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安倍元首相が銃撃された事件に関連して、学習院大学教授で歴史家の井上寿一氏は16日の毎日新聞に、次のように書いている; 参院選の選挙戦のさなか、8日に安倍晋三元首相の銃撃事件が起きた。動機の解明が不十分な現時点でこの事件をテロリズムと決めつけるのは、慎重でなくてはならない。ここでは直接行動による事件と呼ぶ。 この直接行動による事件は、日本政治にどのような影響を及ぼすのだろうか。近代日本におけるテロを含む直接行動の事例との歴史比較を通して考える。 第1の事例は1909年10月26日の伊藤博文暗殺事件である。この日、元首相・前韓国統監の伊藤が安重根(日本政府側からすればテロリスト、韓国側からすれば独立運動家・愛国者)に殺された。この事件までの日本は、欧米列国の動向に注意を払って、韓国併合に慎重だった。ところがこの事件をきっかけとして日本は積極的になり、翌年、併合した。 第2の事例は21年11月4日の原敬暗殺事件である。この日、原首相・立憲政友会総裁は中岡艮一に短刀で刺殺された。それにもかかわらず、原没後、日本は原が先導した政党内閣と対米協調外交の興隆の時代を迎えた。 第3の事例は30年11月14日の浜口雄幸暗殺未遂事件である(後日死亡)。この日、浜口首相・立憲民政党総裁は、佐郷屋留雄に狙撃され、重傷を負った。民政党はこの年2月の総選挙で圧勝していた(民政党273議席、政友会174議席)。この暗殺未遂事件後も国民の支持は揺るがなかったと解釈すべきで、浜口内閣の後継も民政党の若槻礼次郎内閣だった。 第4の事例は32年の5・15事件である。時の政友会内閣の首相、犬養毅が暗殺される。その結果、政党内閣は崩壊する。つぎに成立したのは、ロンドン海軍軍縮条約を支持した穏健派の海軍大将、斎藤実の内閣だった。首謀者の海軍青年将校たちは当てが外れた。彼らはロンドン海軍軍縮条約に反対する軍部への政党の挑戦を非難していたからである。非政党内閣ではあっても、斎藤内閣の下で、満州事変以来の対外危機と世界恐慌下の経済危機は沈静に向かった。2つの危機の沈静化は政党内閣復活の可能性をもたらした。 第5の事例は36年の2・26事件である。この事件は5・15事件とは異なり、具体的なクーデター計画をともなっていた。斎藤実内大臣・前首相や高橋是清蔵相・元首相らが殺害された。首謀者たちからすれば、テロは成功した。しかしクーデターは、国民の支持を得られず、失敗に終わった。 同時代の分析によれば、2・26事件は、社会的な危機の時期が去った「客観的情勢の下に行われた暴動であって、その成功に至らなかったことは、当然」だった。反乱は3日で鎮圧される。銀座などの繁華街に大勢の人が繰り出す。この年の日本は経済的な豊かさを享受していた。 以上の五つの事例に共通するのが何かは明らかだろう。テロや直接行動は時代の潮流を変えられなかった。要人を暗殺しても、逆効果だった。一時的に大きな衝撃を受けても、国民は立ち直った。扇動されるようなことはなかった。 ところがそこへ日中戦争が起きる。戦時下の言論統制が始まる。近年のメディア史研究によれば、言論統制を促したのは民意だった。たとえばラジオ統制の背景には、流行歌やクラシック音楽を排撃する投書をラジオ局に送る「投書階級」の存在があった。 このような当時と比較すれば、今も似たような状況であることがわかる。安倍元首相の銃撃事件は、国民に大きな衝撃を与えた。他方で10日の国民の投票行動は冷静だった。事件前の予測と実際の選挙結果との間に、この事件の直接的な影響を見いだすことはできないだろう。「同情票」などによって自民党に有利に働いた形跡も乏しい。事件が選挙結果を左右することはなかった。 他方で現代版の「投書階級」がSNS(ネット交流サービス)などを通して、政治を動かそうとした。限られた情報に基づく牽強付会な議論は、事件の原因と「安倍政治」の功罪への評価とを短絡的に結びつけた。事件をきっかけとして、言論は封殺されるどころか、質の劣化を露呈する有り様だ。言論の危機は自ら招いたのである。 安倍元首相の生命は失われても、安倍政権の政治的な遺産が失われることはない。第1は自民党の再包括政党化によって、支持層を拡大した。第2は自公連立政権を復活させて、安定的な政権基盤を築いた。