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自分の思いとは裏腹に帝王切開で出産せざるを得なかった女性は、そのことを引け目に感じたり、周りから心ない言葉をかけられたりして傷つくことが多く、充分な心のケアが必要、というのがこの記事の主旨のようだ。もちろんこの記事に書いてあることを否定するつもりはない。しかし・・・今一度事実を見つめてほしい。毎年アフリカから日本の医療を視察にくる医師達と接しているが、彼らの国では適切な医療を受けられずに亡くなっていく赤ちゃんや妊婦さんは日本の何百倍という頻度で存在する。誇張でなく何百倍というオーダーである。日本はありがたいことに妊婦のケアを行う医療施設は数多くあり、医療の手が全く届かない状態で妊娠・出産を体験する女性はほとんどいない。そんな環境の中で、ある場合は危険を回避するために帝王切開で出産し、健康な児を得、また母体の健康も保たれているのである。なんの医療的補助を受けることもなく亡くなっていった赤ちゃんや母親のことを思えば、帝王切開の何を引け目に感じることがあろうか。まわりが多少無神経なことを言おうが放っておけばいいではないか。健康な子どもと自分がいるということ何よりも貴重なことと感じてほしい・・・というのが私の率直な思い。いろいろと恐い目にあった、自分の予想していたこと全く違う状況になってしまった、というときに近年ではPTSDといった病名が出てきて「心のケア」が叫ばれる時代だ。しかし苦境を乗り切って無事でいる場合には何よりもその幸福を自覚するというのが大事なのではないだろうか。そうすれば自ずとPTSDなどといわれて周りから腫れものに触るように扱われなくても、自分のネガティブな経験をプラスに変えていける人はたくさんいると思う。
2014.06.03
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競馬払戻金課税で判決私自身はギャンブルをやらないが・・・28億7000万円の馬券を買って、30億1000万円の払戻金。どう考えても利益というのはこの差額の1億4千万円だけに決まってる。検察側の主張は、当たり馬券の購入費のみを経費と見なすという無茶苦茶なもので、どこに当たり馬券だけを買えるヤツがおるっちゅうねん!?外れ馬券を経費と見なさず、払戻金30億1000万円から当たり馬券の購入費のみを差し引いた金額をまるまる利益として5億円7千万円の税金を課すなんてアホなことが通用するはずがない。儲けた金額の4倍も税金を払らえなんて、詐欺にも等しい。当然と言えば当然だが、高裁では、外れ馬券も経費と見なされて、課税対象は実質上のもうけの部分だけに限定されるという判決となった。この判決でおそらく被告は納得することになるのだろうけど、しかしこの判決でさえ理不尽に思える。日本の競馬のテラ銭は25%と諸外国より高率で、そのうち15%がJRAの取り分、10%は国の取り分となっている。つまり馬券を購入すること自体でその10%を税金として納めているのである。この男性は29億7000万円もの馬券を購入しているから、この時点で2億9千700万円もの税金を納めていることになる。その上で儲けにさらに課税しようというのだから、これはどう考えても二重課税だろう。どこまでむしり取ろうと言うのだろうか。
2014.05.11
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渡辺淳一さんが亡くなられた。この人、昔は医療にかかわる小説を数多く執筆されていたが、60才を超えたあたりから情愛を描いたものばかりになってきて、それでメジャーになったようなところがある。人間歳をとるにつれ、よりピュアなものに傾倒するということかな。医療ものでは、医師として人間の生死を見つめてきた冷静な目で、生命の価値観や医療の限界などをテーマにした作品が多く、私も学生時代によく読んだものだ。命の根源までピュアに掘り下げて行き、最終的に「性愛」というテーマにたどり着かれたのかと思う。私にとっていまだにこの人のベスト作品は「神々の夕映え」だけど。新聞記事によると、前立腺を患っておられたらしい。自宅で息を引き取られたとのことだ。渡辺氏の作品を読めば当然のことだと思うが、病院で徒に意味のない延命治療を受けることを良しとされなかったのだろう。ご冥福をお祈りします。
2014.05.06
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STAP細胞のとばっちり山中教授が2000年に発表した論文のデータに捏造疑惑が出て、山中教授が謝罪しているニュースが流れた。しかしなぜ山中さんが謝らなければならないのかさっぱりわからん。捏造はきっちりと否定しておられるし、そもそも山中さんがそんなことをする必要はさらさら無い。「生データを示すノートがみつからなかっった」ということが謝罪の理由のようだが、一体14年も前の論文の元データを残している研究者がどれほどいるだろう?マスコミにしたって、14年前の取材データをちゃんと残しているのか?そんなこと言い出したらキリが無いだろう。適当にいちゃもんをつけるのは自由で、潔白を証明する責任は疑いをかけられた方にあるというのはどう考えてもおかしい。段ボール5箱分ものノートを調べる労力が研究から削がれたと思うと本当に残念だ。
2014.04.30
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すっかり足が遠のいていたブログですが、何とまだ読んでおられる方がいたということで、思いついたらまた書いていこうかと思います。近況ですが、仕事は相変わらずというか、体に鞭打って忙しくしています。バンドの方では、昨年夏より新しいバンドを起ち上げてますした。無謀にもギター、ベース、ドラム3人でのオリジナルインストバンドなんですが、これがめっぽう面白くなってきました。動画をはりつけておきますね。3人なんで、演奏中のテンションが異様に高くなります。基礎体力がいりますなー(^ ^);現在ブルースバンドの方は、ドラマーが遠くへ引っ越しちゃったため休止状態・・・こっちもまた再開したいところです。
2014.04.29
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自炊(書籍の電子化)は高速スキャナが安価で購入できるようになったことから、急速に普及し出しているらしい。職場でも自宅でも本棚から本が溢れ出して久しいので、なんとかせねばと思っていたところでした。あちこちに本が散乱し出すと、読みたいと思っている本を中々探せなくなったりするのも困ってたし。そこで3週間前に富士通の高速スキャナを3万円程度で購入し、自炊を始めてみました。裁断機は幸い職場にいいのがあるのでそれを使っています。やってみると意外と簡単。最初は本をバラすのに抵抗がありましたが、今じゃ裁断機でバッサリとやるのが快感。すでに40冊以上をパソコンに取り込みました。その結果、こんな残骸がたくさんできます。捨てるには忍びない気もしますが、そもそもスッキリ片付けるのが目的なので、思い切って捨ててます。スキャナの取り込み用ソフトが自動的にpdfファイルにしてくれるので、後はそれを読めばいいというわけです。かなり分厚い本でもpdfファイルにして100メガバイトにもならないくらいです。しかし40冊くらいでは、ちっとも片付かないなー
2012.02.05
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最近すっかりブログは放置プレイでしたが、実はfacebookの方で忙しくなってきてそっちにかまっていました。今年の1月に中学生のときの同窓会があって、そこでfacebookをやってる人間が意外と多く、いっそのことfacebook上でも同窓会やろうみたいな話になって、さらには偶然に大学の同級生からも名前で検索してたどり着いたのか、友達承認リクエストが次から次に・・・・そんなことで慣れないfacebookにおおわらわで、ブログは放りっぱなし状態でした。Facebookはブログと違って匿名性が無い閉じたサークルですから、匿名性を残したブログとは自ずと随分書く内容も変わってきますし、身内だけなので随分みんな気楽になんでもかんでも書き込んでる人が多いようです。男は仕事のことや、趣味(まあ、当然似たものが集まってくるので、私の場合バンドの話とか)が多く、若い女性は圧倒的に食べ物のことを書いてることが多いですね。(どこそこのお店の何がおいしかったとか) やっぱり平和なんやな、日本は。閉じた比較的安全なサークルなので自分の写真を掲げている人も多い。さすがに女性はみな勝負できる写真を選んでますね(^-^)と思ったらfacebookは今や大人気で、急成長企業だそうな。株式時価総額は1000億ドルにものぼるらしい。創始者はなんと27歳というのだから驚く。若いからできた発想なのだろう。さて、ブログに載せる話としては、最近ハマり出した自炊について。「自炊」というのは書籍の電子化のことですが、これもfacebook経由で友達に教えてもらった言葉。明日からボチボチ書いていきます。
2012.02.03
