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日本版刊行についても様々な議論や批判が起こり、一度は発売中止に。 しかし、今年4月に産経新聞出版より現在のタイトルで刊行されました。 どの項目についても、丁寧な取材に基づいて事細かく記述されており、 読み進めるのに随分時間がかかりましたが、読むべき価値のある一冊でした。 本著で述べられていることのポイントについては、 岩波明さんによる「解説」を読めば、凡そ理解出来るようになっています。 本書に記載されているように、米国のトランスジェンダーの推進者、活動家たちは、 当事者本人が「性別違和」を自覚し認識していれば「性別違和」と「診断」され、 希望があれば、その後の医療的処置を受けることは当然の権利であると主張している。 (p.328)この後、岩波さんは、「本書に登場したルーシーや他のトランスジェンダーの少女たちは、長期経過という視点から言うと、思春期になって性別違和を自認しているので、本来の性別違和と診断することは難しい。」と述べています。素直に頷くことの出来る指摘でした。 本書の著者によれば、トランスジェンダーの急増という状況を引き起こした原因として、 教育現場と精神保健の問題をあげている。 多くのハイスクールや大学では、性別違和を訴える少女を擁護し、 時には親に知らせることなく、男性名の使用を認め、 積極的にホルモン療法や手術に誘導することも行われているという。 また多くのケースでは、精神保健の専門家(医師やカウンセラー)も、 当事者の訴えをそのまま受け入れ、「性別違和」のお墨付きを与えている。 医師のお墨付きを得た患者は、思春期抑制のためのホルモン療法やテストステロンの投与、 さらにトップ手術にまで至ってしまう。(p.328)著者による本文では、このあたりの状況について逐一詳細に記しています。公立校で5年生の担任が、親だからといって望むものが常に手に入るとはかぎらないと説明し、「親が学校に来て、『うちの子をそんな名前で呼んでほしくありません』と言ったとしても、 親としての権利は、子供が公立校に入学した時点でなくなるのです」(p.125)という発言は驚き。また、女性から男性へ医療処置で性別移行した有名なトランスセクシャルによる「16歳で乳房を取り去って、ホルモン投与を受けて、10年後に『やっぱりやらないほうがよかったんじゃないか』と悔やむなんて想像できるか?考えるだけでもいたたまれない」(p.292)という言葉には、強い衝撃を受けました。 現在のトランスジェンダーの問題は、医療的な問題よりは、 差別と少数者の権利擁護の問題という側面がクローズアップされている。 これは米国でも、日本でも同様である。 そのため、どうしても、社会的、あるいは政治的な視点から語られることが多く、 反応も先鋭化しやすい。この本の著者に対しても厳しい批判が行われた。 しかしながら、この問題は、本来医療の問題である。 多数の症例を集めた客観的なデータに基づいて性別違和の定義を確立し、 標準的な治療方針を得ることが何よりも求められている。(p.332)最後の3行については、頷くしかありません。また、トランスジェンダーをめぐる問題と「偽の記憶」あるいは「抑圧された記憶」に関する問題との類似性も興味深いものでした。『抑圧された記憶の神話』も、機会があれば読んでみたいと思います。
2024.09.08
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副題は「気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません」。 その冒頭は次のように始まります。 僕は躁鬱病です。 今では双極性障害と言うらしいですが、(中略) 診断されたのは2009年です。当時、31歳でした。 東京のメンタルクリニックみたいなところでした。(中略) 医師と対面して、こちらの症状を話すと、 それで医師は経験から、「躁鬱病ですね」と言いました。(p.9)そして、その医師の考え方は、次のようなものでした。 躁鬱病は病気というよりも体質なので、波の強さを抑えることはできても、 基本的には完治しないし、服薬も生涯続ける必要があるし、 その中で自分なりのやりやすい生き方を見つけていくしかない。(p.13)でも、何かが足りないと感じ、どうすればいいのか分からなくなってしまった著者は、躁鬱病に関する本をいくつか読んでみますが、どれも同じことが書いてあります。躁鬱病ではないであろう人たちの書いた本には、症状については色々と書いてあるものの、経験を踏まえて、どうしてそうなるのか、どうすればいいのかについて書かれていませんでした。類書を読むことをやめ、途方に暮れていた時、精神科医の神田橋條治さんのことを知ります。その『神田橋語録』との出会いが、著者の考え方に大きな変化をもたらすことになりました。本著は、神田橋さんを躁鬱病についてのソクラテスと見立て、彼の言葉をプラトンであるところの著者が解釈し、皆と共有していくという一冊です。
2024.06.09
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「便秘は、大腸が原因」と信じて疑わず、 日々腸活に励んでいる人たちに、新たな気付きを与えてくれる一冊。 著者は、大阪肛門科診療所・副委員長の佐々木みのりさん。 元皮膚科医で、肛門科に転身した1998年には、女性肛門科医は全国で8名でした。 ***便秘には、おなか(大腸)の便秘と出口(直腸・肛門)の便秘の2つのタイプがあり、次のことが当てはまる場合、出口の便秘が疑われるそう。・腸活してるのに便秘・排せつ後にお尻を拭くと紙に便がつく・温水洗浄便座がないとつらい・ニオイおならがよく出る・出始めの便が硬い・下着に便がつく・実は痔で悩んでいる毎日排便があっても、スッキリ出し切れずに出口(おしり)に残っていれば「便秘」で、便秘難民の8割は、この出口の便秘とのこと。腸活して一生懸命よい便をつくっても、出口で渋滞してコロコロ化した便があると、そこに新しく軟らかい便が下りてきても、2階建て構造の出口の便秘になってしまうのです。下剤に関する注意事項や、便通のための生活指導(食事、睡眠、運動、副交感神経)、さらには、トイレ作法についても、「なるほど!」というアドバイスが目白押し。著者のブログや大阪肛門科診療所のHPにも、多数の関連記事が掲載されていますが、本著はそれらを分かりやすくひとまとめにしており、大変読みやすいものになっています。
2024.05.18
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副題は「その正しい理解と克服法」 著者は、精神科医の岡田尊司さん。 発達障害「グレーゾーン」について記した一冊。 子どもから大人まで通した問題として、考えていきます。 まず、『第1章 「グレーゾーン」は症状が軽いから問題ない?』では、 「グレーゾーン」と診断の受け止め方について、次のように述べています。 「グレーゾーン」は決して様子を見ればいい状態ではなく、 細やかな注意と適切なサポートが必要な状態で、 それが与えられるかどうかが命運を左右するということを肝に銘じたい。(p.25)そのうえで、本当のADHDよりも疑似ADHDの方が生きづらいこと、グレーゾーンは愛着や心の傷を抱えたケースが多いことを指摘しています。次の『第2章 同じ行動を繰り返す人たち - こだわり症・執着症』では、ビル・ゲイツのや村上春樹の例を挙げながら、こだわりの強さについて述べていきます。 ドラマや映画の主人公は大抵そんな性格の人で、 困難を顧みずに巨悪と戦うことになるのだが、 現実の世界でそうすることは、人生を過酷なものにしてしまう。(p.51)これは、正しさにこだわりすぎることについて述べたもので、大いに納得。現在TVドラマが放映中の『花咲舞が黙ってない』の主人公などは、まさにその典型でしょう。そして、『第3章 空気が読めない人たち - 社会的コミュニケーション障害』では、この障害を示す発達障害の代表が「自閉症スペクトラム症(ASD)」であるものの、限局された反復的行動が見られないと、ASDと診断されずグレーゾーンになると指摘します。続く『第4章 イメージできない人たち - ASDタイプと文系脳タイプ』では、知覚統合に問題がある代表的ケースには、言語・記憶が強いASDタイプ(アスペルガータイプ)と地図や図形が苦手な言語・聴覚タイプの二つがあると述べています。言語・記憶が強いASDタイプについては、フランツ・カフカや次のような例を挙げています。 Fさんは真面目な努力家で、学生時代はずっと成績優秀だった。 国立大学の経済学部に進学して、前途洋々かと思われていた。 ところが、就職では、思わぬ苦戦を強いられることになる。 志望する大手企業を次々と落とされてしまったのだ。(p.100)これは、先日読んだ『ルポ 高学歴発達障害』に登場してきた人たちを想起させるものでした・また、『第5章 共感するのが苦手な人たち - 理系脳タイプとSタイプ』では、人間の脳には、共感を得意とするEタイプと、システム思考を得意とするSタイプがあり、Sタイプの例として、ジェフ・ベゾスやイーロン・マスクを挙げています。さらに、『第6章 ひといちばい過敏な人たち - HSPと不安型愛着スタイル』では、「HSP(不安型)」「ASD」「恐れ・回避型」を比較し、「恐れ・回避型」の例として、夏目漱石を挙げています。 続く『第7章 生活が混乱しやすい人たち - ADHDと疑似ADHD』、 『第8章 動きがぎこちない人たち - 発達性協調運動障害』、 『第9章 勉強が苦手な人たち - 学習障害と境界知能』では、ダニエル・ラドクリフやトム・クルーズを例に挙げながら、各発達特性について述べた後、『第10章 グレーゾーンで大切なのは「診断」よりも「特性」への理解』では、10年後には診断がガラリと変わる可能性について言及しています。様々な特性について、新書版200頁余りの紙幅に収めたため、全体を通じて、やや落ち着きがない感じになっているような気もしますが、「グレーゾーン」について、最新の知見を概観できるメリットは大きく、様々な方々にとって、読む価値のある一冊だと思います。
2024.05.11
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著者は、松永クリニック小児科・小児外科の医師・松永正訓さん。 千葉大学医学部付属病院小児外科に教室員(医局員)として19年間在籍するも、 40歳時に解離性脳動脈瘤を発症、大学病院の勤務継続が困難になってしまいます。 その後の新たな職場探しは困難を極め、最終的に開業医を目指すことに。 解離性脳動脈瘤に対する医療的対応や、新たな職場探しに奔走する姿、 さらには、開業に至るまでの詳細な道のりに関する記述はリアリティーに満ち溢れ、 強く胸に迫ってくるものがあります。 著者自身もかなり自信を持っておられるようですが、相当な筆力の持ち主です。開業後のエピソードや裏話も興味深いものばかりで、頁を捲る手が止まりません。また、著者の思いや考え、人となりがしっかりと伝わってきて、感動すら覚えます。 ぼくは、受診した子どもが人生で初めての風邪だった場合、 「風邪とはなにか」「風邪薬の役割は何か」「自宅でできるケアは何か」 「どういうものが再診した方がいい危険なサインか」をみっちり説明している。 これは結構時間がかかるが、 一般の人に対する教育という意味でも大事だと思っている。(p.166) 最終的には医師の実力で、そのクリニックのレベルは決まる。 立派な医療機器に惹かれてクリニックを受診しても、 やがて患者はその医師の真の力を自然と知ることになるだろう。 はっきり言って、小児科は聴診器一本あれば、 ほとんど100%の医療を行うことができる。(p.168) 患者を「見て」「触る」ことは医者にとって基本であり、 必須のことだと若い医師には口を酸っぱくして言いたい。(p.211)読んでいて、気持ちがスキっとするような一冊でした。ぜひ、一読を!
