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第7官界彷徨
宇治十帖
宇治十帖に入りました。まずは橋姫です!
今までの複雑な文章と違って、力強くて分かりやすい。この変化の経緯が、大昔からの研究テーマだったのは、うなずけるくらいの変化です。紫式部にどういう事が起こったのでしょうね。
その頃、世間からは忘れられたような老年の宮様がいらっしゃいました。立派な家柄のお方で、有る時は天皇の候補にもなった方だったのに、あれやこれやの事情で周囲の人々からも見放されているような有り様です。
奥様は昔の大臣の姫君で、今の身の上はしみじみと悲しいものではあるけれど、長年のご夫婦中の睦まじさだけが、過ごしがたいこの世での慰めとして、お互いにこの上もなく頼りにしあっておいでなのでした。
かわいい子どもがほしいと宮が時折お気持ちをお漏らしになっておいでだったのが、ようやくたいそうかわいらしい姫君がお生まれになりました。
この姫君を大切にお育てしているうちに、北の方は再び懐妊され、宮は、この次は男の子でも、とお思いになったのですが、やはり同じ女君で、ご無事にお生まれになったものの、北の方は産後をひどくお患いになったまま、亡くなってしまわれました。
宮はあまりのことに途方にお暮れになり、年月を過ごすにつけても暮らしにくいこの世の中、いっそ出家してしまいたいと、お思いになる気持ちも、見すてて出家するには忍びない北の方のお人柄のために、それをこの世に引き止められる絆としてともかくも生きて来たのに、独り残されて何の張り合いもないことになってしまう、とお思いになり、また
姫君たちを父親の自分が一人で育てあげるのは、皇族の身で体裁がわるいことだと、出家の本意を遂げたい気持ちにもなられたが、姫君たちを託す人もなく残していくわけにもいかないのでした。
年月が過ぎますと、お二人がそれぞれすくすくと大きくなられるのがかわいく、申し分のない美しさなのを、日々の御なぐさめに、ついつい日をお過ごしになるのでした。
北の方が臨終の間際に、この君を私の形見だと思ってかわいがってやってください、と
ただひと言遺言なさったことを思いつつ、この中の君をたいそうかわいがってお育てになりました。
大君は、気だてがしっとりして優雅で、気品があって奥ゆかしい人柄でいらっしゃる。目をかけて大切になさらないではいられない点では、大君の方が勝って、どちらの姫君をも、宮は大事にご養育なさいました。
しかし、お仕えしていた人々も、将来の見込みがないと、辛抱しきれずに次々とお暇をいただいて去っていき、中の君の乳母さえもが、幼い姫を見捨てて去ってしまったので、宮が一人でお育てになったのでした。
☆今日はここまででした。2人の姫君の父親の8の宮は、実は源氏の弟なのです。ちなみに源氏は2の君。次男です!