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すっかりご無沙汰ですが、あけましておめでとうございます。11月~12月はテンション下がりまくりの時期でした。父の死の直接的、間接的影響が予想外に大きく、改めて父がいろんな意味で要になっていたことを感じます。普段は離ればなれに暮らしていた家族が、父の亡くなる少し前から頻繁に会う機会ができるのですが、そこで微妙な軋轢が出てきます。要の父がいないことで、不要な衝突も出てきたりします。まあ、どこの家族でもありがちなことかも知れないですが・・・私自身、親父と突っ込んでもっといろんな事を話しておくべきだったと後悔。とかく息子と父親なんてあらためて顔つき合わせてマジな話をするのは苦手なものですし、「言わんでもわかってくれているはずや」などと勝手にお互い思ってたりするものですが、親父が亡き後、残っているのは母と妹二人と私。男は私一人で、全く多勢に無勢。家族といえど女性に男の気持ちをわかってもらうのはかなりむずかしいものです。「お父さんならわしの言うことわかってくれたはずや」などと言おうものなら、「何自分勝手なこと言うてんのよ。」の一言で終わり。かと思いきや、女性軍の間でも微妙な不協和音が生じていたりもする。その間こちらには矢が飛んでこないので助かる。まあ、ともかくは黙って耐えて過ごすことにしよう。こういうとき仕事が忙しいのはありがたい。とにかくやらなきゃいけなことがあるってことで、自分にもまわりにも言い訳になるから。実家で整理をしていたら、幼少時(たぶん4歳くらい?)の自分の写真がみつかりました。このころは悩みがなかったんだろうなあ。
2012.01.03
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親父の葬式から10日経って、ようやく日常に戻りつつある。人間生きている間に喪主になることなんてせいぜい2~3回くらいだろうか?喪主慣れしている人なんていないと思うので、みんな突然の大役に右往左往するしかないんだろうな。その慌ただしさで、身内を亡くした悲しさはいくらかでも紛れるのだろう。今は、心にぽっかりと穴があいたような感じだ。何かにつけ親父の顔を思い出してしまうが、とりわけBGMなどでバイオリンの音色が聴こえると痛烈に思い出す。親父は学生時代からバイオリンを弾いていて、私が子供の頃は仕事から戻るとしょっちゅう練習していた。私の頭の中でバイオリンの音色と親父の顔が条件反射的に結びついている。中でもこの曲はよく弾いていたなー・・・タイスの瞑想曲親父の部屋には主を亡くしたバイオリンが寂しそうに横たわっている。
2011.10.25
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親父が亡くなった。享年82才。父親の死が悲しいのはもちろんだが、皆から惜しまれて亡くなったことが、息子としてはせめてもの救いだった。手術不可能な癌がみつかってから6年、その間抗癌治療を続けながら、死の1ヶ月前まで仕事をしていた。今年に入ってからは衰弱していくのが家族にはわかったが、皆に心配をかけまいと極力平静を装っていたようだ。仕事関係の人達は突然の訃報にかなり驚いていた。葬儀の後、病室から持ち帰った荷物を整理していたら、妹が一枚の書き置きをみつけた。病院の案内用紙の裏の白紙に書かれたもので、父が死を間近に感じて、力を振り絞って書いたらしい。やや乱れた字で「我に悔いなし。感謝あるのみ。ありがとう。ありがとう。」と書かれてあった。立派な生き方と立派な死に方だった。
2011.10.18
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スティーブ・ジョブズが亡くなった。享年56歳。私とあまり変わらない。まだまだ活躍できる年齢だったのに、残念だ。パソコンではMacのシェアは現在でも1割にも満たないとか。しかしDOS-Vパソコンと98シリーズしか無かった時代に、MacのOSは画期的に使いやすかった。個人的には98シリーズからMacに乗り換えたのは93年頃だった。多くの医師がこの頃に乗り換えている。理由は明白で、それまで学会で使用するスライドを製薬会社のMRに依頼していたのだが、突然どの製薬会社もやってくれなくなったからだ。(たぶん経費節減のためだろう。これはある意味当然のことである)さてどうしたものか、と困っていたところ、数少ないMacユーザーが「Macならスライドを自分で作れるよ」と教えてくれた。Persuasionというソフトで作って、フィルムに焼けばいいという。折しもこの頃、それまで高価だったMacに廉価版ともいえるLC520(確か25万円)が登場し、個人でも買えるようになった。これらの理由で当時の医師は皆Macを所有するに至ったのだが、その使い易さに驚いたものだ。たとえばMS-DOSでは、要らなくなったファイルを消すのにもコマンドを打たなければいけなかったが、Macではファイルをゴミ箱に入れるだけでOK!今ではウィンドウズもMacと同じような使い勝手になっているが、これは明らかにマイクロソフト社がMacOSを真似して作ってきたものだ。今ではMacを模倣してきたウィンドウズパソコンが市場を席巻しているが、私は未だにMacを使い続けている。やはりデザインがいいし、使い方がわかりやすい。作曲に使うDegital PerformerがMac専用であることもMacから離れられない理由だ。ipod iphone ipadと新しいアイデアを次々に打ち出しては、他社がそれに追随する。スティーブ・ジョブズは決して人のふんどしで相撲を取るようなことはせず、常に新しいアイデアを形にしてきた。アグレッシブとも言える戦略を、スティーブ・ジョブズ亡き後も継承してほしいものだ。
2011.10.06
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菅首相の後継がよく新聞ネタになっているが、ほとんどの国民は興味が無いのでは?そもそも「菅早くやめろ」みたいな論調ありきだけど、菅さんがやめたら状況が急に良くなるとはとても思えない。大体安倍晋三以後これまで、ろくな総理大臣がいなかった。途中で放り投げた安倍、福田、何もできなかった鳩山。菅さんが取り立てて悪いというほどのことは無いと思うけど・・・少なくとも浜岡原発の停止だけは評価するね。(今から思えば麻生さんが一番ましだったかも。少なくとも自分から放り投げたりはしなかったし。漢字の読み間違いをいいようにバカにされ、雰囲気だけで不人気だったような気がする)安倍晋三以後、間違い無く最悪だったのは鳩山だと私は思っている。特に普天間基地問題をかき回すだけかき回して、問題をさらにこじれさせてしまった責任は大きい。挙げ句に手に負えなくなったら辞任。あれほどいいかげんな総理大臣が他にいただろうか。そんな鳩山が、菅さんに「辞任しろ」などと言えた義理では無い。民主党自体が大風呂敷を広げて政権の座についたものの、何一つできなかったのに、ここで総理大臣が代わったところで何の期待が出来るというのだろうか。「政治主導」など正にお笑いぐさだった。別に菅さんをかばうつもりは無いが、みんなマスコミの論調に乗っかってるだけで、菅さんがやめなければいけないハッキリした理由を言える人ってどれくらいいるのだろう?自民党が与党なら震災対応がもっとうまく行ったとも思えないし。
2011.08.22
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中国の新幹線が追突事故を起こして、多数の死者が出た。「安全性を犠牲にした経済発展」といった見出しでこの事件を報じているメディアが多い。「日本では考えられない」といったコメントを出している専門家もいる。しかし・・・・今の日本はそんなこと言えた立場なのかなあ?福知山線の脱線事故では100人以上の死者を出しているし、信楽高原鉄道の衝突事故でも40人以上の死者を出している。「日本では考えられない」どころの話ではない。日本でもさんざん起こしているのに、なぜ中国で事故が起こるとみな平気で批判できるのだろう?(確かに事故車両をとっとと埋めてしまったりするのは理解に苦しむが)ましてや今も解決のメドが立たない福島原発事故。まさにこれこそ「安全性を犠牲にした経済発展」の典型例だろう。今回の新幹線事故で世界は中国に不信の目を向けているかもしれないが、日本もそれと同じような立場にあることをわきまえておかないと、世界の常識外れになってしまう。
2011.07.26
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夏休み前になると、仕事柄中学生や高校生を対象にした性教育の講師として呼ばれることが多い。世間では、「最近の若者の性行動は乱れている」などということを何の批判も無く言いがちだが、ここ数年の傾向をみていると若者の性行動はまことに慎ましいというか、むしろおとなしすぎるくらいだ。実際に10代の中絶も性感染症もかなり減少してきている。これは学校の教師も同じように感じているらしい。教師にすれば管理がしやすいという一面があるかもしれないが、我々から見ると誤解を恐れずに言えば多少乱れていた10年前あたりの雰囲気の方が健全に見える。性行動がおとなしくなったのは、人との深い付き合いを好まないようになってきたからでは無いかと思えるからだ。特に男子にその傾向が強いようだ。部屋に引きこもってネットやモバゲーなどに興じていれば、人とつきあわなくとも時間は潰せる。そんなことと関係があるのかどうかはわからないが、最近の高校生は修学旅行に行っても大浴場でみんなと風呂に入ることを嫌うらしい。まあ、風呂屋が少なくなって、みな家風呂しか入ったことが無いせいもあるのだろうが。結局今では、修学旅行での宿泊はホテル形式のところで2人ずつ程度の部屋に別れて、入浴は各部屋のユニットバスで済ませるのが普通だという。我々の高校時代のころのように、大きな座敷に何十人分もの布団を敷き詰めて寝ることは無いらしい。ていうことは、当然枕投げをしたりすることも無いんだろうな。大浴場の洗い場でずらっと並んで、チ○ポコの大きさ比べをするなんて下品で楽しいこともやらない時代。・・・なんか寂しい時代ですな。だから、性の話をしていても以前のように茶化すヤツもいなければ、興味津々という目をするヤツもいない。驚くほどキチンと座って、黙って聞いている(聞いているのかどうかはわからないが)。反応が無い聴衆相手に話すのはむずかしい。特に性のこととなると、なんか自分だけスベってるんじゃないだろうかと不安になってくる。こいつらみんな大丈夫なんかな?
