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ンゴロンゴロもセロネラも、朝ごはんでシャンパンが飲めたのが素敵でした1人1杯かな? と思いつつ、他の3人は飲んでないから、いっか、と思い、お代わりしてしまった大風邪ひきの私アルコール消毒も必要です玄関脇には、あじさいが咲いていました。アフリカにもあじさい、咲くのですね~。薔薇もきれいに咲いていました。ンゴロンゴロを後に、アルーシャ市内へと戻ります道中、お土産物やさんが並んだ、かなり魅力的な場所があったのですが、ドライバーによれば、すりや泥棒がかなり多いそうで、止まってくれませんでした代わりに止まってくれたお土産物やさん 所狭しと、トイレの前まで、絵が飾られています。行きも、別のお土産物やさんに寄ってくれたのですが、全体的にかなり高かったです。ザンジバルの空港や奴隷市場で$5で買えたバティック(染め物)のタペストリーが$25から始まりました。アルーシャ市内のお土産物やさん街も高かったし、お土産はザンジバルで買った方が安いのではないでしょうか?マサイに虜な私たちは、Yさん以外はそれぞれ数枚、マサイの布を買ってしまいましたが帰りも、道行くマサイに目が離せないっ! マサイ衣装のこんな姿、私的にはかなりツボです ランチは、空港にほど近いコーヒーハウスにて。 コーヒーの香りだけでなく、かなり文明の香りこの後、帰国するYさんは、ここで働きたいとおっしゃっていました釜焼きのピザが食べられましたが、生地が冷凍?と思ってしまったイマイチさマラウイの都市で食べられるピザの方が美味しかったです。ダル・エス・サラームに向かう機内から見られた、アフリカ最高峰 そう、キリマンジャロですYさんの持っていた鞄は、手工芸隊員の方が作られたものだそうで、かなり素敵でした 日本でも売れそう。 この日の夕食は、キリマンジャロホテルの中のオリエンタルレストランで、最後の日本食。ま、評判通り、美味しかったです・・・が。金曜だったためか、予約で満席だそうで、バーで、2時間半あまり待たされた挙句、閉店まで1時間以内で食べるよう言われ、感激も半分以下になってしまいましたその後も、今となれば、笑ってしまう大きなトラブルがあったのですが、ここには書けません帰国した際、生ビールと泡盛でも用意してくださったら、ぺらぺら話しますよ~ 「タンザニア旅行のすすめ」と銘打ちながら、トラブル続きの珍道中紹介でしたね私たちの経験が、皆様の旅の参考となれば幸いです。旅行記に3ヶ月、費やしてしまいましたね今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 30, 2008
遠くの方に、象の群れ! 象、好きなんですよ~ディズニーのキャラクターのなかでも、ダンボが一番好きかも。 立派な5本目の脚、うまく表示されているかな?ドライバーは、顔の形でオスメスの区別がつくそうですが、私にはわかりませんでした。 この鳥、象やガゼルなどとよく一緒にいました。かばさんは、日中はやっぱりお昼寝中園内をくるくるまわっているうち、さっきのサイにより近づいて見られました。ん~、これは?? 奥の黒いのがバッファロー、手前がガゼルですね。 トイレ休憩の際、周りの木には猿がうようよ。 ドライバーがトイレに行っている間に、彼ら、車の中に侵入。お弁当の残りのバナナの皮等、物色してました。一人、車内に残っていたCは大悲鳴。ドライバーが慌てて戻り、自分の腰のベルトを外し、ムチ代わりに彼らを追い払ってくれました。山の上に見えるのが、本日泊まるNgorongoro Wildlife LodgeTel: +255-(0)27-2537058 ホテル目指して、火口縁を上がっていきます。車1台がぎりぎり通れる細い道。ガードレールなぞもちろんなく、崖側に座っていた人たちはかなり怖かったそうです車中から見られた、ンゴロンゴロ ホテルの客室からも、ンゴロンゴロの絶景が楽しめました 前日泊まった、セロネラ・ロッジと同じ系列なのですが、お食事も、デザートも、従業員の対応も、ンゴロンゴロの方が快適でしたお湯もちゃんと出たし、窓ガラスも入っていて、そんなに寒くなかった。ピークシーズンには、ディナータイムに民族ダンス等見られるそうですが、私たちが行った時は、ダンスどころか、レストランの工事中今日もマラウイアンに腹立ってしまった。まだまだ、人間ができてないです・・・今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 30, 2008
マサイ村を発った後、最初に現れたのは、私のお気に入り道中、マサイ村訪問の興奮が冷めやらない私たち。ガイドが、「さぁ、マサイのことはもう忘れて、ここからはサファリだよ」と言うのですが・・・ンゴロンゴロ自然保護区は、24時間ごとに入場料が加算されるようです。入場時間の確認のため、ガイドがゲートの受付に行っている間、ビーズ細工のキーホルダーやネックレス、ブレスレットなどを手にしたマサイが3~4人、車の周りに集まってきました。(襲われることを恐れ、写真は撮っていません)車内に手を伸ばし、私たちに強引に手渡し、値段交渉。同行のAさんがいくつか買っていましたが、1つ$5くらいだったかな?彼らがまだ、車内に手をつっこんでいるのに、発車させるガイド。後から見ると、ネックレスが1つ、車内に落ちていました。ごめんね。そしてまた、マサイ話に花が咲く私たち。完全に、マサイの虜です火口縁から坂道を下り、ンゴロンゴロ自然保護区へと入ります。しばらく進むと、クレーターの中にあるマカトゥー湖が見えてきました。 マカトゥー湖では、♪ちょいと一本足~のフラミンゴがたくさん見られます。ピンクレディー/サウスポー遠くの方に、数が減っているという、サイが見られました。カメラを新調する際、この旅行のためにズームの利くカメラにしたのですが、正解でした♪池のほとりで、ランチタイムここでも外に出ることは許されず、車内でいただきました。ここで、「MALAWI」と書かれたTシャツを着た白人さんがいたので、思わず話しかけてしまいました。アフリカを旅行中のオーストラリア人だそうで、「マラウイはいいところだったから、 タンザニア旅行を終えたら、また行くんだ」と、おっしゃっていました。その言葉を聞き、なんだかうれしくなってしまった私すっかりマラウイアン化しつつありますね我が物顔で道に座り込むヌー イエメンやインドの牛のように、ドライバーからムチでしばかれることもなく、そろーり脇を通らせていただきます。「仕方ないな~」といった様子で、のっそり移動してくれました。 ぴこぴこぴこっと小刻みに動く、ガゼルの尻尾がかわいい しまうまが列をなして、順に沢へと降りていました。列が作って順番を待てるなんて、一部のMアンより賢いっ!このライオンは、結構間近に見られましたね~。今日のドマシは風が強く、セーターを着ていても寒いですアフリカなのに今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 30, 2008
ボマと呼ばれるマサイの集落に、お父さんは1人。このボマは20人の奥さんと、その子どもたちから成ります。確かに皆、顔が似ている。 歌とダンスの後、家の中を見学させてもらえました。歌とダンスの動画をアップしたいのですが、うまくいきません。もしや携帯からしかできない?私の使っている携帯はカメラなし、モノクロです おうちはとても小さく、かがまないと入れません。マサイのことを説明してくれたこの彼は、英語も流暢。アルーシャのセカンダリースクールに通っており、家族の中には、大学に通っている人もいるそうです。ダル・エス・サラームやザンジバル、アルーシャなどの街中で、マサイの衣装の警備員や、空港でポーターをしていた人、お土産を売っていた人たちなど、普通によく見かけました。学生として町へ出て、アルバイトしている人もいるのかもしれませんね。説明の最中、↓この子が寄って来てくれたので、一緒にじゃれてしまって、説明をほとんど聞いていなかった私この子も風邪ひきさんなのか、鼻水ジュルジュルでした。私も相変わらず、大風邪の真っ最中。彼女と顔を寄せ合い、じゃれている時、ふとかつて『世界ウルルン滞在記』で見たブラジルの少数民族のことが思い起こされました。彼らを守るため、私たちの持つウィルス等をその村に持ち込まないよう、入村時間が限られ、レポーターもホームステイできなかった村。風邪ひきの私が彼女とじゃれて、大丈夫なのかな? と不安になりました。彼女も鼻水ジュルジュルだったし、家族も町に出かけているので、ある程度の抵抗力も備えていると思うのですが・・・ベッドには立派な敷布 白とうもろこしを練って作るウガリを、マサイも食べるのです。 マラウイではシマと呼びます。キーホルダーやネックレス、ブレスレットなどのビーズ細工を売っていました。 お母さんたちの手作りです。↑これはライオンの爪からできているそうで、かなりひかれました。大体$10くらいから始まり、$5くらいになるようです。