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このエレベーターの扉、見たことありますか? たくさんの方が利用したと思います。 答え 中合百貨店のエレベーターの扉です。 昭和48年の福島市街図です。 信夫山が見えますね。 もう一基は会津磐梯山の等高図でした。 思い出に写真を撮りました。
2019.05.06
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4月29日は昭和の日。 福島市豊田町の旧電車通りを歩いてみました。 光月堂からの眺め つるの湯 理容クマガイ フラワーサイノ 濱屋商店 理容シシド 仙台口の説明板(豊田町郵便局) 豊田町郵便局からの眺め
2019.04.29
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福島市民家園には旧筧家宿店が建っていました。 旧所在地は福島市上鳥渡で旧会津街道と旧米沢街道の分岐点にありました。 宿場宿の様子をうかがわせる貴重な建物です。 1階ではタバコが販売されており、2階は商人宿の看板が設置されています。
2019.04.28
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福島市民家園には国指定重要文化財の旧広瀬座があります。 明治20年に建てられた伊達郡梁川町の芝居小屋です。 当時の芝居小屋の様子がうかがえます。
2019.04.21
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福島市民家園には歴史的建造物が保存されています。 紅葉館は薩摩藩士世良修蔵が仙台藩士らに襲撃された割烹旅館として有名です。 昭和60年ごろまで福島市北町にありました。 地図は昭和30年の福島市観光ガイドの地図です。
2019.04.20
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チェンバおおまちで近代福島の歴史的建造物展が開催されていました。 お目当は昭和30年の観光福島市ガイドです。いろんな発見が出来ます。
2019.03.31
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道の駅米沢には栗子隧道碑記が設置されていました。 また道の駅には栗子山のモニュメントが飾られていました。 険しい山を削った二ツ小屋隧道や栗子隧道が見れます。
2018.09.17
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「大平集落へ」の記事の閲覧数が何故か多いのです。 現在、閲覧数が8600余りになりました。 2011年6月、私が訪問した時は、大平分校は既に取り壊されていました。 ふるさと100年のあゆみ写真集には大平分校の写真が載っていました。 説明文として、 大笹生小学校大平分校 昭和24年4月に大笹生小学校大平分校が創立された。(2学級編成 教師2名、生徒数43名、PTA会員21名)昭和45年3月廃校となりその後、野外活動の場として活用された。 昭和57年大笹生字大平地内撮影と書かれています。 大平分校、大笹生小学校の分校と書かれていたり、庭坂小学校の分校として書かれていたりします。 また、別の記事では、DASH村の候補地のひとつだったとか⁈
2018.08.27
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石畳を見て興奮冷めやらぬ間もなく、来た道を帰ります。 峠越えの歩きはやはり、きつかったです。 昔の人はどのくらい歩いたのでしょうか? 今の自分は、庭坂宿場から李平宿場がやっとのことかなと思います。 帰路の李平宿場跡を過ぎると、伐採されて景色が綺麗な場所が現れます。 奥羽本線が見れます。 8時に家を出発して、11時半に戻ってきました。 嫁さんは、大好きなカレーライスを作ってくれていました。 今日は、念願の石畳が見れた日でした。 石畳の先は、どうなっているのか? そんなことが頭を持ち上げてきています。 おわりです。
2018.08.18
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石畳かなと思いながら、さらに進みます。 遠くに標柱が見えました。 史跡 旧米沢街道 石畳と書かれています。 ついにこの日がやってきました。 初めて見る石畳です。 街道物語の表紙の写真を見てから、心ときめいた石畳です。 石畳の大きな石に乗ってみました。 何度も記念に写真を撮りました。 万世大路、奥羽本線が出来るまでは米沢街道が主役でした。 いにしえの人が通った道を現代人が歩いてみました。 この道を歩いて思ったこと、昔の人は足腰が強かったと思います。 本日の歩行は約9キロ、1万4000歩でした。 峠の登り下りは結構きつかったです。 家に帰ったら、足の指が攣りました。 つづく。
2018.08.18
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不動明王様の先に進みます。 この後、七曲りの道を歩きます。 しばらく歩くと標柱が目に飛び込んできました。 画像の右側です。まっすぐは通行止めになっています。 史跡 旧米沢街道 石畳 入口の標柱です。 標柱のある道を下りていきます。 旧米沢街道、板谷街道です。 標柱には解説が書いてあります。 李平の石畳は安政六年(1859年)に改修されたものだそうです。 その先はぬかるみの道です。 大きな石もゴロゴロしています。 オフロード車でもこれは無理というものです。 本当に石畳があるのだろうかと思ってしまいました。 しはらく泥道と格闘しながら見えてきたのは..... これは石畳ではないでしょうか? さらに進みます。 つづく。
2018.08.18
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李平宿場跡の標柱で一礼し、大正7年までここに住まれた方のことを思い浮かべながら先を進みました。 まもなく、鳥居が現れます。 以前訪問した際は急峻な階段を登りましたが、今回は石畳がメインですのでそのまま通りすごしました。 そしてお地蔵さんが待ち構えています。 そして不動明王様、この雰囲気は、ここに来ないと感じることはできません。 前回訪問はここまででした。今回は石畳を見るためにさらに進みます。 つづく
2018.08.18
