鎌倉日記(極上生活のすすめ)
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正月に、神社に初詣に行かれたかたも、多いが、いたるところに御霊神社という名があることが、子どもの頃、不思議だった。どうやら、怨みをいだいたまま、憤死した人は、その霊を静めるために、日本では神様になってしまうらしい。菅原道真は、太宰府天満宮や北野天満宮。平将門は、築土神社や神田明神 として神様になる。井沢元彦は『逆説の日本史 古代黎明編』の中で、出雲大社は大国主の怨霊を恐れた大和朝廷が、大国主をなだめ、封じ込めるために造った神殿であるとまで、述べている。では、その怨みのなかでも、メガトン級は? 天皇の歴史は、権力闘争の歴史でもあるのだが、そこで暗殺、変死、自殺、憤死など非業の死を遂げた天皇も多い。 * * * *「特筆すべきは、その中に呪い殺された天皇や神の怒りで亡くなった天皇、怨霊となった天皇など、異常な死を迎えた天皇がいることです。 その代表格が保元の乱に敗れ讃岐に流された悲運の帝・崇徳天皇。爪、髪、髭を伸ばし天狗のような姿で自らの舌を噛みちぎり、その血で大乗経に天下滅亡の呪いの言葉を書き記し憤死。 死後、飢饉や洪水、大火が続いたため崇徳院の祟りといわれ、鎮魂の神社や寺が建てられました。驚いたことに、孝明・明治・昭和天皇がその霊を鎮めるため祈りを捧げ、神社を建てるなど、近現代でも国家的な鎮魂が行われているのです。 強い恨みを抱いて亡くなった天皇の霊を鎮めて祀り「神」にし、その絶大な霊力を現世に活かそうとする。この日本独特の宗教観は天皇の存在と深く関係しています。」産経ニュース 2009.1.31 * * * *とにかく、この崇徳天皇の怨霊、未来永劫呪い続けるという、呪いが、あまりにすごいため、孝明天皇は幕末の騒乱を、崇徳天皇の怨霊の仕業と信じ、明治天皇は、崇徳天皇の御霊を鎮める神社を京都御所のすぐ近くに創建する。この崇徳の霊を呼び戻して、造営したのが白峯神社。発議は孝明天皇、完成させたのは明治天皇。なんたって、天皇が自らの舌を噛みちぎり、その血で大乗経に天下滅亡ですからね・・。この呪いは、超、超のつくメガトン級のため、昭和天皇は東京オリンピックの直前、昭和39年9月21日、東京オリンピック開催に際し四国の香川県坂出市の崇徳天皇陵に勅使を遣わして、崇徳天皇式年祭(八百年式祭)を執り行わせている。そして、怨霊が日本国に祟らぬよう、歴代の天皇たちが真剣に祈ってきているというわけなのだ。このあたりは、『怨霊になった天皇』竹田 恒泰著に詳しい。瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ(崇徳院)
2010年01月12日
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