この村を離れてから知ったのですが、入村料は近隣ボマの人たちと持ち寄って維持費となり、お土産の売り上げが、彼らの直接収入になるのだとか。とうもろこしなどの必需品や、腕時計をしている人も何人かいましたが、牛を育て、マーケットで売ったお金で買っているそうです。このンゴロンゴロはケニアの国境に近いのですが、何日かかけてケニアまで歩いてでかけることもあるそうです。国境も、パスポートも、仕事も持たないことが、彼らの誇りでもあるようです。牛を育てる=お仕事のような気もするのですが、彼らにとって職業ではないのですね。牛乳を加工するためのひょうたん このボマには幼稚園も併設。 幼稚園に通う子が35人いると言っていました。全員、1人のお父さんから生まれました。↓髪剃り中 以前、訪れた農耕マサイより、こちらの遊牧マサイの方が、私たちのイメージするマサイに近く、お勧めです。ガイドの方から、「行く?」と聞いてくれると思います。町でマサイに「Suvai」と声をかけられたら「Eva」もしくは「Ipa」と、「Takwenya」の場合は「Iko」と答えてくださいね。マサイの挨拶です。今日はマラウイ南東部の高校が集まって、英語劇大会が行われています。入場料MK100は、マラウイ vs ジブチ戦と同じ値段。高校の演劇部の発表会とFIFAの試合が同じ値段て・・・見に行った生徒によれば、「他の学校の劇はいいけど、うちの学校はいまいち」とのこと。会場校なのに・・・今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 21, 2008
ホテルのお部屋から見られた朝陽 我が家から見られる朝陽も、素敵なんですよ目覚ましをセットする必要のない日も、ベッドルームに差し込む朝陽で、自然に目が覚める贅沢日本では、日の当たらないワンルームで暮らしていましたから朝陽や夕陽、壮大な青い空、どこまでも続く平原、木陰、家族そろって夕食が食べられることなど、日本では得がたい「豊かさ」を感じること、ままあります。この日は、セレンゲッティ国立公園を通り抜け、ンゴロンゴロ自然保護区へ移動。道中、オスのライオンも見られました。ラッキー☆ しまうまの群れにも何度か会いました。 そしてヌーたち。 あなたたちに会うために、4月にやって来たのよ~。そう思うと、このぬぼーっとした風貌が、やたらかわいらしく感じてしまいますもしホテルにヌーのぬいぐるみが売っていたら、買ってしまったかも。なんて言いつつ、ホテルの売店は高いだろうと思い、入ってないので、未チェックですがハイエナです。 ライオンは狩った獲物の内臓を主に食べ、ライオンの食べ残したパーツをハイエナが食べると、知人のマラウイアンは言っていました。このハイエナは、穴に入り込み、これまたぬぼーっとしていました。保護色なのか、土色でしたね。 ンゴロンゴロ自然保護区の中にある、マサイの集落を車1台あたり$50程度で見学できるそうで、立ち寄りました。最初、訪れた集落は$70と提示され、ガイドが他の集落に行ってくれましたが、ここも$70。ちょうど先客が帰るところだったこともあり、ガイドが交渉してくれた結果、$60になりました。ここでも、歌とダンスで迎えてもらいました。 ここでは、女性陣も整列して、コーラスに加わっていました。 女性陣の大きな首飾りが素敵☆ ビーズで出来ています。そして、やっぱりジャンプ! 結構高く、跳び上がっていましたね。男性陣の靴はお手製。 女性は裸足。 写真用のフォルダが満杯になってしまいました昨夜、泣く泣くかなり削除したのですが、残しておきたい写真の方が多く、タンザニア紀行文が終わったら、お引越ししようかなと、考えています。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 20, 2008
バルーンサファリが終わった後、ガーナ、チュニジアでの隊員生活を終えたお2人と合流。セレンゲッティ国立公園のサファリへと出かけました。地球の歩き方('06~07年版)によれば、林を含めて14,763平方km。東京、神奈川、埼玉、千葉を合わせた1万3404平方kmよりも広く、セレンゲッティとは、マサイ語の「果てしない平原」という意味なのだとか。これは・・・なんだ? トピかな? お昼間のかばさんは、水の中でお昼寝 ライオン♪ ライオンは主にめすが狩りをするので、メスライオンの方がよく見られるのだそうです。 ガイドさんはだちょうを見かけると、「ダチョー!」と日本語で叫び、車を止めてくれます。水牛やきりん、ぞうなど、他の動物では止まってくれないこともあったのですが、なぜか、だちょうは彼のお気に入りでしたね。後日、だちょうのお肉を食べる機会があったのですが、上手に料理をしてあったのか(あるいは風邪でわからなかったのか?)臭みもなく、やわらかく、結構イケましたこ・・・これは?? ・・・鳥です。すいません、名前がわかりませんランチはホテルに戻りました。他のお客さんはランチボックスを持っておでかけだったのか、あるいは時間がずれていたのか、レストランは私たちの貸切でした。レストランからの見晴らし♪ ホテルの敷地には、↑このハイラックスがうじゃうじゃいました。↓イボイノシシですね。 ガゼルの群れ・・・多分 トピだと思うのですが・・・? ↑このトピとガゼルだったかな? を狙って、草の向こうに2匹のライオンが隠れていました。トピはライオンに気づき、ばりばり警戒中そ知らぬ顔でうろうろしているイボイノシシ。奥にライオンの頭が小さく写っているの、うまく表示されているな?しばらく経った後、ライオンはイボイノシシに狙いを定め、駆け出したのですが、すたこらさっさと逃げられてしまいました狩りに失敗した、腹ペコのライオン。かわいそうなくらい、お腹がぺっしゃんこですグラウンドホーンビルかな? ↓多分、ディクディク。 臆病な動物だそうで、すぐに逃げられてしまいました。ガゼル きりんの群れ♪ この日もセロネラ・ワイルドライフにお泊り。岩丘の岩をそのまま巧みに利用して建てられているそうですが、相変わらずお湯がほとんど出ず、寒かった先週土曜のワールドカップ予選1~2月に行われたアフリカンカップの覇者エジプトを、なんと! マラウイが1対0で破りましたちなみにジブチは、コンゴ(DRC)にも6点進呈マラウイ、コンゴ、エジプトがそれぞれ2勝1敗の三つ巴ですが、得点差で現在、マラウイがリーグ1位今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 4, 2008
気球から降りたところ、きりんの群れが見られました。 のんびりもう1機の到着を待ちます。送迎のジープに描かれていたロゴもう1機の乗客と合流したあとは、シャンパンで乾杯♪ シャンパンなんて、日本出国の際のさくらラウンジ以来でしょうか?シャンパンは、私の一番大好きなアルコールなんですシャンパングラスを持ち運びできる、こんな素敵なセットがあるのですねぇ写真右に脚だけ写っているのは、日本から新婚旅行でいらした女性。モデルさんのようにすらりとした体躯だけでなく、こうしてグラスの片づけを手伝ったり、パンク修理の後、ウェットタオルを差し出したり、とても気の利く方でした。彼女を見ていて、そういう気遣いのできる女性らしさを、この1年半あまりですっかりなくしてしまったなーと、反省させられました。隊員間かつマラウイでは、女性だからと重い荷物を運ぶのを手伝ってもらったり、座席を譲ってもらったりする機会はほとんどなく、ユニセックスですから奥様は編集者、旦那さんはカメラのデザイナーさんだそうです。気球でご一緒した後、翌日のサファリのランチタイム、アルーシャの空港でと、何度かお会いしました。気持ちのいいカップルでした。アカシアの木に止まっているのは、ハタオリドリかな?ジープで、木陰にセッティングされた朝食会場へ移動します。召使風の衣装の人たちが、サービスしてくれます。この仕切りの向こうには、洋式トイレ(水洗)がありました。一緒に気球に乗った方たちとともに、朝食。 ここでもシャンパンがいただけましたこの日は、私たちと上述の日本人カップル、アメリカ人カップル、オーストラリア、イギリスからの男性のほかは、すべてスペインからの団体様。スペインのご婦人方は、まるで大阪のおばちゃん。2年前なら太刀打ちできたのでしょうが、のんびりマラウイ生活で脳がとろけ始めている今の私は、彼女たちのパワーに圧倒されっぱなしでした。朝食後、気球の操縦士さんから、証明書をいただきました。帰り際、またもや私たちの車がパンク・・・朝食会場のすぐ間際には猿もいましたが、襲ってきませんでした。ワールドカップ予選先週の土曜までマラウイは、8対1というサッカーとは思えない得点数でアフリカンカップの覇者エジプトを上回り、リーグ1位でした。スポンサー数社から、選手それぞれにMK 10,000が支払われたり、国会答弁でもジブチ戦がネタになったりしていました。次はいよいよエジプト戦。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 3, 2008
