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やれば出来る出来ぬは利権のゴリ押しなりけり 大阪ジャランジャラン ・ 大阪地下鉄株式会社初乗り150円2区間180円やれば出来る地下鉄運賃値下げ。今まではノーマイカーデーとか金曜日に限って650円乗り放題だった。元市長関純一さんは地下鉄御堂筋線民営化にこだわり市議会にイテコマサレタ。大阪市交通局という伏魔殿には6000人~7000人の超高給盗りが巣喰う。ご覧の通り大つごもりの本日御堂筋線東三国駅乗車梅田下車東梅田より恵美須町までゆき、PCのディスプレイをソフマップにて購入し難波駅から東三国まで持ち帰り、また難波まで行ってDVD―R100枚とインターネットの分配器を購入、難波駅から梅田で下車してヨドバシで懐中時計を購入して今アトリエまでたどり着いた。市長が強引だと地下鉄は完全な株式会社に出来る !イクォール6000人~7000人の超高給盗りが、民間会社としてサービス向上と東京メトロ初乗り160円より安い150円に出来る。無駄と空気と高給盗りがのさばるバス路線は全廃しても良い。大阪地下鉄株式会社初乗り150円2区間180円。やれば出来る。出来ぬは利権のゴリ押しなりけり。大阪市民 玉地俊雄
2011.12.31
以心伝心安請け合いの手塚治虫先生と玉地俊雄 手塚治虫伝 ・ 手塚治虫先生と玉地俊雄以心伝心安請け合いの立ち話しコイツ困ったヤツだけどアテにはなるなぁと特別変な表情の手塚さん。こんなツーショットは後にも先にも此れ1枚のみ。昔人民日報の漫画増刊「風刺点幽黙」訪日散記に、当時の首相鈴木善幸さんの似顔、横山(隆一)・童心未沢、小島(功)・独具匠心、玉地・天真爛漫との順番でイラスト入りの紹介記事までが載り、伊丹空港での大笑いの中の別れ際には 「 玉地俊雄・四大家、漫画・写真・童心・笑笑大偏好 」と本心からゆわれ、手塚さんが後日中国へ行った時、あの「玉地俊雄」とはいったい何者ですかと、行く先々で聞かれてねぇと苦笑しながら僕に報告してくれたことがあったのを思い出した。わかりました、OK、みなまで言わんとまかしといてんか。帝国ホテルの接待会場で立ち食いのオワン蕎麦を二人で食べながら立ち話し。 「 明日の朝京都へ新幹線ではいるんだけれど 今日の明日で…玉地さん 」 「 わかりました 明日の朝僕が京都の駅で待ってますから 」と安受け合いしてしまっちゃったのです。電話でなくて呼んでみんなにあわしてくれたんかなぁ。おおきに。わざわざ電車賃使こて来た甲斐はあったみたいやな。 「 じゃあ 頼めるかな 僕は少し後から必ず駆けつけるから 」と安請け合い同士。その日は最終の新幹線で大阪へ戻り、翌朝早く新大阪から新幹線で京都まで行って代表団をホームで待ちます。さぁ奇想天外行き当たりバッタリ、鬼が出るかひょっとこオカメか大阪流玉ちゃん芸の始まり始まり。つづく社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.31
中国美術家協会副主席 手塚治虫伝 ・ 中国美術家協会副主席実質No1の華君武大先生見慣れぬ中国人らしき紳士やまぁるい人や通訳とおぼしき女性が?。岡本太郎までがわたくしに向かって「ばくはつだぁ」と言いかける。水木しげるさんも、いったい今日の集まりはなんやねん。手塚さんなんでわたくしを呼んだの?。実はこのお爺さん中国美術家協会副主席実質No1の華君武という、ものすごいおっさんであったと後で知ったが、なぁに玉ちゃんの手で転がせば、おタワケ三昧と奇妙キテレツの空中綱渡りを、手塚さんがフォローしてくれるので全く問題ありまへんのだ。つづく社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.31
四声を慎重に発音する手塚さん 手塚治虫伝 ・ 手塚治先生に中国美術家協会の人々が玉地さんって何者だいと聞いた中国から第二次訪日使節団がやってきた。中国語は四声という4種類の音の上げ下げで意味が違ってしまうので、手塚さんは身長に名前を読んでいる。見慣れぬ中国人らしき紳士やまぁるい人や通訳とおぼしき女性が?。岡本太郎までがわたくしに向かって「ばくはつだぁ」と言いかける。水木しげるさんも、いったい今日の集まりはなんやねん。手塚さんなんでわたくしを呼んだの?。 「 第2次中国美術家協会訪日代表団 」接待がなんとかならないだろうかとの話が手塚さんからありました。そういえば、「 第1次中国美術家協会訪日代表団 」が来たときも、僕は大暴れで躁状態の大爆発。京都・奈良・大阪と、大サービスのワッショイワッシヨイ、人民日報の漫画増刊「風刺点幽黙」訪日散記に当時の首相鈴木善幸さんの似顔、横山( 隆一 )・童心未沢、小島( 功 )・独具匠心、玉地・天真爛漫との順番でイラスト入りの紹介記事までが載り、伊丹空港での大笑いの中の別れ際には「 玉地俊雄・四大家、漫画・写真・童心・笑笑大ヘン好 」とゆわれ、手塚さんが後日中国へ行った時、あの「 玉地俊雄 」とはいったい何者ですかと、行く先々で聞かれてねぇと苦笑しながら僕に報告してくれたことがあったのを思い出した。社団法人日本漫画化協会会員 玉地俊雄
2011.12.30
岡本太郎氏の 芸術は爆発だ !との意味不明の挨拶 手塚治虫伝 ・ 手塚治虫先生からのご指名電話でわざわざ東京へ行ったどうも、手塚さんの仕事をお手伝いさせてもらって おおきんやこきん が手に入った、という記憶はまったくなく、また、僕もそんなド田分けたことなど、ほんとに毛ほども意識の裏にも表にも無かったのだが、お声がけと飯を奢ってくれたのが実に至福の時間だった。僕たちのイベントに時々約束日の1日遅れとか突然当日予告無しで飛び込んで来ては、 「 玉地さん サイン会やりましょう色紙出してください 」てな事態に慌てふためいた記憶が山ほど在りました。まさに手塚遅虫・手塚嘘虫・雲隠れ才蔵の異名どおりの神出鬼没で愛想の良い巨人でした。僕も手塚治虫先生にギャランティーをお渡しした恐れ多い経験がありません。そういうお付き合いの中で食事内容まで一番はっきりと思い出すのが、 第二次中国美術家協会訪日代表団御接待の時。とある集まりに手塚さんからのご指名電話でわざわざ東京へ行ったとき。岡本太郎氏が突然僕の目の前にズカズカとやって来て。 「 芸術は爆発だ ! 」 と怒鳴る。小柄な体型の彼は僕が度胆を抜かれてやや身構えると更にもう一度 「 芸術は爆発だ ! 」 と怒鳴ってきびすを返し去って行った。岡本太郎氏はこの会場で 芸術は爆発だ !との挨拶をしたが、後岡本太郎氏の 芸術は爆発だ !との挨拶はナニをどう表現したいのか意味不明の発言に終始していた。つづく社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.29
