれに仕事をこなしている感じを受けています。私は私、肉体は一個だけだから、ちゃんとここに存在してるんだけど・・・ある作業の時は、例えば、Aっていう持ち場を担当している私へピュン!とアクセスして、そこの私が仕事をこなし、 またある作業の時は、Bを担当している私にアクセスして作業してもらって再びここに帰ってくる・・・ってな感じです。 それはスピ的な作業だけに限らず、三次元でのことも似たような感じで、いくつもの私がそれぞれの分野・ゾーンで同時進行で動いている感じです。 そしてそれは私だけでなく、他の仲間とも繋がりながら進めていっている感じ。感じることや起きていることなども身近な人とかなり密にリンクし始めて来ているようで、 なんともおもしろいナァと感じています。 もともと私は大変不器用で、一度に二つの事は混乱するからこなせない人間だったのですが、 最近は違ってきました。無理矢理ではなく自然体でありながら、同時進行でいくつもの課題をこなしていけてる自分に自分自身が驚いてます。(笑) 最近、寝ているときや起きているときに無意識に受け取っている情報量もかなり多くなってきています。 昔はその情報量についていくのに必死だったけど、人間、慣れると許容量が広がるものですね(笑) これから自分がどんな風に変化・進化していくのか客観的に?見てとても楽しみです。私だけじゃなく、最近、目まぐるしい変化を感じていらっしゃる方はたくさんいると思うなぁ。なんか、 これから、ますます楽しみですね。(*^^*)
2008.02.05
最近、私が参加している携帯のブログのコミュニティでは“鬼退治”らしき流れが起こり始めています(笑)“鬼退治”というと、ちょっと大げさで、意図するところとはややずれるかな?(笑)スピ界にはびこっている「エゴによる支配」「まやかし」を暴き、それらに惑わされないよう、引っ張られないよう、依存しないようという注意や警告がぶわっと表面化して一気に出てきました。私も少し前、そのことを日記に書いたことがあります。目に見えない世界の落とし穴目に見えない世界の落とし穴 その2悲しいかな、まだまだそれらのまやかしエネルギーはたくさん存在していて、それらのとりこになっている人もまたたくさんいらっしゃるのだろうけど、今、「分岐点」みたいな時期に差しかかってるのかなぁとふと思いました。まやかしに気付いて、それた道を軌道修正できる人とそれらに永遠に支配され続ける人と、今、大きく分かれる時なのかなぁと。また、“正しいものとそうでないもの”“自分に本当に必要なもの、そうでないもの”などを見きわめるための「真の心の目」というものの重要さをまた改めてここで念を押されている気がします。更に、それらのまやかしエネルギーに(それがどんな小さなものであろうとも)まず、自分自身の心の中に存在しないか、支配されていないか、日々自分を振り返り、確認していくことはとても大切なことだなぁと感じます。
2008.02.04
私と、家族の、名前と誕生日から数秘を出し、それらを色に直し、絵にしてみました。私の絵やや神秘オタク傾向の控えめな?地味な人(笑)旦那の絵先祖のご加護を受けているキャラが濃い人(笑)息子の絵爽やか聡明、情熱的。周りを癒す光の子。私の母の絵こよなく自由を愛する自由人。どんな絵が出来上がるのか、自分自身でも、最後まで読めないので描いていてとてもおもしろかったです。
2008.02.02