2024.03.29
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副題は『誰も言えなかった「真実」』。 ジャーナリストの鳥集徹さんが、南日本ヘルスリサーチラボ代表・森田洋之さん、 こだま病院理事長・児玉慎一郎さん、長尾クリニック名誉院長・長尾和宏さん、 ルネクリニック東京院院長・和田秀樹さん、 たかぎクリニック院長・高木俊介さんに対し、 それぞれに行ったインタビューを取りまとめた一冊。鳥集徹さんは、『コロナワクチン 失敗の本質』『薬害 コロナワクチン後遺症』の著者、森田洋之さんは、『日本の医療の不都合な真実』の著者、児玉慎一郎さんは、『走る外科医のつぶやき コロナ禍の出口を求めて2021』の著者、長尾和宏さんは、『薬のやめどき 』』『コロナ禍の9割は情報災害』の著者、和田秀樹さんは、『テレビの大罪』『80歳の壁』の著者、高木俊介さんは、『危機の時代の精神医療』の著者。血圧、ポリファーマシー、食生活、認知症、抗精神病薬、入院、新薬、副作用、ブースター接種、メディア、後遺症、オンライン診察、減薬、優先順位、降圧薬、インスリン、やめどき、薬ゼロ、薬害、糖尿病、病名、エビデンス至上主義、等々、インタビューの中で頻出する言葉が多数ありました。そして、改めて気付かされたのは、医師にも様々な立ち位置があり、それぞれに思いや考えがあること。それらの医師たちの言葉をどのように受け止め、理解するか、そして、それらをいかに自らの行動に反映させていくか。自らの生き方や、生命そのものに直結する問題だけに、なかなかに難しいです。
2024.03.23
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「心の病」がどうして生じるのか、どこまで研究が進んでいるのかを、 脳科学から精神疾患の解明や治療法の開発を目指す研究者たちが解説。 第1部では、「心の病」が脳のどこで不具合を起こし発症するのかについて、 「シナプス」「ゲノム」「脳回路と認知の仕組み」の3つの観点から説明。 第2部では、「うつ病」「ASD」「ADHD」などで見られる脳の変化について、 最新研究から明らかになりつつある事柄を、 そして、第3部では、対処療法でしのぐしかなかった精神疾患治療が、 薬物療法以外にも、新たな技術研究が進んでいる様子を紹介していきます。 *** 脳の変化はうつ病の患者さんでも起きていて、 海馬と前頭前野の一部(内側前頭前野)の体積が縮小しているという報告があります。 脳体積の縮小は、細胞死以外に、樹状突起の退縮やシナプスの現象によっても起きます。 うつ病の患者さんで縮小がみられる内側前頭前野は、 扁桃体を制御しているといわれています。(中略) 危険な状況では扁桃体が活性化して適切な行動をとる必要がありますが、 理由もないのに日常的に扁桃体が活性化していると、 理由がないのに不安感が続いたり、 目の前の出来事から逃げ出したりする無気力な行動(うつ様行動)が現れます。(中略) 内側前頭前野の神経細胞の樹状突起が退縮してしまうと、 扁桃体を制御する働きが弱まってしまい、うつ様行動が現れるのでしょう。(p.85)これ以外にも、「こんなことまで分かって来ているんだ」という記述が目白押し。精神疾患についても、日進月歩で研究が進んでいることに、本当に驚かされました。ただし、本著はブルーバックスの一冊なので、なかなか手強い一冊であることも事実。高校で学んだ「生物」や「化学」の知識を総動員しても、そう易々と読み進めることは出来ませんでした。
2023.07.13
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副題は「テクノロジー×薬剤師による薬局業界の生き残り戦略」。 帯には「大手通販ネットショップの業界参入により 薬局はかつてない淘汰の危機に直面する!」の文字が踊ります。 著者は、2019年に日本初のロボット薬局を大阪梅田で開発した渡部正之さん。 *** その一方で、国による医薬分業推進の波に乗って薬局の数は増え続けてきました。 厚生労働省によると、2019年時点で日本全国にある薬局の数は約6万に上ります。 1989年時点の薬局数は約3万7000なので、 30年間でおよそ1.6倍に増えたことになります。(p.19)『図解即戦力 医薬品業界のしくみとビジネスがこれ1冊でしっかりわかる教科書』のChapter7「調剤薬局とドラッグストアの行く末」にも、この数字は登場しており、その成長は打ち止めで、過当競争の環境になるとの記述もありました。そこへもってきて、次のようなことが起こっています。 調剤報酬改定による調剤報酬点数の低下や、 新型コロナウイルスの影響による患者の受診控えなどにより 薬局業界は苦しい状況におかれています。 そして、将来処方せん枚数が頭打ちになると業界はさらに追い込まれていくはずです。 このような状況のなかで、薬局は新たな問題にも直面しています。 それは海の向こうからやってくるAmazonです。(p.23)著者は、Amazon台頭により本屋が市場から姿を消しつつあることに触れながら、Amazon の次のターゲットは薬局業界であり、その参入は電子処方せん導入のタイミングであろうとしています。その脅威に立ち向かうために「テクノロジー×薬剤師業務の分化」が必要と唱えます。 薬局ビジョンの根幹をなす考え方のうちの1つとして、 薬局・薬剤師の専門性やコミュニケーション能力の向上を図り、 調剤などの対物中心の業務から対人業務へのシフトを目指すという 「対物業務から対人業務へ」が挙げられます。 なお、残りの2つの考え方は「立地から機能へ」「バラバラから1つへ」です。(p.72)「薬局ビジョン」とは、2015年に厚生労働省がまとめた「患者のための薬局ビジョン」のこと。「対物業務から対人業務へ」は、現在、薬剤師にとって最大の課題となっています。「処方せんに書かれた医薬品を薬棚から取り出して取り揃える」だけの単純作業ではなく、専門性を求められる対人業務へのシフトが、強く求められているのです。 今は対物業務から対人業務への過渡期にあるといえ、 どの業務を効率化すべきか、どの業務に薬剤師が注力すべきかを 手探りで探している状態ということもできます。 一方で、薬局や薬剤師に期待される役割は大きくなるばかりです。 健康サポート薬局や地域連携薬局、専門医療機関連携薬局、トレーシングレポート、 調剤後のフォローアップ、リファイル処方など新たな業務が目白押しです。(p.116)この後、薬剤師が専門性を生かした業務へとシフトしてけるよう、単純作業をいかにロボット化、ICT化していくかが記されていきます。そこでは、著者がその実現に向けて取り組んできたことや、その成果が紹介されています。薬局業界の今後の道筋が示された、素晴らしい一冊でした。
2023.07.09
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著者は『精神科医の本音』の益田裕介さん。 精神医学をベースに、ビジネスでも使える会話のテクニックをまとめた一冊。 自分の家族とさえあまりコミュニケーションが取れない人たちと コミュニケーションを取らなければならない精神科医が、プロの技術を公開。 *** また、相手は自分が話せば話すほど、そしてあなたがそれを聞くほど、 あなたへの信頼度を高めていきます。 「聞いてもらえている」ということで、好感を抱くのです。(p.115)これは大いに納得。確かに、相手からの言葉を受け止めたい気持ちより、こちらからの言葉を受け止めてほしい気持ちの方が、誰しもより強いのが常だと感じます。 こうした患者さんは、言葉とはうらはらに、「大丈夫な状態ではない」のです。 このような微細な変化に気づくために、話に熱中しすぎるのではなく、 表情や仕草など、相手のさまざまなところに注意を向ける必要があります。(p.120)これも、よく分かります。プロとして相手に接し、それに応対していくためには、相手のことをしっかりと見つめ、その状況を見極める冷静さが必要。でも、それが簡単にはいかないんですよね……。 本著は精神医学における会話に関する知識を網羅的に説明したというよりは、 面白そうなところや重要な部分を、つまみ食いのように説明させていただきました。 飽きずに読み切れるよう、さまざまな工夫を凝らしました。 もしこの本を読んで、「何か物足りないな」「もっと精神医学を知りたいな」と思った方は、 ぜひ僕のユーチューブチャンネルを訪れてください。(p.204)本著は、チャレンジの姿勢を強く感じさせる内容の一冊ではあったものの、私としては、もう少し医学的内容に重点を置き、内容の充実したものにしてほしかった。ユーチューブチャンネルを訪れる予定はない(と言うかそういう習慣がない)ので、次回は、そんな一冊が刊行されることを期待しています。
2023.04.23
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精神科医の「診断」や診療時間、カウンセリングと薬物療法、 精神科の受診基準、病院・クリニックの経営、オンライン診療等、 精神科医療の実情について、現場の第一線で活躍する精神科医が記した一冊。 著者は、早稲田メンタルクリニック院長の益田裕介さん。 *** 精神科医の医療報酬は、 「医科診療報酬点数表:第8部 精神科医専門療法」というものにまとめられています。 基本的な外来診療は、「通院・在宅精神療法」という項目の中でまとめられていますが、 初診の場合は、「60分以上で540点(5400円)」、 再診の場合は「5分以上、30分未満であれば330点(3300円)、 30分以上はいくら長い時間診ても400点(4000円)」と定められています。 つまり、再診については、5分診ても、29分診ても、同じ報酬にしかならず、 かつ30分以上いくら時間をかけて診療しても、700円しか違いが出ないのです。(p.61)これが『再診は5分+α』の理由だったのですね。もちろん、「精神科医の数と患者の数の割合」の問題が大前提としてあり、一人の患者に多くの時間を割けない現実があるのも確かで、そのあたりの事情は、患者側としても受け入れざるをえないのでしょう。 心理士によるカウンセリングは、診療報酬制度上、治療行為としては定められていません。 つまり、保険診療の中にはカウンセリングによる治療は設けられていないのです。 カウンセリングの料金は決まっていませんが、相場としては1回30分~1時間で、 6000円~1万円程度というところが多いでしょう。 そのため、月に数回カウンセリングに通うとなると、 患者さんとしては安くない出費になります。 医師による診察料は、だいたい1500円程度なので(保険診療で3割負担の場合)、 割高に感じる方も多いと思います。(p.98)ただし、医療行為としての「認知行動療法」については、医師が5分以上、看護師が30分以上行った場合は3500点(3500円)、「精神分析」については、45分以上で390点(3900円)と定められています。先述したように、再診は「5分以上、30分未満で330点(3300円)、30分以上は400点(4000円)」であることから、精神科医が「認知行動療法」や「精神分析」を選択することは少なく、多くは「通院精神療法」として、普通に対話することになるとのことです。精神科に関連する書籍は、これまでに結構多数読んできたつもりでしたが、こんな内々的事情にまで踏み込んで記された書物には接したことがなく、大いに驚かされると共に、大いに納得させられました。まさに、本音が記された一冊でした。
2023.04.05
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2019年8月31日に初版発行。 著者は、産業医・精神科医の井上智介さん。 帯には「『たたかう産業医!』著者による待望の初書籍!」の文字が躍ります。 その後は、何冊もの書籍を執筆されるなど大活躍中です。 *** ステップ1:不安や悩みを紙に書き出す ステップ2:自分でどうしようもないことは無視する ステップ3:今できることにチャレンジする(p.42)これは「気分を持ち上げる3ステップ」として示されたもの。特に、ステップ2の「自分でどうしようもないことは無視する」がイイですね。上司の機嫌や親の干渉、会社の経営状態等、自分の力では如何ともしがたいことは、考えても悩んでも心配しても無駄だからスルーするしかない、というのは大いに納得。 人生は、長く続いていくものであり、なるようにしかならないものでもあります。 そもそも、仕事に意義を見出せている人のほうが少数派です。 それよりも、きれいごとはなしにして、 「生活するため」「お金を稼ぐため」と言えるほうが精神的にはとても健康的だし、 立派だと思います。(p.48)これは「仕事の意義がわからない」への回答。人生は「なるようにしかならないもの」という言葉が、心に染み入りますね。ただし、「仕事に意義を見出せている人のほうが少数派」と述べるエビデンスは?まぁ、私も感覚的には、そう思わないこともないです。 世の中には、「すぐに逃げるな」と忠告する人が一定数います。 しかし、そうした人が、 あなたが苦しい時に救いの手を差し出してくれるわけではありません。 私は、逃げられるうちに逃げることが、とても大切だと考えます。 この世の中で、あなたが所属する会社や組織は、たった1つではありません。 あなたがあなたらしくいられる居場所は、必ずたくさんあります。 自分の心と体を犠牲にしてまで続けるべき仕事は1つもないことを、 決して忘れないでください。(この文章掲載ページは、ページ番号が振られていません)これは、「おわりに ラフに働いていきましょう!」の一節。私が苦しい状況に追い込まれたとき、「仕事なんか、自分の身を削ってまでしなくてよい」と言ってくれた上司がいました。そんなことを言ってくれたのはその方だけでしたが、どれだけ心の支えになったことか。
2023.02.26
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『霊魂修繕工』は、ヒロインがBPDという設定の韓ドラ。 BPDについては、岡田尊司さんの著書を読んだことがあったのですが、 もう少し詳しいことを知りたいと思い、本著を購入。 かなりのボリュームがあり、手に取るとずっしりと重い一冊です。 副題は「はれものにさわるような毎日をすごしている方々へ」で、 本著は、BPDの周囲でその対応に苦慮している人たちに向けて書かれたもの。 「第Ⅰ部 境界性パーソナリティ障害の行動を理解すること」を読み進めていくと、 『霊魂修繕工』が、その特性を上手く捉え、エピソードを作っていると感じられます。 今度は、飛行機に乗っていると想像してください。 あなたは安全器具の説明書を読んでいます。 説明書には、酸素濃度が下がったら酸素マスクが出てきます、 子どもに酸素マスクをつける前に、まず自分の酸素マスクをつけてください、 と書いてあります。 これは理にかなったことです。 息ができなければ、子どもを助けることもできませんから。 このように、まずあなた自身を大切にすることが肝要です。 感情的に疲れ果て、肉体的にも疲れ切った親には、 感情的に健全な子どもを養育することさえほとんどできません。 ボーダーラインの子どもならなおさらです。(p.269)この一文が、本著において何度も繰り返し述べられていることを集約したものです。それは、子どもに対してだけでなく、どの発達段階のBDPに対しても。本著には、スーザン・フォワードやキューブラー・ロスの名前も登場します。対BDPだけでなく、様々な対人関係について考えさせられる一冊です。
2023.01.29
