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第34回釧路湿原マラソン
第34回釧路湿原マラソン
2006年7月30日(日)
『私と釧路』
私の父は転勤が付いて回る職業でした。私が3歳になる春、札幌から道北の拠点都市である旭川に転勤しました。実妹は旭川生まれ。
その後父は稚内~釧路~旭川~釧路と道北・道東を歴任し昭和55年10月の異動で札幌へ。当時高校2年生だった私は打ち込んでいたバレーボールを続けたいのと、公立高校の転校先が見つからない不安もあり一人で釧路へ残りました。これが理由で私は小学校4~5年と中学校3年~高校3年の合計6年釧路に在住しました。
正直言うと私はこの土地の気候が全く肌に合わず、転校してさっそく与えられた学芸会主役の大役を急性肺炎で棒に振り、翌年も肺炎再発。高校2年生のときは水疱瘡。高校卒業時に下宿を引き払う際も高熱でウンウン唸りながらの離釧と健康面では良い思い出がありません。夏にお天道様が照らず濃霧が立ち込めるこの気候がどうにも私は馴染めなかったのですね。
しかし健康面以外では志望高校にも合格し、そこで出逢ったメンバーとバレーボールで優秀な戦果を挙げるなど多感な時期を思い残すことなく過ごしました。
『宿泊付遠征』
興味はありつつ札幌からのその距離(片道350km)が大きなハードルとなり、かつて参加経験のなかったこの大会ですが6月頃にふと思い立ちます。「同じ道東にある女房の実家へ里帰りを兼ねて釧路湿原マラソンに参加したら良いんだ」と。自分勝手で一方的なプランではありますが。その後女房の実家の了解も得て大会に申込みを済ませます。2月に当地で行われたバレーボールの北海道大会で偶然再会したチームメートの主将Aに来釧を促されたのも一因。
当初は大会前々日に札幌を出発し女房の実家で2泊世話になり大会当日早朝釧路入りして出場する予定でしたが、急遽女房の長姉一家も同じ日程で里帰りすることになり1泊に短縮しました。3LDKの一軒家に2家族9名が大挙押し寄せ合計11名での雑魚寝を2回するのは自分のコンディションを崩す原因につながりかねないと判断したからです。
そんなある日、勤務先の電話が鳴ります。偶然私がそれに出ると「恐れ入ります。私Mと申しますが、○○○○さんはいらっしゃるでしょうか?」と私の名前を告げるのです。43年の人生でMという名前に出会ったのは高校2~3年時のクラスメートただ一人。瞬時にして25年前の記憶が甦ります。
「Mか?!俺だ!俺が○○だ!どうして俺の居所が分かったんだ?!」
訊くと私の母校は毎年お盆休みに同窓会を開催しているらしく、卒業年度によって持ち回りで幹事役を務めているそう。今年は私と同期生が幹事の年で同窓会終了後に同期会も開催することになったそうなのです。期日は8月12日(土)。前述のように私が高校2年生のときに親は釧路を離れ、私も高校卒業後は数回釧路を訪ねただけ。全てチームメートの結婚披露宴でクラスメートとは音信不通状態でしたが、同期会を開くにあたってクラス名簿を整理すべくわずかな記憶を辿って私を探し当ててくれたのです。ありがたい。上記のように釧路に大会当日早朝に乗り込む予定が偶然前日に前倒しになったこともあり、それならばということで私のために壮行会とプチクラス会を催してくれることになりました。申込みを済ませていたホテルに前日からの連泊を申し出て宿泊地も確保。大会前日にクラスメート、当日にチームメートとの懇親会が決定しているそれはそれは楽しみな宿泊付遠征と相成りました。釧路を訪ねるのは12~3年ぶりのことです。
『楽しいドライブ』