2008年12月4日
八の宮は、出家をしたいと思うのだが、幼い姫たちのことを思うとそうもできず、また、新しい縁談もあるのだが、そういう気持ちにもなれず、心はすっかり聖僧におなりになっています。
心に仏を念じ、口に経文を唱える日々ではありますが、その合間に姫君たちに琴の練習や、囲碁、漢字遊びなどをして育てておいでです。
その遊びにもお二人の性格が垣間見えます。大君は思慮深くおちついて、中君は、おっとりとしてはにかんだ感じでかわいらしいのでした。
春のある日、お庭の水鳥が、寄り添って羽を交わしながらさえずる声などをいつになく羨ましく聞きながら、宮はこういう歌を詠みました。
*いつもつがいでいたものを、見捨てて去って行った水鳥のかり、そのかりの子はどうしてはかないこの世に残ったのか。(かりのこ、は鴨の卵、かりのこの世、に掛ける)
気苦労の種の尽きないことだと、涙をぬぐわれる。八の宮は長年の勤行に痩せてしまっていはいるが、そのお姿がかえって気高く優雅に見えるのでした。
姫君たちを何くれとなくお世話するために、直衣の糊の落ちたやわらかいのをお召しになってくつろいでいるお姿は、大層気品があってご立派なのでした。
大君は硯を引き寄せてその面に手習いのようにお書きになっているのに、宮は紙を差し出して
「これにお書きなさい。硯にものを書いてはいけないものだと聞いています」と。
大君は恥ずかしそうにお書きになりました。
*母のない身でどうしてここまで大きくなったのかと思うにつけても、悲しい我が身の宿世を思い知るのです
さほど上手ではないけれど、その場にあってはたいそう心を打つ歌になっているのでした。筆跡は、将来上達するであろうと思われるが、まだまだ続けて書くことはおできにならないのでした。
宮は中の君にも「お書きなさい」と言えば、
*悲しみに泣きながらも温かく育んでくださるお父様がいらっしゃらなかったら、私はとても大きくはなれなかったでしょう
姫君たちのお召し物なども、着古して糊気が落ち、お前には父君のほかに女房とていず、ほんとうにひっそりして所在なげな有り様だが、姫君たちがそれぞれにかわいらしいご様子でいらっしゃるのを、不憫でいたわしいと思う宮でした。
宮は経を片手にお持ちになって、時には読み上げ、時には唱歌をなさる、大君には琵琶を、中君には箏の琴をまだ、幼いけれどもいつも合奏しながらお稽古なさるので、とても面白く聞こえるのでした。
八の宮は、父の帝にも母の女御にも早く先立たれなさって、しっかりとした後見もなく、この世間に立ち交わっていく処世のお心構えはなく、高貴のお方と申し上げる中でも、あきれるほど上品でおおようなので、ご先祖伝来の宝物や、母方の祖父である大臣のご遺産も、無尽蔵だと思われたのだけれども、いつのまにかなくなってしまい、お手元に置くお道具類だけが、目立つほど立派で数多くあるのでした。」
2008年12月16日
さて、先日の源氏の日のあらすじメモです。まだ宇治十帖の始めの方です。
八の宮は光源氏の弟で、冷泉院が皇太子だった時に、こき殿の大后が横しまな計画を立て、八の宮が帝位につくよう画策し、その権力争いのことがあって、源氏の子孫ばかりが次々世に立たれるご時世になってしまって、人々との交わりもおできになれないのでした。
そのうちに、八の宮の屋敷が焼けてしまい、辛さの増す境遇に、もう京にも住む所もなく、宇治に風情のある山荘をお持ちになっていたので、そこへお移りになりました。
その山荘は流れの音が耳につく川のほとりで、静かに暮らしたいという願いにはそぐわないけれど、花や紅葉、水の流れにも、前にも増して物思いに沈まれるより他はない宮の日々なのでした。
この宇治山に、一人の阿闍梨が住んでいました。教典の知識も深く人々から敬われているのに、滅多に朝廷の法要などにも出ずに籠っているのでした。
八の宮は功徳になるお布施をなさって教典の勉強などをなさるので、阿闍梨は八の宮が今まで学んで来たことの更に深い意味をご説明したりして、お屋敷に親しく伺うようになりました。