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朝、早く目が覚めました。 無性に板谷街道の石畳に会いに行きたくなりました。 前回は途中で断念しました。 今回は悪路からは徒歩で行こうと思ったのです。 いざ出陣! 前回、車を引き返した場所です。 今日は徒歩ですので大丈夫です。 林道北山線の標識です。 そこからの景色です。 左側の道が板谷街道です。 急に景色が開けました。 奥羽本線の線路が見えます。 秘境駅の赤岩駅も近くにあることでしょう。 さらに進みます。 李平宿場跡にでました。 この場所に来るとゴーゴーと風の音が強くなります。 なぜか霊気を感じる場所です。 李平宿は慶長18年ごろ、上杉氏の家臣、阿部薩摩が開いたと伝えられています。庭坂から県境の板谷までの間は厳しい難所でした。その間に李平宿がつくられました。 阿部氏が代々、名主と検断役を兼務しました。李平宿は上杉氏の参勤交代や廻米輸送のために設けられ、上杉氏の保護のもとに維持された宿です。坂道が多く、輸送には牛を使うことが多かったそうです。 つづく。
2018.08.18
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先日、断念して引き返した李平宿場跡の先にある旧米沢街道石畳を見ることができました。 上杉景勝、直江兼続、前田慶次らが通った旧米沢街道、 私も足を踏み入れました。 詳しい記事は後ほど。
2018.08.18
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ふるさと百年のあゆみ写真集。そこに吾妻地区、市民生活に李平付近にて、というタイトルの写真がありました。 大正10年に家族で撮影された。と注釈があります。(滝川次男氏提供)の貴重な写真です。大正7年に廃村になっているという記事もあり、何かで皆んなが集まった記念写真かも知れません。
2018.08.16
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街道物語の表紙を飾った板谷街道の李平宿の石畳。この目で見ておきたかったので新車でGo!李平宿を目指します。清水観音の道しるべが通過点です。どんどん進んで行きます。以前何度か走った記憶が蘇ります。ここから細いくねくね道になります。途中から舗装ではありません。路肩注意の標識もあります。断崖絶壁の場所もあります。伸びた草が車のボディーを擦ります。凸凹道でオイルパンをガツンとぶつけました。林道高津森線の起点の標識がありました。ここを通れば、まもなく李平宿になります。その先に石畳の史跡があります。しかし、新車を傷つけたくないし.....路面凸凹注意の標識が立っています。ここから歩いて石畳を目指そうかと思いましたが、ここは勇気ある撤退です。来た道を引き返しました。対向車が来たらとうしようかなと思いながら慎重に運転して戻りました。戻って来た道を振り返ったのでした。李平宿場の石畳見学会は、ウォーキング会でやることがあるそうです。機会があれば参加したいと思います。帰り途、見晴らしの良いところで福島市街を眺めました。ブログの記事を見ると2012年10月5日に李平宿場、不動明王様のところまで訪問していました。李平宿場跡の記事は→こちら李平宿場跡の先にあるもの→こちら不動明王様の記事→こちら
2018.08.14
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6月9日の会津米沢街道歴史ウォークより 米沢街道と松並木がそのまま残っています。 天正13年(1585年)、伊達政宗の先陣隊が桧原に引き返したと言われる退頭(たいがしら) 樹齢500年を超える松、室町時代から旅人を見送っていました。 第3給水所では甘酒、ワカサギの唐揚げ、キュウリの漬物を頂きました。
2018.06.10
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念願の会津米沢街道歴史ウォークに参加しました。 毎年、この日は仕事にぶつかっていましたが、今年は大丈夫でした。 今回で11回目を迎えるウォーキング大会です。 戊辰戦争150年目の記念すべき大会となりました。 1868年8月23日から26日まで新撰組は大塩裏磐梯温泉に滞在しました。 米沢街道は、直江兼続、前田慶次、伊能忠敬、吉田松陰、新島八重、新島襄も通っています。 開会式のセレモニー エイエイオーの掛け声でスタート 米沢街道目指して歩き始めます 旧街道入り口に入ります 結構急な坂道です ウォーキング日和、そして森林浴です 途中、3箇所の休憩所では麦茶やキュウリ、粟饅頭、甘酒、ワカサギの唐揚げ、漬物と美味しいものを頂きました。 そしてゴールすると豚汁を振舞ってもらいました。 郷土芸能や歴史家のお話があり 最後に抽選会もありました。 初めて参加した北塩原村のウォーキング大会、戊辰戦争と旧街道の組み合わせが良かったですね。 食材をふんだんに提供していただいてどれも美味しかったです。 参加料1000円は安いですね。 すぐに定員オーバーになるのがわかりました。
2018.06.09
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うつくしま・みずウォーク2018、福島大会に参加しました。 地蔵原堰堤です。 7年連続の水質日本一の清流、松川です。
2018.05.12
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注文していた街道物語を取りに本屋さんへ行きました。表紙から気に入りました。旧街道の石畳です。 旧米沢街道、李平(すももだいら)近くの石畳はこの目で見ておきたいですね。街道物語では通行止めだったようで残念だったです。 李平宿場跡訪問の記事は→こちら李平宿場跡の先にあるもの→こちら李平宿場跡、神社の鳥居そして→こちら不動明さまの記事→こちら今日のお昼は薫寿というラーメン屋さんでした。私は醤油豚骨、嫁さんは春の野菜ラーメンでした。このお店は若い女性スタッフだけでした。
2018.05.05
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4月29日のこと 明治21年(1888年)7月15日、磐梯山が噴火して米沢街道や桧原宿は桧原湖の底に沈みました。 湖底に水没した五輪の塔を引き上げ、今は水没した桧原宿を望むかのように並んでいます。
2018.05.01
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例年、4月29日は郡山シティーマラソンに参加していましたが、今年は北塩原村に出かけました。 会津米沢街道に興味が湧き、博物館に行ってきました。 6月のウォーキング大会が楽しみです。
2018.04.29
