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副題は「弦楽器奏者の現在・過去・未来」。 著者は『アルゲリッチとポリーニ』等の著作がある本間ひろむさん。 ピアノはその美しいキーを指で叩くだけできれいな音が出る。 しかし、ヴァイオリンはそうはいかない - 。(中略) しかも、ヴァイオリンはギターのようにフレットがあるわけではないので、 音程をキープするためには正確な位置を指で押さえる必要がある。 その草木も生えていない石ころだらけの場所からスタートして、美しい音を出し、 音程をキープし、豊かな音楽を創り出すまでどれだけの時間がかかるのだろう - 。(p.4)私が初めて演奏会に足を運び、そのCDを所有したヴァイオリニストは千住真理子さん。そして現在、演奏会に足を運び、CDを購入し続けているのが、本著90頁でスズキ・メソード出身者として紹介されているヒラリー・ハーンさん。12月に行われる演奏会のチケットも、つい先程先行購入したところです。さて、本著の記述の中では、日本のヴァイオリン王・鈴木政吉とヤマハ創業者・山葉寅楠、政吉の息子でありスズキ・メソードの生みの親・鈴木鎮一と桐朋学園創始者・斉藤秀雄、小野アンナとその門下生・諏訪根自子、ストラディバリウスとグァルネリ・デル・ジェス等の対比が、とても興味深いものでした。また、オーケストラとコンサートマスター、アンサンブルと若手プレイヤー、そして、ディスコグラフィ30も面白かったです。五嶋みどり・龍の姉弟や、諏訪内晶子、樫本大進、庄司紗矢香、神尾真由子、服部百音等々、これくらいはちゃんと聞いておかないといけないなと反省させられました。
2024.06.22
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副題は「ファスト映画・ネタバレ - コンテンツ消費の現在形」。 著者は、ライター、コラムニストの稲田豊史さん。 タイトルを見て気軽に読み始めたのですが、読み進めるにつれ衝撃の連続。 想像を遥かに超えた、優れた経済社会学の一冊でした。 *** 「料理をミキサーに放り込んで、ブーンと回してドリンクにして飲む。 たしかに普通に食べるのと同じ栄養がとれます。 だけど、それって食べ物と言えるのでしょうか?」(p.64)これは、倍速視聴に抵抗感がある、台湾から青山学院大学大学院に留学中の陳さんの言葉。陳さんは、映像作品を倍速視聴する行為を「料理をミキサーにかけること」に例えました。しかし、早送りする人たちは、「観たい」のではなく「知りたい」のです。彼らにとって、それらは作品ではなく「コンテンツ」、鑑賞ではなく「消費」なのです。 「全員が全員ではないけれど、やっぱり観客が幼稚になってきてるんだと思う。 楽なほうへ、楽なほうへ。全世界的な傾向だよね。 全部説明してもらって、はっきりさせたい。自分の頭が悪いことを認めたくない。 だから、理解できないと作品のせいにする」(p.95)これは、アニメーション映画『この世界の片隅に』等をプロデュースしたジェンコで代表取締役を務める真木さんの言葉。脚本家の佐藤さんは、「口では相手のことを『嫌い』と言ってるけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じないんですよ」と言っています。 SNSの誕生によって、どんな民度、どんなリテラシーレベルの人間も、 事実上ノーコストで、ごく気楽に「被害報告」を発信できるようになった。 それが、多くの人に「わかんなかった(だから、つまらない)」と言われない、 説明セリフの多い作品を生み出した可能性は高い。(p.99)著者の知り合いの映画宣伝マンは、「わかんなかった(だから、つまらない)」は、論理的な説明やエビデンスがいらない「バカでも言える感想」と一刀両断したのですが……。TVアニメ版『鬼滅の刃』については、脚本家やその卵たちも「絵で見てわかることがそのままセリフになっている」と口を揃えるそうです。 本来、趣味であれ個性であれ、その道のプロに追いつく必要などはないはずだ。 そんなことを言い出したら、どんな趣味もどんな学問も、 始める前から徒労感に押しつぶされてしまう。(p.151)Z世代にとって、24時間繋がり続けるLINEグループで、仲間との和を保つことは至上命題。パッケージコンテンツ所有欲は低く、サブスクで済ませようとする気質があると言います。そんなZ世代は、SNS上で輝きを放つ全国レベルの猛者たちまで「すぐ隣の存在」と受け止め、彼らと自分を比べるなかで、実際に押しつぶされていくと言います。 「ミレニアル世代が”未体験”に価値を求めるとすると、”追体験”に価値を求めるのがZ世代。 彼らは先のわからないことや想定外の出来事が起きて気持ちがアップダウンすることを ”ストレス”と捉える傾向が強い」(P.166)これは、2021年6月に「Business Insider Japan」に配信された「Z世代に流行する『ネタバレ消費』とは?”失敗したくない”若者のホンネ」という記事の一部。博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所の森永さんは、こうなった理由を、次のように説明します。 「大人が子供の気持ちを先回りして察しようと動く。 子供たちは、とにかく大事に大事に育てられているので、痛みに弱い。 失敗したり、怒られたり、恥をかいたりすることに対して、 驚くほどに耐性が低い」(p.167)少子化や教育のあり方の転換が影響しているのでしょうか。さらに、キャリア教育の推進は、次のような状況に若者たちを追い込んだと言います。 ただ、それは仕方のないことだ。 大学で「5年後、10年後の自分のロードマップを描け」などと指導されれば、 それを達成すべく、 在学中から綿密なライフプランやキャリアプランを組み上げる必要がある。 悠長に回り道などしている暇はない。 「とりあえず就職してから、自分の適性や本当にやりたいことを模索していこう」 が許されない時代であり、世相なのだ。(p.169) 結果、彼らは学問にまでタイパを求めるようになったと言います。さらに、2020年度の私立大学新入生への「月平均仕送り額から家賃を除いた生活費」は、1990年の7万3800円から1万8200円に激減し、日々バイトに精を出すしかない。こうして、彼らは今、次のような状況の中に身を置いているのです。 仲間内でのコミュニケーションのため、LINEグループの和を保つため、 30年前に比べればおそらく何十倍、何百倍もの本数が流通するコンテンツを、 次々とチェックしなければならない。 その量は早送りしなければ消化できないし、慎重にリスクヘッジしなければ、 ただでさえ貴重なお金をドブに捨ててしまう。 彼らはとにかく余裕がない。 時間的にも、金銭的にも、そして何より精神的に。(p.178)
2023.11.05
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1959年3月17日、講談社が日本初の少年週刊誌『週刊少年マガジン』を発行。 その同じ日に、小学館は『週刊少年サンデー』を発行。 手塚治虫やトキワ壮グループを擁する『サンデー』の発行部数は30万。 それに対し、『マガジン』は20万部余だった。 1962年、『マガジン』は初めて『サンデー』の発行部数を上回る。 その原動力となったのが、ちばてつやの『ちかいの魔球』で、 以後の野球マンガの「魔球」ブームや『ハリスの旋風』へと繋がっていく。 しかし1965年、"ギャグのサンデー”が『おそ松くん』『オバケのQ太郎』で首位奪還。「8マン事件」と「W3事件」で、創刊以来の危機を迎えた『マガジン』だったが、1966年に『巨人の星』が大ヒットすると、たちまち『サンデー』を抜き去り、1967年に週刊少年誌初の100万部を達成、1968年には『あしたのジョー』が始まった。同年始まった『天才バカボン』は、1969年に『サンデー』に移籍するも、1971年に再開した。1963年に少年画報社の『少年キング』、1968年に集英社の『少年ジャンプ』、1969年に秋田書店の『少年チャンピオン』が週刊少年誌に参入。1970年に『サンデー』で『銭ゲバ』が始まると、『マガジン』も『アシュラ』を開始。「総合少年週刊誌」から始まった『マガジン』は、どんどん青年誌化していった。青年誌化が進んだ『マガジン』『サンデー』『キング』に対し、少年誌にこだわった『ジャンプ』が、1973年に『マガジン』を抜いてトップの座につく。