南の島のコンシェルジェのお仕事(1)




【jujusaさんの年表】

7年前
初の海外生活。(イギリス、マルタ)
旅に目覚める。
ヨーロッパお気楽旅 イギリス、スペイン、マルタ、スイス、イタリア、ギリシャ。
5年前
ニュージーランドへワーホリ。
なのになぜだか、アジアに目覚める。シンガポール、タイ、マレーシア。
3ヶ月で使ったお金たった10万円!

3年前
カナダへワーホリ。
初めての国際ホテルでのお仕事!しかし、事件の多い1年であった。
2年前
南の島でコンシェルジェ。
天職発見!
最近
突然霊感の強いお客さんに、老舗のお店に嫁に行くと予言される。
エ~、私は旅人でいたいのに・・・といいつつ、結婚できると聞いてちょっとうれしい。
予言によると・・・
老舗ののれんのあるお店に嫁に行く。金持ちらしい。怖い姑つきらしい。だんなは私のタイプの人ではないらしい・・・男の子を産むらしい。 ほんまかいな??

性別 女性
誕生日 6月7日(双子座)
このたび仕事を辞めたので、しばらくはただのの旅人になります。

好きな言葉
夢を見続ける力がなければ夢を叶える力もない。

はまってること
グリーティングカード作り
夢・目標
世界のどこかで旅の宿


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小さな幸せ。 2001年11月10日

今日お客様からプレゼントが届きました。
プレゼントといってもリボンに包んだ高価なものって言うのではなくて、サンタの帽子と日本のおせんべいなどです。
私がコンシェルジュとして働くようになって心がけてることその1、一度でも会話したお客様の顔と名前を覚える。
当たり前だけどもちろんなかなか難しいのです。1日に会話するお客様の数、数知れず。もちろん話す内容もさまざまです。次にお会いするのは1時間後、1日後、はたまた1年後かもしれません。でも、次にお見かけしたときにお名前を呼べたり、話した内容に簡単に触れたりするとお客様からの信頼度がぐっと増すような気がします。
私の場合、たいていは子供がらみで覚えます。親の名前が呼べなくても、子供の名前を呼べれば親はニコニコ。もし忘れちゃっても、「あれ、お名前聞いたよね。」なんて話かけると「うん、のぞみ」などと子供は素直に名前を答えてくれます。
今日も午後のチェックインのとき、見覚えのある7歳くらいの男の子がいました。でもどうしても名前が思い出せません。ところがその子が私を見て嬉しそうに手を振るのです。「やばい、誰だっけ・・・」頭を悩ませた結果、到着リストのなかからそれらしき名前を見つけました。しかしまだちょっと不安、というわけで勇気を出してごあいさつに行きました。「こんにちは、お久しぶりですね」振り向いたお母さんが「わーまだ働いてらっしゃったんですね、よかった。」ハズカシそうに隠れてる男の子に向かって「よかったねーまー君。」「!」不思議なことに名前を思い出すと記憶もいもづる式によみがえってきます。去年のクリスマスにはしゃいで転んで怪我をして、手当てをしてあげました。「まー君、足は治った?」まー君は嬉しそうにひざ小僧の傷を見せて「治った!」というと「お土産持ってきた」とかわいいサンタの赤い帽子をプレゼントしてくれました。些細なことですが、思い出せた私も持ってきたお土産を無事渡せたまー君も、もちろんまー君のお母さんも嬉しい笑顔でいっぱいでした。
それから何回かコンシェルジェデスクで仕事をしていて視線を感じるとまー君がロビーの端っこからこっちを見ていました。
ほれられちゃったかな~。彼氏いない歴9ヶ月、ひさびさの熱い視線に小さな幸せを感じてしまいました。




Concierge/コンシェルジェとは? 2001年11月11日

日本ではまだ聞きなれないこの言葉、ご質問もあったので簡単に説明しますね。

簡単に言えばホテルの何でも相談係。レストランやショーの予約、街の案内、苦情をお聞きしたり迷子のお世話もします。とにかく何でも困ったことや分からないことがあったら相談にのるお助けマンです。ヨーロッパの中級以上のホテルにはほとんどといっていいほどあり、日本でも最近は大きなホテルでは見かけるようになりました。ロビーのたいていは玄関の近くにデスクがあります。アメリカではゲストリレーションズと呼ばれることもあります。
私のイメージするコンシェルジェは、いい感じの年季のはいった年配のホテルマンで、とりにくいレストランや、ミュージカルショーの席などを独自のコネで取って、こんなのお茶の子さいさいってなかんじでウィンクしちゃったりします。
私がそうなれるまでにはかなりの修行が必要だけど・・・
私はたまたま、雇われたホテルで私のやりたいことを説明したらゲストリレーションズに配属されてこの仕事を知りました。今のホテルで2度目です。
相対的に日本人のお客様はコンシェルジェの使い方があまり上手ではありません。どんな些細なことでも、お客さんのご要望にお答えするのがコンシェルジェの仕事です。例えば、私はアメリカ人のお客様にメーカー指定でオムツを見つけてほしいといわれたことがあります。それがマイナーなメーカーで片っ端からスーパーに電話をかけました。別のロシア人のお客様には結婚記念日当日朝に、その日の午後4時までに赤いバラを50本といわれたことがあります。同僚が昔いたラスベガスのホテルでは、飛行機チャーターの依頼を受けたこともあるそうです。
時には、ホテルの設備やスタッフの対応に不手際があり強くお叱りを受けなくてはいけないこともありますが、(謝るのも私たちの仕事のうちです)お客様のご希望が叶って、ありがとうといわれるとそんな苦労も何のその!もっとじゃんじゃん利用してくださいね。

ちなみに日本では、フロントや、フロントのマネージャーあたりがこの仕事をしていることが多いのではないでしょうか?ドラマ「ホテル」の高島弟のような・・・

ちょっと長くなったので、このへんで。今日は朝から事件?があったのですが、それはまた明日。明日はオフです。わ~い!!