この阿闍梨は、冷泉院(源氏と藤壷の子)にも親しく伺って御経などを教える人でもありましたので、今日に出たついでに冷泉院に伺って、八の宮の深く悟り澄ましたご心境は、まさに聖のお心構えでいらっしゃいます」と、申し上げました。
それを傍で聞いていた薫の中将は、出家はせずに心は聖に成り切っていられる心のおきては、どんなものか、いたく興味を持つのでした。
阿闍梨は、「八の宮は出家の本願はかねてからお持ちなのだが、姉妹の姫君をとても見捨てて出家はできないと、お嘆きなのです」と申し上げます。
阿闍梨はまた、「この八の宮の姫君たちが琴を演奏なさるのが、川音に競うように聞こえてくるのは、極楽もかくやと思われるほどです、」などと申し上げるので、冷泉院は、「もし八の宮よりも自分が長く生きるのであれば、その姫君たちをお譲りくださらないだろうか」などとおっしゃいました。
朱雀院が、女三の宮を源氏に委ねたことなどを思い出されたのです。
冷泉院と違って、いたく真面目な薫は、八の宮の生き方にひどく惹かれます。いつかお目にかかって仏道に専念するお心構えを拝見したいものだ、と思い、阿闍梨には「必ず八の宮邸に伺って、何かとお教えいただくように、ご意向を伺ってください」と、お頼みになるのでした。
☆これで今年は終わりです。登場人物が無理なく登場して来て、しかも以前のわかりにくい文章と違って、宇治十帖は整理された小説!という感じです。
何度か出て来る「心掟」こころおきてという言葉、今は使われなくなっていますが、哲学的なすてきな言葉だと思いました。
2009年1月8日
今日は「橋姫」
宇治の山深くごうごうたる川のほとりに隠遁している八の宮と、冷泉院とが兄弟の心やすさで文を交わし、八の宮の聖の仏法に身を捧げる暮らしに心惹かれた薫は、たびたび宇治を訪ね、高僧と言われる人たちの奢りも、卑しい僧侶の下品さも持たない八の宮に教えを乞い、その人柄と仏道の深さに感じ入り慕う薫の様子が綴られた所です。
2009年2月22日
昨日は源氏の日でした。聖の路を究めようとする八の宮(源氏の末弟)に惹かれ、宇治に通う薫のもとに、母、女三の宮とあやまちを犯した本当の父、柏木の乳母子である老女「弁の君」が現れ、薫の出生の秘密をそれとなく話すという、重い内容を秘めたドラマな部分です。
「老女現る」
老女はことのほか出しゃばって、「まあ、もったいない、とんでもないお席の設けようですこと。お部屋の中にお入れすべきです」と言って、薫を部屋の中に導きます。姫君たちは、その遠慮なさに、きまりが悪いと思うのですが、老女は、世の人々がだんだんに疎遠になる八の宮邸なのに、誰にも真似のできないほどのご親切を、姫君たちもありがたいと思っているのですが、口には出されないのです、と、世慣れたふうにとりなします。
薫は「寄る辺もない心細い気持ちでおりましたのに、うれしい方のお出ましですね」と物によりかかって座っていらっしゃりながら答えます。
そのお姿を見て老女はわっと泣き伏して語ります。
「出過ぎ者とのおとがめもあろうかと思い控えておりましたが、悲しい昔のお話を、いつかお話できる機会があるようにと、長の年月、読経のおりおりに祈念してまいりました。こんな嬉しいおりに、まだお話する前からあふれる涙に目もくれまして、とても申し上げられそうにございません。」
と、身を震わせている様子に、薫は、年老いた人は涙もろくなるとは見聞きしていたけれど、こんなに深く悲しんでいるのも不審だと思うのでした。
そして
「今まで幾度もこちらに通わせていただきましたが、八の宮とは経文を通じての学問的な話ばかり、あなたのような情の豊かな方にお会いできてうれしいので、ぜひ、何事も残らずお話ください。」と言います。
老女は涅槃経の一節を引いて、明日をも知れぬ命なのですから、こんな年寄りがいたことだけでも覚えておいていただければ、と自分のことを話しはじめます。
「女三の宮様の三条の御殿にいたという小侍従(女三の宮の乳母子、柏木と女三の宮の間をとりもった)も亡くなったという話を耳にたしましたし、同じ年頃の人たちも多くが亡くなったとか。私はしばらく田舎におりましたが、この5、6年は、このお屋敷にこうしてお仕えしております。