タンザニアでサファリをする際、日程によってはンゴロンゴロ自然保護区までのこともあるようですが、私たちがセレンゲッティ国立公園まで行ったのは、気球に乗るバルーンサファリがその目的の1つでもありました。前夜、5時にモーニングコール、5時半出発と聞いていました。が、翌朝、5時に部屋まで起こしに来てくれた人が、今すぐ出発だと。他の人たちを待たせているぞ、くらいの勢いでまくしたてるので、慌てて飛び起き・・・たかったのですが、この頃、風邪が最悪前夜、あまり眠れず、体を引きずるように、やっとの思いで起き上がり、駆けつけました。が、まだ誰もいない・・・結局、寒い中、30分あまりロビーで待つことに。ようやく到着したお迎えの車↓道中、パンクしてしまったそうで前日のサファリ中にもパンクした車がいましたし、サファリでは日常茶飯事なのかもしれません。くいっくいっと4WDの車がすいすい持ち上がるのは、まさしくてこの原理だなぁと感心して、シャッターを押したところ、修理を手伝っていた白人さんに叱られてしまいました。失礼!結局、このパンク修理を30分あまり見守ることに・・・目的地に向かう道中、お散歩中のかばと遭遇。(写真がない)夜行性の彼らは、日中は水中でお昼寝夜は陸に上がり、とても危険なのだとか。目だけがぎらりと光っていました。気球乗り場では素敵な朝焼け。 気球の乗り方の説明と、注意事項がありました。この日は風が強すぎて危険とのことで、更に30分あまり、車の中で寒さにがたがた震えながら、待機することになりました。刻々と変わりゆく朝焼け すっかり明るくなってから、ようやくGoサインが出て、気球の空気入れが始まりました。 テリムクドリ ようやく出発!気球は8つの小部屋に仕切られており、それぞれ2人ずつ乗り込みます。↓写真は、同時に飛んだもう1機の気球。 気球から見られたのは、このヌー? 水牛?の他、ガゼルくらい。これまでマラウイでホースサファリ、ザンビアでエレファントサファリ、タンザニアでバルーンサファリを体験しましたが、いずれも動物を見るための手段ではないですね。乗ることに意味があるのかな?ちなみにこのバルーンサファリ、所要時間1時間とガイドブックやホテルのインフォメーションにはありましたが、私たちが乗っていたのは20分あまり。風向きによるそうで、最短で15分、長くて45分くらいだと操縦士はおっしゃっていました。昨日(6/8)のワールドカップ予選、マラウイは、0対1でコンゴに負けてしまいました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 2, 2008
ンゴロンゴロ自然保護区に入った直後の山道で、トラックがぬかるみにはまって動けなくなっていました。 マサイも救出を手伝います。このように未舗装路で大型車が通行止めしてしまうこともあるから、やはり雨期のタンザニアはお勧めじゃないのかもしれません。(『地球の歩き方』によれば、3~5月が大雨期、11~12月が小雨期)ここでランチか? と長丁場を覚悟しましたが、(初日はランチボックスを、ガイドが持ってきてくれました)チェーンなどを使って、そのトラックを救出するまで、30分~小1時間待ったのかな? 意外に早く抜けられました。『地球の歩き方 ‘06~07版』(78頁)によれば、「ンゴロンゴロ自然保護区は南北16km、東西19kmのクレーターの底にあり、火口縁は標高2,300~2,400m、クレーター底の標高1,800m、深さ600mという世界有数のもの。ほとんどの動物はクレーター内で一生を過ごす。人間という動物が棲んでいない数少ない野生の領域でもある」とのこと。火口縁に沿って進み、しばらく走ったところで、クレーター内部を一望できる展望台へ。でも「先ほどの渋滞が押し寄せてくるから」と、車から降りることも許されず、車内からぱちりンゴロンゴロ自然保護区の中にあった、マサイの集落で、マサイの衣装で、サッカーをしている人たち発見!自然保護区のマサイは撮っちゃだめと言われていたけれど、かなり遠方だったから大丈夫かなと思い、ズームで隠し撮り 小さくてわかんないかサファリで最初に見た動物は・・・なんだっけ?? おそらく、ウォーターバックだと思うのですが?そして、しまうま ずんぐりむっくりしていました。ンゴロンゴロ自然保護区とセレンゲッティ国立公園の境目でランチ。但し、ランチは車内で食べなければなりませんでした。動物への影響を配慮してでしょうか?1人$10のランチボックス。串カツのようなものとサモサ、チップス、カステラのようなケーキ、バナナ、ジュースなど、かなりゴージャス&オイリーでした。その後、セレンゲッティ国立公園へ。私たちが動物園等で見慣れたキリンよりも全体的に茶色い彼らは、マサイキリンだそうです。残念ながら、ここでカメラの充電が切れてしまいましたがしまうま、キリン、ヌー、ガゼルなどが群れでわんさかいました。キリンは、なわばり争いがないのだそうです。数日間ともに過ごし、また別々に去っていく。別のところで、また別のきりんと出会えば、ともに過ごし、別れていく。そんなきりんのピースフルな習性から、タンザニアの何かのロゴはキリンを模していると言っていました。なんだっけ? すいません。サファリ中のガイドの説明、メモしてないです・・・「なわばり争い」がないのは、うらやましく感じました。この日と翌日のお宿はセロネラ・ワイルドライフ・ロッジ。Tel 255-(0)28-2621516通常1泊ツイン$250(3食付)のところ、4月は、大雨期でお客さんが少ないためか$160。この値段が、4月にサファリをする決め手になったんですけどね。高級ロッジのはずが、お湯が出ず、寒かったおまけになぜか窓ガラスが1枚入っておらず、むちゃくちゃ寒い。ストーン・タウンでひいた風邪も、この頃、最悪。みんなが美味しくないと言っていたスープの味もよくわからないまま、流し込んでいました。夜中もげほげほ咳が止まらないだけでなく、うなされていたそうで、同行のCも眠れなかった様子。ほんまごめん・・・昨日(5/31)のワールドカップ予選マラウイ vs ジブチ戦、8対1でマラウイが勝ったそうです。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 1, 2008
セレンゲッティ国立公園と、ンゴロンゴロ自然保護区をまわるサファリツアーに、4/1から3泊4日で出かけました。ガーナ、チュニジア、それぞれ2年間の活動を終えた元隊員の方たちと一緒に、車をチャーターできることになりました。アルーシャからンゴロンゴロ自然保護区にたどり着くまでに、道行くマサイがいっぱい前日訪れたマサイ村の人たちより、はるかにマサイっぽい「ンゴロンゴロに入ってからは、マサイにカメラを向けてはいけない。彼らが投石してくる危険があるから」と、ドライバー兼ガイドに注意されたため、ンゴロンゴロに着くまでの道中、ここぞとばかりに撮りました。 走行中の車からの撮影のため、なかなかうまく撮れない道中、トイレ休憩に寄ったところの物売りが、「間寛平の友達」と言っていましたが、カンペーちゃんも、タンザニアに来られたんですかね?ちなみにその物売りは、Tシャツなどの自分の商品と、日本製のボールペンと交換しないか? と言っていました。残念ながら、私は交換できるような日本製のものを持っていなかったのですが、ボールペン等が紙幣代わりになるかもしれません。遠くに見えたマニヤラ湖 『地球の歩き方』によれば、大地溝帯(グレート・リフト・バレー)の底にある、ソーダ性の水の湖なのだとか。ンゴロンゴロ自然保護区の入り口 ゲートの横には簡単な展示コーナーがあり、絵葉書やステッカーなども売っていました。ここのトイレのきれいさにびっくりして、思わずぱしゃり日本の皆さんからすれば、なんてことないトイレでしょうが、マラウイのニイカナショナルパークの入り口と比べれば、う~ん、20~30年くらい進んでいる感じ。1年半あまりのマラウイ生活で、「普通」に感激できるようになりました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 8, 2008
