トレドへは行かない人たちとレストラン前で別れてようやく出発し、バスに揺られて数分後、ガイドのIさんが前方に『アトーチャ駅』が見えると教えてくれた。
その手前に、『ビサグラ門』があった。もともとはイスラム時代のもので、1550年に花崗岩で改築されたビサグラ門は2つの円塔を持ち、中央に中庭のようなスペースも持っている。頂にはトレドの守護聖人が剣を高々と掲げ、真ん中には大きくトレドの紋章が刻まれている。双頭の鷲はハプスブルグ家の紋章だとガイドのIさんが教えてくれたが、写真を撮る間もなく通過してしまったため、この写真は帰りにNさんが撮影したもの。
5分ほどで、タホ川を挟んで対岸にある丘に到着した。ここは旧市街が一望できる絶好の展望台となっている。
そのあと私が戸惑っていた理由を察知したらしく、タホ川にダイブするようなジェスチャーをしたJさん。Jさんが見本を見せて、と思いっきり日本語で言ってみたら通じたのか、崖に向かって助走してみせる。Σ( ̄□ ̄;)こわっ 役目を果たしているのか疑わしいほど低い防護柵を足で蹴ってこちらに着地したJさんだったが、怖がりな私はそれでも充分ドキッとした。密かに心臓がバクバクしているのを隠して、冗談に満足しているJさんやみんなと笑い合った。(笑)
少し広い通りに出ると、頭上にアーケードのように幕が張られていた。大陸性気候で夏に照りつける太陽の凄さは相当なものであるらしいため、日除けとして設けられているのだろうか。
1579年に『聖衣剥奪』を完成させたグレコだったが、聖堂側は絵の報酬を払えないと言ってきた。キリストよりも群衆の頭が上にあるためキリストに対する冒涜であるということが1つ、そしてもう1つは聖書には3人のマリアが登場していないため、このような飾れない絵に報酬は支払えないというのが理由だった。グレコは憤って裁判を起こしたが、聖堂側に異端審問にかけると迫られ苦渋の末に折れて調停案を受け入れ、要求していた約3分の1の値段で『聖衣剥奪』を売ることになった。が、今ではスペイン宗教絵画の傑作とまでいわれているエル・グレコの『聖衣剥奪』。皮肉なものだ……。(ーー;)
5分ほど歩いて路地を抜けると『サント・トメ教会』のある広場に出た。サント・トメ教会は12世紀の部分も残っているが、塔を含む大部分は14世紀のムデハル様式。入口部分には西ゴート王国時代のデザインが残っている。この教会にはエル・グレコの最高傑作と名高い『オルガス伯の埋葬』がある。というより、『オルガス伯の埋葬』があるからこそ知られている教会である。
世界三大名画の残る1つは、アムステルダム国立美術館に所蔵されているレンブラントの『夜警』がそうだ。でも、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』やボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』など他にもたくさんの名画があるのに、いったい誰がこの3作を三大名画に選んだんだろう?
水量の豊富なタホ川の増水によりサン・マルティン橋は何度か破損したらしく、特に中央アーチの部分はカスティーリャ王国の王位継承戦争の際に破壊されたこともあり、14世紀に修復された。
イスラム文化の影響が色濃いトレドでは、アクセサリーはもちろん家具や額絵、皿、甲冑、剣の柄、ペーパーナイフなどにも象嵌細工が施され、室内の壁面だけでなく城門の装飾にも優れた技術が活かされ、脈々と工芸家たちに伝承されてきた。だが現在も創作を続けている象嵌工芸家はわずか十数名で、海外で講演や実演、出展をしているのはその中でもさらにひと握りしかいない。是非、これからも絶えることなく引き継いでいってほしいものだ。
まだか……まだか……と思っているうちに、この時期の闘牛の開始時刻である19時を過ぎてしまい、「いやぁ~っどうなってんの~っ」と前方を見据えながらぼやき、イライラすることになった。闘牛好きのIさんも、人気の闘牛士が出場するから尚更なのか渋滞に文句を言う。サンデードライバーが事故でもしたんじゃないかと言っていたが、渋滞の原因は本当に事故だった。

