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第7官界彷徨
伊勢物語その2
第20段
むかし、男、大和にある女を見て、よばひてあひにけり。さて、ほど経て、宮仕へする人なりければ、帰り来る道に、弥生ばかりに、かへでの紅葉のいとおもしろきを折りて、女のもとに道より言ひやる。
*君がため手折れる枝は春ながら
かくこそ秋の紅葉しにけれ
とてやりたりければ、返りことは京に来着きてなむ持て来たりける。
*いつのまに移ろふ色のつきぬらむ
君が里には春なかるらし
意味は
昔、男が大和に住む女を見て、求婚して一緒になった。そうしてしばらくして、男は宮仕えする人だったので、京へ帰って来る途中でかえでの紅葉のとてもきれいなのを手折って、女のもとに歌を送った。
<あなたのために手折ったこの枝は、春でありながらこんなに美しく色づいています。まるであなたを思う私の心のように>
その返事は男が京に着いてから持って来たのでした。
<いつのまに、あなたのお心はこの紅葉のように心変わりしたのでしょうか。あなたの住む所には春というものがなくて「飽き」ばかりなんでしょうね>
この短い段を一時間半かけて教えていただきました。まずは、なぜ女は「大和」に住んでいなければならなかったのか?
まず第一に、伊勢物語には「大和」がよく出てくる。初段から、新しい京の都に住んでいる男が、狩りに行ったのは春日の里からはじまって、あちこちに。
第二に、古代の英雄像の有りようとして、
「都の才ある男が、都にはいない女性に心惹かれて結婚するというパターンがある。男はそのことによって、女の土地の領有権、支配権を得る、そういう形になっている。
例えば源氏が明石の君に会い、結ばれることにょって明石の国の魂を得る事ができる、それもそのパターンのひとつであり、単なる色好みの物語ではなく、古代の物語は地方の国魂が、すぐれた男を支える形になっている。
これは日本の文学にえんえんと続くが、漱石くらいまでで、あとは途絶える。
それで、「京」ではないちょっと離れた「大和」の女となるわけです。
男は「きれいな珍しい春のもみじを送る」みやび心。
女はそれが理解できない。だめな女。
というのが、伊勢物語のパターンなんだそうです。男の身勝手。それを受け止める女。どちらが人間として上かといえば、それは男に旗が上がるというのが伊勢。
ちょっと待って、女の人にも旗を上げることができないかしら、と書かれたのが源氏物語で、女は男の支配の及ばない「出家」という道を選んでいく。
それでも男と女はなかなか対等な関係になれない。
しかし、そこで「対等を書く」のが文学ではないと先生はおっしゃいます。全く対等なものを書いてリアリズムというよりも、アンバランスな現実を描いて「考える」それが文学。
この二十段
男は弥生なのにかへでの紅葉のアンバランスを差し出して、願わくは女の心が変わらないでいてほしいと「君がため」にもみじを送る。
自分のみやび心に酔っているその男のいい気さに、女は「何を勝手なことをのたもうな!」と切り返した。
男と同等のレベルで渡り合って、男のみやび心が発揮できなかった、、、、という段だそうです!
「かへで」についての説明も聞きました。その形から「かへる手」が「かへで」になったみたいですが、あんまり文学には出て来なくて、古いのは万葉集にひとつ
*子持山若かへるでのもみつまで
寝もと我は思ふ汝はなどか思ふ (万葉/14/3494)
子持山は今の群馬県沼田市あたりの山。「若い時から年老いてまで、一緒にいよう」と、かえでの色に時間の推移をイメージしているようです。
伊勢物語の「男」も、こんな万葉の歌を思い出していたら、生意気な女にしてやられた!という感じでしょうか。
この春の紅葉は新芽が赤い紅葉か、または病葉か、という両方の解釈があるそうです。清少納言さんも「かへで、、、、、たそばの木は、花が散ったあとに新芽が赤くてきれい」と書いてあるので、私は新芽が赤い楓ではないかと思います。たそば、は、カナメモチのことです。
2009年11月4日
午後は伊勢物語の日でした。
「世」という言葉の説明に、富士山からかぐや姫が天に帰って行った「竹取物語」の1フレーズを!