2001年11月12日
お好み焼きと消えた新妻

ショックです。ほとんど書き上げた日記がホテルの突然の停電のため消えてしまいました。気を取り直してまた書きはじめたいと思いますが、途中で下書きとしてセーブできないのかなあ・・・

それではあらためて、昨日起こった事件です。
いつものように朝8時私がデスクをあけていると、一人の男性がやってきました。「韓国語は話せますか」残念ながら私の韓国語はかなりの初級です。「ごめんなさい、話せません。何かお手伝いできますか?」私は答えました。彼はがっかりしたようでしたが、たどたどしい英語で話し始めました。ところが聞き取れたのは「Tokyo,Japan,Pizza」う~んと考えて私はひらめいた。「Japanese Pizza=お好み焼き!」そしてお好み焼きを食べられるお店の紹介をはじめました。ところが「NO,NO,NO」そして「Can I go to Tokyo...Japanese pizza?」「!」またひらめいた。「東京でJapanese pizzaが食べたいの?」私が聞き返すと「Yes」というではないですか。これまたびっくりのリクエストですがお客様のご要望とあらばここは腕の見せ所、私は詳しくお客様の情報を聞き始めました。ところが、どうも話がおかしい、というかかみあっていません。そこでたまたま通りかかった韓国人ガイドに事情を話して通訳を頼みました。彼女はそのお客様の言うことをふんふんと聞いていましたが、彼が「Pizza」というとああ~という顔をして私の顔をみて、「Japanese VISA」と笑いました。ここまではいいのです、単なるピザとビザの聞き間違いだし。ところが話を聞いている彼女の顔がだんだん険しくなるのです。そして「ここから東京へ飛んで、乗換えをして韓国へ帰るには日本のビザは要らないよね。」と聞きました。もちろん入国しない限りビザは必要ないので私がそう答えると、彼女はまた話し始めました。しばらくしてそのお客様はすこし不満足な顔をして帰っていきました。何もわからない私は「なになに、どういうこと?」彼女はハハハーと笑うと声をひそめて教えてくれました。

そのお客様はハネムーンで当ホテルにお泊りでした。ところが昨夜新妻とけんかをしてしまったのです。彼は怒って部屋を出て一人でお酒を飲み、夜遅くに部屋に帰りました。そして翌朝目が覚めると新妻は部屋にいませんでした。いつも一緒にご飯を食べていたのに、勝手に先に行きやがって!彼は怒ってそのままコンシェルジェに来たのです。そして、もう彼女とは一緒にいたくないから先に帰る、と日本経由で帰る方法を思いついたのです。もちろんガイドの彼女は何とか彼をなだめて彼を部屋へ送り返したのでした。「全く子供みたいだね」と私たちは笑ったのですが、話はそこで終わらないのです。

しばらくすると彼がまた帰ってきました。新妻がまだ見つからないというのです。なんだか雲行きが怪しくなってきました。私たちは手分けをしてホテルの中をくまなく捜しましたがどこにもいません。怒っていた彼もだんだん心配そうになってきました。そこへ韓国の旅行会社の担当ガイドがやってきました。通常韓国の新婚さんは、一人で行動したりしません。本当にラブラブでいつも一緒です。だからどこかに一人でいたら結構目立つはずなのです。私たちは、一体どこに行ったのだろうと頭を悩ませました。
「!」嫌な予感がしました。
「もしかして、もう韓国へ帰ってたりして・・・」
担当ガイドはすぐさま航空会社に電話をかけ始めました。彼は部屋へ航空券を探しに行きました。予感的中・・・新妻は昨夜のうちに自分でチケットを変更し、荷物もほったらかしてさっさと韓国へ帰ってしまっていたのです。しかも彼が酔っぱらて部屋へ帰った時にはもういなかったのです。そうなると夫である彼はさらに激怒です。「今すぐ帰る!」と遠回りで追加料金を払っても帰ると担当ガイドに言い始めました。こうなるとコンシェルジェである私よりも旅行会社と話してもらったほうが簡単なので、後は任せて私はその場を去りました。
全くお騒がせカップルでした。彼らは無事韓国で再会したのでしょうか?それともまだけんかをし続けているのでしょうか。それにしても思い切りのいい新妻ですよね。しかし考える方向は似てるんだから、(夫の方が遅い判断だったけど)意外にうまくいくカップルかもしれないのに・・・とか思ったりして。

今日はオフでした。関係ないけどクッパ(韓国の汁ご飯)とお好み焼きを食べました。おいしくて大満足!

2001年11月13日
ハネムーンなのに?

結婚式がありました。
私はコンシェルジュだけでなくウエディングコーディネータも(一応)やっています。うちのホテルでは数が少ないので、そのためだけのスタッフというのがいません。通常はF&B(Food and Beverage)のBanquet(宴会担当)がやることが多いのですが、日本人のお客様の場合はお世話をさせていただいています。
通常、日本から挙式予約を受けたウェディング会社からホテルにチャペルの予約が入り、そのあとのお世話をお手伝いするのですが今回のお客様はちょっと変わっていました。
到着日、お部屋に間違いなくプレゼントとシャンパンが届いているか確認しようとコンピュータを確認すると、花嫁と花婿が別の部屋に泊まることになっているのです。もちろんこういうこともあります。ご家族と一緒に来られてて、部屋の移動が可能の場合。
でも今回のカップルは男3人、女3人で2部屋。しかも全員苗字が違うのです。
「???」一体プレゼントはどちらのお部屋にお届けしようかと思いましたが、結局花嫁のお部屋に届けました。
そして結婚式当日、現れたのは年代もまちまちの男性2人と女性2人そして花嫁と花婿(若い)。はたしてカップルとゲストとの関係は、そして彼らの初夜はいかにして行われたか?
1、カップル2人とゲスト4人で泊まった。(とっても狭いでしょう。)
2、初夜はおあずけ。(いまさら初夜もないのでしょうが。)
3、3×3でそれはそれなりに・・・・
大きなお世話なのですが、他のスタッフとともに意味もなく盛り上がってしまいました。

まあ、とっても幸せそうだったのでよかったんですけどね。


2001年11月14日
ああ忙しい。

昨日からなんだか忙しくて、何ででしょう?といっても仕事ではなく、プライベートなんだけど。そうえばニューヨークでまた飛行機が落ちましたね。ううう、せっかくお客さんも少しづつ増えてきたかと思ったのに・・・みなさーん怖がらないで旅行しましょう!!