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万世大路のことは下の案内板に要約されています。廃道区間に残る二ツ小屋隧道の写真、栗子新道画図が掲載されています。 私の万世大路のお奨めスポットは→こちらもうひとつの案内板は、福島県里程元標、福島市道路元標についてです。万世大路に道路元標、どちらもこの数年興味のあったことでした。この二つが案内板で解説されています。ここは、とても嬉しい場所となりそうです。
2018.04.09
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万世大路見学時の、二ツ小屋隧道、栗子隧道の記事を別ブログに掲載していましたが、備忘録としてこちらのブログにも掲載します。①二ツ小屋隧道は2011年7月9日が初めてのご対面でした。記事は→こちら②栗子隧道福島坑口は2012年5月19日に初見参福島坑口往路記事は→こちら福島坑口復路記事は→こちら③栗子隧道の写真は→こちら④昭和12年栗子隧道の写真との比較→こちら⑤万世大路のお勧めスポットの記事は→こちら⑥栗子隧道米沢坑口は2015年5月17日に初見参→こちら旧万世大路で見かけた花々の写真は→こちら
2018.02.17
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4月23日のこと飯坂学習センターに寄ってみた時に、興味深い写真が展示されていました。昭和60年ごろの梨平地区(摺上川ダム水没部落)と書かれています。摺上川橋の錦絵そして万世大路絵図です。この日の花桃の里は満開でした。
2017.05.08
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三島通庸は、高橋由一に栗子山隧道西口の油絵を依頼していましたが、御用写真師として菊池新学も雇い入れ、山形県で施工したすべての土木事業を撮影させています。菊池新学の写した写真は、一組84枚のアルバムとして明治天皇に献上されています。撮影した写真と当時使用したカメラが、旧東村山郡役所(「旧東村山郡役所資料館」)で見ることができます。山形県写真帖より(明治の栗子山隧道)南置賜郡栗子隧道 東口(福島側)a posted by (C)coolway2南置賜郡栗子隧道 西口(米沢側)b posted by (C)coolway2私が撮影した栗子隧道2012年5月19日撮影の2代目栗子隧道 東口1 posted by (C)coolway22015年5月17日撮影の2代目栗子隧道 西口9 posted by (C)coolway2
2015.06.08
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you-tubeに萬世大路と栗子隧道が放映されていました。File04「萬世大路と栗子隧道」は、7分20秒後からご覧いただけます。私も歩いて見てきた大滝宿、新沢橋、栗子山隧道が放映されています。世の中には廃道のプロがいるんですね。
2015.05.28
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一般社団法人日本トンネル技術協会のHPからトンネルに関する漫画、小説などの紹介記事がありました。その中に「山を貫く」の紹介があり、これはぜひ読みたいと思っています。<紹介文>「山を貫く」もりた なるお、文藝春秋 1992.11 明治黎明期を舞台として、西洋画の先駆者高橋由一の悪戦苦闘を政府の命を受け鬼地方長官と呼ばれた三島通康からの「栗子山隧道記録画の作成」依頼を通じ描いた書下ろし長編小説である。 文明開化のなか、西洋画普及の実践者高橋由一<脂派(やには)>は、急激な欧化に対する反動にもめげず、自らの信念を貫き通したひとりである。大久保利通から地方長官に命ぜられ、「道路を開発こそ近代国家建設の大命題であり、道路は、すべて中央政府に直結する。」とする信念の持ち主の三島通康は、栗子山隧道の記録画として高橋由一に依頼した。 栗子山隧道は、山形県の米沢と福島県の福島を結ぶ全長804mのトンネルで明治11年の初めに工事着工し、明治13年12月に貫通した。標高1,217mの抗甲山(栗子山)の山腹を穿って出来上がったもので計画された当時は狂気の沙汰とだれひとりとして成功を信じていなかった。 完成間近い絵は、何かが足りない。苦悶の末、白い絵具を溶いた。見る見る内に絵は賦役によって難工時に従事したものの悲鳴と絶叫が生き返り、自己を主張する絵に変貌した……。 栗子山隧道の絵は、宮内庁および(財)山形美術館に所蔵されているとのこと。 2015年5月17日 栗子山隧道初見参2 posted by (C)coolway2高橋由一の栗子山隧道2 posted by (C)coolway2高橋由一の南置賜郡万世新道の内栗子隧道西口の図1 posted by (C)coolway2高橋由一は日本洋画の父と称され、「花魁」や「鮭」は重要文化財となっています。
2015.05.26
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栗子隧道(米沢坑口)からの帰路、草花を撮影してみました。道路一面に群生していた花、名前はわかりません。2 posted by (C)coolway2この白い花がびっしりと萬世大路を埋め尽くしていました。2 posted by (C)coolway2ガクアジサイです。6 posted by (C)coolway27 posted by (C)coolway2ヤマサクラ12 posted by (C)coolway213 posted by (C)coolway214 posted by (C)coolway2ツツジ16 posted by (C)coolway221 posted by (C)coolway222 posted by (C)coolway2その他いろいろ(草花の名前音痴なもので・・・)3 posted by (C)coolway24 posted by (C)coolway25 posted by (C)coolway28 posted by (C)coolway29 posted by (C)coolway210 posted by (C)coolway217 posted by (C)coolway220 posted by (C)coolway223 posted by (C)coolway22012年春の萬世大路の福島側には、ショウジョウバカマ、カタクリの群生している場所がありました。→ こちら2015年5月の栗子隧道(米沢坑口)訪問記はこれで終了です。1 posted by (C)coolway2栗子山隧道と画家高橋由一は→こちらまた春か夏か秋か冬か、いつの日かまた会いに行きます。前の記事は→こちら