2011.07.13
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日本の研究で有名なドナルド・キーンさんが89才で日本に帰化する決意を固めたという。キーンさんの名前は昔から知っていたけど、失礼ながらご存命だとは知らなかった。先日テレビに出演されていたが、本当にこの人は日本に魅了され続けた一生を送ってきのだということをひしひしと感じさせた。今回の震災で日本に対する愛情がひとしお強くなってきたのだという。また一方レディ・ガガが日本を応援するために来日してくれた。このド派手なおねえちゃんは、震災復興のためのチャリティや寄付で多大な貢献をしてくれている。それほど日本に愛着を感じてくれているらしい。奇しくも全く対照的な2人のアメリカ人が日本をこれほど強く慕ってくれているとはありがたいことだ。彼らの熱い思いを鑑みたとき、ますますもって日本人として今の政治の情けなさに恥じ入らざるを得ない。ここ最近の政争のドタバタを見ていると、「外国の方達がこれほど思ってくれてるのに、お前ら政治家は何やっとるねん?」と言いたくもなりますわな。極めつけはチンピラヤクザみたいな復興担当大臣。なんじゃこいつは?よくもまあ、ここまで品の無い人間が大臣になれたもんだ。ほんとにこれは日本人として恥ずかしい。と思ったら、今日辞任したらしい。あたりまえだ。大臣辞任はもちろんのこと政治家としても辞めてもらいたい。
2011.07.05
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ビンラディンがパキスタンで米軍により殺害された。ビンラディン殺害を誇らしげに国民に報告するオバマ大統領の姿が放映されていた。アメリカで9.11テロによって無くなった何の罪もない市民は3千人以上と伝えられる。この悲劇で家族を奪われた人達の悲しむ様子は何度もテレビで目にした覚えがある。無辜の人達が殺された現実を前に、我々も強い怒りや悲しみを感じた。一方「テロとの戦い」と称したイラク、アフガニスタンでの米軍の攻撃に巻き添えを食って亡くなった民間人の数は何万人ぐらいだろうか。おそらく9.11テロの犠牲者数の数十倍以上に及ぶだろう。これらの悲劇がメディアを通して我々の目に届く機会はほとんど無い。残念なことに人間は視覚的な情報が無いと、数字だけでは痛みや悲しみを共有しにくい。これまでの数少ない報道を見る限り、小学校を誤爆したり、結婚式で集まっていた一般の人達がいっぺんに何十人も殺されたりといったことがあったが、これら被害者から見れば米軍の攻撃もまたテロそのものだろう。家族を失った人の中から新たな反米テロリストが生まれていく。今回のビンラディンに対する作戦はパキスタンに事前通告なく行われたらしい。よその国にズカズカと軍隊を差し向けて勝手に仇討ちをやるというのは国際法上許されるのだろうか?国家主権もクソもあったもんじゃないな。訴追などの法的手続きが何もないまま容疑者を殺害するというのも、しっくり来ない。いったいビンラディンは9.11テロにどのような形で関わっていたのだろうか。それすら明らかにされていない。向こうが無法者のテロリストなのであれば、法治国家たるアメリカが法を遵守する姿勢で臨んでこそ、正義が全うされるのではないだろうか。まあ、アメリカ相手にだれも咎める勇気は無いだろうから、結果としてやり放題なのだろうが・・・
2011.05.04
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僕の住んでいる市では、毎年春まつりのメインイベントとして、時代行列というのを派手にやっている。有名なタレントが出演することもあって、県外からの観光客も含めてかなりの人手になるらしい。(「らしい」というのは、個人的には興味が無いので一度も見にいったことがないから)ところが今年は、震災の影響を受けて自粛ということになったらしい。まあ、個人的には興味のない行事なので、どうでもいいようなもんだけど、しかし、主催者は自粛することで被災した人達が喜ぶとでも思ってるのだろうか?なぜこういった行事をチャリティイベントにするような智恵が出てこなかったのだろう。多くの見物客から義援金の協力をお願いすることができただろうし、東北地方の地酒を振る舞って、東北の名産品をアピールして被災地の経済的復興の一助とすることもできただろうに。全く時代行列になんか興味が無かった僕でも、そうなれば見物に行くかもしれない。そう考えると、ただ単に自粛するのは全く芸の無い話で、震災復興の足を引っ張ることはあっても、益となるところはひとつも無い。これ以外にも多くの企業や自治体で行事が中止となっているが、結局「こんな時期に浮かれたことをやっていたら世間から白い目で見られる」という、人目を気にしての自粛のように思われる。常に周りを見ながら、周りに合わせながらしか行動できないという日本人独特の右へ倣えパターンなのだろうけど、ちょっとは自主性を持って、マイナスをプラスに変えるような、そんな発想があってもいいのでは?すでにテレビでは芸のないタレントを出演させてのバカ番組がとっくに復活している。大半の人は何の抵抗もなくそれを見て楽しんでいる。それに比べたら、祭りやイベントを、被災地にエールを送る気持ちで開催する方がよっぽどまともだと僕には思える。
2011.04.11
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4月になりました。3月30日の送別会では、うちの病院で活躍してくれたドクターとの別れを惜しみながら杯を酌み交わしました。新たな勤務地でさらに力を伸ばして成長されることを願ってやみません。今年はずいぶん寒さが尾を引いていますが、3月終わりから風の匂いが変わってきて、春の空気を肌で感じられるようになりました。この風の匂いと人との別れが相まって、胸をかきむしられるような郷愁を感じるのはやはり年のせいというべきでしょうか。考えてみれば、4月になって新たな環境に飛び込み、心機一転さらに自分を伸ばしていく・・・というのは若者の特権と言えます。52歳ともなると、毎年そういう若い人達を見送り、また迎えるという立場になっています。ステージに上がっていたつもりがいつのまにやら観客になっている自分に気づき、やけに寂しくなったりもします。桜散る日出会い桜咲く日別れた足羽川吹く風明日はもう薫らぬ木もれ日の間に間にこぼれる君の笑顔遙か山消えゆく春霞の悪戯(By COZY)
2011.04.01
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被害状況が明らかになるにつれて今回の震災の規模の大きさに驚いています。被災地からこちらへ里帰り出産されることになった妊婦さんのことは前回の日記で書きましたが、医薬品や検査用試薬などについても影響が出ています。被災地に工場や倉庫があった医薬品メーカーでは、製造ラインが破壊されたり、在庫が使えなくなったりしているようです。現在病院内にある在庫が無くなれば、処方できなくなる薬がすでに何種類かあります。メーカーによると製造再開のメドすら立っていないようで、代替薬やいわゆるゾロ品などがある薬はいいのですが、そうでない薬については全国レベルでかなり深刻な問題となりそうです。ところで、折しも年度替わりで、どこの職場でも送別会が行われる時期だと思いますが、震災のせいで自粛するところも多いそうです。被災地では当然それどころでは無いと思いますが、被災地から遠く離れたところで自粛することには意味があるのでしょうか?その他いろんなイベントも自粛により中止となっているものが多いようです。しかしそこまで自粛する必要があるのでしょうか?もちろん被災された方々に思いを馳せ、自分たちが日常通りの生活を送れることに感謝すべきと思いますが、それをなんでもかんでも「自粛」という形で表現しても、被災者の方達にとって何ら益にはならないと思います。「同じ日本人が大勢苦しんでいるのに、とても楽しむ気にならない」という気持ちから自発的に娯楽に参加しないというのは尊重すべき考え方だと思いますが、もし「こんな時期だから、世間の目もあるし」という日本独自の人の目を気にする考え方から、半ば強制的に自粛しているとすれば変な話です。送別会などは、お世話になった人、苦楽をともにした人との別れを惜しむためにあるもので、被災された方々から見れば、「私たちのために中止するなんてやめてほしい」と感じられるのではないでしょうか。いろいろな考え方があると思いますが、僕はいつもどおり日常を過ごせることに感謝しつつ、義援金などの形でいくらかでも被災地の方々の助けになればと考えています。
2011.03.22
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なんということだろう。今回の大地震。死者数が増えるばかり。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。東北に住んでいて出産する場所が無くなったので、実家のある当地で出産したいという電話がありました。逆に東北方面への里帰り出産の予定だったけど、今の状況では無理なのでこちらで出産したいという妊婦さんも。このような要望に触れて地震が現実であることを実感しました。これらの方々には、分娩数の制限をとっぱらって受け入れることにしました。しかし、被災地にはかなりの数の妊婦さんがいるのではないでしょうか?出産場所が確保できない方も多いのではと思います。今は被害の実態をつかむことと、非難されている人達に水や食料を届けることで手一杯だと思いますが、生き延びた妊婦さんが宙に浮いた状態にならないよう行政は気を配ってほしいものです。このような大惨事の中では、新しい命は正に希望の光だと思います。
2011.03.14
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年度替わりが近づくと何かと慌ただしい。この1ヶ月ほど、デスクワークにしばられている時間が長く続きました。これはかなりの苦痛。理系の仕事は専門知識を活かして手を動かしてなんぼやと思いますが、どこの業界でもええ歳になってくると、デスクワークというか管理的な仕事が増えてくるもんなんですかねー?お役所の人達と接する機会も否応なく増えてきますが、なんというか、ホントあの人達の仕事のペースというか仕事の捉え方というか、つくづくちがうなと思います。まあ、あんまり言うと差し障りがあるからやめとこ。ストレスが溜まってくると、何か新しいもの買いたくなる。長年使ってきたipod(一番初期のやつ)がもう充電できなくなってきました。いっそのこと携帯をiphoneに変えようか悩んでいましたが、今の携帯(au)のおサイフ機能が便利だったので、iphoneに変えるのをためらってました。しかしiphoneで使えるedyシールが発売されると聞いて、iphone4を購入!edyシールも購入!iauで使っていたedyの残高は「お預けサービス」に預けてしまいました。ところがiphone自体には全くedyを扱う機能は無く、edy用のアプリも使えない。edyシールは単にiphoneに貼り付けるだけで、iphoneとの機能的な連動は全くなし。こういうことは発売時にちゃんと消費者に知らせておいてほしいものだ(`ヘ´)結局「お預けサービス」に預けたedy残高を回収する方法が無くなってしまった。トホホ・・・(T-T)(知人のおサイフケータイを使って回収するしかなさそう)おサイフケータイからiphoneに乗り換えようと思っている人は要注意です。目的だった「ipodの変わりにする」という点については問題なし。itune経由で簡単にデータを移行することができました(ipodのデフォルト設定では、ipodからデータを外に出すことはできないが、フリーウェアを使えば簡単にできた)。これはよし。しかし使ってみてさらに問題なのは、電話がつながりにくい!!特に僕の職場内はほとんどが圏外。建物の外ならいいかなと思ったが、駐車場もダメ。最上階の窓際だけが何とかつながる。ネットもwi-fiが使えないところではかなり厳しい。ソフトバンクってテレビであれだけ宣伝しているわりには、あかんなー。まあ、iphoneは携帯というよりも、ミニパソコンということなのかな。普通の携帯と同列に比較できるものじゃないなということか。アップルは大好きな会社なんで、なんとかこれから使い倒してみようと思います。先日姿をみせたスティーブ・ジョブズ、激やせでしたね。