今日も結婚式がありました。途中で列席の子供がぐずりだし大変でした。チャペルの外に連れ出して、ボールやジョウロとバケツにプールから水を汲んでご機嫌取りです。お昼寝時間を起こされて結婚式につれて来られたので、ご機嫌斜めだったとか。お母さんは式に出席するためにわざわざ飛行機3回も乗り換えてきたのに・・・(外にいたので見れなかった)とお嘆きでした。
今日のお式はとっても感動的だったらしく、列席したスタッフも思わずもらい泣きしそうになったとか。いつも流れは同じなのですが、たまにこういうことがあります。私もいいお式を見逃してちょっと残念。

明日から4連休で隣の島へ。系列ホテルがあるので、そこに泊まります。久しぶりの休暇、のんびりしよーっと。というわけで3日ほど日記を休みます。

2001年11月19日
ちょっといないうちに・・・

日曜日には帰ってきていたのですが、ちょっといないうちにホテルではいろんなことが起きていました。
詳しくは業界の秘密なのでいえませんが、とにかくテロが起きてから旅行業界は大打撃です。
こういうときこそ、ホテルの対応がものを言いますね。
飛行機は落ちません、テロも大丈夫です。
・・・とは言い切れないけど、世界は思ったよりも安全です。
早く世界に平和がもどりますように。

隣の島もやはりお客様は減ったということで、ホテルの明かりも少なかった。街はクリスマスにライトアップされてとってもきれいなのに、見るお客様が少ないのはとっても残念です。
いろんなホテルへ偵察に出かけましたが、コンシェルジェデスクはあるのにコンシェルジェがいないことが多かった。わたし達は何もなくても座っているのも仕事です。必要とされるときにそこにいなければ意味がないですよね。ただそこにいるだけのように見えて、忙しいのも事実。新しいイベント、新しいレストラン、街は常に変わっていきます。お客様に最新の情報をお届けするためにも情報収集は欠かせません。お客様のお手伝いをするために席をはずすことも多い。これはどうするべきか・・・
まだまだ修行が足りないですね。ガンバローっと。


2001年11月20日
関西弁のコンシェルジェ

もうすぐ12月やねえ。12月に入るとすぐ社員クリスマスパーティーがあって、各部署で出し物をするねん。うちの部署は去年はダンス、今年もダンス。今日初めて練習してんけど、リズム感無いから大変やわ。去年も誰よりも下手でかなりみんなから野次が飛んだし。まあ私も関西人、笑われてなんぼのとこもあるけど!(強がり・・・)

というわけで、関西弁ではじめてみました。私は生粋の関西人ですがかなり流暢な標準語を話せます。(笑)日本人のお客様と話しても、私を関西人と見破る方はかなりのつわものです。これは昔OLしていた会社で鍛えられました。その後働いた神戸のホテルでも、「関西弁は出さないように」と言われていました。「旅館じゃなくてホテルなんだから、格が下がる」という説明を受けたのを覚えています。今では立派なバイリンガルで、関西弁と標準語の切り替えは即座に出来ます。残念ながら英語と日本語の切り替えの方はまだまだ修行が足りずこれには及びませんが・・・
私個人としては方言は好きです。暖かくて味があって。でもホテル、特に一流といわれる所ではやはり方言は聞かないですね。やはり、誰にでも理解できる美しい言葉というのが要求されるのでしょうか。
しかし時には方言も武器になります。こんなことがありました。
私がコンシェルジェデスクに座っていると小学生くらいの子供が2人走ってきました。そして私をちらちら見ながら「ここかなあ?ハローっていうん?」と関西弁で相談しています。関西弁の子供には関西弁で返す、これは私のテクニックです。「どうしたん、何か探してるん?」へんに標準語で話すと子供は緊張して話さなくなったりします。が、関西弁だと安心するのか「あんな~・・・」と話し始めます。すぐ後からご両親が来られて、どうやら用事は部屋の清掃が済んでいないとの苦情だったらしいのですが、関西弁でお子さんと話していた私に親近感を持っていただいたようで、
ちょっと話しているうちに「忙しいとこ申し訳ないけど、はよ掃除してって言うといてくれる?」というやわらかい要求に変わっていました。お子さんとも仲良くなったので、それからはロビーを通るたびに気軽に声をかけていただいたり、ご質問いただ
いたり。めいっぱいコンシェルジェを利用していただきました。やはり同郷というのは親しみが湧くものなんですよね。
お客様に利用して頂かないと存在価値のないコンシェルジェですから、気軽にお客様に声をかけていただくような雰囲気にするのは大切なことです。お客様に楽しんで頂いて、満足していただければ必ずまた帰ってきていただけますからね。時々大きなホテルなどで、どーんと大理石の机を構えて威厳のありそうな人がコンシェルジェデスクにいることがありますが、なんだか声をかけづらくないですか?
私はスマイル、スマイルで身近なコンシェルジェを目指しますよ~(笑)


2001年11月22日
サンクスギビングとは?