「世ごとに黄金ある竹を見つくること重なりぬ」
の、この「世」というのは、竹の一節の事なんですって。物語では大体が「世」といえば男女の仲のことを言います。
伊勢物語
第21段
物語は、男女が仲良く暮らしていたが、気に入らないことがあって片方が家を出ていった。そののち出て行った「女」の方から歌が来た。「私のことをまだ思ってくれてるの?」「もちろんさ」で、仲良くなるけれども、それぞれ別の相手ができて壊れてしまった。
という簡単なもの、だと思いましたがあにはからんや、半分しか進みませんでした。
これは非常に難しい話なんだそうです。
季節がない、手がかりがない、源氏は懇切丁寧に描写するが、あらゆることを省いている。
一行目
「むかし、男、女、いとかしこく思ひかわして、こと心なかりけり。」
昔,男と女がもうそれはたいそう愛し合って、相手を裏切るような気持ちはなかった。ところがどういうことがあったのか、ほんの些細なことがあって、女はもうこれまでと思ってこのような歌を詠んで物に書き付けた。
*家を出て行ったならば考えなしのしわざと人はいうだろうか。どんな仲であるかは人は知らないのだから
と壁かなんかに書いて出て行ってしまった。男は合点がいかず、身に覚えはないのにどうしてこんなことになったのだろうかと、ひどく泣いて、どっちの方向に捜しに行こうかと門のところであちらを見、こちらを見していたが、どこを目当てにしていいか分からなかったので、歌を詠んだ。
*愛した甲斐もない夫婦仲であったことだ。今までの長い年月をいい加減な気持ちで暮らしたつもりはないのに
と言って、ぼんやり外をながめているのであった。
☆ここまでで終わりでした。
女は「世の中を憂しと思って」の「世」は男女の仲のことです。ひらがなの一字の言葉「め」「葉」「世」などは、古語中の古語なんですって。
女は「世のありさまを人は知らねば」自分のことを軽はずみな女と人はマイナス評価をつけるだろうが、と言っている。かつての読み物,特に伊勢物語は「男」が価値判断のベースであり、出て行った女は「軽はずみ」とされる。
情緒、判断、心づかい、礼儀、みやび心、全てが男が基準でありその行動が正しいとされるので、その男の暴力ともいえるものに対して、女が反論するには、尼になる、家を出る、しかない。
しかし、紫式部は違う反応を女性たちにさせることができた。
源氏物語で、光源氏に育てられた紫の上は、源氏によって物質的にも精神的にも恵まれるが、源氏の身勝手な女性関係により、大きく傷つく。
源氏が女三の宮を妻として迎えることを告げたとき、紫の上は「言葉を失ってただほほえむ」という悲しくも素敵な態度を見せる。
夫の言葉に深く傷ついたとき、紫の上にできることは、ほほえむことしかなかった。ほほえんで人を断ち切ることもできる凄みを、紫式部は描き切っている、のだそうです。
この伊勢の男は女が出て行ってしまったので「いといたう泣きて」というナイーブな男ですが、歌を詠んで女を呼び戻したい、言霊によって女の魂に訴えます。
これは「反魂」の行為であって、歌の言葉が呪文のような働きをして、去った女がもう一度帰って来るようにと願ったようです。
「と言ひてながめをり」
は、すばらしい言い方で、「ながめ」は、見るけれども焦点を結ばない様子。
☆くっついたり離れたりのストーリーで軽いと思っていましたが、残る半分でもっと重いテーマが出るのかも。
紫の上のお話には、なるほど深読みすべきだった、と思いました。ほほえんで相手を切り捨てる!