2011.03.10
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今さらですが、このブログでの僕のHN「お前に云えない」は、うちのバンドのオリジナル曲の曲名です。ある人が書いてくれた詩に僕が曲を付けました。ここにアップしましたので、お暇な方は聴いてみて下さい。今あらためて聴いてみると、ギターのメロディはかなりStill Got The Bluesに近いものがありますね。曲調もちょっと似てるかも。
2011.02.10
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久しぶりの日記。もう1月も終わりですが、正月以来毎日のように雪が降っています。この地に住むようになって以来最も雪の多い冬です。今年はまだ長靴以外の靴を履いたことがありません。うちのバンドのベーシストは少し離れたところに住んでいるため、雪のため中々出てこれません。1月はバンドの練習が滞っています。今日は県内の多くの学校が休校のようで、患者さんも急ぎでない方は予約のキャンセルがけっこうありました。車が雪に埋もれているのに加えて、駐車場から主だった道までが雪で閉ざされるとかなりお手上げです。大体は田舎のほうが都会よりも車の運転が粗いものですが、雪に慣れている北陸ではさすがに雪道の運転はみな慎重ですね。無謀に突っ込んでくる車は見あたりません。(ふだんはけっこうヒヤッとすることが多い(;´・`)>)大雪は生活する上で大変迷惑なものですが、僕なんかはまだどことなく野次馬根性があるのかな。雪が降り積もると子供のようにはしゃぎたいような気持ちもどこかにあります。(地元の人にそんなこと言うと怒られるんですが(^ ^);)帰り道、枯れた街路樹の枝に雪が積もっていて花見をしているような気分になりました。
2011.01.31
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伊達直人・・・と聞いてすぐにタイガーマスクを思い出すのは我々の世代でしょうね。ニュースのバックでは「白いマットの~」で始まる威勢のいい主題歌を流してますが、僕はエンディングテーマのこの曲の方がずっと深く印象に残っています。ほんまに涙が出るほど悲しい曲です。「それだからみんなの幸せ祈るのさ」ランドセルを寄付した方の心情としてはこの歌の方がピッタリではないでしょうか。
2011.01.14
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死刑執行の形場がメディアに公開された。死刑に関する議論を進めるきっかけとしたいというのが法相の思惑らしい。しかし死刑存続か廃止かという議論はそう簡単には進まないだろう。マスコミなどいいかげんなもので、これまでも凶悪犯罪が起こる度に死刑廃止論的な意見は急に姿を消していった。そしてほとぼりが冷めた頃死刑制度に批判的な記事を載せたりする。もし本当に死刑廃止論を論じたいのなら、凶悪犯罪が起こったときにこそ主張すべきだろう。それはさておき、私の考えとしては、死刑制度そのものを議論する前に、現在の無期懲役(無期といっても実際は20年程度で出所するらしい)と死刑の間を埋めるような刑を早急につくってほしい。懲役300年とか、終身刑とか。絶対に生涯塀の外に出られない刑を作ることは、死刑廃止か否かといった大上段に構えた議論よりもよほどスムーズに進められるのではないだろうか。仮に終身刑という刑ができれば、それ以前なら死刑にせざるを得なかったような犯罪者の相当数に終身刑が適応されると思われる。おそらくは自然に死刑判決は減っていくだろう。実際に適応されることが無くなってくれば実質上の死刑廃止と変わらない。死刑が果たして最も過酷な刑かどうかという問題もある。「死にたいから他人を殺して死刑になりたい」などという以前では考えられ無かった無差別殺人が起こる時代である。そんな殺人者にとって死刑は苦痛ではなく、むしろ願ったり叶ったりだ。それで遺族感情がいくらかでも慰められるだろうか?そういう加害者には一生を塀の中で過ごしてもらい、そのうち頭がまともになって自責の念に苛まれるようになればそれが一番の刑罰だろう。*死刑廃止論者の決まり文句のひとつに、「人間が裁く以上冤罪が起こる可能性は常にある。もし冤罪で死刑になってしまうと、取り返しがつかない」というのがある。理解はできるが、この論理はどこかひっかかる。死刑以外の刑であっても冤罪は許されるものでは無い。管家さんの冤罪事件は記憶に新しいが、死刑ではなくとも管家さんが失った時間はもう取り戻せない。しかも冤罪が明らかになったのに、元検事は謝罪一つしない。これでは死刑が無くなることでさらに気軽に冤罪が作られるのではないかと疑いたくなる。
2010.08.31
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テレビの地デジ化を促す宣伝をよく見る。具体的に何がどうなるのか知らないが、地デジ対応のテレビに買い換えるか、チューナーを取り付けない限り、もうテレビ番組が見られないらしい。しかし、発想を変えれば、「買い換えなければもう見なくて済む」とも言える。そこまで宣伝して大がかりにテレビ放送のハードを一変させたとして、それに見合うだけの価値ある番組が一体どれだけあるやら?無作為にテレビをつけると一番多いのがアホなタレントを集めて、ダラダラと下らないトークをさせる番組。おそらく制作費が安上がりで、安易に視聴率が取れるからだろうか。やけにこの手の番組が多い。トークの内容などはひどいものだ。これらは全く見る気がしない。どうせやるなら「たかじんのバー」みたいな毒気のある番組をやってほしいものだ。それと、いわゆるグルメ番組もイヤというほどある。これは一体どういう現象なんだろうね?土井勝のなんとかクッキングみたいなのは昔からあったけど、旬を過ぎたギャラの安いタレントを使ってあっちこっちに食べさせに行っては、「うーん、うまい」などと決まり文句を言わせる番組はここ10年来腐るほどやっている。こんなのどこが面白いのかさっぱりわからん。まあ、これも制作費はかなり安く上がっているだろう。タレント相手に池上彰さんがニュース解説をするという番組がある。これなんかせっかくの才能ある人を消耗品として使い切ろうとしているよう気がする。やり方が安易というか、要するに池上さんのみが頼り。タレント側があまりにも無知すぎて(敢えて無知なのを集めているのだろうが)、内容を掘り下げることが不可能。これなら週刊こどもニュースの方がいい。もう死語になっているだろうが、「一億総白痴化」という言葉を思い出す。ネットがあるのでテレビが無くてもリアルタイムに情報を知ることができる。だからテレビでニュースを見る必要はかならずしも無い。ストーリー性のあるものを観たければ、映画のDVDを借りて来るなりすればいい。そんな状況にありながら、テレビ番組にはろくなものが無い。テレビの必要性は20~30年前と比べて格段に落ちている。そういうものである以上、デジタル化したければここまでたいそうにしなくても、ただ粛々とやってもらえばいいだけのこと。ある日突然見れなくなれば、あわててデジタル対応のテレビを買いに走る家庭もあるだろうけど、1週間や2週間テレビが見れなくても死ぬことは無い。それを機会にテレビ無しの生活を選択する家庭があってもいいと思うんだけどね。
2010.08.22
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厚労省の発表によると、平成21年度の児童虐待相談件数は過去最多の44210件にのぼるという。とてつもない数だが、これとておそらくは氷山の一角に過ぎないだろう。子供の数は年々減っているのに、虐待されている子供の数は増え続けている。昨日、大阪のマンションで幼い子供2人が部屋に遺棄されて死んでいるのが発見されている。育児に嫌気がさした母親が、6月下旬に置き去りにして出て行ったという。新聞記事によると、「大阪市こども相談センター(児相)には、マンション住民から虐待を疑う通報が3月30日~5月18日に計3回あった。計5回の訪問をしたが、呼び鈴を押しても反応がなく、不在票を置いて引き揚げた。しかし、連絡はなかったという。」とある。「連絡はなかった」ってアホじゃないか?虐待している張本人がわざわざ自ら児相に連絡するはずも無いだろう。もし記事が正しいとすれば、児相が子供達を救えるチャンスが充分にあったはずだ。不在票だけ置いて帰るなんてあまりにもお粗末なお役所仕事ではないか。児相の5回の訪問がいつあったのかは書かれていないが、もし6月下旬以後で子供達がまだ生存中の時期に訪問していたとしたらますますもって彼らの罪は重い。別の記事によると、5月18日には子供の激しい泣き声が聞こえたため住人が110番通報したのに、警察署員が来たときは何も聞こえないとのことでそのまま引き返している。児相も警察も全然踏み込む気がない。これでは虐待死を未然に防ぐことは全く不可能だ。児童虐待の背景には、核家族化、離婚、各家庭の孤立化、不景気等々があるのだろうが、とにかく目の前の命を救う手立てを考えないと、犠牲は増えるばかりだ。児相のスタッフに自分の判断で部屋に踏み込める権限ぐらいさっさと与えるべきだ。「裁判所の許可が無いと部屋に踏み込めない」などというきまりを、仕事をさぼる口実にさせないためにも。
2010.07.31