・・・「許しなさい」ヒーリングやセラピーを受けたことがある人なら誰しも一回は言われたことがある言葉だと思います。だけど、一言で「許す」と言っても、すごく曖昧で、どうすれば「許す」ことができるのか、分かっているようで、実は分かっていなかったり・・・。そう。表面上だけでなく、心の底から誰かを『許す』ということは本当に難しいことだと思います。私は過去世を通しても、現世でも、そのことをずっと言われ続けてきました。まず、私が許さなければならなかった相手は私の母親と、今一緒にいる旦那さんでした。だけど、自分は許しているつもりだったのに、根本の・・・魂の底からは二人のことをちっとも許せていなかったために、長年、ずっとずっと、二人との関係性で苦しんできました。「彼らを許さなければならない」と私が気付かされたのは、ある催眠療法がきっかけでした。私が見た過去世のひとつに、6世紀頃のカンボジアあたりにいた過去世があります。当時、私は母親と弟と暮らしていました。が、ある日突然、違う部族が私たちの村を襲撃し、私の母親は殺されました。その、母親を殺した相手というのが、今の旦那さんでした。そして彼の母親が、今の私の母親だったのです。襲撃の際、女こどもは殺さないはずだったのが、手違いかなにかで私の母親は殺されてしまったようでした。そのことを申し訳なく思った彼(今の旦那)は、私を引き取り、私は彼と彼の母親と一緒に住み始めることになりました。でも彼らとは部族が違うため言葉が通じなかったばかりか、母親が殺されたショックで私は話すこともできなくなり、それから誰とも一生口を開くことなく、彼らを一生許す事なく、怒りと憎しみを抱いたまま私は死んでいきました。とてもとても辛い人生でした。・・・その記憶のなごりだったのか、私は今の旦那さんに対して、言いようのない怒りと憎しみが常に心のどこかにあり、ずっとずっと苦しんできました。今の母親に対しても同様でした。とかく、母親に関しては、幼少期の頃からのインナーチャイルドの問題も複雑に絡んではいたのですが、とにかく、今世で、私は彼らを『許す』ことを求められていました。今の旦那さんとは他の過去世で幸せな生活を送ったことももちろんありました。でもあの過去世からずっと引きずっていた想いが今世では特に強く表面化してきているようでした。その過去世を見て、彼らを『許さなければならないんだ』と気付いてからもうすぐ四年が経とうとしています。私が彼らを…過去世も含めて、今世での問題もすべて心の底からきちんと『許す』ことができたのはホントに、つい最近です。『許すんだ』と、『私はもう許したよ』と思っていたけど、でも実は、『許し方』がよくわかっていなかったんだと思います。昨年の秋・・・私は心療内科の門をくぐりました。ちょうど、最後の膿みだしの時期だったせいもあるのですが、自分自身ではもう限界だ・・・誰かに助けの手を差し伸べてもらおうと思い、心療内科を訪ねました。そこで得たものは、目からうろこのようなとても新鮮なもので、結果として、私は大きな気付きを得ることができ、ずっと自分自身を苦しめていた“積年の想い”からやっと解き放たれたのでした。私が心療内科のカウンセリングを受けて気付かされたことは、『自分が不幸なのはまわり(彼ら)のせいではない』ということでした。つまり、今現在、私が不幸なのは、旦那のせいでも、はたまた、母親のせいでもないんだと、そう気付くことでありました。頭で考えれば簡単なことです。でも、魂の底から、6世紀のカンボジアにいた頃の魂としてそれを理解することは容易なことではなかったのです。私は、過去世で、自分が不幸なのは、彼らのせいだと思って生き、彼らを恨みながら死んで行きました。しかし、すべては自分自身の心の問題、自分自身の心の在り方であり、彼らを責める必要などない・・・自分の幸せは自分で見つけるものであり、不幸もまた、自分の心ひとつで幸せにもなり得るのだとやっと、今世での経験を通して、カンボジア時代の私の魂が「許すということ」を理解することができました。そのことに気付けるまで、気が遠くなるほどの果てしない年月・・・何百年という月日がかかりましたが、そのことをカンボジアの私の魂が理解できた瞬間、旦那に対する怒り・恨みがすーーーーっと消えていきました。私はやっと、長年の想いを昇華することができたのでした。私が未熟なせいもあるけど、ホントにすごく時間がかかりました。『許す』という行為は 思っているほどたやすい行為ではなかったんだなとつくづく感じました。過去世を知らなくても気付ける人は気付けるのだろうし、許すこともできるのだと思いますが・・・私にとってはとてもありがたい貴重な経験でした。
