Running&Climbing

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第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン

第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン


2009年6月28日(日)



『2年ぶり2度目の参戦』


2008年11月:161km。12月92km。2009年1月:116km。2月:167km。3月:155km。これがシーズンオフ間の私の練習量です。1月下旬にサロマにエントリーしてからも一向にモチベーションが高まらず、月に数回バレーボールで流す汗の方が心地好く、伊達ハーフマラソンも24時間走も申込みを回避したのです。冬を苦手とする私はいつも苦しむのです。
しかし雪解けというのは必ず訪れます。すると方程式の如くランニングの意欲が高鳴り、4月は突如318kmを走破しました。4月28日には半年振りに朝ランを復活させ、5時スタートというサロマ対策を講じ始めました。

6月27日(土)の朝6時に自宅を出発し、初対面のくっしぃさんを迎えに上がります。その後江別市体育館でヨーイチさん、いづみさんと合流し、続いてそうらんさん、初対面のあさ-COさんとも合流でき、yagiさん宅に向かいます。

深川の道の駅で小休止。

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快適なドライブの末、今回の宿となる遠軽のサンシャインホテルに荷物を預かってもらいまずは昼食へ。

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それからゴール地点の北見市常呂町へと向かいます。

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明日、全員がここにゴールできることを祈念して。

その後、開会式が行われる湧別町へ向かいます。55km付近にある道の駅の名称が気に入ったので一枚撮りました。

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開会式会場。戻ってきました、この場所へ。

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私宛にたくさんの応援FAXが届いており、感激したものです。


2年前にはありつけなかった前夜祭ではこれ以外にも蕎麦やカニ汁等、そこそこの料理を口にすることができました。siba&みっちぃさんにも久々にお逢いしました。

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当日の夕食と翌日の朝食を調達してホテルに戻り荷を解きます。考えあぐねた末に不慣れなことをすべきではないとの結論に達して、第三のビール500mlを2本片付け就寝しました。

翌朝は2時起床。カツ丼とうどんセットの朝食を平らげ、購入から4日しか経過していない走友会のランシャツを着てCW-Xロング(内ポケットには北海道神宮のお守り入り)を穿き、ライトレーサーを履く等種々用を足して3時にホテルを出発します。この時に出し切らなかった前夜の残骸が約7時間後に重篤な影響を及ぼすとは露ほども知らずに。本番では20km付近のエイドまでバナナ等の食料がないと耳にし、これから数時間何も食べずに過ごすことに大きな不安を覚えたためコンビニエンスストアでパンを2個調達&用足しをしました。

スタート地点は霧と小雨とで煙っていました。

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仮設トイレはまだこの状態。

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こうなる前に、

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短時間並んででももう一度用を足すべきだった・・・。後悔先に立たず。


号砲は午前5時。走友会のメンバーが横にいてくれるのは心強い限り。今大会の目標は(27分30秒/5kmペース)を維持して54kmの緑館を午前10時過ぎに通過し、その後も粘りに粘ってサブ10。なんとしてもこれを成し遂げたいもの。
ロスタイムはおおよそ1分半といったところ。前回よりは短いそれ。スタート前にアップを全くしておらず、また吐く息がが白いぐらい気温が低いのでまずは身体を暖めることを考えました。kanapapaさんに追い付き、ここで公開するのを憚られる会話をします。kanapapaさん、これからもよろしくお願いします。


5km地点通過:31分31秒。ほぼ6分/kmペース。


竜宮台へと向かう分岐点で福ちゃん・YACCOさんご夫婦の姿を発見します。大きく声をかけると「Nice Run!」と呼応してくれました。


10km地点通過:1時間00分10秒。この5km:28分39秒。


この辺りからさっそく尿意を覚え始めます。今回もう一つ自分に誓ったのが(立小便をしないこと)だったので、公衆トイレをひたすら目指して脚を進めます。ようやくそこに入った時、予想以上に時間を要してしまい少々焦ってしまったものでした。


15km地点通過:1時間28分48秒。この5km:28分38秒。


先行するランナーとすれ違います。速い速い。走友会のエースともエールの交換が出来ました。そして追い付いたのが走太郎さん。今年晴れてサロマンブルーのナンバーカードを付けて参加しておいでです。私がサロマに関心を寄せるようになった直接的理由がこの方の完走記なのです。「どうですか、調子は?」「はい、まあまあです」「お先にどうぞ」「はい、ありがとうございます」こんな短い会話を交わして先行させてもらいます。