11月22日Thanksgiving Day 聞いたことありますか?
この日は七面鳥を食べます。甘いいもとともに・・・そんなにおいしいものではありません。まあ好き好きだけど、私は苦手。
家族みんなで食事をする家族の日、らしいです。家族から離れてるアメリカ人はみんな家に電話をしていた。そして、日本からのお客様も日本に住んでるアメリカ人が家族と休暇をすごすためとおこしになっていますね。
う~ん、アメリカにはこのての日本人には不可解な休みがいくつかあります。例えばハロウィーンとか。なぜかぼちゃ?なぜ魔女?なぜ子供はお菓子をもらうために仮装して近所を練り歩く???
朝から夏休みぶりの忙しさで、何事かと思っていたらサンクスギビングでーでした。おかげでホテルはほぼ満室。レストランも大盛況で久しぶりに活気があふれていました。テロ以来、こういうことは無かったので、忙しくても嬉しい悲鳴です。
そういえば、そのサンクスギビングとは?なんですが、うちのBanquet Manager(宴会担当マネージャー)によると、かつてイギリス人がはじめてアメリカに上陸したとき、はらぺこだった。食べ物が無くて困っていると、先住民のアメリカ人(多分インディアン)が七面鳥を分けてくれてそれを食べた・・・ということらしいのですが、本当なのか?
そういえばイギリスにはクリスマスの翌日、ボクシングデーというのがあり、それは決してあの拳闘のボクシングではなく箱、BOXからきていてクリスマスの日も働いてくれた人をねぎらうために翌朝小さいプレゼントの箱を玄関に置いたことから始まったとか・・・
世界には不思議な休日がいっぱいです。
かくいう日本も、みどりの日、海の日、国民の休日・・・知らないうちに休みが増えていてびっくりです。もちろんなぜ休みなんだ!と外国人に聞かれると答えに困るんだけど。
ちなみに、七面鳥ってなんて鳴くか聞いたことありますか?
アメリカ人の友達がいる人は聞いてみてください。きっとこういうはず 「ゲボゲボ」
私はその音がおかしくて、それを聞いてから3日くらいはツボにはまって、アメリカ人に片っ端から聞いてましたね。ちなみにアメリカ人は「ケロケロ」という日本人のカエルの鳴き声が好きで、よくやってました。うーん、おもしろい。こういうの書き始めたらきりが無いのでこの辺で。今日はあまり、ホテルとは関係ない話でした。

2001年11月24日
自画自賛

なんでしょう、この忙しさ。まるで夏休みが帰ってきたみたい。そうなると我がコンシェルジェデスクも時間延長、夜遅くまであけています。本当はオフだった今日も急遽時間を変更したので、呼び出されて遅くまで仕事でした。久しぶりの夜シフト、なかなか楽しかった。レストランの予約、タクシーの手配、教会にミサの時間を問い合わせたり、飛行機のリコンファームをしたり、誕生日ケーキのオーダーを取ったり。はたまた、「ストリップに行きたい」という男性グループも来たし。ここで恥ずかしがってはいけないのです、コンシェルジェは。たまたま、フロントにローカルの男性スタッフがいたので、そっちにふっちゃったけど。
月末が近いので、レポートもそろそろ片付けはじめないと。なんだかんだやってるうちにあっという間に時間がすぎていきました。
考えてみれば、初めてここへやってきたときは何も知らずにコンシェルジェに座って、何を質問されても答えるのに時間がかかっていました。でも1年過ぎた今では、たいていのことはさっと答えられるようになりました。そして、対応も早くなったと思います。
わたしも成長したな~と自画自賛。
とはいえ、わたしの理想とはまだ程遠いんだけど。
仕事が忙しければ忙しいほど、やり終えた後の充実感はいっぱいですよね。
さあ、明日は8時から8時まで12時間労働。でも日本から友達がくるのでその次から3連休をもらいます。
そしたらビーチでビールでも飲みながらのーんびりするぞ!


2001年11月27日
なぜ壊れる??

友達が日本から遊びに来てくれました。
別の友達も誘ってビーチへ出かけたのですが、強烈に波が高い。ビーチにいたおじさんもびっくり!というくらい。そこはわたしのお気に入りのビーチで、わたしは王様のビーチと呼んでいます。
海の色は青と、水色と、淡い白の混ざった緑。砂は真っ白で上からのぞき込むと下を泳いでいる魚が見えるくらい透きとおっています。
でも波が高い!もちろんとても泳げるような状況ではないのでどうしようかと悩んでいると、おじさんが「風向きの問題だと思うから、(島の)裏側のビーチは静かかもしれないよ。」と教えてくれたので「よし!」さっそく車を借りてお出かけしました。
行ったのは通称「ロングビーチ」と呼ばれるローカルビーチ。平日ということもあって人は全くいません。魚取ってるおじさんはいたけど・・・
波は穏やかで、真っ白い砂浜が続いています。透明度もばっちり!わたし達は存分に太陽、潮風、波の音それにシュノーケリングを楽しみ帰路につきました。ところが・・・・
やっとホテルの近くまで帰って来たと思ったら、変な音がするのです。ううう、車をとめてみるとパンクです。そういえば、さっき夕焼けを見ようと展望台へ行ってUターンしたときに変な音がしたような・・・ただのパンクではなく、タイヤは破裂。困ってるわたし達を見てローカルの男の子が助けてくれたのですが、もしスピードを出して走っていたら事故を起こしてたかもしれないくらいのタイヤの破損状態だと言われました。とにかく事故しなくてよかったとホテルに帰り着きました。
ホッと一息、さてシャワーでも浴びよう。今日はわたしがドライバーでみんなのガイドをしていたので、一番にシャワーを浴びました。泊まっていたホテルの部屋にはバスローブがありました。「キャー素敵!」シャワーの後嬉しがってそれを着ようとしたら、「ガッシャーン!!」灰皿が床に落ちました。豪華大理石の床に落ちたガラスの灰皿は粉々・・・慌ててハウスキーピングを呼んで片付けてもらいました。
さーて、気を取り直して取り終えたフィルムを明日に備えて交換しよう!カメラのふたを開けて、新しいフィルムをセット。
・・・あれ?スイッチが入らない?電池を変えて入れなおしてみよう。・・・・あれ?今度は電源が入りっぱなし。結構高かった一眼レフの大事なカメラです。もう一度1からやり直してみましたが結果は同じ。
・・・・なんでこんなに身の周りのものが壊れつづけるのだーーーとすこし悲しいわたしでした。
ちなみにレンタカー1日分より高いタイヤ代、灰皿代が3ドル、ハイ、余分な出費を致しました。カメラはまだ復活していません。
友達は次にわたしが何を壊すかとびびっています。
そういえば前回の休暇のときもレンタカーがパンクしたんだった。ははは、ショボ~ン・・・