2015.05.22
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憧れの栗子隧道を脳裏に収め、萬世大路(ばんせいたいろ)を歩いて帰ります。萬世大路 - 1881年(明治14年)に開通した明治国道および大正国道5号→国道13号旧道万世大路 - 現在の国道13号と標記を区別するそうです。明治14年には巡幸中の明治天皇を向かえ開通式を行っています。翌15年に天皇より、『萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ』という願いを込めて「萬世大路」の名を下賜されました。しかし、1899年(明治32年)に奥羽本線が開通すると、鉄道の利用者の増加に伴い萬世大路の利用者は徐々に減少していきました。さらに大正時代から日本にも自動車が走るようになると、萬世大路の車道化の必要性が検討されました。1961年(昭和36年)から1966年(昭和41年)にかけて建設された現在の「栗子ハイウェイ」国道13号線(万世大路)完成に伴い、萬世大路は廃道となりました。丸田祥三さんの写真、平沼義之さんの文の写真集「廃道 棄てられし道」にも栗子隧道の写真が掲載されています。→こちら平成24年度には萬世大路が関係者のご尽力で土木学会選奨土木遺産に認定されました。私も選奨土木遺産認定記念フォーラムに参加しています。→こちら そんな萬世大路を歩いています。帰りは日が出てきて明るくなってきました。切通しです。a posted by (C)coolway2山がまた見えました。b posted by (C)coolway2木々のトンネルを抜けます。森林浴です。c posted by (C)coolway2福島側でも見かけましたが、ツルのロープが垂れ下がっています。d posted by (C)coolway2山がまたまた見えました。e posted by (C)coolway2米沢砕石さんが見えてきました。f posted by (C)coolway2瀧岩上橋まで戻ってきました。g posted by (C)coolway2米沢砕石さんの事務所前を通り、車を置いていあるゲート前まで歩きます。h posted by (C)coolway2i posted by (C)coolway2隣の米沢スキー場のリフトが見えました。奥の山は栗子山でしょうか。j posted by (C)coolway2ゲートに到着です。朝閉まっていたゲートは、戻ってきたら日曜日なのに開いていました。l posted by (C)coolway2午前6時にゲートを出発して栗子隧道を見学して午前9時16分にまた戻ってきました。米沢砕石さん通して頂き、ありがとうございました。m posted by (C)coolway2つづく。前の記事→こちら
2015.05.21
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この光景です。1 posted by (C)coolway2これを見たくて歩いてきたのです。右が初代の栗子山隧道。三島通庸により1876年(明治9)12月着工、1881年(明治14)に完成、標高900メートルの位置に掘られた延長870メートルの山岳トンネルで、馬車や人力車が通行でき、冬はそりでの通行が可能になりました。左が二代目の栗子隧道。自動車による通行を可能にするため、1933年(昭和8)から1936年(昭和11)にかけて改修が行なわれ、これが2代目のトンネルとなりました。まずは、栗子山隧道へ2 posted by (C)coolway2何やらゴツゴツとした感じです。3 posted by (C)coolway2線が見えます。岩盤をノミなどで素掘りした跡のようです。4 posted by (C)coolway2奥にはとても怖くて入っていけるような感じではありません。何か白いものが見えました。6 posted by (C)coolway2望遠で手ぶれになってしまいましたが、帽子のようです。NEXCO東日本と見えます。誰かが記念に置いていったのでしょうか?7 posted by (C)coolway2栗子山隧道前には、歌が詠まれています。ぬけたりと よう一声に 夢さめて通うもうれし 穴の初風明治13年10月19日 貫通の折 三島県令の歌 と書かれています。三島通庸は山形、福島、栃木の県知事をされ、鬼県令、土木県令と言われたそうです。最後は警視総監になられています。薩摩藩士なんですね。8 posted by (C)coolway2栗子山隧道の脇の斜面には、栗子神社があったとのことですが、今ではその様子は覗えません。栗子神社の石碑は万世大路記念碑公園に設置されています。→こちら9 posted by (C)coolway2次に左側にある二代目栗子隧道に行きました。10 posted by (C)coolway2内部は、こちらも崩落しているのがわかります。こちらも立ち入ることはやめました。12 posted by (C)coolway2二代目栗子隧道の銘板です。13 posted by (C)coolway2昭和十年三月竣功と読めます。14 posted by (C)coolway2二代目栗子隧道から初代栗子山隧道を眺めます。15 posted by (C)coolway2栗子山隧道側の斜面には大きな岩がありました。この岩を明治時代から多くの旅人が眺めていったと思われます。16 posted by (C)coolway2このあたりで持参してきたおにぎりを食べようと思ったのですが、そういえばお茶も飲んでいなかったのですが、虫がわんさかと寄ってきました。蚊でもないし虻でもないし、小さなハエのような虫です。眼には入るし、耳にも入ってくるし、これは退散です。五月のハエと書いて五月蠅いと言いますが、それどころではありませんでした。米沢側は道も整備されていて、標柱や案内板もあって歩きやすかったのですが、ハエには負けました。名残惜しんで何枚か撮影しました。17 posted by (C)coolway218 posted by (C)coolway2ここまで来ると、あの虫も追ってこなくなりました。19 posted by (C)coolway2これから来た道を戻ります。つづく。前の記事→こちら
2015.05.20
