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元々は 喫茶店兼住宅でした。今は住宅として使っておられるようです。 小さな中庭のある住宅です。施主さんは上田市内の柳沢歯科医院さんです。こちらはイタリアンレストランです。こちらもやらせていただきました。https://tabelog.com/nagano/A2004/A200401/20002549/お問い合わせが必要な方はこちらまで 【定価5400→4580円】歯科医師オススメ!入れ歯のお手入れが簡単に【サンスター】義歯用ハブラシ【10本セット】(歯科医院専売品)デンタルケアセットおうちで歯のお手入れ☆オーラルエステDP・α(ホワイトニングセット)アルポルト監修★ティラミス4号レザーブレスレット 三つ編みブレス イタリアンレザーブレスレット ペアで着けられる本革ブレスレット レディース メンズ ブレスレット アクセサリー【DM便送料無料】【日本製】
2017/02/13
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先週金曜日に「計画変更申請書」を上田市に提出してきたのですが、なかなか許可が下りたという連絡がありません。月曜日に消防署から電話があり「建具のガラスの厚さ」と「窓の床からの高さ」について質問が入りました。図面内に画き込んであることを伝え、了解してもらいました。昨日許可が下りるかと一日待っていたのですが、連絡無しでした。今日こそと午前中も待っていましたが連絡は無く、市の担当者に電話で聞いてみましたが「市の方は問題ないけれど、消防から書類がまだ戻って来ないので、戻って来次第連絡します」との事でした。午後の時間も待っていたけれど来ず仕舞!もうこの時間になると私が出かける手段がなくなってしまうので、明日まで待つしかない状況になっています。お役所仕事は物件が沢山あるから仕方がないとは言え、待たされる身にもなって欲しい!とつくづく思いました。今日は大雨になるという天気予報だったので、雨の中出ていくのは嫌だなと思っていたので、まあ良く思えば出かけなくて済んだかなと思いましたが左程雨は降ってきません。むしろ太陽が出てきています。夜になって降ってくるのかな!明日は午前中は東御市の福祉センターで「筋トレ教室」があるのでもし朝早い時間に連絡があれば「筋トレ教室」の方はお休みして、取りに行かねばならなくなるかもしれない。まあそれはそれで仕方がない!ちなみに私の設計事務所のホームページです。更新できなくなっていますが、良かったら覗いてみてください。アトリエ獏一級建築士事務所今図書館で難しい本を借りてしまって読んでいます。「サルトル」村上嘉隆著 という本です。サルトルという人の存在は知っていてもどんな思想の持ち主なのか余り良く知らないままでいたので、移動図書館に予約しておいたのです。サルトルと言えばボーヴォワールとの、自立した男女の新しい形の結婚生活ということで有名です。もう2人とも亡くなってしまったけれど、ある意味では学生時代憧れの夫婦像として印象にあったお二人でした。人間の自由とは何か、生きるとはどういうことか、人間とは何か、等々!沢山の課題を提供してくれていたお二人でした。改めて考えさせられる本です。人間の在り方の本質を追求する思想である実存主義は、自分自身の全ては自身で決め、行動すべきと主張します。主体性に欠けると言われる現代人の心を動かす何かが秘められていることでしょう。ボーヴォワールはサルトルの事実上の妻。サルトルの実存主義に加担するとともに、フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った。ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」サルトル 新装版 (Century Books 人と思想 34)[本/雑誌] / 村上嘉隆/著嘔吐 新訳 / ジャン・ポール・サルトル 【単行本】サルトル 実存主義とは何か 「私」自身をつくる【中古】 第二の性 5 / シモーヌ・ド・ボーヴォワール / 新潮社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】
2016/09/07
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朝から主人の朝食を何時もより早めに入れて、主人にとっては8年ぶりに行くデイサービスです。一日中私の建築士の定期講習会が3年毎にある日なのでした。昨晩は何時もより1時間以上も早く休み、今朝は1時間早く起きて主人の持ち物の準備などして、朝のお経も挙げてからお昼のお弁当も作りと、忙しい朝でした。主人は腰が痛いのでヘルパーさんにも来てもらって、食事を入れ終わった段階でヘルパーさんにバトンタッチして私は大急ぎで出かけました。朝のラッシュ時間を避けたいと思い裏道を走って地方事務所に着きゆとりで会場に入りました。講義はテキストを講師の先生が読みながらポイント部分をピックアップしながら先に進んで行きました。お昼をはさんで2人の先生が講義をしてくださいましたが、時間がぎりぎりで、内容はたっぷりという状態で、忙しい講義でした。最期に1時間テキストを見ても好いという条件付でしたが、試験がありました。40問の問題に対して、正、誤を選択して鉛筆で塗りつぶすというやり方でした。余り自信はありません。引っ掛け問題も有り、頭の中はパニックです。それでもこれで2度目の講習会と試験です。法改正の部分も多く、余り普段、建築法規の本も殆んど見ない生活なので遠い記憶と、鈍った脳を必死で働かせての7時間でした。何だか興奮状態のせいか、かなり疲れていると思うのですが、眠くないのです。主人は先に家に帰っていました。寝室で一人で寝ていました。どうにか今日も無事に終わりそうです。感謝感謝です。どうか試験は無事に合格することを祈りながら今日は休みます。おっと!!!!ベンチで寝ていた主人がトイレに先ほど行くかと思い起こしたのですが、あらぬほうを見て又横になってしまったのですがもしかして!と、おしめを見たらなんとぐっしょりでした。しかもズボンまで濡れてしまい、さらに寝ていたお布団も濡れてしまいました。早速脱いでもらい、着替えをとりに行っている間に、またまた失禁になってしまいました!!!!今度はベンチの上もこぼれて床までも濡れていました。うーん、ついさっきまで意識状態はよかったのに、今はオフになってしまったようです。これで又しばらくすると、急に覚醒して、「お母さん」と呼ぶかもしれません。今日は何時に寝れるかな?昨日夕方庭の草取りをしました。我家の庭のケマンソウが今満開です。草の中からすずらんも顔を出しましたよ。でももう最期の花ですね。
2012/05/29