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これまで「定年」に関する本を結構読んできましたが、 本著は、勢古 浩爾さんが書かれたものとは全く趣が異なりました。 しかし、河合 薫さんが書かれたものには少し近いものを感じ、 さらに、楠木 新さんが書かれたものには、より近いものを感じました。 ***本著では定年後の仕事について、第1部で「15の事実」を確認していきます。それは、「年収は300万円以下が大半」や「生活費は月30万円弱まで低下する」、「稼ぐべきは月60万円から月10万円に」、「70歳男性就業率45.7%」、「デスクワークから現場仕事へ」等で、どれも「なるほど」と思えるものばかり。 実際に、高齢期において必要となる収入はそう多くないのである。 そうであれば、一心に成長を追い求め続けるキャリアから距離を置き、 ペースを落としながらも着実にいまできる仕事で活躍するという選択は、 成長し続けるキャリアと同様に肯定されるべきなのではないだろうか。(p.99)これは、「高齢期の働き方」について、とても考えさせられる一文。このような発想の転換が、いつかは求められるということでしょう。続く第2部では、具体的な事例が7つ示され、当事者が「仕事」をどのようにとらえ、向き合っていったかを知ることが出来ます。そして第3部では、「小さな仕事」を積み上げることの大切さが述べられており、ここに著者の考えや思いが集約されているように感じました。 年800万円の報酬を得る傍らで、800万円分の仕事をなす社員は良い社員である。 それと同時に、300万円分の仕事をして、 その対価として300万円分の報酬を得る社員も良い社員である。 ペイフォーパフォーマンスの原則が成立していれば、 この二者の企業に対する貢献は同一であり、 報酬の高低の差はあっても、従業員としての優劣はない。 これはつまり、企業は高齢期の小さな仕事を もっと尊重してもいいのではないかということである。(p.227)これには、「目から鱗が落ちる」思いでした。当然と言えば当然なのですが、実際の現場では、再雇用となり報酬が激減したはずの従業員に対して、以前と同等のパフォーマンスを期待し、要求しているように感じることが多いです。 働き手が急速に減少するこれからの日本社会において、 働かなくても豊かに暮らせる社会は早晩諦めなければならなくなる。 しかし、これは必ずしも現役時代の働き方を 永遠に続ける必要があるということを示しているわけではない。 日本社会が今後目指すべきは、地域に根差した小さな仕事で働き続けることで、 自身の老後の豊かな生活の実現と社会への貢献を無理なく両立させる社会である。(p.237)これも、今後発想の転換が必要不可欠となる部分。「定年退職後は隠居して年金生活」というのは、もう昔話の世界になるのですね。 働き手に気持ちよく仕事をしてもらえる環境をいかにして作り上げるか。 また、その結果として、いかにして多くの人に働いてもらえるか。 日本に住むすべての消費者にとって、 こうした考え方はこれからますます大切になっていくだろう。(p.240)これは、経済活動における消費者の姿勢にまで言及した部分で、大いに共感出来ました。本著は、「定年後の仕事」を扱いながら、これからの日本経済のあり方についても述べた一冊で、これまでに私が読んだ「定年」関連本の中でも、特に心に残るものとなりました。
2023.01.29
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本著は、ダイヤモンド・オンラインに連載された 「『うつ』にまつわる24の誤解(2008.10~2009.9)」と 「現代人に突きつけられた『うつ』というメッセージを読み解く (2009.10~2010.3)」をまとめて再構成し、若干の加筆・訂正を行った 『クスリに頼らなくても「うつ」は治る』(ダイヤモンド社 2010.11発行)を、 さらに加筆修正したもので、副題は「生まれ直しの哲学」。 著者は『仕事なんか生きがいにするな』の泉谷閑示さん。 *** 「うつ」とは、「頭」の一方的な独裁に対して、 「心=身体」がある時点でたまりかねてストライキを決行した状態です。(中略) つまり「励ます」ということは、 「頭」の《意志》による自己コントロールを再び強化せよと言っているわけですから、 ストライキに対して軍隊を向けるようなもので、事態が泥沼化するのは明らかです。(p.136)これは「なぜ『励ましてはならない』のか?」について記述したもので、とても上手く説明してくれていると思います。本著には、このように「うつ」に関する様々な疑問や対応について、スッと納得できる説明をしてくれている部分が、とても多いと感じました。 戦後の「食べられるか否か」という「生理的欲求」の時代から、 雇用や身分の安定を求める「安全の欲求」の時代が到来し、 それは同時に、会社組織や家族・友人のみならず、 学生運動・労働運動・派閥などの絆を重視し、 何らかの居場所を求める「所属と愛の欲求」の時代でもありました。 そして、持ち物のみならず学歴や職業にまでブランドを求め、 周囲からの評価や羨望を得ようと躍起になった 「認められることへの欲求」の時代の頂点で、バブル経済は崩壊しました。(p.158)これは、戦後日本の価値観の移り変わりを、「マズローの欲求段階説」に対応させながら説明している部分ですが、すんなりと納得できる内容ではないでしょうか。さらに、これに関連する次の部分についても、とても腑に落ちるものです。 人間の基本的価値観は、どんな価値観が支配的な時代に人格形成期を迎えたかによって、 少なからず方向づけられてしまうところがあります。 もちろん、それ以外の個別的要因も重要なファクターではありますが、 いずれにせよ一度できあがってしまった基本的価値観は、 時代が移り変わっても、深いところでは「なかなか簡単には変化しにくいものです。(p.159)
2023.01.09
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著者の工藤さんは、岩手県に住む認知症の母親の介護を、 東京から通いで8年続けている(本著出版時点)という方。 東京への呼び寄せや実家へ帰っての介護ではなく、 あえて同居せずに、離れて認知症介護をするという道を歩まれています。 本著を読み進める中で、工藤さんがなぜあえて同居しない道を選んだのか、 そして、そのためには、どのような手立てが必要で、 それを実際にどう進めていけばよいのかが分かってきます。 同じような状況にある方にとって、とても心強い指南書となるはずです。本著では、認知症の種類や症状、地域包括支援センターや認知症ケアパス、要介護認定申請、そして、介護保険サービス、ケアマネージャー、ホームヘルパー、居宅サービス、さらには、在宅医療、施設介護、認知症カフェ、見守りサービス等に至るまで、別居介護を行う上で必ず必要となってくる知識が、分かりやすく説明されていきます。しかし、何と言っても秀逸なのは、「3章 離れて暮らす親と気持ちよく過ごすための心得」で防火や防災対策が、「4章 離れて暮らす親の介護の『お金』のこと」でお金に関わる一連のことが、「5章 離れた親を見守る『認知症介護』ツール」で介護インフラが具体的に示されていること。特に、介護インフラとして示される、見守りカメラやスマートリモコン、スマートロック、スマートスピーカー、スマートディスプレイ、インターホン、GPS機器の携帯などは、以前なら思いもつかなかったような最新技術の数々であり、上手く利用すれば、離れて介護することの可能性がぐっと広がるものだと感じました。「第6章 亡くなる前と後にやるべきこと」も、頭の片隅には置いておきたいことですね。
2022.12.18
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副題は「生きる意味を再び考える」。 著者は、精神科医でクリニック院長を務める泉谷閑示さん。 パリ・エコールノルマル音楽院留学経験を持つ音楽家、評論家でもあり、 留学時には、パリ日本人学校教育相談員も務めていたという方。 本著は、「ハングリー・モチベーション」や「高等遊民」 「有意義病」等のキーワードから 「生きる意味」や「働くこと」「本当の自分」に迫ります。 その際、夏目漱石やエーリッヒ・フロム、ミヒャエル・エンデ、マックス・ヴェーバー、 E・フランクル、ニーチェらの文章を数多く引用しています。 *** つまり、そもそも他動的に押された慣性で走っていたために、 「それぐらいの困難は乗り越えるべきものだ」といくら発破をかけられても、 そもそも動力が見当たらないのです。 このように動けなくなり「うつ状態」に陥ったクライアントは、 そこではたと「生きるモチベーション」の不在に気付くことになります。(p.26)これは俗にいう「新型うつ」と呼ばれる病態に陥ったクライアントについての記述で、薬物療法や認知行動療法、復職のためのリワークプログラムなど、元の環境への「再適応」を目指すものでは、その効果は期待できないとし、本人なりの「意味」を見出せるところまでサポートするしかないと述べています。 よって、私たちが「価値」と呼んで追い求めている諸々のものは、 いずれもこのような「頭」の錯誤によって捉えられたものばかりであると 言ってもよいかもしれません。 良き学歴を得て良き就職をし、良き社会的地位や収入を得て、結婚して子供を儲け、 家を持ち、子供を良き学校に入れ、良き習い事をさせ、等々。 これら、多くの人たちが躍起になって追いかけている「価値」の諸々も、 元来は、幸せに生きることを目指しての方便に過ぎない事柄だったはずなのですが、 いつの間にか、それ自体が目的化してしまったものなのです。(p.114)これは、「頭」というものが、対象の「質」そのものを直接的には認識することができず、どうしても「量」というものに落とし込んだ形でしか把握できないため、手段や副産物の方を、目的と捉え違いしてしまいがちになることを示したもので、「確かに」と頷くしかありません。
2022.12.04
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「再生医療」について書かれた一冊で、 そこに深く関わってくる「幹細胞」や「iPS細胞」、 さらには「培養上清」について、豊富な事例を交えながら、 一つ一つ、とても丁寧に説明がなされていきます。 本著の肝は、第5章「再生医療、培養上清の光と闇、将来の方向性」であり、 それまでの、第1章「再生医療」、第2章「幹細胞」、第3章「iPS細胞」や 第4章「培養上清」は、第5章で著者が述べる内容を理解してもらえるよう、 下準備として、読者に関連知識を一つ一つ注入していく形をとっています。 著者は、名古屋大学医学部名誉教授で、株式会社再生医学研究所代表取締役の上田実さんです。しかしながら、述べられていることを真に理解しながら読み進めていくためには、化学や生物、医学等について、それ相応の知識を有していることが必要だと感じました。私は、大枠は理解出来ても、細かいところはあちこちで「?」の部分を残しつつ、ページを捲り続けることになってしまいました。取り敢えず、「培養上清」が「幹細胞移植」と同程度の効果をもたらすものであること、そして、低コストで低リスク、投与も簡単な「夢の治療薬」であること、にもかかわらず、現在の日本は「再生医療=iPS細胞」に偏り過ぎていること、そして、培養上清を薬剤として承認を受ける道筋は未だ不透明であることは分かりました。
2022.11.11
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著者は『精神科医は信用できるか』の著者でもある和田秀樹さん。 高齢者専門の精神科医として30年以上現場に携わり続けており、 その経験から、80歳からの人生について記した一冊。 キーワードは「老いを受け入れ、できることを大事にする」。 「第1章 医者・薬・病院の壁を越えていく」では、 健康診断、共病、医者、薬、ガン、血圧等について指南。 そして、「第2章 廊下の壁を越えていく」では、 薬・食事・興味あることの3つのムリをやめることを呼びかけます。 *** 人間の体はよくできており、 使わない機能は退化していきますが(廃用性委縮と言います)、 使えば活性化していきます。 特に脳はその傾向が顕著です。 つまり、衰えるに任せておけばどんどん衰退しますが、 奮起して使えば活性化させることができるわけです。(p.102)とても分かる気がします。日々、どんな過ごし方をするかで、ものすごく差が出来てしまうことでしょう。楽しい、面白いと思えることを見つけられる環境に、身を置くことが大事なのですね。 経済が回らないのは、お金が滞っているからです。 暴論かもしれませんが仮に「相続税100%」にしたらどうなるでしょうか・ 「税金に取られるくらいなら使ってしまおう」とお金をバンバン使い始めます。 そうなれば、高齢者は元気になり、健康寿命も延びていきます。(p.109)なかなか面白い意見だなと思いました。確かに「相続税100%」となれば、高齢者たちは競ってお金を使い始めるでしょう。ただ、使い過ぎて一文無しの状態で、その後何年も生き続けるという状況は避けたいので、いつまでにどれだけどのように使っていくかの匙加減が、とても難しいですね。
2022.08.21
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著者は、東京大学定量生命科学研究所教授の小林武彦さん。 本著は、多くの方々に読まれ、その評価も高いのですが、 新書だからといって舐めてかかると、痛い目にあうこと間違いなし。 高校で『生物』の授業を受けた程度の読み手にとっては、かなりの難敵です。 それは進化の説明に際して、DNAやRNA、そこに生じる様々な化学反応について、 その分野の第一人者として、専門家らしく丁寧に説明しようとされているから。 アルファベットやカタカナ表記の物質に、所狭しとページを埋め尽くされると、 所々に図表が挿入されていても、もうそれだけでgive upしたくなってしまいます。こんな感じで、私は読み終えるのにかなり苦労してしまいましたが、内容そのものは、とても興味深いところが多かったです。部分的には、スイスイと読み進めることが出来る箇所もあり、中でも、「おわりに」直前のAIに関する記述は、とても印象に残りました。
2022.08.12
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まさしく教科書。 医薬品業界の様々な最新情報が、この1冊にぐっと凝縮されています。 1つのテーマを、見開き2ページで解説する構成で、図表等の資料が豊富。 重要語は、その都度ページ端部で説明してくれているので分かりやすいです。 全体は10のChapterから成り、 Chapter1は「医薬品業界の現状」、 Chapter2は「国内外の大手製薬会社の歴史と動向」、 Chapter3は「医薬品業界の組織と仕事」、 Chapter4は「医薬品業界の法律と規制」、 Chapter5は「新薬開発の流れ」、 Chapter6は「医薬品の処方と適正使用」、 Chapter7は「調剤薬局とドラッグストアの行く末」、 Chapter8は「ビジネスの前提となる社会保障システム」、 Chapter9は「革新的新薬開発に向けてのトレンド」、 Chapter10は「医薬品業界の将来像」。Chapter2やChapter7は、業界関係者でなくとも、見聞きしたことのある企業名が登場したり、身近な薬局やドラグストアが登場したりするので、チョットした読み物感覚で軽く眺めてみると、新たな気付きが得られるかもしれません。Chapter10に出てくる「問診アプリ」なんかも、とても興味深い!!