2009年12月1日
今日は伊勢物語の日でした。
第21段
前回と同じ所。女が歌を詠んで出て行ってしまった話。女の歌。
*いでていなば心軽しと言ひやせむ
世のありさまを人は知らねば
(軽率な女と人は言うかもしれない。よその人には、私たちの間のことは分かりはしないのだから。)
人から見て、どんなに恵まれているようでも、当事者になれば本当に幸福かどうかは分からない。例えば、光源氏に愛された紫の上の暗いさみしい孤独。
伊勢物語は、「男」主体の文学。みやび心を持っているのはあくまでも男。いやになって出て行くのは、「男」ではない。男は、嫌なものを全て包み込む、超越した存在として描かれる。
さて、竹取物語、伊勢物語の影響も受けた源氏物語では、宇治十帖の3番目のヒロイン浮舟は、薫と匂宮に惹かれたが、最終的には2人の男性の心をつかめなかった。その理由の第一は、最高の存在である薫と匂宮と比べて、浮舟の身分が低過ぎたからだ、と先生はおっしゃいましたが、まだそこまで行っていないのでよく分かりません。
「いづ方に求め行かむと門にいでて、と見かう見、見けれど、いづこをはかりともおぼえざりけり」
「と見かう見」という言葉には呪的な行為のニュアンスがある。今は使われていないけれど、古代の言葉たちは、弾き方を忘れられた楽器のようなものである。するりするりと現代の我々から逃げてしまう、と先生は言われ、例として万葉集の柿本人麻呂の妻への長歌の中に
「なびけこの山」というのがある。なんと思いを的確に歌っていることよ!だ、そうです。
「いづこをはかり」の「はか」は、あるひとつの区画。「はか」どる、空しいの意味の「はか」なし、も同じ「はか」の意味だそうです。
言葉で言えば、竹取物語の難題婿の話に、燕の子安貝を所望された石上の麻呂足という人は、子安貝を取ったつもりが、燕のフンをつかんでしまい、「かいなし」の語源になったそうな。
しかし、この言葉は時代を経て男女のどうにもならないシーンに使われるようになった。柏木は女三の宮に「かひなきあはれを」と言って死ぬ、重要な言葉に成長したのだそうです。
男は、家に入って歌を2つ詠みます。
*人はいさ思ひやすらむ玉かづら
おもかげにのみいとど見えつつ
物語を読むと、当事者の感情が高まって来る時に、歌を一首ならず二首か三首詠む場合があるそうです。(君は僕のことを思っているかもしれないが、僕はもっと思っていて、ますます面影が見えて来る。)
ここで「おもかげ」
万葉集の中に、家持に送った笠郎女の歌。
*みちのくの真野の萱原遠けども
面影にして見ゆといふものを
西洋に追いつけ追い越せの明治時代、森鴎外は文学の分野で、日本に新しい「詩」を根づかせるために、西洋の詩を翻訳して日本に紹介した。その名前が「於母影」それには、生み出してくれる母、という意味の他に、充分な翻訳が出来ないかもしれない、面影しか紹介できないかもしれない、という、鴎外の謙遜が含まれている、のだそうです。
そんなこんなで、今日は、前回から全く進みませんでした。それにしても、「かいなし」の言葉の発端は、ほんとに燕のフンの一件のことだったのでしょうか?
2010年1月
第21段
家を出て行った女が、久しくたってから歌をよこします。
*もうこれきりと、人を忘れる忘れ草のタネを、あなたの心に蒔かせたくないものです。別れても私のことを忘れないでね。
男は歌を返します。
*あなたが私を忘れるために忘れ草を植えるということは、今まで私のことを忘れないでいてくれたと知る事もできるのだが。
(勝手に飛び出したくせに今更私のことを思ってくれていた、だなんて)
これをきっかけに前よりも歌を詠み交わすことが多くなって、男が
*あなたは一時私を忘れようと思ったでしょう。そんな心を疑って、前よりもっとかなしい気分です。
女が返して
*空の中空の雲があとかたもなく消えてしまうように、私は寄る辺ない身の上になってしまったことです
などと歌を詠み交わしたけれど、それぞれ別の人と暮らしたために、また疎遠になってしまいました。
☆第21段はこれで終わり。
ここに出てくる忘れ草は「カンゾウ」のことで、万葉集には5例あるそうです。
萱草の読み方は「和名抄」に一名忘憂「和須禮久佐」とあるので、わすれぐさという読みであることが分かるそうです。
この名前は詩経にも出て来て、詩経の忘憂は、主に男子が志を果たせなかった憂いなのに対して、日本に渡って来て和語となってから行き着いたのは、もっぱら「恋の憂い」恋忘れに変化してしまった、とのことです。
昔の日本人って、けっこうイけてたんですね。
2010年1月
第22段
昔、どうというわけでもないまま別れてしまった仲であったが、男のことを忘れかねていたのか、女から
*つらく思ってはおりますものの、あなたのことが忘れられずにうらめしいとは思いつつもやはり恋しいのです
という歌が届きました。
男は「さればよ」と、言って歌を返しました。
*お互いに愛し合ってきた仲なのですから、これからもよろしく!
と、歌を送ったけれど、そのまま出かけていって昔のことや将来のことをいろいろ話し合いました。
そして
*長い秋の夜の千夜を一夜と考えて、その一夜を八千夜でも共寝したならば、私の心の満ち足りる時もあるだろうか
という歌を詠み、女は
*長い秋の夜を八千夜にしたところで、話は尽きないうちに鶏が鳴いてしまうでしょう
と、ラブラブになり、以前よりも愛情細やかに女のもとに通うのでしたとさ!