マサイ村ツアーを申し込んだ際、ランチはお弁当が良いか、それともマサイの女性が作った食事を彼らと一緒に食べるか、選択肢がありました。迷わず、マサイの人たちが作る食事を選んだ私たち。が。いつもは、この家のお母さんが調理してくれるそうですが、この日は畑仕事に出かけていて不在。残念ながら、マサイの食事を味わうことはできませんでしたというわけで、ツアー終了後、村の入り口のレストランで、遅めの昼食となりました。牛肉です。野菜も、炭水化物もなく、肉のみ。これぞ、マサイちなみにタンザニア滞在中、このサファリとキリマンジャロというビールはどこでも入手可能でした。奥に写っている「MALTA」、ガイドが飲んでいたのですが、ギネスのノンアルコールビールだそうで、初めて見ました。↑このイーグルというビールは、ここでしか見ませんでした。奥でけだるそうに写っているのは、ドライバーです。その後、村の入り口から少し行ったところにある、クレーターに連れて行ってくれました。クレーターの中にある池に人影。クレーターの脇にようやくマサイらしい、放牧してはる男性発見!その後、ホテルまで送り届けてくれましたが、すっかり眠りこけていた私たちこのツアー、いくつか疑問が残りました。まず、公共交通機関を使った場合、1箇所のマサイ村しか行けないけれど、$ 50でプライベートカーを手配すれば、村から村への移動を歩きではなく車でまわれるので、マサイ村を何箇所もまわれると言われ、プライベートカーをお願いすることにしました。(詳しくはこちら→★)が、ここまでお付き合いいただいておわかりの通り、1日中、歩いて移動さらに伝統医師から見学料を請求されたり、ランチをマサイの人たちと一緒に食べられなかったりこの日にかかる経費と、マサイの文化と伝統維持のための寄付金込みで、一人$57をツアー会社に払ったことを知ったガイドがかなり驚いていたので、ツアー会社がマサイの人たちを食い物にしているのかと思い、チップとして10,000シリングはずんでしまいました。その後、ツアー会社の担当者に連絡を取りましたが、まだ仕事中とのこと。結局、夜10時ごろホテルに来てくれました。風邪が絶好調で、気力体力ともになかった私は休んでおり、同行のCが対応してくれたのですが、彼女曰く「誰を信用したらいいのやら?」ツアー会社は、ガイドが提示した詳細に従って金額を設定しており、儲けはほとんどないと言っているとのこと。明細によれば、私たちがチップなど渡さずとも、ガイドは相応の収入を得ているようでした。ガイドの所属団体に入ってしまうのかもしれませんが。農耕、定住化したマサイの人たちの普段の姿は、私たち日本人がイメージするマサイではなくマラウイの人たちと大差ない、どころかむしろ、マラウイより豊かだと感じ、あるいは日本の田舎を彷彿とさせました。農作業の合間に駆けつけてくれた歌とダンス、また伝統医師の姿から、日本の田舎に外国人が訪れ、いくつか村を歩き回り、「外国人が来たよ。ほらほら、 ちょんまげ&かつらかぶって、着物着て、刀刺して・・・ ○○さんは、蘭方医役」と、準備してくれている姿をイメージしてしまいました。『地球の歩き方』にはおすすめと書いてありますが、ん~? 日本の大都会に生まれ育った人なら、一見の価値あるかな?日本の田舎で育ち、マラウイに暮らしている私にとって、このために1日割くのは惜しかった。残念ながら、おすすめしないツアーでした私見、載せてもらってます→新BS ディベート「アフリカの声にどうこたえる」今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 7, 2008
その後、マサイの伝統医師のお宅を訪問しました。 黒と白の石を牛の角から作った容器に入れてふり、出てきた石の数で、病気や災難の原因や治療法がわかるのだそうです。例えば、泥棒が家にやってくる、という結果が出れば、ミリンダの空き瓶に入れられた粉末を家の周りにまく。すると、災難を逃れられるそうです。粉末の成分を聞きましたが、秘密だそうですストーン・タウンでひいた風邪を引きずっていたため、風邪の治療をお願いしたところ、西洋医学に基づく薬などを一切排除しなければならないとのこと。すでに薬を服用していた私は、治療を受けられず。さらに占いもできるというので、私の将来を観てもらおうと思いましたが、10分で30,000シリング($1≒Tsh 120、2008年3月当時)。日本で私が観てもらった占い師さんたちより高額のため、断念しました。ここにたどり着くまでの道中、子どもを病院に連れて行くガイドの知人の若夫婦に出会いました。その時は、伝統医師がいるのに、病院に連れて行く彼らの行動が理解できなかったのですが、実際に見学してみて、若夫婦の選択がなんとなくわかるような気がしました。見学終了後、一人5,000シリングを要求されました。二人の妻とその子どもたちを養っていかなければならないと。私たちはこの日にかかる経費、全部込みという契約で$57支払い済みであると領収書をガイドに見せたところ、ガイドが二人分10,000シリングをツアー会社から受け取り、後ほど届けると医師に説明してくれました。ツアー会社との契約に関しては後述するとして、「二人の妻とその子どもたちを養っていかなければならない」からとお金を請求されること、私は納得がいきません。養えないなら、なぜ二人も囲ったの? と。いつ訪れるやわからない外国人に頼らずとも、養っていける基盤をもって、結婚すべきだと思う。ちなみに我が家のハウスキーパーも、第三子出産後、おむつの洗濯に石けん代が必要だから援助して・・・云々、言っていました。その時にも、子どもができれば、生活費が余計にかかることは予測できるわけで、計画出産しようよ、と思ったのですが。・・・なあんて、これは日本人的感覚であり、アフリカでは通用しづらい理屈なのかもしれません。伝統と科学、文明の融合は難しい?今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 6, 2008
一昨日(5/14)のマラウイは、祝日でした。初代大統領の名を冠した、カムズ・バンダ デー。去年までは、6/14、フリーダム デーと呼ばれていたこの祝日。来年の大統領選を控え、初代大統領の支持者たちからの支持を得るため、急遽変えたとも言われており、「カムズ・バンダ デーって、なんだ?」と、疑問を口にするマラウイアンもいます。年度途中で突然、祝日が変わるのが、私には理解しづらい(そもそも「年度」という感覚が曖昧なのですが)。ちなみに昨年までは祝日だった12/26のボクシングデーも、急遽、今年から廃止されました。4連休がなくなったところで来月、NHKで放送される、アフリカ支援をテーマにした番組HPに私見を載せてもらってます。良かったらご覧ください→新BS ディベート「アフリカの声にどうこたえる」(6月上旬までの掲載だそうです) マサイ村訪問記を続けます。放牧から農耕へと、スタイルを変えたこの村の人たち。畑の風景は、マラウイと変わらない・・・遠くに見えた、牛とともにくつろぐ子どもたち水汲み帰りの子ども このおばあちゃんがなんだかキュートで、思わずシャッターを押してしまったところ、おばあちゃんと話していたおばちゃんも近づいてきてポーズをとるので、一緒に写りたがっているのだと思い、パチリが、その後、お金を請求されました・・・写真て、人それぞれですね。インドやマラウイの田舎など、撮ったことで喜んでくれる人たちもいれば、写真を嫌がる人たちもいるし、ミャンマーやペルー、マラウイの観光地など、写真を撮ったことでお金を請求されることもあり、断られるのも、お金を請求されるのも嫌で、だんだん写真を撮るのが億劫になっています。この時は撮ってしまったし、小銭を渡した方がいいかな?と思ったのですが、ガイドが止めていました。村人たちがこの種の現金収入を得ることへの抵抗、あるいは今後、この村を訪れる観光客への影響を配慮してでしょうか?伝統、プライド、異文化、現金収入・・・今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 5, 2008
これは、精霊の宿る木。草をお供えして、お祈りします。マサイの神社、といったところでしょうか。朝は寒かったアルーシャ。日が高くなるとともに気温も上がり、歩いているうちに体温も上がったのでしょう。すっかり温かくなりました。ガイドは着ていたジャンバーの片腕に、残りのパーツを収納。小さなサンドバック状態にしてジャンバーを持ち歩いていました。 これもマサイの智恵?道中、会った子ども。子どもはマサイも、マラウイも、やっぱりかわいい歌と踊りを見せてくれる広場へ向かいました。私たちの到着とともに、遠方から、歌い、踊りながらマサイ入場。歌とダンスが始まりました。 彼らが高く飛び上がるのは、悪い霊を地面に押し込めるためと、JICA マラウイスタッフから聞きましたが、このガイドによれば、マサイの戦士の強さの象徴なのだとか。 アカペラによる音楽はずっと同じなのですが、いろんな歌詞があるそうです。 彼らが持っていた長い杖の使い道をたずねたところ、武器であると、デモンストレーションしてくれました。彼らの足元を見ると・・・農作業の途中に、駆けつけてくれたのでしょうね。観客の子どもたち 30分ほどのデモンストレーションが終わると、きちんと並んで退場されました。明るく、社交的な人々でした。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 4, 2008