懐かしい釧路遠征に胸躍らせていた7月下旬、北海道ローカル番組で日高路のニュースを報道していました。5~6年前に1度だけ襟裳岬経由で女房の実家を訪ねたことがありましたが、濃霧と強風で襟裳岬は真っ白け。印象に残ったのは霧笛だけという惨状でした。そのリベンジをいつか果たしたいものだとの想いが常にあった私は閃きます。「今年も襟裳岬経由でお祖父ちゃんお祖母ちゃんのところへ行こう。しばらく天気も良いらしいし、きっと今度は絶景を見られるよ」 満場一致。かくして7月28日午前7時20分、襟裳岬~女房の実家経由釧路行きの遠征へ出発です。
2度の休憩を挟んでJR日高本線終着地点の様似町到着が正午ちょっと前。この様似町には私が入社したときに種々お世話になった同じ職場の女性が嫁いでいます。前回この場所を通過した際に電話帳で番号を探し当てて連絡をしたときは外出中で逢うことができませんでした。今回もむずかしいかな?と思いつつ電話をかけると受話器の向こうから聞こえてきたのはあの懐かしい声。今私がいる場所を告げると「ぜひおいで」とのこと。小さな町だけあり、教えられた建物を目印にしてあっさり到着。20年前と変わらぬ人懐っこい笑顔で自宅へ招き入れてくれました。ときはちょうど正午。料理上手のこの女性が家族用に(!)用意していた昼食を勧めてくれます。突然の、それも昼飯時の訪問ですら無礼なのにそれに加えて昼食なんか、という思いと裏腹に腹の虫は反乱状態。せっかくのお申し出をありがたくちょうだいすることにします(反省) 太麺のうどんと天ぷらはとってもとっても美味でした。
「ありがとう、旧姓Sの姉御。来札時にはお互いに目がないビールをかっ食らいましょう」
そこから30分あまりで襟裳岬到着。前回の濃霧がうそのような好天です。おそらく年に何度もないのでは、と思えるほどに。
襟裳岬最南端の電柱。
備え付けの双眼鏡で日向ぼっこをする私の親戚がクッキリ確認できました。
こんな好天の日は1日いても飽きなかったことでしょう。
1時間半滞在の末に後ろ髪を惹かれる想いで襟裳岬を後に女房の実家へ。廃線となったJR広尾線旧広尾駅舎で小休止を1度取り、女房の実家到着は17時30分。大小数回の休憩と再会を含む10時間の楽しいドライブでした。
『いざ行かん、釧路へ』
十勝ワインで高名な女房の実家のある町。到着当日は町内の商店街が主催する夏祭り。ビールに焼き鳥にそばにつぶの煮物。帰宅後スー○ード○イで飲みなおし。しかし雑魚寝翌朝の目覚めはスッキリしていました。そんな10時30分、義父母、義姉一家に我が家族と総勢10名に見送られ出発です。
まもなく空が薄暗くなり旧音別町(現釧路市)通過時は本降り。白糠町通過時は土砂降り。しかしそこを過ぎた辺りから急激に天候が快復し釧路市内到着時にはすっかり雨が上がっていて蒸し暑いほど。ついに12~3年ぶりの懐かしい釧路へ到着です。旧十条製紙(現日本製紙)のショッピングセンターだった十条サービスセンターはビッグハウスにその名を変えていました。ここは私が高校の合格発表を見に行き歓喜した場所です。
まずは小4~5の2年間を過ごした新釧路川近隣の住宅探索。残念ながら影も形も残っていません。そんな話を実家の父へしつつ今回の来釧を後押ししてくれたクラスメートMへ電話。通学していた高校の近所で商売を営む彼の家を訪ねます。一瞬道に迷いかけUターンをしましたが無事に到着。いろいろと音頭取りをしてくれた彼への感謝を込めて日高路で調達した土産物を贈呈。彼の母上も私のことを記憶してくれていました。授業が終わってからよくここで悪友と麻雀をしたものですから。
今回私がとても楽しみにしていたのは釧路名物「泉屋」のスパゲティーカツレツ大盛り、(通称スパカツの大盛り)を高校生以来食すこと。その申し出をMは驚愕の表情で受け入れます。それがこれ↓