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昔私が設計事務所にお勤めしていた頃私が担当させてもらった喫茶店をしておられた方が、その後喫茶店は止められて、結婚されて会社勤めになっておられたようですが、その方が我家に尋ねてきてくださいました。奥さんとかわいいお嬢さん(3歳)を連れて来て下さいました。土曜日は嫌がってはいたもののとりあえずショートステイに行ってくれる事になっていた日でしたので、主人の家具もその喫茶店で使ってくださった事もあり、せっかくだからお目にかかってからショートのお迎えをお願いする事にしました。お昼から目が醒めて主人は一緒に大河ドラマの再放送を見ている時間帯でした。大河ドラマの方も佳境に入っていて見逃せない場面でしたが、挨拶もそこそこでしたが、すっかりご無沙汰のその方は、奥さんと子供さんは車の中でお子さんがお昼寝中だったようで、一人で来られたのでした。しばらく話をしながら主人はどちらかと言うと大河ドラマに釘付け状態でしたが、大河ドラマが終わる頃、奥さんと子供さんも家に入ってこられました。外は結構暑い日で我家のログハウスは家の中は涼しくてびっくりされていました。確かに少し開けて風さえ通しておけば扇風機も要らない時間帯もあります。一緒におやつを食べながら我家の息子たちの話しなどもしながら奥さんの事出会いの事などお聞きしました。奥さんのご両親が東京から田舎暮らしをする為に来ていらして、彼の喫茶店に頻繁に来ていらしたとの事。そこでご両親彼が見初められた!のでしょうか。娘さんである今の奥さんはまだ一人で東京にいて設計事務所に勤めていたとの事。同じ設計士さんだという事でした。不思議なご縁といえばご縁ですが、とてもしっかりした印象の奥さんで今お腹に2人目が居るとの事。今まで勤めていた会社は辞めて今は、ハローワークで働いているとの事でした。喫茶店の方は人に貸しているとの事。主人は途中から寝室の方で横になってしまいました。市内でアパートを借りているけれどそろそろ家を建てたいと思っているとの事でした。それでつたないながら私が今まで携わった住宅や、自営になってからやった住宅や、喫茶店、レストランなどを紹介させてもらいました。アトリエ獏更新しないままでほったらかしのホームページになっていますが、私の過去の実績という状態ですが、参考にしてください。夕方になってショートステイのお迎えが来てくれました。どうにか起きて拒否もせず行ってくれましたのでホッとしました。その夜は久しぶりにゆっくり寝させてもらいました。日曜日は仏教の会で長野に行きました。月一回のお集まりの日でした。午後は長野の知り合いの家を訪ねて、そちらの方とも久しぶりの再会でした。その後は篠ノ井の従姉の家に寄らせてもらいました。従姉は丁度お友達と買い物に行っていたのでご主人しか居なくてどうしようかと思いましたが、連絡を取っていただき早めに帰って来てくれたのでこちらも本当に久しぶりで会うことができました。夜は大河ドラマを見たり、大江健三郎さんの核問題についての番組を見たりしました。ノーベル賞作家・大江健三郎さんと、ビキニ水爆実験で“死の灰”を浴びた第五福竜丸の元乗組員・大石又七さん。福島原発事故に直面する今、核と日本人について語り合う。今私は主人の介護で殆んど時間が取られてしまっています。時々出かけることは出来ても落着いて仕事が出来る状態ではない、と自分では思っていることもあり仕事らしい事はしていません。仕事となれば責任も在りますし、大きなお金も動くのですから、片手間に出来る事ではありません。何時か又できる時が来るのだろうか。それともこのまま主人と一緒に病気と付き合いながら年をとって行ってしまうのだろうか、ふと寂しい気持ちになってしまう瞬間が増えました。自然に任せてきっと出来る時は必要なら来るだろうし、必要でなければそのままだろうし、今回は少し色々考える時間がありましたね。 【送料無料】【中古】われらの狂気を生き延びる道を教えよ 大江健三郎/著 新潮社価格:6,300円(税込、送料込)「万延元年のフットボール」他【中古】afb価格:6,880円(税込、送料別)送料無料!!【CD】NHK大河ドラマ オリジナル・サウンドトラック 江~姫たちの戦国~/TVサントラ ...価格:2,600円(税込、送料込)お小遣い稼ぎするならこちらでダイエットしたい方はこちら
2011/07/05
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3日(土曜日)から恒例のショートステイに行ってくれたので以前から地元の大学の同窓会メンバーで、「一度行きましょう」という事になっていた「らいてうの家」に行きました。平塚らいてう;本名:明(ハル)はこの同窓会の大先輩に当たることもあり、一度行かなくちゃね、と言いながら今になりました。それに私が設計監理に関わった事もあり、皆さん、といってもいつもの顔ぶれは6人ほどではありますが、上は82歳、下は52歳という顔ぶれでそれぞれ車で現地集合で。地元の同窓会メンバーは若い方も入れ、上は90歳代の方まで20人近いのですが。下界は蒸し暑くぐったりするほどの気温のようでしたが、「らいてうの家」のあるあずまや高原は標高1500m、半袖では寒いくらいでした。久し振りにらいてうさんの空気に触れると、当時の事が昨日の事のように蘇ります。主人が薬の副作用で妄想、幻覚等がひどくなり普通の生活が出来なくなってしまったまさにその時に、この「らいてう記念館建設」のお話をいただき、私は絶対無理、と思っていたのでしたが、お仲間が本当に団結してしっかりそれぞれの役割分担で完成する事が出来たのでした。その当時らいてうさんの「私は永遠に諦めない」と言う言葉で私は勇気付けられました。そしてこうして主人の状態もその当時と比べると落ち着いて、体力的には落ちて来てしまってはいるものの、好い時間も増えて、一緒に話が出来て、テレビも一緒に見ることが出来る時間が増えてきました。らいてうさんのその言葉に感謝で一杯です。午前中は私は勝手に時間を早まって10時に到着してしまい、らいてうの会の東京事務所のMさんが当番で来ておられ、これまた久し振りの再会に感激でした。10時半に松本から公民館活動でマイクロバスで団体さんが到着してMさんがらいてうさんの解説をしてくださいました。その後たまたま来ていた私にこの建物の建設エピソードを話す事が回ってきてしまい、何の用意もしないで来ていた私は、当時のことを思い出しながら、この「私は永遠に諦めない」の言葉で励まされた事をお話しました。地元の色々な経歴の女性ばかり9人が造り上げたこの建物は見学に来られる方々に大変インパクトが強いらしく、若い方で以前も建築をやっているという方が、「もっとがんばらなくちゃね」といって帰られた事がありましたよ。とMさんに聞かされ、改めてやっておいて良かった、と実感しました。当番の方が街で美味しいお弁当を持って上がってきてくださったのでベランダでぶなの森を見ながらお昼にしました。ベランダは帰る時は木製の昔の造りの雨戸を閉めて帰ります。昔ながらの引き寄せの雨戸でしかも背が高いので開け閉めにはコツが要ります。木製の建具をふんだんに使うことでこの家の良さが一層引き立てられているのです。建具やさんも大工さんも大変苦労されました。私も自分の出来る分担として建具の詳細図を一生懸命画きました。まだCADを使い始めたばかりで深夜に渡って必死で画きました。現場監理は責任上定例の打ち合わせ日には午前中ヘルパーさんに3時間も張り付いてもらって主人の介護をお願いしながら通いました。色々なことが頭の中を駆け巡り、設計の仕事として本当に好い仕事をさせていただいたんだ、と改めて皆さんに感謝する思いで一杯になりました。この本はらいてうの会会長でもある米田佐代子先生が書かれた「らいてう研究書」です。らいてうを愛して止まない先生の情熱の結晶です。平塚らいてう価格:6,930円(税込、送料別)らいてうの家信濃に誕生!価格:1,050円(税込、送料別)
2010/07/05