マサイのいす 座っているのはガイド 私たちもこのいすに腰かけ、ガイドがしばらくマサイについての説明をしてくれました。(風邪薬の影響か、やたら眠くて、うろ覚えですが)男性は14~5歳になると、割礼の儀式があるそうです。女性はすでに禁止されているそうですが、男性は今も行われており、このガイドも10年あまり前に受け、かなり痛かったそうです。割礼後は3ヶ月間、同じ時期に割礼を受けた子たちと一緒に、村から外れたある家ですごし、そこから出ることは許されません。その間、自分たちよりも先に割礼を受けた子たちが焼いてくれる肉をひたすら食べるのだそうです。そうして一人前のマサイの戦士になるのだとか。ちなみにマサイではベジタブルは女性の食べ物で、マサイの戦士はベジタブルを食べないそうです。トマトやなすは食べるそうですがこちらではベジタブル=青菜野菜のことなんですよね。つまり、マサイの戦士は青菜を食べないのだそうです。男性は牛の血を飲むそうなので、ミネラルはそこで補給しているのでしょうか。マサイは遊牧の民でしたが、この村は、異民族間の結婚により定住、農耕を始めた人たちだそうです。かつては一夫多妻制でしたが、妻をめとるためには牛1頭以上を渡さなければならず、経済的になかなか厳しいこと。さらにキリスト教の影響もあり、徐々に一夫一妻になっているとのこと。40~50代のこの家の主は妻を二人抱えているそうですが、20代のガイドは一人の女性を大切にしたいと言っていました。世代的に一夫一妻へと移行の時期にあるようです。牛乳を発酵させるためのひょうたん にわとりは家の外に専用家屋。鳴き声がうるさいから?水汲み帰りの子ども マサイでもマラウイ同様、子どもたちは働き者です。お母さんが持ち帰ったバナナにむしゃぶりつく子ども。最初は子どもたちもカメラを嫌がっていたのですが私たちが帰る頃には、カメラに大興奮お母さんと記念撮影をしようとしたところ、構図のなかにホーローのカップも一緒に入れたがる子ども。なぜ? ホーローのカップは高価なの?それとも思い出の品?このおばあちゃん、味がありましたね~マラウイでも、ヤオ族は今も割礼の儀式があります。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 3, 2008
これはアロエで、真ん中からにょきっと長く伸びている茎が、マサイの家の柱になるそうです。これはエレファントグラス。その名の通り、象のえさとなる草で、マサイの家の屋根になるそうです。 道端にあった露店。結構、いろんなものが売っていたので、びっくりしました。これは屋台ですが、雑貨屋さんには携帯のユニットの看板がかかっていましたし、ガイドも携帯で連絡を取っていましたちなみにこの屋台で売っていたバナナは、1年半のマラウイ生活のなかで、いちばん美味しいバナナでした(ここはタンザニアですけど)マサイの人たちが薬草として使うハーブ。 家の中を見学させてくれるお宅に到着。かがまないと入れない玄関。入り口の壁になぜか鏡が埋め込まれていたのですが、これはデコレーションなのだとか。壁や大黒柱は牛糞からできています。牛糞で壁を作るのは、インドで私が訪れた村と同じですね。最初の土台は男性が作り、壁を塗ったりするのは女性。1年ごとに建て替えるのだそうです。室内は、家の中心が居間、兼、台所。大黒柱の根元がコンロになっていました。 居間の周りにお母さんの部屋、女の子たちの部屋、玄関に近い左側が男の子たちの部屋、右側が牛の部屋、奥がやぎの部屋。もちろん夜だけですが、家畜と一緒に住んでいることにびっくり牛部屋 牛糞は、燃料にもなります。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 2, 2008
すべての旅程を事前にお願いしていた今回の旅行ですが、唯一、手配してもらえなかったのが、アルーシャでの歩いて行くマサイ村ツアー。自分たちで現地旅行社を探さなければなりませんでした。アルーシャに着いたのが日曜の夕方で、閉まっているお店が多いなか、旅行社を2軒回りましたが、ともに1人 $ 50。『地球の歩き方 ’06-‘07年版』には$ 20と書かれていたため納得いきませんでしたが、日本人観光客も多いのでしょう。先方も先刻承知で、こう言われました。「その本にはサファリ$ 80って書いてあるけど、 そんな価格でしてくれる旅行社など、今はないよ」確かに、空港からホテルまで、5,000シリングと書かれていたのが、空港前のタクシーカウンターで、現在は20,000シリングと言われ、支払った私たち。マラウイでも、原油価格の高騰により、物価が急上昇庶民の足、ミニバスの代金は1.5倍、食パンの価格は昨年に比べ、2倍になってますからね。そんなもんかな~と思ってしまいました。後日、空港から市内までのタクシーは、5,000~10,000シリングで行けることを知ったのですが当時はTsh 20,000が“フェアプライス”だと思っていました。歩いて行くマサイツアー。公共交通機関を使えば、$ 20だったか、$ 30だったか。その場合、マサイ村を1箇所しか行けないけれど、$ 50でプライベートカーを手配すれば、村から村への移動を歩きではなく車でまわれるので、マサイ村を何箇所もまわれると言われ、プライベートカーをお願いすることにしました。さらに、マサイの歌とダンスを追加すれば、$ 30。でも、この日はパンフレットに書かれているマサイのマーケットが開催されず、見られないというので、交渉、ねばった結果、歌とダンスつきで1人 $ 57にしてもらいました。ちなみにアルーシャで私たちが泊まったのは、ツイン、トイレ・シャワー共同で$ 9という安宿ですが、熱くてコックが回せないほどの熱湯がたっぷり出て、お湯シャワーを存分に浴びられました。Meru House InnMeruhouseinn@hotmail.comTel +255-(0)27-2507803 ストーンタウンでひいてしまった風邪が芳しくなかった私。持参していたパブロンを前日までに飲みきってしまっていたので、朝、薬局に寄ってもらいました。パブロンのような総合感冒薬など売ってないですからね。咳止めを求めたところ、マラウイの雑貨屋さんでも売っているものが Tsh 1,500、インド製が Tsh 2,000だったか、Tsh 2,500だったか。イギリス製の、咳止めだけでなく、鼻水にも効くというものがTsh 4,000だったため、イギリス製のものを買いました。($1≒Tsh 1,200、2008年3月当時)アルーシャの薬局 30分ほど車で走ったところで、村の入り口に到着。日曜であれば、そこでマーケットが開かれるのだとか。そこからは未舗装の悪路。途中、何度もスリップし、この先、私たちの乗っていたセダンで行けるのか、かなり不安でした。最初にオフィスで、この村の案内がありました。このオフィスはNGO団体のものらしく、ホテルまで迎えに来てくれたガイドの彼は、ここのスタッフ。外国人ボランティアたち(ニュージーランド人だったかな?)もこの村の学校で、活動中だそうです。オフィスから歩いて、村に向かいましたしばらく歩いた後、最初に教えてくれたのが、道端に植えられていたコーヒーの木からとったコーヒー豆 外皮をむき、中身を乾燥させるのだとか。アルーシャはキリマンジャロのふもとですからね。日本でも有名な、キリマンジャロコーヒーの産地です。キリマンジャロコーヒーの中でも、グレードの高い・・・名前を忘れました日本でも聞いたことのある銘柄だと言っていました。確か、さんまちゃんがCMしていたコーヒー缶にそんな名前のものがあったような気が??さらに歩くと、こんな立派な水路が。ん? この村って、もしや、マラウイより、かなり豊かなんじゃ??道中、ガイドの家を通り過ぎました。ガイドの甥っ子たち 学校もいくつか通り過ぎました。ちょうど休み時間だったらしく、たくさんの子どもたちが外にいました。 ん~。制服がきれい。破れた制服を着ている子どもたちがいない。うん、この村は、マラウイより、裕福に違いない・・・基準がマラウイになってしまっている私今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 1, 2008