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あと1キロの標柱のそばには倒木が・・・これから行く手を拒んでいるようです。腰を曲げて潜り抜けました。リュックが少しひっかかりました。1 posted by (C)coolway2歩いて行くと、一面に緑のじゅうたんです。何の花かわかりませんが、白い花が群生しています。2 posted by (C)coolway2山がまた見えました。3 posted by (C)coolway2万世大路はまだ雪が残っています。4 posted by (C)coolway2これより栗子隧道まで0.5kmの標柱が出てきました。5 posted by (C)coolway2木々が横に生えて邪魔をします。それでも福島側の藪コキから比べれば楽勝です。6 posted by (C)coolway2またもや、倒木が栗子隧道への到達を遮ろうとします。7 posted by (C)coolway2眼前には栗子の山ではないでしょうか?ということは・・・8 posted by (C)coolway2栗子隧道(二代目)米沢坑口が目に飛び込んできました。9 posted by (C)coolway2朝6時に米沢採石工業さんのゲートから歩き出して、午前7時40分に到達です。10 posted by (C)coolway2ここからは、まだ明治の初代栗子山隧道は見えません。さらに隧道に向かって歩きました。つづく。前の記事は→こちら
2015.05.19
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案内板によると車両進入禁止のゲートから栗子隧道まではあと4kmと書かれています。1 posted by (C)coolway2このように米沢側は、案内板や標柱が立っていてとても親切に思いました。また道も整備されていて、2012年の福島側を歩いたときのような熾烈な藪コキもないのではないかと思って歩き出しました。5分ほど歩くと、標柱があらわれました。万世大路 ななむずり これより七つのヘアピンカーブ在り2 posted by (C)coolway2これより栗子隧道まで3.5kmの標柱が目に入ってきました。3 posted by (C)coolway2万世大路 長坂の標柱です。4 posted by (C)coolway2次に目に飛び込んできた標柱は5 posted by (C)coolway2万世大路 太助茶屋跡です。6 posted by (C)coolway2これより栗子隧道まで3kmの標柱が立っていました。7 posted by (C)coolway2さらに進みます。8 posted by (C)coolway2道からはずれた草むらに、五の曲りを発見。このとき、すでに汗をかいていてレンズが曇ってしまいました。9 posted by (C)coolway2道の横に雪解け水が流れています。10 posted by (C)coolway2これより栗子隧道まで2.5kmの標柱が立っています。11 posted by (C)coolway2カメラ撮影はレンズをハンカチで拭きながらの撮影です。12 posted by (C)coolway2七の曲り、最後のヘアピンカーブです。そしてここから国有林ですの標柱が立っていました。13 posted by (C)coolway2車でしょうか、バイクでしょうか?轍を発見。道路は、ぬかるんでいます。15 posted by (C)coolway2カーブを曲がると何やら小さな石橋がありました。暗渠(あんきょ)と言うそうです。覆いをしたり地下に設けたりして、外から見えないようになっている水路のことです。 16 posted by (C)coolway217 posted by (C)coolway2反対側に回ってみます。18 posted by (C)coolway2さらに歩いて行くと、これより栗子隧道まで2kmの標柱が2本立っていました。19 posted by (C)coolway2切通しです。20 posted by (C)coolway2視界の良いところに出ました。山が見えます。見晴らし台の区間です。21 posted by (C)coolway2これより栗子隧道まで1.5kmです。22 posted by (C)coolway2また山が見えてきました。23 posted by (C)coolway224 posted by (C)coolway2さらに歩いて行くと法面に石積みがありました。苔が付いています。27 posted by (C)coolway2これより○○隧道まで ○kmと削られたのか、熊にかじられたのか読めませんが、29 posted by (C)coolway2これより栗子隧道まであと1kmとなりました。つづく。前の記事は→こちら
2015.05.18
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栗子隧道(米沢坑口)を見学するために朝5時に起きました。昨夜、身支度をしておいたので、おにぎりとお茶のペットボトルをリュックに入れるだけでした。一路、国道13号線(万世大路)の米沢砕石さんを目指します。そこまでは一本道です。米沢スキー場隣の砂利山が目印です。北上しているので砂利山を右折します。米沢砕石さんのゲートは祝祭日は閉まっているとのことですのでゲート脇の駐車スペースに車を置いて午前6時に歩き出しました。1 posted by (C)coolway2勤務日は朝7時にゲートはあいて、夕方5時には閉まるようです。ゲートの開閉は確認されたほうが良いと思います。2 posted by (C)coolway2結構長い距離を歩きます。車でゲートを通ればもっと先まで乗り入れることが出来ます。午前6時23分、米沢砕石さんに到着。3 posted by (C)coolway2入口に標柱が・・・万世大路 瀧の小橋(瀧沢橋)と刻まれています。4 posted by (C)coolway2いよいよ、栗子隧道(米沢坑口)とのご対面のときがもうすぐ来るのです。米沢砕石さんの敷地を歩かせていただきながら万世大路を歩き続けるのでした。事務所には朝早くて、誰もいませんでしたが、行きと帰りは、声をかけていくことになっているそうです。5 posted by (C)coolway26 posted by (C)coolway27 posted by (C)coolway28 posted by (C)coolway2米沢砕石さんの敷地を通過すると、瀧岩上橋の標柱があります。9 posted by (C)coolway210 posted by (C)coolway2栗子隧道まであと4.1キロです。午前6時28分、ゲートから約30分で瀧岩上橋の遺構にたどり着きました。