『マガジン』は『デビルマン』『釣りキチ三平』『男おいどん』『愛と誠』等で立て直すと、1974年には、手塚治虫の『三つ目がとおる』を始めた。1978年には「少年マンガのラブコメ第1号」と言われる『翔んだカップルが始まる。そして同年『うる星やつら』が、1981年には『タッチ』が『サンデー』で始まった。以後、ラブコメが立て続けにヒットした『サンデー』は、『マガジン』を追い越す。しかし、『ジャンプ』の完全独走状態が揺らぐことはなかった。そして90年代初頭、”ヤンキーのマガジン”と呼ばれる時代を経て、1992年に『金田一少年の事件簿』が、1997年に『GTO』が始まると、『マガジン』は失速した『ジャンプ』を追い抜き、王者復活を成し遂げる。そして、週刊少年誌トップの座を守ったまま21世紀を迎えたのだった。しかし2002年、『ジャンプ』が週刊少年誌トップの座に返り咲く。以後、『ジャンプ』『マガジン』『サンデー』『チャンピオン』という順位が固定、20年間で、各誌ともじわじわと発行部数を落とし続けている。「紙の雑誌」が何百万部も売れる時代は、恐らくもう帰ってこない。 *** もともと集英社はエンターテイメント部門の本を専門に出版するために作られた 小学館の子会社である。 この頃は社員さえ小学館から出向しており、独自の定期採用が始まるのも この翌年の59年になってからだった。(p.18)『ジャンプ』と『サンデー』が同一起源だったとは……「週刊少年誌」を通じて、それぞれの時代の空気がしっかりと伝わって来る一冊でした。
2022.11.06
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著者は髭男爵の山田ルイ53世。 平成30年5月に新潮社から刊行され、令和2年12月に文庫化された一冊。 採り上げられているのは、レイザーラモンHG、コウメ太夫、テツandトモ、 ジョイマン、ムーディー勝山と天津・木村、羽田陽区、ハローケイスケ、 とにかく明るい安村、キンタロー。そして、髭男爵の面々。 (スギちゃんは、文庫化に際し追加掲載されました)一部、私があまり知らない(と言うか本著で初めて知った)方もいますが、そのほとんどの方の姿を、時々ではありますが、今でもTVで見かけることがあります。スギちゃんを除けば、山田さんが取材をされたのは少なくとも今から3年以上前、あの闇営業問題が起こる前のことですから、芸人さんたちの状況も随分変わったはず。その中で、今なお芸人として生き残っているというのは本当にスゴイことですが、その背後にある理由を、本著の記述の中に見出せたような気がしました。逆に言うと、その露出がすっかり減ってしまった方々についても、本著を読むことで、その理由をある程度理解出来た気がします。
2021.08.29
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本著はトスカニーニから、 21世紀初頭までに活躍した無数の指揮者のなかから10人を選び、 その略伝を記したものだ。 10人を選ぶのはかなり無謀で、誰もが納得する人選など不可能である。(p.6) これは、本著冒頭の「はじめに」で、著者の中川さんが述べた言葉。 そして、フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトル、トスカニーニ、ワルター、 バーンスタイン、ムラヴィンスキー、ミュンシュ、小澤の10人を選んだ経緯を、 中川さんは、これに続く文章で明らかにしている。 ***トスカニーニとワルターは、その指揮者人生に大戦が大きく影響を及ぼしている。これは、フルトヴェングラーやミュンシュも同様で、その最中の行動は、時の権力者や戦況により大きく左右された。20世紀になって生まれたムラヴィンスキーやカラヤンも、その中を生き抜いた。彼らに比べると、バーンスタインは、様々な点で趣きが異なる。デビューしたのは大戦中であったものの、彼の拠点はアメリカであり、ヨーロッパ・デビューと本格的な大活躍は戦後のこと。また、クラシックの枠を超えた作曲活動や教育者としての一面も際立っている。アバドやラトルは、私の中では印象が薄い。しかしながら、アバドが指揮者として大成していく様子は、それまでのパターンと違っていて、なかなか興味深いものだった。そして、この10人の中で、ラトルのものだけ、私はCDを1枚も所有していない。この10人の中で、私が実演に接したことがあるのは、小澤征爾ただ一人。ボストン響とのマーラーは、圧巻の演奏で、客席の熱気は凄まじかった。ラトルは、いつかその姿を直に見ることが出来るだろうか。演奏会に足を運べる日が戻ってくることを心から願っています。
2020.07.26
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ポーランドのワルシャワで、5年に一度開かれるショパン国際ピアノコンクール。 今年はその開催年でしたが、新型コロナウイルスの影響で来年に延期されました。 予備予選から参加される方たちはもちろんですが、 予備予選免除の方たちも、どんな気持ちで調整を続けられているのでしょうか。 さて、本著はそのショパンコンクールで優勝した二人のピアニストを描いたもの。 一人は、情熱的演奏スタイルで1965年に優勝したマルタ・アルゲリッチ。 そして、もう一人が高度なテクニックを誇る1960年の優勝者マウリツィオ・ポリーニ。 各エピソードに登場する周辺の面々は、後世に名を遺すような演奏家たちばかり。どの演奏家も、それぞれに個性的で、かなりクセが強い。普通の人が、普通にお付き合いが出来るような人たちでは、とてもなさそうです。しかし、そんな突き抜けた人たちだからこそ、凡人には計り知れない世界観を持ち、凡人では到底成し遂げられないような、突き抜けた演奏が可能なのでしょう。『ピアノの森』を読み返したくなりました。
2020.05.31
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副題は「関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」。 著者は、ナイツの塙宣之さん。 昨年8月に発行されたものですが、「なるほど」と思わされる記述が多く、 本著を読むことで、昨年末のM-1の結果を、より納得することが出来ました。 *** そもそもM-1は吉本がお金を出し、吉本が立ち上げたイベントです。 いわば吉本が所属芸人のために設えた発表会なのです。(中略) 本来、僕らはM-1の階段を上れるだけでも幸せなんです。 卑屈になる必要はまったくありませんが、 非吉本芸人は、不利を承知で敵地に乗り込んでいくのだというくらいの 覚悟はあっていいと思います。(p.110)これが、M-1を語る際にベースとなる事実。本著の副題「関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」の大前提。そして、次のような現実もあります。 どういう勘定の仕方をしているかは不明ですが、 現在、吉本の芸人は約6000人いると言われています。 東京のタレント事務所が抱えている芸人の数は、多くても数十人程度です。 在京事務所が束になっても、 メジャーリーグと日本プロ野球ぐらいの差はあると思います。(p.109)さらに、次のような事情も。 しゃべくり漫才のルーツは関西です。 必然、漫才という演芸そのものが関西弁に都合がいいようにできています。 言ってしまえば、漫才の母国語は関西弁なのです。(中略) 東京の寄席では、落語が中心で、漫才は「色物」として扱われます。 トリは当然、落語です。 ところが、関西ではほとんどの場合、これが逆になります。 落語が「色物」となり、漫才師がトリを務める。(中略) ひとまず、こう言い切っていいと思います。 漫才とは、上方漫才のことであり、 上方漫才とはしゃべくり漫才のことなのだと。 漫才会の勢力図は今も昔も、完全な西高東低なんです。(p.37)このような状況を考えると、関東の芸人さんは、M-1で大健闘していると言えるのかもしれません。さらにさらに、次のようなことも関係してきます。 漫才にクラシック三冠のように、2000メートルの皐月賞、 2400メートルの日本ダービー、3000メートルの菊花賞と、 時間ごとの大会があったとしたら、三冠王候補は断トツで中川家でしょうね。 ナイツは菊花賞は強いけど皐月賞は向いていないし、 サンドウィッチマンは皐月賞は一番人気でしょうが、 ダービー、菊花賞はきついと思います。(p.115)「M-1は100メートル走」と同様、とても分かりやすい例えです。それぞれのコンビに、演じる時間一つとっても、得手不得手があるということでしょう。そして、本著の中で、私が最も心に残ったのが次の一文。まさに、金言です。 2019年、和牛がM-1に参戦するかどうかはわかりませんが、 僕は、スタイルを変える必要はないと思います。 ここは強く言いたいところなのですが、 M-1で勝つことがすべてではありません。 M-1は漫才師なら誰もが憧れるタイトルです。 一時期を捧げるのに、十分すぎるほどの価値がある。 でも、いちばんやってはいけないことは、M-1を意識し過ぎるあまり、 自分の持ち味を失ってしまうことです。 芸人生活は何十年と続きます。 コンテストはモチベーションの一つにはなりますが、 そのためにやっているわけではありません。(p.117)