通常サイズの2倍は優にあることでしょうが汗だくで完食。翌日へ向けてのカーボローディングもバッチリです(笑)
それから我々が通学した高校の跡地へ。約10年前に別の場所に立て替えられ、今はハローワークと公務員官舎か何かが建造されていました。私が1年半お世話になった下宿も下宿業は廃業したとはいえ当時のまま。懐かしさのあまり呼び鈴を押すと中から(下宿のおばさん)登場。80歳で健在でした。
続いて約10年前に新築された母校訪問。
学校側から委託を受けている警備員に事情を説明し校内へ。
25年前、涙の優勝を遂げた際に贈られたカップが展示されています。薄くなってはいましたが下方のプレートの文字をハッキリと読み取ることができました。
2つある体育館の片方では今回の大会出場の一因を作ったチームメートの主将Aが今は顧問を務めるバレーボールの指導中。10分ほど練習を見学し立ち去ろうとすると、我々に気づいたAが追いかけてきます。5ヶ月ぶりの再会をよろこび、明夜設けてくれるチームメートとの慰労会の場所を確認。ありがたい心遣い。
1度Mと別れて連泊する宿へチェックイン。前月オープンしたばかりのキレイな建物で安心しました。そこで荷を解き1時間後に当ホテル前でMと再度待ち合わせ。二十有余年を経てすっかり変貌を遂げた道にまごつき、私が明日の大会会場へ辿り着けないことを危惧したMが道案内を申し出てくれたのです。これもありがたい心遣い。
キレイに装飾を終えた大会会場。
私が釧路在住時、ここは完全なる湿原でした。故に全く馴染みのない場所です。
この会場近くで偶然喫茶店を経営している同級生Tを訪ねると、加えて2名が私の到着を待ってくれていました。1人は大学以来、もう1人は高校卒業以来の再会。いずれにせよ二十数年ぶりのこと。喫茶店のマスターとも大学以来。口には出さずともその胸中「お互いに老けたなぁ・・・」(笑) 高校の卒業式以来の再会となる友人Tは私同様親が離釧後数年。私との再会を楽しみにわざわざ茨城県から来てくれたというのです。
1時間談笑の末、今宵の壮行会会場を確認していったんホテルへ。午後6時に壮行会会場へ到着すると更に1名Aが加わり合計6名であれやこれやと大騒ぎ。私は翌日のことを考え酔いを醒ますべく壮行会途中からウーロン茶に切り替えてホテルに戻ったのは午後11時30分。ヘタに酔いを醒まそうとしたのが凶と出たか、その後眠れない寝付けない・・・。ウトウトとしては目が覚める状態で翌朝まで。
『ようやくスタート』
午前5時10分、携帯電話のタイマーで目覚め。ロールスクリーンを開けると空は薄曇。二日酔い症状は皆無。道内のニュースで今日の釧路の予想最高気温は22度と報じていました。今宵の宿の朝食は午前7時から。連泊なので必要最小限度の荷造りを整え、7時ちょうどに1階の食堂に出向くと30席程あるそこは早くも賑わっていました。フライングありだったのですね。小さな茶碗に2膳のご飯を平らげホテルを出発したのは7時35分。前日のうちに友人Mに案内されていたおかげで全く道に迷うことなく会場へ到着。備えあれば憂いなし。
ナンバーカードを手にするべく大会本部へ向かうと前日からは予想もできないほどの盛況。出店も多数。
快走ランナーのKさんと再会しご挨拶。相変わらず仲の良いご家族です。偶然ホテルで再会し会場まで乗せてさし上げた知り合いのランナーともここで別れてマイカーへ。他にも知り合いが大勢参加すると耳にしてはいましたが、今回は1人静かに号砲を待つことにしました。隣の空き地ではラジコンカーを操作する人が数名。釧路のメッカなのでしょうか。