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昨年から関わっていた市の助産所が今日竣工式を迎えました。基本設計で提案に参加させていただき、お仲間の人の案が採用されましたので実設計の時も少し手伝いました。その時お世話になった皆さんからご丁寧なお言葉をいただき、出来上がったものは県産材をふんだんに使った木造のやさしい空間が出来上がっていました。出産を自然な形で、家庭にいる状態に近い環境で実現させようというコンセプトの基、助産師さんたちが立ち上がって進めてきた計画でした。
2010/04/22
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昨年までは私の事業決算付きで申告が出されていたので今年も事務所の名前で申告書が来ました。しかし事務所は一昨年の3月で更新しないまま今日に至っているので、今は年金収入の申請だけになる。早めに行って相談に乗ってもらおうと今日は寝不足の身体をやっとの思いで出かけていきました。朝まで殆んど寝させてもらえないままだったので、朝食を入れた後睡魔が襲ってきました。午前中は殆んど眠くてたまらない状態で2階で独りで眠りました。今日はお昼に訪問看護師さんが来てくださったのですがその間すら起きて挨拶はしたもののマッサージチェアで又うとうとしていました。眠い頭で申告会場に行き、同じ部落のご主人がやはり病気が原因で胃ロウで食事になってしまっているご夫婦と会いました。其処のご主人は沢山の手術を受け「3年の命だといわれていたけれどもう5年持っているんだ。」と運転も自分でされて見たところは顔色も良くお元気そうに見えるのですが。「まあ生きてるからね。」とご主人。「さっきお宅へ寄ってほうれん草置いてきたがご主人が出てきて声は余り出なかったがちゃんと挨拶しておられたよ。」「そうなんです、今日みたいに昼間から起きてくれる日もありますが夕べも起きていて眠らせてもらってないんですよ。」主人の睡眠時間は普通のサイクルではないので24時間サイクルで成り立っている私にとっては辛い物がある。寝たり起きたりとはいえ今日もまだ起きて又咽ながらもお菓子を食べながらテレビを見て起きている。夕方も元気そうだったので今日はお刺身も買ってきたので一緒に食べ、スープも飲んだりとした上で胃ロウの径管栄養を1ポン減らしておいたので又お腹が空いてしまったのだろう。明日こそ整形外科に行きたいのだけれど、明日は起きてくれるのでしょうか。
2010/03/11
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建築設計の構造計算偽装問題が明らかになってから、建築士に対する一般の方の目が厳しくなりました。その為資格を正しく維持するためにも建築士法が細かく改正されてきました。その一環として3年毎の定期講習会を受けなければならなくなりました。今日はその日でどしゃぶりの雨の中を朝早くから定期講習会に出かけました。長い間介護の事がメインになる生活で私の脳みそはすっかり介護に適用する習慣にどっぷり浸かっていた事で、朝から難しい専門用語ばかり出てくる講義は頭が痛くなる時間でした。しかも最後に考査試験もあると聞いていたので、心配で先週後半から気になって仕方が在りませんでした。金曜日は病院に行きましたが帰り際に目を覚ましてくれたのでホッとして帰って来たのですが、月曜日は寝ている日になってしまったようで余り話もしないまま帰って来ました。少しでも事前に勉強をした方が良いかと考え、建築法規の最新版の「建築申請メモ」を購入して見始めていましたが、ここ5,6年の間に法規の内容もかなり事細かく追加されてきている状態でした。すっかり現場から離れてしまっていた私の脳はその変化に付いて行けないと判断し少しパニック状態でした。講習会の内容は建築基準法の内容ではなく、建築士に関する法令が主な内容だったので、ひたすら聞いているしかない状態で、心配で昨晩は睡眠不足も手伝い頭の中は追い詰められたような気分と眠気とが入り混じり、しかも一日中講義が続き、疲れ果てた後に、考査試験が待っていました。テキストは見ても良いと言う条件ではあったのですが、問題の項目がテキストの何処にあったかを探すのもあせるばかりで時間は限られているし、最後の集中力を振り絞っての1時間でした。どうにか答えを正誤表の塗りつぶしを無事に終わらせて、外へ出たのはもう6時に近い時間でした。久しぶりに出て行った会場で、知り合いのお仲間や、設計事務所の方にも会ったりと、こんな時でないと顔をあわせる事もない方々です。家に帰ると疲れて少し横になって休みました。これも主人が入院してくれている時だったので出来た事だと、主人に感謝しました。
2009/11/11
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主人が入院してくれた事でなかなか参加できなかった行事に参加することが出来ました。2年前に女子の会が「らいてうの家」を見学コースに入れてあずまや高原ホテルで昼食会をしてくださった時以来の参加でした。私も名簿でたどると年齢は最初の頃の年齢になってしまいます。元は旧制高等学校で男子のみの時代から女子が入学できるようになった、一回生は既に74歳を筆頭に活躍している女性の先輩方は職業を持って社会に貢献する優秀な方々ばかり。それでも今では定年後の静かな生活を過ごしている方もおられるようです。私の場合、仕事柄本来は定年のない職域でもあり、設計事務所を構えている限りは健康で働ける限り、仕事さえあれば死ぬまで働ける、といったイメージで居ました。ところが主人の介護という思いがけない現実に直面し、お仲間が居るのでいざという時は助けてもらってきたものの、やはり一人でがんばる体制は厳しいものがあります。事務所も登録制度で更新しなければならず費用もかかりますので今年は更新しませんでした。寂しいようなすっきりしたような複雑な心境で過ごしていました。少し後輩の教師をしていた方々も定年になって、趣味の教室に通ったり、自分でテーマを決めて本を自費出版したりという方もおられて「あっ!そうか仕事をひたすら続ける生き方でなくてもそういった切り替えをすればいいんだ。」と気が付かされたのが今回の同窓会への出席の成果でした。真田一族の過ごした遺跡を巡るツアーではあったのですが、少し後輩の男性の元県職員で、現在歴史博物館の館長をしておられる方に案内していただくという企画で、大変専門的な勉強をさせていただき真田家への思いも一塩ではありましたが、私にとってはこれからの自分の生き方の参考になる女性たちのお話が何よりの収獲でした。
2009/10/31
