本丸より (21)

< short cut at Tiffany >

ティファニー

◆ 映画の中の町で映画のように ◆

ニューヨークでニューヨークを舞台にした映画を見ることと、日本でニューヨークを舞台にした映画を見ることは全く違う。
映画館を出てもまだ、映画の中にいるような気分になれるのは、ニューヨークだけだ。 少なくとも、私にとっては。
そして、私にとっての映画の価値は、どこかちょっと違ってるかもしれない。

トルーマン・カポーティ原作の映画『ティファニーで朝食を (原題:Breakfast at Tiffany) 』で私のこころを捕らえるのはオープニングの数分だけと言っていい。実際、テレビで何度再放送されても、このオープニングだけは見逃したくないし、何度見ても、見入ってしまう。

そこには、ティファニー本店前、つまり、フィフスアヴェニューと57丁目角の朝の匂いが漂っていて、その眠そうなマンハッタンとヘンリー・マンシーニのまったりと美しいBGMが映画よりももっと、本当のあの「角」の情景を写し出しているからだ。唯一、現実と違うのは、あの時間、ティファニーのショーウィンドーには高価な宝石の類いは並べられていないことだけかも。(ああいう格好をした女性が朝っぱらから歩いていることはたまにある。)

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いつかも書いたけれども、私にとってあの角はshortcut(早道)をするための 'Tiffany' で、フィフスアヴェニュー側の回転ドアから入り、店内を斜に横切って57丁目に出るため、かれこれ、16年以上、あの店内を横切り続けている。

もちろん、その17年近くの間に、何度も水色の袋をぶら下げて回転ドアから出てくることになった回数は、数えきれない。

Tiffany

ちなみに、閉店後はこのように、まるで金庫のようなトビラで締切られる。( Tiffany New York )

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もう何年前になるだろう。
その頃には珍しく、私はわざわざその映画をマンハッタンで一番“デカイ”スクリーンで上映しているタイムズクエアーの映画館まで見に行った。
その映画は「タイタニック」だった。

その昔“The Night to Remember”というタイトルでモノクロ映画化されていて、その映画の印象は深かった。それを、ジェームス・キャメロンがどこまで最新技術やCGをフル活用してリメイクしたか興味深かったし、そういうコンピューター画像というのは、劇場サイズで見ないとテレビサイズになった途端にアラがボロ見えでドッとしらけてしまうのが分かっていた。

けれども、なによりも、あの映画が封切られた頃の私は、あのとても設定17才(だったかな?)には見えない主人公の“ローズ”と同じように、まるで巨大な客船の船尾から身を乗り出して、今にも氷の海に1歩、踏み出しそうな気分だった。

あのラブストーリーはどうでもよかった。(できれば、ないほうがよかった)

船が氷山にぶつかり、沈んでしまうことは、歴史上の事実であって、ストーリーは変わらない。 それぞれの「事実」としての人間模様が繰り広げられる。それも、変わらない。

あの映画の中で私を泣かせたのは、沈みかけた船から打ち上げられる「ロケット花火」だった。 暗黒の海原にポツンと停止した巨大なはずなのにちっぽけな船から打ち上げられたロケット花火のシーンが、「引き」で映る。
ちっぽけな船から、小さな悲鳴のように、小さな花火が開く。
(そのワンシーンを見た瞬間、アカデミー賞の授賞式でジェームス・キャメロンがオスカーを高々と振り上げるシーンが浮かんだ。)

自分のこころの悲鳴が「メイデー」と告げる船の花火と重なってしまって、めったに公共の場で泣いたりしない私が、泣いた。

それからというもの、タイタニックの話題がでるたびに『あれは花火がよかったねえー』という私の映画論は不思議がられた。

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  真っ暗で、寒くて、助けは遠く及ばず、私の「ロケット花火」に気付く人はなく。

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