第3は選挙では票にならないのが通り相場の外交・安全保障政策で成果を上げた。 これらの政治的な遺産を発展的に継承するにせよ、批判的に克服するにせよ、質の高い言論による政策論争が欠かせない。問われているのは先進民主主義国の名に値する日本政治の力量なのである。2022年7月16日 毎日新聞朝刊 13版 9ページ 「近代史の扉-時代の潮流は変わらず」から引用 この記事も、事件からあまり日が経っていない時点で書かれた原稿のようで、戦前の首相を襲った5つの暗殺事件ではテロリストに明確な「政治的な動機」があったのに比べ、安倍氏銃撃の山上容疑者には「政治的な動機」は皆無で、統一協会に法外な献金をして家庭が崩壊したことを根に持った「犯行」だったのであり、安倍晋三が原敬や犬養毅に匹敵する政治家だったとは到底考えられないことです。戦前の暗殺事件に関する解説は、さすがに歴史家だけあって、中々読み応えのある記事だと思ったのでしたが、末尾に付け加えられた「安倍政権の政治的な遺産」というのは、死者を弔う「お世辞」のようなもので、第1は「支持層を拡大した」とあるが、実際には自民党の得票数は毎回目減りしているし、第2の「安定的な政権基盤」というのは、安倍氏でなくても、誰がやってもそうなったであろうことは容易に想像できるし、第3の「外交・安全保障政策で成果」というのも、実際は「北方領土交渉」は安倍政権以前よりも後退してしまったし、拉致問題は1ミリの進展もなかったし、日韓間では当該企業が(中国ではそうしたように)韓国の司法判断に従う意向であったにも関わらず、安倍政権が異論を唱えて韓国司法の「決定」を無視したために、企業はビジネス機会を失い、日韓関係は戦後最悪と言われる事態になってしまったのが「現実」である。このように安倍政権が残した「負の遺産」について、今後の自民党政権がどのようにしてこれを清算する積もりなのか、考えるだけでも暗澹たる気分になります。
2022年07月31日
岸田首相がいきなり安倍元首相の「国葬」をやると言い出したところ、共産党は「国葬に反対である」と表明したと、16日の毎日新聞が報道している;共産党の志位和夫委員長は15日、岸田文雄首相が安倍晋三元首相の葬儀を「国葬」として実施する方針を表明したことについて、「国民のなかで評価が大きく分かれている安倍氏の政治的立場や政治姿勢を、国家として全面的に公認し、安倍氏の政治を賛美・礼賛することになる」などと実施に反対する談話を発表した。 志位氏は談話で、安倍氏について「深い哀悼の気持ちを述べ、暴挙への厳しい糾弾を表明してきた。政治的立場を異にしていても、ともに国政に携わってきたものとして、亡くなった方に対しては礼儀を尽くすのがわが党の立場だ」と強調。一方で、国葬の実施が「弔意を個々の国民に、事実上強制することにつながることが強く懸念される」と指摘した。安倍氏が在任中に果たした役割については「事実と道理に基づき、冷静な評価が行われるべきだ」と訴えた。【樋口淳也】2022年7月16日 毎日新聞朝刊 13版 5ページ 「安倍氏の国葬、共産党が反対」から引用 共産党の主張は理路整然としており、山ほどの疑惑をそのままにして全国民に弔意を強制する「国葬」を行なうのは民主主義のルールに反するというものです。何よりも、わが国の憲法20条には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されており、「葬儀」は宗教活動の最たるものであることを考えれば、吉田茂氏の例があるとは言え、「誤り」を繰り返すべきではないと思います。
2022年07月30日
投票日を目前にして安倍元首相銃撃という大事件があったにも関わらず、相変わらずの低投票率に終わった参議院選挙について、神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹氏は15日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 参院選が終了したが、大手メディアは選挙期間中、「争点なき選挙」「盛り上がりを欠く」といった定型的な報道を続けてきた。 このメディアの傍観者的態度に私はつよい違和感を覚える。一人でも多くの有権者が選挙に参加することは民主主義の根幹である。棄権率が50%近い現況は端的に「民主主義の危機」である。 しかし、メディアからはその危機感が伝わらない。