浅草紙と浅草のりと「ひやかし」


ですが必要性から考えると文字を書くほうが先でしょう。史実として
は天正四年(1567)時の朝廷より出された辞令書があります。
紙も海苔も同じような大きさで同じような作りかたに見えます。ネッ
トで再生紙を引くと 昔の再生紙は屑紙をより分け、水に浸けて,
かき回し、ドロドロな紙料として漉きあげたものですから、墨は除か
れず残っており、ネズミ(鼠)色をしていました。 数少ない江戸の生
産物、名産品に再生紙、浅草紙があります。江戸市中から集めた屑紙
を漉返す紙漉町が浅草の観音に近い所にあり、そこで作られた再生紙
が浅草紙で、江戸の名産物の一つでした。 紙漉職人が屑紙を煮てドロ
ドロな紙料にするとき、紙料が冷えるまで近くにあった江戸の歓楽街
「吉原」に出かけ、格子の窓の女性をからかって来たことから冷やかす
という言葉が生まれました。

 後年 浅草海苔は江戸時代になると、食物の流通も盛んになり、
海藻を食べる習慣は庶民の間にどんどん広がりました。 徳川家康は
江戸城(1590)を築くと同時に浅草を食料確保のための集散地と
したので、浅草は当時大いに発展しました。以前から隅田川の河口で
取れていたのりが「浅草のり」として広まりました。



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