2001年11月28日
赤ちゃん誕生!

赤ちゃんが産まれました。3280g、元気な女の子だったそうです。メールをくれたのはお客様。何回もお泊り頂いているリピーターさんです。ご夫婦の年齢がわたしと近いこともあり、個人的にも親しくさせていただいています。
私の働いているホテルはリピーターさんがとても多く、多い方だと年に4~5回、2~3カ月おきにこられる方もいらっしゃいます。ですからもちろんスタッフもお客様の顔を覚えていますし、そうなると「いらっしゃいませ」と言うよりも「お帰りなさい」です。「ここは第2の我が家だ」なんていっていただけるお客様もいらっしゃいます。
難しいのはお客様との距離です。日本にいるときは、「お客様」は「お客様」。今のホテルのように身近なお付き合いをさせていただけることはありませんでした。もちろんそれも当たり前だと思うんですが、今のホテルで働きはじめて、最初に一番戸惑ったのはお客様との距離でした。距離がとてもとても近いのです。「お客様」ではあるけれども、「家族」のような「友達」のような。
でも今はそれがとても気に入っています。うちにお越しいただくお客様も、それを求めていらっしゃる方が多いようですし、初めてお泊りになった方でもそれが気に入ってまた来てくださる方も本当に多い。もちろん最低限のマナーやラインはあります。いくら親しくてもお客様であることに変わりはありません。仕事は仕事なのです。リピーターのお客様から厳しいご意見を頂くこともよくあります。みなさんホテルがいつまでも魅力的であるよう望まれているだけに、愛のある厳しさと言う感じですが。
そんなわけで、もう一人赤ちゃん誕生のご夫婦と親しくしているスタッフと2人で、早速おめでとうのカードとプレゼントを贈りました。
ホテルには人との出会いがあります。スタッフとお客様、お客様とお客様。それが楽しくてこの仕事やめられないんだよな~

赤ちゃん誕生おめでとう!ゆき&まーちゃん&タイム!!

2001年11月30日
ビーチでクリスマス。

昨日は母の誕生日でした。おめでとうの電話をかけたのに出かけていて、父とだけ話しました。
もうすぐ彼らは私のいるホテルへ遊びにきてくれるのですが、何しろ海外旅行にはなれていないので質問攻めです。
しかも今まではパックの添乗員つきの旅行しかしたことがないので、関空に着いてから飛行機に乗って、乗り換えて、入国するまで事細かに質問が続きます。今回は安い航空券を取っての全くの個人旅行なので、かなり緊張しているようです。
そうですよね、初めての国へ行くのは大変です。気候も違えば習慣も違う。ここにいる私たちには日常でも、お客様にとっては非日常なんですよね。
羽目をはずしてる若い人たちや(こういう言い方をするとすごい年取ってるみたいだけど)、ここは日本じゃないのに日本と同じ物を求めようとする方を見て、時々はーっとため息が出ることもありますが、まあ仕方がないのかもしれないですね。

もうすぐクリスマス、ロビーも町の通りもクリスマスの飾り付けがとってもきれい。日本もきれいだとは思うけどやっぱり外国は個人の家から気合の入り方が違う!
玄関のリースは当たり前、庭にはライトで出来たトナカイやサンタがいて夜になるとちかちかしてとてもきれい。自分ちもすっかりライトアップしちゃってるのもめずらしくありません。今年はすこし遅くなったのですが、ホテルのロビーにもやっと大きなクリスマスツリーが飾られました。
余談ですが、外国ではよくツリーの下にいろんな大きさのプレゼントの箱が積んでありますよね?あれは空っぽです。もちろん。
うちにも置いてありますが、もって帰ってしまうお客様本当にいるんですよね。開けちゃう子供とか。だから空なんですってば、って感じです。
ちなみにここは常夏です。サンタもトナカイのそりではなく、サーフィンしながらやってきます。ビーチでクリスマスもなかなかオツなものですよ。

明日はもう12月!・・・早いな~


2001年12月01日
伝言ゲーム

またバタバタしています。明日結婚式があるのですが、うちのホテルではめずらしい韓国からのお客様。しかも2組同時の挙式で、それをテレビ番組が撮影します。
結婚式をお世話する現地のウェディング会社は日本の会社なので、やり取りも大変。
お客様&番組制作会社→ホテルの韓国オフィス→韓国人広報マネージャー→わたし→ウェディング会社
何だか伝言ゲームみたいです。話が微妙に食い違ってきているような・・・なんてことがもちろん起こります。
結婚式4日前になって、予約の確認をしたら「聞いてない」といわれたときは冷や汗ものでした。
最初はウエディング会社と韓国オフィスが直に連絡をとっていたらしいのですが、何しろどちらも英語は第二言語。どうも話が正確に伝わっておらず、中途半端に浮いていたようです。というわけで、韓国人の広報マネージャーと日本人のわたしがそこにはいって通訳です。しかしそうなるとやはり時差もあるし、時間がかかります。
何かを聞いても、答えが帰ってくる頃には状況が変わっていたり・・・
何しろ言葉の問題、韓国語→英語→日本語→英語→韓国語という経由で同じく伝言ゲームをしていくわけなので、それだけでも微妙にニュアンスが変わってきたりするのです。
そんなわけでやっと何とかすべてがうまくセットアップされる頃にはわたしはへとへとでした。