2022.07.03
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年老いた両親の一方または双方が亡くなった時、 あるいは、親の一方または双方が、別の場所に住むことになった時、 (子ども宅で同居、子ども宅近隣に転居、介護施設に入所等の理由で) 子どもは、親が住んでいた家を片づけることを迫られます。 しかし、いざ始めてみると、 それがどれほど大変な作業かを思い知らされることに…… 本著は、様々な理由で親が住んでいた家を片づけることになった子どもたちが、 どのようにその作業を進めたかについて、15の実例を通して教えてくれます。そこに記された内容から感じたのは、誰か一人が背負い込むことなく、関係者できちんと役割分担することと、有料サービスをうまく活用ことの大切さ。そして何よりも、普段からモノを貯めこまないようにしておくことの重要性です。
2022.04.03
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本著を読み進めている最中、“猟銃男”立てこもり事件が起こりました。 「在宅医療」という言葉が、これまでにない程あちこちで聞かれるようになり、 そのことに、誰よりも精力的に取り組んでいた医師が犠牲となりました。 残念で残念でたまらない……あまりにも悲しすぎます。 *** 多くのメディアが「在宅医療=在宅での看取り」と捉える傾向が強いのは、 そのほうが読者や視聴者の共感を得やすいからなのかもしれません。 しかし私は、在宅医療を理想的な看取りの医療と短絡的に結びつけられることに、 とても強い違和感を持ち続けています。 なぜなら在宅医療とは、必ずしも「看取りを前提とした医療ではない」からです。 むしろ、患者さん一人ひとりの「生きる」を支える医療が 在宅医療だと私は考えています。(p.12)『いのちの停車場』は在宅医療を扱った作品でしたが、やはり、「看取り」やそれに纏わる場面が数多く登場していたように思います。そんな中で、「看取りを前提とした医療ではない」や、「『生きる』を支える医療」という著者の記述には、目から鱗が落ちる思いでした。 高度急性期と急性期の病床を合わせて23万床削減。 これは急性期患者を受け入れる病床が3割減ることを意味する。 急性期病床の削減分は回復期病床の増床へ回す。 また、多くの高齢者が入院している慢性期病床を7万床(2割)減らし、 その受け皿を介護施設や在宅に求める。 在宅医療の患者は今より30万人の増加を見込む。 ここから見えてくるのは、 これまで日本の医療の中心であった急性期医療を現在の7割まで縮小するということ、 また、病院で看ていた高齢者を極力減らし、 そのぶん在宅医療へシフトさせるという方針である。(p.42)これは「地域医療構想における2025年の病床の必要量」(出典は平成29年版厚生労働白書)という図に記された説明文です。このことにより、救急医療が手薄になるのは自明のことであり、本当にこれで大丈夫なのかと、心配せずにはおれません。 私の病院で在宅医療サービスを提供していた患者さんのなかに、 90歳代の女性の患者さんがいました。(中略) 在宅医療に入ったのは8年ほど前からでした。 以来、少しずつ身体機能が低下していき、最後はほぼ寝たきりになりました。 それでも、健康管理や薬の管理は「訪問看護」、食事は「訪問介護」、 入浴は「デイサービス」と3つのメニューを使い分けながら、 1日に3,4回何かしらのサービスが入る体制を整えることで、 最期まで自宅での生活をまっとうされました。 たとえ一人暮らしであっても、いくつかの在宅利用サービスを組み合わせれば 自宅での生活は十分続けられるのです。(p.83)「訪問看護」「訪問介護」「デイサービス」等を手く活用することで、たとえ一人暮らしになっても、自宅での生活が可能であることが分かりました。私も、現在これらについては勉強中ですが、とても参考になりました。さらに、本著には認知症の高齢者についての、次のような記述も見られました。 ある男性の患者さんは重度の認知症で、ご自分で食事の用意をすることも、 朝一人で起きることもできない状態でした。(中略) そこで、そのまま自宅で一人暮らしを続けることになりました。 その際に利用したのが「小規模多機能型居宅介護」というサービスです。 一つの事業所が「通い(デイサービス)」と「訪問(訪問介護)」と 「泊まり(ショートステイ)」、3つのサービスを提供するもので、 どのサービスも顔なじみのスタッフが対応してくれるという良さがあります。(p.86)しかしながら、次のような注意点も記述されていました。これには「なるほどな」と頷かされました。 同じようなケースは認知症の患者さんにも見受けられます。 認知症の方は知らない人や知らない場所を苦手とすることが多く、 デイサービスに通うとかえってストレスが増し興奮状態に陥ることがあります。 そんなときもやはり、 デイサービスより訪問介護や訪問看護のほうが落ち着きます。(p.103)そして、「在宅医療」について述べられた中で、最も腑に落ちたのが次の部分。本著の総括とも言える文章かと思います。 生きるとは、普通の生活を営めること。 いつもこの考えを信じていられれば、 私たちはどれほど美しい人生を生きていけるでしょうか。 「在宅」にはそれだけの力があるということです。(p.164)
2022.01.30
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著者は、あの「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発し、 高齢者痴呆介護研究・研修東京センター長、そして聖マリアンナ医大理事長として 「『痴呆』に替わる用語に関する検討会」の委員を務めた長谷川和夫さん まさに、この分野における我が国のパイオニアと言える人物です。 本著では、認知症の概要や、それに対する我が国の取り組みの歴史、 さらには「長谷川式スケール」の開発過程等も紹介されていて、 さすがに、第一人者が書かれたものだと感心させられます。 私自身、本著で初めて知ったことも少なくありませんでした。 しかしながら、やはり本著最大の特徴は、著者自身が認知症になったことで、医療者の立場であった著者が、現在は認知症患者の立場からも認知症を見つめ、そこで分かったことを、医療者と患者の双方の視点から記述しているということ。そのため、本著に記されている一文一文には、他の書物にはない重みがあります。 夕方から夜にかけては疲れているけれども、夜は食べることやお風呂に入ること、 眠ることなど、決まっていることが多いから、何とかこなせます。 そして眠って、翌日の朝になると、元どおり、頭がすっきりしている。 そういうことが、自分が認知症になって初めて身をもってわかってきました。 認知症は固定したものではない。変動するのです。 調子のよいときもあるし、そうでないときもある。 調子のよいときは、いろいろな話も、相談ごとなどもできます。(p.67)さて、先述したように、本著では認知症に対する我が国の取り組みの歴史も記されていますが、その中にある介護保険についての記述の中には、次のようなものがありました。 2015年には、「地域包括ケアシステム」の構築をめざすなかで、 認知症の人の意思が尊重され、 できるかぎり住み慣れた環境で自分らしく暮らし続けることができる社会をめざして 「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」が策定された。(p.144)「できるかぎり住み慣れた環境で自分らしく暮らし続けることができる社会」、私も、その実現を心から願っていますが、「住み慣れた環境」については、最終的にどこかで断念せざるを得ないことを、心に留めておく必要があると思います。子供や医療・介護者等の側にいることを求められる日が、いつか訪れることになるのです。 キッドウッドは研究で、認知症の人をよく観察し、 よい状態をもたらす質の高いケアの重要性を指摘した。 その一方、よくない状態を促進し、本人の尊厳を損なう行為として、 子供扱いする、騙す、できることをさせない、無視する、 急がせるなどがあるとした。(p.172)「子供扱いする、騙す、できることをさせない、無視する、急がせる」、介護する立場の者が、分かっていてもしてしまいがちな行動です。特に「急がせる」、そしてそれに伴う「できることをさせない」。時間や心にゆとりがないと、さらに悪循環に陥ってしまうのです。
2022.01.10
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これまで『妻のトリセツ』、『夫のトリセツ』、 そして、『娘のトリセツ』と読んできて、今回がシリーズ4冊目の読書。 もちろん、既に刊行済みで未読のものがあることは承知の上で、 今回は、本著をチョイスしてみました。 ***本著で、これまでなかった目新し観点としてクローズアップされているのが、「手のひらタイプ」と「指先タイプ」。 人間には、指先に力と意識が集中するタイプと、 手のひらに力と意識が集中するタイプがいる。 驚いたとき、あなたは、上体を上げる (ぴょんと跳び上がる、または、肩を上げてすくめる)のだろうか、 上体を低くする (肩を低くして身構える、または、のけぞりながら後ずさる)だろうか。 実は、前者が指先に力と意識が集中するタイプ、 後者が手のひらに力と意識が集中するタイプなのである。(p.44)さらに、「手のひらタイプ」にも「指先タイプ」にも、「まっすぐ派」と「斜め派」が存在すると言います。 つまり、対象に対して、身体をまっすぐにしたほうが力が出せる人と、 斜めにしたほうが力が出せる人。 壁を全身で押してみてほしい。 壁に対して、肩がまっすぐ(平行)な人はまっすぐ派、 肩を斜めに構えて押す人は斜め派である。(p.55)そして、このボディコントロールの違いが、個々の得手不得手を生じさせ、その違いを理解しないまま、不得手なことを相手に押しつけた場合、多大なストレスを生じさせることになると言います。なるほど……そして、身体の癖は、意識の癖にも反映すると言います。 指先に意識が集中するタイプは、 「先へ先へと意識が行くタイプ」でもある。 思いついたら、やらずにはいられない。(中略) 一方で不測の事態に弱く、思いどおりにならない事態に、 そう長くは耐えられない。(中略) 手のひら全体を意識するタイプは、 「ふんわり意識が広がるタイプ」である。(中略) 段取りなしで、ぎりぎりに開始する。 しかし、事前に妄想してた分、想像力と展開力がある。 このため、不測の事態にも強く(中略)、 一度決めたことは、ちょっとやそっとのことでは投げ出さない。(p.78)以上は、「第1章 母の機嫌にビビらない人生を手に入れる」と「第2章 母の愛は『毒』であると知る」に記されている事柄。タイプ別に分類して見たり考えたりしていくので、とても理解しやすいのですが、「血液型による性格分類」的な臭いも、うっすら感じてしまいました。以降、「第3章 母親に巻き込まれないためのノウハウ」と「第4章 母親をつき放しつつ喜ばす方法」でも、母親とうまく付き合うためのノウハウを、分かりやすく示してくれています。何よりも、著者が自身の家族を決して悪く言わない姿勢が、とても素晴らしいです。
2021.12.31
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漫画家の油沼さんが「薬剤師さんの備忘録」という漫画を描き、 それらをネットにアップしたところ、多数の薬剤師さんたちがフォロー。 以後、薬剤師さんたちから関連情報が、油沼さんに届くようになりました。 それらを漫画化することでさらに評判を呼び、書籍化に至ったのが本著です。 まず、「第1章 薬剤師さんの注意録」は、本著の核となる部分。 全体で128頁しかない本著の、p.5~p.62を占めています。 16のテーマについて、それぞれ2~8頁のショートストーリーを展開しており、 とてもテンポよく、スラスラと読み進めることが出来ます。続く「第2章」~「第5章」にかけては、各章ごとにメインキャラクター(わんちゃんねこちゃん、やくざい姉妹、白衣亭ハクイ、おっさん)が登場して、4つずつお話を進行していきますが、やや取っ散らかった印象。色々諸事情あるのでしょうが、第1章と同じトーンで展開した方が良かったのでは?なお、油沼さんの「薬剤師さんの備忘録」は、2021年8月21日現在、第25話までがネット上にアップされています。そのうち、第1話~第4話と第6話~第10話については、『薬剤師さんの備忘録』として、既に書籍化されています。
2021.08.21
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『病院というヘンテコな場所が教えてくれたコト』の第2弾。 前作では新米だった仲本さんも、看護師4年目で後輩を指導する立場に。 そんな立場の変化と共に、日々業務を続ける中で意識にも変化が生じ、 このまま看護師を続けていてもよいのだろうかと疑問を感じてしまうことも。 人工肛門増設手術を行った患者さんとの関りに悩んだり、 インフォームドコンセントのフォローに戸惑ったり。 そんな中で、医師との会話や同期の助産師さんとの交流で心を解きほぐし、 前に進んでいこうとする仲本さんの姿勢に強く心を打たれます。ストーマパウチや人工妊娠中絶、潰瘍性大腸炎についての記述・描写は詳細で、私は今回初めて知ったことも多く、とても考えさせられました。また、「ヘンテコ コロナ絵日記」はタイムリーな内容で読みごたえがあり、「あとがき」は、深く深く心に沁みこんでくる素晴らしいものでした。多くの人に読んでもらいたい一冊です。
2021.06.26