とりわけテレビメディアの選挙への関心の低さは異常なレベルに達している。選挙のことはほとんどニュースにならない。選挙に臨んで「公正中立」を保つためには「できるだけ報道しない」というのは確かに一策ではある。だが、そのせいで有権者がこの選挙の争点が何であるかを知らず、この選挙の歴史的意味を理解せず、その結果が彼ら自身の現実にどのような具体的変化をもたらすことになるのかを想像することをしないまま投票日を迎え、かつ半数が棄権することになるのだとしたら、この投票率の低さの責任の半分は選挙についての踏み込んだ報道を怠ったメディアにあると私は思う。 言葉が厳しくなるが、今の日本の新聞やテレビなど大手メディアは民主主義の機能不全に加担しており、その主要なアクターにさえなっていると私は思う。 有権者が棄権する理由はいくつかある。「自分一人が投票してもしなくても、政治は何も変わらないだろう」という無力感がたぶんその第一の理由である。 このような無力感のうちに落ち込んでいる有権者の袖を掴んで、「そんなことはない。あなたの一票で政治は変わる」と掻(か)き口説くこともメディアの大切な仕事である。私はそう思う。 だが、テレビはただ「今度の選挙も半数が棄権するでしょう」とあたかも「明日の天気は雨でしょう」と予測するように報道するだけである。ニュースキャスターが申し訳程度に「まことに憂慮すべきことですが」と付け加えて、眉根に皺を寄せてみせるくらいで、次の瞬間には「では、スポーツです」と笑顔に戻る。◆当事者意識の欠如 彼らにも「報道すべきことは報道している」という言い分はあるだろう。棄権率が50%近く、民主主義が危機に瀕しているというのは厳然たる事実であり、その「憂うべき現実」を我々は中立的に、「何も引かず、何も足さず」報道している、と。それで何か不満なのだと口を尖らせるかもしれない。 だが、自由な言論は民主主義が機能している社会においてしか生存することができない。そのことは彼らだって熟知しているはずである。自身の職業の存否がかかっている事態について「このままでは民主主義が機能しなくなるかもしれません。では、次はスポーツです」などと言えるものだろうか。 「むしゃくしゃしたので誰でもいいから殺してやろうと思う」と言いふらしている人がいたとする。そのように深く心を病んだ人を生み出した社会の闇を前景化させるために「こんなことを言う人がいます」と報道することにはもちろん意味はある。だが、報道するより先に、まずはその人が凶行に及ばないように具体的な手立てを探すのが、話を聴いた人間の最優先の仕事ではないのか。 今の日本のメディアにはこの「当事者意識」が感じられない。読者や視聴者に向かって、「お願いだから選挙に関心を抱いてほしい。歴史的な岐路なのだから、争点についてぜひ熟考してほしい。何かあっても投票所に足を運んで、一人の候補者に期待を託してほしい」と懇請するという態度が見られない。有権者の関心を掻き立て、民主主義を活性化させることをおのれの責務と感じない報道はもはや「ジャーナリズム」の名に値しない。<うちだ たつる・思想家。>2022年7月15日 「週刊金曜日」 1385号 16ページ 「凱風快晴ときどき曇り-選挙とメディア」から引用 この記事は、冒頭部分で「テレビメディアの選挙への関心の低さは異常なレベルに達している」と批判しているが、私はこういう認識は、ちょっと的を外しているように思います。どのテレビ局にも政治担当の取材記者はいて、テレビ局が選挙について「関心が低い」というのは、あり得ないことで、内田氏の認識は表層をのみ見て批判しており真実が見えていない。数年前までは、テレビは選挙が公示されると同時に、各党の主張を紹介したりスタジオで討論会を開いて中継する番組もありました。しかし、そういう番組も実績を重ねるにつれて「ものごとの真相」に容易に迫れるようになって行き、与党自民党の問題点や弱点を深掘りするようになって行ったために(しかも、当の自民党はいつまで経っても、その問題点や弱点を克服できなかったせいで)、ある時点で自民党は、選挙が公示されると同時に都内のテレビ局を訪ねて「選挙期間中は不当な政党批判を止めるように」要請する文書を手渡すという挙に出たため、それ以来、テレビは萎縮して、投開票日になるまで選挙報道は「自粛」するという行動様式が定着して今日に至っています。こういう「問題の原点」まで立ち返って考え直すのでなければ、本当の問題解決に辿り着くのは難しいと思います。