☆女から手紙が来た時の男の反応「さればよ」(思っていたとおりだ、それ見ろ」は、女の行動を高見の見物をしている男の本音。伊勢物語は、男のすることは全て正しいという「みやび」の中核をなす文学なのだそうです。ふ~んだ。と、納得できない私。当時の文学で自立した女性はいないもんでしょうか?
いました!かぐや姫。だれのいうことも聞かなかったようですが。
☆また先生が、吉川幸次郎さんの説をもとに考えたところによれば、伊勢物語は、ストーリーの骨組みだけで説明がなく、21段はその典型的なものだそうです。
それに、肉付けをしたらもっと良い物語になるのではないかと考えると、22段ふうになるのでは、とのこと。
骨組みだけの伊勢物語は、演劇の台本(Synopsis)みたいなもの。
かつて中国の文学は漢詩がベストでした。
六朝時代、随、唐と大きな国が栄え、巨大な帝国を支えに文芸も広がりをみせ、オーソドックスな文芸ではない小さな散文が生まれました。それが小説の起源。
六朝の頃の散文を、後世の人は、志怪(フィクション)伝奇(ローマンス)と呼びましたが、この散文文芸は、短いが日本の物語に大きな影響を与えました。
竹取物語、伊勢物語を経て、源氏物語の各所に影響があるのだそうです。
例えば、夕顔は、志怪伝奇の中の、「白狐が化けた女」の話を下敷きにしているんですって。
中国では、本格的長編小説は「宋」以降に現れるのだそうです。
伊勢物語、次回はいよいよ有名な「筒井筒」の段です。
2010年4月
今日の所は有名な筒井筒の第23段。
幼なじみの男が、
*筒井つの井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざるまに
と歌を詠めば、女返し
*くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき
と、ラブラブだったのですが、女の親が亡くなって貧乏になってしまったので、、、という所から今日の部分。
先生が地図を書いてくださいました。
このお話は、大坂と奈良の境目あたり、現在の信貴生駒スカイラインのあたりの事だそうです。
男は、大和から生駒を越え、くらやみ峠を越え、鳴川峠を越え、十三峠を越えて高安の女のもとへ、夜道を通ったのです。
信貴山の方面に竜田神社、竜田大社があり、この2つは延喜式に書かれている古いお宮で、風の神様を祀ってあるそうです。
男は、大和から高安の女のもとに通うようになりました。けれども、大和の女は特に意にも留めていないように行かせてくれるので、他に男ができたのかと、河内へ行くふりをして植え込みの中に隠れて見ていますと、女はきれいに化粧をして歌を詠んでいます。
*風吹けば沖つ白波竜田川 夜半には君が一人越ゆらむ
それを聞いて、かぎりなく愛しく思って反省して、それからは河内へ行かなくなりました。
この話は、いろいろな物語となりました。
世阿弥が、自分でも良い出来と思っている「井筒」は待つ女に具体的な名が。
奈良の大きな寺を33カ所めぐる旅をしている僧が、石上(天理市)の在原寺の所で、花を摘んでいる里の娘に出会います。僧が「あなたは誰?」と聞くと「私は紀有常の娘。夫が亡くなったので花を手向けるのです」と言います。
女が中入りして説明が
「この話は、伊勢物語に伝わっている業平と紀有常の女との話です」
夢うつつの僧の前で、さきの女が美しく現われ、業平に貰った衣装を着て踊り、そのうちに井戸の中に隠れていく。
近松の「井筒業平河内通」
人形浄瑠璃で上演、
高安左衛門の娘、生駒(高安と生駒は離れ過ぎているけど)男は生駒の田舎臭さに嫌気がさし、生駒を振り、振られた生駒は怒り狂い、井戸に入って死ぬ、という話。
伊勢物語では、高安の女は裕福な女である筈なので、当時は高安=金持ち、というイメージがあったはず。高安に金持ちがいたという資料はどこにもないが、
和名抄には壬申の乱の時にすでに高安城(時に信貴山城ともいう)があり、壬申の乱の折りには、食料や武器を集めた場所であり、のろしをあげる場所でもあったそうです。
また、仁徳記には
大坂の高木の影「朝日に当たれば淡路島に及び、夕陽に当たれば高安山を越えた」
高木が枯れてその木の一部分を燃やして淡路島の海水で塩を作り、他の部分では琴を作ったが、その音は遥か遠くまで響き渡った、、という枯れ野という話が載っているそうです。
また、唯一高安の金持ちの話では、人鏡論という中に
「河内の国高安に富みたる百姓有り」という一文があるそうです。
4月4日の朝日新聞に、平松さんという人の「化粧に見る日本文化」(水曜社)の紹介が載ったが、人はなぜ化粧をするのか。化粧は、自分を高める大切な存在に出会うためにするもの。