現在、藤大納言という方の兄君(柏木)が亡くなられたときの事は、何かでお聞きになることもございましょう。亡くなられて、まだいくらも経っていないような気がいたしますが、その折の悲しさも、涙に袖の乾くひまもないように思えますのに、このように立派に成人なさったお年のことを考えますと、夢のようでございます。
あの柏木さまの乳母は、私の母なのでございます。
私は乳母子(めのとご)として柏木さまにいつもお仕えしておりました。人の数にも入らぬ身分のものではあるけれど、柏木さまは人に話せないこと、またご自分の心に余りあることなどを、いつも私にお漏らしになっていたのです。
いよいよ最期のときに私を枕元に呼び寄せて、少しばかり遺言なさることがありました。この場ではこれまで話させていただきましたので、人目もありますので、いつかごゆっくり何もかも聞いていただくことにいたしましょう。」
と、老女は言い、口をつぐんでしまいました。
薫はいぶかしくて、夢のお告げのような、巫女の神憑りのような、と世にも珍しくお思いになるが、ご自分が切なく、いつも知りたいと思っていたことを老女が申し上げるので、もっと聞きたいとは思いつつ、人目もあるので、
「私としてはもっといたいのですが、今日はここまでで、いつか必ずあとの話を聞かせてください」と帰る事にしたのです。
その時ちょうど、八の宮がおこもりになっていらっしゃる寺の鐘(6時の時鐘?)が鳴るのでした。
薫「くちおしうなむ」とて立ちたまふに、かのおはします寺の鐘の声、かすかに聞こえて霧いと深くたちわたれり。」
☆昨日はここまででした。薫の父、柏木の乳母子である、老女弁の君の登場で、薫の心は深い霧の中。
この最期の本文、まるで泉鏡花みたいですね!
2009年4月23日
今日は薫が、亡き柏木(本当の父)の乳母子だった弁の君とやっとゆっくり話せた場面です。前回は、琴をすすめられた姫君が、尻込みしてできなかった所でした。
「そんなことがあるにつけても、このように山家育ちで、姫君としてふさわしい社交性も身につけさせられなかったし、姫がいることも隠して育ててきたけれど、宮は残り少ない命を思うとき、「生い先の長い2人がおちぶれて彷徨うかと思うと、そればかりが世を離れる時の心残りなのです」と、心の内をお話になるので、薫はおいたわしいこととお思い申しあげるのでした。
そして
「特別なお世話役でなくても他人行儀でなくお世話申し上げようと考えさせていただきます。一言でもこうしてお約束申し上げたことは違えないつもりです」と申し上げると、八の宮は「本当にうれしく思います」とおっしゃるのでした。
そんなことがあった明け方、八の宮が勤行なさっているときに薫は老女弁の君をお召しになりました。弁の君は六十歳少し前で、都の風を失わないたしなみ深い様子でお話など申し上げるのでした。
そして故柏木がずっと物思いに悩み暮らして、病になり若くしてお亡くなりになったいきさつをお話して泣くのでした。
なるほど、人の身の上話と聞いても胸を打たれる昔話を、まして、長い間真相を知りたいと思って、仏にもはっきり教えてくださいと念じていた昔のことを、思いもかけない機会に聞く事ができたと涙が止まらない薫なのでした。
薫は「こういう気恥ずかしいことを知っている人はほかにもいるのでしょうか。今までの長い年月少しも私の耳には入らなかったけれど」とおっしゃれば、弁の君は
「女三の宮さまの乳母子の小侍従と私以外にはほかに知る人はおりません。私はこんなつまらない分際のものではありますが、夜となく昼となくあのお方(柏木)のおそばにおつき申しておりましたので、いつのまにかあのいきさつを存じ上げるようになりました。
私と小侍従を間の取り次ぎとして、ときたまの文のやりとりもございました。