2008.02.01
以前書いた、「創生」というタイトルの絵です。まず、私は 「創生」 と聞いて、マグマを描こうと思い付き、マグマをイメージしていたら山や森が浮かび、そしたら妖精が出て来て(笑)、イメージを絵にしていたら五重塔が描きたくなり、最後に川が流れました(笑)自分で書きながら意味がわかりませんでした・・・。そして、この絵を自分の携帯のブログに掲載したら、友人たちがいろんなヒントをくれ、彼らからのコメントにより、私の中でこの絵の指そうとしている意味が理解できたのでした。ある友人は、この絵を見て、“天使が光を持って川を浄化しようとしているようです世界はかなり、焼けたみたいですね”そうコメントをくれました。また、ある方は「京都みたいだ」と。絵の先生も「京都ですか?」と言われていたように、私自身も、これは京都の絵だと感じました。友人たちのコメントから京都が・・・町が焼けた・・・私には、戦(争い)で流れた血にも見えたりもして。天使は川や町を浄化している・・・それらのヒントから、“ひょっとしたら過去の悲しい歴史(悲しみや怒りが染み付いた土地のエネルギーや魂たち)を浄化してそこから新たな“何か”が動き出し、光や希望を創生していける”という導きのメッセージ?そう感じました。また、そんなことを考えていると、友人から携帯メールでこんな画像が届きました。またまた自分のブログで公開すると、これは「神の手」と言われていて、沖縄の空の画像だそうです。たまたま、私の友人のそのまた友人のお母さんが撮影された画像だったそうで、一部では「幸せになれるチェーンメール」として出回っているとも聞きました。私のところには、チェーンメールとして回ってきたものではありませんでしたが。同じ日に、この「京都の創生の絵」・・・そして「神の手」・・・。いったいどんな意味があるのだろうとしばらく考え込んだのですが、ふと、こんな考えが浮かびました。「神の手」すなわち「私たちの手」を今、使いなさい・・・神の手=私たちの手を使って何かしなさい・・・具体的には、土地を癒しなさい、という意味なのではないかと感じました。ちょうど、この絵を描いた前日は、神戸大震災の日で、神戸の地に、私自身、微力ながら癒しと浄化のレイキを流していたところでした。前日は神戸への癒し・・・そしてその日は京都・・・。私は、京都も癒す必要があるのだろうか。そんなことを考えながら私が絵に描いた京都だろう場所をイメージし、レイキを送ったのですが、京都はかなり昔の時代までトリップしてしまいました。いつの時代だろう?見えたのはいくつかの時代です。戦国時代のような大きな争いだけでなく、血統争いでしょうか?地味な争いによって流れた血もあるようだと感じました。そして、実は、私もその戦や争い事に参加(?)して死した一人のようで、その土地(京都)を癒す=自分の過去の魂・想いを癒す=現在の自分を癒すことにも繋がるのだとそのとき初めて分かったのです。京都にはまだ浮かばれぬ魂や悲しい想い、波動がその地に留まっているのだなぁと感じました。今、我々は次元上昇だ、新たなる時代の幕開けだなどと言われていますが、次のステップに移る前に、まずはそれらの浄化無しには前に進めない。完全なる光の世に向かう次の扉は開かれないのだなとも感じました。また、それらの浮かばれぬ魂や想いなどを浄化することによって今度は逆に彼らが我々を新しい時代へと導いてくれる・・・そんな感じも受けました。また、ちょうどその頃、私の親愛なる友人であるひめのゆめさんがブログで京都についていろいろ書かれていて、後に私の中ですべてが繋がりました。ひめのさんが京都や様々な土地の癒しを行っておられるというのは把握していたのですが、私はそれを他人事のように眺めていました。でも、実は、他人事じゃなかった・・・・・。(泣)私は私なりに、微力ながらちまちまとしか浄化や癒しはできませんが、気になる土地やご縁のある土地から少しずつ、手を着けていこうと思っています。今は、神戸と京都、そして沖縄で精一杯です。自分の住んでいる岡山も空襲の痛手を受けていたりもするし、昔々にさかのぼれば、勢力争いもあった土地でもありますので、癒さなくてはならない土地であります。そんなこんなで、何の気なしに描いた1枚の絵からとても深いメッセージを受け取ったという不思議なお話でした。(*^^*)