2020.01.05
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今年、3月30日に発行された一冊。 山本彩さんのことを知るには、とてもイイ一冊。 中学生の頃からバンド活動をしていたと知り、 「なるほどなぁ」と、納得。 そして、高校時代は成績優秀で、生徒会長だったと知り、 これも「そうだろうなぁ」と、納得。 バラエティー番組での絶妙な言動や、NMBでのリーダーシップも、 そうじゃなければ、なかなか出来るもんじゃないです。 私は何事も、階段を一段ずつ上がっていくことが好きです。 「今はこれをやって、終わったら次がこれで……」と、 計画を立てて順番通りにひとつずつハードルをクリアしていきたい。 事前の準備を出来るだけ完璧にして、 石橋を”叩きまくって”から渡りたいタイプなんです。 直感とか、あり得ないです。(p.029)今年、シンガーソングライターとして、しっかりとした一歩を踏み出したさや姉。そして、NMBについても、将来に向けての展望をきっちりと描いているはず。本著にも記された通り、いずれ卒業の日はやって来るでしょうが、後輩たちが、その後姿をしっかりと目に焼き付けてくれることでしょう。
2017.12.24
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去年の12月2日(金)に放送された 中居正広の金曜日のスマイルたちへを見て、 「これって”のだめ”のこと?」って思いました。 そして、今回本著を読んでみたのです。 ソロリサイタルのあと、 あすかは自宅で子どもたちにピアノの個人レッスンを始め、 今でも続いています。(p.194)ソロリサイタルが開かれたのは2011年。ですから、個人レッスンを始めたのは早くても、同年の2011年。そして『のだめカンタービレ#21』(2008年8月11日第1刷発行)巻末には、 取材協力ありがとうございました! ☆ リアルのだめ(福岡県にてピアノ教室営業中)とありますが、2008年といえば、1982 年生まれのあすかさんは26歳くらいで、第8回大阪国際音楽コンクールでエスポアール賞を受賞した翌年、第9回ローゼンストック国際ピアノコンクールで奨励賞を受賞する前年に当たります。宮崎に住むあすかさんが、わざわざ福岡で教えていたとはちょっと考えられません。即ち、アニメで登場した「おなら体操」を作曲した「リアルのだめ」さんとは全くの別人。「リアルのだめ」さんとは別のもう一人のモデルとする情報もあるようですが、本著にもあすかさんの公式HPにも、「のだめカンタービレ」の文字は一切見られず、単にピアニストの「のだめぐみ」と「のだあすか」の二人の名前が、偶然にも、とても似ていたということだけなのでしょう。 ***さて、そんなことは実は全くの余談で、本著は、本当に読むべき価値のある優れた一冊です。それは、発達障害というものを理解するうえで。当時、世間に現在の状況があれば、あすかさんがこれほど苦しむことはなかったでしょう。お父さんの記述も、お母さんの記述も、そして恩師の方の記述も、それぞれに伝わってくるものがあります。特に、お母さんは辛い立場に置かれることになってしまいましたが、知識を持ちあわせていないことが、これほどの悲劇を生んでしまうのですね。しかも、それは決して、あすかさんのお母さんの責任ではありません。実際、日本の精神科医は、誰もあすかさんが発達障害であることに気付けず、解離性障害の治療を進める際にも、あすかさんをピアノから隔離し、大きな負荷をかける結果となったにも拘らず、能天気な一言を発しています。そして、彼女が発達障害であることは、外国人医師により初めて指摘されたのです。もし、あすかさんがウィーンへ短期留学をせず、そこでパニックを起こして入院し、両親が現地に駆けつけるようなことがなければ、彼女は発達障害であることに気づかれないまま、ずっと過ごしていたかもしれないのです。ウィーンで医師から発達障害だと告げられた時、両親が、とても現実を素直に受け入れることが出来ず、打ちひしがれたのに対し、あすかさん本人が「ほっとした」と述べているのは、それまでの彼女の苦しみ、辛さがいかに大きなのもだったかを物語っています。そんな状況を振り返って、あすかさんが記した文章はどれも胸に響くものです。そして、発達障害と気付かれないまま強要され続けたピアノのレッスンは、彼女にとってとても辛いものだったと同時に、現在の彼女をつくりあげたのも事実です。そう考えると、生きるということは、本当に難しいものだと痛感させられます。
2017.03.25
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かき氷だけを扱った本は珍しい(と思う)。 しかも、写真を見ただけで「美味しいに違いない」と分かる。 使ってる氷の違いが伝わってくる。 たかが「かき氷」、されど「かき氷」である。 もちろん、かけられるシロップや練乳、きなこ、 添えられるフルーツやあずき、白玉、クリーム、プリンも美味しそう。 でも、氷そのものが美味しそうなのが、本当にスゴイ。 天然氷を切り出したものを、業務用の氷削機で、マイスターが腕を振るう。それらの作品とも言えるかき氷を目の前にした蒼井さんの表情も最高。髪が長かった頃も、短くなってからも、とにかくかわいい。『蒼井洋菓子店~大好きスイーツ・ベスト88~』も良かったですが、こちらは、それを上回る完成度です。
2015.06.06
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話題の書です(もう、少し古いか?)。 今では、カスタマーレビューも、星一つだらけになってしまいました。 もちろん、素直に読めば、さくらさんの献身ぶりは本当にスゴイ。 そして、たかじんさんの闘病の苦しさも、よく伝わってくる。 しかし、二人の出会いの場面、 特に、さくらさんが、たかじんさんと頻繁に会うようになっていく下りは、多少不自然。 それにも増して、Kさんがマネージャーを首にならなかったのが、大いに不自然。 本著に書かれているようなKさんなら、たかじんさんは早々に首にしていたと思うのですが……。また、さくらさんがネットで色々と調べ、病院や医師を転々と変えていくのも驚き。最良の治療を求めてと言うよりも、本当の意味でどの医師も信頼していなかったのでは?この辺の行動に、さくらさんの人となりが表出しているように感じました。もちろん、何とかしてたかじんさんを救いたいという、強すぎる思いの表出とも言えるけれど。そして、たかじんさんについても、タレントとしてテレビで見させてもらう分には良いけど、実際に人としてつきあうとなると、私なら、とてもしんどいなと思いました。破天荒と言えば聞こえはよいけど、一線を越えた振る舞いをする人であることは間違いない。それが、誰にでも、どんな人にでも許されるとは限らないと思います。さて、これで『百田尚樹『殉愛』の真実』を読む準備が整いました。やはり、両方読まないと、分かりませんからね。もちろん、両方読んでも、真実を知ることが出来るとは、あまり期待してはいないですが。
2015.05.09
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映画は見ていません。 劇場公開は、6月7日(土)からでしたが、一部を除き、ほぼ終了しています。 もちろん、DVDは、まだ発売されていません。 そして、本著も現時点では、なかなか入手が困難な様子。 女子ーズの5人は、今が旬の、美しくかわいい女優さん揃い。 彼女たちを見ているだけで幸せになれる方には、 1,500円(税別)は高くないでしょうが、100頁足らずのムック本です。 ほとんどが彼女たちの写真で、内容を過度に期待してはいけません。とは言うものの、本著で福田監督や女子ーズの5人のインタビュー記事を読んで、私は、この作品自体に、とても興味が湧きました。映画もDVDも見ることは出来ないけれど、文庫本が発売されているので、買ってきて読もうと思っています。