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今日は以前から相談に載ってもらっている弁護士さんのところへ行く事になっていましたので、午前中からヘルパーさんに入ってもらって、行って来ました。電話リースの詐欺まがいの業者に引っかかってしまった事で、必要のない高いビジネス電話を入れてしまったことで、もめているのです。当時確かに事務所は開設している状態でしたが、電話のリースを持ってきた業者は、その直前にコピー機のリースをおいていきました。これは皆で集まって頻繁に使う状態でA4までしかコピーできなかった古いコピー機の変わりにA3が使えるコピー機が必要だったので入れたのでした。それからしばらくした頃、私が病人を抱えて大変な状態を知ったうえで電話のリースの話を持ってきたのでした。「外出先から暗証番号で操作すると外から寝ているご主人に声がかけられるからご主人が受話器を取らなくても話が出来るんですよ。」と言う売れ込みに私は載せられてしまったのでした。当時「車のローンも2台分抱えていてとてもさらに上乗せはできない。」と言うと営業マンは「車のローンの支払いと同じ金額であればいいですか」と聞かれたので「そうね、変わらなければどっちみちローンは払っていかなければいけないんだから」という私の言葉をよいことに、話をどんどん進めて行ってしまったのでした。しかも総額の見積書の内訳書もなく、月の支払い金額だけ確認して、契約書には実際には100万もないのに売り上げ金額を「500万と書いて置いてください。」といわれるままに書いてしまったり、保障人に病人である主人の名前を書いたりと、今考えるとでたらめな書類である。その間も私は主人の寝ている部屋に行ったりきたりで落ち着かない状態をよい事にどんどん話を進めて行き、契約を成立させて営業マンは帰ってしまったのであった。17年の12月の事である。私の頭の中は主人の為に役に立つならというだけのことで決めたことに疑問も持たないまま、しばらくしてから電話工事が入ってきて少し驚いたのは、こんな家にふさわしくない装置が入ってきた事に少しびっくりしたもののそういうものかな、と深く考えもしないまま年が明けてしまった。改めてそういえば細かい見積書も見せてもらってないし、この大げさな装置は一体何なのだろうという疑問が浮かび、電話をして「見積りの内訳書も見せてもらってなかったから送ってください」と頼んでFAXで送ってもらったのを見て唖然としたのであった。車のローンは仕方がないとしても、その電話装置の金額の高さに愕然としたのであった。「これを先に見せてもらっていれば断ったはずです。」というと営業マンは「内訳書を請求されなかったから出さなかった。総額は了解していると思ったので」という説明であった。私はその時初めて自分が騙されたと気が付いたのであった。しかし「車のローンを払っている間は仕方がないですよね」と言われると確かに同じ金額分は払って行く期間はあるわけだから、がんばるしかない、と思いながら、忙しさに紛れてそれでも苦情を言う相手を、リース会社にも伝えなければと思い立ち、当時の事情を手紙に書いて、送ったのである。その後はローンが払い終わるまではとまじめに払い続けてのであった。昨年の夏に1台分が終わって本来なら残りの1台分で金額的には半分以下になったことに気が付き、何故私は2台分の金額をひたすら払い続けなければいけないのだろう?という事にやっと気が付き、又営業に来た池袋の会社に電話をすると、担当だった営業マンは今は辞めてしまっている。との事。社長さんらしい人に文句を言うが当事者ではないのでその時の我が家の事情は担当の営業マンがどのような営業の仕方をしたか等感知しない。と言われてしまう。それから私の戦いが始ったのであった。主人の介護でなかなか時間が取れない中を電話で消費者センターに相談すると、地元の司法書士さんを紹介してくれた。やっと時間を作って相談に行き「不正な契約ではないか」ということでクーリングオフを要請する通知書を作ってもらう。何度かやり取りをする中で「和解金で了解した上で見直しましょう」と言う話になりかけた時、私はどうしても腹が立っていて許せない、と言う気持ちが強く、しかも電話は撤去した上で借金だけが残るなんてなお許せないと言う。「この先は訴訟となると、司法書士では扱えない金額なので、降ります。」と司法書士さんから言われてしまったのであった。それが今年の4月であった。その後は営業会社、リース会社アプラスに直接電話をしてみたものの素人ではどうにもならないと解かる。それから県の「法テラス」という弁護士に相談できる窓口を知り、そこで地元の弁護士事務所を紹介されて今に至るのである。何度か書面をリース会社に送ってもらっている中で本来車のローンなどと抱き合わせて事務機器をリースに組む事はしてはいけない事らしく、その営業に来た会社はリース会社から営業契約は解除されたらしい。又契約関係はこちらサイドからは営業に来た会社とは全く関係はなく、リース会社との契約関係だけで成り立っている事も弁護士さんからの説明で知る。つまり営業に来た会社に幾ら文句を言っても相手は何の責任もない、と言う関係だったと言う事を今頃になって知ったのである。アプラス側は営業会社からリスクとして残金の総額の30%ほどを支払わせる話になっているらしく、残りの残金の33%はアプラスが持つので残りの37%をこちらで払って欲しいということを言って来た様であった。それにしても今の我が家では支払い続けるには厳しい金額である。かといってどうしても納得できないという事で訴訟に持っていくと、弁護士費用も掛かり、時間も簡易裁判所に通わなければならず、裁判官が必ずしもこちらサイドの味方とは限らない、と弁護士さんに言われてしまう。今でこそ仕事はしていないし、事務所登録の更新もしないまま事務所は閉鎖状態であるものの、当時はまだ営業していたとなるとこちらの立場は不利になるという事だそうだ。承知の上で契約書に書いたとみなされてしまう。例え当時介護でパニックになっていて、営業マンの言うなりになって書いてしまったとしても、裁判官がどう判断するか、保障はできない、と弁護士さんに言われてしまった。とりあえず又月々の支払い金額を下げてもらい、これから5年かけてリースをまだ払い続ける事で和解に持っていく、電話はこのまま使う、ということで書面を作ってもらうことにして帰って来たのである。リース契約のもっと厳しい法律を作って欲しいとつくづく実感した事件である。結果はまだでていません。
2009/08/24
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昨年の今頃でしたが、大学の先輩がこちらで取り組んだ「らいてうの家」の見学に来られた時、そのプロジェクトのメンバー構成と、其処に至るまでの地元での活動などを含め評価してくださって、住居学科独自の「奨励賞」に推薦してくださいました。その賞の授賞式があり、年に1回の総会の席でその賞をいただきました。先週の土曜日だったのですが、朝早く家を出て主人はヘルパーさん、訪問看護師さんにお任せして、日帰りの日程でしたが行ってきました。行く日が決まってからは調子の好い時間帯は主人も若き日に良く歩き回った地域でもあり、私たちの新婚生活の拠点でもあった山手線目白駅には是非行ってみたい、と言う気持ちがあったこともあり、毎日「一緒に行くから、」と言い続けていたのですが、いざ出かける朝には、起きられず一人でお留守番になりました。それでも朝から夜まで12時間近く家で一人で時々ヘルパーさんに様子を見に入ってもらい、食事は訪問看護師さんにお願いして留守番が出来ました。久しぶりの大学はすっかり建物が全て新しく立て替えられ、唯一「成瀬記念館」だけが残されていました。昔は木造の明治時代の建物も多く残っていたのですが、全て高層の建物がひしめくほど建てられてしまい、昔ののびのびした構内は面影もありません。久しぶりに会う友人は私がはるばる出てくると言う事で、4,5人の同級生が駆けつけてくれました。先輩ももちろんの事、懐かしい顔ぶれの方もちらほらと卒業以来お目にかかる人など、大変楽しい時間でした。しかし既にお世話になった先生方も亡くなられた方、高齢になって総会にはわざわざ出ては来られていないようでお目にかかれない先生がほとんどでした。しかし学生時代をすごした界隈は変わらず昔よく入った喫茶店で軽い食事をしながら友達と話す時間はあっと言う間で、私はもう帰路につかなければならない時間になってしまいました。次男が夫婦で駅まで来てくれて総会と、授賞式は一緒に参加してくれたのでこれもまたうれしい時間でした。日頃の寝不足生活と久しぶりの都会の喧騒、電車の乗り継ぎなどなれない行動ですっかり疲れてしまいました。又いつもの介護生活に戻り、静かな毎日です。http://www.jyukyo.net/users/top_list