2008.01.31
今日は、どうして私が「色」に行き着いたのか、そのいきさつをお話しようと思います。私は数年前、催眠療法を何度か受けて、自分の過去世らしきものをいくつか見ました。たくさんある過去世の中でも、現世に影響を及ぼしている過去世を中心に見たようなのですが、そのうちのひとつに、ドイツの片田舎の医者だった時代がありました。・・・私は過去世で医者だった時、病院はとても貧乏でした。貧乏だったために高価な薬や治療の機械が買えず、助けられなかった患者さんも少なくありませんでした。でも、患者さんたちは私を恨むどころか、感謝すらして亡くなってゆくのです。私は貧乏であることが悔しくて情けなくて・・・、「お金さえあれば・・・」と、幾度となく一人で涙を流しました。その人生は生涯独身で、医療にすべてを捧げた人生でした。そんな悲しい魂のいち記憶が、私を今世で「色」に導いたひとつでもあります。・・・「色」はお金がかかりません。「色」はわたしたちの身の回りにあふれかえっています。「色」を扱うのに特別な能力も技術も要りません。ただ、「色」さえあればいい。それらの理由に気付いたとき、私は過去世からひきずっていた悲しい想いをひとつ、消化することができたとともに、誰でも手軽にいつでもどこでも用いることができるこの「色」を用いたカラーヒーリングに急速に惹かれていきました。また、私が昔、水商売をしていたとき、不思議と多かったのは医療関係のお客さんでした。内科・外科・脳外科のお医者さんに歯科医師、薬剤師、リハビリ師、看護士、製薬会社などなど・・・不思議と医療関係の方が集まりました。それもやはり医者だった過去世の繋がりや記憶されている魂の波動が呼び寄せた縁なのではなかったのかと思っています。そして何より今世でも、人体や生物学、医学的なことに関してとてもひかれるものがあり、今までヒーリングに関するいろんな勉強をしてきました。私は今世では、前世で成し得なかった事、過去世からずっと引きずってきた想いをすべて昇華させる使命があります。今世でそれらを癒すひとつの手段として、(最終的にと言ってもいいと思います・・・)「色」を選びました。いえ、選ばされた、と言った方が正しいのでしょうか。また、代替医療と呼ばれるもののなかで、私が特に興味を持ったのは、病気と精神・魂との関連性に着目した“直感医療”でした。人気スピリチュアリストの本にも似たようなことが簡単に書かれていましたが、だいたい怪我や病気には意味があり、まず肉体よりも非肉体レベルから病気になるようで、それらは魂からのある種のサインと捉えることができるようです。原因は、精神・魂のバランスの崩れによるものが大きいということ。人間には、チャクラと呼ばれる、気のツボのようなエネルギーポイントが頭からつま先まで体の中心に七つありますが、チャクラ別に病気を見ることもできます。たとえば、よく見られる症状の腰痛。腰痛を抱えている人は第1チャクラに問題があり、家族関係に何らかの問題や悩みを抱えていることが多いです。喉に不調を抱えている人は第5チャクラに問題を抱えていて、自分の言いたいことや本音を内に閉じ込めてしまっている人が多いなど。もちろん、すべてがそれに当てはまるとは言い切れませんが、自分の魂や霊性、精神にそぐわない思考・生活を強いられていると肉体と精神と魂のバランスが崩れ、何らかの病気になるという仕組みのようです。チャクラにも色があり、透視をしてみると問題のあるチャクラの色は濁っていたりくすんでいたりします。色を用いたカラーセラピーは、そのバランスの崩れを整え、調整するのに、色のパワーを借りるというものです。