2022年07月29日
昨日の欄に引用した宮子あずさ氏のコラムに対し、共感したという読者の投書が16日の東京新聞に掲載された; 11日の宮子(みやこ)あずささんの「本音のコラム」に共感しました。安倍元首相の銃撃事件に関して、自由な言論や民主主義への脅威、というフレーズばかり連呼される報道に対し不気味さを感じていたので、宮子さんのコラムにホッとしました。 安倍元首相が米国から戦闘機やトウモロコシを爆買いしたこと、桜を見る会を利用して地元支援者を歓待したこと、国会を経ずに閣議決定で憲法解釈を変えたこと、内閣人事局をつくり自分たちの言いなりになる官僚を重用したことなど、批判されてしかるべきだと思っています。 ショッキングな事件に動揺したとしても思考停止することなく、一人の国民として、必要な総括と疑惑の解明に関心を持ち続けていきたいと思います。2022年7月16日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「発言-安倍政治の総括必要」から引用 この投書の主が言うように、安倍議員銃撃事件の直後に新聞やテレビが「自由な言論や民主主義への脅威だ」と騒ぎ立てたことには、私も強い違和感を感じました。安倍政権の8年間には、上の投書が指摘するように数多くの「問題」が未解決のまま残されており、今後解明されるべきものです。それを今回の事件で、見当違いの「大騒ぎ」をすることによって、未解決の問題を封殺しようとすることは許されないと思います。メディアの浅はかな「反応」が、自民党政治の問題を隠ぺいする結果になるのでは「最悪」と言うほかありません。
2022年07月28日
安倍元首相銃撃事件について、看護師でエッセイストの宮子あずさ氏は11日の東京新聞に、次のように書いている; 安倍元首相が銃撃された時、私は病棟で勤務していた。事件のすぐ後から容疑者が「政治信条に対する恨みはなかった」と語っているとの情報が流れ、容疑者の精神状態が心配になった。精神科で働くものとして、精神疾患への偏見が強まるのを恐れたのである。 その後容疑者の母親が特定の宗教団体にお金をつぎ込み家が破産した経緯や、その団体と近い安倍元首相への恨みが動機として語られていることが報じられている。 なぜか国内の新聞・テレビがその団体名を報じない中、海外紙や国内雑誌メディアがようやく報じたその宗教団体は、安倍氏はじめ右派政治家との関係の近さは既知であり、すぐに納得できた。 だが、容疑者が当初から動機として「政治信条に対する恨み」を否定していたにもかかわらず、事件は自由な言論や民主主義への脅威として論じられ続けている。 確かに、選挙の演説は警備が難しいと聞く。それが必須の政治家が、萎縮を自覚し、そのように言うのは当然である。しかし、報道はもう少し冷静に。慌てず全体像を見通す目がほしい。ましてや投票日目前の事件。SNSなどでは過度な政治批判が凶行の原因だとする「言論封殺」が散見されるのが残念である。 事件は多くの被害者を生み出すカルト宗教と政治の関連を明らかにした。この解明は避けて通れない。(看護師)2022年7月11日 東京新聞朝刊 11版 「本音のコラム-宗教カルトと政治」から引用 その昔、統一協会と名乗ったカルト団体は今は「世界平和統一家庭連合」と名前を変えたそうで、安倍議員が銃撃されて死亡したその日の報道で容疑者の母親が統一協会の信者で多額の献金をして家庭が破たんしたという情報も報道されていたが、どのテレビも新聞も当の宗教団体「統一協会」の代表者が会見するまでは「ある宗教団体」との表現を使い、実名報道を避けていたのは、不思議な現象であった。不思議な現象という点では、統一協会を監視対象としていた公安警察がある時に監視対象から外したのは何故だったのか、元々統一協会は反社会的な活動をしていると認識していた文化庁が、それまでは統一協会が名称変更を申請してきても、それは今までの実態を隠そうとする意図が明白だという理由で「不許可」にしてきていたものを、安倍政権下で突然「許可」になって「世界平和統一家庭連合」と称するようになったのは、如何なる経緯であったのか、解明されるべき問題は山積みです。
2022年07月27日