折り返してしばらく行った先の公衆トイレで2度目の小用。ここでも意外と時間を喰ってしまいました。


20km地点通過:1時間57分24秒。この5km:28分36秒。


どうもペースが上がらず、予定タイムより5分程度遅いのを実感します。バナナをいただき腹に力が入ったのを機に、それでは!とばかりペースアップ。軽い下りに乗じたこともあります。


25km地点通過:2時間24分49秒。この5km:27分24秒。


ここいらでも濃い霧が立ち込めて視界が開けません。今ひとつ気分が乗ってきませんが、某サブ3ランナーの教えを守ってエイドでは脚を止めずに食料を口に運びます。北海道マラソンクラブの○元さんが沿道から現れて驚いたのがこの辺でした。体調不良なのでしょうか。左折してすぐが次のポイント。


30km地点通過:2時間52分26秒。この5km:27分37秒。


見通しが利かないというのがこうもモチベーションに影響するのだなと知ったこの付近でしたが、ただひたすら脚を進めます。元気の良い女性が仲間らしき男性から「そのペースなら10時間切れるよ~」と声をかけられ「わかった!狙ってみるから」と反応しています(結果9時間50分台でゴール)
右折してパラパラと小雨が落ちてきましたが、既に汗だくなので全く気にはなりませんでした。ここで後方からboooo~!という異音が。私を追い抜きざまに男性ランナーが大きく放屁したのです。このランナーの放屁はこの後も5~6ヶ所で聞こえてきました。
オホーツク国道へ出たところが35km。


35km地点通過:3時間19分41秒。この5km:27分13秒。


少々起伏のある道を進みます。ウルトラマラソンクラブ(URCに非ず)というチームの横断幕を掲げた応援団を目にします。私もここいらからようやく調子が上がってきましたが、と同時に下り坂で覚える左の腸臑靱帯とアキレス腱痛が気になり始めました。しかし芭露での力強い応援に元気付けられ、走り続けます。


40km地点通過:3時間47分27秒。この5km:27分46秒。


今年の私にはもう一つだけ目標があります。それは(フルの距離をサブ4で通過する)こと。それが現実化してきたのを感じたので、この月見ヶ浜は今大会中最も意気揚々だったかもしれません。


42.195km地点通過:3時間59分23秒。この2.195km:11分56秒。


胸中密かにガッツポーズをとっていた私です。
再びオホーツク国道に戻りますが、細かい起伏、特に下りのたびに前述の左腸臑靱帯とアキレス腱が痛みます。しかしこの間もエイドでは一切脚を止めることなく前へと進んだのです。


45km地点通過:4時間14分54秒。40km~45kmの5km:27分27秒。


芭露と並んで今大会で街並みと言って良い計呂地です。前日までの食事の残骸が慌しくなっていた頃合だったので、トイレの存在が実に魅力的ではありましたが、54kmの緑館までとにかく脚を止めることをしたくはなかったのでそのまま進みます。


50km地点通過:4時間42分12秒。この5kmのラップ:27分18秒。


スタート前に描いていた(27分30秒/5km)のラップを25km~50kmまで着実に刻んだのをおわかりいただけるでしょう。小用を我慢し、脚を止めてエイドの食料を口にしたい気持ちをグッと堪えてひたすらに進んだのです。

厳しい上り下りを経てサロマ湖岸を走っていると緑館が見えてきました。今大会最大のオアシスです。そこにピットインした際の時刻は午前10時05分を指していました。計算上(27分30秒/5km)を維持すると緑館には午前10時に到着するので、スタート直後の混乱と20kmまでのローペースの分がこの5分となって現れているのです。私はまずトイレに駆け込みました。その時は便意が治まっていたので小用だけを済ませます。女子トイレは長蛇の列でしたが男子トイレはさに非ず、で助かりました。高校生スタッフから手渡された着替えの入った赤い袋を手にしながらまずはスポーツドリンクを2杯。続いて小さなおにぎりを2個。梅干しを5~6個鷲掴みして胃の中へ。その間も座り込んだりせず、細かく脚を動かし続けていました。これはサブ3ランナーからの教えのとおり。2年前はドッカリと腰を落ち着けて休み着替えてしまい、その後再び走り出した時になかなかペースを取り戻せなかった経験があるからでもあります。結果、着替えをせず5分強の休憩で緑館をスタートしました。さっそくの上りです。


55km地点通過:5時間15分36秒。この5kmのラップ:33分24秒。


右側には昨日撮影した、

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道の駅があり、観光客が物珍しげに我々に視線をやっています。その反対側に楽走の幟を持った女性がいます。どこかで見たことのある人です。
(誰だっけ??? 誰だろう??? 誰だったろう???  わかった!釧路のトモさんだ!)