柏木さまがいまわの際に、ご遺言なさることがございましたが、(それは薫の出生の秘密なので)私ごとき分際では身に余る重さでどうしてよいか分かりません。気にしながら晴れない思いで過ごしてまいりまして、どのようにしてあなた様にお伝え申し上げればよいかと思い、読経しつつお願いしておりましたが、やはり、仏さまはこの世においでになるのだと、分かりました。こうしてお会いすることができたのですから。
お目にかけるべきものもございます。もう仕方がないと思っても焼き捨てることもできず、こんないつ死ぬかも分からぬ身で、これを置いて死にましたら、どこかで人目にふれてもいけないと、たいそう心配に思っていましたが、あなたさまがこちらのお屋敷にお姿をお見せになるのをお見かけ申すようになりましたので、少しは希望が湧きまして、お目にかかれる折りもあろうかと、念願しておりました張り合いもでてきたのでございます。本当にこれはこの世のことだけではなく、前世からの因縁によるものでございましょう。」
と、弁の君は泣き泣き薫のお生まれになった時のことを、思い出しつつ申し上げるのでした。
弁は
「柏木さまが亡くなられたことで、乳母であった私の母は心痛の余り病になってそのまま亡くなってしまいました。私は気落ちして、主人の喪の母の喪を重ねるありさまで、亡き人のことばかり偲んでおりましたが、心を寄せてくれた身分の低い男と、その任地の薩摩の国へ下りました。
夫が亡くなったのち、まるで別世界に来るような気持ちで、また京へ上ってまいりました。柏木さまのお姉様の冷泉院の女御さまをお尋ねするべきではございましたが、きまりが悪くて顔を出すこともできず、父方の縁で子どものころより伺っていた八の宮さまにおすがりしたのです。
小侍従はどうしているでしょう。もう亡くなってしまったでしょうか。あの頃の若い人たちも、数少なくなってしまい、多くの人たちに後れて生きながらえる命を悲しいものと思いながら、それでもまだ生き長らえております。」
などと申しあげているうちに、今夜もまた明けてしまったのでした。」
☆本日はここまででした。いよいよ次回は、薫が父、柏木の形見の文反故を、弁の君から受け取ります。
薫は「このお話は終わりそうにないし、また人に聞かれないところでゆっくり伺いたいものです。小侍従のことはかすかに私も覚えております。私が五、六歳のころに胸を病んで急に亡くなったと聞いております。こうしてあなたにお目にかかることがなかったら、罪深いままに死んでしまうところでした。」と言いました。弁は、小さく巻き合わせた黴の臭いのする反故を袋に縫い込んであるものを取り出して、薫にさしあげるのでした。
「これはあなたさまがご処分なさってください。柏木さまがもう生きてはいけないようだとおっしゃられて、この文を取り集めて私にお預けになりました。小侍従にお会いした時に、まちがいなく女三の宮さまにお届けしていただこうと思っておりましたが、そのままになってしまいました。」
薫はさりげなく、受け取った反故をお隠しになりました。このような老いた人は、問わず語りにふしぎな話の例として人に聞かせたりするものだと考えると、薫は不安にお思いになりました。他には言わないと誓ったのでよもやとは思うものの、果たしてどうかと思い乱れられるのでした。
薫は内裏への参内をしなければならないので、改めての参上を八の宮に約束して山を下りました。都に帰ってこの袋をよく見ますと、唐の綾の布を縫ったもので、表に「上」と書いてあります。細い組紐で口のところを結んであり、柏木の名前の封がされています。薫は開けるのもおそろしく思いましたが、中にはさまざまな色の紙で女三の宮からのお返事が五、六枚入っておりました。さらに、柏木の筆跡で病は重く、もうこれが最後の最後になってしまったので、再びはお便りも差し上げられないが、お目にかかりたいという思いは強くなるばかりです。ご出家のことを聞き、さまざまに悲しく思います。というようなことを、陸奥紙に五、六枚にとぎれとぎれにあやしく鳥の足跡のような乱れた字で書かれてあり、端の方に
耳にする二葉のことも、心配することはないとは思うものの
「命があればそれとも見まし人知れぬ岩根にとめし松の生ひ末」