瀧岩上橋の親柱、米沢採石側2本瀧岩上橋1 posted by (C)coolway2昭和7年2 posted by (C)coolway2栗子隧道側2本昭和7年9月竣功3 posted by (C)coolway2たきいわかみはし4 posted by (C)coolway2万世大路の橋と言えば、福島側には、新沢橋、烏川橋、大平橋、杭甲橋がありました。→栗子隧道(福島坑口)訪問記より瀧岩上橋を渡って歩いて行くと5 posted by (C)coolway2すぐに標柱が立っているのが目に入りました。米沢側は、案内板や標柱が何カ所にも立っており整備されているようです。滝ノ沢 明治天皇御駐輦地 ご休息あらせ給ふと書かれています。7 posted by (C)coolway2さらに万世大路を進みます。いい感じの道です。8 posted by (C)coolway2すると、また標柱がありあした。明治の泉 明治大帝此泉召志給ふと書かれています。標柱の下の鉄パイプからちょろちょろと清水が流れていました。9 posted by (C)coolway2間もなく歩いて行くと、スペースがありました。車、2~3台は駐車できそうです。11 posted by (C)coolway2米沢採石さんのゲートが開いていれば、ここまでは車で来られそうです。ここからは、車での進入は禁止と案内板に書かれています。さらに、ここにもゲートがありました。12 posted by (C)coolway2車両進入禁止のゲートまでの到着時間は午前6時33分でした。最初のゲートから約30数分で歩いてここまで到着しました。つづく。
2015.05.17
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2012年5月に栗子隧道の福島坑口を見てから米沢坑口にも行きたいと思っていましたが、本日、米沢坑口初見参となりました。朝6時に国道13号線の米沢砕石さんのゲートから徒歩でスタートしました。午前7時40分到達です。1 posted by (C)coolway2右側が明治14年完成の初代栗子山隧道。左側が昭和11年完成の2代目栗子隧道です。2 posted by (C)coolway22代目栗子隧道の扁額です。3 posted by (C)coolway2後ほど栗子隧道米沢坑口の日記を更新します。
2015.05.17
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5月4日のことGWに行きたかった場所、栗子隧道の米沢坑口です。時間がなかったので次回のお楽しみとして、二ツ小屋隧道へ続く東栗子トンネルの作業所道へ行ってみました。工事によりすっかり変わっています。でこぼこ道も舗装されていました。「福が満開、福のしま。」ふくしまデスティネーションキャンペーンの旗もありました。1 posted by (C)coolway2舗装道を登っていきますと「万世大路」の道しるべがあります。2 posted by (C)coolway2舗装道をさらに登っていきますと、「登山道」の標識が出てきました。3 posted by (C)coolway2この先が二ツ小屋隧道、栗子隧道への道です。4 posted by (C)coolway2今回は時間がなかったので引き返して、東栗子トンネルに戻りました。5 posted by (C)coolway2二ツ小屋隧道、栗子隧道の日記は、→こちら
2015.05.06
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GW中に訪問したいところが、何か所かありますが、そのうちの一つ、JR磐越西線の旧中山宿駅を訪問しました。旧中山宿駅は急こう配を登るためスイッチバック方式の駅でした。平成9年に廃止され、別な場所に移されました。関係者のご尽力により、旧駅のホームを観光スポットとして整備されました。新たに駅名標、説明看板、花も植えられていました。周辺にはかつてのレールも残っています。a posted by (C)coolway2b posted by (C)coolway2c posted by (C)coolway2d posted by (C)coolway2e posted by (C)coolway2f posted by (C)coolway2g posted by (C)coolway2h posted by (C)coolway2i posted by (C)coolway2j posted by (C)coolway2k posted by (C)coolway22010年12月16日に中山宿駅を訪問しています。→こちら旧中山宿駅の勾配が25パーミルでスイッチバック方式ならば、奥羽本線の旧赤岩駅も33.3パーミルでスイッチバック方式でした。旧赤岩駅の訪問は→こちら
2015.05.03
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伊達市にりんごを買いに行きました。贈答用と家庭用と買いました。大阪などの友達が福島のりんごを毎年待っているんですね。帰りに路面電車の遺構を見学してきました。阿武隈川にかかる旧伊達橋には、路面電車が走っていたのです。a posted by (C)coolway2旧伊達橋は昭和46年に路面電車の廃止により、軌道が撤去されましたが、現在は修復されて歩道橋となっています。この旧伊達橋は土木学会の「鉄の橋百選」のひとつだそうです。b posted by (C)coolway2c posted by (C)coolway2近くには電話ボックスが設置されていますが、その隣の二本の石柱が気になりました。なんでしょうか?看板でもあったのでしょうか?d posted by (C)coolway2近くには架線柱が一本まだ残っているということですが、今回は見ることはできませんでした。なんでもその架線柱は古いレールでできていて、碍子も当時のそのままだそうです。e posted by (C)coolway2架線柱は旧伊達橋を背にして国道4号線側にあるようです。
2014.12.07
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本年もどうぞよろしくお願いいたします健康で一年が過ごせますようにお祈り申し上げます本日の我家のお雑煮です。a posted by (C)coolway2そして万世大路の旧新沢橋を13号線より撮影してきました。b posted by (C)coolway2二ツ小屋隧道、栗子隧道へ行く、東栗子トンネルの脇道を見てきました。c posted by (C)coolway2d posted by (C)coolway2e posted by (C)coolway2今年も栗子隧道を見ておきたいと思っています。
2014.01.01