音楽激論 8 手塚治虫伝 ・ 火の鳥もやはり手塚治虫先生と同じレコードを聴いていました阪急東通商店街の割烹での食事が何だったかは全く記憶に在りません。アニメラマ千夜一夜物語と音楽の話は何処まで言っても尽きる事無く、お父さんと子供ぐらい年の離れた神様のような手塚さんとただの漫画小僧は、相譲るふうでも無く、ブラームスを語りシェヘェラザードとチャイコフスキィーをお箸でほぐして食べ続け、日本酒とビールの音楽激論は胃の府へとすんなりと収まったひとときでした。そして火の鳥もやはり手塚治虫先生と同じレコードを聴いていました。STRAVINSKY THE FIRE BIRD LONDON records LL 1272ERNEST ANSERMET conducting L’ ORCHESTRE DE LA SUISSE ROMANDE思えば音楽とアニメ好きの手塚治虫先生と僕のLPレコードライブラリィーは、なるべくして大半が同じ部分で多く重なっていたようでした。僕は手塚治虫先生よりもう4年長生きしています。ウエブとサーバーの続く限り故手塚治虫先生との思い出を残しています。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.28
音楽激論 7 手塚治虫伝 ・ 森の伝説とチャイコフスキーの4番アニメにしませんかの関係だれか僕の活舌暴発を止めて。どんな手段を使こてもかめへんさかい。手塚さんに向かって飯おごってもろて、初めてサインまでもろて、なんちゅう失礼なことをいうとるんぢゃオノレわっ。 しかしもっとイケナイ事はさらに暴走して 「 チャイコフスキーの4番アニメにしませんか 」 「 うぅーん あれはねぇー 長いからなぁ 」 いいかげんにしなさいっ。よくこれで22年間も付き合いを許してくれたのがまか不可思議の無量大数。しかし~っ後年、毎日映画コンクールで「大藤賞」をいただいた 「森の伝説」というレーザーディスクを買い求めて鑑賞し始めたところ、な、なんとチャイコフスキーの交響曲第4番の金管楽器群が、森をブルドーザーがブツ壊す場面で、吼え狂って、リスニングルームいっぱいに鳴り響いているぢゃぁあ~ありませんか。そして特筆すべきは、森の木々がモリモリとビッグXのように、異常な速さで自然破壊する人々と重機類を飲み込む映像は、トトロに受け継がれやがてディズニーのファンタジア2000の火の鳥終結部、森と緑の急速で劇的な再生にイマジネーションとして影響を与えたと信じている。生前手塚さんにこの第四交響曲の謎を聞くことはとうとう有りませんでしたが、二人だけの雑談としてぼくの心の中にまだ昨日のことのように残っています。僕は手塚治虫先生の肉声を今でもいつでも再生して聴く特技を持っています。 「 玉地さん 森の伝説に悲愴交響曲はちょっとね~ 」社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.28
音楽激論 6 手塚治虫伝 ・ 悲愴交響曲第四楽章の哀切さが僕はたまらなく好きなんだけど主に手塚さんと僕との間で交わされたやりとりは以下の様な論調でした。 「 悲愴交響曲は第四楽章がこれでもかというほどツライ 」 「 そうかなぁ ぼくはその悲愴交響曲の哀切さがたまらなく好きなんだけど 」 「 すんません キライとか言うてるんじゃなくて 悲愴よりは第4番のほうが僕は好きなんですということなんです 」 「 1楽章の途中にある突然やって来る変換点も面白いんだがなぁ 」 「 悲愴交響曲は第一楽章の構成も ドグォルザークの新世界交響曲にフォルムと進行が似ていて モーッァルトのピアノとヴァイオリンの為のソナタのように 甘い誘いにひょいと第一主題を弾き始め 突然転調して魔界へ引きずり込まれるような仕掛けに突き落とされた後 また基本の長調に戻って救済されるといった凝った仕掛けと違って 悲愴も新世界もどちらも耳にタコ さぁ聞いてという感じが強い チャイコフスキーの5番はマーチみたいで大げさすぎるけど 第4番は冒頭の金管楽器が吼え狂う所 ほんで 第二楽章なんぞは実にペシズム漂う チャイコフスキィーらしいごっっええ雰囲気だと思います ドヴォルザークの8番も同じように思います 」此れもまた同じくエウゲニー・ムラビンスキーと、当時のレニングラードフィルハーモニー交響楽団のLPでした。よくまぁ神様に向かって言葉の弾みが紀州の殿様てん手毬になったもんです。今思い返すと即身仏の穴を掘って飛び降りたいものでした。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.28
音楽激論 5 手塚治虫伝 ・ 悲愴交響曲より第4番のほうが好きですでも手塚さんは何故か断然チャイコフスキーの「悲愴交響曲」が大好きです。しかし悲愴交響曲は徹頭徹尾暗くて終楽章には救いが無い。モッとはっきり申せば悲愴交響曲は嫌いであまり聴きたくありません、と手塚さんに向かって発言するのはいかに失言玉地といえども言えませんし、好き嫌いはおのおの人々の好き勝手なので好きな人は好きで聴きたく無い人にはダメ。僕は歌が下手な百恵もバッハもバリ島のガムランもアンデスの音も、音が楽しいと書いてすべてが音楽だと思っています。ただBGMとして聞き流す音楽と真正面から音楽と対峙する胆力を要する音楽は、別個の領域に在ると信じていますから、大阪のコンサートで時々ヴーと怒鳴るのは僕一人のようですが、此れは絶対におかしい大政翼賛会的音楽会ないしは、たかが大阪のオーケストラだからとの諦めと限界に空しさを感じているなら、金払ってまで来るなよと言いたいし、金払っているんだからスカの演奏には抗議してあたりまえで在ると行動しないのがおかしい。じゃあ玉地さんはチャイコフスキィーの何番の交響曲が好きなの?そう考えて譲れ無い僕はチャイコフスキーは交響曲の質として、格段にレベルが下がってしまいますが 「 悲愴交響曲より第4番のほうが好きです 」との大失言を放ってしまいました。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.27