大和の女は「いとよう化粧して、」
男の心を蘇らせたいと、神に祈った、、、のです。
2010年6月1日
第二十三段のつづき
この筒井筒の段は3つの物語から成っています。その2番目。
女の親が死んで貧乏になったので、男は財力のありそうな高安の女の所に行くようになります。女は特に嫌な顔もしないで送り出してくれるので、男は怪しく思い、出かけるふりをして植え込みに隠れていますと、もとの女はきれいに化粧をして歌を詠みます。
*風吹けば沖つ白波龍田山
夜半にや君がひとり越ゆらむ
風が吹けば何かが起きる、万葉集では、
「風吹けば」は「波」につながるが、古今になると「恋」につながる場合も出てくる。そのことで、伊勢物語は万葉集と近しい存在にあることが分かる。
さて「龍田山」であるが、万葉集にはその名があったが、現在の地名に龍田山はない。枕草子には
「山は、小倉山、鹿背山、みかさ山、このくれ山、、、、」と、近畿圏を回るようにして各地の山を出してあり、場所的に「竜田山」があってもよさそうではあるが、ない。
10世紀半ばの「能因歌枕」には名前だけがある。
たつた山がどこなのか、本当に分からないが、生駒郡三郷町立野にある山らしい。
たつた山のイメージはどんな山かといえば、日本書紀の「神武即位前紀」に
筑紫の方からやってきた神武が
「みいくさの兵をととのへて歩より龍田におもむく。而してその道狭く険しくて、横に並んで行けなかった。仕方ないので大回りして東の方の生駒山を越えて中州(うちつくに)に入らむと思ほす」
と、書かれているほどに険しい山道だったらしい。
男は、新しい女のために険しい道を行こうとしている。神武が越えるのは無理だとした竜田山を。
夜半には君がひとり越ゆらむ
夜半は、余り使われない言葉で、古今集に、この歌と、源氏物語に3例あるのみ。そして源氏では2例が歌の中にあり、1例は歌詞にある。紫式部はこの言葉を「歌語」と認識していたようだ。
ひとり越ゆらむ
あの方は、あの険しい山をひとりぼっちで越えるのね。本当は私が一緒に行ければいいのに。(女の愛の深さ)
ここで、古くより国語学者の皆さんは、夜の山越えは可能であるか、と論陣を張ったようです。それを覆す一つの歌
万葉集より
*二人行けど行き過ぎ難き秋山を
いかにか君が一人越ゆらむ 大伯皇女
今生の別れを言いに来た弟の大津皇子を見送って詠んだ歌。
さて、「行く」の読み方のことですが、万葉集の頃は
字余りのときは「ゆく」
普通のばあいは「いく」と言ったそうです。万葉時代に限るのですが、万葉仮名なのでこういう読みが分かるんですね。
河内にも行かずなりけり
日本では、歌が人(男)の心を動かして良い結果を生むという「歌徳説話」がたくさんあるそうですが、この
*風吹けば沖つ白波、、、」の歌は、その代表的なものとして伝えられてきたのだそうです。
めでたしめでたし。
2010年7月6日
2月からやっている23段の「筒井筒」がやっと終わりです。
3つに分かれている話の3つ目。
「まれまれかの高安に来て見れば、、、、、」
幼なじみの大和の女のもとに戻った男が、また、高安の女の所へ言ってみると、初めは奥ゆかしく取り繕っていたけれど、そのうちに慣れて、自分でおしゃもじを取ってご飯を盛ったりするので、男は「いやだな~」と思って行かなくなりました。
高安の女は、大和の方を見て歌を詠みます。
*君があたり見つつををらむ生駒山
雲な隠しそ雨は降るとも
と言ってやると、男は「では行きます」と言ったので喜んで待っていたのに、来ないので
*君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば
頼まぬものの恋ひつつぞ経る
とまた歌を送ったけれど、男は通ってくることはありませんでした、、とさ。」
という話でした。自分でおしゃもじを持ってかいがいしく世話を焼く事の何が悪いのさ!とお怒りの向きもありましょうし、高安の女にも納得できないことでしょうが、大和の「男」にとっては、「自分のみやび心の美学」にとってあってはならないふるまいであったのです。
(自分のもとを離れて男が行ってしまった)大和の女は龍田山を詠み、高安の女は生駒山を詠む訳ですが、大和の女の歌は、古今集に長文の左註をつけて読み人知らずとして紹介されており、また、古今6帖には作者として「かこのやまのはな子」という名があるそうです。
大和物語の149段にも同じようなストーリーで紹介されているそうです。そして男は「王」であったと。
かこのやまのはな子とは誰か?