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「相撲界で野球賭博」って一体なんなんだろう。えらい騒ぎになっているが、一体何が本質的に悪いのかが今ひとつわからない。賭博自体が悪いというなら、賭け麻雀も、賭ゴルフも同じ罪だし、今までにお金を掛けてのギャンブルなど一度もやったことが無いという人はほとんどいないのでは?競馬なんかは国が認めた賭博で、じゃあそれが健全かいえば全くそんなことは無い。競馬のために身上を潰して一家離散などという話はいくらでもある。競馬のテラ銭は25%にものぼる。掛け金の四分の一が国の取り分なのだ。一方違法であり多くの場合暴力団が胴元の野球賭博のテラ銭は10%が相場だという。公営ギャンブルの方がよっぽど悪どい。実は身近なところで、ある大きな団体の会計責任者が競馬にうつつを抜かして1億円もの使い込みをしていたことが最近発覚した。賭博は公営であろうが、こそこそと影でやっていようが、本質的には同じで、行き着くところは身の破滅。もし今回の事件が、相撲界の中だけで行われていたのであれば、出番待ちの力士同士が控室で花札賭博をやっているのと本質的には変わりが無い。そんなに目くじらを立てるほどのことでもない。関わった力士をこき下ろしている新聞記者や報道番組のレポーターも賭け麻雀ぐらいはやっているはずだ。しかし・・・・素人考えだが、野球賭博があるのなら当然相撲賭博もあるのではないか?たぶん無いはずは無いだろう。もし野球賭博と相撲賭博を暴力団が一元的に管理していたらどうなるだろう?野球賭博の負けが込んできた力士に八百長を強要させるなどということはあり得ない話ではない。大番狂わせで胴元が大儲けできる。あくまで想像だが。もしそんな事実があれば角界は完全に崩壊する。野球賭博事件がここまでマスコミを騒がせているのは、根底にそんな不安があるからかもしれない。
2010.07.07
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昨日のクローズアップ現代、「イラク戦争を問う~英国・検証の波紋~」・・・イギリスでは、アメリカに追随してイラク戦争に参戦したことが正しかったのかどうかについて昨年から検証が始まっている。ブレア元首相が詰問されている様子が映し出されていた。大量破壊兵器はみつからずじまいで、イラクに対して一方的に戦争を仕掛ける理由が無かったことは今では明白。イギリスでは多数の戦死者を出しており、遺族にしてみれば「なぜあのような理由の無い戦争のために、命を捨てなければならなかったのか」という強い思いがある。調査委員会によると検証の目的は教訓を引き出すことであり、個人の罪を追求するのが目的では無いとしているが、遺族の思いはそこに止まらないだろう。日本は参戦こそしていないものの、時の総理大臣小泉純一郎は開戦直後に「我が国はアメリカの武力行使を支持する」と明確に支持表明を行っている。公明党の冬柴などは、日本でのイラク反戦デモに対して、「あのようなことは利敵行為である」と言いのけた。岡崎久彦などは、「アングロサクソンに逆らっちゃダメなんです。アメリカの言うことを聞いていれば日本は安泰なんです。間違っていようがとにかく追随するのが同盟国です。」などと、道徳観を全く放棄した発言をしていた。オランダでは独立調査委員会によって、国連を無視したイラク戦争が国際法に違反するという結論をすでに今年初めに出している。(オランダは大規模戦闘終結が宣言されるまでは派兵していないが、国連主導の治安維持活動には派兵している。その点で日本と似ていると言える。)日本では、未だにイラク戦争を支持したことが正しかった否かなどという議論は行われていない。小泉も冬柴も岡崎も、言いっぱなしである。政権交代だ選挙だといいながら、国家の道徳観にかかわることが議論すらされないのはどうしたことだろうか。結局アメリカには強いことを言えないというのなら、普天間基地問題などマニフェストに載せることすら茶番である。
2010.06.10
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テレビで、小学校3年ぐらいの生徒を体育館に集めて、書道教室をやっていた。畳半畳ぐらいの大きな半紙に、大きな筆で書くのである。「きれいな字で書かなくていいから、思いっきり書いて下さい」と号令を掛けると、みんなスミをハネ散らかしながら元気よく書いている。仕上がった作品をみると、一文字か二文字の作品はいいのだけど、4文字とか5文字になるとどの子も最初に勢いよく大きく書き出すものだから、スペースが足りなくなってしまい最後の文字を横にちょこんと足したり、最後の2、3文字が団子のようになってわからなくなったりしている。けど、どの子も字に勢いがあって面白い。大人なら(あるいは中学生ぐらいからそうかもしれないが)、文字数を考えた上で半紙の中に収まるように最初から計算した上で書く。そうなったらあんなに勢いのある字は書けないだろう。考えてみたら、我々はもうあんな字は書けなくなっている。何事をやるにしても先のことを見越して、半紙の中に収まるようにしか物事をなし得ない。勢いで自分をさらけ出すチャンスなどめったに無い。まあ、みんながいい年して後のことを考えずに思いっきり行動したら、世の中無茶苦茶になるだろうけどね。歴史の節目にはそんなことがあるようだ。例えば幕末の動乱とか。みんな目一杯突っ走って、早くして命を落とした人が多かった。悪い方向に出ると戦争ということになるのかな。太平洋戦争もそうだろうし、イラク戦争もそうだ。戦争はごめんだけど、やはり人間どこかで思い切り自分をさらけ出す場所はほしいものだ。というわけで夏にはライブをやる予定。
2010.06.02
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「ゲノムと聖書」・・・科学と信仰の折り合いをどうつけるか。著者のフランシス・コリンズは医学研究者であり、「ヒトゲノムプロジェクト」のリーダー。福音派のクリスチャン。歴史において、キリスト教の名の下に、ヨーロッパ白人によって数々の残虐行為がなされてきたのはなぜか?(アメリカでのインディアンに対する侵略、虐殺もこれに含まれる。)彼らヨーロッパ人はキリスト教を錦の御旗にして、「異教徒は人間では無い。従って殺しても良い」という考えの下、十字軍の遠征で、西インド諸島で、アフリカ大陸で、インドで、暴虐の限りを尽くしてきた。学校で習うところの世界史とは、ヨーロッパが世界を侵略する歴史といっていいだろう。特にアメリカでは、マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)などという言葉で、自分たちの侵略行為を神からの使命であると勝手に解釈し、それが今日まで続いている。実際に聖書でイエス・キリストの言葉読んでいくと、彼らの蛮行を正当化する言葉は何一つ見あたらない。それどころか全く反対である。「汝を迫害するもののために祈れ」「右の頬を打たれたら左の頬も出しなさい」「剣に頼るものは剣により滅びる」「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。(これはパウロの言葉)」これらがいずれも彼らヨーロッパ人の蛮行と矛盾している。フランシス・コリンズも同じような疑問を持っていたのだろう。このへんに関して彼は「神の真理という清い水は、錆びた容器に入っている」と表現している。結局キリスト教は、彼らの征服欲を正当化するための方便として利用されたのだ。Manifest Destinyなどというご都合主義な言葉はその最たるものだろう。そしてその逆、すなわち信仰の下で多数の素晴らしい働きがあったことも事実である。キング牧師の公民権運動がそうであるし、マザー・テレサの献身的な奉仕もそうである。また、中村哲さんのアフガニスタンでの援助活動もそうだろう。その他表だっては出てこないが、信仰ゆえに自分の命を惜しまず他人のために奉仕している人が大勢いる。「清い水が、清い容器に入っている」例もたくさんあるということだ。しかし残念ながら歴史の大筋は錆びた容器を中心にして作られ、現在の世界の大枠が出来上がっている。錆びた容器のために信仰は大いに汚された結果、キリスト教=残酷な宗教というイメージが我々にはある。しかしゆがめたのは人間の側だったのだ。フランシス・コリンズの主張を読むと、なるほどキリスト教があろうとなかろうと人間の愚行は止めることができなかったのかもしれない。それこそが人間の原罪かと思える。
2010.05.19
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産婦人科医は絶滅危惧種だの、あんな訴訟の多い科に誰が行くかだの、若い医師からさんざんな言われようの我々ですが、我々自身がそのような暗いイメージを払拭する努力もやらないといかんなーとここ数年考えています。まあ、大変な仕事であることは間違いないけど、それは内科であれ外科であれ大変なのは同じ。基本的には「しんどいのがイヤやったら最初から医者なんか目指すなボケ!」と、今の歪んだ制度の中でお客様扱いされている研修医に言いたいところですが、それでは身もフタも無い。大体しんどくない仕事でやりがいがあるような仕事などはるはずが無いのであって、「しんどさ」と「喜び」は表裏一体。そのへんの理解を促すような態度を我々も取らないといけないのかもしれません。それと、何事もそうですが、緩急をつけるというかメリハリをつけるのが大事だと思います。とにかく用事がないときでも遅くまで病院に残り、たまの休みには呼び出しがあったわけでも無いのに病院に顔を出している。こういうのはダメですね。このへんは日本人ならではの悪習でしょうか?(外国ではどうなのかは全然知らんのですが)こういう医者が上司になったらかなわんなと若い医師は思いますよ。大変な仕事だけど、皆で協力すれば普通に休みぐらいは取れるというところを見せないと。産婦人科の場合そのためにはどうしても集約化して、一つの病院に4~5人以上の常勤医が必要になります。もちろん病院が経営的にも成り立つだけの分娩数があるという前提ですが。やはり、1人医長の産婦人科はやめるべきです。各地方病院では、地域の出産を請け負うという立場から1人医長の状態でも産婦人科の存続を願いますが、それでは24時間365日病院に貼り付け状態です。それでもし不幸な転帰に終わる出産があれば、訴訟や刑事訴追となり、あれほど産婦人科の存続を懇願した病院側は医師を守ってくれるどころかあっさり見捨てるのが現状です。例えば3つの病院に2人ずつの産婦人科医と小児科医がいて、それぞれがお産を扱うよりは、1つの病院にまとまって、産婦人科医6人、新生児を診れる小児科医6人でお産を扱う方がはるかにいい仕事ができます。ハイリスクを受け入れることも可能になります。大変な症例は増えますが、確実にやりがいも高まります。なおかつお互いが調整していけば少々のまとまった休暇も取れるようになります。集約化によるメリットと患者の利便性低下というデメリットをどこで折り合いをつけるか?そこが問題です。しかし時代はまちがいなく集約化の方向に動いています。千分の一の合併症が起こってもいい結果しか認めない今の時代にあって、安全性を犠牲にした利便性など何の意味もないからです。利便性に関しては後で辻褄を合わせていくしかないでしょう。例えば集約化された周産期センターの周囲に格安で滞在できる宿泊施設を設けて、患者は妊娠後期になればそこで出産に備えるとか、妊娠前期~中期は妊婦健診のみ行えるような簡易施設を各市町村内に設けるとか。コストはかかるでしょうが、そこは国民1人1人が出産の安全に対してどれだけ負担を負う覚悟があるかという根本的な問題につながると思います。まあ、グダグダ言いましたが、要するに「これだけ大変な仕事やけどみんなで協力したらもっとええ仕事ができるで」ということと、「ええ仕事が長く続けられるように、お互いカバーしあって休暇ぐらいは取れるようにしようや」ということです。当たり前のことなんですけどね。その当たり前のことができてなかったから、若い医師がそっぽをむくわけで、今現役でやっている我々の時代にせめてその変化のきざしぐらいは見せていかんとお先真っ暗です。そういった理由でここ数年は時々まとまった休暇を取るようにしてます。決してヒマな病院ではありませんが、複数の医師がいればなんとかなります。そして以前も書きましたが、休暇は上の立場の人間から取っていかないと、下の人間は取れません。しかし上の立場である50~60才の医師ほど休みを取りたがらないんですよね-「いまさら休みを取って何をせえちゅうねん?」という感じの医師が多いです。休みがあっても持て余すみたいです。持て余そうがどうしようが、とにかく病院に来ない日ぐらい作るのも年配医師の甲斐性のうちやと思います。