音楽激論 4 手塚治虫伝 ブラームス第一交響曲ベスト盤アムステルダムでのライブ録音を手塚治虫は聴けなかったbalitamaji はアムステルダムでのライブ録音がブラームス第一交響曲の頂点と信じます。アムステルダムでの悪魔の叫びとティンパニの強打につづく、弦楽器群の悪魔的轟きをともなったようなライブ録音は、第四楽章一つをとっても全ての中で最も早く演奏される力と強引さが心を圧倒する。51年の北ドイツ放送交響楽団も同様ピィッチカートの扱いが極端に強く、激的破綻と自由闊達な踏み外や彼独特の暴走的発狂演奏の無い、正統的で堂々とした演奏の52年のティタニアパラスト劇場での、ベルリンフィルとのライブも同年のヴィーナーフィルハーモニカーとの、威風堂々としたライブ録音を聴かずして没したのは残念であった。でも手塚さんは何故か断然チャイコフスキーの「悲愴交響曲」が大好きです。でもフルトヴェングラァーのブラームス第一交響曲を聴いて、こりゃ凄いと手塚さんはビックリしました。この僕も持っていた同じLPもレパートリーの一つになったのですが、ブラームスは惜しい事にその後発展して行きませんでした。しかし此れはブラームスが凄いのではなくて、1947年のフルトヴェングラァーとヴィーナァーフィルハーモニカーが凄かったのです。ウェートォーヴェンとブラームスに関しては、巨人ヴィルヘルム・フルトヴェングラァー以外はクズでありゴミのようなものである。手塚治虫先生はチャイコフスキィー党だったが、1947年のフルトヴェングラァーのブラームス第一交響曲、ライブ録音を聴いて驚きレパートリーの中へ入れたが、アムステルダムでのライブ録音が頂点のブラームス第一交響曲を聴けなかった。そして僕は悲愴交響曲を奉ずる手塚治虫先生に此れを否定する暴言に口を滑らせた。つづく社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.27
音楽激論 3手塚治虫伝 ・ 手塚治虫悲愴交響曲に割り込んだフルトベングラーのブラームス第1交響曲そのとき話のついでにクラッシック音楽の話になりました。手塚さんはクラッシック音楽が大好きです。いつも虫プロ中にクラッシック音楽が流れ続け、ジャズや歌謡曲ファンにははなはだ迷惑千番だと思うのですがお構いナシでした。あまりにウルサイのでアシスタントの要望を入れ常磐津や歌謡曲も買わされたそうでした。手塚さんは簡単な曲ならピアノも弾けます。何故か断然チャイコフスキーの「悲愴交響曲」と、当然の事ながらストラヴィンスキィーの「火の鳥」が大好きです。でもフルトヴェングラァーのブラームス第一交響曲を聴いてこりゃ凄い、と手塚さんはビックリしました。この僕も持っていた同じLPもレパートリーの一つになったのですが、ブラームスは惜しい事にその後発展して行きませんでした。しかし此れはブラームスが凄いのではなくて、1947年のフルトヴェングラァーとヴィーナァーフィルハーモニカーが凄かったのでござんす。もしもは無いけどカラヤンを聞いていたらブラームスを正確に認識できなかったでしょう。嘘だと思う人は頭と耳と音楽観が悪い。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.26
音楽激論 2 手塚治虫伝 ・ アニメラマ千夜一夜物語ぢゃないですかサインしたげよう旭屋の袋を目にした手塚さんが 「 何の本なの 」と勝手に開けます。 「 千夜一夜ぢゃないですかサインしたげよう何か描くもの持ってますか 」びっくりした僕は、なにしろ後にも先にもサインしてほしくても恥ずかしくて壱たりとも言えなかったのに、申し訳ありまへんの突然の手塚さんのご好意に驚き極楽極限状態で、当時使っていたパイロット万年筆のミュージックという、音楽の楽譜用のスッごく太い万年筆とこの本を渡しました。 「 なにがいいですかね 」頭の混乱していた僕は、今から考えりゃマーディァかミリアムという女性キャラクターが、とも思いますがなにしろ晴天の霹靂。 「 い、いぇ、なんでも 」すると、手塚さんが一番こだわった、仏蘭西の癖のある俳優ジャン・ポール・・ベルモントを手本にした「アルディン」かいてくれましたが、なにしろこの万年筆は異常な太さで、僕の描き癖が強く残っていて描きづらいとみえて「アルディン」の左腕がとうとう描かれませんでしたが、唯一わたくしの手元にある絵入りのサインです。僕は手塚さんが何故か親しくしてくださったのでサインして下さいと生前言えませんでした。著者謹呈本サイン入りなどは数知れず在りましたが子供たちがボロボロにして読みました。場はなんとなく和み僕も手塚さんも音楽好きなので、アニメラマ千夜一夜物語のリムスキィーコルサコフのシェヘェラザード第三部の音楽と、ウォルトディズニーのファンタジアから、怒涛のチャイコフスキィーに関する音楽激論へと繋がって行ったのです。つづく社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.26
音楽激論 1 手塚治虫伝 ・ 手塚治虫VS玉地俊雄先ずはおとなの絵本千夜一夜物語からアニメラマ千夜一夜物語の製作大阪班は僕も若かったし手塚さんも若かった。集まった応援部隊も供に若く製作現場はお祭りのような賑やかさで、切羽詰った虫プロダクションのみんなも何故か余裕があったし、よく僕の自宅へ電話をかけてきていた大山和栄などは、家庭を捨てて虫プロの某氏と東京へ行ってしまったりと訳の分からない状況であった。何週間かたって、手塚さん本人から 「 明日大阪まで行くのでいっしょに食事しませんか 」との電話がありました。阪急東通り商店街に今はもう無くなった割烹芳房の2階貸切で、この時も飯を奢ってくれましたなぁ。アニメラマ千夜一夜物語も無事上映中の慰労会とは不思議なことだ。行きがてら、少し時間が有ったので何とはなしに、梅田の旭屋で本を買いました。おおなんとなつかしい本が。 「 おとなの絵本千夜一夜物語 手塚治虫監修・筑摩書房刊 」おとなの絵本千夜一夜物語は没になったやなせたかしさんの原画と、アニメラマ千夜一夜物語の画面セルの豪華発色ハードカバーで、同業者の美術的鑑賞にも充分納得してもらえる不世出の巨大アニメーション映画本でした。1969年12月5日の初版定価1800円迷わず買い求めました。手塚さんは玉地が買った本屋の袋にナニが入っているのか気にしています。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.25