あれ? 日記と旅程が1日ずれてしまいましたね。なんでだろ? ま、いいや。3/30は11:30にストーン・タウンの空港を発つ飛行機に乗るため、9時頃、パラダイス・ビーチ・バンガローを発ちました。パジェ、パラダイス・ビーチ・バンガローは本当に素敵な場所で、できることならもう1泊したかったのですが、今回の旅行は、旅程を事前にJICAに報告する必要がありました。ちょうど村の電話線が盗まれ、ネットが使えない時期だったこともあり、タンザニア国内線と宿、サファリの手配を、すべて事前にダル・エス・サラームにある、日本人が経営する旅行社にお願いしました。日本にいた時の私の旅のスタイルは、往復のエアチケットだけとり、あとの行程や宿は、現地についてから決めることがほとんど。ホテルを事前に予約する必要のある時にはネットからで、日系の旅行社を通したことなどほとんどない私にとって、今回の旅行は未だかつてない、ゴージャスな旅でした。そんなわけで、すべて旅程が決まっていたため延泊もできず、泣く泣く出発出発前、Sさんとの記念写真をお願いしたところ、警備員のマサイの人たちも気安く、一緒に写真におさまってくれました。空港まで、バンガローから手配してくださったタクシー(マサイの人の後ろに写っているバン)で$40(Tsh 50,000)が、このタクシー、途中で人を乗り降りさせ、よく止まる・・・同行のCが見かねて、「私たちは急いでいるんだ」と運転手に言ってくれましたが、貸し切りタクシーがミニバス化?スペースが余っているから、小銭を稼いでいたのでしょうか?空港に着いたものの、私たちの乗るはずのPrecision Airのカウンターが開いていない。イヤな予感・・・奥から出てきた係員に「もう出発しちゃったから、明日おいで」と言われましたが、その時点で、10:30。「私たちが乗るのは、11:30発の飛行機だよ」と言ったところ、しばらく待たされた後、事務所に連れて行かれました。パソコンに向かっていた、偉そうな係員曰く「誰かが、君たちのフライトを変えた。 (パソコンの画面を指し)この通り、明日のフライトだ。 明日来なさい」私「誰かってどういうことよ? 私たちがそのパソコンをいじれるっていうの? 私たちは今日中にアルーシャに行かなければならない。 今日の飛行機に乗せてちょうだい」係員「リコンファームをしていない、君たちが悪い。 明日来なさい」まったくらちがあかず、係員に「スワヒリ語はしゃべれないのか?」と言われたため、この航空券を手配してくれた旅行社の担当者に電話してもらいました。旅行社「この航空会社はダブルブッキング等も多いため、 早めに空港に行くよう、注意しましたよね? フライトの15分前に来たため、乗せられないと言っています」私「いやいや、私たちは1時間前にカウンターに着きました。」旅行社「今まで言われたことないですが、リコンファームが必要だと言っていますね。 この航空会社、トラブル多いんですよね」私「私たちがこの航空会社を指定したわけでもないし、 なんとか今日中にアルーシャに行けるよう、 御社からもプッシュしてもらえませんか?」旅行社「手配したといってもツアーじゃなくて、個人旅行ですから、 基本的にご自分で対応していただかないと。 今日は日曜で、タンザニアンスタッフとも連絡とれませんし、 電話で依頼するより、現場で対応してもらった方がいいと思います。 もし、ザンジバルにもう1泊することになっても、 ホテル代等は当社の免責事項です」私にしてはかなりゴージャスな代金を支払った手配旅行だったのですが、なんだか残念な対応なのでした強引にお願いした結果、係員はしぶしぶ、同日、ダル・エス・サラーム乗継、アルーシャ行きの便を手配してくれました。二転、三転する、筋の通らない説明に、かなり頭に来ていたので、係員の気分を害する言動を私がしてしまったためですが、かなり感じの悪い対応でした。C曰く、「相手はそれなりのポジションの人なのだから、相手を立てて交渉しないと」とのこと。確かにそうだけど・・・ 反省。アフリカ生活の長いK専門家は、「アフリカは、怒らず、焦らず、あきらめず」とおっしゃいますが、なかなか・・・。これまで日記に書き連ねたようなトラブルの数々を通じ、アフリカ人に、人間性を鍛えてもらっているような気もしますが、すぐ怒ってしまう私は、まだまだ修行が足りないですね。チェックイン時に、フライトスケジュールを見てわかったことなのですが、私たちが乗るはずだった便は、フライトが早まっていた様子。それを一切説明せず、「フライトの15分前にカウンターに来た」「リコンファームをしていない」などと訳のわからない言い訳をくり返すタンザニアン・・・しかし、あなどれないリコンファーム。席の確保だけでなく、フライトスケジュールの変更もあるため、事前のリコンファームが必要なのですね。国内線であっても。そんなこんなでしたが、なんとかザンジバルを出発。機内から見たザンジバル アルーシャの空港での、機内預け荷物の受け取りはこんな感じ。自分の荷物を各々取っていく。これも初体験でした。これもアフリカでは、大したトラブルじゃないのかも。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 31, 2008
ザンジバル東岸のパジェ。 どこまでも遠浅で、私が今まで訪れたなかで、いちばんきれいな海ここで、日本人女性Sさんがパラダイス・ビーチ・バンガローを経営して16年になるそうです。http://www.geocities.jp/paradisebeachbungalows/ ベッドにお花のサービス事前に予約していた私たちのために、いかの塩辛とお魚の酢漬けを作ってくださっていました。タンザニアにはキリマンジャロ、サファリなどいろんな銘柄のビールがありましたが、このンドヴが、私はいちばん口に合いました。私、お魚の酢漬けってあまり得意じゃなかったのですが、Sさんの酢漬け、最高 久しぶりの塩辛も最高これらと、パジェの素敵なビーチをアテに、ンドヴを数本飲んだ後、赤ワインのボトルを空けてしまいました マサイと白人女性のカップル 砂浜を自転車でやってくるもの売りたち沖の方まで行くと、馬ふんウニが獲れると聞き、1kmくらい頑張って歩きましたが、延々ひざくらいの深さでした。近辺ではむらさきウニしか見つけられず、残念ランチは、ザンジバルで手に入る麺を使った冷やし中華とシーフードチャーハンをオーダー。両方ともむちゃくちゃ美味しくて麺好きな私たちは、冷やし中華をもう1皿注文してしまいましたランチの間に、赤ワインをもう1本空けてしまいどんだけ食べ&飲むねん、お昼間から・・・同行のCとは訓練所で同じ班で、週末よく飲みに行っていたのですが、マラウイに来てからは任地が極北と南にわかれ、たまに首都で会った時くらいしか話す機会がなく、のんびりランチをしながら、この間のあれこれを話しました。夜は、Sさんお手製のお寿司&お刺身。これまた、美味しかったですね~途中から、Sさんも席に加わってくださって、一緒に酒盛りいろんなお話しをさせていただきましたが、「朝のバスのドライバーたちは、 嘘をついているのではなく、言い訳をしているのよ」といった視点をはじめ、特に印象的だったのは、「(協力隊の)たった2年で彼ら(アフリカ人)を変えようなんて無理だろうけれど、 自分が変わることに意味があるんじゃないかな」というお言葉。16年、ここで生活してはる重みを感じました。塩辛や酢漬けだけでなく、お魚のはらわた、茄子の炒め物、出し巻き卵などのアテも用意してくださって、どれもこれも美味しく、すっかり話し込んでしまいました。風邪の私は2時過ぎに失礼しましたが、Cとは3時頃まで話していたそうです。Cは「新婚旅行でまた来たい」と言っていましたが、わかりますね~。とっても素敵な場所私もいつかまた訪れたい場所ですSさん、たくさんお世話になりました。胃と心の洗濯今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 30, 2008
この日、ザンジバル東岸で、日本人女性Sさんがロッジを経営されている、パジェへ向かいました。前日、オールド・アラブ砦のカウンターで、パジェ行きのバスを予約。朝、ホテルまで男の人が迎えに来てくれました。マラウイのアフリカンタイムに慣れきっている私たち。30分は遅れてくるだろうとのんびり朝食を摂っていたら、予想外に早く来てくれました慌てて荷物を取りに戻り、慌しく出発したため、前日買ったばかりのタンザニア国旗のビーズ細工を部屋に忘れてきてしまいました前日、ひいてしまった風邪がかんばしくなく、道中、眠りこけていた私突然、一緒に乗っていた男に起こされ、「パジェから、パラダイス・ビーチ・バンガローまで10,000シリング。 払わないなら、今、ここで降りろ」と言われました。前日、予約した際、すでに12,000シリング払ったと領収書を見せましたが、パジェからバンガローまで、さらに10,000シリングかかるのだと言います。ザンジバル西岸のストーン・タウンから島を横断、東岸のパジェまで約1時間の道のりと、パジェ内の移動(約5~10分)が、ほぼ同じ値段なんてあり得ない。前日、カウンターで、予約をすればこの値段だけど、予約なしで当日乗ろうとすれば、値段が上がると言われ、私たちは予約したと説明しましたが、「お前らは予約していない」「じゃあ、なんで、ホテルまで迎えに来られたの?」と聞き返しても、訳のわからない説明をくり返すばかり。運転席の隣に座っていた男がカウンターに電話し、同行のCがその電話に出て、カウンターの人と話し、とにかくロッジまで行ってもらうことになりました。到着後、10,000シリング払えと、バスの後部座席に積んでいた私たちの荷物を渡そうとしません。やむを得ず自分たちで荷物を出しましたが、Cが鞄の外ポケットに入れていたお土産の絵をとりあげ、物色しながら、「返して欲しければ、10,000シリング払え。 さっきの電話でカウンターの人と話し、払うことに同意したはずだ。 払わなければ、警察につきだすぞ」と脅す始末。同意などしていないし、10,000シリングは法外だ。