正面に来たときに声をかけます

「アザラシです!憶えていませんか?」

トモさんはキョトンとしていますが、その奥から飛び出してきた男性が、

「アザラシさん、頑張って!」

ご主人のカッチさんです。わざわざ釧路から応援に来てくれたのです。このご夫婦とはなかなか最近はお逢いすることが叶わず、ましてお話をすることもなかったので一瞬の出会いがかえってうれしくもあり、ありがたくもありました。

一気に40m下る坂に腸脛靱帯とアキレス腱痛を覚えながらサロマ湖畔へ。


60km地点通過:5時間43分27秒。この5kmのラップ:27分51秒。


2年前はここでトイレに寄り、脚を止めて食料を貪ってしまったことを思い出しました。しかし今年はパス。スポーツドリンクを1杯喉に流し込み、しっかりとそれをゴミ箱へ投入します。

そこから再び起伏あるコースへ。坂を上り切って左折をするとまたサロマ湖が遠くに見渡せました。ここまでずっと霧が立ち込めていたので、スッキリと湖畔を遠望したのは初めてでした。気温が上がらないのでバケツに用意された被り水は並々としています。坂を下り切ったところがキムアネップ岬。左側のサロマ湖は豊かな水をたゆたえています。軽く右にカーブしたところのエイドで私は脚に柄杓で水をかけました。靴はそれまで以上にグチャグチャにはなりましたが、きっとこれから先の行程でこれが効果を発揮するものと信じて。

左折すると通称:魔女の森へ。キムアネップ岬への下り坂で腸脛靱帯とアキレス腱痛が再発してしまったことと、便意がかなり強くなってきていた私の気力は風前の灯火。


65km地点通過:6時間12分48秒。この5kmのラップ:29分21秒。


この看板を過ぎたところでついに私はしゃがみ込んでしまいました。正直言うとこの時は内心(どこでリタイヤしようか)ばかり考えていました。冬の間練習量が少なかったのだし、ここ10日間は仕事も多忙を極めたし仕方がないさ、と負の理由ばかりを探していたのです。それでも気力を奮い立たせ走り始めます。便意もかなり強くなっており、思わず茂みに目が行ってしまうほど。しかし当然それは封印です。

苦闘の魔女の森は意外と距離が長く、ようやくそこを出て私設エイド前を通過した時に私の気持ちがついに切れました。屈伸をしてトボトボと歩いてしまったのです。しかしここで切れてしまった気持ちを再び結び直してくれたのがオホーツク国道です。ここまで来ると70kmのポイントはさほど遠くないことを知っているから。それともう一つは応援FAXとお守り。応援FAXにあった「苦しくなったら私たちが後押ししていると思って下さい」の一文でした。

左折して橋を渡ると右側からランナーの姿が現れます。初参加だった2年前には訝しがったものですが今年はわかっています。このひと達が50kmの参加者だということを。そしてその先には最大の私設エイドである斉藤商店があります。最初ここに立ち寄るつもりはなかったのですが、建物の横のある物に私の目は釘付けになりました。それは仮設トイレ。幾度も放屁を繰り返し、いよいよ便意が差し迫った状態にまで至っていると理解していた私はそこへ飛び込みます。大会参加数十回目で初めての大用です。以下詳細を略す。

お腹に宿していた残骸が消え去ったことで再びサロマ完走の意欲が湧き立ってきた私は腕を大きく振り、エイドでバナナを半分食べて次を目指します。


70km地点通過:6時間48分03秒。この5kmのラップ:35分15秒。


遥か彼方に鶴雅リゾートが見通せます。ここはコース上に2つある大きなエイドの1つでソーメンの提供が魅力的な場所。歩道を走る人がいれば車道を走る人もいます。私は最初車道を走っていましたが、知らず知らず車道の中央へ身体が寄ってしまう実感があり、危険なので路肩を乗り越え歩道へ移動しました。ずいぶん元気な人が多いな、と思うとその人達は50kmの参加者。我々はここまで70km以上を走ってボロ雑巾のような状態ですが、この人達はまだ20kmと少々なのですから当然のことなのです。

ようやく辿り着いた鶴雅リゾートは今年も優雅な建物でした。そして我々を温かく迎え入れてくれました。私はソーメンを○杯貪り梅干しも5~6個食べました。ソーメンにホタテが入っていなかったのがちょっと残念ではありましたが。そしてここでも座り込むことは止しました。脚が固まってしまうことだけは回避したかったので。胃袋が落ち着いたところでトイレに寄って小用を済ませ走り出します。ここで一番辛かったのは寒さ。緑館で着替えをしなかったこともありますし、仮に着替えていたところでまた汗だくになっていたことでしょう。鶴雅リゾートで10分休んでしまったことにより身体とウェアとがすっかり冷え切っていたのです。これは辛かった。