2009/07/10
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午前中に設計のお仲間の一番若い赤ちゃんを育て始めたばかりの彼女の家に行きました。「らいてうの家」プロジェクトのお仲間で構造設計担当の彼女は昨年ご主人の大工さんと一緒に古い民家を再生しながら住み始めた、と言う事で皆で見学に行く事になっていました。私もヘルパーさんを間に頼んで思い切って行くことにしていました。かなり傾いていたひどい状態だったようですが、見事に立て直し傾きは修正されていました。土間も基礎が打ち直されて、柱や梁も洗ってきれいにしたとのことで、匂いも無く、左官下地用のボードを張っている部屋もありましたが、生活をする部分は仕上がって気持ちよく暮らせる状態にまで出来上がっていました。近所の人もぼろ家だった家が余りにも見事に再生されていくのを見て驚いているようだ、との事。大工さんのご主人は仕事の合間に少しづつやっているとはいえ、大工冥利に尽きる毎日でしょうね。全部仕上がってからの民家再生の見学は何度か行きましたが、少しづつ出来る過程を時々見せてもらう、というのは一層身近で感動ものです。一番ひどい状態から見たかったな!私も昨年は少し再生民家に関わったけれど基礎まではいじらなかった。いずれにしてもこんな汚い古家をどうしようと言うんだ、と思っていた家の持ち主、近所の方々は見事に再生していく古民家は簡単に壊して立て直す、あるいは他の場所に新しい家を建てて住んでいる方などが多いのです。私の祖父も茅葺の大きな家を持っていたのですが、親族の安易な判断で壊されてしまい跡地にみすぼらしいスーパーマーケットが立ち、それすら今や廃墟となっているようです。あの民家が残っていたら明治時代を象徴する歴史博物館にでもなって、その地域の観光名所となったかもしれない、とその当時の安易な判断をしてしまった叔父、叔母、両親も含め本当に惜しい事をした、と言いたい。土曜ドラマ「遥かなる絆」中国残留孤児の実話ドラマに釘付け。毎回欠かさず見ている。戦争による犠牲者は子供であり、一般庶民の悲しい人生を作ってしまう事を国家は何処まで責任を感じていけるのだろう。政治家は本気で国民、子供たちの未来を真剣に考える事が出来ていたなら、間違った道には進めないはずなのだが。自分の子供を世襲で引き継がせようなどと考えているうちは、良い政治は行われないのではないだろうか。古民家再生住宅のすすめ 古民家再生術 民家再生の実践民家再生の実例日本民家再生集成(商業実例編)
2009/05/16
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助産所の仕事がスタートしたのですが、順番に送られてくる資料に目を通し始めました。実際に仕事に入ろうと準備を始めたところでした。前後して例の電話リース物件のリース会社から電話が来ました。向こうの言い分はあくまでもリース契約に不正は無く、全額払ってもらう。間に入った営業所、つまり口八丁で営業に来た営業マンの迷惑料?として、営業所が残りの金額の4分の一を負担し残りはこちらがリースを組み直してでも全額払う。しかもリース契約は解除するので電話機一式は撤去して引き取る、との事。使いこなす事すらできない不必要な電話一式は撤去してもらった方がありがたいと思う一方、残金はあくまでも払わなければいけない、と言う結論にびっくり!これでは完全に借金を押し付けられた事になる。理不尽な営業マンのせいで無駄な借金をなぜ払い続けなければいけないのか理解に苦しむ。あくまでも法人(会社組織)ではなく個人事業主、たった一人の事務所である事で、しかも全くの個人的な理由でしかも詐欺のような契約を結ばされたという事になればやはり妥協はできない。もう一度消費者センター、あるいは家庭裁判所に持ち込むしかない、と考える。もう仕事どころではない。仕事のメンバーからその後電話が入り、「参加者が増えて私の仕事が余りなくて暇になっちゃったのよ。」との事。これはむしろ決断の時、とばかりに「そんなら私は今回は辞退したい」と伝える。明日からはこの許せない詐欺商法をどうにか法律で取り締まれるように関係団体に働きかける事に動き出すぞ!!! 個人事業主の抱えるトラブルを皆で訴えよう
2009/04/22
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昨日の状態が気になり朝から病院に電話を入れる。とりあえずは落ち着いているらしいので、又夕方に行きます、と伝える。実は3年前に家にコピー機のリースを入れた同じ会社から同じ若い営業マンが来て、「介護している人にぴったりの電話ですよ。今の電話はファックスがついているので、邪魔でしょう。コピー機がファックス付きなのでいらないですよね。もっと便利な機能がついている電話に代えませんか」といってきた時、私は自分の年金の申請などで、何度となく社会保険事務所に出かけなければならなかったり、会議などでもやむを得ず出かけると予定より遅くなってなかなか家に帰れない日が続いていた。営業マンの「ハンズフリーで電話を取らないでも外から電話で話が出来るのでご主人の介護にも便利ですよ」と言う言葉にすっかり載せられてリースを契約してしまったのだった。しかも当時車2台分の支払いがあり「それにさらに支払いが増えることは無理だし、介護生活で仕事もできないし収入もなくなっているので支払いがいつまで出来るかも解からないから無理よ。」というとその営業マンは「今の支払いと変わらなければいいですか?」といわれるので「まあ変わらなければいいけど」と言う私の言葉を好いことに、彼は私が主人のいる部屋へ行ったりきたりしているのをよそ目に、どんどん書類を作り上げ「ここにこう書いておいてください、ここはこう」と実際に無い年収まで書いてしまったのであった。その後、電話工事が入りいやに立派な機械が取り付けられたり、アンテナも病院並みの大きなものが取り付けられ、ずいぶん大げさな装置だな、と思いつつも、介護生活で忙しく過ぎてしまった。年が明けてからそういえば内訳書ももらってないで月の支払いだけを確認したもののどうだったのだろうと、気になって内訳書を送って欲しいと電話をして送られてきたファックスを見て私はびっくり仰天したのであった。車の残金は仕方がないとしても、電話代の高すぎる明細にびっくり仰天したのである。即電話で「こんな高い電話だとわかっていれば契約しなかったのに」とというと彼は電話口で「月の支払いにリース期間が書かれいるので了解されたと思っていました。内訳書も請求されなかったので」というのである。私はしまった、と思った。介護で頭が一杯になっている自分も馬鹿だった。もっとしっかり確認してから判断すべきだったのにと後悔する。その後も何度と無く苦情を言うが彼は「車のローンが払い終わった頃に又考えましょう」の一点張りだった。こちらも車のローンがあるので仕方が無いと思いながら、しかも契約相手がその営業所ではなく、リース会社だと聞かされ会ってもいないリース会社と契約を結ばされるシステムを知り又怒りがこみ上げて、今度はリース会社にその当時の事情を文書で書きファックスを送った。しかしリース会社は直接関与していない上、リース契約は途中解約はできない、というのである。