鮫島浩著「朝日新聞政治部」(講談社刊)について、日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介氏が9日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 当欄紹介の本は、各書評委員が他人に相談なく選ぶ。・・・と冒頭から、評者の前回書評(5月28日付)と同じ書き出しを繰り返してしまった。そう予防線を張っておきたくなるくらいにこの本は、雷雲のごとくエネルギーに満ち、強烈に濃いコーヒーのごとくに脳天を突いてくる。 多彩で有能な人材を抱え、衿持(きょうじ)を持って権力に対峙(たいじ)して来た大新聞社と、その経営の要を握っていた政治部。しかし昭和の色を残す内部体質の下、様々な問題への対応に失敗し、組織は機能不全に陥っていく。 掲題書に描かれた部門間、有力者間の相克と、外からの攻撃や事業環境変化への対処の遅れ、結果としての管理強化と組織の活力の喪失は、「いかにも大新聞社らしい」とも読める。しかし実際には、戦後に肥大した日本の官民の大組織のほぼ全てで同様のことが、多くはさらにずっと悲惨な結果を招きつつ起きているのだろう。 書中に実名で登場する朝日新聞社の(当時の)幹部の皆さんには、仕事を通じて存じ上げている方も多い。しかし著者の鮫島浩氏(政治ジャーナリスト、元朝日新聞記者)は、もう少し若い世代だ。前者の方々に聞けば、著者より広い視野で、さらに多面的な実情もわかるだろう。だが書評は調査報道ではないので、以下では著者の視点をなぞって、評者の理解したところを書く。 「異次元の金融緩和」2年目の2014年。GDPは一向に増えず、輸入物価は上がり、日本の経常収支黒字は4兆円未満と、第2次石油ショック以来最低に落ち込んだ。しかし株高への支持を得た第2次安倍晋三政権は、政財官マスコミ各界の掌握を進める。この年の朝日新聞は、従軍慰安婦に関する吉田証言問題、それに関連した池上彰氏のコラム掲載拒否問題、さらにそれらとは別の吉田調書問題と、3つの激震に揺れた。 吉田調書とは、11年の震災津波に伴う東電福島第1原発の爆発事故直後、現場で指揮を執った吉田昌郎所長(13年に癌(がん)で逝去)の証言だ。特別報道部のデスクだった著者は、政府がひたすらに秘匿するその内容を分析し、「事故時の混乱の中、発電所所員の9割が、すぐには戻れない福島第2原発に退避していた」と報道する。この大スクープは調書の公開につながり、事故対応の体制の不備という根本問題が明確になった。 だが、「所長が発した『近くに待機せよ』との命令が、所員によく伝わらずに」と書くべきところを、「所員が命令に反して」と書いた点が、政権およびその周辺の諸勢力から、所員を貶(おとし)める「誤報」だと攻撃される。高まる朝日バッシングで、じり貧傾向にあった部数がさらに大きく落ちる中、同社は社長以下が辞任するところまで追い込まれ、著者も報道の現場から外された。 官邸側の攻撃の裏には、朝日新聞とテレビ朝日の関係を弱める意図があったと、著者は読む。その後の展開から見てその通りだろう。社内でも、旧来の縦割りを無視して活動する特別報道部に対する、政治部、社会部、経済部などの各部からの反撃が、それぞれと結びついた政治家、官庁、企業などをバックに起きていたのではないか。 新聞社は伝統的に特オチ(自紙だけが特ダネを逃す状態)を嫌う。そのため、縦割りの記者クラブを通した当局の発表への依存は強まるばかりだ。だが速報はネットで見る今の時代、新聞に求められるのは、読者個人の興味を超えた多様な記事の提示と、裏を知る記者ならではの解釈・解説だろう。だからこそ朝日新聞も14年までは、調査報道・オピニオン報道に注力するという、的確な戦略を強く進めていたのである。だが吉田調書問題で調査報道がミソをつけたことを契機に、逆回転が始まる。これは、権力に対しても、ネットに対しても、新聞が力を弱めていくことにつながった。 ところで本書は、さらに大きなストーリーも示唆している。 1999年、若き著者の「権力って、誰ですか」との問いに、大物政治部長は「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そしてアメリカと中国だよ」と、静かに答えた。その2年後に小泉純一郎首相が登場すると、彼の属する清和会の町村信孝会長は著者に、「これまで日本を牛耳ってきたのは経世会で、その相談を受けるのが宏池会。根回し先が社会党で、そのリーグを受けるのがNHKと朝日新聞」と恨み言を述べたという。 