75km地点通過:7時間25分09秒。この5kmのラップ:37分06秒。10分休んだのがよくわかりますね。


2km程走ったところで少し身体が温まってきましたが三度気持ちが切れてしまい、またもや屈伸をしてからトボトボと歩いてしまいます。腕を大きく振って、速足のウォーキング状態です。走ったり歩いたりの繰り返しです。ここで私が目にしたのは一桁の番号を背にしたサロマンブルー達成者の姿。とにかく着実なのです。確実なのです。遅々としているとはいえ、とにかくただただひたすらに走っているのです。私は武者震いをしました。そして(俺も頑張ろう)と考えました。そして再び走り出すことに成功したのです。左側のずっと先にはワッカを走る先行者の姿が望めます。

左折するポイントの先にエイドがあります。とうとうワッカの入口までやってきました。そしてここで知り合いの姿を久々に見かけます。あれは確か去年の11月、パパさんと酒席をご一緒した際に同席したKさん(小五郎さんとパパさんは呼んでいました)が颯爽とした足取りでこちらへ向かっているのです。サブ3ランナーのKさんはこのままで行くとサブ8も有望でしょう。私はサングラスを外して叫びました。

「Kさん! 憶えてる?」

「うん、憶えてる」

「頑張ってね!」

フルマラソンの如きスピードでKさんは後方に消え去っていきました。
空腹感を覚えなかったので倉庫街にあるエイドはパスしていよいよワッカです。


80km地点通過:7時間56分55秒。この5kmのラップ:31分46秒。


金メダリストの阿部雅司さん、走友会のエースとエールの交換をして森を抜けると一気に視界が開けます。今年もここまで至ることが出来ました。80kmを8時間以内で通過出来ればサブ10は有望と聞いたことがある私の胸にやましい心が湧き立ちます。(こ、これはイケるかも・・・)と。そうなると人間はダメなものです。急激に走ることの意欲に陰りが生じ、四度歩き出してしまいました。斉藤商店で思う存分足したはずの用がまたもや騒がしくなってきて、仮設トイレにて二度目の大用。以下詳細略。

少し走っては首を振りまた歩き出す。これを幾度も繰り返す苦しい時間帯を過ごします。10時間強に及ぶ今大会中、ここが最も苦しく地獄だったと断言できます。洞爺湖マラソン後に筋トレを全くサボってしまったため両腕がとにかく重たく、ブランと下げてみたり腰に当てたりする始末。

上空を、

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が飛び、我々を取材している様子。情けない姿を見られちゃいました。


85km地点通過:8時間35分08秒。この5kmのラップ:38分13秒。


(ランナーズアップデートで俺のタイムを追ってくれている人が数名いるんだよなぁ)
(応援FAXがありがたかったなぁ)
(忙しい思いをしつつスタートラインに立つことが出来たし、よくぞワッカまで到達出来たよなぁ)

こんなことを考えながら少し冷静に残りの距離とラップとゴールタイムを予想します。

(サブ10まで1時間25分弱。85分弱。残すは15km。85分弱÷15km=約5分40秒/km)

ここでついにサブ10を諦めざるを得ないことを知ったのです。無念ですが仕方がありません。

私が苦手とするスイカのあるエイドでヨーイチさんとすれ違います。多弁は控えますが、ヨーイチさんのガッツにはいつもながら頭が下がります。ガッチリと握手をして私は往路へ、ヨーイチさんは復路へ。その後ろ姿を見送りつつ走り出します。

折り返し手前で走友会のメンバーとすれ違います。あとで聞くとこの方もレース中に大用で4度トイレに駆け込んだそう。100kmの間にはいろいろなことがあるのですね。

仮設トイレを右に見ながら小さな橋を渡るとその先には待望久しかった折り返し地点があります。そこを過ぎてしばらく行ったところが次なるポイント。折り返してから思った以上に距離があるのが意外でした。


90km地点通過:9時間09分53秒。この5kmのラップ:34分45秒。


エイド以外では止まっていないし歩いてもいないので、いかにラップが落ちてしまっているか明白ですね。ここで私の脳裏を過ぎったのが、

(サブ10は潔くあきらめよう。しかしなんとか10時間と一桁は死守したい。イヤ、なんとしても成し遂げるのだ!)

というもの。

人間、とてつもない目標を掲げると敵前逃亡したくなりますが、死守可能な水準に目標を置くと俄然やる気が湧いてくるものです。その時の私がまさにそうでした。残り10kmを60分以内で走破するぞ!