実際は事務機器に車のローンを抱き合わせる事はやってはいけない事だったらしい。営業所は「まあ皆やってることですがね」との事。それでも全く個人的な理由で会社の業務のために入れたのではなかったことを強調するものの埒が明かず、何しろローンの支払いが終るまではこちらは強く出ることができない立場に追い込まれてしまった。それでも本来なら昨年夏にはローンの1台分が終わり今は残りの1台分だけを払えば好い時期だというのになぜ2台分の金額以上のものを払い続けなければいけないのだろう、ということが見えてきて、又一層腹がたってきた。見えてきたということは私も大分冷静に物を考えられるようになって来た証拠でもある。以前にも市の相談会に行って弁護士に聞いてみた事もあったのだが「家庭裁判所にでも相談しますか、それにしても設計士さんがどうしてそんなものに騙されたんですか」といわれ落ち込んだり、家庭裁判所まで行く時間は取れないまま今日まで来てしまったのだ。消費者センターにも聞いてみたら「リースの場合は消費者センターでは扱えないので司法書士さんに相談してください」と言われ昨年末から地元の司法書士に相談を始めてはいたのだ。年が明けて相手側から和解の話が来ていたのだったが、現物の買取で和解という提案だった。確かに払い続けるよりは半分以下で済む様だが、私の怒りは人の弱みに付け込んで営業をしてまでリース契約を結んでいった営業会社に対して怒っているのであってそのことは全く相手は不正は無いと言い張る姿勢が許せない気持ちで、どうしてもクーリングオフを主張したい、と最後の通知書を送ってもらったのである。こちらの落度は確かに金額を確かめなかった事、年収をいわれるままに「適当に6百万ぐらいに書いて置いてください」という言葉にそういうものかなと疑いも持たず実際はその十分の一もないのだけれどいいのかしら、と思いながらもいわれるままに書き込んでしまった馬鹿な自分がいた。しかも難しすぎる機能は結果的には使いこなせず、寝ている病人に一方的に外から声を掛けることは結局出来ないまま全く入れた意味をなしていない状態なのである。司法書士さんには「ある程度は妥協が必要ですよ」と言われた。事務所をやっている友人にも今日は来てもらって話をするとやはり「和解金を払ってある程度こちらの非も認めたほうがいいよ。これ以上トラブルを長引かせるのも大変じゃないか」と言われた。確かに家庭裁判所に持ち込んでも時間もお金もまだ掛かるとしたらエネルギーの消耗にもなる。どうにかこういったリース契約の犯罪を取り締まってくれる法律を作って欲しいと思うばかりである。同じような被害に遭っている個人経営者は多いのではないだろうか。皆で声をあげて被害をなくす方法を考えていく事は今後の課題であろう。まだ結論は出ていないが和解の話をリース会社には一応伝えた。リース会社から営業所に聞いてみてくれる事になっているが返事は後日になるだろう。介護の負担に加え介護の為にとんでもないものにまで引っかかってしまった自分が情けない。
2009/04/15
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「3案を提案しましたがそれぞれに大変すばらしい案でした。」と言う事でただし、使う側からの要望に合わせると問題は有るわけで、ここにそれぞれの回答をいただきとりあえず、働くスタッフにとってのより使いやすい案をメインにして、、次回までに3案の好いところを取り入れたプランを一案にまとめてくる事に決まりました。主人は朝から起きて意外と元気だったので、午後の会議に合わせてお昼も看護師さんに来てもらったり、合間にヘルパーさんを呼んでおいたり、と準備していましたが、夕方にはリハビリの先生も診えて、結構しっかりしていたようで余り心配しなくても良かった一日でした。
2009/03/09
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先週からかかわっていた市の病院付属の、助産施設の基本設計の案を持ち寄る、という予定の日が、一日早まってしまいました。一緒にやっているお仲間の若い男性の設計事務所の方は早々と案をまとめてしまったらしく、早めに集まることになったようで、私は主人の介護の合間にやるので、取り掛かるのも遅く、仕方なく日曜の夜も、食事時間以外は全てスケッチに没頭しました。先週はブリッジを掛けている歯も痛くなってしまい、歯医者にも行っていたのでなおさら遅れていました。それでも既存の建物との兼ね合いも考慮して、個室出産を前提とする助産所という新しい試みで提案するコンセプトも出されていて、あくまでも助産婦さんがお産を手助けするという考え方で作るのだそうです。水中出産も出来るようにということで、お風呂場にもどのような位置で浴槽を設けるべきか、考えました。緊急時の為にも救急車への搬出用出口も必要と考えていくとだんだん広がってしまいました。とりあえず全体の要望を取り入れて、レイアウトしていくと私の案は2階の多目的室も入れたら700平米近くなってしまいました。多分これでは予算オーバーだろうなと思いつつ、持ち寄った案を見せ合いながら、まだ情報不足でもっと助産師さんの意見などを直接聞く時間もお願いする事にしました。一方で既存の建物があるので隣接して建てる場合の建築基準法もしっかりチェックしないと希望どうりの「木造のやさしい建物が欲しい」という要望に答えられるかもきちんと確認しましょう.という事になった。一週間後にさらに調整して、外観も決めて屋根伏せ図と立面図も添えてそれぞれにまとめて面積は500平米以下にする事で解散した。一週間後は担当の助産師さんや病院関係者も同席してもらう事にした。楽しく過ごせて、安心して出産が出来る場所を提案できる事を願って、しばらくはそれで時間を上手に使っていくことになる。主人の状態も一喜一憂ではあるが時間を抜ってやるしかない。
2009/02/24
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先日来、市のボランテイアグループに、地元の市立病院に産科を増設したいので、相談に乗って欲しい、という依頼があったということで、リーダーの方から参加するかどうかの問い合わせが来ていました。私も一応メンバーではありましたが、主人の事で余り活動には参加していませんでした。しかし家に閉じこもって居るよりお仲間と一緒なら何か参加してもまた役に立てると言う事であればと思い参加する事にしました。打ち合わせに出て行くととりあえず助産婦さんや産科の先生達からの要望をまとめた図面が提示されました。内容の説明を受けながら、今までに無い授産所として発信したいと言う意図が伝わってきました。それを参考にしながら案を出して欲しいという事でした。参加メンバーは責任者であるリーダーとサブリーダー他3名でしたが、案を考えるのはこの3名に任すという事になり、その一人である私は何処まで出来るか不安はありましたが、せっかくの機会だし、楽しく気持ちよく出産が出来る為の場所を提案する事は、今できることとしては丁度好い仕事かもしれない、と思い引き受ける事にしました。本来の人間の出産のあり方なども問われる時代になっているという事は新聞記事などでも多少知っていましたが、少子化の時代に安心して出産が出来る環境を市町村が整えていく事は、本当に大切な事だと感じているところですね。 楽天ランキング上位常連!販売数10000枚突破!生まれたて~3歳位まで長く使えるオランダのTUUF'...