と、筆も乱れ、紙魚のすみかになって、古めきかび臭いながらも筆の跡は、たった今書かれたような言葉のこまごまとしているのを見れば、ほんとうにこれが人目に触れたらと、柏木にも女三の宮にもお気の毒な思いがしてならないのでした。
こんなことがこの世にあるのだろうかと、もの思わしく、薫は参内する気にもなれず、母の女三の宮を訪ねてみました。宮は無心に若やかなご様子で経を読んでおいでになり、薫が行くと恥じらいながら経本をそっとお隠しになるのでした。
そのような(子どもじみた)母宮のご様子に、秘密を知ってしまったことをなんでお知らせできようかと、すべてを心にしまって、薫はさまざまに思い悩んでおいでになるのでした。
椎本
二月の二十日頃、匂兵部卿宮は初瀬に参詣なさいました。ちょうど初瀬詣での中宿りに宇治のあたりに泊まることを思い立たれた様子で、多くの人びとがお供をしたのです。
宇治の川向こうには、夕霧が源氏の君からお譲りいただいた別邸があり、そこに泊まりの用意をおさせになりました。
夕霧の大臣も匂宮のお帰りをお迎えするおつもりでしたが、急の物忌みのために薫の中将がお迎えに来られましたので、匂宮はかえって喜んでいらっしゃいました。あの宇治の姫君のご様子も薫に聞かせてもらえるからでした。匂宮は帝からも皇后さまからも特に目をかけておられ、いずれ東宮に立たれようというお方ですから、世間はもちろん、源氏の一門の方々もみな匂宮を主としてお仕えしているのでした。
いかにも山荘らしくしつらえた部屋に、碁や双六などを取り出して思い思いに楽しんでおいででしたが、宮は馴れない旅に疲れてしばらくゆっくりとしたいとお思いになり、夕方には琴などを取り出させて音楽を楽しまれました。
川の風に乗って聞こえてくる楽の音を、八の宮も耳にされ、さすがに宮中に暮らしておいでの昔が思い出されて「笛を面白く吹いておいでなのはどなただろう。源氏の君はたいそう趣のある華やかな吹き方をなさったが、この音は澄み切って格のある感じがするところは、致仕の大臣のご一族の吹き方に似ているようだ」などと独り言をおっしゃっているのでした。
そうして、心の中でこのような山住まいのまま、姫君たちに華やかな思いもさせずに一生を過ごさせてしまうのはいかにも残念だと、お思いになりました。あの薫の君は婿にしてみたい方ではあるけれど、ああいう性格ではとてもその気はないだろう。まして今風の男ではとても婿には迎えられない、などと思い悩みながら、八の宮は短い春の夜もたいそう長く思われ、眠れぬままに物思いにふけっておいででした。
一方、川の向こうでは匂宮がこのまま京へ帰るのはつまらないことに思っておいでなのでした。
はるばると霞わたった空のに、散る桜、咲き初める桜などとりどりに見渡され、川沿いの柳の風になびく姿が川面に映り、たいそう風情のある朝、薫は何とかして八の宮のところをお尋ねしたいのですが、人目も多いのでためらっていたところに、八の宮からおさそいの歌が届きました。
例の、あの姫君のおられる山荘からだ、と気の付いた匂宮は、薫に代わってお返事をしたためました。そして薫ともども多くの貴公子たちとともに、八の宮をお尋ねしたのでした。
2009年11月12日
本日は、宇治十帖の椎本(しいがもと)
大君、中君の2人の姫君の父、八の宮(光源氏の弟)が亡くなり、心細さが増す姫君たちです。
八の宮が亡くなってしまい、薫はそこに居残るのもおだやかでない気がして姫たちの山荘を去ることにしました。この前お目にかかったのも、今も、変わらぬ同じ秋ではないか、それなのに八の宮は冥土のどこに行ってしまわれたのだろうか。
おいでになった部屋は、並の人のような飾りもなく、ごく質素になさっておいでだったが、いかにもこざっぱりとして、お部屋の内外は風情あるようにしてお暮らしでいらした。
仏事をする僧達がまだ残っていて、念仏読経のための道具なども八の宮の生前と同じままなのだが、仏像はみな阿闍梨の寺にお移しすることになっていると申しているのなどを薫がお聞きになるにつけ、こうした僧達がいなくなってしまう時、ここに残る姫君たちの悲しみや寂しさをお察しになるにつけ、とてもつらくお思いになるのでした。