2010.05.07
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ゆとり教育から方針を転換して、教科書の内容を大幅に増やすそうである。学力低下が問題となったためだという。国の場当たり的な政策に右往左往させられる子供はいい迷惑だ。ゆとりを持たせた内容では学力が低下するのは当然のことで、こんな当たり前のことがわかるまで何年かかってるんだとあきれる。つまり今までのゆとり教育は失敗だったと認めたことになる。だったらゆとり教育を立案、実行した人達には責任があるはずだが、そのへんについては誰も責任を取らないのだろうか。民間の会社で言えば、就業規則をゆるくしたために製品の質が落ちて会社の対外的な信用が落ちたようなもので、民間であれば誰かが何らかの形で責任を取るのが当然である。結局思いつきで何をやっても、またその結果がどうであれ、責任を取らなくて良いというのが国の教育に対するあり方ということになる。それでは10年後20年後を見据えた教育施策など生まれようがない。(これは現在の研修医制度にも言える。この大失敗している研修医制度の責任は誰が取るのだろう?)さて来年から教科書の内容が40%も増えるそうだ。これによってついて来れない生徒が増えることは当然予想される。授業についていけない子が増えた場合、学級崩壊や不登校などといった問題がまたクローズアップされる可能性は大きい。そうなった場合誰が責任取るのかは今のうちにハッキリしておいてもらいたいものだ。それと、これを機会に週休2日制をやめて、以前のように土曜を半ドンにして、少しでも平日の授業時間を減らすべきである。中学生の時間割など見ていると、1日の時間数が多すぎてこれではとても集中力が続くまいと思われる。そして土日続けて2日休んで生活のリズムを狂わせたまま、またつらい平日の授業が続く。週休2日制のままで教える内容を増やしたらますます歪みが大きくなるのは目に見えている。
2010.03.31
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もうすぐ3月も終わり。三寒四温などといいますが、確実に暖かい風を肌に感じる日が多くなってきました。季節ってにおいがあるんだなと感じます。除雪で駐車場のすみっこにもられていた雪も溶けてなくなっています。年を取ると季節の移り変わりにすごく敏感になり、今まで生きてきたその季節その季節の印象が鮮明に蘇ってきます。特に春は大学に入学したころを思い出します。暗闇の中から、いきなり見通しのいい広い道に出たような感じ。その感覚が春の風やにおいとともに蘇ってきます。もうあれから30年以上経ちます。うちの娘が今年から大学生ですが、彼女はどんな思いで春の風を感じてるんやろう?欧米では9月から新学期らしいけど、日本はほんと4月からでよかったなと思います。こんなことを考えるようになったのは年のせいかな?まあ、何よりスノータイヤを外さんといけません。
2010.03.21
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大型連休を地域によってずらして、観光地の混雑等を解消しようといういわゆる連休分散化が提唱されている。確かにゴールデンウィークなどは、主な高速道路や観光地は渋滞し、「出かける」=「人を見に行く」ようなものである。私なんかはとても出かけようという気にならない。だから基本的に分散化は賛成だが・・・日本の祝祭日は年間15日あるそうだ。意外なことに欧米諸国より多いらしい。(アメリカ10日、ドイツ8日)ところで有給休暇というものがある。例えば日本では6年6ヶ月以上勤続している労働者は、年間20日間の有給休暇を取ることが法で定められている。けどこんなこと今ネットで調べて初めてわかった。おそらく日本では誰も20日なんてとっていないだろう。だから祝祭日を作って公然と休める日を増やしているのだろうか。いかにも日本人らしいという気がする。年間20日も休めるんなら、大型連休をわざわざ分散化してもらわなくても、自分で調整して平日に休めばいいだけのこと。ネット調べると案の定、日本は先進国中で有給休暇の取得日数が最低だ。有給休暇を全て消化した人の割合は8%で、これまたダントツに最低。ということは、連休の分散化よりも有給休暇の消化を厳密に実行させる法的基盤を作った方がよっぽどいいんじゃないかな?是非とも作ってほしいね。勤務医なんて、休日出勤の代休すら無いんだから。
2010.03.10
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こんなことがまかり通るのか?元検事、無実の人間を17年間も刑務所に入れておいて謝罪なし・・・・司法の人間というのはそういうものなのか。血も涙もないとはこのことやな。管家さんは、謝罪の一言を聞くことで17年間の故無き苦痛にくぎりをつけたかったのだと思う。「謝罪を聞けば、気持ちを切り替えることができる」と自分に言い聞かせたことだろう。その誠に慎ましくもささやかな希望の芽すら、この元検事は容赦なく奪ったのである。取り調べで間違った結論を出してしまったことよりも、今回の謝罪を頑なに拒否した態度の方がはるかに罪は重い。
2010.01.25
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明けましておめでとうございます。今年の年末年始はめずらしく2日間休めました。休みの間に、「ラストサムライ」(テレビからの録画)と「ソルジャーブルー」(DVDを買っておいたけど見るヒマがなかった)を見ました。この2つを意図的に選んで見たわけでは無かったのですが、ソルジャーブルーの最後はラストサムライの冒頭につながっていくのだなと思いました。ソルジャーブルーとはアメリカ西部開拓時代の騎兵隊のこと。古典的な西部劇では、悪役のインディアン相手に戦う正義の味方ですが、映画「ソルジャーブルー」ではシャイアン族の無抵抗な女子供をレイプし、殺戮し、屍体を切り刻む鬼畜として描かれています。騎兵隊の若き兵士ホーナスだけがこの蛮行を正視できず上官に反抗します。1864年に起こったサンドクリークの虐殺をモデルに描かれた映画で、いわばアメリカ西部開拓の恥部にあたる部分をリアルに描いています。この虐殺を指揮したチビングトン大佐はメソジスト教会(禁欲的な規則正しい生活を基礎とするキリスト教の一派)の牧師でもあったそうです。(アメリカ人はmanifest destinyなどという言葉を操り、自分たちの侵略を信仰的にも正当化してきた。)白人が無抵抗のインディアンを虐殺する事件としては、他には「ワシタ川の虐殺」、「ウーンデッドニーの虐殺」など数多く知られています。ソルジャーブルーの公開が1970年。ちょうどベトナムでのソンミ村虐殺事件が明らかに成り、アメリカの正義に疑問が持たれだした時代です。アメリカには他民族大量殺戮の遺伝子が息づいているかのように思えます。一方ラストサムライの方はフィクションです。時代は明治維新後だから1869年くらいだったかな?主人公のアメリカ人オールグレンは無抵抗のインディアン虐殺に荷担したことから良心の呵責に耐えきれずアル中となります。(カスター将軍の名前が出てくることから、おそらくはワシタ川の虐殺に参加していた想定なのでしょう。)オールグレンの姿は私の頭の中ではソルジャーブルーでのホーナスにオーバーラップします。半ばやけくその状態で明治政府に請われるまま軍事顧問として日本にやってきたオールグレン。彼は反乱軍(おそらく西郷隆盛がモデル)との戦いで捕虜となりますが、反乱軍と生活を共にするうちに彼らの武士道精神に惹かれていきます。失った兵士としての誇りを取り戻す術をそこに見出したオールグレンは、反乱軍と行動を共にし、政府軍に立ち向かいます。(これは西南戦争がモデルでしょう)近代的な武器で重装備の政府軍を相手に、銃火器を一切使わず捨て身の攻撃を行う反乱軍。オールグレンの頭の中では、この反乱軍の姿は乏しい武器で白人に立ち向かったインディアン達の姿とオーバーラップしているのかもしれません。ソルジャーブルーはもちろんのこと、ラストサムライもアメリカ映画なんですね。自分たちの国がネイティブアメリカン虐殺の上に成り立っているという意識を頭の片隅にでも持っているアメリカ人がどれほどいるのかはわかりません。ソルジャーブルーなどは公開当時その内容に反発した人も多く、上映禁止となった地域もあると聞きます。とはいえこのような映画を作って公開できる懐の広さがまたアメリカということでしょうか。どの国においても、その歴史の恥部ともいうべき部分があると思うのですが、それを表現することがタブーになるようではその国の未来は無いでしょう。
2010.01.03
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先日情熱大陸というテレビ番組で、岡林信康の特集をやっていました。日本ではフォークの元祖のような人で、吉田たくろうや泉谷などがそれに続く世代だったと思います。1946年生まれだそうで、私より1まわり年が上なんですね。「山谷ブルース」、「チューリップのアップリケ」、「手紙」といったところが記憶に残っています。当時デパートのレコード売り場に行って、「すみません。チューリップのアップリケありますか?」って聞いたら、「家庭用品売り場に行って下さい」なんて冗談のような話がありましたが。全共闘、ベトナム反戦といった時代と重なり、なんとなく岡林といえば反権力みたいな印象が強いですが、今の彼をテレビで見ると飄々としていますね。肩の力が抜けているというか。当時はフォークの神様とかいわれてたっけ。勝手に神様にされて迷惑やったんやろうな。「岡林さんにとって自由とは何ですか?」「空に浮かぶ凧みたいなもんやね。糸が切れた方が自由になれるみたいに思うけど、切れたら落ちていくからね。若いときは糸を切ろう切ろうとしてもがいてた。」なるほど。自分も20才の頃はそんな感じやった。糸を全部切ろうとしてずいぶんもがいていたけど、最後は糸に助けられた。
2009.12.30
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アメリカは無人武装偵察機なるもので敵を攻撃するらしい。高性能のラジコン機ということだろう。うーん、まあ所詮戦いだから相手を殺せるのなら手段をどうこう言っても始まらないのだろう。卑劣といえば無差別に市民をねらうテロこそ卑劣だし。にしても、ハイテクに任せて自分は攻撃される心配が全く無い無人飛行機で敵をやっつけるというのは、なんかこうひっかかるというか、ぶっちゃけいうと武士道精神からいうとありえん武器だよね。そんなこと言っとる場合じゃないと言われそうだが・・・誰かがモニター画面を見ながらその無人機を操作しているわけだし、さながらテレビゲームの感覚なのだろうか。しかしこれで民家を誤爆して多くの民間人死傷者を出しているのだから、何とも背筋が寒くなる。9.11テロが卑劣なら、無人武装偵察機による市民を巻き添えにしての攻撃も卑劣。巻き添えにされた市民から見たらテロそのものである。新たなテロリストを生むのは必然のように思われる。ノーベル平和賞を受けたオバマさんだが、アフガニスタンはますますベトナム化している。受賞時の演説もかなり苦しいところがあった。決して喜べない心境だろう。