2009/02/12
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青年女性委員会と言う部門があるのですが、その一巻として「らいてうの家」プロジェクトの発表をお仲間の人がやってくれる事になっていて、初めて発表をじかに見せてもらいました。準備の時などはある程度お手伝いさせてもらっていたのですが、実際の発表を見せてもらったのは今回が初めてでした。パワーポイントで大変わかりやすい表現で,図式などふんだんに取り入れての内容で、本当によかったです。他にも活動内容を発表する方が居て色々勉強になりました。その後は歩いて松本市美術館によりました。松本出身の日本画家の作品展を見て、これまた感動しました。15歳から画き始め28歳で亡くなってしまった天才画家ですが、その画業の多さに圧倒されました。日本画と言ってもその生き生きとした筆遣いが人々を魅了していたのだと思い余りの若さで亡くなってしまった画家の偉業に圧倒されました。その後は又歩いて松本上まで行き,天守閣までやっとの思いで上り昔の城主の感慨を少し感じました?松本城は昔のままの材や仕上げが残されている数少ない城で、貴重な文化遺産です。寒い一日でしたが何年ぶりかでこのような有意義な一日を過ごして、このところ介護で明け暮れていた私にとっては夢のような一日でした。夜の懇親会まで出席し、久しぶりにお会いする方々も居て昔の自分に帰った時間でした。
2008/11/08
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当たり前にやっていた事がここ4,5年出来なくなってしまった事で、自分に対しても自信を失いかけていた感あり。仕事があっても病人を抱えている状態では無理、とほとんど面倒な頭を使う部分は若い方に手伝ってもらってやってきた。自分で処理できる範囲として、古い民家の改修仕事などの確認申請の必要のない物件など、新築仕事があってもたまたま簡単な工事届けだけで済む地域の仕事などで、それでも全く仕事をしていなかった訳ではなかった、と改めて気付く。今回も古い民家が見違えるように民家再生の被写体にしてもよい位のできばえで仕上がったのだが、これも皆かかわる方々の情熱と、意欲が成せた結果である。私は簡単な改修部分の現地確認をして、何も無い状態から図面を起こして、必要事項を書き込み、業者さんに見積りが出来るようなたたき台となる図面を画いただけなのだが、それが無いと確かに何も始らない、と言える。約8ヶ月のお付き合いだったが、寒い時期から始って、夏の暑い時期を経て、寒くなる前にどうにかきれいに仕上がったという所。経過写真をまとめて、仕上がり状態を改めて写真にとって、ホームページにもアップする積りではあるが、3年前にやった民家改修の工事も今考えてみるとやはり、使う人の情熱が全てを解決して、好いものが出来上がったのだ。その時もすでに私は主人の介護をしながら仕事はしていたのだ。介護の合間を縫って図面を画き、現場に通い、みんなの喜ぶ顔を見ながら、主人の状態を気にしながら、時折は落ち込みながら、病人が居る事で余り充分な事はできない、と施主様にはご理解いただきながら、やってきたのだ。民家改修をして、宅老所を開設する、という目的であった事で皆さん主人の状態に対しても充分ご理解いただきながらの仕事だった事もあって、成り立ったのかもしれない。改めて感謝の気持ちで一杯になる。今は簡単な物置の確認申請の仕事が友達からの依頼でお手伝いした訳だったが、それもどうにか2人で協力して終る。現場も病院へ行く途中なので寄ってみる事も出来る。以前の仕事もたまたまとは言え、織物の先生の仕事場兼住宅だったが、それも病院へ行く途中にあったので、現場だけは結構通うことが出来たのだった。しかも主人が入院中に工事が進められていた、という偶然も重なったという事で、今考えると本当に不思議に恵まれていたと言える。きっとこれからも細々とは言え、仕事は続けられるのかもしれない。近いうちにこれらの仕事もホームページにアップする準備に入ります。
2008/10/28
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仕事を引き受けたというのに昨晩又食中りになってしまった。前回の症状はすっかり良くなった積もりだったが、どうも体力が落ちているのか、免疫力が低下しているのか、又食中りになってしまう。何しろ少しでも古い食品はいさぎよく捨てるべきなのに、自分が食べるからとかえって過信して過熱すれば大丈夫と思って使った事で、又食中毒になってしまう。情けない気持ちと、仕事ができないことで迷惑をかけてしまうことへの焦りがかえって症状を悪化させるかもしれない。もう若くないし、食材を購入しても一人なのでどうしても残りがちなのがいけない。こんな事なら無理に料理もせずに独り分のお惣菜を買ったほうが安全で、経済的かもしれないと思い始めた。家族が居れば消費してしまうところ残る事が多い事が一因なのだ。免疫力を回復する事を考えよう。病気やストレスを全て防ぐことは不可能だが、病気に強い体に変えていくことはできる。免疫力が強い、健康長寿者の特徴とは。本書では、免疫力を増強し、元気で長生きできる生活習慣についてわかりやすく解説しています。 病気は自分で治せる!副交感神経を優位にして、免疫力を高める。ストレスがたまってると感じたら休養をとって副交感神経を優位にすることで、だいたいの病気は退散するものだ。
2008/10/21
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主人が入院したということで、いろいろな事が急に動き出して毎日忙しくなってしまった。主人もやっと60歳になったので年金の申請が出来る事で、書類の用意など、あちこちに連絡をする。発病前の時期に年金をまじめに払っていなかったので、障害者年金がもらえなかった分やっと年金が受けられる年齢になった。開けてみないと解からないけれど、払っていない時期も長いのでどのくらい受け取れるか申請してみないと解からない。友達から仕事を手伝って欲しいという事で、現地に測量に行く。既存の建物を測り、古い図面も無いようなので、敷地境界線から、建物の位置、道路幅員など全て測る。終ってからお宅によってお茶をご馳走になる。庭には大きなイチジクの木もありもぎたてのイチジクもご馳走になる。72歳の大工さん仲間とその友達で同級生だそうだ。皆さん元気で、若い頃の稼ぎまくった頃の豪快な話も出た。建具やさん、大工さん、当宅は農家らしい。古い米倉があり、木造の立派な建物だ。その隣に物置を建てたい、という簡単な仕事ではある。私にとっては久しぶりの新築仕事で、少し緊張する。一緒にお友達も行ってくれてもちろん彼女の知りあいの仕事だから私はお手伝いである。しかし一番うれしいのはこうして色々な人に会ってたわいも無い話をする事が何より楽しい時間だ、という事だ。昨日も久しぶりに、主人の雇用保険の書類をもらいに行ったついでに近くにある、主人がお世話になった木工機械の会社に寄って見た。奥さんに会えて良かったのだが、ご主人はもう大分前に亡くなったのは知っていたが、娘さんが、くも膜下出血で亡くなったという事だった。45歳の若さだった。皆色々な哀しみを抱えて生きている。今在る自分に感謝しながら、生きている事を感謝しながら毎日を過ごさなければいけない、と再確認した。我が家の家の中は植物が生き生きと繁殖している。この植物たちも生きているのだ。そろそろ寒くなるので今は外に出している植木が又家の中に戻ってくる。