そこに名の上がった諸組織が、その後どうなったか。朝日新聞は、経世会や社会党や大蔵省などと同様に、弱体化されるべき標的の側にあったのではないか。 清和会を経産省と警察庁が支えた第2次安倍政権も潰(つい)えた今、日本の権力構造はどうなっているのだろう。アメリカや中国はどういう力を残し、または失っているのか。内実をご存じの方は知る限りを、それぞれ実録に遺(のこ)してはいただけないだろうかと、評者は心から思うのである。 参院選投票日も直前、リアルタイムで政治の今と疾走している著者にも、いつの日にか一歩下がって、政治権力というものの深層をさらにえぐっだ著作を書いてもらいたい。<評・藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)>鮫島浩著「朝日新聞政治部」(講談社・1980円)2022年7月9日 毎日新聞朝刊 13版 17ページ 「今週の本棚-一組織に限定されない『失敗の本質』」から引用 今から22年前の日本の「権力」は、経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そしてアメリカというところまでは、そうだったような気がする。経世会は竹下登が田中派から独立する形で組織された派閥で、宏池会は分裂したが岸田首相を輩出している。アメリカは日本が戦争に負けたときから、日本を子分扱いしておりアメリカ政府の要人が入国するときは日本の税関を通らず、直接東京の横田基地に専用機が着陸し、日本国の「主権」を無視して行動しており、今年バイデン大統領が東京に来たときもそうだった。そのようなアメリカに匹敵する「権力者」として「中国」も存在していたとは、にわかには信じられない話ですが、新聞記者をしていると、我々一般人が知る由もない「事情」をいろいろ知っているのかも知れず、興味深い本のように思われます。
2022年07月26日
安倍晋三議員が選挙演説中に銃撃されて死亡した翌日の毎日新聞は、事件が「民主主義への挑戦である」との見方に立って、同紙主筆・前田浩智氏の次のような記事を掲載した; 安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。動機を含め詳細な背景は不明だが、参院選の遊説中を狙った銃撃であり、力で言論を封殺する行為に他ならない。民主主義への愚劣な挑戦を断じて認めるわけにはいかない。 「民主主義の危機」が指摘されて久しい。 先進国では、中間層以下の所得が伸び悩んでいる。寛容さが失われ、格差と分断が拡大し、そこにポピュリスト政治家がつけ込み、幅をきかせる。英国の欧州連合(EU)離脱はそうした表れだった。離脱をリードしたジョンソン首相が今、辞任表明に追い込まれた事態は、民主政治の劣化を象徴している。 ロシアのウクライナ侵攻が止まらない。力で現状変更することをいとわない19世紀型の大国政治の復活を想起させ、民主政治へのあきらめを加速する。 しかし、民主主義を否定する選択肢はない。 言論は多様な価値を認め合う民主主義の土台である。全員が納得する政治決定はない。だからこそ可能な限り多くの人が受け入れ、不満を持つ人を減らすように、異論との間で接点を探る努力を重ねることが肝要である。その際、銃撃に出番があるはずもない。 100年余前の日本に、大正デモクラシーと呼ばれる時代があった。国民が政治の表舞台に登場し、政党政治が本格化した。だが昭和に入ると、国際情勢の見誤りや経済失政もあり、民主主義が急速に衰えた。テロと暴力が吹き荒れ、戦争へと突き進んだ。そうした歴史を教訓に、日本は戦後、憲法で言論の自由を保障し再出発した。時代の歯車を反転させてはならない。 安倍氏は第2次政権以降の7年8ヵ月に及んだ長期政権の中で、異論に耳を傾けず、数の力を背景に政策を推し進める姿勢が批判された。野党を敵視する言動もみられた。だが、どういう経緯があろうと暴力で言論を葬り去る行為に理はない。 民主主義に必要なのは、暴力で物事を片付けようとする誘惑を国民に醸成しないための環境づくりである。そこで欠かせないのは、公平、公正さを第一に政治決定を行うことであり、説明にエネルギーを注ぎ、国民の分断を防ぎ、社会の融和に尽くす努力であろう。 折しも、参院選の投票を目前に控える。候補者も政党も、そして有権者一人一人が、戦後日本が大切にしてきた民主主義の価値を改めて確認したい。