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23日の休日、ずーっと気になっていた赤レンガ倉庫を見に行きました。国道4号線と平和通りの交わる場所にその建物はあります。舟場町ですね。阿武隈川も近くを流れています。夏は緑のツタで覆われていますが、冬はツタも枯れて赤レンガが目に入ります。調べてみますと、1916年3月に日本赤十字福島県支部庁舎の赤煉瓦倉庫として作られたとのことです。1943年8月、この地に日赤福島病院が開業(病床数32)1962年 支部庁舎など、赤煉瓦倉庫を残し、その他の建物を破壊し、病院が移転する。県所有財産となる。と書いてありました。現在では、「旧赤十字レンガ倉庫を守る会」が発足しているとのことです。1 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway23 posted by (C)coolway24 posted by (C)coolway25 posted by (C)coolway26 posted by (C)coolway27 posted by (C)coolway28 posted by (C)coolway29 posted by (C)coolway210 posted by (C)coolway2今から100年前に建てられた赤レンガ倉庫だったのですね。夏にツタの緑に覆われた倉庫も写真に撮りたいと思いました。
2013.12.25
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文翔館(第2代山形県庁舎)を見学してきました。三島通庸と万世大路の歴史にも触れることができました。すばらしい建物が無料で見学できます。4 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway27 posted by (C)coolway210 posted by (C)coolway29 posted by (C)coolway211 posted by (C)coolway212 posted by (C)coolway215 posted by (C)coolway217 posted by (C)coolway218 posted by (C)coolway220 posted by (C)coolway221 posted by (C)coolway226 posted by (C)coolway2
2013.11.03
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旧米沢街道の李平宿場跡の不動明王さまです。いつ、誰が、今では人が通らなくなった場所に建立したのでしょうか?奥羽本線、万世大路が出来るまでは、福島、米沢を通る重要な街道でした。不動明王さまの場所には、日本酒のパックがありました。そして賽銭箱のようなものと蝋燭が1本立っていました。31 posted by (C)coolway232 posted by (C)coolway2蝋燭の場所には十円玉が置かれていました。私は、五十円玉を置いて、不動明王さまにむかってお辞儀とかしわ手を打ってきました。36 posted by (C)coolway2なぜここに不動明王さまが・・・謎です。33 posted by (C)coolway2
2012.10.13
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旧米沢街道、李平跡、道は草が刈られてあり、いつになくスムーズに到着しました。1 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway2そしてさらに進むと神社の鳥居です。3 posted by (C)coolway2急な階段を頂上目指して登りました。そして街道をさらに進みます。22 posted by (C)coolway2お地蔵さんが現れます。23 posted by (C)coolway2そしてさらに進むと沢に不動明さまと模した刀がありました。ここだけの風景を見たら、なぜここにという感覚になります。24 posted by (C)coolway229 posted by (C)coolway230 posted by (C)coolway227 posted by (C)coolway2この先を歩いていけば、史跡旧米沢街道の石畳があると言います。そしてさらに先を行けば蟹ケ沢、沢を渡れば山形県です。今回は不動明さまのところで引き返しました。38 posted by (C)coolway2いままで気がつきませんでしたが、草かげに庚申塔が立っていました。39 posted by (C)coolway2李平宿場は、かつての板谷峠越えの旧米沢街道の宿場として栄えた集落です。天保の凶作、明治初期の大火、栗子峠越えの万世大路(現在の国道13号)及び奥羽本線の開通以来、街道・宿場としての使命を失い廃村化しました。
2012.10.07
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今日は、米沢市で開催された万世大路の選奨土木遺産認定記念フォーラムに参加してきましたが、昨日の李平宿場跡への散策で筋肉痛となっていました。李平宿場跡の先を歩いていくと、鳥居が立っていました。21 posted by (C)coolway2見上げると、急峻な階段が、苔に覆われています。22 posted by (C)coolway2階段の中腹より見下ろします。23 posted by (C)coolway2もう少しで頂上です。ここまで何度も足を止めて休憩しました。24 posted by (C)coolway2ちょっとした広場に祠がありました。25 posted by (C)coolway2広場は綺麗に整備されていました。この階段を上り下りするのは、難儀なことです。26 posted by (C)coolway2筋肉痛になった坂道と言えば、信夫山の羽黒神社旧参道→こちらそして旧米沢街道、李平宿場跡の神社の階段です。27 posted by (C)coolway228 posted by (C)coolway2
2012.10.06