2014.08.05
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この手の書籍というのは、ライナーノーツと同じで、 読めば、曲や作曲家についての知識は色々と手に入るものの、 読み進めるためには、結構労力を要するものが多い。 と言うか、読んでいて、あまり面白いものではないことが常である。 ところが、本著は、それらの巷にあふれた文書とは、確実に一線を画す内容。 マーラーや各交響曲について、あれこれ蘊蓄を入手できるのは勿論だが、 何と言っても、読んでいてとても楽しく、ページを捲る手が止まらない。 CDを聞いているときのように、マーラーの世界にドップリ浸ってしまった。これはもう、本著の著者の筆力が、とびっきり素晴らしいとしか言いようがない。そして、この本の著者は、大阪生まれの指揮者・金聖響さんである。ご自身が、若き頃よりマーラーの大ファンで、彼についての様々な音源・文献に接すると共に、実際にオケを指揮するに際して、スコアを丹念に読み込んで来た経験の蓄積は半端でない。それだけでも、他の評論家の先生方が書かれる文章とは、全く次元の違うものを作り出すことは可能だろう。しかし、本著は、そこに留まらない、さらにワンランクもツーランクも上の完成度。金さんの文章家としての能力に、大いに感心させられた次第である。ただし、私も結構マーラー好きで、所有しているCDもマーラーのものが最も多い。メータやインバル等々の指揮する実演にも、足を運んだ経験がある。中でも、最も印象に残っているのは、大フィルを振った朝比奈隆氏の2番。それ故、マーラーを全く聴いたことがない方が、本著を読んだ時、同じ感想を持つかは?とりあえず、本著を読んで、久しぶりにマーラーを聞きたくなった。金さんの指揮する演奏会にも、機会があればぜひ出かけたい。
2013.04.06
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私は、『ニライカナイからの手紙』を見て以来、 若手女優の中では、蒼井優さんが一番のお気に入り。 彼女は、スクリーンの中では、一際輝く存在。 なのに、TVドラマにおいては、何故か評判が芳しくないような気も……。 先日、TSUTAYAで『洋菓子店コアンドル』のDVDを借りて来ました。 主人公のなつめは、冒頭から「えっ……?」というところだらけの女の子で、 皆から愛される存在とは、程遠いキャラクター。 蒼井さんが演じていることで、何とか観衆に見捨てられずに済むという感じ。その『洋菓子店コアンドル』に漂う世界観を、書籍としてまとめたのが本著。私は現物を見ずに、ネットで本著を注文したのですが、届いた本のページをパラパラ捲ると、読み物と言うよりは完全に写真集。まぁ、これは誰もが予想出来る、想定内のことでしょうが。巻末に「エレガントなスイーツマナー講座」が掲載されていますが、わずか8ページ、本文30行余りで、特筆するほどのものではありません。そして、その前の「幸せスイーツセレクション」で紹介されているスイーツは、お取り寄せも含め、ほとんどが東京のお店のものばかり。関西在住の私が、実際に目にすることが出来るのは、はらロールの「抹茶」と、モンシュシュの「堂島ロール」くらい。(p.092)ここにエス・コヤマの小山ロールとか、リッチフィールドのバームクーヘンなんかが、もし掲載してあったら、「これはスゴイ!!」って言うことになったのになぁ。「蒼井優と行く、東京スイーツ散歩」においては、それが、東京のお店ばかりになるのは当然としても、お取り寄せにおいては、もう少し他都市のお店のものを交えてもらえると良かったかな。まぁ、写真集にそこまで期待するのは、欲張り過ぎということは重々承知しておりますが。
2012.02.19
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それは、まるで眼の前で、巨匠二人が語り合っているのを眺めている感覚。 テレビやDVDといった、電気的なものを媒介とせず、 生で、直に、その現場に居合わせているような錯覚に陥ってしまう。 これぞ、紙という媒体に文字を綴ることで世界を創造する、まさに村上マジック。 小澤さんの雄姿は、一度拝見させてもらったことがある。 その頃の、ボストン交響楽団がどのようなオケだったかは、 本著を読んで、改めて知ることになった。 よくぞ、そのようなステージに立ち会えたものだ。その時の演奏は、マーラー。そして、私が本格的にクラシックを聴き始めたのもマーラーで、今でも最も好きな作曲家。本著における、マーラーについての二人の対談は、私にとって最高の贈り物。その他、カラヤンやベーム、バーンスタインのお話も、人間味があふれ出している。 僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、 とくに勉強もしていません。 で、何から学んだかというと、音楽から学んだんです。 それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。 文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。 前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか…… 機械のマニュアルブックって、読むのがわりに苦痛ですよね。 あれがリズムのない文章のひとつの典型です。(p.129)対談における村上さんの発言。もう、納得するしかありません。「まさに!!」です。
2011.12.11
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「下巻」における内田先生の文章は流石、素晴らしい! 「自分らしい勝ち方」にこだわるか否か。 それが「コペルニクス的転回」「ブレークスルー」の可否を決定づける。 そんなルフィーとゾロの比較論には、「なるほど!!」と頷くしかない。 また、ルフィの組織論は『ONE PIECE』という作品を飛び越えた、次元の高いもの。 「自立」した個人の強さの限界についての記述には、思わず納得。 ただ、ウソップの存在を「ストーリーテラー」と位置づけたうえで、 内田先生が思い描く『ONE PIECE』のラストシーンには、少し首を捻った。そして「STRONG WORDS」自体も、「上巻」より「!」なものが多かった気がする。即ち、「上巻」に比して「下巻」の方が、全体の仕上がりがグッと良い。だから、「上巻」を読んで、少しがっかりした人も、気を取り直して、この「下巻」を読んでみることを、ぜひともお勧めしたい。 ***さて、「下巻」の「STRONG WORDS」の中で、私が特に印象深かったのは、 生物は みな生まれながらに 平等じゃねェんだよ シャハハハハハハハ!!というアーロン/巻九 第72話「分相応」における言葉。(p.107)選者のコメントは、最近の社会の風潮を反映して、この言葉に否定的なものとなっている。が、それは本音?(もちろん、こう書かなくては、多方面から非難の的となる可能性大)実はこの言葉に、「真理」を感じる者は、決して少なくないのではなかろうか?そして、もう一つは、 海賊が悪!!? 海軍が正義!!? そんなものは いくらでも 塗り替えられて来た…!!! “平和”を知らねェ子供共(ガキども)と “戦争”を知らねェ子供共との 価値観は違う!!! 頂点に立つ者が 善悪を塗り替える!!! 今 この場所こそ中立だ!!! 正義は勝つって!? そりゃそうだろ 勝者だけが 正義だ!!!!というドンキホーテ・ドフラミンゴ/巻五十七 第556話「正義は勝つ!!」における言葉。(p.129)今も昔も、フィクションでもノンフィクションでも、「勝てば官軍」は、残念ながら世の常なのである。
2011.06.05