前日の夜、壮行会会場からホテルへ戻る途中のコンビニで調達した団子を2本とカステラ1本を腹に収めストレッチ。1kmほどジョグをしただけで汗っかきの私は汗だく。マイカーへ戻ってアミノバイタルプロ1袋をメダリストで流し込みエネルギー補給終了。今日は30kmレースなのでこれでさすがにエネルギー切れの心配はないでしょう。
3年前に購入したブルーのランシャツ・ランパンに身を包み、大会側が用意してくれている場所に手荷物を預けスタート地点へ。てっきり陸上競技場内がスタート地点と思い込んでいましたが、さにあらず。この大会は競技場横の一般道をスタートするのでした。これはスタート直後の混雑を避ける意図なのか、札幌マラソンを彷彿とさせる大会です。
今日の目標は5分/kmを堅持して2時間30分を下回ること。故に全く前方からスタートする意志はなく最後方に陣取りました。ここで目が合ったのが釧路在住の走友で楽友でもあるFさん。よくぞ私のことをご記憶いただいていたものです。初代楽天ブログ閉鎖の事実を詫び、握手して今日の健闘と北海道マラソンでの再会を約束しました。
出発時に117で時刻合わせをした愛用の時計は9時29分を指し示している。程好くリラックスできている自分を感じる。合計6年を過ごした懐かしい釧路。釧路で過ごした小中高と何が嫌いって走る行為が何よりも嫌いだった俺が30kmのレースに参加するのだから人生なんてどこでどう転ぶかわからないものだ。昨夜冗談でクラスメートに沿道に応援に来てくれるよう頼んだがどうだろうか。でもヤツらは俺をよそにずいぶんグラスを空けていたから二日酔いでとても来られるもんじゃないのかも。昨夜に引き続き今晩もある慰労会も楽しみ。2年半住んだ家の近隣を走るこの大会をとにかく楽しもう。
号砲一発。
『ローペース』
足踏み状態を経たロスタイムは20秒程度。計算どおりです。しかし建設中の高速道路下をくぐり右折後の道が片側1車線に制限されていて思うようにペースを上げられません。蛇行走行するのも体力の無駄だし大人気ない。ということで前を行くランナーの背中を見つめながら走ります。1km通過は5分30秒強、2km通過は10分強だったと記憶しています。距離表示が怪しいな、こりゃ。
左折して程なく(←釧路公立大学)の看板が見えてきました。私が釧路を離れてから建学された大学。私の職場の目と鼻の先の席にはこの大学出身者がいます。わずかに開いた隙間を縫ってペースアップするとHN(genさん)が声を掛けてくれます。ご無沙汰しています、genさん。その少し前方には道内ネットランナー界のカリスマ女性ランナーSさんとジャニーズ系ランナーHさんの姿が。軽くご挨拶して前方へ。右折してしばらくは直線が続きます。ハッキリと記憶しています。私が釧路在住時この道はありませんでした。最初の給水所前後が5kmポイントだったようですがうっかり見落とし。体感では26分程度と判断。給水が相変わらず下手くそで、口よりも鼻と肺に多く流し込みむせ返ってしまいました。
新釧路川にぶつかると右折し上流へ。ここは私が通学していた中学校も高校もマラソン大会に利用していた道。年に1度のこの催しが憂鬱だったっけなぁ・・・。毎年雨乞いをしてマラソン大会が中止になるのを祈念していたもの・・・。高校1年のときは雨で大会が中止になり在校生全員で拍手喝采したものだっけ・・・。高校3年のときに当時1年だった女子生徒が心臓発作で急死し、その後マラソン大会が廃止になったと聞いたことがある・・・。
一部砂利道になっているこの辺りから午前6時に陸上競技場を出発していた30kmウォークの参加者とすれ違い始めます。皆一様に力強いエールを贈ってくれありがたいことこの上なし。後方から猛スピードで私を追い抜くランナーがいます。その主はジャニーズ系ランナーのHさん。瞬く間にその背中が遠のいていきます。天晴れ、サブスリー経験者!
