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第九章 敵する者たち


 第九章 敵する者たち


「お・・・っ、お、お前!」
 桃太郎は、例のごとく人間の言葉を話し始めたキジを見た。キジはというと、いきなりその翼を大きく広げ、桃太郎のことをじっと睨みつけた。
 何をする気だ?桃太郎はとっさに身構えた。さっき空中を舞っていた時のスピードはかなりのものだった。もし猿を盗まずに攻撃を仕掛けてきていたなら、危ういものがあったかもしれない。
 桃太郎はそんなことを考えながらキジの様子をうかがっていた。しかし、キジは全く微動だにしない。
「やるのかよ」
 桃太郎は腰の刀に手をやった。二人の間に沈黙が流れる。海からの風のみが、耳元で音を立てて通り抜けていった。
 しかし不意に、キジはこう言い放った。
「う、ううううううう、うまいじゃないかぁ!」


 大きな門を抜けると、そこには石畳の広場があった。その広場の周りには幾つも松明が灯してあり、背後にある建物は、夕日の残り火のような色をした光で照らされ浮き上がって見えた。
 ここは要塞だった。少なくとも、桃太郎の目にはそう映った。
 山頂には大きな岩が幾つも突き出しており、それがちょうど建物のある部分、集落を取り囲むように配置され、それらの間には丸太で作られた高い防壁が築かれていた。山の傾斜といい高さといいこの防壁といい、ここはどんな敵の攻撃にも耐えうる場所のようだった。
 門番と、物見やぐらの上の見張り番が厳しい目つきで桃太郎たちをを迎えた。広場には、刀をさした数人の男たちがおり、やはり彼らも鋭いまなざしでこちらを見ている。彼らは黒い忍び装束を着ているため、頭巾はしていないにしてもほとんど夜の闇に溶け込んでしまっていた。
 えらく警戒している。ふもとの様子とはえらく違うものだな、と桃太郎は思った。
 背後では門が重たい音を立てて閉じられた。桃太郎と犬は並んで広場の中央まで歩いていき、ぐるりと周囲を見回した。犬は物珍しそうに感嘆の声を漏らした。周囲には茅葺きの屋根が並び、広場を挟んだ向かい側には太い木の柱や梁が目立つ大きな建物があった。これほど立派に集落ができているものとは思ってもみなかった桃太郎は釈然としない心持であった。
 門番と何か言葉を交わしていたランだったが、用を終えたらしく、腰に手を当ててこちらにやってきた。彼女の右肩には、先ほどの災難は嘘だったかと思うほど涼しい顔をした猿が乗っている。
「ここが私たち一族の村よ」
 桃太郎はもう一度辺りを見回した。
「なるほどね」
 桃太郎が建物の間にある闇に目を凝らすと、そこには誰かがいる気配がする。姿は見えなくても沢山の人間が見ているようだった。
「みんなで歓迎ってことか」
 桃太郎はつぶやいた。
「あの正面の建物に父がいるわ」
 先ほど見たあの大きな建物を指してランが言った。夜の闇と炎の光によって深い緑色に染まった髪がさらりと揺れる。
「彼と会うのか?」
 桃太郎は少し首をかしげてみせた。
「もちろん」
 ランは毅然とした口調だった。桃太郎は、やれやれというふうに天を仰いだ。
「ここまで来たからには、仕方ないな。ところで・・・」
 桃太郎はちらりと後ろを見た。
「あいつはどうする?」
 彼らから十数メートル離れた地面に例のキジがいた。じっと身構え、いつでも飛び立てるような格好をしてこちらを見ている。二人が見ていることに気付いたらしく、キジはぴくんと体を動かした。
「な、なに見てるんだ・・・!何なんだよ!」
 明らかに慌てているキジを見て、桃太郎はため息をついた。
「敵なんだってさ。オレたち」
「敵?」
 ランが不思議そうな顔をして言った。
「ああ」
 桃太郎は、門の前であったキジとのやり取りを思い出していた。