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『ONE PIECE』巻一から巻六一までの第一部の中から、 本著「上巻」には、120の「STRONG WORDS」が掲載されている。 ただ、個人的には、より印象的な言葉が、他に数多くあった気がする。 選者と私との間に、若干のフィーリングの違いがあるのを感じた。 ひょっとすると、「下巻」には、「これっ!これですよ!!」と、 私が大きく頷くことができる言葉が、数多く登場するのかも知れないが、 「上巻」に限って言うと、そんなには見当たらない。 ちょっと期待はずれか……。そんな中で、私的に「!」なものを選ぶとすれば、 おいサンジ カゼひくなよ という、ゼフ/巻八 第68話「4人目」における言葉。(p.162)ただこれも、それまでのお話しの経緯を、どの程度承知しているかによって、読む者の心に響く度合いは、全く違ってきてしまう。(私は『ONE PIECE』の中でも、ゼフとサンジのお話しが、一・二を争うぐらい好きである)そして、もう一つ選ぶとすれば、 能力や技じゃない -その場にいる者達を 次々に自分の味方につける この海において あの男は最も恐るべき力を 持っている………!!という、ジュラキュール・ミホーク/巻五十七 第561話「ルフィVSミホーク」の言葉。(p.133)これは、ルフィーというキャラクターの魅力、引いては、『ONE PIECE』という作品の魅力を、一言に凝縮させた珠玉の一語だと言える。 ***ところで、私が本著を購入したのは、これらの言葉を愉しむためでは実はない。それだけのためなら、我が家に全巻揃っている原作を、今一度実際に手にとり、再度読み直せば、十分に事は足りるし、その方が、前後の話の流れから、より感銘を受ける言葉となるだろう。では、なぜ本著購入かと言われれば、もちろん、内田先生の一文が掲載されているからである。しかし、その文章もp.186~205と、そんなに長いものではない。この点も、少々期待はずれ。また、本著をどんな層の読者たちが購入するのかは、よく分からないが、年少者には、本著における内田先生の文章は、かなり難解に感じられるかも知れない。と言うのも、最近発刊されている他の書籍における文章より、一段と思想家・内田樹が感じられる文章に仕上がっているから。さらに、『昭和残侠伝』や『SLAM DANK』といった、『ONE PIECE』の読者層とは、直接結びつかない作品について、導入部でいきなり、そしてかなり突っ込んで語り始めている。そのため、せっかくの内田先生の文章が、受け入れられにくい状況になっている。
2011.06.05
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私が佐渡さんのステージを実際に目の当たりにしたのは一度だけ。 それは、2001年7月のフェスティバルホール。 宮本亜門さんの演出した、バーンスタインの「キャンディード」。 学生時代に演奏したキャンディード序曲の流麗なメロディーが、私は大好きだった。 しかも、レニーや小澤征爾氏とも関わりが深い、新進気鋭の指揮者の登場。 ワクワクしながら出かけたそのステージは、期待に違わぬ素晴らしいものだった。 歩く度にステージをミシミシと唸らす中島啓江さんの迫力も凄かったが、 何と言っても、オケピットの中の佐渡さんからは、凄いオーラが沸き立っていた。本著は、そんな佐渡さんの手による一冊だが、小澤さんの『ボクの音楽武者修行』と並ぶ、素晴らしい出来映え。ちなみに、私が小澤さんのステージを目の当たりにしたのも一度だけ。1994年12月のザ・シンフォニーホール、ボストン響を指揮したベルリオーズの幻想交響曲。それにしても、佐渡さんのサクセス・ストーリーは凄いの一語。阪大オケを振ったビデオが事務局長の目にとまり、タングルウッドから招待状が届く。そして、そこで小澤さんに出会い、さらに師匠レニーと出会うことになる。さらに、ブザンソンなんかは、まさに千秋真一のモデルは、佐渡裕だとしか思えない展開。しかし、それ以上に本著が魅力的なのは、人間・佐渡裕を包み隠さず、オープンにしていること。高校生の時、レニーのチケット完売を諦めきれず、同級生と京都会館に忍び込むも御用となった話、大学生の時、指導していた女子校の吹奏楽コンクール審査結果に不満で、控え室に乗り込んだ話、海外に出かけ始めた頃、語学が苦手で、常に不安とコンプレックスを感じながら過ごした話等々。さらには、レニーの言葉が関西弁で表現されているところが、何とも心地良く、彼の人柄や、佐渡さんへの心遣いといったものが、よく伝わってくる。そして、今年ついにベルリンフィルを振る世界的指揮者となった佐渡さんのターニングポイントともいうべき場面は、人生というものについて改めて考えさせられた。 が、再び落とされてしまったのである。 これは、僕が指揮者として活動を始めて以来、 始めて自身を砕かれたと言っていい悔しい経験であった。 しかし、その一週間後に、タングルウッドから招待状が届いた。(中略) もしこのとき採用されていたら、ダメもとのタングルウッドにわざわざ行くより、 すぐにでも指揮者になれる可能性のあった “名古屋フィルの副指揮者”の方を僕は取っていたと思う。(p.60)まさに、人間万事塞翁が馬である。
2011.02.06
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『L’Arc~en~Ciel 虹色の青春』が発行されてから、 約半年後に本著は発行されている。 それ故、描かれている内容自体に、さほど大きな変化はない。 1997年の事件、そして復活、さらに翌年の3曲同時リリースまでの出来事。 それでも、『虹色の青春』では、hyde、Tetsu、kenの3人の生い立ちを、 一人ずつ別々に、幼少時からラルク結成前夜まで辿りきる構成だったものを、 本著では、各発達段階における3人の成長を、並行して追う形をとっている。 エピソードは前著と重複する部分が多いものの、新たな逸話も見受けられる。ラルク結成後のエピソードについては、本著の方が充実しているかも知れない。特に、メジャーデビューを成し遂げ、人気が上昇し始めた時期に、再度、自分たちの思いを前面に押し出しながら活動を続けたいと、スタッフと交渉をもったことは、前著では描かれていなかった逸話である。2冊の本を読んで、ちょっとはラルクのことが分かったかも知れない。でも、2冊とも10年以上前の著作である。それ以後、現在に至るまでのラルクについては、まだ全然知らない。それ以上に、彼らの演奏自体を一度ちゃんと聞いてみないとね。
2010.02.14
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私はラルクの歌をそんなに知らない。 そして、ラルクのメンバーのことは全く知らない。 でも、すぐ身近にいる人は、とってもラルクが好きで、 というか、一番好きなアーチストがラルクなんだそうだ。 なので、ラルクってどんなものなのか知りたくなった。 そして、この本を買った。 古本屋さんで一冊50円。 12年前に出版されたものとはいえ、随分安い。hydeって、日本人離れした顔立ちだと思ってたけど、小中学生の頃はホント普通の顔。まぁ、かなり整ったきれいな顔だけどね。それでも、和歌山出身っていうのはちょっとイメージ違ってたな。tetsuも扉のページに載ってる写真は、普通の中学生っぽいけど、集合写真になると、すでに本領発揮だな。成人式の写真になると、そろそろ私には付いていけない世界だ……やっぱり、これくらい突き抜けていないとモノにならないということか。kenを扱ったページは本当に少ない。写真も少ないけど、高校生以降の写真が見当たらない。国立大学中退してミュージシャンになっちゃったから、親御さんとは絶縁状態になったらしいけど、もう仲直りしたのかな?途中、メンバーが入れ替わったけど、いい人に巡り会って、イイ感じになってきたところで、ドラムの人が覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまう。1997年2月のこと。数カ月の活動自粛期間の後、10月17日見事に復活、公演も大盛況。それから10年以上経って、今のポジションにいるのはなかなかのモノ。売れるのは難しいけど、売れ続けるのはもっと難しい世界。それを成し遂げているのだから、やはり実力があるということだろう。古本屋さんでは、もう一冊別の本も買ったので、それもこれから読んでみる。
2010.02.08