土壇場で要求を変えてくる韓国人と、前もってきちんと準備をしておきたい日本人。国民性も違うし。
まあそれもすべて無事にお式が終われば笑い話で終わるのですが。
さてさて、どうなることか?また一波乱ありそうな・・・


2001年12月02日
涙の結婚式

と言っても昨日の続き、韓国カップルではありません。
同じ日の今日、友達と言うか、元同僚が結婚式を挙げました。もちろんお世話はわたし。わたしは彼女の後を引き継いで、当ホテルのウェディングコーディネーターをやり始めました。彼女がどんなに彼を好きでいたかをそばで見ていたので、何だか感極まって泣いてしまいました。それも2人のキスの場面で。彼女は照れて笑い始め、なかなか二人はキスが出来なかったのですが、それを見ているうちに本当に幸せそうで感極まってボロボロと・・・
スタッフとして式には列席していたのですが、お客様や他のスタッフがびっくりしていたらしく、後で「大丈夫~」と何人にも言われました。もちろん式は滞りなく終わり、さっき新郎の勤めるホテルで行われたパーティーから帰ってきました。幸せそうで、彼女は本当にきれいで、見ているわたしも心から幸せな気分になれました。ああ、わたしも幸せのおすそ分けがほしい・・・

ところで昨日の韓国カップルの結婚式ですが、もちろん一筋縄では終わりませんでした。お式が始まる直前カメラクルーがいないのに気付き、通訳スタッフに問い合わせた所、式直前にカップルとけんかをしてへそを曲げて部屋に閉じこもっているとのこと。「仕方ないね」と言う彼女に頼み込みもう一度説得してもらい、約30分も送れて始まりました。5時始まりの結婚式、本来ならば夕焼け直前に終わりいいムードなのですが、終わった頃には夕焼けも終わりに近づき薄暗いなかでの退場&フラワーシャワーと相成りました。
まあ、カップルは幸せそうでよかったのですが・・・

というわけで、本日は3組無事に結婚式を終えました。
わたしもいつかは・・・


2001年12月03日
Islands style Wedding

またまた結婚式のお話。最近は毎日結婚式です。
今日のカップルは一組がお客様、もう一組がホテルのスタッフでした。
お客様の方は結婚10周年を記念して当時挙げることの出来なかったお式を挙げられました。2人のお子さん、ご両親も同席です。ご両親には内緒だったらしく、お父様が何度も幸せな様子で「内緒にされてたんだ」とおっしゃっていました。10年経っても変わらない愛・・・うらやましいですね。
そしてもうひとつ、かれらはどちらもホテルスタッフです。新婦は準備のため今はもう退職しているのですが。
彼らはここで知り合いました。日本人とアメリカ人のカップル。
どちらもが自分の国を離れここへやってきて、出会い、愛を育み、結婚。何か運命って不思議です。
通常、結婚式はチャペルで行われますが今回は2人の希望でビーチに祭壇をつくりました。南国の木々で作られ、プルメリア、ハイビスカスなどの花々で飾られた祭壇は、いかにもアイランドスタイルと言う感じでとっても素敵でした。すべてスタッフの手作りです。
新郎も朝から、大きな木の枝を持って行ったり来たり・・・みんなの手で作られたデコレーションです。
お式は5時、ちょうど夕焼けの始まる前です。仕事を終えたスタッフやマネージャー、ゲストはみんなサロンやアロハ、カジュアルな服を着てやってきました。そこへまず、サロン(南国でよく見るきれいな柄の長方形の布)を巻いた新郎が介添えといっしょにやってきました。むむむ、緊張のせいか笑顔が硬い。新郎から写真撮影を頼まれたわたしは、1眼レフのカメラを持ってスタンバイです。わいわいと新郎を囲み撮影会が始まります。それが一段落つくとやっと新婦の登場です。新郎とそろいの水色のサロンに身を包み、頭には白い花の冠をかぶり、プルメリアのブーケを手に持って満面の笑みをたたえています。ビーチで出会った二人はビーチで結ばれる。いいですよね~。
ちょうど夕日が水平線に沈み始め、あたりはオレンジ色に染まり始めました。カメラマンのわたしとしては逆光で写真を撮るのが難しかったのですが、一生の記念、失敗しないように頑張りました。
夕日の沈むビーチで永遠の愛を誓った二人、本当に幸せそうでした。
・・・このパッケージは売れるかも!参列中もついつい仕事のことを考えてしまう私でした。(笑)
その後も海岸、祭壇、パーティー会場で写真撮影は延々と続きました。残念ながらわたしはすぐ後にまだ仕事があったので、フィルムを2ロール撮り終えた後は、別の人に任せて行かなければならなかったのですが。
オリジナリティーのあるお式はとっても素敵。シンプルでお金がかかっていないのに、今回のお式はどこにもない2人だけのものでした。純白のウエディングドレスも、豪華なお食事もなかったけれどきっと一生忘れられないものとなるでしょう。
さーてこれを読んだ皆さん、わたしに結婚式を任せてみたくなりませんか?ーなんて営業、営業(笑)


