誰に向かって誓おうと、何に対して誓おうと、
離れていく気持ちをつなぎ止めることはできない。誰も、それが変わっていくなんて思いもせずに、誓っている。
なぜなら、誓いをたてる時、たいていの人達は、健やかでいるから。
この教会での結婚式の誓いの言葉を耳にするたびに、奇妙に感じていた。
健やかなる時と富める時に愛は変わり難いものだけど、
病める時や貧しき時こそ、変わらずに愛せるかどうかが大切なのに。
それは、決して結婚するカップルに限ったことではなく、
たとえば、友達も、恋人も、子供を持つことも、動物を飼うことも、
なんら変わりはない。
調子がいい時、おもしろおかしい時に友達を失うことは少ない。
だけど、困った状況になったことを悟やいなや、
それまでの、頻繁すぎるほどの連絡が途絶えたり、
まるで静かに立ち去るように消えていく人達がいる。
そして、そういう人達に限って、また、おもしろおかしい時が来ると、
平気な顔で戻って来たりする。
そうやって、調子のいい時だけ戻ってくる人達を、もう、友達と呼べない。
私には数人の稀な友人がいる。
付き合いの長い人もいれば、短い人もいる。
男もいれば、女もいる。
笑いこける時も、泣く時も、変わりなく、そこにいてくれる。
困った時には、更に、どこにそんな太っ腹なところがあったのだと、
私を戸惑わせるほど、まるで当然のように、ありったけの力で、
私を支えようとしてくれる。
私達は、何一つ、誓った覚えはないのだけど。
恋しいと思う人がいるとしたら、
その人との甘い時間を待ちわびることも楽しいものだけど、
本当に愛するためには、
もう一度、自問しておくといい。
健やかなる時よりも、病める時、貧しい時ほど、変わらず愛せるか、と。
私は、“ I do. ”
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