2009.12.13
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先日学会に参加するために東京に行きました。まあ、なんやかんやで年に2回ぐらい東京に行くのですが、やっぱりすごいわ東京は。夜着いたのでとりあえずホテル近くで晩飯を食おうとぶらついていると、道ばたで40才ぐらいのカップルがものすごい怒鳴りあい、つかみあいの大げんかをしている。特に女の方がすごい剣幕で男につかみかかっている。「何考えてんのよ!!許せないわ!」と標準語でケンカしてる(当たり前か(^ ^);)。一瞬テレビのロケかなんかかと思ったけど、どうやらマジでケンカしているようです。いやー、すごい迫力。しかしそばを通る通行人は特に気にする様子も無く、ちらっと見るだけでみなスタスタと歩き去って行く。いきなりすごいなー、さすが東京だわ。さて、翌日学会で発表を終えた後お茶の水界隈のギターショップを冷やかして歩く。これまたすごい。小さい店がいくつもあって、その狭い店内にビッチリとエレキギターが陳列されている。ものすごい数だ。おそらく日本のエレキギターの半分ぐらいはこの界隈に集まっているんじゃなかろうか。きょうびギターってこんなに売れるんやろかと思いながら目の保養をしていると、私ぐらいの年回りのおっさんだと金を持っていると思われるのか、どこの店でも店員のにいちゃんが近寄ってきてあれこれと薦め出す。「これなんかどーすか?今お安くなってますよー」とギブソンの20数万円のセミアコを薦めるにいちゃん。「いやー、さっき寄った店やとこれより1万5千円安くなってたでー」「そ、そうですか(^ ^);・・・じゃあこちらはいろいろおまけをつけさせてもらいますんで、是非お願いします。」「まあ、今日は冷やかしにきただけやから・・・」「そういわずに何とか。金額ももう少しなんとかしますから」中々食らいついたら離してくれない。しかしそのお茶の水から少し離れた神田にすごい店がありました。ゼマティスのギターだけを扱っている専門店。こんな店あるの知りませんでした。ここはほんまにすごい。マニア垂涎の的やね。この貝殻をちりばめたきれいなギターの数々。まさに工芸品。ゼマティスの名前は昔から知っているけど、田舎ではまず実物を見る機会がありませんでした。実物はきれいですねー。もちろんおいそれと買えるような値段ではありません。どれも100万円を超える値段。新車一台ぐらいの値段かな。少し触らせてもらいましたが、意外と軽いです。どれもレスポールなんかと比べるとこぶりで、日本人にちょうどフィットするような感じです。ゼマティスという人はもともと家具職人だったそうですね。自分が弾くためのギターを自作し出したのがきっかけでギター製作専門の職人になったらしい。もう何年も前に亡くなられて、今はゼマティスのデザインを引き継いでゼマティスブランドのギターを作っているのは日本の神田商会だそうです。神田商会といえば、そうグレコですわ。ふーん、こんなところでグレコが息づいているんやなと感心しました。ある意味日本人の細やかさに通じるものがあるのかも。しかしこれだけ見栄えのいいギターやと、床の間に飾っておいて鑑賞するだけで満足してしまってライブに持っていくのが気が引けますね。これはほんまにええ目の保養でした。
2009.11.30
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今の病院に勤めて早15年。医師は卒後10年ぐらいまでは転勤がつきものだが、我々ぐらいの年になるとこちらから希望を出すか、病院側から愛想をつかされるかしない限り同じ病院に勤め続けることができる。大学の医局からは卒後5年くらいまでのイキのいい医師が2~3年交代で送られてきて、いつのまにか自分は若い医師を指導する立場になっている。若い頃は、2~3年一所懸命勤めて愛着の湧いた病院を離れるのがつらかったが、今はつねに見送る立場になり、これもまたつらいものだと思う年になった。今月いっぱいで3年間働いてくれた若手医師のO君が次の病院に転勤になる。卒後4年目から7年目までの3年間を共に働いたわけだ。3年の間のO君の医師としての成長ぶりは本当に目を見張るものがある。指導する側として充分なことができたかどうかは定かではないが、彼の成長ぶりを見る限り、一定の役割は果たせたような気がする。ここ半年はむしろ彼に頼っていた感さえある。3年の間に約3500件の出産があった。その中にはあわや母体死亡という症例も数多くあり、O君と必死の思いで手術したことが何度もあった。前置癒着胎盤、胎盤早期剥離、DIC、HELLP症候群、子癇発作、産後後腹膜血腫等々。今から思い返しても冷や汗が出るような症例に事欠かなかった。本当にこの修羅場によく耐えてくれたものだと思う。猛烈に勉強もしていた。最新の知識は彼から直接聞く方が早かった。O君の机のまわりはいつも文献やテキストや医学雑誌が山積みで、その中に紛れて洗面道具一式やカップラーメンや着替え類なども散乱していた。所帯持ちなんだけどね、彼は。家に帰るヒマがあんまり無かったのにグチ一つこぼさず、むしろ楽しそうだった。今日が引っ越しで、その机がきちんと掃除されて、「えー!?ここってこんなに広かったんや」と驚いた。はー、寂しいもんやな。あの散らかり具合がなつかしい。来週から新しい若手医師が着任します。
2009.11.28
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オバマさんが天皇に対して深々とお辞儀したことに対して、米国内では「大統領がそんなに低姿勢になる必要はない」と非難の的になっているらしい。土下座でもしたんやろか?と思ってYouTubeで映像を確認すると、何のことはない、極々普通のお辞儀だ。非難しているアメリカ人っていうのはどこまで横柄なんや。訪問先でその国を代表する人間に対して礼を尽くすのは当たり前のことだろう。ましてや天皇はずっと年配なんだし。米国では「アメリカはなぜ嫌われるのか?」などど真面目に議論するむきもあるようだが、そんなの議論しなくてもこの一件だけでわかるやん。一事が万事。この横柄さが、他国に平気で軍隊を駐留したり、自分だけ山ほど核兵器を持っていながら他国に持つことを禁止したり、一番エネルギーを消費していながら温暖化対策に非協力的だったり、その国の事情も考えず民主化を押しつけたり、テロとの戦いと称しながら多くの民間人を空爆の巻き添えにしたりといったことにつながっている。だから嫌われるということに気がつかないのだろうか?いや、オバマ大統領はちがう・・・といった期待がノーベル平和賞という形になった。今回の天皇に対するお辞儀は、特に日本人なら気にもとめないが、米国内での非難を知ってはじめて、ここでも「オバマはちがう」といった感を持った日本人は多いのではないだろうか。皮肉なことに米国外での評価が高くなるほど国内での人気が落ちているようだ。保守的なアメリカ人は、軍事的に圧倒的に優位なんだから国際協調なんか必要ないと思っているからね。結局アメリカ人にとっては目先の景気が良くなることが最優先ということか。
2009.11.18
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民主党政権が誕生して一ヶ月。みな民主党を指示してというより、自民党を見限った票が全て民主党に流れた結果生まれた政権。参院補欠選挙でも民主党候補が当選しているので、この一ヶ月間ではまだその期待を裏切っていないというべきか。そんな中、八ッ場ダムの中止問題が取り上げられている。このダムって1952年に建設が決まったらしいね。何と50年以上経ってる。おそらく最初の立案者のほとんどがもう死んでるだろう。50年以上の間無くても困らなかったということ自体がこのダムに意味がないことを示している。巨費を投じて建設を続けるのは、素人目に見ても無理があると思う。しかし、しがらみだらけの自民党政権なら中止はできなかっただろうな。翻弄される地元の方々にとっては迷惑なのだろうけど、変化を期待して民主党に投票した人間からすると、「なんや、やめようと思えばやめられるんやんか。今まで自民党はどんだけ無駄遣いしてきたんや?」と見ているようだ。鳩山政権の支持率が高いままなのはこのへんが大きいと思う。とかなんとか言ってたら、先日のテレビで前原大臣、知事連中に吊し上げられて、「八ッ場ダムについては再検証する」なんて言い出しました。早くもブレだした?しかし、ダム建設を続けろと主張する側は、なぜ必要なのかを理論的に説明してない。「ここまでお金をつぎ込んだものを今更やめれるか!」というふうにしか聞こえない。要するに説得力が無い。それにしても自民党の反対意見は、アホかという気がする。「マニフェスト実現のために一方的に中止するのは民主主義に反する。」などという意見。中止しなければしないで「選挙公約違反だ」などと責めるだろうことは目に見えている。所詮負け犬の遠吠えとしか映らない。マニフェストを実行することを前提として選挙で戦ったんだから、負けたお前らが言うなって。
2009.10.30
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テンションが上がらないときはブログの更新が滞る。この一ヶ月というもの、ただ忙しさにまかせて仕事をこなしたということ以外何も言うことは無い。昨日2ヶ月ぶりにある知人(46才)にあった。なぜか五分刈り頭になっているので、「なんやすっきりしたんやなあ」というと、「先月くも膜下出血で倒れて、開頭手術を受けたんや。3日間意識無かった。」ということで驚いた。幸い麻痺も残らず仕事に復帰しているらしいが、要するに我々はこういう年回りになったということらしい。慢性胃炎を抱えて酒を飲む量を控えているぐらいかわいらしいものである。3年前に脳卒中で突然倒れた親友のT君は今もリハビリ中だ。C君の訃報に驚き、哀しんでいた。毎年厚労省が発表している死亡統計を見ると、人間45才を超えたあたりから急に死亡率が上昇する。数字とは正直なものだと思う。最近生命保険を一つやめた。50才を境に急激に掛け金が高くなるのである。保険会社はわれわれがすでに死にやすい世代であることをよく知っている。自分がいつ病に倒れるかはわからない。神の投げる気まぐれなナイフが命中したら、それで終わりである。いつも自分の耳元をかすめて近くの人間にあたっているような気がするが、次は自分の番かもしれない。死が身近なものになると、じゃあ生きている意味は何かと問う気持ちが生まれてくる。そんなやっかいなことを考えるのは人間だけだろうが。C君の影響もあってここ数年聖書を読んでいる。日本では聖書ほど有名なわりに実際読まれていない本はないだろう。大方の人にとって、道徳律の本という程度の認識しか無いようだ。しかし読んでみるとそう簡単に割り切れる内容ばかりではない。さて聖書では死についてなんと書いているか?よい行いをした人が天国に行き、悪い行いをした人は地獄に行くと書いてあるだろうか?聖書の中に「伝道の書」とか「コヘレトの言葉」と題される書がある。栄華を極めたソロモン王が書いたものとされている。ここでの死生観についていくつか引用してみると、「知恵と知識を深めて苦労して国を治めて繁栄を築いたことも、あらゆる快楽を求めてそれを楽しんだことも、全ては風を追うのに等しく空しいことだった。」「生きているものは知っている。自分がやがて死ぬということを。しかし死者はもう何一つ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく、その名も忘れられる。」「人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊を持っているに過ぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。全ては塵からなった。全ては塵に返る。」「太陽の下、与えられた空しい人生の日々。愛する妻とともに楽しく生きるがよい。それが太陽の下で労苦するあなたへの人生と労苦への報いなのだ。」今はこれらの言葉が実感を持って心に突き刺さる。まるで日本の古典にみられる諸行無常のニヒリズムとそっくりではないか。やはり我々はただ生き、ただ死ぬだけなのか。そうであれば死ぬ間際の自己満足によってしか生を全うできないのだろうか。(誤解の無いように言っておくと、これは旧約聖書、つまりキリスト誕生以前の死生観であり、キリスト教ではこのように死に定められた人間がキリストの十字架によって救済され永遠の命を得るのである。)