現場写真はピンボケ手塚治虫伝 ・ アニメラマ千夜一夜物語ヒロインのマーディア独り占め現場写真はピンボケ塗りました。役得。うふふふふ。責任者の横暴。うらまやしい。何とでも言え。制作協力者のセル塗り冥利、納得ゆく総天然色大判作品を書き上げた時と同様の達成感、とはこういうことなのですのだよ。なんで?。時間通り出来上がらないで大阪まで仕事が無理やり持ち込まれるのかは、やはりこの時もまったく気になりませんでした。セル塗りは続くつづく続いて延々とつづき終わりが無いがしかし、現場責任者として手塚治虫先生に見込まれたからとて、なにせまだ大学生で御座済いますのでちょっとした甘い汁に心も動きます。開始直後バグダッドの奴隷市でヒロインのマーディアが、被っていた布を剥ぎ取られ半裸の胸をあらわにして、 「おぉ…………っ」とため息が画面を包んだ直後の顔だけドアツプ “大止めの1枚” 時間にして約5秒ほどの静止画。此れを紛れも無く僕が独り占めして製作したのですのます。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.24
書き写した5秒止めの動画 手塚治虫伝 ・ アニメラマ千夜一夜物語ヒロインのマーディア独り占めセル塗りは続くつづく続いて延々とつづき終わりが無いがしかし、現場責任者として手塚治虫先生に見込まれたからとて、なにせまだ大学生で御座済いますのでちょっとした甘い汁に心も動きます。開始直後バグダッドの奴隷市で、ヒロインのマーディアが被っていた布を剥ぎ取られ半裸の胸をあらわにして、 「おぉ…………っ」とため息が画面を包んだ直後の顔だけドアツプ “大止めの1枚” 時間にして約5秒ほどの静止画。此れは僕に手塚さんか賜されくださった役得と理解し、動画の書き写しと塗りを全て独り占めの役得が甘い汁で御座いました。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.24
「ファンタジア」のぱくり 手塚治虫伝 ・ ファンタジア東洋の踊りシルエットを借用したアニメラマ千夜一夜物語そしてこの動画も現在のように精密なコビー機の無い時代だったので、一枚一枚薄紙を乗せて書き写した逸品で在ります。黒だけの「ファンタジア」のぱくり何十枚かは、あからさまなデイズニーへの対抗意識からの産物であった。もともとは1940年公開の総天然色カラーによるアニメーション映画の第二曲、チャイコフスキィーのくるみ割り人形の東洋のまたはアラビアの踊りで、金魚が黒いシルエットで弧を描いて泳ぐ数秒のカットを、主人公アルディンが盗賊の娘マーディアを口説いて、世界中で一花咲かせようようやと延々と続くのであった。僕は黒ばかりの色塗りを学生に任せてせっせとトレース作業をしていたのです。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.24
1秒のセル塗りに12時間手塚治虫伝 ・ アニメラマ千夜一夜物語12時間の記憶喪失になるような延々と続くセル塗り女ょうが島のシーンは実に素適な手塚NUDEの逸品であった。全裸の白蛇の女王との睦み事のあと彼女の足に取りすがる場面、合計7枚を晩飯を食べた後ずっと朝の7時まで、寝ずに血圧を上げ目をこすり座布団を腹の下に敷きうつ伏せになって、意識朦朧で塗って塗って試写会場では一秒と少し。でもこの7枚は僕が約12時間の技術と忍耐力で塗ったのである。そしてこの動画は現在のように精密なコビー機の無い時代だったので、一枚一枚薄紙を乗せて書き写した逸品で在ります。よくまぁそんな余力があったもんだとつくづく思う。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.23
のたうちまわる鉛筆の線 手塚治虫伝 ・ アニメラマ千夜一夜物語のたうちまわる鉛筆の線だけによる性描写内容は奇想天外荒唐無稽大冒険活劇涙有り恋も女ヶ島の酒池肉林や、当時としては凄っごい思わせぶりでアブストラクトなのたうちまわる鉛筆の線だけによる、性描写は画期的アイディアとアニメーターの力作中の大仕事。あまりに長い時間を要したこの場面は前技と大腿部に集中していた。アニメーターの大脳皮質と交感神経はナニを想像していたのかを考えると、現在の JAPANANIME や KITTY などアメリカに発売拠点を移して、世界発信を続ける内臓感覚のDVDよりも遥かに優れていると個人的には感銘を受ける。関西大学在学中を手塚さんは承知の上で授業エスケープしてちょ~だいませの、セル塗り現場監督をおおせ使わされちゃったのでござんした。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.23
招待状 の 豪華絢爛招待状サイズのアニメセル 手塚治虫伝 ・ アニメラマ「千夜一夜物語」ではアニメセル入り豪華絢爛の招待状が来たアニメラマ「千夜一夜物語」は完成と試写会がモーレツに遅延した。手塚遅虫・手塚嘘虫・雲隠れ才蔵だから仕方無い。僕は大阪セル塗りの現場監督として記憶が飛ぶほどボランティアに徹した。自衛隊から転職した本橋さんはもーちっとなんとかといつもぼやいていた。火の鳥2772ではやはり現場監督に徹しセルは1枚も塗らなかった。火の鳥2772では招待状は来なかった。書留郵便で手塚さんの名刺に試写会へどうぞ手塚治虫とのサインがあった。アニメラマ「千夜一夜物語」では豪華絢爛の招待状が来た。最初に言い訳が印刷されていた。モーレツに遅れた試写会に招待状サイズのアニメセルを挟んだり、更に言い訳を山ほど書き込んだりした表ッ側は真っ黒ケだったのは何故だろう。爽やかな初夏の頃、みなさまにはご壮健にてご活躍のこととお慶び申し上げます。此度、日本ヘラルド映画が創立十週年を記念し企画し、虫プロダクションが製作に当たった< アニメラマ >・「千夜一夜物語」がいよいよ完成いたしました。今までの日本映画には見ることの出来なかったエンターテイメントとアニメーションの新しい可能性の開拓を目指し、日本だけではなく、広く、世界市場で通用する娯楽大作として製作したこの「千夜一夜物語」は“ アニメーションは子供のためのもの ”とする既成概念を打ち破り、新しいアニメーションの進むべき方向を明示した、と自負できるもので、あえて< アニメラマ >と名付けたゆえんもここにあります。その「千夜一夜物語」の完成披露試写を左記の如く行いますので、ご多忙中とは存じますが、ぜひご高覧下さいますようご案内申し上げます。紫煙のゆらぎ 表紙に balitamaの「手塚治虫伝」をまとめて読めます がある。今手塚さんが生きていたら83才になる。ブッダはテヅカプロダクションと東映との共同制作により全く遅延無く完成されている。手塚さんが生きていたらそううまくはゆかない。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.22