2001年12月04日
強運の持ち主

Employee Chiristmas Party がありました。この日ばかりは、お客様には申し訳ないですが、レストランを貸しきって、スタッフだけのパーティーです。GM(GeneralManager)のスタッフへのねぎらいの言葉から始まり、勤続5年、10年のスタッフの表彰、Employee of the yearと呼ばれる優秀スタッフの表彰、各部署の出し物、くじ引き、Casino night・・・この日だけはスタッフが客で、マネージャー以上の人が受付から、バースタッフまでをこなしスタッフの労をねぎらってくれます。私も、ただの一スタッフなので、今日は思いっきりお客として楽しみました。
いつか日記に書いたけど、私たちの部署はこの日の出し物としてダンスを踊ると・・・
あれから毎日仕事の後にレッスンを受けてました。昔から、高校のダンスの授業のときから、一人反対方向に回転したりしてしまうおとぼけぶりでしたから、今回も大変でした。当日のリハーサルでも一人「きゃー」と間違えては叫んでいましたが、本番も大盛況のうちに何とか終えました。
さーて次はお楽しみの福引です。マネージャー達が、取引先や関係企業と交渉して手に入れてきた数々の賞品が当たります。私はなぜか昔からくじ運があります。と言ってもいつもたいしたものは当たりません。とりあえず当たるという感じです。でも当たりは当たり、当たらない人もたくさんいるんだから贅沢は言いませんよ。
そして、今年も当たりました。ダンスも終わりぐったりしている時に名前を呼ばれ、わけもわからず受け取ると小さなメッシュバッグ2つと、ゴルフのラウンドチケット1名分、それから新聞3ヶ月・・・どうも微妙にずれてるんですよね。ホテルの中に住んでるから、新聞はいらないしゴルフは打ちっぱなししか行ったことがない。喜んで良いのか・・・とりあえずとおりかかった仲のいいマネージャに新聞券はあげました。マネージャーは当たる権利がないんです。彼は外に家族と住んでいるので、喜んでいました。
通常の福引以外に今年はGrand prizeと呼ばれる大きな賞が5つありました。航空券、現金、豪華ステレオシステム、リゾート宿泊券などなど。各スタッフがそれぞれ自分の欲しいものをひとつ選んで、応募しました。
パーティーも佳境にせまり、もうすでに1回当たった私はのん気にCasino テーブルでほかのスタッフとおもちゃのコインでブラックジャックなどをして遊んでいました。ところが、そのとき私は遠くで自分の名前が呼ばれるのを聞きました。会場は大盛り上がりで、仲のいいスタッフ達が私の名前を連呼しています。慌ててステージへ走っていくと・・・また当たりました。しかも One of the grand prizes が!当たったのは近くの島のペアリゾート宿泊券セット。びっくりです。最近いろんなものが壊れるし、仕事もばたばたしてばっかりでしたが、やった~。しんどいことの後にはいいことが待ってた。
そう、強運の持ち主とは私のことです。
その後、一体何人の人が一緒に行こうと誘ってきたことか。フフフ、誰と行こうかな~半年の期限なのでゆっくり考えよーっと。
それまでに彼を見つけなくては!なーんちって(^0^)

2001年12月07日
一番大切なもの・・・

Employee survey 聞いたことありますか?スタッフの仕事内容や、マネージャーへ評
価、仕事環境や待遇への満足度を調査するために行われるアンケートみたいなもので
す。4段階評価で、「マネージャーは尊敬できるか」「ホテルは何か起こったときに
きちんとその情報を社員に公開しているか」「仕事内容に満足しているか」「ホテル
で働くことを誇りに思っているか」「仕事に必要な備品は与えられているか」「重役達は公
平にスタッフを評価していると思うか」などなど約120個の質問に答えていきま
す。集計された結果は本社に送られ、翌年スコアの低かったものをどうやって改善す
るか話し合われます。
しかし、実際それが改善されるかとなると難しい問題です。特にお金のかかることに
ついてはそう簡単に決定できるもののではありません。
私は今の仕事が大好きです。ホテルのサービスも直属の上司も。でも給料は本当に少
ない。テロの後、さらに厳しくなりました。自分の仕事にはプライドを持ってやって
います。でもそれに見合った給料をもらえていないのも事実。仕事が楽しくて、最初
の1年は夢中でやっていました。でも、1年経って時々考えます。
このままでいいのかな~と。自分の好きな環境で、天職とも思える仕事をしているわ
たしは幸せ者だと思う。でも、このままでいいのかなと。この環境に甘えててはいけ
ないんじゃないのかなと。
好きなことをやってるのは幸せです。でもお金がないと生活はしていけないし、次の
夢にも進んでいけない。
難しい問題です。お金がすべてではないけれど、お金がなくては生きていけません。
一体どうすればいいんだ~
大好きな仕事をしながらも、常に、自分にとってベストな環境を探して生きたいと
思ってます。
きれいごとじゃなくて、一番大切なのはなんだろう?
みなさーんどう思いますか??


2001年12月08日
島時間

お客様が怒っていました。
バスが時間どおりに来ない!!!
・・・ごめんなさい。よくあることなんですよね。しかもバス会社は悪いともってないんですよね。ひどいドライバーだと、バス停にも停車せず行っちゃったりするんですよね。

という本音は言えません。「あらあら、大変」と、とりあえずお客様の目の前でバス会社に苦情の電話をかけます。「30分も遅れてるよ!」「すいません、今すぐドライバーに連絡とりますから」といってもその後どうなったか報告を受けたことはありません。小さな島です。端から端まで約1時間。なのになぜ30分の遅れるのか分かりませんが、それが島時間なのです。最初は、お客様の怒りに同調していましたが、島育ちののんびりしたドライバーは変えることが出来ないようです。「申し訳ありません、島ですから・・・」と言うよく分からない謝り方をして納得していただくしかありません
イライラするだけむだです。ここは島時間が流れてると思って、あきらめるしかないですね。
せっかくバケーションに来てるのに、分刻みのスケジュールで動き回っているお客様も時々お見かけしますが、何か逆にもったいない気がします。のーんびりと、バスを待つ間近くの人と話したり、空を見上げたり、南国の雰囲気を楽しむのが得策だと私は思います。