2009.10.11
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ふつう身近な人の死は日が経つにつれ現実感を増してくるのだろうけど、C君の死に関しては日を追う毎に現実では無いような気がしてくる。毎朝起きる度に、「あれは夢や、現実とちがう」と思えてしようがない。人間が1人死んだところで世の中はちゃんと回っていく。確かにその通りだが、心の中の歯車は空回りしている感じだ。考えてみればええ年のおっさんになってからはあんまり友だち同士で写真など撮らないので、彼の最近の写真は全く手元にない。それだけにいつも彼の顔を鮮明に思い出そうとして気持ちも堂々巡りをしてしまう。「あいつは死んでへん。」「何言うてんのや。もうおらんのや。」熱心なクリスチャンであった彼は、教会の方々からは「神の御許にいる」と解釈されている。「亡くなった」とは言わずに「天に召された」と言う。そのせいだろうか、教会の方々は彼の死を惜しんでいるけれども、どこか物わかりが良すぎるというか、納得するのが早いという気がしてしまう。しかしキリストもラザロが死んだとき大いに哀しみ、死後4日経った後彼を蘇らせたではないか。はー、あかんな~。なかなか吹っ切れん。こういうとき仕事が忙しいのはむしろありがたい。少なくとも分娩中や手術中はあれこれ考えなくてすむ。
2009.09.15
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みんなの祈りも空しくC君は逝ってしまった。奥様が是非友人代表として思い出を語ってほしいと言って下さったので、教会へ駆けつける道中何を話そうか考えていたのだが、彼の遺影を見たとたん全てが吹っ飛んでしまった。彼の死が現実であることに愕然とし涙が止まらなくなった。賛美歌を歌っている間に何とか呼吸を整えて壇上に上がったが、何を話しているのか自分でもよくわからず、「何で自分だけ先に逝ってしまうんや!」と言ったことだけ覚えている。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や義の冠がわたしを待っているばかりである。」・・・新約聖書のパウロの書簡に書かれた言葉がプロジェクターによって映し出されている。いやいや、彼はまだ走るべき行程の真っ最中にいた。そんな言葉であきらめきれん。少なくとも私は・・・・
2009.09.05
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C君とは中学生の時以来の付き合いだが、メールが簡単にできるようになった10年ちょっと前ぐらいからメールでいろんなことを語り合っている。ざっと今までのメールをあらためて読み返していると、意外なほど頻回にやりとりしている。それもお互いかなり長文のメールが多い。10年前というとちょうど40才の頃。世の中の荒波をもろに正面から受ける時期で、私も彼も仕事の大きな転換点にさしかかっていた時期だった。メールというのは不思議なもんで、普段の会話では中々話せないかなり突っ込んだことも正直に書けたりする。お互いにいろんな鬱積した思いや不安を吐き出しながら、励まされた。それにしても圧倒的に私の方が彼に頼っていろいろ意見を聞いたり、泣き言をいったりしている。中学高校時代は私と彼を中心に常に5人程度のメンバーが集まってはよからぬことをしていた。といっても学校サボって酒盛りしたりする程度のことだが。彼の家でゲロを吐きまくるわ、押し入れを便所と間違えて小便撒き散らすわ、大変な迷惑をかけたことも憶えている。しかしその彼とメールのやり取りをしていて、彼が人間的に格段に成長し心の大きい人間になっていることに驚いた。波瀾万丈の人生があってこそのことだが、何よりも人の痛みを自分の痛みのように感じてくれているのがわかる。いろんなことで行き詰まると、酒を飲みながら彼にメールでああだこうだと相談しては迷惑をかけて現在に至っている。これからも相談に乗ってくれないと困るのである。
2009.08.27
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C君との面会がやっとかなった。奥さんと時間を打ち合わせて、いっしょにICUに入らせてもらった。残念ながら意識は戻らないままであるが・・・彼とはこの年になっても中学生の時以来のあだ名で呼び合っていたので、いつものようにあだ名で大きい声でよびかけた。「○○(彼のあだ名)、○○!わしや、□□(私のあだ名)や。わかるけ?突然倒れたやなんてびっくりしたがな。このあいだは面会もできずに帰ったけど、今日やっと会えたな。うれしいわ。」薄目をあけていた彼は、確かに私の声に反応してくれたように思えた。目を見開いて少しわずかだが視線を動かしている。管を挿入されていて話せないのだが、口をモゴモゴと動かした。奥さんは驚いた。そんな反応を示したのは初めてだそうである。こっちの勝手な思い込みかもしれないが、彼には聞こえているような気がしてならない。約30分ほど語りかけて手をさすったりしている間、彼は時折深呼吸をしてみせたり、口元を動かしたりした。それが今の彼の目一杯の反応なのだろう。その後は少し疲れたのか、また薄目状態で眠りたいような様子をみせたので、「また来るしな。がんばれや。」といってICUをあとにした。医学が進歩したといっても、人間の脳のことはわかっていないことが多い。現在の限られた知識に基づく神経学的予後は稀に予想を外れることがある。医師として冷静な目でみれば、C君の神経学的予後は厳しいのかもしれない。しかも主治医はたいてい厳しめ厳しめにムンテラをする。家族にとってはつらいことだと思う。幸い今は医師としてでなく友人として家族に話をすることができる。もちろん安易なことは全然言えないが、「どうも彼には聞こえているような気がする。諦めるのは早いんとちがうやろか?」と奥さんに正直に伝えた。・・・これぐらいのことは言わしてもらってもいいだろう。
2009.08.17
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先週末、C君のブログがなぜか更新されなかった。必ず毎日その日の出来事を綴っていた彼だけにめずらしいなと思っていた。その翌日知人からC君が突然倒れたと連絡があった。すぐに車を飛ばして病院に駆けつけたが意識不明で面会できなかった。ご家族に聞いたところでは、意識が戻るかどうかわからないらしい。C君も私も今年で51才になる。いつ病気になってもおかしくない年だが、よりによって持病もなく酒もタバコもやらなかった彼がなぜ?確かに仕事は1人でなんやかんやと抱え込んでいたようだ。彼の性格からして頼られると決して断らない。それがストレスになったんだろうか・・・・人間長く生きていても本当の親友に恵まれている人は意外と少ないのではないだろうか?私にとって彼は単なる親友以上に恩人でもある。若いときに無茶をやってにっちもさっちも行かなくなったとき、連絡をくれて会いに来てくれた。彼はそんな風には思っていないだろうが、今の自分があるのは彼の力が大きかったと思っている。奇しくも10年ほど前から彼も医療関係の仕事に就いていたので、仕事上の相談をすることも多かった。お互い忙しさのあまりストレスが溜まっていることは理解していたので、先月もメールでお互い体に気をつけるよう言い合ったばかりである。今はとにかく祈るしかない。
2009.08.12
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オバマ大統領が就任してから半年。報道によると彼の支持率は60パーセントを切ったようだ。経済対策の効果が目に見えてこないためだろうか。今アメリカが抱えている経済問題、終わりの見えないイラク情勢、アフガニスタンでの対テロ闘争など、これら全ては前ブッシュ大統領の置きみやげみたいなものである。いわば尻ぬぐいをさせられている格好のオバマさん。けど世界的な経済不況が1人のカリスマ指導者によって劇的に改善するなんてことはどう考えてもあり得ない話。しかしその中でも彼は常に前向きのメッセージを発している。特に印象に残るのは、彼がプラハで核軍縮に関して述べた言葉・・・“And as nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act.”「米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある。」オバマ氏は大統領として初めてアメリカの日本に対する核爆弾の使用を批判的に捉えた。決して「自分が悪かった」とは言わないアメリカ。そのアメリカ大統領がこんな発言をするとは誰が予想しただろう。そしてその言葉を裏付けるかのうように米露は7月に核軍縮に関する合意を取り交わしている。核大国である米露が率先して核兵器を廃棄していくことなしには他国に対して核放棄を訴えることはできないという考え方からである。考えてみれば当たり前のことだが、今まではヒロシマ、ナガサキを正当化し世界の警察きどりで自分だけは核兵器の保有を当然のこととしてきたアメリカがいくら他国に核を持つなといっても何の説得力も無かったのである。(そのアメリカの核の傘に守られている日本が核兵器反対だの非核三原則だのを叫ぶのはほとんど冗談のようなものだ。)おそらく米国内では自国が大量の核を保有することで世界のバランスが取れていると信じている人間の方が多数派だろう。その中でこの一言を敢えて発言しただけでも彼が大統領になった価値は充分あったのではないだろうか。
2009.08.02
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