単独行と河童橋からの穂高 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 完芥川龍之介が人間世界の阿呆さ加減と不条理を河童の世界を通して描いた小説は、トックやゲエル氏たちとこの河童橋から明神までの笹薮と梓川から始まった。河童橋の上に立つとかつて芥川龍之介の彷徨いこんだ河童国に思いを馳せる。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きであった。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがあった。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。河童橋からの紅葉はさほどでも無いがこの道とて岳沢までゆくと凄いぞ。単独行者 玉地俊雄
2011.12.22
手塚治虫展グッズ 手塚治虫伝 ・ 手塚治虫展のグッズを大阪梅田阪神百貨店8F催場で買った会場の出口にはグッズ販売コーナーがしつらえてある。リトグラフは4万円ほどであるが12枚セットがあるのでパス。楽しいお買い物は同業者とて展覧会のおつきあいである。手塚治虫先生にはイロイロ長々とお世話になった。一週間しか無いので必ず大阪の手塚ファン及び漫画家は見にゆくべし。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.21
手塚治虫展会場 手塚治虫伝 ・ 手塚治虫展を大阪梅田阪神百貨店8F催場まで見に行った入場料は500円である。僕は500円を支払わなかったがまぁええとせんかい。そういえば手塚治虫記念館で無理矢理入場券を買って入った事もあったなぁ。名作 “ 紙のとりで ” の原稿は見ものである。僕はこの作品の背景を手塚さんから聞いた事がある。東映のブッダが主体の展覧会である。リボンの騎士アニメセルは手塚さん直筆の僕が所有するセルのほうが立派だ。な~つかしいー千夜一夜物語のセルもある。手塚治虫先生にはイロイロ長々とお世話になった。必ず大阪の手塚ファン及び漫画家は見にゆくべし。僕は初日の手塚治虫展を大阪梅田阪神百貨店8F催場まで見に行った。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.21
手塚治虫展招待券 手塚治虫伝 ・ 大阪梅田阪神百貨店8Fへ手塚治虫展を見にゆこう入場料は500円である。僕は500円を支払わなかったがまぁええとせんかい。御幼少期の手塚さんの写真はまぁ珍しいがああそうかいなの世界である。 名作 “ 紙のとりで ” の原稿は見ものである。大阪梅田阪神百貨店8Fへ手塚治虫展を見にゆこう。手塚治虫先生にはイロイロ長々とお世話になった。社団法人日本漫画家協会会員 玉地俊雄
2011.12.21
単独行と威厳在る前穂高岳 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 47明神まで戻ってくると快晴の穂高錦秋の涸沢での数時間が夢のように思われる。今も快晴だがそれは現在進行中の過去形でしか無い。威厳在る前穂高岳の裾野が明神の売店から望まれる。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。此処まで来れば上高地までは時間つぶしの遊歩道のようなものである。明神から上高地まで1時間ゆっくりと歩こう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.21
なぜ人は山へ登るのか篆刻編 弐 紫煙のゆらぎ ・ なぜ人は山へ登るのか篆刻編 弐僕は単独行者である。半歩間違えば行方不明者となる危険と背中合わせである。しかし夜半テントから首を出し満点の銀河を眺め、硬いパンと暖かいコーンスープをいただくと山の女神と対座しているのかとの錯覚に陥る。しかし其処へ至るまでには己の醜さを徹底的に認識し肯定して捨てねばならない。 人は ソモサン。 なんで山登るん? 答えて セッパ。 悠然として独り穂高を愛でる。篆刻 玉地俊雄
2011.12.20
単独行と涸沢の池 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 47涸沢の池でエイトバイテンを1枚撮影した。場所待ちの白髪老人はリンホフテヒニカにフジナー150mmf6.3だった。1枚撮影したので場所を譲ってあげたら4x5ロールフィルムで、めくらめっぽう高速シャッタァーで高い位置から撮影を始めたのには驚いた。僕はエイトバイテンにあおりをかけて水面と写りこんだ涸沢岳を、低い位置から撮影していたので三脚を下げるよう進言したら、彼も三脚の位置を下げていたが後で白旗史朗氏と周りの人から知らされた。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。白旗史朗氏に涸沢の池で撮影の手ほどきをしたのは僕であった。知らぬが仏であった。単独行者 玉地俊雄
2011.12.20
なぜ人は山へ登るのか篆刻編 紫煙のゆらぎ ・ なぜ人は山へ登るのか篆刻編 壱山水有情草木香る。自然天然の空気も草木の香りも世俗には無い。渦巻く嵐岩稜を吹き抜き雲かかる高峰より落つる滝爆音立つるや。梓の川どうどうと流るるに屏風岩千尺のそびえたつやいかに。 人は ソモサン。 なんで山登るん? 答えて セッパ。 河声嶽色を愛でん。非日常と生死との表裏一体に世俗を超えた心洗う真理の在るを知る。篆刻 玉地俊雄
2011.12.20