神戸に加古川という川があり、奈良時代の播磨の国の風土記に加古の名前の由来として
「丘に鹿の子が遊んでいたので鹿子(かこ)という」
かこのやまは、加古川のそばの山とみられる。
はな子、を伝える末裔に狂言の「花子」。
かこやまを「香具山」としたらどうか、という発想で大和三山の妻争いをこの大和の女、高安の女に当てはめて「妄想」してみました、という先生のお話は
ハイデッガーの研究の仕方、テーマを遠くへ投げて、それを責任を持って追いかけて、客観的な答えを出す!という
「エントベルヘン」(投企)という方法なんですって。
「妄想」の内容は、よく理解できなかったので書けません。
2010年10月
昨日は伊勢物語の日でした。第24段のつづき
あらすじは、片田舎に住んでいた男が職を求めて都にゆき、3年経って帰って来たら待っているはずの妻の婚礼の日だった。男を追った女は、追いつけずに泉のもとで死んでしまった、、、という話。
歌2首の説明だけで終わってしまいました。歌は、男
*あづさ弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
と、女
*あづさ弓引けど引かねどむかしより心は君に寄りにしものを
です。
3年という期日は古来より意味があったそうで、
源氏物語で、須磨明石に源氏を流して、ちょっとびびった兄の帝に対して、母のこきでんの女御が、「3年も経たないのに許すなんて法がありますか!」と叱ったことや、
世阿弥の能の「砧」というのは、九州の「あしや」から都に裁判に行った男が、3年もかかってしまったのであしやで待っている妻に「長引いている」と侍女の「夕霧」を使いに出したが、妻は信じない。そこで夕霧と妻は「砧」を打つ、、、というお話だそうで、、、。
そういえば題名だけ知っている「あしやからの飛行」という映画の「あしや」が、どこにあるのか分かりませんでした。
歌にある「あづさ弓」の梓の木というのは、中国で大切にされた木で、天子の棺も梓の木だそうです。神に近い木とされ、
あづさ巫女とは、梓の木を持って神を降臨させ、お告げを伝える巫女のこと。
日本でも書物の完成を「上梓」と言う、、、なるほど~。
古今集の1078番ー神遊びのうた=とりもののうたに、
*みちのくの安達太良ま弓わがひかば末さへよりこしのびしのびに
という歌があるそうです。
都にいて、遠くみちのくより送られてきたものを通して、未知の世界への憧れ、地理的心理的に遠いものがゆっくりと近づいてきてほしいというような、、、
この時に使われる「ま弓」も、神が降臨する「採物」として見られているそうです。
平安時代の人たちは戦をする気力体力がなくて、弓も片膝を立てて打つ小さなものしかなかったようです。そして、もっぱら祀りのために使用されたみたいです。
光源氏も、なにがしの院で夕顔に取り付いた物の怪を退散させるために、お付きのものたちに「弦打ち」を命じます。それは呪的な魔除けの方法で、弦をぶんぶん鳴らすだけらしいです。
万葉から古今への弓の移り変わりのデータとして
万葉集巻の2(96~100)
久米禅師の石川の郎女をつまどひし時のうた
*み菰刈る信濃の真弓わが引かばうま人さびて否と言はむかも(禅師)
*も菰刈る信濃のま弓引かずしておそさる行事を知るといはなくに(郎女)
*梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りがてぬかも(禅師)
*東人の荷前の箱の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも(禅師)
よく分からないけど、昔の人もラブラブですね~!
そして巻の12(2985番)
*梓弓末はし知らず然れどもまさかは吾に寄りにしものを
別の本では
*梓弓末のたづきは知らねども心は君に寄りにしものを
とあるそうです。また巻の4(505番)阿部郎女の歌に
*今更に何をか念はむうち靡く情は君に寄りにしものを
というのもあり、伊勢物語のこの女の歌
*あづさ弓引けど引かねどむかしより
心は君に寄りにしものを
で分かるように、伊勢物語は想像以上に万葉集に近いと言えるそうです。
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