「何怒ってんだよ、お前」
 だんごがうまいと言ったくせに、キジは桃太郎を睨みつけたままである。
「何だって?怒ってる?うるさい!悪い忍びの一族に味方するなんて、お前も敵だな?」
 キジは羽をばさばさと振るって声を上げた。
 桃太郎は下唇を突き出して不満そうな表情を浮かべた。
「おれが敵?それに、悪いって何が?」
 するとキジはかなり動揺した様子でこう返した。
「悪い?そ、そ、そ、それは、それはぁ・・・・・・わ、悪いから悪いんだっ!みんながそう言ってたんだっ!」
「はあ?みんなって誰だよ」
 このキジはどうしてこんなにおろおろしているのだろうか。桃太郎にはキジが彼のことを怖がっているように見えたが、しかし、そんなに怖いのならどうしてここに来たのだろうか。それがとても不思議だった。キジは質問されるたびに動揺して、見ているほうにもその感情が移ってきそうなほどになっている。桃太郎は眉をひそめた。
「みんなは・・・みんなとは・・・・・・き、聞くなぁっ!」
「じゃあ聞かねえよ」
 桃太郎はほとほと呆れてしまった。
 このキジがどういうことを言っているのかよく分からないが、今敵となると、あの猿が言っていた大名たちのことだろうか。彼らのところでキジが飼われていたっておかしくは無いだろう。しかし考えすぎか。離れ小島に住んでいる何か分からない集団なんて、海賊と似たようなものだと思われているだろうから、敵意を持つ人間は少なくないはずだ。
「一応聞くけど、お前は何なんだよ。猿盗んだりして、どういうつもりなんだ?」
「猿?」
 キジは、小さな丸い目をさらにまん丸にして言った。
「猿は・・・おれはここの猿が嫌いなんだっ!悪者に味方なんかしやがって、フン!」
 キジはその細い首をくるりとそむけた。前の質問よりも少し確信があるような口調であった。
 猿のことはよっぽど嫌いなようだ。あの犬とは大違いだなと、猿を背中に乗せても平然としていた犬の姿を思い出した桃太郎は思った。
「よく分からんが・・・まあいい。お前と付き合ってる暇は無いんでね」
 そう言って桃太郎はキジに背を向け、門に向かって歩き始めた。
 だがしかし、キジは急に大声でわめいて桃太郎を止めた。そして、とても真剣な目をして尋ねた。
「お前、話したよな?おれに向かって話したよな?なぁ?」
 唐突な質問に、桃太郎はきょとんとしてキジを見た。
「ああ・・・話したけど」
 桃太郎の答えにかぶるほどの早さでキジが言った。
「お、お前、どうして話せるんだ?」
 どうして話せるかだと?桃太郎は少し考えた。そして言った。
「人間だし」
 するとどうも納得のいく答えではなかったらしく、キジはかんしゃくを起こした。
「ど・う・し・て、人間が!キジと!話せるかってことだよォ!」
 爪のついた足で地団駄を踏んでいる鳥の姿は、実にこっけいだった。
 何も気付いていない。またしても桃太郎は呆れた。もう少し落ち着いてみたらどうだ、と忠告するべきかとも思ったが、彼はただ質問に答えるだけにとどめた。
「・・・お前が話せるようになったんだって」
「んんん、何?」
「だから、お前が話せるようになったの」
「・・・・・・」
 キジは言葉を失ってしまった。くちばしが真一文字に閉じられ、目だけがぱちぱちとせわしなく動いている。仕方なく桃太郎はもう一度言ってやった。
「お前が話せてんの」
 それでもまだしばらく黙っていたキジだったが、少しして、震える声で言った。
「おれが・・・?」
「そうだ」
 するとキジは、桃太郎の白い眼にも気付かずに、うつむいてぶつぶつと何か独り言ち始めてしまった。
 これ以上こいつに関わっていても仕方がない。桃太郎は再びキジに背を向けると、門に続く道を登り始めた。
 だがしかし、そんな桃太郎の背後ではまた、大声が上がった。
「ええええええええええええええええええっ?!」




「じゃあ、何でついて来たのよ?」
 ランは怪訝な顔つきで桃太郎の顔を覗き込んだ。
「・・・知るかよ、そんなこと」
 桃太郎はふてくされた様子で顔をそむけた。
「みなさーん、どうしたんですか?」
 なぜか楽しそうに広場中を駆け回っていた犬が、はあはあと舌を出してやってきた。
 広場は結構な広さがあったから、駆け回りたくなったのだろう。やはり犬は犬のようだ。桃太郎は苦笑いしながら犬の頭をなでてやった。
「分かった、分かった。じゃあ、行こう」
 二人と二匹と、少し距離を置いて一羽は、広場の向こうへ歩き出した。