荷物をとりあげるなんて泥棒かと、Cと二人で彼らと格闘していたところ、バンガローの人たちが出てきてくれました。Clove Hotelからバスを予約するとTsh 16,800、Sさんのロッジから彼らに依頼するとTsh 19,200、私たちが依頼したカウンターはTsh 12,000だったため、おそらく、カウンターの人間が彼らへのリベートを払うのをこばんでいるのだろうというSさんのとりなしもあり、Tsh 5,000を支払うことになりました。まったく納得いきませんでしたが、Sさんにご迷惑をおかけするのも忍びなく・・・彼らの言い分は二転、三転し、なんとかお金を巻き上げようとする彼らは本当に気分が悪かった。オフ・シーズンで客が少ないこともあり、小銭を稼ぎたかったのでしょうね。日本円にしたらたった1,000円ほどのことで、真剣にけんかする私たち金額の問題じゃないんですよね。例えば、今はオフシーズンで客が少ないから、料金は倍と、最初に言ってくれていたら、納得して支払ったと思う。道中、儲けが少ないことに気づいたのでしょう。突然、契約を変え、筋の通らない理屈をとうとうと並べ、お金を巻き上げようとする彼らの根性に腹が立つ。アフリカらしいといえばらしいのですが、そんな彼らの生き方、主張を受け入れること、私は困難です。私たちが利用したのは旅行者向けのバス(と言っても、バン)でしたが、ザンジバルの人たちの交通機関ダラダラなら、2~3時間で行けるそうです。ダラダラ マラウイではマトラと呼ばれるこのタイプの乗り物、トラックの荷台に直接、人が乗り込みますが(写真はこちら→★)、タンザニアでは、屋根も座席もついている。さすがタンザニア空港のタクシーはパジェまでTsh 35,000と言っていましたし、人数が多ければ、タクシーがいいかもしれませんね。ピーク時ならいざ知らず、オフ・シーズンのパジェ行きバスはおすすめしません今朝のマラウイは小雨。この時期の雨は珍しいです。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 30, 2008
大聖堂を見学した後、かつて浴場として使われていた建物へ。 世界遺産の建物だと、入り口にいたおじさんに勧められ、入場料2,000シリング払いましたが、ん~、室内も狭く、これで2,000シリングは高いと思う。($1≒Tsh1,200、2008年3月現在)その後、この日のお宿、Clove Hotelへ移動。急遽、ストーン・タウンを2泊に変更したので、コーヒー・ハウスに連泊することができませんでした。オランダ人女性が経営するClove Hotelは、最上階のテラスで、ドリンクを飲みながら海を眺めることができ、かなり気持ち良かったです。ダブル$60(朝食付)http://www.zanzibarhotel.nl/Clove Hotelに置いてあったビラを頼りに、白人女性が経営、ザンジバル女性がしてくれるオイルマッサージを受けに行きました。オイルマッサージが終わった後、薬草をお湯につけたもので全身プッシュしてくれたのですが、その後、突然、マッサージ嬢がいなくなってしまいました。まだサービスが続いているのかなと思い、扇風機ががんがんまわっているなか、全裸でびしょぬれで5分以上。別室でマッサージを受けていた同行のCが着替えて部屋に入ってきて初めて、サービスが終わったことに気づかされました。そのお店を出る頃にはすっかり声変わりし、本格的に風邪をひいてしまったのでした夜ご飯は、ビーチサイドのおしゃれなカフェの砂浜に置かれたテーブルで、ろうそくのもとででも風邪のためふらふらで、味もよくわからず夜中も咳が止まりませんでした。同行のCは暑くてたまらなかったそうなんですが、風邪の私に気を使って扇風機を回さず、彼女は最上階のテラスで寝たそうです。申し訳ない、C。風邪を治したくて入ったマッサージで今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 29, 2008
目覚めのコーヒーか紅茶を、お部屋まで届けてくれるサービスのある、ザンジバル・コーヒー・ハウスやはりここは、ホテルの名前にもなっているコーヒーをオーダー。が、残念ながら、ぬるくて美味しくない・・・おしゃれなパッケージに入ったコーヒーを、1階の喫茶室やダル・エス・サラームの空港でも売っていましたが、買う気になれなかった。このサービス、しない方がいいんじゃ??朝食は、最上階のテラスにて。このテラス、イエメンのサナアで泊まったホテルの最上階にあった、カートと呼ばれる噛み煙草を楽しむ、男性の社交場とよく似ていました。 2005年8月、イエメン、サナアにて。左のおじさんが持っている草が噛み煙草、カート。噛んだ後、その葉っぱを頬がはちきれんばかりにぱんぱんになるまで詰め込みます。人によっては酔っ払ったりするそうで、近隣国では禁止されているそうです。話をザンジバルに戻し、朝食はジュース、フルーツ、菓子パン、シリアルは自由にとることができ、カフェ・ラテやエスプレッソなどのコーヒー類か、紅茶と、卵料理かパンケーキ、ワッフルから、オーダーできました。この日、ワッフルは選べませんでしたが・・・朝食では、アイスランドから来ていたご家族とご一緒になりました。奥さんは経営を大学で教えているそうで、1980年代に日本に来たことがあるそうです。小学生のお子ちゃまたちも、流暢な英語を話していたのですが、公用語はアイスランド語、学校の授業もアイスランド語、英語は学校の教科で習うだけなんだとか。なのになぜお子ちゃまたちは、私以上に流暢な英語を操る??朝食を摂っていたところ、またも大雨3月のタンザニアはやはり大雨期です朝食後、風邪気味の私を気遣い、同行のCが街まで傘を買いに行ってくれました。その傘を持って、大聖堂、Cathedral Church へ。かつての奴隷市場跡に建てられた教会です。ちなみに前日、入り組んだ路地に迷ってしまい、「Cathedral Church」への行き方を何度か尋ねたのですが、「Roman Catholic Cathedral」を教えてくれる人がほとんど。「Slave Market」の方が通じるようです。Roman Catholic Cathedral 『地球の歩き方’06~’07』(ダイヤモンド社、252、254頁)によれば、 アラブの奴隷商人は、東アフリカ全域より捕らえられたアフリカ人をザンジバルに運び、この場所に奴隷市場を造った。売り場は46m×27mの長方形で、三方はヤシの葉、一方は石に囲まれていた。市は16:00に開かれ、男の奴隷は土の上に、女の奴隷は離れた所に立たされていた。 奴隷と買い手の数はしばしば600人を超えるほどだった。アフリカ全体では奴隷船で毎年数十万人ものアフリカ人が運ばれたが、新大陸まで生きてたどり着いた人は1500万人、途中で亡くなった人はその5倍といわれる。 ↑アフリカの探検を続けたリヴィングストンが生涯を終えたジンバブエ北部Chitamboから運んできた木材で作られたという十字架奴隷を収容していた地下室も残っていました。身長158cmの私が、かがまないと歩けないほどの高さの部屋がコンクリートで2段に仕切られており、奥行きもさほど広くなく、ここに何人、収容されていたのでしょう?奥まで入ってみましたが、沖縄の平和祈念館やひめゆりの塔に似たぞくぞく感が若干あり、とても写真を撮る勇気はありませんでした。↑スウェーデン人の彫刻家が、1998年に作った奴隷の像残念ながら、説明書きがほとんどなく、詳しい説明は、本のコピーからなる、このボード1枚。他の観光客は英語、スペイン語?それぞれガイドに案内されていましたが、その方が、この地のことをよりよくわかるのでしょうね。↑Cathedral Churchの左奥の、白い尖塔はモスク。ムスリムと教会が共存した街。哀しみ、憎しみを乗り越えるつよさを、私も身につけたい。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 29, 2008