旅慣れてる方にはよくあることだと分かっていただけると思います。その国に行けば、その国のルールや風習に従うしかない。それが旅を楽しむコツです。
私がスペインに旅行したときは、午後1時から4時までシエスタと言うお昼寝時間で、銀行から土産屋まで閉まっていました。歩いてるのは観光客だけ。犬も寝てましたよ。お昼をのがした私は開いてる食べ物屋を見つけるのも大変でした。両替だって出来ないんだから。
日本の常識は日本でしか通用しない、お客様、どうかご理解くださいませ。(笑)


2001年12月10日
楽しむということ

今日も結婚式がありました。最近の私はコンシェルジュと言うより、ウェディングコーディネーターに専念しているような・・・
かわいいカップルでした。日本人のお客様は外国で、しかも英語の挙式と言うことで緊張されている方がとっても多い。せっかくビデオがまわって、専属カメラマンがきれいな写真を撮ってくれる、人生最良の日なのに緊張のあまり笑えない方も多いです。そばにいる私たちが何とかリラックスさせようとするのですが、難しいですね。ところが今日のお2人、とくに花嫁はとっても楽しい方で、幸せが顔からあふれていました。たぶん基本的に何でも楽しもうとする方なんでしょうね。団体の集合写真で、「アイーン」ってやってましたから。スタッフもカメラマン達も彼女の陽気さに惹かれ、楽しいお式ができました。
こういう生き方が出来る方は幸せだと思う。どんな些細なことでも、幸せと思える人は人生を楽しめると思いませんか?(もちろん彼女にとっては最高に幸せな日に違いないですが、きっといつもこうじゃないかと思わせる方でした。)
笑顔は幸せを呼びます。周りの人も幸せにします。自分が幸せだとお客様にも余裕を持っていい対応が出来ます。
何でも楽しんでやろう!花嫁からよいパワーをもらった一日でした。

2001年12月15日
添乗員ってえらい!

関西弁バージョンで
日記書くんは久しぶりやわ。何でかっていうと、両親が遊びに来てたから。しかも、友達夫婦と一緒やった。ちょっと考えてみて、関西のお父ちゃんくらいの夫婦3組の世話することを・・・
関西のおっちゃん、おばちゃんはパワフルやで~人の言うことなんて聞いてないもん。めっちゃおもろいけどね、疲れた・・・

4日間フルで休みとってつきっきりでガイドして周ってんけど、私はつくづく添乗員という職業を尊敬するわ。英語全く喋れへんから、ほんま些細なことでも質問攻めやし、やれチップはどうの、フィルムがなくなったから買いたい、トイレはどこ、レストランに行ったらトイレで迷う、メニュー見たら全部訳せって言う、挙句のはてに通りすがりの外国人の着てる服がおかしいとか。知らんちゅうねん、通りすがりの人のことなんて。私はこの島の1住人であって、島の人全部を知ってるわけちゃうって!
知ってる人に会って、私の家族って紹介したら100%日本語で何やかや話しつづけてたけど、相手日本人ちゃうのに分からんって!
最初はいちいち通訳してたけど、途中からは適当になったもん。
ビーチの波が高いのに、スノーケリングにはまって帰ってけーへんし。(これはちょっとかわいかった、子供みたいで)

ハイパーで、お酒を飲みすぎた父はスタッフに酔っ払いと言われて喜んでるし、ショーに飛び入りで借り出されたおっちゃんはかなり素でエンターテイナーやったし。
まあ、ホテルのスタッフ達みんなわたしの家族やからってフレンドリーに接してくれて、あいさつしに来てくれて、本人達はえらい感激してたけど。
楽しかったけど、ほんまに疲れた。身内やからって甘えてたのもあるとは思うけど、やっぱ添乗員って仕事はすごいね。尊敬します。
この旅行業といわれる業界にもいろんな職業があるけど、私にはホテルが向いてるわ。お客さんの滞在を楽しませる、という仕事。滞在、一点集中型。ずーっと旅行中世話しつづけるなんて無理やわ。
絶対聞いてへんもん人の話。さっき言うたやん、何回おんなじこと聞くねんってかんじ。
時々、無理難題言ってきたり、ちょっとのことでめっちゃ怒る添乗員いてるけど、何かその気持ち分かったかも。きっとおばちゃんらになんか言われていらいらしてたり、とんでもない要求されたりしてたんかもね。今度からちょっと優しくしてあげよ。

とはいえ、みんなに楽しんでもらって本間によかった。子供みたいにはしゃいでみんなかわいかった。また来てくれたらええなあ、すぐは嫌やけど(笑)


2001年12月16日
寝坊した!

今日は休みだと思ってました。疲れがたまっていたので、1回起きてまた寝ました。また起きたけどまた寝ました。
夢の中で、たまってる洗濯しないと~とか掃除機もかけたいな~とか思っていました。しかし寝つづけました。もうまるで眠り病にでもかったみたいに。
そしたら電話がかかってきました。
「何やってるの?1時から仕事でしょ!」
「・・・・?」
寝ぼけてた私は「今日休みだよ~」といいながらスケジュールを見ました。「・・・・・!」今日は土曜ではなく、日曜だったんですね。「ごめん今行く!」寝癖のついた髪を慌ててまとめ、ユニフォームに着替えてほとんどノーメイクでデスクまで走っていきました。
運よく今日は余裕のあるシフトでスタッフが余分にいたので、誰のも迷惑はかけなかったのですが、大失態でした。
ああ、働き始めてこれで2度目。せっかく今年は遅刻なしで終われると思っていたのに・・・

それでも何食わぬ顔をして、コンシェルジェで仕事をこなした私でした。シフトによって、仕事の開始時間がまちまちです。寝る前に、カレンダーとシフトを3回は見比べてから寝ようと決心した私でした。トホホ・・・


南の島のコンシェルジェのお仕事(2)につづく☆


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