 側に来てみると建物は思った以上に高くそびえていた。屋根は周りの低い建物と同様に萱でふかれていて、とても頑丈なつくりをしていた。土を盛って作られた土台の上にそれは建てられており、中に入るには五・六段ある階段を登らなければならなかった。入り口の左右に突き出した梁からは、鉄のかごに入った松明がつるされ、そこから細かい火の粉が飛んでいた。
 歩みを止めることなく段を上っていくランの後ろで、桃太郎はこれから会う鬼ヶ島の長がどんな人物なのかを考えていた。
 建物の中に入るとすぐ、広い板張りの広間になっていた。そこは広さの割には簡素なつくりをしており、桃太郎はその静けさに驚いた。座禅でもできそうな場所だな、と彼は思った。
「こんばんは。よく来てくれたね、桃太郎君」
 気が付くと、広間の端には一人の男が立っていた。背が高くがっちりとした体格で、口にはひげを蓄えている。目は細く鋭く、髪の色はランの髪よりももっと濃い緑色のように見えた。濃紺の着流しにトラの革でできたチョッキを羽織っているので側にいるランと見比べていると、彼女はこくりとうなずいた。この男がランの父親、鬼ヶ島の長であった。
「山登りは大変だったろう?」
 そう言いながら長はこちらにやってきた。彼の顔にはにこやかな表情が浮かんでいて、それは彼の目の鋭さを和らげていた。
「・・・ええ、まあ」
 桃太郎は、長の姿をじっと見ていた。この男はどういう人物なのか。彼は、この男がどこかつかみ所のない雰囲気を持っているのを感じ取った。
 彼の従者らしき男がわらで編まれた座布団を用意し、二人は腰を下ろした。
「かまわないかな」
 長はにこりと笑い、懐から細長いキセルを取り出した。そして桃太郎の了承を待つことなく従者に火を求めた。
 ランは猿を肩に乗せたまま奥へ向かい、入り口には犬とキジが互いに少し距離を置いて座っていた。
 そして、二人は世間話などすることもなく、すぐに本題に入った。
「桃太郎君、ランから話しは聞いているだろう?」
「・・・ええ」
 実際には猿から聞いたわけだが、そんなことはかまいやしない。ただ、この話を聞いたときからあるもやもやした感情がのしかかっていた。
 長は一度煙を吐くと、今までの柔らかい表情を解いて言った。
「・・・単刀直入に言おう。私たちと、手を組んで欲しい。危機が迫っているんだ」
 長は桃太郎の目をじっと見つめていた。桃太郎も負けることなく彼の目を見返したが、しかし、この男の持つ隠れた威圧感から逃れることはできなかった。
 長は、桃太郎に確信を与えるかのように続けた。
「私たちと、君たちの危機なのだよ」
 しかし、桃太郎は不満げな顔をして言った。自分が相手の言葉を受け入れられるほど素直な人間ではないことも分かっていた。だが、どうしても腑に落ちない。
「どうしてそうだと言えるのですか?何が起こるにしても、そんな話どこからも――」
 桃太郎はありったけの反論を用意していたのだが、長はすぐに彼の言葉をさえぎった。
「海賊の情報網に全く何も引っかかっていないわけはないんだがね」
 桃太郎には、その声が驚きと少しの嘲りを含んでいるように感じられた。
 心臓が高く鳴った。
「じゃあ、親父はこのことを知っていたと?」
 長はまた一つ煙を吐いた。煙は、螺旋を描いて昇ってゆく。
「近頃船の往来が減っていたのは、大名の手下たちがこのあたりで動き回っていたからなのだよ。きな臭さを嗅ぎつけて、商人たちはここを避けるようになっていたんだ。そこまで兆候が現れているのに、気付かないほうがおかしい」
 桃太郎は視線を落とした。
 オレは何も知らなかったというのか?オレは首領の息子だから特別だということもなく、今までずっと他の仲間たちと一緒に船に乗って闘ってきた。自分の周りで何が起こっているのかもちゃんと分かっていた―――― つもりだった。もしかしてそれは、つもりだっただけなのか? ただ親父や仲間に守られた、保護された中でそんなふうに錯覚し続けていただけだったのか? 違う、そんなはずない。もし親父が知っていたのならば、オレを送り出す前に何か言ったはずだ・・・・・・。
 桃太郎はつぶやいた。
「・・・忍びと海賊は違う」
「まあ、そうだな」
 長は呆れていたのか残念だったのか、肩をすくめてみせた。その姿を無視して桃太郎は立ち上がった。
