ひ と り ご と

  ひ と り ご と

2012.01.24
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カテゴリ: ひとりごと




やさしい先生という生徒、こわい先生という生徒、

面白い先生という生徒、厳しい先生という生徒、

がいるとします。


多様な意見があるとき、

いったい、

佐藤先生はどんな先生なのでしょうか。

佐藤先生の本当の姿はどのような感じなのでしょうか。





答えは、

佐藤先生はどんな先生かは、「わからない」のです。

((注)答えといっても、この答えを受け入れるか、
 受け入れないか読む方の思いのまま、自由です。)





ここで言えることは、

それぞれの生徒が、

佐藤先生を「そのように見ている」ということです。

やさしいと見る生徒、こわいと見る生徒、

面白いと見る生徒、厳しいと見る生徒、

これらは、全て正しい見方です。

『全て』がポイントです。

『全て正しい』のです。

全ての生徒の見方が、それぞれ正しいということです。

間違っている見方などないということです。


それぞれの生徒が見る世界の中での佐藤先生の

在り方は、それぞれ、違って見えている。

佐藤先生の本当の姿というものは、

固定されたものではなくて、

佐藤先生が決めているわけではなくて、

見る生徒が、そのように見ているということです。


そして、

それぞれの生徒が佐藤先生をどのように見ても、

佐藤先生には、責任はないのです。

生徒が勝手に(独自に)そのように見ているのです。




人が人を見る見方とは、こんな感じで決まっているような気がします。


世界には、感性が似ている人、かけ離れている人がいますから、

信じられないことや、面白いことがあるのかもしれません。


自身の見方を「絶対的」に正しいと思っていると、

さまざまな葛藤が起きます。



あなたの見方は、あなたの見る世界の中では、絶対的に正しい。

あなたの見方は、他者と関わる世界の中では、主観的に正しい。

あなたの見方は、正しい、正しくないで測れるものではない。





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Last updated  2012.01.24 18:51:37
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