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『感染症の世界史』でも、日本のことは触れられていましたが、 当然のことながら、こちらはさらに幅広く踏み込んで記述されています。 735年からの天然痘、1776年のお駒風、1784年の谷風、1802年のアンポン風、 1858年にペリー艦隊が運んできたコレラ、1918年からのスペイン風邪等々。 その様子が、富士川游の『日本疾病史』、山崎佐の『日本疫史及防疫史』、 香月牛山の医書『牛山活套』、滝沢馬琴の随筆集『兎園小説余禄』、『大正天皇実録』、 『上毛新報』等の新聞、宮沢賢治や斎藤茂吉の手紙、志賀直哉の短編小説『流行感冒』、 永井荷風の日記『断腸亭日乗』や『原敬日記』をもとに記されていきます。そして、本書を通じて、何よりも強く感じられたのは次の事柄。本当に、今まで知らなかった新しい姿が見えてきました。 第1章で、幕末においてペリーの艦隊が持ち込んだと目されたこれらの流行が、 攘夷の機運を高めたことに触れましたが、文久2(1862)年の麻疹流行もまた、 日本史に大きな影響を与えたと言えるでしょう。 このように感染症という補助線を引いてみると、 日本史の新たな姿が見えてくるのです。(p.129)また、本著では、かつて先人たちが感染症に立ち向かってきた歴史を踏まえながら、今回の新型コロナウイルスへの対応についても、著者の思いや考えが綴られています。 完全な免疫が得られるかどうか分からない、ワクチンも完成していない状態で、 我々はどうしたらよいのでしょうか。 結論的には、ドイツが提唱して行っているように、 病院のキャパシティを超えないように留意して、 ワクチン開発まで経済活動を活発化しては制限して止め、 またゆるめては活発化させるほかありません。 経済か感染抑止かの二者択一ではなく、緩和と制限を繰り返しながら、 弱毒化・ワクチン開発・症状緩和の技術開発まで、しのいでいくほかありません。 そうしながら、感染率、致死率や重症化率を下げていきます。 通常のインフルエンザに近い死亡率の状態にまでもっていったところで、 制限がすべて解除されるという終息までのロードマップがみえてきます。(p.232)昨年9月に刊行されたものに記述された内容ですが、現在でも十分に通用する指摘ではないでしょうか。また、著者の磯田さんと恩師・速水先生との出会いが記された第9章の内容も、とても素敵なものでした。
2021.05.23
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神戸女学院大学の内田名誉教授と神戸大学医学部の岩田教授の対談。 対談が行われたのは2020年5月14日と6月10日、7月6日の3回で、 第1波が収まった後、次の第2波の兆候が見え始めた頃。 それ以後、第2波が収束して第3波、そして現在は第4波の兆しが見られます。 ここで論じられた2020年のコロナウイルスについての一連の出来事は 少し時間が経ってしまったら、「昔の話」として忘れられてしまうと思います。 ですから、本書もあと半年もしたら速報性・時事性という意味では あまり価値のない書物になる可能性があります。 でも、「科学的な態度」がどういうものなのかを知るための資料としては 時間が経ってもその価値を減じることはないと思います。(p.234)これは、巻末「おわりに」に記された内田先生の一文。確かに、こういった対談を新書という形で出版することは、そう多くないと思いますが、2020年の3月である現時点で、その頃を振り返りながら読んでみると、今後どのように考え、進んでいくかの大きなヒントになると感じます。
2021.03.28
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副題は「イキイキしなくちゃダメですか」。 所謂ハウツー本ではなく、様々な定年前後の人たちの実態を綴った一冊。 都内ホテル勤務マン、元商社マン、ある会社の「定年セミナー」参加社員、 元商業施設運営会社社員、スーパー勤務社員、元大手スーパー社員等々が登場。 様々な業種、業態、経歴の人たちのインタビューが掲載されていますが、 その語る内容は一人一人異なり、本当に人それぞれ。 もちろん、それなりのパターンというものはあるのでしょうが、 それに縛られる必要はないのだなと気付かされます。それでも、こうやって色んな人たちのお話を目にすると、「ここは自分も一緒だな」とか「これは自分とは違うな」、「これはイイな」とか「これはムリ」と感じる箇所が数多くあり、「それなら、自分の定年後は……」とイメージする契機にはなりますね。
2021.03.28
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副題は「薬剤師、官僚、医師会のインサイドストーリー」。 著者は医療医薬関係業界紙を渡り歩き、記事を執筆してきた玉田慎二氏。 医薬分業が事実上スタートした1974年から2020年までの変遷を その時々に議論されていた事柄や舞台裏を描きながら辿っていきます。 *** もともと医薬分業という制度は、歴史を研究すれば「毒殺防止法」だ。 中世ヨーロッパにおける時の宰相が、もっとも恐れていたのが「暗殺」だったそうだ。 なかでも、毒殺は防ぐことの難しい暗殺手段とされていた。 医師が画策して診断し、処方し、自らが薬を出し、最後には死亡診断書まで書く。 暗殺は見破られず、いともたやすく完遂される。 当時、医師は一国の宰相の命すら操れる「力」を持っていたのである。 政権側からすれば、たまったものではない。 どこかでディスクロージャー(情報公開)しなければ、危険極まりないと考えた。 そこで、処方せんという「証拠物」となる公的文書を医師の権限の「外」に出し、 薬局が保管する。 その薬局、薬剤師は独立させる。 毒殺から身を守るため政権が考えだしたのが、毒殺防止法であり、 制度としての医薬分業だった。(p.274)本著も、クロージングに差し掛かった中での一節ですが、「なるほど……」と唸らされてしまいました。医薬分業という仕組みには、このような歴史的背景があったのですね。そして、この文章は次のように続いていきます。 言い換えると、医師からクスリを切り離すというのは、 医師の「力」を削ぎ落とすコトにつながる。 分業は、医師や医師会の「力」を低下させる制度でもあった訳だ。 この点を歴史から学び、実践したのではないだろうか。 さらに、こうしたひらめきは、たったひとりの官僚が机上で思い付いたハズだ。 おそらく、こんな感じで。 「そうだ、分業だ。分業を始めよう」 ポンと机を叩いて、制度開始にハンコを捺す。要は、現在の「医薬分業」は、医師や医師会の「力」を低下させるべく始められた。そして、それは厚生省による「処方箋料」の大幅引き上げや「薬価算定方式」のRゾーン方式への変更といった政策誘導で推進されてきた。故に、医師や医師会が事あるごとに、この制度に異を唱えるのは当たり前。本著では、日本薬剤師会会長の椅子を巡る争いや、大手調剤薬局チェーンと地方薬剤師会とのバトル、「調剤ポイント」で急成長を続けるドラッグストア業界の姿も描かれています。医療医薬関係業界やその裏に潜む闇について知ることが出来る一冊です。
2021.03.21
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先日読んだ『看護のための精神医学』は教科書でしたが、 こちらは教科書とは言い難いもの。 しかし、「援助者必携」のネーミングに偽りはなし。 まさに、援助者必読の「軽くて、深い、アドバイス集」です。 *** 一般論として、余裕を失うと個別性重視モードでしか思考が働かなくなってしまう。 すると相手のペースに引きずり回されたまま、 自分は強気に出るべきか平身低頭したほうが得策なのかとか、 こんなことを言ったら裏目に出るのだろうかとか、 とにかく目先のことしか考えられなくなってしまう。(p.015)ここから脱却するには、相手をパターンにあてはめてとらえてみること。そして、精神の逸脱の仕方は、そんなにたくさんはなく、著者が臨床現場でカルテに記す病名は、次の7種類程度だと言います。 (1)統合失調症 (2)(躁)うつ病 (3)神経症圏 (4)パーソナリティ障害 (5)外因性ないしは器質性精神病(認知症も含む) それに加えて、 (6)発達障害圏(器質性と捉えてもよいが、先天性であるところが重要) (7)依存症(これは神経症圏やパーソナリティ障害と重なるところが多いが、 治療からは別立てとしたほうが現実的)(p.020)また、病名以外のパターンを用いてケースを把握する方法論もあり、本著は、援助者のためのそういったパターンを考察し、論ずる一冊となっています。 優秀な営業マンやサービス業従事者を観察していますと、 こちらが無理難題を相談したときの対応法が見えてきます。 彼らは、「無理です」なんて却下しません。 その代わり、できるとも言わない。 とにかくこちらの希望にきちんと耳を傾け、 ストレートにそれを解決するのが難しそうだったら、 まずは「一緒に困ってみる」といった振る舞いをするようです。(p.100)精神科で働く看護師、保健師、ホームヘルパー、ケアマネージャーだけでなく、どんな職種のどんな職場で働く人たちにとっても有益なアドバイス。そう、本著に記されている内容は、色んな人たちに読んでもらいたいものばかり。BPDの人たちの「見捨てられ不安」を増強させないための対策も、その一つ。 ①相手に期待され過ぎないようにする ②「枠を設ける」「限界設定」 ③事実と感情との区別を、折に触れてきちんと説明する ④こちらから積極的にアプローチを図って安心感へつなげる ⑤援助者側の心の安定(こちらが不安だと、相手の不安をかき立てやすい) a 相手をパターンで把握する b ケース検討会によって対応法を吟味し、また責任の分散を図る(p.198)そして次の一文には、大いに励まされる人たちも多いのではないでしょうか。 パズルであったら「どうにもならない」ものはどうにもなりません。 今現在であろうと将来であろうと解決策はない。 だが病んだ人や病んだ家族関係、病んだ行為や病んだ生き方は流動的であり 決して固定したものではありません。 刻一刻と人は老いていき、考え方感じ方に変化が訪れる可能性もつねに潜在し、 おまけにいつ予期せぬエピソードや突発的な事態が生じるかもしれない。 いずれにせよ数十年のうちに被援助者やその家族の誰かは必ず死ぬのですから、 未来永劫このままなんてことはあり得ない。(p.294)
2021.02.28
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初版は2001年3月に刊行されたものですが、 私が読んだのは、2004年3月刊行の第2版・第13冊(2017年10月発行)。 本著には、実際の臨床場面における看護行為について様々な指針が示されており、 各地の看護大学をはじめ看護教育機関で、教科書・副読本として利用されました。 さらに、精神科医や臨床心理士、精神保健福祉士など看護師以外の専門職の方々や 精神保健に関心をもつ一般の方々にも広く読まれたとのこと。 私も、その中の一人ということになりましたが 著者のお一人が、中井久夫氏であったことが、本著を手にする契機となりました。 *** 人間は、努力の限度と時間の限度が決まっていれば、かなり無理ができる。 しかし無際限・無期限となると、どんな人でも必ずまいってくると思っておいてよい。 また、誰かがみてくれていて、認め、そっと支えてくれることが大切である。 人がまったく認める気配すらないときに努力を無際限に続けられるものではない。 これは、上に立つ立場の人(師長、病棟医、部長、院長など)の心すべきことである。 ついでにいうと、一人しかいない職場、たとえば放射線技師、脳波技師、臨床検査技師、 臨床心理士、ボイラーマンなどにはつとめて声をかけるように心がけてほしい。(p.005)こんなことをさり気なく書いているところが、中井氏のスゴイところです。これは、医療現場だけでなく、どのような職種の職場でも同じことが言えるでしょう。そして、新型コロナウイルスがきついのは、これから先の見通しがなかなか持てないことです。無際限・無期限の努力を求められることが、医療現場でも他の職場でもとても辛い。 とくに、会社でいえばだいたい部長級以上、学校でいえば教頭以上、助教授・講師以上、 中央官庁では課長以上など「エラい」人は、 うつのさなかでも「顔をつくること」ができて、笑顔をたやさないことが多い。 「スマイリング・デプレッション」である。 だから、昨日談笑していた人が今日どうして飛び降り自殺をしたのかと、 まわりがいぶかることになる。(p.158)これも、とても納得できる指摘でした。この後に続く「顔の下半分は偽れないので、目が笑っていても、下半分に苦しみがあふれているので見逃さないように」という神田橋條治氏の指摘は、よくよく心に留めておく必要があると感じました。 実際上、権威のある側が不利である。行動の自由が少ないからである。 たとえば権威のある側の「ささいなルール違反」は、 ない側と違って、社会的対面の喪失、社会的孤立につながりかねない。 そして医療者のもつ権威は社会的には無に等しく、 より強烈な権威は、守ってくれると期待できないどころか、 攻撃者といっしょになって医療者を「犠牲の山羊」にしかねない。(p.232)これは、医療者と患者で人間関係が対立した場合について述べたものです。「人間関係は、攻撃と防御の関係になれば、必ず攻撃者に有利である。攻撃者は攻撃点を自由に選べるが、防御側は全面的に気をくばらねばならない。」との指摘も、全くその通りで、身につまされますね。
2021.02.21