単独行と徳沢の大休止 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 46徳沢園で女優の八千草薫さんが真冬に登山好きの旦那さんと一緒に訪れた時、朝顔を洗いたいからお湯を下さいと小屋守りのおじさんにお願いした話は有名だ。氷壁の宿といても有名な徳沢園。テント場もある。前穂高の眺めも良いので28kgのバックパックと供に大休止する。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。此処まで来れば上高地までは時間つぶしの遊歩道のようなものである。徳沢~明神を上高地までゆっくりと歩こう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.19
単独行と新村橋 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 45新村橋は屏風岩と前穂高岳の鞍部を越えて涸沢へ入る慶応尾根への道が在る。地図を持たない単独行者は錆びた空き缶を頼りに登りに登り、前穂高の直下で引き返し涸沢へ再度登り直した事もあった思いで深い橋である。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。此処まで来れば上高地までは時間つぶしの遊歩道のようなものである。横尾~徳沢~明神を上高地までゆっくりと歩こう。新村橋が川下の右手に見えると15分圏内に徳沢の大休止が待っている。単独行者 玉地俊雄
2011.12.19
単独行と梓川からの前穂高岳 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 44前穂高岳を梓川から徳沢へゆく道から望む。この地点の背後は落石危険地帯であるが横尾~徳沢の間では良い見晴らしである。朝方のどんよりとした大気は一変して快晴になっているが其れは過去形。あとは下山の道を楽しむ。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。此処まで来れば上高地までは時間つぶしの遊歩道のようなものである。横尾~徳沢~明神を上高地までゆっくりと歩こう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.19
単独行と横尾河原のにぎわい 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 43前穂高の稜線が屏風岩に向かって下っている山稜が見事な横尾である。横尾から道なりに直進すれば槍ヶ岳へノンストップで登り約11時間以上。左の橋を渡れば涸沢まで8時間以上を要する。此処には山小屋とテント場があり大休止をして無事生還したよ、と公衆電話機で自宅へ声と声を交換する場所でもある。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。此処まで来れば上高地までは時間つぶしの遊歩道のようなものである。横尾~徳沢~明神を上高地までゆっくりと歩こう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.18
単独行と横尾河原からの南岳 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 42横尾の河原から南岳が見えている。左側の緩やかに見える下降路は鉄梯子が付いて急峻な道である。横尾の河原からは其の恐ろしさは見えてこない。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋であった。此処まで来れば上高地までは時間つぶしの遊歩道のようなものである。単独行者 玉地俊雄
2011.12.18
単独行と下山路からの北穂高岳の威容 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 41横尾への道へ渡河する地点まで下山出来た。北穂高の威容が地獄の1丁目を抜けたという安堵感を与えてくれる。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。本格的な撮影行は終了した。単独行者 玉地俊雄
2011.12.17
単独行と下山路からの大キレット避難路 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 40空は相変わらず曇っている。下山路から見える南岳から猛烈なハシゴの下りがあって大キレットは一時平坦に続く。蟹の横ばいのように危険な箇所も在るが、北穂高岳への登りになるまでは比較的に安全であるが、途中何らかのアクシデントで横尾へ下山せねばならない場合の避難路は、浮石や落石の最悪的難路であるが一応避難路である。お世話になりたくない大キレット避難路は完全に追い込まれた時横尾への最短ルートである。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。雨さえ降らなければ涸沢カールからの下山に危険性は無い。実は登りより下山の方が怖いが雨さえ降らなければ新人殺しの坂まで3時間で走る。右下の道をひたすら下山する。単独行者 玉地俊雄
2011.12.17
単独行と下山路からの涸沢氷河台地 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 39涸沢の氷河台地が小山のように盛り上がっているのが見える。奥穂高岳直下の万年雪はピッケルを使用したグリセードで下ると20分。しかし同時に岩石の崩落や突起した岩塊などの障害物も多いので危険だ。今回穂高錦秋の涸沢はただ一瞬の微笑を与えてくれた。もう一度との想いは山の女神に失礼である。失礼ではあるものの作品とはならなくてもまた来るよとの挨拶をするために振り返る。涸沢の氷河台地が小山のように盛り上がって涸沢ヒュッテが建っている。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。雨さえ降らなければ涸沢カールからの下山に危険性は無い。実は登りより下山の方が怖いが雨さえ降らなければ新人殺しの坂を3時間で走り下る。此れを最後にもう後ろは振り返らない。単独行者 玉地俊雄
2011.12.17