色はあなたの崩れたバランスを正常に戻そうとする・・・もともと誰もが持っている“自然治癒力”に大きな力を貸してくれます。色は神様から与えられた貴重な癒しのツールなのです。有り難いことに、色は私たちの身の回りにあふれてかえっています。誰もが簡単にいつでもヒーリングすることができるように、神は私たちに色を与えてくれたのです。色によるヒーリングテクニックを身につけさえすれば、高額なお金を支払って、永遠に誰かのヒーリングを受け続ける必要はなくなるし、何よりお金もかからず手軽に毎日自分をケアすることができます。多くの人が色による自己ヒーリングのテクニックを身につけ、手軽に日々のお役に立てていただけるようそのお手伝いをしたく私は「色」に関係した道を今、歩み始めています。さらに、私が関わっていくだろうと思われる分野は「色」のほかに「音」があがっていますが、これらを今度、どう絡ませながら進んでいくのか、自分自身、興味深く他人事のように眺めているところもあります(笑)将来的な目標としては老人ホームのボランティアに行きたいなぁというのもありますし、今後の展開に、私自身がとてもワクワクしている状態の今であります。
2008.01.29
もしもあなたが誰かを救いたい誰かのために役に立ちたいと思っているならば 誰にも知られることのないようにそれを行いなさい 誰かのためになにかをしている自分を誰かに知ってもらいたいという思いがあるのであれば それは自分自身のエゴ・・・褒められたい、認められたい、名声を得たいという欲望を満足させたいがための行為であり、 それは神聖なる愛の行為ではないことを悟りなさい。
2008.01.27
家族関係、友人関係を「色」や「形」に表してみるとけっこう面白いことが分かったりします。<私の家族相関図> これは末永蒼○さんというアートセラピストの方が書かれた、ある本の中にある“塗り絵”なんですが、 私の場合、まず、自分を「中心のハート」に設定し、薄い黄色で塗りました。別に、自分が中心でなくても、ハートでなくても構いません。 好きなところを自分に設定します。 そして、 何も深く考えず、家族や友人を各、形にあてはめ、色を塗ります。 すると、不思議なことに、その人と自分との位置関係が見えてくるんですね~。 私の図を解説すると、 主人は「紺色のマル」になりました。 「紺色」は薄黄色の正反対の位置あたりにある対照的な色です。色のトーンが違うので、正反対というよりは「対照的」な位置関係になります。このことから、旦那と私は対照的な性格をしているということが分かります。 でも、形は「○」という点から・・・主人は角がなく、世渡り上手的なイメージ・・・といった感じでしょうか(笑) 母は赤紫の三角になりました。赤紫も、薄い黄色の真逆あたりに位置する、対照的な色です。 母も私とは対照的な性格です。 でも、形が三角です。かなり角があります(笑) また、主人の「紺色」と 母の「赤紫」 は類似色の関係です。 主人と母と、どこか同じような似た性質を持っているのかもしれません。 そして、 祖母は「薄紫の四角」になりました。「薄紫」は私の「薄黄色」のちょうど180度正反対の色・・・「補色」になります。 祖母は私とは正反対のものを持っていながら、私にないものをうまく補ってくれる凸と凹の関係にあったと読むことができます。 形は四角を選択しているのですが、祖母は真面目で固いイメージの人でした。 息子は「橙の星マーク」になりました。 橙は黄色の類似色です。私と息子は似たもの同士だと捉えているということがわかります。 また、紺色の180度正反対の色が橙でもあり、紺色である主人と 橙の息子 は お互いにないものを補い合う「補色」の関係にあるのかもしれません。 そして、自分の父親は「青い○」になりました。 私の父親は、私が3歳の頃に離婚しているのであまり記憶にありません。 でも、同じような「紺色」を持つ主人に、自分の父親を見ている、または求めている部分が私にあるのかもしれません。 そんなこんなで、 こんなシンプルな図形から けっこう深いものが見えてきたりします。 おもしろいですよね♪ みなさんも、お暇なときに、 いかがですか?(*^^*) 参考に、色相環図を載せておきます♪