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コロナ禍の中、手にする人がとても増えた様子。 私も、その一人ですが、読んでビックリ、目から鱗が落ちる思い。 日本を含め、世界の歴史が、ここまで感染症と大きく関連していたとは。 学校の教科書では、ここまで突っ込んでは書かれていません。 *** とくに、ドイツ軍と英米仏の連合国軍が膠着状態に陥った西部戦線は、 異常事態が起きていた。 ウイルスはこの最強の防衛線をいとも簡単に乗り越えてきた。 兵士が塹壕にすし詰めになった過密な戦いが3年半もつづいているところに、 インフルエンザウイルスが侵入した。 両軍ともに兵士の半数以上が感染し、戦闘どころではなくなった。 ベルリンでは、毎週平均500人が死亡していた。 米国軍の戦死者は5万3500人だったのに対して、 インフルエンザで死んだ将兵はそれを上回る5万7000人だった。 ドイツ軍の受けた打撃も大きかった。 インフルエンザで約20万人の将兵を失った。(中略) 両陣営とも戦争継続が困難になり、大戦の終結が早まった。 だが、各国から参戦した兵士は、 ヨーロッパ戦線で感染して本国にウイルスを持ち帰ったために、 一挙にインフルエンザのグローバル化が起きた。(p.214)第一次世界大戦の趨勢や、その後の世界各国の社会状況にまでインフルエンザが大きな影響を与えていたとは。もちろん、日本も例外ではなく、国内の感染者は2300万人を超え、死者の合計は38万6000人に達したというから驚きです。この他にも、ペロポネソス戦争の際に大流行した感染症(天然痘とも、発疹チフスともペストともいわれている)により、籠城作戦をとったアテネは、城内の3分の1が死亡し、敗れ去りました。また、ロシア侵攻中のナポレオン軍は、発疹チフスに襲われ、戦闘による死者が約10万人に対し、発疹チフス等による戦病死者は約22万人でした。さらに、クリミア戦争や南北戦争、米西戦争、日清戦争、日露戦争においても、戦死者の多くを戦病死者が占め、その多くが感染症によるものだったといいます。 感染力はきわめて強く、内臓が溶けて全身から血を噴き出して死んでいく 悲惨な症状で、死亡率は90%にも達する。 運よく治っても失明、失聴、脳障害などの重い後遺症が残ることが多い。 さまざまな感染症と戦ってきた人類にとって、 最強の感染症との新たな戦いがはじまった。 治療法がなく、感染者や流行地域を隔離して収まるのをひたすら待つしかない。(p.14)これは、2014年に西アフリカから始まったエボラ出血熱に関する記述。現時点で、感染者を隔離しするか、逃げ出すしか対策がないといいます。そして、現在、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス。その収束は、どのような形で、いつ訪れるのでしょうか。
2021.02.14
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市民の人権擁護の会は、 サイエントロジー教会により1969年に設立された団体で、 現在では世界31ヶ国に130以上の支部があり、活動を続けています。 本著の著者・米田倫康さんは、その日本支部代表世話役を務められている方です。 市民の人権擁護の会は「精神疾患は医学によって治療できるものではない」とし、 「精神疾患に対する処方薬の使用は有害で詐欺的な診療である」と主張しています。 この姿勢は、本著の「第6章 簡単に信用してはいけない精神医療業界」や 「第7章 発達障害ブームにどう立ち向かうか」を中心に、随所で垣間見られます。アレン・フランセスの『<正常>を救え』も参考文献に挙げられています。また、この著作の監修を務めた大野裕先生や星野仁彦さんも本著の中で取り上げられています。著者の立ち位置を理解したうえで、読み進められたほうが良いかもしれませんね。
2021.01.31
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これまで読んできた『定年本』とは、ちょっと切り口が異なる。 まず、定年前の「50代問題」について、かなりの紙幅を割いて述べられている。 それにしても、世の50代が、これほどまでに冷ややかな視線を注がれていたとは。 定年を迎える前から、もう厳しい現実との闘いが待ち構えているのだった。 そして、定年後。 かつて日常を過ごした場所を懐かしんで、あちこち巡ってみても、 そこは、もう別の人たちが過ごす場所と化してしまっている。 肩書は過去のものであり、自分も過去の人だと思い知らされるだけ。さらに、自分にとっての新天地を生き抜くことも、決して生易しいものではない。年下の社員との間はもちろん、同年代の先輩社員との間ですら、それぞれのプライドとプライドが火花を散らす場面が起こりうる。定年前と定年後では、自分に対する周囲の態度は大違い。 大切なことなので、繰り返すが、 「再就職(再雇用)とは転職」である。 定年後雇用延長も厳密には「社内転職」だ。(p.71)そして、結論。 シンプルかつ顔の見えるコミュニケーションを大切にすれば、 周りが適応の手助けをしてくれるので、だまされたと思って 半径3メートルの人たちとの関係作りに専念してほしい。(p.80)
2021.01.17
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書名から想起されるのは、3年前にベストセラーとなった『未来の年表』。 本著は、その「医療版」という位置付けで発行された部分もあるのでしょうが、 そのような二匹目のドジョウを狙った一冊には決して留まらない、 医療の現状と未来への展望を、誰にでも分かりやすく説明してくれている良著です。 2020年現在、医療は「完成期」に入りつつある - 本著の基本をなしているのは、このような世界観です。 「完成期」とはすなわち、人間が病気では簡単に死ななくなる時代、 ということです。(p.3)これは、本著「はじめに」の冒頭の一文です。とてもインパクトのある書き出しで、誰もが思わず引き込まれてしまいます。そして、この後、私たちが現在最も関心のある新型コロナウイルスについて、このように書かれています。 そもそも新型コロナウイルスは、人類がこれまで経験してきた他の感染症と比べれば、 病気としての「実力」がそれほど大きいとは言えません。 たとえば14世紀のペストの大流行では、 当時の世界人口4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したとされています。 1918年から1919年に大流行したスペイン風邪でも、 当時の世界人口の4分の1、約5億人以上が感染し、 5000万~1億人以上の死者が出たとされています。(中略) それに対し、新型コロナでは2020年8月上旬までに全世界で約1800万人が感染し、 死亡したのは約70万人。 現在の世界人口約77億人に対する感染率は約0.2%で、 死亡率となると0.01%以下です。(p.4)こうして数値データを示されると、目から鱗が落ちる思いになります。「ペスト」や「スペイン風邪」が、当時の人たちにとって、どれ程の脅威だったかも、容易に想像がつきます。そして、コロナウイルスについては、次のように結論付けられています。 つまりコロナ禍は、「病気では死なない」時代を作りつつある「高度な医学」と 「高度な情報科学技術」の産物であり、 不死時代の招かれざる同胞とも言えるのです。(p.5)そして、「第1章 未来の病気年表」の中で取り上げられているのは、「2035年、ほとんどのがんが治癒可能に!」や「医学が発展するほど難病は増える!?」「iPS細胞への優先的資金投入は間違いだった?」「新型コロナウイルス対策で『公衆衛生』の理解は広まった」等のトピックです。続く「第2章 イノベーションが変える医療の体制」では、「2030年、『AI診察』が主流に」や「2032年、AI医師法制定」「人間医師の役割は『作り出す人』と『寄り添う人』に分化」「効く理由はわからなくてもOK! ビッグデータ創薬」について述べられています。以後、第3章から第4章にかけては、「病と病気をめぐる常識/非常識」について、「医者と患者で『治る』の意味が違う?」や「痩せたほうがいいのは50代まで。60代からは小太りで健康長寿」「日本の健康情報には『量』の話が抜けている」等のトピックが、第5章から第6章にかけては、「ガラパゴスな日本の医療と世界のスタンダード」について「病院への『フリーアクセス』が新型コロナで廃れていく?」や「脳死は人の死。でも、『人の死』に定義はない?」「イギリスの医療制度は近未来の日本のモデル?」等のトピックが取り上げられています。医療に関する様々な情報が、この一冊の中に集約されており、とても興味深いものでした。
2020.12.13
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同調圧力に従いやすく、不安が高く、社会的排除を起こしやすい。 そんな日本人の特質を脳科学の視点から論じた一冊。 著者は脳科学者の中野信子さん。 その出版ペースは目を見張るもので、メディアへの露出も半端ない売れっ子さん。 *** ”カミカゼ遺伝子”は脳内に現代も息づいているか 日本人はなぜ「醜くても勝つ」より「美しく負ける」を好むのか 日本人は富裕層になれても大富豪にはなれない? 不倫もバッシングも脳や遺伝子に操られているのか目次で、第1章の見出しを見ているだけでも、興味深い内容のオンパレード。この後に続く第2章以降も同様で、カスタマーレビューの評価も上々。大いに期待しながら読み始めたのですが、読了した時点で、私が付箋を貼ったのは、次のたった1か所だけでした。 そして実は、日本人の脳にあるセロトニントランスポーターの量は、 世界でも一番少ない部類に入ります (量を決める遺伝子にバリエーションがあり、 量を少なく産出するSS型という遺伝子型を持つ人の割合が日本人に多いため)。 ようするに、世界でも、最も実直で真面目で自己犠牲をいとわない人々ではありますが、 いったん怒らせると何をするかわからなくなるということです。 この性質が、第二次世界大戦で恐れられた 「カミカゼ」を支えた心理の裏にはあったと考えられ、 その遺伝子はまだ脈々と私たちの中に受け継がれていると言えます。(p.21)「なるほど」と思わされる記述であり、この後の記述についても、やはり「なるほど」と思わされるものが続きました。でも、付箋を貼るまでには至らなかったんですね……なぜか?本著を読んでいると、なんだかエッセイを読んでいるような感じがしました。「なるほど」とは思わされるのですが、そこから先の深掘りへとは展開してくれない。それ故、心の奥底までグッとくるには至らず、付箋を貼るという行為が喚起されなかった……という感じでしょうか。どうしてこんなことになったのかなと、今一度ページを捲り直してみると、目次に続くページに、次のような記述があったことに気付きました。 本著はWebメディア「現代ビジネス」で、 2018年4月から約半年間にわたって連載した 「日本人の脳に迫る」に加筆修正したものです。紙媒体以外にも、こんな風に執筆活動をされていたんですね。本当に驚異的なペースで、圧倒されてしまいます。
2020.11.21
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「病気と平気の線引きはどこ?」 言い換えると、「具合が悪いなーと思ったときに、 どこまでは放っておいてよくて、どんなサインが出たら病院にいけばいいの?」。 この問いかけに、病理専門学者である筆者が答えた一冊です。 ***まず、「第1章 病気ってどうやって決めるの」では、病気だと決めるのは、基本的に、本人、医者、社会の3つとしています。最初に、自分自身が、これまでの経験に基づいて将来を予測し、決める。それができないときは、医者に診てもらって、病気かどうかを決めてもらう。それ以外に、周囲にいる人々が「患者」を病気というワクに当てはめ、文字通り患者として対処するケースもあります。そして、病気には、すぐわかるものと、なかなかわからないものがあります。すぐわかる病気は、医者がすぐに行動できますが、なかなかわからない病気は、医者も時間をかけないとわかりません。そこで、「様子をみる」ということになるのです。 ・病気というのは現在だけで成り立っているものではない。 時間軸を加えた解析が必要。 ・病気というのはかなり難しい。 医療現場ではそもそも病気の全てをわかろうとする前に行動し、 それが結果的に人々の役に立つ。(p.104)続く「第2章 それって結局どんな病気なの?」では、「腹痛」を通じて「体性痛」と「内臓痛」について説明したり、「かぜと肺炎の違い」を、自力で勝てる感染症かどうかで説明したりしています。さらに、喘息やアトピー、高血圧、腰痛、がんなどにも言及しています。最後の「第3章 病気と気持ちの関係は?」では、「病は気合じゃ治らない」とし、「ビタミンCやローヤルゼリーも関係ない」ともしています。第3章は、他の章に比べると、かなりコンパクトですね。
2020.10.18
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阿川佐和子さんと医療法人社団慶成会会長・大塚宣夫さんとの対談。 佐和子さんの父・弘之氏が入院していたよみうりランド慶友病院は、 大塚さんが開設した病院であり、その経緯も本著で語られています。 弘之氏が心配になるほど、費用は掛かるところのようですが…… 佐和子さんは、94歳で亡くなられた弘之氏を看取ると共に、 現在も認知症の母親の介護を続けています。 また、大塚さんは、6000人以上の最期を看取ってきた高齢者医療の第一人者で、 「医療より介護、介護より生活」という考えの持ち主です。医療も、介護も、生活も、人それぞれによって状況は随分と異なり、万人に通用するような方策といったものはないのでしょう。それでも、共通することがらは多々あるはずですし、それらを知っているか知らないかで、対応の仕方にも大きな差が出てくると思います。そういった意味で、本著を読んでおくことは、誰にとっても、決して無駄にはならないはず。家族として、夫婦として、そして高齢者本人として、「なるほど!」と思えるところは、上手く生かしていけるといいですね。
2020.05.31