供のものが「もう暗くなります。早くお帰りになりませんと」と言うので、薫は物思いを打ち切って山荘を後にします。
都に帰り、匂宮に対面のとき、薫はまず宇治の姫君達のことをお話になるのでした。
八の宮がおいでにならなくなったので、けむたい存在がいなくなったとお思いになり、宮は心をこめてお手紙を姫君達に差し上げなさるのだった。
姫君達は、世間に色好みのお方という評判が知れ渡っており、こんな田舎の葎の下からのお返事は、いかにも世慣れず気の利かないものと思われるだろうと、姫君たちはふさいでおられるのでした。
姫君たちは、父君に先立たれて自分たちが生き永らえることなど考えてもみなかったので、父君存命中は、これといって望みの持てるような暮らしでもなかったけれど、ただのんびりと日を過ごし、何かにおびえたり気兼ねすることもなく過ごしてきたのに、今は風の音、見知らぬ人の訪問などにも、胸がつぶれるような恐ろしい思いをしなくてはいけないのは、とてもたまらない気持ちで、涙の乾く間もないうちに年が暮れました。
雪やあられの降りしきるこの季節は、決まって吹く風の音なのに、初めての山里住まいのような気がして、女房達は「ああ、新しい年がやってきます。心細く悲しいことばかりなのに、新しい望みの持てる春に早くなってほしいものです」と、気を落とさずに言うものもおりますが、そんな望みが持てるはずもないと、姫君たちは思うのでした。
山の阿闍梨さまも、姫達がどうして暮らしているかと、ごくたまにお手紙が来るくらいで、いよいよ訪れる人も少なくなるのも、当たり前ではあるが悲しいことです。
今までは気にも止めなかった山の住人たちが、薪や木の実などを届けてくれるのも有り難いのでした。
阿闍梨さまの庵から、「今まで長年習いになっていたことを止めるわけにはいかない」と、炭などを持って来てくれたので、姫たちも例年のように山風を防ぐ綿衣などを使いの法師たちに渡します。
彼らが雪の中を見え隠れしながら山道を登って行くのを、姫君たちは泣きながら見送るのでした。」
本日はここまででした。
2012年1月19日
昨日は、源氏物語の講義の日でした。「総角」。
回数でいくと、今年の秋で400回を迎えます。以前は、回数記念のイベントで、小旅行をしていたのですが、もう18年も経ってしまったので、記念に何をするか考え中です。
年月が経ってしまい、先生もお年で大変ですけど、お友達からはうらやましがられて、年賀状に「今はどこを読んでいますか」と聞いてくる人が多いそうです。
先生にそう言っていただくと、生徒のこちらも、少しホッとします。
今回は、宇治の大君が亡くなってしまい、姉妹の父君を慕っていたし、大君とは心で結ばれていた?薫は家族と思って、喪に服す中君を見守っています。
そこに、母(明石の中宮=源氏と明石の姫君との姫)に叱られるのを覚悟で、匂宮が宇治に偲んできます。
匂宮は皇太子なので、薫のように身軽に出歩きはできないのです。
中君は、ずっと放っておかれたし、姉の大君は、中君が匂宮に捨てられたと気に病んで亡くなったようなものなので、匂宮に会おうともしません。
薫は、「2ヶ月も来なかった匂宮を薄情と思う気持ちも分かるけれど、可愛げの失せないようにお責めなさるのが良いでしょう。匂宮は、どんな姫君たちからも、こんな冷たい仕打ちを受けた事はないんですよ」
と、脇からおばさん的アドバイス。「偲びてさかしがりたまへば)
そこで中君もかすかな声で歌を詠みます。
*来しかたを思ひいづるもはかなきを
行く末かけてなに頼るらむ
(今までだって頼りないお仕打ちでしたのに、今また将来のことを何を頼みにできるでしょう)
匂宮は歌を返します。
*行く末をみじかきものと思ひなば
目のまへにだぞそむかざるなむ
(行く末を短くはかないものとお思いなら、せめて今現在なりとも、私の言うことを聞いてください)
匂宮は、中君の辛さも自分の辛さも身に沁みたのでした!
今回は、ここまででした!
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