2008.01.26
パステルの授業で、様々な感情を描きました。“愛情”愛情・・・ってどんなんだろう???ってすごくイメージしづらくて、苦戦しました(笑)1枚失敗してごみ箱行きになりました(笑)息子をイメージしてみたら、すんなりイメージが湧いてこんな感じの絵ができました。 “希望”「幸せの青い鳥」ならぬ黄色い鳥になってしまいましたが(笑)何の気なしに描いた「四葉のクローバー」。家に帰って意味を調べてみると、四つ葉のクローバーのそれぞれの四枚の葉には、「誠実 希望 愛 幸運」 の意味があるそうで、それらが全部そろうとさらに「Genuine=真実・本物」 という意味になるそうです。勉強になりました(笑) “励まし”「四つ葉のクローバー」の花束を贈るイメージです。 “怒り”私の「怒り」は絵や色から判断して、発散型、ヒステリー・雷型・・・なんでしょうね(笑)でも、冷静な「青」が入っているので、怒りながらも頭の中でイロイロ分析してるようです。 “悲しみ”色から、自分の中にある悲しみは「両親」と、「恋愛」が大きく影響していることが分かりました。無意識に書いたものの中から自分の気付いていない、心の奥底の自分が見えてきます。家族を、それぞれ色にたとえてみると自分では気付いていない面白いことが分かったりもします。それは後日でも、紹介したいと思いまーす。(^-^) “苦しみ”見ているだけで息苦しくなってきそうな絵ですが(笑)私は結構気に入っています。決して「M」ではありません(笑)苦しみはあくまでも「気づきの為の生み(膿みだし)の苦しみ」だと分かっているから決して苦しみは嫌いではありません。でも、もうたくさん苦しんだから(笑)苦しみながら生きるよりは楽しみながら生きることを今は選択します♪また、これらのネガティブな感情たちは、ポジティブな感情たちに比べ、非常に描きやすかったです(笑)最初は、「ネガティブな感情を描いたら、それにつられて気分が落ちるんじゃないか・・・」なんて思ってたんですが、実は逆で、す~んごいすっきりしてました。ヽ(´▽`)ノ♪まさに「心のデトックス」!!また、これらの絵を見て、苦手だなぁ、見たくないかも・・・と何かしら自分の中で反応が見られるものは自分の中にその感情が抑圧されていたりする場合があるということも分かりました。うまく、これらの感情は発散できていますか?(^-^)絵って、ホントに不思議おもしろいです。
2008.01.25
私のお気に入りの絵です♪“天体”“天使”
2008.01.25
今日は、パステルアートヒーリングの最後の授業でした。資格の申請も無事済ませ、課題の提出も終え、寂しくなるなぁと思いながら教室を後にしました。授業の最後の作品となった絵「癒し」↓課題提出用に描いた絵たち「郷愁の香り」・・・懐かしくもあり、離れている寂しさもあり、なおかつ温かいイメージ。「郷愁の香り2」・・・同じ故郷を持つ仲間たちを意識して描いた絵。優しさ、調和、平和、癒し・・・などのイメージです。「私の好きな音楽」・・・モーツアルトを聴きながら感じたイメージを絵にしました。ちなみに、私の好きな音楽はモーツアルトよりショパンなのですが(笑)「創生1」・・・火山から流れるマグマ、海、山、生命の誕生というイメージを描きたかったんだけど、うまく描けませんでした(笑)「創生2」再びマグマに挑戦したのですが、マグマを描いていたら山が出てきて、山をイメージしていたら妖精が出てきて、それらを描いていたら五重塔を描きたくなって最後に川を流したくなり・・・こんな意味不明な絵ができてしまいました(笑)でも、あとからこの絵の意味が理解できました。それはまた後日にでも、日記に書きたいと思います。。。
2008.01.23