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『定年バカ』の続編。 本著では「人生100年時代の到来」と騒ぎ立てる世間の風潮や 巷間溢れる「定年本」の類を斬りまくっています。 『妻のトリセツ』は、バカ度ダントツのナンバーワンにノミネート。 *** それと同時に、定年退職者たちの不安をかきたてるような風潮が出てきた。 市場として成立させ、拡大していくためには、 不安を煽って不安産業化するのが手っ取り早い。 健康・美容産業の手口である。 定年が近づいた者に、「第二の人生」(なぜか英語でも「セカンド・ライフ」) 「第二の青春」という意識が刷り込まれると同時に、 「お金」「仕事」「孤独」「健康」「生きがい」などの不安が煽られ、 それらの不安をもって当然とされたのである。 「定年」は社会的・世代的問題になり、 実態以上に「定年不安」は作られたのである。(p.20)『FACTFULNESS』に書かれていた事柄と相通ずるものが。それにしても「不安産業」とは言い得て妙 ですね。 話はそれるが、わたしたちは、ひとりやふたりの意見を全体の話として、 日々、新聞やテレビから聞かされているのだ。 事件の関係者へのインタビューや、 アンケートで通行人に話を聞いたりすることが多いが、あれがもう煩わしい。 おざなりのインタヴューやアンケートなどするんじゃないよ。(p.43)これには激しく同意。その辺を歩いている数多くの人たちの中の、たった一人にすぎない人の意見を、ことさらクローズアップして取り上げ、世間に伝えようとするマスコミ。そこに潜む制作者の意図を、強く感じずにはおれません。 ろくでもない人間と、その輩が引きおこすろくでもない不快な事が、蔓延している。 いや、蔓延しているかどうかは、実際にはわからない。 昔でもおなじようなことは起きていたのだろう。 人の目には見えなかっただけだ。 だが今は映像として白日の下に晒されるようになった。 街中に設置された監視カメラと、 ほとんどの個人が持っている携帯カメラのせいである。 それによって映像が残るようになった。 それがSNSにょって拡散され、YouTubeにアップされ、テレビ局に投稿される。 昔だったら、ほっておけばそのまま日常のなかに埋もれていたものや、 ニュースにもならぬ取るに足りない個人的な事柄や、 人の目にふれることがなかった些細な事件や出来事が、 映像になっているという理由だけで公になり、 われわれは目にすることになったのである。(p.202)これも大いに共感。まさに「監視社会」になってしまったと感じます。それも、誰かにとって都合の良いものだけがことさら取り上げられ、寄ってたかって叩きのめす構造になっているように感じます。
2020.04.19
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『妻のトリセツ』、『夫のトリセツ』と読み進めて、これが3冊目。 出版されたのは、『妻のトリセツ』の後、『夫のトリセツ』の前なのですが、 本著は、同じことが繰り返し述べられているところが多いものの、 最も説得力があり、良くまとまっていて、理解しやすいように感じました。 ***第1章は「夫婦はなぜムカつき合うのか」。男は半径3mの外側が守備範囲で、”遠くの異物”に気を取られます。一方、女は近くの愛しいものに意識が向けられます。この真反対の特性が、二つ揃って完全体となるペア装置を形成するのです。第2章は「定年夫婦のための準備」。夫は共感力を身につけ、妻は夫の「ぼうっと」を許すことが大事。そして、夫婦の「定番」を、定年後に向けて作り直すことが必要になってきます。それは、互いに「個」として生きながら、チームとして共に行動するもの。第3章は「夫の禁則五箇条」。妻の行き先をいちいち聞かず、朝食を食べながら「昼食は?夕食は?」と聞かない。夫はこれが普通に気になって、妻につい尋ねてしまうのですが、それがダメなのです!さらに「たまの正論」を振りかざさず、妻を手足がわりにせず、ことばをケチらない!第4章は「妻の禁則五箇条」。いきなりストッキングを履かない、ことばの裏を読まない、口角を下げない、縄張りを侵さない、「あ~もうこれやらなくていいんだ」とは言わない。単純で定番を大切にする男は、見通しの持てない妻の予想外の行動に大パニックなのです。 *** 上沼恵美子さんの別居で注目を浴びた夫源病。(p.4) 上沼さんは、本著を、なかでも「おわりに ~挽回の呪文」を読まれたでしょうか。
2020.03.28
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2019年4月1日と24日、 京都の寂庵で行われた朝日新聞大阪本社によるインタビューを基に、 加筆・構成した語り下ろしの一冊。 寂聴さんの人柄が滲み溢れ、一言一言が読む者の胸に染み込んできます。 *** 昨日のことをくよくよしたところで、もう済んだこと。 明日のお天気さえ、 ほんとはどうなるか誰にもわからないのだから心配しても仕方がない。 乗っている飛行機も落ちる時は落ちます。 結局、なるようにしかならないんです。 そんな心配や取り越し苦労をするよりも、 今ここにいる、この瞬間を精一杯、生ききることが大切なんですね。 洗濯でも料理でも読書でもそうです。 この本を読んでいる時はただ懸命に読む。 人生の充実は、これに尽きると思います。(p.109)本著で最も印象に残ったところ。本当にそうですね。
2020.03.21
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著者の内科医・谷本哲也さんは、 マネーデータベース「製薬会社と医師」に参加されている方。 これは、探査ジャーナリズムNGO・ワセダクロニクルと 医療ガバナンス研究所の合同プロジェクトで、次のような経緯で始まりました。 医療費のあまりの増加に、1990年代より、 製薬会社から医者への過剰な利益供与が、米国を中心に次第に問題視され始めます。(中略) 製薬会社と医者との間に経済的な利益関係があるため、 患者よりも製薬会社の利益のために高額な薬が使われたり、 製薬会社に有利なデータを出すのに医者が協力したりしているのでは、 などの疑念が生じました。(p.80)これを受け、2010年にアメリカでは「サンシャイン条項」と呼ばれる医療制度改革法が制定され、製薬会社や医療機器メーカーは、医者との金銭的関係を、すべて政府機関に報告する義務が課せられました。日本でも、製薬会社が医療機関や医師へ提供している資金詳細公開が決められました。ところが、医師側から公開への反対が巻き起こり、2014年に公開が遅れただけでなく、製薬会社が自主的に情報提供するという形になってしまいました。それらのデータを一元的に集約することを、誰もしようとしないという状況下で、その作業に取り組んだのが、当時朝日新聞の記者だった渡辺周氏でした。その後、渡辺氏が立ち上げたのがワセダクロニクルであり、その渡辺氏と旧知の仲だったのが医療ガバナンス研究所の上氏でした。そして、双方で研究資金を出し合い、「製薬マネー」のデータベース作成プロジェクトが始まったのです。 ***本著では、医者が処方箋を決める背景として、どのようなことが行われているか、また、薬の値段がどのようにして決められているか等が記されています。さらに、大学教授をはじめとする著名な医師と製薬会社との関係、薬使用のメリットとデメリット、ガイドラインと患者数についても述べられています。本著では、ほとんど触れられていませんが、SSRI発売開始後に、うつ病受診者が急増したことも、本著に記されている内容と強い関連がありそうです。製薬会社や医療機器メーカーが、営利企業であることを思い知らされます。
2020.03.08
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著者は、国立がん研究センター中央病院精神腫瘍課長の清水研さん。 他の病院の精神科で一通りの研修を終えた後、 2003年の春、31歳の時から国立がん研究センターでの勤務を開始し、 これまでに3500人以上のがん患者と対話されてきた精神腫瘍医です。 自分にとって、現在、「死」が身近なものとして感じられない方なら、 スイスイと読み進め、一気に読了できそうな一冊ですが、 もし、そうでない状況にいる方ならば、結構読み進めるのに苦労するかも。 かなり重たい内容の連続で、ページを捲り続けることに力を要します。それでも、そこに記されている患者さんたちの生き様や、著者の思いに触れる中で、得るものは多いと思います。何が正解かは人により異なり、本著に正解が記されているわけではないでしょうが、「人生とは何か、生きるとは何か」を考える契機にはなると思います。
2020.02.09
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『妻のトリセツ』の続編。 男性脳と女性脳の特色が、前著以上に見事に描き出されています。 本文に詳しく述べるが、女性脳の生殖戦略は、意外に残酷だ。 生殖(生存と繁殖)のために、動物の脳は動いている。 繁殖するためには、できるだけ免疫力の高い相手をゲットして (実は見た目の魅力は、免疫力の高さに比例している)、 かつ、できるだけたくさんの遺伝子の組み合わせを残す必要がある。 このため、動物としての本能は、 一人の異性に人生を捧げる気はまったくないのである。 哺乳類のメスは、妊娠・授乳・子育て期に守ってもらわなければならないので、 一定期間、一個体のオスにロックオンするのだが、 子育てが一段落すると、脳は「もっと免疫力の高い男を探そうよ、 この目の前の男はダメだよ」と囁くようになる。(p.5)これが、女性の本質であることを、世の男性はしっかりと認識しておかねばなりません。一定の役割を終えた後の男は、女にとって癪に障る存在でしかないのです。ところが、遠くを見て、ゴールを目指し、とっさに問題点を指摘し合う男性脳は、守ってあげたいと心から思っている妻に対しても、結論だけ簡潔に言ってしまう……近くを見て、プロセスを解析し、とっさに共感し合おうとする女性脳は、「君も、ここが悪い。直しなさい」という言葉より前に、「大丈夫?」「わかるよ」と言う言葉を求めているのに……かくして、「夫はひどい」という思いが、日々積み重なっていくことになるのです。第2章「使えない夫を『気の利く夫』に変える方法」以降には、男性脳、女性脳の違いを乗り越えていくための様々な手立てが示されています。「なるほどなぁ」と思わされるものが本当に多かったのですが、その中でも、特に印象に残った箇所を、最後に紹介しておきます。 夫婦の対話で気を付けることの最後は、これ。 夫のことばの裏読みをしない。 夫のことばには、多くの場合裏がない。 「おかず、これだけ?」と聞くのは、 「この鮭一切れで、ご飯2杯を食べればいんだね?」という確認である。 それを、「一日家にいて、これだけしか作れないのか」に解釈するのは、 酷と言うものだ 仮に、意地悪な夫が皮肉で言ったとしても、気にせず 「そうよ。足りなかったら、ふりかけあるよ。それとも、生たまごかける?」と言って、 爽やかにやり過ごせばいい。(p.76)
2020.02.09
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良い本だと思います。 読んでおいて、決して損はしません。 と言うか、とても真っ当なことが書かれているので、 これから色々と判断する際に、きっと役立つと思います。 例えば、「はじめに」に書かれている「後医は名医」のエピソード。 後から診た医師は、最初に診た医師に比べ、 新たな情報を得られる状況で患者と接するので、より適切な診断や処置ができる。 とても分かりやすいですね。 *** 私たちが拠りどころにすべきなのは、「たった一人の体験談」ではなく、 「統計学的なデータに裏付けられた知識」です。(p.47) よって、「学会や公的機関からの情報を優先的に参考にする」のがベター。また、がんの種類ごとに作成される「ガイドライン」についても、数百、数千といった患者を対象に得られた薬の効果を解析し、それらをまとめた論文を参照して作られた「標準治療」を採用しています。 一方私たちは、ある症状で外来に来られた患者さんに検査をしても、 その症状の原因が医学的にはっきりしない、というケースをよく経験します。 「病名をつけられない状態」にもよく出会います。 むしろ、症状の原因やメカニズムが完全に明らかになることの方が少ない、 とも考えています。 こういう「はっきりした答えの得られない問題」は、 医療現場においては日常茶飯事で、 私たち医師はこの現象に疑問を抱いてはいません。 なぜなら、医学とは、人体とは、「そういうもの」だからです。(p.64)なるほど、やはり「そういうもの」だったのですね。薄々気付いていましたが、得心しました。 もし患者さんが、「治る」を「医療から完全に自由になること」だと捉えているなら、 多くの病気は「治らない」と言えるでしょう。 一方、私たち医師は多くの場合、 「医療から完全に自由になること」だけを目指すのではなく、 「病気を治療しながら、日常生活の質を落とさないこと」を もっと大きな目標として掲げます。 「病気とうまくお付き合いする手段を提供する」という感覚です。(p.132)これも、やはり「こういうこと」なのですね。求めるところを変える必要がありそうです。 OTC薬でも処方薬でも風邪薬に「風邪を治す力」はありません。 風邪薬の目的は、風邪の症状を軽くすることです。 こうした、症状に合わせた治療のことを「対症療法」と呼びます。(中略) (p.235)また、これも「こういうこと」なのでした。風邪薬は症状を和らげてくれるだけで、治すのは自分自身ということです。 では実際、出身大学(の偏差値)と臨床力は比例するのでしょうか? 結論から言えば、あまり関連はないと私は考えています。 自らの経験則からそういう印象を持っている、というのも理由の一つですが、 もっとシンプルな理由として、「大学に入るのに必要とされる能力」と 「医師になってから必要とされる能力」はかなり違うから、 ということがあります。(p.92)これも、納得できるものですね。大学医学部入試と医師国家試験を突破できる学力があれば、あとは、コミュニケーション能力や様々な状況への対応力ということになるのでしょう。これは、他の職業についても同じですね。
2020.01.26