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米沢市の山形県置賜総合支庁で開催された記念フォーラムに参加しました。30分前に会場入りしましたが、あれよあれよと満席、立ち見がでました。マスコミ関係もたくさん来ていて熱気を感じました。1 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway2講演資料とともに、東北中央自動車道栗子トンネル工事で採掘された岩片を配布されました。3 posted by (C)coolway2「万世大路」選奨土木遺産認定書授与式の様子5 posted by (C)coolway26 posted by (C)coolway27 posted by (C)coolway2これまでの地域の皆様のご尽力により選奨土木遺産に認定されたのだと思います。私からも「おめでとうございます。」記念フォーラムの前に上映された万世大路、栗子峠のフィルムは、もう一度、ゆっくりと見てみたいですね。バスや車が走る様子が映し出されていました。
2012.10.06
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李平(すももだいら)は米沢街道の宿場。慶長18年(1613)に阿部薩摩が開いたとされており、米沢藩の参勤交代などに利用されていました。李平は宿場だけの村で、開村当時は52戸の家を移したといわれています。その後、飢饉などで戸数が減りましたが、宿場としての役割を維持し続けました。現在は石畳や堀などをわずかに残すのみです。今日は振り替え休日。何度も挑戦しては、引き返したこの宿場跡を今日もアタックしてみました。いつもより、草が刈り込んであり、走りやすくなっていました。1 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway23 posted by (C)coolway2ここまですんなりときました。通行止めの広場に車を止めて歩いていくことにしました。歩いていく方向は、通行止めの道ではなく、左側の道です。4 posted by (C)coolway2時折、草を掻き分けます。5 posted by (C)coolway2李平宿場跡に着きました。何もないところで、何人もの方が生活していたのです。6 posted by (C)coolway27 posted by (C)coolway28 posted by (C)coolway29 posted by (C)coolway2藩政時代には米沢藩主・上杉家の参勤交代や物資の流通のための重要な基幹道だった米沢街道沿いの宿場跡です。明治時代に万世大路(ばんせいたいろ)や国鉄奥羽線が開通してその役目を終えました。11 posted by (C)coolway2以前訪問したときは、ここまででしたが、今日はさらに進みました。
2012.10.05
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あの万世大路が平成24年度の土木学会選奨土木遺産に選定されました。受賞理由:万世大路は、「明治・昭和期の先端 土木技術を駆使し、山形・福島両県の物流並び. に人の交流と絆を育んだ歴史的地域 資産」である。これで栗子隧道や二ツ小屋隧道、新沢橋も今の状態を保存できるでしょうか。栗子隧道福島坑口1 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway23 posted by (C)coolway24 posted by (C)coolway2万世大路のお奨めスポットは→こちら
2012.10.03
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信夫橋(しのぶばし)は、荒川(阿武隈川支流)にかかる橋で、福島県道148号水原福島線(旧国道4号・通称旧4号)を通す。北岸は福島県福島市柳町、南岸は同市南町。荒川と阿武隈川の合流点の近くにあります。1 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway23 posted by (C)coolway2信夫橋と刻まれています。4 posted by (C)coolway25 posted by (C)coolway2橋をわたると昔の福島になります。7 posted by (C)coolway26 posted by (C)coolway2二代目信夫橋は、13個のアーチ状に組み上げた構造から十三眼鏡橋とも呼ばれ、信夫郡金谷川村から切り出した御影石を使い、美しい意匠から錦絵として全国に紹介されました。錦絵の写真をお借りします。a posted by (C)coolway2そして名橋「2代目信夫橋」の親柱は北側公園に残存しています。9 posted by (C)coolway2少なくとも8本はあるだろうとの親柱、市内の中学校などに移設されているようです。そしてこの親柱の反対側、道路を渡ると柳稲荷があります。11 posted by (C)coolway2
2012.09.15
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郡山市の麓山公園(日本の歴史公園100選)に麓山の滝があります。この滝は、安積疏水を記念して明治15年に造られたものです。平成3年、埋もれていた滝が復元され、滝見台が整備されました。現在、「安積疏水麓山の飛瀑」の名称で国の登録有形文化財に登録されています。1 posted by (C)coolway22 posted by (C)coolway23 posted by (C)coolway24 posted by (C)coolway25 posted by (C)coolway26 posted by (C)coolway2郡山駅前の広場には麓山の滝のモニュメントがあります。→こちら
2012.09.06
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廃道ファンの方のブログを拝見すると、「おにぎり」という言葉がよく出てきます。はじめは、わかりませんでしたが、国道の標識のようです。二ツ小屋2 posted by (C)coolway21 posted by (C)coolway2錆びた国道標識は「焼きおにぎり」と言うそうです。そして「ヘキサゴン」、これは県道でしょうか。2 posted by (C)coolway2廃道、旧道、酷道、険道と呼び名があるそうです。点線国道、階段国道なるものもあります。下の写真は森に還ろうとしている旧万世大路、ここをもう少し歩いていくと大きなカーブがあり、視界に突然現れるのは、二ツ小屋隧道様の登場です。初めての方は、思わず声をあげるに違いありません。それほど、重厚かつ威風堂々の遺構が待っています。2 posted by (C)coolway2二ツ小屋隧道を見たい方→こちら
2012.09.05
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