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クラシック音楽をテーマにしながら、かなり「お気楽」に読める一冊。 クラシック音楽に関する著作といえば、新書ですら 一般的に肩が凝るようなものが多い中、かなり異色と言えるかもしれない。 一つ一つの記事が短めで、言葉遣いが普段着なのも、その理由の一つ。 それ以上に、本著が気楽に読めるのは、実はクラシック音楽そのものでなく、 主として、そこに聴衆として関わる人々にまつわる事柄を語ったものだから。 音楽そのものや作曲家、演奏家についてばかり語っていたら、 本著もここまで「お気楽」な仕上がりにはならなかったかもしれない。 そんな「お気楽」本ゆえ、読後、印象に残ったところを思い出すのも一苦労?読んでいる瞬間、瞬間は楽しくても、深~い感動をもたらす部分は、それ程ない。何といっても、リラックスしきって、読み飛ばしていってるだけだから、お笑い番組を見ている感覚にほど近く、「あーぁ、面白かった!」という世界。 そんな中でも、「ほぉーっ、さもありなん」と思わされたのは、やっぱり、聴衆についてでなく演奏家や音楽そのものについて記述した部分。コンクール歴や師事歴、週刊誌あたりの記述については、かなりきわどい内容でグッド!私としては、ウィーンフィルに関する記述が本著で最も興味深かった。
2010.02.06
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今が旬の、話題の本を読んでみました。 と言っても、現在、普通の書店では、店先に並んでいません。 左の画像をクリックして「楽天ブックス」に行っても、「売り切れ」です。 ですから、今となっては、ネット等で古本を購入し、読むしかないわけです。 なぜ、話題になっているかは、「パクり“確定”『最後のパレード』」に詳しいです。 この本の存在自体は、私も、新聞広告を何度も目にし、よく知っていたのですが、 内容的には、あまり興味を持てる分野ではなかったので、放置していました。 ところが、その後、事件として報道され始めると、俄然、興味が急上昇。まず、読み始めて、すぐに感じたのは、これらの文章を書いたのは、一体、誰なのかということ。ディズニーランドへ来園した人たちからの手紙等を、まとめたものなのか、何かの企画で、投稿されたものをまとめたものなのか、それとも、元スタッフである筆者の経験や、そこでの伝聞を基にして書かれたものなのか……。そのことが、本著のどこにも明示されないままに、終わってしまっているということが、今回の騒動の、大きな原因になっていると思います。書かれている内容そのものが、本当にイイお話しで溢れているだけに、とても残念。意図的に、お話しの出元を伏せていたのなら、やっぱり盗作と言われても仕方ないでしょう。お話しの多くが、ネット上の掲示板等から転用されたものであったことについては、「著作権」という観点からも、大いに考えさせられました。掲示板で為されるやりとりというものは、その全てについて、著作権が認められるものなのか?そして、それに関する話題については、その発言の送信者や、掲示板の管理者、或いはプロバイダー等の許可を得なければ、第三者が、一つのネタとして、ネットや紙面において話題にすることが、認められないのか?まさか、そこまでのことを要求されるとは思わないので、要は、どの程度の範囲において転用しているのか、そして、転用したことを、きちんと明示しているか、さらに、それに、商業上の利益が絡むならば、どう利潤配分するのか、その辺りが、きっと問題になってくるのでしょう。ネットという大海の中に散りばめられていた「イイお話し」を、丁寧にすくい上げ、それを、一つの書籍という形にまとめ、広く世間に示すということ自体は、ある意味、たいへん価値あることだとも思えます。しかも、各話題には、元スタッフとしての立場から、ちゃんと言葉を添えているのですから。要は、著作権がうるさくなってきた、このご時世に、本著を作るに当たって、自らとった手法を明示せず、ネタの出元も公開しなかったことが、筆者としては、予想外の、後悔しても、後悔しきれぬ事態へと繋がっていったのです。もちろん、このような状況では、著者が、「倫理観に欠ける」、つまり「盗作」と言われても、仕方がないでしょう。
2009.05.17
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何と、ジークフリートは、ミーメに育てられていました。 ミーメは、指環と頭巾を手に入れて、世界に君臨するために、 大蛇をジークフリートに倒させようと企んでいたのです。 そんな中、ジークフリートは、ノートウングの再生に成功します。 やがて、ジークフリートは、洞穴に住む大蛇を、ノートウングで倒します。 そして、大蛇の血を口にすると、小鳥たちの話が理解できるようになり、 洞窟の中に財宝があることを知ったのです。 ジークフリートは、金の指環と変身頭巾を持って、洞窟から出てきました。ミーメは、それらを手に入れるため、ジークフリートに毒を飲ませようとします。しかし、ジークフリートは、ミーメの本心を見抜き、彼を殺してしまいます。そして、小鳥たちから、花嫁ブリュンヒルデの存在を知らされると、岩山へ向かいます。ブリュンヒルデは、ジークフリートによって、長い眠りから目覚めたのです。 ***ジークフリートは、武勲をたてるため、ブリュンヒルデを置いて旅立ちます。辿り着いたのは、ラインのほとりで勢力を誇る、ギービヒ一族が治める地。その長はグンターで、妹がグートルーネ。父親違いの弟がハーゲンで、その父は、実はアルベリヒだったのです。ハーゲンは、ブリュンヒルデの手元にある指環を取り戻そうとしていました。「これまでの女を忘れ、目の前の女に恋をする」薬をジークフリートに飲ませ、ジークフリートをグートルーネと結婚させてしまうと共に、岩山からブリュンヒルデを連れてこさせ、彼女をグンターと結婚させようと画策します。一方、ブリュンヒルデのもとには、妹がやってきて、神々の世界を救うため、指環をラインの娘たちに返して欲しいと頼みますが、ブリュンヒルデは拒否します。次には、頭巾でグンターに変身したジークフリートがやって来ます。そして、彼は、ブリュンヒルデから指環を奪い取ると、これで婚姻が成立したと宣言します。ギービヒ一族が治める地で、ジークフリートと再会することになったブリュンヒルデ。しかし、ジークフリートは、彼女のことを全く覚えておらず、グートルーネと結婚直前。ところが、ブリュンヒルデに求婚した者が奪い取ったはずの指環が、ジークフリートの手に。辻褄の合わない状況に、グンターとグートルーネも疑心暗鬼になっていきます。しかし、その騒動も、ジークフリートが、何とか収めてしまいます。ジークフリートの裏切り行為が許せないブリュンヒルデに、ハーゲンが近づいていき、ジークフリートの弱点が背中であることを聞き出すと、グンターと共に暗殺計画を練り、狩りの場で実行しようということになります。狩りに出かけた際、ラインの娘たちからの指環返還要求を、ジークフリートは拒否します。その後、ハーゲンから渡された杯には、記憶をとりもどす薬が入っていました。ブリュンヒルデのことを思い出し、彼女こそただ一人の真の妻と語るジークフリート。裏切り行為と迫るグンター、背中から槍で突くハーゲン。その後、ジークフリートの亡骸の前で、次々に明かされる真相。ブリュンヒルデの命令で、ジークフリートは、大きな炎に包まれ見送られることに。愛馬と共に炎に飛び込むブリュンヒルデ、その炎は、神々の城ヴァルハラをも焼き尽くす。そして、指環は、元の場所へと戻って行きました。 ***何とも言いようのない、悲しい結末ですね。こういう終わり方の作品は、あまり好きではないのですが、音楽が、ここに加わると、感じるものも違ってくるのかな?オペラも全編通して一度は見てみたいと、益々強く思えるようになりました。
2009.01.23