「とにかく、オレは納得いきません。今まで敵対関係にあったようなものなのに、いきなり手を組まないかなんて。危機が迫っているのをこの目で見たわけでもないのに、ここで今オレがとやかく言うべきじゃない」
 桃太郎は背を向けて、入ってきたほうへと歩き始めた。すると長は言った。
「慎重になるのは大切なことだ。しかし、君が首領になるのなら、君の決断が必要なのだよ」
 桃太郎は立ち止まった。少しの沈黙の後、彼はこう言った。
「・・・・・・少なくとも、今の首領はオレじゃない」
 惨めだった。一人前の顔をしてこんなところに来てみたものの、オレはなにもできやしなかったじゃないか。一体オレはどういうつもりだったんだ?
 彼は、唇をかみしめた。
「どうしたの?」
 その時ちょうど、ランがお茶を入れて戻ってきた。彼女は父親と桃太郎とを交互に見ていたが、どんな状況なのかつかめない様子だった。
「帰るのかね?朝になるまで待ったらどうなんだ?」
 長は間延びした声で言った。
「いいえ、結構です。夜の海くらい慣れてます」
「待ってよ!」
 立ち去ろうとした桃太郎の着物の袖をランがつかんだ。
 彼女は桃太郎を責めるような目で見つめている。しかし桃太郎は、もうこれ以上ここに居られないと思った。
「・・・悪い」
 ランの手を振り解き、桃太郎は階段を下り始めた。すると背後で笑う声がした。
「ふふ・・・。君は本当に父親そっくりだな」
 彼は足を止めた。
 長は、意味ありげな笑いを浮かべて彼の背中を見ていた。
「頑固なところがね。一度言い出したら絶対に引かない」
 桃太郎はゆっくりと振り向いた。頭の中で引っかかっていたもう一つの何かが、動き始めた。
「ああ、そうそう。首領さんではなく、もうひとりの父親のことなんだがね」
「・・・もうひとり」
「せっかく来てもらったのだから言っておこうか。君の実の父親のことを」
 長は悠長にひげをなでながら言った。
「本当にいるというのか?」
 桃太郎は畳み掛けるように尋ねた。
 ランは驚いた表情で父を見た。
 長はまた一つ青白い煙を吐き出した。そして、たいしたこともないという風にこう言った。
「彼は大名側につく武将の一人でね。つまり・・・我々の敵だ」
 一瞬、心臓の鼓動も呼吸も何もかもが止まった気がした。「お前は本当の親に会うべきだなって――― 」その言葉を言った首領の顔が目の前に浮かび、そして消えた。桃太郎の頭には全く何の言葉も浮かんでこなかったが、それでも彼は何かを言葉にしようと口を開いた。が、彼が声を発するよりも早く長は言葉をつないだ。
「そしてもう一つ。実を言うと、君を海賊島に帰すわけにはいかないんだ」
 長のその言葉と同時に、広間の左右、階段の下から何人もの男たちが現れた。彼らは門の側や広場にいた男たちと同じ黒装束をしていて、じわじわと桃太郎を挟み撃ちにする体勢をとった。
「どういうつもりだ!」
 不意を突かれた桃太郎はどうすることもできず身構えた。
 次の瞬間男たちは一斉に桃太郎に飛びかかった。混乱した頭の中であってもとにかく逃げなければならないという本能が働き、桃太郎は必死で彼らの手をかわし続けた。何が起こっているんだ?一体何がどうなっているというんだ?!刹那、彼の脳裏には故郷の島の姿が浮かんだ。
 その時、一人の男が広場のほうから走ってきた。そして階上に向かって叫んだ。
「長!門の外に、海賊と名乗る男が二人。桃太郎を出せと叫んでいます!」
 その声を聞くや否や、桃太郎は隙をついて二人の男を弾き飛ばすと飛ぶような速さで階段を駆け下り、広場を突っ切り、門の側の見張り台によじ登った。彼の後ろには犬とキジが続いたが、その時彼らは全く追いつけなかった。
 桃太郎は見張りの男を押しのけ門の外を覗き込んだ。すると、そこには見覚えのある顔が二つ。かなり急ぎの用だったらしい。二人とも肩で息をして地面にへたり込んでいた。
「・・・モモさん!」
 二人は桃太郎の姿を見つけると、救いの手が差し伸べられたかのように声を上げた。
「彦!長次!どうしたんだ!」
 仲間のただならぬ様子に桃太郎は驚いた。胸の奥で不吉な予感が湧き上がる。
 仲間の一人が言った。
「島が・・・やられてます!」                      

第九章 完

第10章に続く

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