2008/10/17
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雨の日が多くなったせいですっかり寒くなっていますね。ここは標高が910メートルなのでかなり寒いです。夜は毛布を出してお布団を掛けていないと寝れないほどになってきました。主人は相変わらず不定期で起きたり寝ていたり、寝ている時間帯は全く静かに寝ている時も在りますが、トイレには起きるので、やっと立ってトイレをすると床を汚すので、便座に座ってやるように気を効かしてくれる様になりました。ただし割合意識状態が好い場合ですが、睡眠状態でトイレがしたい時は、夜昼関係なくうなり声が出るか、間に合わずに自分で着替えたいといって普通にパンツになっている時などは又、着替えなければならず本人も自分の体なのに、自分の意思と関係なく急に体が動かなくなる時間帯が常に来てしまうことを悔しく思っているのでしょう。仕方なくリハビリパンツに着替えて、朝はパジャマは脱いでもリハパンでズボンだけはきかえるだけで納得してくれたのか、今朝は自分でズボンに着替えていましたが、中はリハパンでした。ありがとう。その上トイレに起きて来ても便座に座って居るので、大便?と聞くと首を振っているので、おしっこ?と聞くとうなずいていましたので、ありがとう!と言いました。このところお仲間でやった「らいてうの家」の事で先輩や後輩から奨励賞に応募しませんかと言ってくださっていたので、みんなの了解を採って、とりあえず応募だけはする事にしました。申し込み用紙の締め切りが明日までなのでそれの概要内容などの文章を作るのに又時間がかかって居ました。病人の事をやりながら何か一つやろうとすると、一々時間が掛かってしまい一日に出来る作業は本当に限られてしまいます。又最近は家の中の汚れも目に付くようになって、古いカタログの整理や、要らない本の整理なども合間にやっているので忙しいです。勤務仕事を止めてもう11年目だと言うのにやっと最近整理する時間が出てきたところ。勤務をやめて最初の2年半は役員の関係で忙しく、その後は待っていたかのように自分の母が介護を必要とするようになり、それでも家で出来る仕事をしながら3年半が過ぎ、母は他界しましたが、その後は少し主人の仕事を手伝いながら、だんだん主人の体調も余り良くないと感じていたのでしたが、いよいよ最悪の状態が発生したのが7年目でした。それからはただひたすら主人に振り回される毎日で、あっと言う間に4年半が過ぎました。やっと少し冷静になれる時間が出てきたと言えるのでしょうか。家の中のことが目に付くようになり整理を始めた処です。「らいてうの家」平塚らいてうの記念館としてオープンしてもう2年目です。全国から大勢の方が見学に来られるようになっています。県産の地元の木材をふんだんに使った建物で、木の香り一杯の癒しの空間となっています。開館期間は5月から10月までです。ぜひ一度行って見てください。「らいてうの家」 http://homepage3.nifty.com/raichou/index.html
2008/09/29
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お天気も良く、がんばってリハビリの先生からの依頼で仕事に行ってきました。リハビリの先生は、医療法人で宅老所も少しづつながらやっている方ですが、空き家になった民家を借りて地域のデイサービス用に宅老所を開設するのが長野県では最近多くなってきました。以前、主人の状態が悪い時期ではありましたが、障害者支援センターの仕事で植物状態になっていた方の住んでおられる市営住宅の支援改修工事をしたお宅のその方を介護しているお姉さんからの紹介でもあったので、がんばって引き受けたことがありました。その植物状態だった妹さんの病気の原因は産褥熱によるものでした。でも今は起きて食事もするようになっているそうです。諦めない介護とはこういうことだと思います。そのお姉さんとお母さんには本当に頭が下がる思いです。古い民家を借りて内装や水周りを抜本的に改修し、障害のある人も利用できるようにリフォームして、それまで空き家になっていた家が生き返るのです。ほとんどの空き家は家の裏に敷地がある方は新築の方に住んで古い家は物置状態でほったらかしです。ほこりだらけで昔の暮らしがまるで惨めな薄汚れたものの象徴のように現存しているだけであった所に、少し手を加えるだけで人が集う暖かな場所に変身するのです。これはまさに究極のビフォアーアンドアフターです。人の住まない家は悲しく寂しい状態はその家で過ごした人々の歴史が埃をかぶっていると同じです。それが生き生きとよみがえるのは感動ものです。今回は15年前にそこに住んでいた老夫婦が亡くなったあと、子供たちは都会に、又近隣に居るにせよ、まったく空き家になったままお仏壇も引っ越してしまいがらんどうの仏壇が残されている状態でした。北側の部屋は特に物置状態で、ほこりだらけのままでした。これを又きれいに片付け、リフォームすることで人が集う場所として使うという計画です。半年後が楽しみです。家からも近い所なので現場監理にも行けそうで引き受けることにしました。一番お金がかかるのはやはり水周りといえるでしょう。これはしかし止むを得ないでしょう。お年寄り、病気や障害のなどのある方の為のデイサービスに使うとなれば一番きれいにしたい部分ですから。今は都市部に住んでいる家の持ち主のご夫婦も来ておられました。空き家状態にして置くより活用できしかもリフォームまでしてもらえるとなればむしろうれしいことでしょう。以前の時も、家主さんはこんなにきれいになって使えるとは以外でした。といっていました。午後からは母のお茶のお仲間の元英語教師の先生のお宅に行きました。そこでであった話は又時代を超えて孫の話から始まり、お父様の話まで戦前戦後そして現在未来へと連綿と続く一族のお話が聞けました。1時間半ほどの訪問時間でしたがそれはもう1人の人生の記録として記述して残してほしい、と今は元気な老後を過ごしているその先生にお願いして帰ってきました。キャリアウーマンの草分けです。いまだに運転をして働く娘さんの変わりにお孫さんの世話に、自分の趣味にと忙しい毎日だそうです。そのお話は又明日にします。お楽しみに。主人は家で睡眠中、午後はリハビリの先生が来ている間に行ってきました。
2008/02/28
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本業は自営業です。主人とやっていましたが主人が仕事が出来なくなってからは私も仕事は出来なくなっていました。でもお仲間に助けてもらいながら一年に一件ぐらいのペースで仕事はしてきました。今年は小さな増築仕事だけでしたが、色々やっては来たのです。やっとホームページ更新できましたので、良かったら見に行ってください。http://www.tok2.com/home2/atoriebakukentiku/ 初孫は9ヶ月に入りました。
2007/10/18
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