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昔々の大昔、神々がこの世に君臨していた頃、 アルベリヒという、地底に住むニーベルング族の男がいました。 アルベリヒは、ライン川に住む水の精から「ラインの黄金」の秘密を聞き出すと、 その黄金を盗んで指環をつくり、世界を支配しようとしたのです。 一方、地上では、神々の王であるヴォータンが、妻フリッカの願いを聞き入れて、 巨人族の力により、神々の城ヴァルハラを完成させていました。 ところが、「城が完成したら望むものを与える」という約束をしていた巨人たちが、 フリッカの妹であるフライアを、連れて行こうとするのです。その時、火の神ローゲが、フライアと同等の価値あるものとして、それを身に付けた者は、限りない権力と資産を持つという指環があるのだと告げます。巨人たちは、その指環と引き替えならフライアを返すと言い残し、立ち去ります。ヴォータンは、ローゲと共に、指環を手に入れるべく、硫黄の洞穴から地底へと下りました。その頃、地底では、指環を完成させたアルベリヒが、ニーベルング族を支配していました。彼の弟ミーメは、兄から逃れようと、姿を隠す頭巾を完成させますが、兄に奪い取られます。そんなアルベリヒを、今度は、ヴォータンが捕獲、全ての財宝と指環を奪ってしまいます。全てを失ったアルベリヒは、指環の持ち主が呪われるよう呪文を唱えて、立ち去ります。そこへ、今度は、巨人たちが現れ、フライアと財宝との交換が始まります。ヴォータンは、最初、指環を渡すことを拒みますが、突如姿を現した知恵の女神エールダの忠告に従い、指環を巨人たちに渡します。指環を受け取った巨人たちは、奪い合いの末、ファーフナーがファーゾルトを殺してしまいます。 ***エールダの「神々の終わりの時がくる」という言葉が、頭から離れないヴォータン。エールダに会いに行って、そこでブリュンヒルデという娘をもうけることになりました。さらに、ヴォータンは他の女神たちとも関係を結び、計9人の娘を得ることになります。娘たちは、ワルキューレ(処女戦士)として、戦死した勇者の魂をヴァルハラに集めます。一方、指環を手に入れたファーフナーは、大蛇に変身、惰眠を貪り続けていました。ヴォータンは、アルベリヒが指環を盗むのではないかと、心配が続きます。そこで、指環を、神以外の誰かに確保させようと、ヴォータンは人間の女性と交わり、男女の双子を得ると、男の子を勇士に育て上げるため、戦いに明け暮れます。ところが、ある日帰宅すると、妻は殺され、娘はさらわれていました。いつまでも下界に居続けるわけにもいかず、ヴォータンは息子のもとを去っていきます。 ***その後、ヴォータンの息子ジークムントと、娘ジークリンデは、運命的再会を果たし、運命の剣「ノートウング」を手に入れると、兄妹でありながら夫婦ともなるのです。一方、ヴォータンは、娘ブリュンヒルデを、ジークムントの支援に向かわせようとしますが、結婚の女神・妻フリッカから横やりが入ると、一転して、ジークムントを倒すよう命じます。それでも、ブリュンヒルデは、父の命に背き、ジークムントを助けようとしますが、ヴォータンに妨害され、結局、ジークムントは死んでしまいます。ブリュンヒルデによって救われたジークリンデは、やがて、息子ジークフリートを出産。しかし、ブリュンヒルデは、ヴォータンによって、神々の世界から追放されてしまいます。そして、絶壁と炎を恐れぬ真の勇者が訪れるまで、岩山の上で、炎に包まれながら、長い眠りにつくことになりました。 ***以上、序夜・ラインの黄金と、第一夜・ワルキューレのお話しが、里中満智子さんの手によるマンガで、美しく描かれています。物語の流れがとてもスムーズで、分かりやすく、読みやすい作品です。途中にDVDソフトの紹介があったり、巻末に作品紹介があったりして、お値打ちの一冊。
2009.01.23
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「ピアニストが読む音楽マンガ」 というサブタイトルが付いている通り、 その道のプロから見ると、『のだめ』や『ピアノの森』『神童』が、 どんな風に見えるのかという、興味深い一冊。 私は、『のだめカンタービレ』は、最初から全て読み通し続けているものの、 その他の作品については、全く読んでいないので、不明な部分もあるが、 それでも、著者の述べていることには、本当に納得できるし、 また、新たな発見もあって、とても面白かった。そして、前半部のメインとなる「専門家の目から見たマンガ解説」や、「マンガとはちょっと違う、本当のところ」のお話しも面白かったのだが、それ以上に、私が興味深かったのは、後半から語られることの多くなる「音楽家への道の厳しさ」や「プロ音楽家の生活事情」である。身近にそういう人たちを、結構多く見てきたので、その辺の事情については、ある程度は知っているつもりだったが、本著を読んでみると、私が思っていた以上に、厳しい現実があることに気付かされた。音大やプロ演奏家を目指す人には、必読の一冊かも知れない。
2008.12.13
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期待した以上に新鮮で、たいへん面白かった。 おそらく、私は、本著を古本屋さんに売り飛ばすことはしないだろう。 ずっと、自分の手元に起き続け、必要に応じて、必要な部分を読み返し、 本著に掲載されている曲を聞くために、新たなCDを購入することになると思う。 私のCDライブラリーは、何と言っても交響曲が幅をきかせている。 一番多いのはマーラー、それから、ベートーヴェンにブルックナー。 そして、その他の作曲家のものも、大半が交響曲。 もちろん、同じ曲でも、演奏者が違えば、複数枚購入しているものも多い。まぁ、それでも最近は、協奏曲を、ちょっとばかり聞くようになってきた。ピアノとヴァイオリンが、ジワジワ増えてきている。今は、ピアノではアルゲリッチ、ヴァイオリンではヒラリー・ハーンがお気に入りだ。そして、来年1月にヒラリーが来日する際には、演奏会に出かける予定。おっと、話が本著の内容から、かなり遠いところへと逸れてしまったが、先に書いたような、ある意味、かなり偏ったクラシックの聞き方をしている私にとって、本著は、本当に最適の一冊だったと思う。それは、クラシックの幅広いジャンルの名曲を、悉く紹介してくれているからだ。もちろん、未知のジャンルの曲(特にバロックや室内楽、現代音楽)については、そのメインとなるメロディーすら、思い浮かべることが出来ないものが多いのだが、それが、本著を読んでいると、何だか分かったような気になってきてしまう。そして、「一度聞いてみたいなぁ」と思わされてしまう。さて、どれから聞いてみることにしましょうか?
2008.12.06
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『カラヤンとフルトヴェングラー』の続編と位置づけられるのが本著。 前作では、世界一のオケの主席指揮者として頂点に立つフルトヴェングラーから、 カラヤンがその座を奪い取るところまでの、ドロドロの権力闘争が描かれていたが、 今回は、その後のカラヤンが、オケの世界制覇を成し遂げる様を描いている。 しかし、本著に見るカラヤンには、帝王と呼ばれ、栄華を誇った輝きよりも、 全編に渡って、何とも言いようのない「憂い」を感じてしまう。 それは、手に入れたものを次々に失っていく段階からではなく、 それらを、着々と手に入れていく段階からである。人により好き嫌いはあるにせよ、カラヤンの奏でる音楽は、やはり美しい。深みがないとか、色々と言われることもあるが、聞き映えの点では、最高ランク。その点において、やはり、他の指揮者を圧倒するだけのものがあったからこそ、聴衆を魅了し、人気を集め、レコードが売れ、あそこまで上り詰めたのだろう。にもかかわらず、カラヤンほどのものでありながら、権力を拡大していく段階から、決して、順風満帆の連続ではなかったことを本著で知り、ある意味驚いた。やはり、何かを成し遂げると言うことは、とても難しいことであり、決して、楽な道のりなどないのだということを、思い知らされた。また、ずっと頂点にあり続けることの難しさも、ひしひしと伝わってきた。上り詰めれば、その後に待っているのは、必ず下り坂であり、それを、どのように下っていくのかが、本当に難しいと思った。それを下りと感じさせないような、歩き方は、果たしてあるのだろうか?さらに、人と人との関係というものも、その時々で変遷し、良い関係を持続するということが、いかに難しいかということも、改めて感じた。生きるということは、そして、人の世で生きるということは、かくも難しく、そして、波瀾万丈、十人十色なのであろうか。
2008.04.27
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『のだめカンタービレ』コミックス巻末、 「取材協力ありがとうございました!」の欄に登場する 茂木大輔さん(NHK交響楽団主席オーボエ奏者)が、この本の著者。 今、見直すと、そのことは、ちゃんとコミックスにも書いてありました。 でも、私は、そんなことに全く気がつかないままに、本書を購入していました。 そして、本著を読み終えて、しばらく経った頃、本屋さんに立ち寄った時、 同じ本が、やけにたくさん平積みしてあり、その帯に「のだめ」が、描かれてるのを見て、 「あ~、そう言えば、どこかで見た名前だと思った。」と理解した次第。本著は、プロの楽器演奏者を、著者が楽団の中で観察し、そこから得られた情報を、綿密に分析して書かれたもの。まぁ、学問的には、かなりいい加減なもののようですが、書かれてある内容は、ズバリ的を得たものと感じます。それは、アマチュアの楽器演奏者ですら、その担当楽器と、演奏者の性格との間には、相当な関連性があると、私自身も強く感じていたからです。本当に、それぞれのパートの性格ってあるんですよね。その、パート別性格がつくられていく要因を、それぞれの楽器の、楽曲における役割や、その楽器の醸し出す音質・音域・旋律等を分析し、著者自身の独断や、周囲の声も取り込みながら書かれたのが本著。その結果、楽器演奏に携わっている者なら、誰でもが納得できる内容のものに仕上がっています。「この有名人なら、こんな楽器を担当しそう」という部分は、とても興味深く、「自分ならこれを演奏させたい」とか、色々考えながら読んでました。ただ、『文庫版特別研究』の部分は、突然、化学・化学していたり(苦手です……)、かなりマニアックな内容だったりしたので、なかなかついていけなかったです……。