単独行と下山路からの奥穂高 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 38秋の穂高は猛烈に寒いので水筒を湯たんぽにして腹に巻くがそれでも寝袋は寒い。早朝の3時ごろにはコンロとコツヘルで朝飯を炊き体の中から温める。荷造りを整え涸沢を遅くとも午前9時に撤収して下山を始める。早朝は昨夜の星空が無い時点で撤退を決断し上高地午後5時のバスに乗る。穂高錦秋の涸沢はただ一瞬の微笑を与えてくれた。もう一度との想いは山の女神に失礼である。失礼ではあるものの作品とはならなくてもまた来るよとの挨拶をするために振り返る。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。雨さえ降らなければ涸沢カールからの下山に危険性は無い。実は登りより下山の方が怖いが雨さえ降らなければ新人殺しの坂まで3時間で走る。奥穂高岳よさらばまた来る日まで。単独行者 玉地俊雄
2011.12.16
単独行と下山路 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 37涸沢を遅くとも午前9時に撤収して下山を始める。早朝は昨夜の星空が無い時点で撤退を決断し上高地午後5時のバスに乗る。穂高錦秋の涸沢はただ一瞬の微笑を与えてくれた。もう一度との想いは山の女神に失礼である。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。雨さえ降らなければ涸沢カールからの下山に危険性は無い。登山は登りより下山の方が怖いが雨さえ降らなければ新人殺しの坂を3時間で走る。ただし膝と腰にかかる負荷は強烈である。単独行者 玉地俊雄
2011.12.16
単独行とテント用具 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 36単独行とテント用具は切り離せない。山小屋は狭い騒がしい気を使うイビキが物凄い。テント生活は自由が在る。穂高錦秋の涸沢をエイトバイテンの被写体にすべき色彩と透明感が無い。昨日の快晴は夢幻だったかのように白濁した空は色彩全体に青を加える。今日は其の微笑のカケラすら見せてはくれなかった。日も暮れて明日は晴れるのかとの期待と供にテントを張り夕食の準備をする。テント場の設営料金は800円ぐらいだった。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。涸沢カールには穂高登頂の危険性は無い。下山すべきか否かは先ず夕飯を食べテントで寝て明朝決断しよう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.16
単独行と曇天の涸沢岳 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 35穂高錦秋の涸沢は曇天でありエイトバイテンの被写体にすべき色彩と透明感が無い。昨日の快晴は夢幻だったかのように白濁した空は色彩全体に青を加える。この景色はイマゴン300mmで後日エイトバイテンによる撮影に成功した。今日は其の微笑のカケラすら見せてはくれない。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。涸沢カールには穂高登頂の危険性は無い。下山すべきか否かを明朝決断しよう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.15
単独行と曇天の涸沢に立つ8x10 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 34穂高錦秋の涸沢をエイトバイテンの被写体にすべき色彩と透明感が無い。昨日の快晴は夢幻だったかのように青空が無い。朝焼けの赤は禁じ手のごとく不気味な輝きを見せ、東の空に異様な水蒸気の真ん中を貫く朝日が今日の曇天を示していた。なにしろ高山は気圧の低い低気圧の中にそびえているのだから仕方無い。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。涸沢カールには穂高登頂の危険性は無い。今日は不気味な輝きを見せた朝焼けに敬意を表して今日1日を待機してみよう。ただ空しく8x10の大判リバーサルフィルムを装着できる写真箱がたたずんでいる。カットフィルムホルダーは装着されていない。下山すべきか否かを明朝決断しよう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.15
単独行と曇天の涸沢 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 33穂高錦秋の涸沢に輝き煌く透明感のある色彩が無くなった。昨日の快晴は夢幻だったかのように青空が無い。朝焼けの赤は禁じ手のごとく不気味な輝きを見せ、東の空に異様な水蒸気の真ん中を貫く朝日が今日の曇天を示していた。なにしろ高山は気圧の低い低気圧の中にそびえているのだから仕方無い。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。涸沢カールには穂高登頂の危険性は無い。今日は不気味な輝きを見せた朝焼けに敬意を表して今日1日待機してみよう。今回の撮影は終了したかも知れない。単独行者 玉地俊雄
2011.12.15
単独行と明けゆく空の不気味なまでの赤 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 32朝焼けの赤は禁じ手のごとく不気味な輝きを見せる。秋の涸沢でテントを張ると水筒の湯たんぽが必須で猛烈に寒い。東の空に異様な水蒸気の真ん中を貫く朝焼けの赤色が今日の曇天を示している。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。午後からは日差しがあろうが涸沢カールの撮影には不向きであろう。涸沢カールには穂高登頂の危険性は無い。今日は不気味な輝きを見せる朝焼けに敬意を表して1日待機してみよう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.14