左折して橋(名称不詳)を渡り、しばらく走ると(ここより釧路湿原国立公園)の小さな看板が見えてきました。国立公園内を疾走できる大会は北海道内で他に洞爺湖マラソンぐらいしかないのでは。
10km地点通過:49分23秒。ローペースにも程があるというもの。
給水を受け取り首筋へかけて体温上昇を防ぎますが、釧路の真夏の太陽が容赦なく照り付けます。私のおぼろげな記憶だとこの時季の釧路はいつも霧がかかっていて、太陽にお目にかかれることが稀だったような印象があります。しかし二十有余年を経てこの道東の地の気候にも変化が生じているのでしょうか。それとも私の思い込みに過ぎないのか。いずれにせよ紫外線をたっぷりと含む直射日光が我々を苦しめます。
そんな私の目に先導車が飛び込んできました。「まもなく先頭ランナーが通過します」とのアナウンスと共に。約1分後に現れたのは招待選手のカネボウ陸上部、入船敏・満の兄弟ともう1名。しばらく離れてもう1名。その次に現れたのはスタート前にもお逢いした快速ランナーのKさん。いつものように涼しげな眼をして疾走中。カッコイイ~!ハイタッチでエールをいただきます。(Kさん後日談:手が痺れました)
その後しばらく間を空けて後続ランナーが来るわ来るわ。その中にハッキリと見覚えのある顔が。中学校在学時2つ隣りのクラスにいたKさんです。この人は当地の大会でもちょいちょい上位入賞を果たしている上級者。そして1984年冬季サラエボ五輪スケート男子500m銀メダリストの実妹でもあります。名字は当時のままなんだなぁ・・・(余計なお世話)
左側に目を向けると大楽毛(オタノシケと読みます)の王子製紙が後方へ。幼少の頃、大楽毛はとにかく遠いところという印象のある私は妙に感じ入ってしまいました。ここまで自分の足で走ってきたのか、と。
ジャニーズ系ランナーのHさんの姿が見えてきました。SWANのサングラスの奥に窺えるその目は真剣。Hさん速い!声をかけるのを躊躇してしまったほど。釧路在住のFさんともハイタッチ。Fさん速い!でも折り返し地点はまだなのか!いったいいつまで走ったらUターンできるのか!初参加大会ならではの不安な胸中。
15km折り返し地点通過:1時間12分51秒。この5km:23分28秒。
今度は私が往路の参加者とエールを交換する番。順不同でHN:genさん、女性ランナーSさん、HN:じろーさんことHさん。そして私が最も敬愛するウルトラランナーが以前に荷を解きこの大会の宿としたUさんらしき男性。敬愛するランナーのHP内完走記に画像入りで登場したことがあり、私はそのお顔をハッキリ記憶していました。ナンバーを記憶してゴール後に参加者名簿で確認することにしましょう。
復路は強めの風との格闘です。帽子を吹っ飛ばされないよう注意して走りました。この辺りまで来るとどうしても4~5名の集団が自然発生。前方の集団をひとつひとつ捕捉することを目標に頑張ります。遥か前方に望んでいたランナーを捕らえるのが楽しみ。大楽毛の王子製紙は後方へと。とにかく平地。行けども行けども平地。前回参加したピンネシリ登山マラソンとは好対照の大会です。
20km地点通過:1時間36分06秒。この5km:23分15秒。10km~20km:46分43秒。
『ビルドアップ』
給水ポイントが見えてきました。この大会名物(冷えたスイカ)が用意されている地点です。しかし残念なことに私は大のスイカ嫌い。他に用意されていたバナナをも手にせずスポーツドリンクだけを拝受して通過しました。
記憶が曖昧になっていますがこの給水ポイントの前後に高校生ボランティアが多数配備されていて、参加者名簿を手に我々のナンバーから名前を割り出して声援を贈ってくれていました。私にも「○○さん、頑張って下さい!」 これはパワーになりました。一瞬知り合いでも応援に来てくれてきるのか、と。素晴らしい運営です。