そこから先は前から来る知り合いの後続者とエールの交換をします。いづみさん、竜宮台で会話した走太郎さん、Beanさん、カントクさんetc。知り合いの姿を己の力と変えて私は疾走しました。ここに至って6分/km強で走るというのは先行者をごぼう抜きするのと同義語。実に気分が良かったと記憶しています。エイドも一切パスし、腕を大きく振り前進します。


95km地点通過:9時間41分22秒。この5kmのラップ:31分29秒。


残り4kmのところにある上りを通過すると森の中へ。最後にワッカ原生花園を振り返ろうかと思いましたが、肉体的にそんな余裕はありませんでした。前から来るのは走友会のメンバー。私が喘ぎながら力走する姿をデジカメで捉えてくれた貴重な画像がありますが、もう声が出ない私は軽く手を挙げて応えるのみ。あとでその非礼をお詫びしました。

倉庫街にある最後のエイドが右側に見えてきたところで驚きの走友とすれ違います。yagiさんです。ヘルニアの手術から2ヶ月も経過していないyagiさんがワッカの地まで至ったのです。私の母校である釧路K高校の校訓である『不撓不屈』の文字が浮かびました。

左折してすぐのところに『残り2km』の看板が立てられています。2時間とちょっと前にワッカに向かって左折したときはこの看板まで辿り着けるのだろうか?と感じたものですが、間違いなく私はここに戻ってきました。そこを過ぎてすぐふと時計に目を落とすと『10時間00分25秒』の表示が目に入ります。わかりきっていたことですが、サブ10終焉の瞬間です。しかし10時間一桁はかなり有望なので、頭を切り替えて前進します。

警備員が配置された交差点を左折したところで前方のランナーとの位置関係を確認しました。約50m先に一人と20m先にもう一人。程なく一人目を捉えます。二股になった国道を直進してヴィクトリーロードへ。2年前と違い、先行者も応援の数も少ない実感がありますが、それはそれで勲章なのでしょう。


パラパラ送られる拍手に後押しされ、さっきは50m先にいたランナーを捉えて右折。私は帽子とサングラスとを両手に持ち替えバンザイをしながら直線を走ります。良かった、最後まで頑張って良かった。この大会に参加して本当に良かった。

スタッフのお姉さんがゴールテープを張ってくれるのが目に入ります。機は熟しました。ゴールの瞬間です。私は大きく手を挙げスロープを駆け上ります。そしてゴールテープを・・・。


ゴール後に走友会のメンバーに慰労され、私の目から涙が溢れ出ました。とめどなく溢れ出ました。



~5km:31分31秒 

5km~10km:1時間00分10秒(28分39秒) 

10km~15km:1時間28分48秒(28分38秒) 

15km~20km:1時間57分24秒(28分36秒) 

20km~25km:2時間24分49秒(27分25秒) 

25km~30km:2時間52分26秒(27分37秒)

30km~35km:3時間19分41秒(27分13秒)

35km~40km:3時間47分27秒(27分46秒)

40km~45km:4時間14分54秒(27分27秒)

45km~50km:4時間42分12秒(27分18秒)

50km~55km:5時間15分36秒(33分24秒)  緑館で5分強休憩

55km~60km:5時間43分27秒(27分51秒)

60km~65km:6時間12分48秒(29分21秒)  左腸臑靱帯&アキレス腱痛

65km~70km:6時間48分03秒(35分15秒)  仮設トイレへ駆け込む

70km~75km:7時間25分09秒(37分06秒)  鶴雅リゾートで10分休憩

75km~80km:7時間56分55秒(31分46秒)  ウォーキング

80km~85km:8時間35分08秒(38分13秒)  ウォーキング&仮設トイレへ駆け込む

85km~90km:9時間09分53秒(34分45秒)  ウォーキング 

90km~95km:9時間41分22秒(31分29秒)

95km~100km:10時間09分14秒(27分52秒)ラストスパート


~10km:1時間00分10秒

10km~20km:1時間57分24秒(57分14秒)

20km~30km:2時間52分26秒(55分02秒)

30km~40km:3時間47分27秒(55分01秒)

40km~50km:4時間42分12秒(54分45秒)

50km~60km:5時間43分27秒(1時間01分15秒)

60km~70km:6時間48分03秒(1時間04分36秒)

70km~80km:7時間56分55秒(1時間08分52秒)

80km~90km:9時間09分53秒(1時間12分58秒)

90km~100km:10時間09分14秒(59分21秒)


~50km:4時間42分12秒

50km~100km:5時間27分02秒



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