単独行と暮れゆく涸沢 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 31涸沢に夜が来る直前は幻想の世界が広がっている。峰々にまとわりついたガスは飛騨側から午後になると這い登って来る。岩稜は霧の水をその表面にまとい滑りやすくなって時間遅れの登山者を、ホワイトアウトの恐怖に彷徨わせる魔の時間帯でタイムリミットを告げる。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。稜線を移動中の登山者たちに幸運と気力が在るようにと見上げている。ホワイトアウトの恐ろしさは3m先が見えないし暗くなったらもっと恐ろしい。単独行者 玉地俊雄
2011.12.14
単独行と涸沢のテント場 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 30涸沢のテント場でテントを張ると夜間は夏山と違って猛烈な寒さが来る。水筒を登山用コンロで温め湯たんぽとして寝袋の中に入れるが3時間ほどで冷める。どうしようもない大雨が降り続くときや寒さが危険なときは涸沢ヒュッテへ逃げる。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。涸沢ヒュッテでの費用一切は30年前で約9千円程であった。単独行者 玉地俊雄
2011.12.13
単独行と涸沢小屋の道標 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 29涸沢ヒュッテより数十メートル高い位置に在るこの涸沢小屋の手前には道標がある。右に向かえば北穂高南稜へのリサリ付きの道へと続き北穂の小屋へ5時間。奥の茂みに潜り込むと延々としたガラガラ岩場のザイテングラートを経て、奥穂高への道が開けてゆく分岐点に在り穂高岳山荘まで約6時間。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。今回は撮影の為だから涸沢小屋の前に在る板敷きの広大なテラスで一休みしよう。なにしろ余分な撮影機材が10kg以上荷物に入っている。単独行者 玉地俊雄
2011.12.13
単独行と涸沢小屋からの展望 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 28涸沢ヒュッテを涸沢小屋から見下ろしてみる。此処から涸沢の氷河によるカール全体がはっきりと確認できる。涸沢ヒュッテより数十メートル高い位置に在るこの小屋は、真上に向かえば北穂高南稜へのリサリ付きの道へと続き、左の茂みに潜り込むと延々としたガラガラ岩場のザイテングラートを経て、奥穂高への道が開けてゆく分岐点に在る。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。涸沢小屋の前に在る板敷きの広大なテラスで一休みしよう。単独行者 玉地俊雄
2011.12.13
単独行と涸沢小屋 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 27涸沢には前述のように涸沢ヒュッテと涸沢小屋が在る。涸沢小屋へと歩を進めてみよう。涸沢ヒュッテより数十メートル高い位置に在るこの小屋は、真上に向かえば北穂高南稜へのリサリ付きの道へと続き、左の茂みに潜り込むと延々としたガラガラ岩場のザイテングラートを経て、奥穂高への道が開けてゆく分岐点に在る。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。単独行者 玉地俊雄
2011.12.12
単独行と5.6のコル 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 26快晴だった涸沢カールを取り巻く峰々はすでに霧に埋没している。前穂高には第五峰と第六峰の間に登山道がある。5.6のコルとは第五峰と第六峰の間の最低鞍部であり、此処から前穂高山頂へ道なき道の残置ハーケンやカラビナとロープで、岩登りをする人々の取り付き点である。僕は何故単独行なのか。それは生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。穂高の山々は朝の時間帯に少し微笑んで上空の霧に包まれている。単独行者 玉地俊雄
2011.12.12
単独行と涸沢ヒュッテ 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 25快晴だった涸沢カールを取り巻く峰々はすでに霧に埋没している。涸沢ヒュッテの全容は石積みによる特異な山小屋である。多い時は500人ぐらい詰め込まれて食堂や廊下で就寝する事もある。僕は何故単独行なのか。生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。涸沢ヒュッテには予約による個室もあった。9月の後半になると電話で山の色合いを聞く。単独行者 玉地俊雄
2011.12.12
単独行と元祖山GIRL 紫煙のゆらぎ ・ 穂高錦秋の涸沢 24穂高はいかつい男性だけのものでは無い。山ガールの元祖が彼女たちである。元祖山ガール元祖と昨今のスタイルから始まっただけの、チャラチャラした女性が都会的ファツションでTV映像に出てくるのとは違う。僕は何故単独行なのか。生還する為であった。僕は幸運と無謀の狭間で槍穂高連峰を単独行をしていた。紫煙のゆらぎトップページの 友人長谷川恒男 に帰結した。独りは意思であり弱さに向き合う最適の場所へ追い込み其れと対峙する。長谷川恒男氏は冬山を経験すべしと言ったが僕は別意で弱い。単独行は胆であり世俗に存在しない美を垣間見せてくれる場所へのいざないに、応じてくれる峰々の女神たちに許しを乞い其のもすそに敬意を表して入ってゆく。山へ登る気と胆は山から生きて帰ってくる覚悟と供にある。穂高の秋は穂高にしか無く涸沢における錦秋の穂高は一瞬の煌きである。涸沢カールを取り巻く錦秋の美しさは穂高涸沢まで来ないと見る事が出来ない。京都や奈良や日光も及びも付かない重量感と分厚い色彩の重なりがある。穂高錦秋の涸沢は涸沢にしか無い穂高の錦秋である。涸沢ヒュッテへは登り約20分で涸沢小屋へたどり着くには約37分はかかる。単独行者 玉地俊雄
2011.12.11
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