From~AVALON

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spirit,a soul



単純であり、複雑である



inside と言っても、まだ自分のことをつかめていない

人生を語る歳じゃないだろうと言う人もいる

でも10代なら10代の、60代なら60代の人生観がある

なにを言おうと、どう思われようとその人次第

刺激をうけて変わるものもあれば

揺るがないものもある





自分の気持や考えを人に伝えるのは

simple = complicated

単純で複雑

あっさりいくこともあれば、頭が痛くなることもある

でも、もしかしたら

それは自分の気持次第じゃないのか?



ある話のなかで僕の友人は言った

「自分のことを全部わかってくれる人じゃないと付き合えない」

僕は自分の全部を知らない

どこまでが自分の全てか知りえることがあるのか?とも思っている

今認識できる全て、だとしても

相手がわかる、理解してくれていると

いったいどう判断するのか

この友人の言葉にたいしての受け取り方も、いろいろあると思うが

僕が友人に同じように尋ねると

確かに自分の言う「全部」がわからない、とだけ言葉をかえした



この子の言った「全部」とは

1~10まで

100あったら1~100まで

という意味だった

つまり、なにをしているか、好きか嫌いか、なにを感じているか

「なんとなく」ではなく

「トイレに入って、紙がなかったらどう感じるか(思うか)」

ぐらいのことまで知ったうえで、ということだ

「まさか」「そんな」

そう思う人もいると思う

でも僕は、この子の言った言葉を↑のように、本当に思っているということが

すんなり頭に入ってきた

「感じる」とか「察する」ということが

この子との間でできた、ということかもしれない








人に気持や考えを伝えるには

「言葉」や「文字」では足りないと感じている

よくある話で

僕は人の「痛み」がわからない

どう痛いのか、どれくらい痛いのか

ジンジンするのか、ヒリヒリするのか

言い出せばキリがないことだ

「伝わった」「わかってくれた」と「伝わらない」「わかってくれない」は

「右」と言って左を向かれるような場合と

所謂「説得」するような場合を除いて

「自己満足」や「思い込み」ができるかどうかだと思う











「したいこと(好きなこと)ものが無い」

「ある人(↑のようなこと)がうらやましい」

「自分の気持がわからない」etc......

こういうことを聞くことが多いし

実際僕もそうだった



ある大手企業の重役が、40代の働き盛りで

突然会社を辞め田舎に引っ越して畑仕事をする



代々続く和菓子屋を継いで

一生和菓子を作って生きる



「やっとしたいことが見つかった」

「これしかないし、和菓子が好きだ」


前者のほうが多いだろう

就職して定年まで

そう思える人はたぶん少ない




今僕は、夢に向かって突っ走っている

「どうしたら見つかるのか」

そう聞かれることが多い

僕は探さない

そう答える

なんにもしない




僕はアメリカに行った

どうなってもよかった



僕の人生の転機だった

1じゃなくて0からのスタート

知っている人は誰もいない

なにをしようと自由だった

なにもしたくなかったらしなくていい

でも人と話すと、僕は自分の名前しか言えなかった

相手の名前しかわからなかった

話したい

聞きたい

伝えたい

知りたい

心からそう思った

帰国するころには沢山の思い出ができた

何十という国の違う人との思い出

人と話さなくても生活はできただろう

でも僕は話したかった







「自由」になればいい

なにも制約はない

魂が、心が欲するのを待つ

僕は毎日空を見る

毎日心の声を聞いている









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