2007.08.06
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この本のタイトルは、 なぜ『カラヤンとフルトヴェングラー』であって、 『フルトヴェングラーとカラヤン』ではないのか? カラヤンよりフルトヴェングラーの方が、22歳も年長であったのに。 カラヤンがまだ若く、職も得ていない時期に、 フルトヴェングラーは、すでに押しも押されもせぬ「巨匠」であったのに。 そして、私が持っているCDの数は、 カラヤンのものよりもフルトヴェングラーのものの方が、 はるかに多いというのに……。それは、やはり『フルトヴェングラーとカラヤン』よりも、『カラヤンとフルトヴェングラー』の方が、「言いやすい(語呂がよい)」からなのか。それとも、世間一般的に見た場合、カラヤンの方が、馴染みが深い(つまり、知名度が高い)と言うことなのか。そして、この本は、三人の指揮者の物語なのに、この本のタイトルは、なぜ、『カラヤンとフルトヴェングラー』であって、『カラヤンとフルトヴェングラーとチェリビダッケ』ではないのか?チェリビダッケは、フルトヴェングラーとカラヤンが、戦後、共にナチに協力した容疑者として失業している頃、ベルリンフィルを連日指揮して支えたのに。フルトヴェングラーが、復帰した後も、ベルリンフィルは、彼とチェリの二頭体制で運営され続けたのに。 それは、やはり、世間一般的に見た場合、チェリビダッケは、馴染みが薄い(つまり、知名度が低い)と言うことなのか。それとも、わたしのCDライブラリーに、チェリビダッケのものは、今、一枚も無いからなのか……。 ***指揮者三人を軸にストーリーは展開するものの、そこに、音楽そのものに関する言及は、ほとんどありません。本著で繰り広げられるのは、ベルリンフィルという「世界一のオケの主席指揮者」の座を巡る想像を絶するような、ドロドロとした権力闘争。世間一般を生きるものにとっては、通常、知る術もない世界。そこには、並々ならぬ権力への執着や、嫉妬の嵐、策略等々が満ちあふれていました。そして、それらは、何十年にも渡って、繰り広げられただけでなく、死してなお、その存在が、生き残った者を苦しめ続けた。まさに「呪縛」から、決して解き放たれることのない世界。「超一流」と呼ばれる者だからこそ、背負い続けねばならない苦しみ……。 ***「レコード」や「CD」「映像」に対するカラヤン、フルトヴェングラー、チェリビダッケが見せる姿勢の違いを示した部分は、三人が音楽というものに何を求めたかをよく伝える逸話で、とっても興味深かったです。そして、私は、ついさっき、チェリビダッケのCDをネットで注文しました。
2007.03.21
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「のだめカンタービレ」の世界への入門書。 マンガを読んだり、テレビでドラマを見たけれど、 実は、クラシック音楽はあんまりわからないという方にもお勧め。 より深く「のだめ」の世界に浸るために、 作曲家や楽曲の「豆知識」を読みやすくまとめてくれています。 そんな中、私自身が興味を持ったのは、 作者の二ノ宮さんのインタビュー記事と 作曲家・大澤さんのインタビュー記事。「のだめ」という作品が世に出るまでには、こんな努力の積み重ねがあったのだと知り、この作品の持つ底力を感じました。だからこそ、これほどまでのベストセラーになり得たのだと納得してしまいます。ストーリーの解説も掲載されていますが、軽めにサラッと流してくれているので、先にこちらの本を読んで、クラシックに関する蘊蓄を身につけてからマンガを読んだり、ドラマを見たりしても「先が分かってておもしろくない!」なんていうことはならないでしょう。私自身も、マンガはまだ#1を読み終えたところ。これから、#2に取りかかります!
2007.01.03
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私は、かなりのマーラーファン。 とりあえず、交響曲は全曲について複数のCDを持っているし、 「大地の歌」や他の歌曲についても、結構(ほとんど?)CDを集めました。 演奏会も結構聴きに行きましたが、 一番印象に残っているのは、 朝比奈隆さんの指揮による大フィルの「第2交響曲復活」。 とても素晴らしい演奏で、その時の模様はTVでも放送されました。さて、そんなマーラー好きの私ゆえ、この作品も読んでみようかと思ったわけです。でなければ、誰でもが皆、手にしようと思うような書籍ではないですよね……。表紙には、スコアを背景にグスタフ・マーラーの写真。副題は『生の歌 死の歌』。ところが、この一冊から私が得たものは、ヒトラーという人物について、これまで自分が何も知らなかったという事実への気付き。彼が、なんと芸術家志望だったとは……しかも美術大学受験に2度も失敗し、その後、建築家への夢も破れる……。また、生まれはオーストリアで、兵役を免れようとミュンヘンに移住した……。ところが、第1次世界大戦が勃発すると、オーストリア国籍のままドイツ帝国の志願兵に……。ヒトラーという人物を「歴史的大悪人」という看板でしか見ていなかったこと、そして、彼もまた人間であったと言うことを気付かせてくれた一冊になりました。もちろん、それ以外に、音楽作品や音楽家についての新たな発見もとても多く、この本を先に読んでいれば、メータ指揮のイスラエルフィルの演奏を聴きに行った時の感動は、より一層深いものになっていただろうと、少し悔やまれました。
2006.05.14
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3月17日(金)に、TVで 「エピソード1~堕天使~」を見ました。 そして翌3月18日(土)の午後、本書を購入。 「エピソード1」に関連の部分だけ読みました。 夕食を食べながら、昨日「エピソード1」を見損ねた同居人と一緒に 録画した「エピソード1」を改めて見直してから、 「エピソード2~悪魔降臨~」を鑑賞、その後すぐに本書を読破。 「女王の教室」に明け暮れた2日間でした。ドラマの方は、期待に違わぬ内容。天海さんのホワイト・グレー・ブラックのそれぞれの真矢の演じ分けに拍手!それに比すると、本書の方は、前作「女王の教室ザ・ブック」の出来が結構良かっただけに、多少の物足りなさが……。でも、ファンとしては、是非とも手元に置いておきたいものですね。編 者:日本テレビ編発行所:日本テレビ放送網株式会社
2006.03.19
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おそらく、何も知らないまま いきなり読んでも分かりにくいと思います。 ちゃんと、ドラマを見てから読めば、 かなり内容のある一冊と言えるでしょう。 「真矢の正論、子供の反論」は良いですね。 このドラマのエッセンスが、上手くまとめられています。 その一言一言を読み返してみると、 いかにこのドラマが、深いものであったかが分かります。「阿久津真矢の過去に関する8人の証言」は、脚本家である遊川さんが考えたものではないと思いますが、これを素直に受け取っていいのでしょうか?やっぱり、この本を出版するにあったってのあくまでも、スペシャル・エピソードととらえるべき?劇中テレビ番組「エンタの悪魔」など、思わず「へぇ~っ!!」という情報も、嬉しい。しかし何と言っても良いのは、6年3組の子ども達と真矢が一緒に写った記念写真です。編 者:日本テレビ編発行所:日本テレビ放送網株式会社※ この記事は、他サイトに2005年09月19日に投稿した記事を 移転したものです。
2006.02.03
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