我が家の息子(二歳三ヶ月)が作ってました。(笑)ふと、このお弁当が床の上に転がっているのを見つけ、あまりにも綺麗に盛り付けされていたので思わず写真に撮ってしまいました(笑)まだ若いのになかなかセンスあるじゃん!!って思ってしまいました(笑)親バカですいません
2008.01.22
昨年の秋から、パステルアート(ヒーリングアート)を習いに学校に通っています。といっても、実は、あと1回授業を受けたら卒業です(笑)一応、人にパステルアートを教えたりできる資格がもらえます。この資格が取れたら、自宅と公民館などで、講座を開こうと思っているのですが、私は今、アートヒーリングだけでなく「色」にはまっていて、パーソナルカラーについても勉強するために学校に通っています。まず、今回は、アートヒーリングについて書きたいと思います。・・・私はもともと、小さい頃から絵を描くのが好きで、学生の頃はよく絵を描いていたりしたんですが、社会人になっていつの間にか、絵を描くと言うようなそんな余裕はどこかに忘れ去っていました。。。でも、ふと、「また絵を描こう」と思えたのは江原さんの本がきっかけでした。“自分の魂が喜ぶことはなんですか?”“子どもの頃、周りに褒められたり、得意だったりしたことはなんですか?”・・・その問いかけに対して出てきた記憶が「お絵かき」でした。自分癒しとして、お絵かきを始めてみようか・・・・最初はそんな感覚だったのですが、だんだん、それを仕事にできないかなぁと考え始め、辿り着いたところが、“アートヒーリング”でした。私が今、習っている「パステルアート」というのは、「パステル」というクレヨンの親戚みたいなもので絵を描きます。しかも、指で描きます。パステルをカッターで削って、その粉を指につけて指で絵を描くのです。そのため、とても柔らかな色合いが出て、指で描くのもまた、すごく気持ちが良くて、まさに、ヒーリングアートって感じです。そして、このパステルアートは、“絵を描く”というよりは、ただただ単純に「色を楽しむ」という感じで、とても自由なので、すっかりハマってしまいました(笑)アートヒーリングについていろいろ本を読んだりサイトを調べたりして知ったことなのですが、絵というのは実はとてもおくが深いものだそうです。無意識に描きたいと思った色が実は自分の気付かない内面を表していたり、自分に必要な色だったり・・・色は自分の中からのメッセージそのものなんですね。出来上がった作品を見てみると、気付いていなかった自分が見えてくるのでとても興味深いです。HPを閉鎖していた間に自分が学んだことや気付いた「色」についてまたこれからいろいろ書いていきたいと思っています。と、先日、卒業制作に1枚の絵を描きました。テーマは「お礼」です。このパステルアートの授業の時間は私の中の“子供心”がとてものびのびと、楽しく過ごせた時間でありました。気付かなかったいろんな自分、抑圧された感情などに気付かせてくれたり他にもたくさんの学びと発見をもたらしてもくれました。そのことに対する感謝の気持ちを、絵にしてみました。私の中のインナーチャイルドちゃんがお礼の気持ちがたくさん入った箱を差し出している絵です。渾身の一作です(笑)また、過去に描いた絵たちも日記で紹介していきたいと思います。
2008.01.21
HPを閉鎖してから約1年。戻ってきちゃいました。あえて、URLも前のまま。HNも前のままにしました。・・・いろいろあったけど、また「みるくまろん」として活動再開できることを嬉しく思っています。スピ関連の活動もぼちぼち再開し始めました。またおいおい、日記に書いていけたらと思います。息子も2歳3ヶ月になり、だいぶ手が離れました。といっても、まだまだ自分の時間は持てません。。。携帯からの更新も多くなると思うけど、できる範囲で、ぼちぼちやっていこうと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
2008.01.20
全574件 (574件中 551-574件目)