主催者側が用意したらしきカメラマンの姿が3名。カシャカシャとシャッターを切りつつ声援を贈ってもくれています。どうもありがとう。
軽い上り坂の向こうに先程も通過した名称不詳の橋が。これは新釧路川を渡る橋。故に堤防沿いの道を含んで残り7kmといったところか。ここでレース終盤に私がいつもする作戦を実践します。その作戦とはいつも自分自身が練習に利用しているコースと今走っているコースをダブらせること。この置換で「まだ○kmもある」ではなく「もう○kmだ」と自分を元気付けることができるのです。そのせいもあり首尾良くペースアップも実現できています。
砂利道を抜け左折後バス通りへ。給水ポイントがありスポーツドリンクを拝受して喉と首筋へ。ここいらが25km地点らしいのですが今回も見逃しました。さっきの砂利道で靴底の吸気用穴に嵌まり込んでしまったらしい小石が鬱陶しい。
今回の大会、最低目標が5分/kmペースの2時間30分。努力目標が4分40秒/kmペースの2時間20分。残り○kmの看板が出現しペースメークをしてくれますが、前日の酒が堪えたかどうにもペースアップできません。残り3km地点だったかで目標達成まで13分弱だったと記憶しています。ということは1kmを4分20秒程度で走り抜けないといけません。27kmを走破した後にそのラップは私の走力では不可能。潔く今日の目標を、(タイム)ではなく(完全燃焼)に替えました。
ハンバーグレストランを左折すると遥か彼方に建設中の高速道路が見えてきました。ざっと2kmといったところか。遠いなぁ~(涙) しかしその手前右側に位置する100円ショップの向かいが友人Tの経営する喫茶店。(あいつらがもしも応援に来てくれていたら無様な格好は見せられない) これだけを後ろ盾に懸命の力走。そんな私の目に飛び込んできたのは今回私を探し当て私の訪釧を後押ししてくれた友人MとマスターT。そしてAさえもが。苦しい表情をサングラスの奥に隠して手を振り、旧友の温かさに応えます。
みんなありがとう。俺、この先も最後まで走り続けるし来年もまた参加するよ、この大会に。
パラパラとではありますが沿道には観客の姿が。私にすら掛けてくれる声援全てに首を振り手を軽く挙げて反応します。交通規制によってもしかすると迷惑しているかもしれない釧路市民へのせめてもの感謝の念として。
ようやく建設中の高速道路をくぐり総合運動公園内へ。ところが何せ広大なこの公園。入園してからがまた長い長い、遠い遠い、苦しい苦しい。体感的に4分40秒/kmといったところか。
右左折を2度3度繰り返し、どうにか陸上競技場内へ。入場してすぐのところに位置するスタッフから大声でエールをいただき、残り300mを全力疾走です。時計はもう見ません。いろんな人と再会し元気をいただき、初参加のこの30kmレースを完走できるだけで充分じゃないか。キレイにセパレートされたトラックを走れたしそれで満足じゃないか。
そんな私の目に飛び込んできたものとはフィニッシュライン。頑張った。ラスト7kmは全力を傾けた自負がある。タイム計測用に2本敷かれたラインを跨いでついにゴール。時計をピッ。
30km地点(ゴール)通過:2時間20分55秒。20km~30km:44分49秒。
~10km:49分23秒。
10km~20km:46分43秒。
20km~30km:44分49秒。
ビルドアップ作戦大成功。
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