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今年、著者の大河原先生のお話を聞かせていただく機会がありました。 内容はとても興味深いもので、私はお話にどんどん引き込まれていきました。 その後、先生の著作の中では比較的新しいものである本著を早速購入。 読み終えた後は、久々に付箋だらけの一冊になってしまいました。 所謂専門書ですが、どなたでも読み進めることが出来る内容かと思います。 *** 子どもの感情制御の脳機能が健全に育つためには、 負情動・身体感覚が承認されることにより 安心・安全が得られることが必須である(p.27)アスファルトの道路にたたきつけられるように転んだのに、母親から「痛くない!」と叫ばれた3歳の男の子は、顔をゆがめながらようやく起き上がりました。それを見た母親は「えらい!」と褒めました。男の子は、何事もなかったように、スキップをしていったそうです。著者は、これが「過剰適応=不快感情過剰制御」の姿であるとし、ここで、一次解離反応が生じたと見ることができると述べています。このような、親が子供の不快感情の表出を強く望まない関りをしていると、子どもは一次解離反応によって、親の前では「よい子」の姿を示すようになります。もちろん、「親の前でも学校でもよい子」の姿を維持できる場合もありますが、「親の前ではよい子で、学校できれる子」の姿を示すようになることもあるそうです。 問題行動を起こしたときの記憶があいまいで、なんとなくそうかもしれないけれど、 自分がやったという実感がともなわない離人感に近い感覚を持つ子どもも多い。 解離様式で適応している子どもは、その場面によって さまざまな自我状態(Ego State:解離障壁で区切られる状態)を体験しており、 それぞれの自我状態が記憶を保持するので、 異なる自我状態になると記憶の連続性が失われるということが生じるのである。(p.79)子どもはうそをついているのではなく、場面が変わると、自我状態が異なってしまっているのです。この場合、統合された1つの自我状態で生きていけるよう、働きかけが必要です。また、不快なことがあったとき「死ね!」「ぶっ殺すぞ」と言う子どもは、不快な身体感覚に、間違ったラベルが付いてしまっています。この場合も、教育や支援によって、このラベルの張替えをしていく必要があります。 子どもの心理的問題は、「親が原因」か「教師の関りが原因」か「いじめが原因」か 「子どもの発達障害が原因か」のどれか1つに収束されるものではない。 心理的問題の援助に携わる人は、 一般に人が抱きやすい「直線的な原因論」から自由でなければならない。 子どもの心理的問題は、子供がこのままでは健やかに育つことができない状況に おかれているということに対するSOSのサインであり、 常に複数の要因が複雑にからみあっているのである。(p.126)とても示唆に富んだ指摘であり、そのような複雑な状況を整理する枠組みとして示された「エコシステミックな見立ての枠組み」は、様々な問題の解決に向けて、重要な道標となってくれそうです。
2019.12.15
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副題は「あなたを蝕む愛着障害の脅威」。 タイトル、副題共になかなか過激。 でも、読み始めると、そのネーミングに納得してしまいます。 さすが、岡田さんです。 ***本著によると、人に喜びや幸福を与える生物学的な仕組みは、3つしか存在しないそう。1つ目は、お腹いっぱい食べたり、性的な興奮の絶頂で生じるもの。生理的な充足により、私たちが生きることに最低限の喜びを与えてくれるもので、エンドルフィンなどの内因性麻薬(脳内麻薬)が放出されて生じる快感です。2つ目は、報酬系と呼ばれる仕組みで、サッカーのゴールや麻雀でロンをした瞬間に、大脳の線条体の側坐核でドーパミンが放出され、「やった!」という快感を味わうもの。このドーパミンの短絡的な放出を引き起こすのが、麻薬やアルコール、ギャンブル等で、報酬系を悪用したものと言えます(麻薬には内因性麻薬放出を伴う場合もあります)。そして3つ目が、愛する者の顔を見たり、愛する者と触れ合うとき、安らぎに満ちた喜びが湧き起こるという、愛着の仕組みです。これは、生命維持や回復促進のために、免疫系や神経系、内分泌系を調整するオキシトシンという、視床下部の神経細胞から産出されるものの働きによります。しかしながら、親からの無条件の愛情を与えられず、不安定な愛着を抱えた人は、オキシトシン系の充足が不十分になってしまいます。その結果、不安や苦痛を感じやすくなり、痛みや原因不明の身体症状、うつや不安に苦しめられることもあります。その不足は、ドーパミン系の充足や生理的な快感で補うことになりますが、短絡的な充足は耐性を生じ、より強い刺激を必要とするようになってしまいます。 ***さて、本著で最も衝撃的なのは、次の記述ではないでしょうか。「愛着障害」という言葉の世間への広まり等、誰もが気付きかけていたと思いますが、ここまで正面切って、この問題について書かれたものを、私は、これまで目にしたことがありませんでした。 そして、実際に臨床で、 「大人のADHD」を疑って来院する人たちの生活史を見ていくと、 彼らが親との関係に苦しみ、虐待劇状況に置かれてきたことが明らかとなることが、 非常に多いのである。 これらのすべての事実は、彼らが苦しんでいるものの正体が、 養育要因に起因する愛着障害に由来することを、強く示唆しているだろう。 だが、そうした結論をうすうす感じていても、 専門家ほど、そのことを口にすることは許されなかった。 そこには、ぶ厚い障壁が立ちはだかり続けていたのだ。 その障壁とは、ADHDは遺伝的要素が7、8割にも上る、 先天性の強い神経発達障害だという定説であり、 不注意や多動といった問題に、養育要因は無関係だという ここ何十年かの「常識」だ。 実際、ADHDの養育要因について論じたりすれば、嘲笑とバッシングを受けた。 多くの専門家たちが、この30年以上、 ADHDに養育要因など関係しないと言い切ってきたのであるから、 それをいまさら覆されるわけにはいかないのである。 だが、その牙城が、今世紀初めぐらいから徐々にほころび始め、 最近では崩壊がだいぶ進んでいる。 音を立てて崩れ落ちる日も近いかもしれない。(p.167)
2019.12.07
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『精神科にできること』や『新版 うつ病をなおす』の著者である 精神科医の野村総一郎先生による一冊。 今回取り上げているのは「老子」。 「精神科医が老子?」と違和感を覚える方もいるかもしれませんね。 でも、『うつ病の真実』を読んだことがある方なら、 「野村先生なら、分かる気がする」と感じられるかも。 もちろん、最初違和感を覚えた方でも、 読み進めるうちに「なるほど、こういうのもありかも」と思ってもらえるはず。 ***さて、本著の中で私が心に残ったのは、次のような部分。 「人からひどい仕打ちを受けた」という事実自体、 もちろんストレスになります。 しかし、それに加えて「相手を恨み続ける」ということが新たなストレスとなり、 心に大きな負担をかけてしまいます。(p.119)「恨み続ける」ことが、自分自身にとって大きな負担になってしまうのなら、そんなものは、さっさと捨て去った方が、うんと楽になれるということ。「なるほど」と思わされると共に、「恨」なんかが文化になってしまった折には、本当に生きづらいだろうなと感じました。 漫才コンビ・オードリーの若林正恭さんはあるテレビ番組で 「仕事を楽しまなきゃいけない」という世の風潮を 「エンジョイ・ハラスメント」と呼んでいましたが、 そんな彼の発言に共感する人が大勢いるのも事実です。(p.202)私は、不勉強にもこの言葉を知らなかったのですが、「なかなか上手いこと言うな」と思いました。好きなことを仕事にできた人もいれば、そうでない人もいるし、好きなことでも、いつも楽しいことばかりではないでしょうから。さて、続いては老子の言葉で印象に残ったもの。 地位、名誉、お金、評価を求める人は多いけれど、 自分自身の身体を犠牲にしてまで、 「手に入れなければならないもの」など何もない。(p.147)私も、今はそう思います。でも、そう思わない人もいるのでしょうね。 完璧な準備をしたってうまくいかないことはある。 よかれと思ったことが裏目に出ることもある。 いつも、いつも「正しい因果関係」があるわけじゃない。(p.191)これも、大きく頷けます。世の中、残念ながら理不尽なことはある。 大問題も、まず何でもないような小さなことから起こり、だんだん大きくなる。 だからこそ、難しい仕事はそれが易しいうちに考え、 大きなことはそれが小さいうちに対処することが大切だ。(p.212)これは、老子にしてはポジティブなお言葉。もちろん、大いに同意します。 知ったかぶりは結局ボロが出る。 知っていても「知らない」と言うのが謙虚な人間である。 だいたい知っていると言っても、 どのレベルで知っているのか怪しいものだ。 ここは「知らない」とするのがよい。 まして知らないのに「知っている」と言えば災難がもたらされるだろう。(p.218)我が身を振り返り、猛反省。さて、次は最も感銘を受けた言葉です。 所詮、価値は相対的なもの。 絶対的な価値基準など存在しない。(p.025)本当にそうですよね。でも、現在の世の中は、二者択一思考が幅を利かせています。そして、何か事が起きると、ネット上やマスコミ報道では、自分は安全な側に立ち、不利な側を叩きのめすことが横行しています。 「自分は真面目で、正しいことをしている」と思っている人には、 もちろん悪気はありません。 しかし、あえてもう一段深く踏み込んで考えてみると、 その「正しさ」というのは自分が思っているだけで、 「ほんとうは何が正しいのか」なんて誰にもわからない。 まさに「自分がジャッジしている」だけで、 もしかしたら、それを誰かに押しつけているのかもしれません。 常識やモラルもすべて同様です。 「不真面目な人」「ズル賢い人」を見ると、 「あの人はダメだ」とお説教をしたくなるかもしれません。 でも、そう決めてしまう前に 「もしかしたら、私は自分の価値観を押しつけようとしているのかもしれない……」 「あの人には、あの人なりに不真面目にしている理由があるのかもしれない……」 と想像してみることもときには必要なのです。 何が善で、何が悪か。 そんなことは、究極的には誰にもわからないからです。 すべては相対的なものであり、 「どっちが正しくて、どっちが間違っている」というジャッジそのものをしない。 それこそ、本著で述べている老子のスタンスです。(p.116)
2019.11.30
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内科を専門とする産業医が、自身のこれまでの経験から 現在のうつ病のパラダイムに疑問を投げかける一冊。 文中には「あらかじめお断りしておきますが、~つもりはありません」 という表現が多用されますが、否定的姿勢であることは疑う余地がありません。 DSMが主流となる以前の日本では、 ドイツ医学の流れをくむ精神病理学に基づいてうつ病が診断され、 激しい気分の落ち込み(うつ状態・抑うつ反応)が、 本人の性格やストレス環境に由来するものを「心因性」、 体の病気に由来するものを「外因性」、 それ以外のもの(はっきりした原因は不明だが、 遺伝・身体レベルの何らかの障害に由来すると仮定されたもの)を 「内因性」と分類していました。 このうち、いわゆる「うつ病」と見なされていたのは「内因性」だけです。(p.30)ところが、現在では、うつ病の診断基準が広げられてしまったため、本著で言うところの「本当のうつ病」である「内因性」ではないのものに対しても、「うつ病」の診断が下され、投薬治療が行われていることに疑問を呈しているのです。世間で「新型うつ病(現代型うつ病)」として知られる「ディスチミア親和型うつ病」が、その典型です。第2章「うつ病を量産する、いいかげんな仮説」における小見出しには、「精神科医はいいかげんな専門家」「海外の大手製薬会社が日本にうつ病を『輸出』した!?」「SSRI発売後もうつ患者が増え続ける不思議」「モノアミン仮説はあくまでも仮説のひとつ」等が並びます。また、第3章「うつ病の診断がおかしい」には、「不真面目な精神科医ほど人気が出る!?」「DSMが正しいのは、みんなが使っているから?偉い先生がつくったから?」「DSMでは人生の悩みとうつ病を区別しなくていい」「DSMは本来臨床診断用のマニュアルではない」等が並んでいます。そして、第4章「うつ病の投薬治療がおかしい」の小見出しは、「『本当のうつ病』は、実はそれほど多くない」「自殺を防ぐための薬の副作用が自殺!?」「やみくもな長期投薬治療は薬を使ったロボトミー」「もはや製薬会社もモノアミン仮説やDSMを信用していない」等です。これらの記述を受け、第5章「うつ病のパラダイムがおかしい」という本著の主題が論じられ、第6章「薬を飲む前にできること」で締めくくられています。ほとんどが、どこかで見たことのある内容でしたが、目新しい情報もありました。例えば、アメリカでうつ病と診断され、レクサプロを処方された患者が、3か月経っても症状が改善しないと主治医に訴えたところ、SSRIの処方を中止してビタミンDを投与する栄養療法的治療に切り替え、さらにTMS(経頭蓋磁器刺激療法)を行って改善した例などです。また、新しいタイプの抗うつ薬として、ケタミンが注目されているという記述もです。もともと麻酔薬として使われてきた薬で、現在日本では麻薬に指定されているため、使用が制限されていますが、その抗うつ作用と即効性が注目を浴び、製薬会社各社が開発に挑んでいるとのこと。本著は2018年3月に発行されたものです。内容的に大部分のことは既知の事柄だとしても、このように新しい発見もあるので、やはり、定期的に新刊は読むようにしないといけないなと感じました。
2019.11.30
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