日本食レストランまで往復してくれたタクシーの運転手さんに私たちが泊まったYWCAから空港までの所要時間を聞いたところ、「15分」とのこと。しかし前日、3時間かかったことから、念には念を入れ、9時15分発の国内線に乗るため、同じタクシーの運転手さんに7時にYWCAに迎えに来てもらいました。が、早く着きすぎてしまい、チェックインカウンター前の荷物検査を受けられる部屋に入れてもらえず、1時間近くベンチで待つことに・・・ダル・エス・サラームから、飛行機でたった20分でザンジバルに到着空港での待ち時間を考えれば、船で行った方が安く、早いかもしれません。かなり揺れるそうですが。空港からホテルまではタクシーしかなく、交渉の末、10,000タンザニアシリング 。($1≒Tsh1,200、2008年3月現在)ここで簡単にザンジバルの歴史を。1499年、バスコ・ダ・ガマがザンジバルを訪れて以来、ポルトガル人が支配していましたが、彼らはアラブ人に追われます。1832年、オマーンの王、スルタンがザンジバルに宮廷をおき、その後、起こった奴隷貿易の反対運動の影響を受け、1890年にイギリスの保護領となるまで、その支配下にありました。1963年、イギリス連邦から独立、国連に加盟したものの、スルタンやアラブ人に不満を募らせていたアフリカ人によりクーデターが起こり、1964年ザンジバル人民共和国として独立。同年、タンガニーカ共和国と合併、タンザニア連合共和国となりましたが、今もなお、ザンジバルをひとつの独立国として考えている住民も多いとのこと。(『地球の歩き方’06~’07』、ダイヤモンド社、250、256頁)今もなお、住民のほとんどがムスリムで、顔立ちもアフリカ系ではなく、アラブ系の人がほとんど。ザンジバルの中心は、世界遺産ストーン・タウン。アラブ風の建物と入り組んだ路地が、その特徴です。 この日のお宿はザンジバル・コーヒー・ハウスという、ストーン・タウンの内陸部にある素敵なホテル。バス、トイレは専用だけど、部屋から離れた場所にあるツイン$75(朝食付)に泊まりました。バス、トイレが室内にあるお部屋は$90のようです。Tel : 255-(0)24-2239319http://www.tanzania-adventure.com/zanzibar-coffee-house.htmhttp://www.zanzibarcoffeeshop.co.uk/index.html素敵なホテルで、まずしたことと言えば、シャワー、洗濯 前夜、停電、断水でしたから・・・電池を切らしていたカメラを充電して出かけたので、この日の写真、ありませんウェルカムドリンクは、1階の喫茶室のメニューから選べました。ホテルの名前に「コーヒー」が入っているのですから、カフェ・ラテをチョイス、一緒にチョコレートケーキをいただいたのち、街を散策に出かけました。観光地のため、お土産やさんも多かったです。動物がくっついてたり、描かれている食器とか、柄が動物になっているサラダフォーク&ナイフとか、デザイン豊富な布やアクセサリー、マグネット、キーホルダーなど、きっとね、日本から直接来たら、しょぼく見えたと思うんですよ。所詮、アフリカですからね。でも1年半、世界最貧国の1つマラウイで暮らしている私たちにとって、久しぶりにふれる文明心わき踊り、入り組んだ路地に誘われるまま、お土産やさん巡りになってしまいました。まだ2日めなのにお土産やさん巡りで歩き疲れたため、18世紀、要塞として使われた、オールド・アラブ砦のなかのレストランで、ビールを飲みながら休憩。片言の日本語を話すお兄ちゃんに話しかけられ、同行のCは、彼を相手にスワヒリ語の練習をしていました。夕方、1883年にスルタンが式典用に建てたという驚嘆の家をようやく観光。夜は、オールド・アラブ砦と驚嘆の家の間の、細い道に連なる屋台街で、先ほど、砦で話しかけられたお兄ちゃんと再会。彼が働いている屋台でえび、いか、まぐろ、ロブスターなど、シーフードの串焼きを食しました。ん~。私は、シーフードは生が好きかな。特にロブスターは、時間が経っていたのか、いまいちでした。屋台は他にもいろいろあって、「ザンジバルピザ」という看板の食べ物、売り子たちは日本語で「お好み焼き」と言っていましたね。一銭洋食みたいな感じかな?アジアでよく見られる、さとうきびジュースもありました。ザンジバルはスルタンの支配時代、スパイス産業が発展したそうですが、屋台のさとうきびジュースもジンジャーたっぷりで、風邪気味の私にはぴったりでした。ムスリムの町ですから、屋台でビールを売っていない、飲めないのがツライ。屋台の客引きのお兄ちゃんに、食べ終わったらビールを安く飲めるお店に行こうと誘ってもらっていたのですが、なんだか風邪がひどくなりそうだったので、お誘いをお断りして、早めに宿に戻ることにしました。そう、この頃から、風邪気味だったんですよ・・・さとうきびの搾り器、マラウイにもあればなと思うのですが、マラウイではひたすら、さとうきびをかじる。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 28, 2008
そんなこんなのAIR MALAWIですが、定刻通り、タンザニアの首都、ダル・エス・サラームに到着。 かなり大きな都市であることが、機内からもうかがえます。空港も、マラウイよりもかなりイケてます。事前にタンザニアJICA事務所から届いた注意事項を守り、カウンターでタクシーを依頼し、ブリーフィングのため、事務所へ向かいました。空港では曇天だったのが、道中、突然の激しい雨 雨はますますひどくなり、みるみる道路が浸水。途中でタクシーが動かなくなり、たまたま近くにいた、別のタクシーに相乗りさせてもらうことになりました。先客は、タンザニアで1年半働いているアメリカ人。「ザンジバルに行くなら、東岸のパジェで、日本人女性がバンガローを経営しているから、そこでゆっくりするといい」と、薦めてくれました。道路浸水はますますひどくなるばかり。 飾られているのはタンザニア国旗停電のため、信号も機能せず、大渋滞。通常なら、空港から15~20分で行ける事務所まで、3時間かかりました。「新記録ですね」と、タンザニア事務所のボランティア調整員の方に言われました。彼らも「赴任以来、初めてのこんな大雨」だったそうです。その他にも大きなトラブルがあり、かなり焦ったものの、なんとかクリア。ようやくその日のお宿、YWCAにチェックインしましたが、大雨のため、停電、断水・・・とりあえず荷物だけ置き、タクシーで、韓国人が経営する日本食レストランOSAKAへ向かいました。数ヶ月ぶりのお寿司、お刺身、揚げ出し豆腐、海老のから揚げ、海鮮鍋、日本酒などに舌鼓。(カメラの充電を切らしてしまって、写真がない)食べ過ぎましたトラブル続きの旅の始まり今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 27, 2008
3/26(水)~4/5(土)まで、タンザニアに行ってきました。私たちは2年で20日間の任国外旅行が認められており、マラウイ隊員が現在、許可されているのはタンザニア、ザンビア、モザンビークの3国です。ザンジバルやキルワ、ンゴロンゴロ、セレンゲティなどの世界遺産、観光名所の多いタンザニアの場合、40日前までに旅程を提出して、マラウイ、タンザニア両JICA事務所の許可を得なければなりません。さらに到着後、安全情報などのブリーフィングを受ける必要があるため、JICA関係者の受け入れは1ヶ月につき30人までと決められています。(2008年3月現在)タンザニアは7~8月がベストシーズンと、先輩隊員から聞いていました。でも、その時期は現職教員の再訓練プログラムが入る可能性があり、3~5月はタンザニアの大雨期のため、直前まで迷っていましたが、8月には見られない、ヌーの大群が見られるということで、思い切ってこの学期休みに行ってきました。 2008年2月のインフレ率が16万4900%というジンバブエの隊員が、利用を許可されないAIR MALAWI。でも私たちがタンザニアに行くには、安全上、陸路は認められておらず、ケニアも南アも経由できないため、AIR MALAWIしか手段がありません。今まで手書き、自由席、いろんなエアチケットをもらいましたが、会社名の入っていない、白紙のチケットはこれが初めてです。出国審査では、女性には女性の係官があたり、財布や化粧ポーチの中身まで、鞄の中ほぼすべて開けられます。「プライバシー」などという言葉は存在しません。マラウイクワチャの持ち出しがMK 3,000までに限られているからだそうですが、隣国にもっていったところで紙くず同然のマラウイクワチャ。係官が物色しているとしか思えない。私の化粧ポーチから、アイブロウライナーを物珍しげに確認、「これは私(=係官)のものか?」と聞かれました。同行のCは、ライターと防虫スプレーを2本とられ、マラリア予防に不可欠だから、未開封の防虫スプレーを返して欲しいと訴えたところ、あっさり返してくれましたしね。安全対策の荷物検査とは思えない・・・機内から見るマラウイ湖 朝の機内食。オムレツか目玉焼きか選べました。↑写真を見て、おかしな点にお気づきになりましたか?「朝からビール」、確かにそれもおかしいんですけどビール瓶が配られるのですよ。ビールだけでなく、ファンタやコーラ、いずれも瓶。がっしゃん壊せば、たやすく凶器となり、ハイジャックしようと思えばできてしまうのではないか?「荷物検査」に意味があるのか、ますます疑ってしまうのでした。AIR MALAWIなぞハイジャックしたところで、発言力にはなり得ないということでしょうか?帰りにフルーツを持っていたら、「私の分は?」と聞かれました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
March 26, 2008
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