2022年7月9日 毎日新聞朝刊 13版 1ページ 「民主主義への愚劣な挑戦」から引用 日本を代表する有力紙の一つとされる毎日新聞が掲載する記事としては、これはかなりお粗末な記事と言えるのではないかと、私は思います。事件後間もないとは言え、当日の夕方にはラジオやテレビは、犯人が「政治的な意図はない」と供述し、家族が宗教団体に多額の寄付をして家庭が破たんしたことを恨んで、日頃からその宗教団体にビデオメッセージを送るなどしていた安倍議員を狙ったと述べていることを報道していたので、翌日の新聞で上の記事を目にしたときは、随分ずれた記事だなぁという印象を持ちました。実際に、安倍議員は右翼や左翼の暴力を誘発するような政治的主張をしたことはなく、やったことと言えば、友人が経営する大学に医学部を新設するのに便宜を図るとか、国の経費で社会に貢献した人物を慰労する「桜を見る会」に自分の選挙区の有権者を違法に大量招待するとか、それらの疑惑を国会で質問されても100回以上のウソを並べてしらばっくれるとか、民主主義に挑戦したのはむしろ安倍議員だったという事実を、毎日新聞はどう認識しているのか、という疑問を禁じ得ません。
2022年07月25日
安倍晋三議員が銃撃されて死亡した翌日はどの朝刊も事件を一面トップで報道したが、安倍政権が何を残したかという点については、東京新聞は次のような冷静に分析する記事を掲載した; 8日死去した安倍晋三元首相は2012年の第2次政権発足以来、歴代最長となる2822日の連続在職日数を記録した。第1次政権を含む通算在職日数も歴代最長の3188日だった。識者は「強いリーダーシップで安定的な政治を実現した」と評価する一方、政治的見解の異なる人を攻撃し、社会に分断をもたらしたとも指摘する。 東京大先端科学技術研究センターの牧原出(いづる)教授(政治学)は「右派勢力を結集する力にたけ、選挙に勝って自民党と官僚をコントロールし、『一強』を実現した政治家だった」と振り返る。「外交面では環太平洋連携協定(TPP)加盟やトランプ米大統領(当時)と親密な関係を築くなど、日本の存在感を示した」と評価した。 牧原氏は、安倍官邸が省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局などを活用し、官僚へのコントロールを強めたと指摘。「与党内でも政権に歯向かうと何をされるか分からないという報復的な手法により、政治をゆがませた」と話す。 安倍氏の妻昭恵氏の関与が疑われた森友学園問題では、財務省の決裁文書改ざんも発生。牧原氏は、背景として、官僚による安倍氏への「忖度」を指摘。加計学園問題や「桜を見る会」を巡る問題など、国民が疑念を抱いた問題にもつながっているとみる。 「安倍一強」と呼ばれる政治状況が続いた結果、「政府内に自浄作用が働きづらくなった」(牧原氏)という。安倍氏から政権を引き継いだ菅義偉前首相も、日本学術会議の会員候補6人の任命を不透明な経緯で拒否するなど、十分な説明をしない手法が引き継がれたとみる。 東京工業大の中島岳志教授(日本政治思想史)は「かつての自民党は異論を認める余地があり、官僚に圧力をかけたり、野党の主張を無視したりすることに慎重だったが、安倍氏はこうした美風を損ねた」と指摘。さらに、「1990年代半ばからの社会の右傾化と、新自由主義の波の中核にいて、その方向に率いたのが安倍氏だった。富の再分配を重視してきた自民党の伝統を転換させ、自己責任論や『小さな政府』を指向し、結果的に社会の分断が進んだ」と分析した。(大野暢子)2022年7月9日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「モリカケ国民に疑念・自己責任論を指向」から引用 安倍政権の8年間で、日本の政治がどのように歪んだか、この記事は冷静に分析している。東工大・中島教授が指摘するように、かつての自民党は異論を認める余地があり、「平和憲法を護る」と公言するハト派の議員も多くいたのであったが、最近の自民党は打って変わっており、天賦人権説を否定するとか「国民の生活が大事だなどという政治は、おかしいと思います」などと公言する女性議員も、元はと言えば安倍氏の口利きで自民党公認を獲得し議員になったのであった。安倍議員が存命であるかないかに関わらず、安倍政権時代にうやむやになったモリカケ・サクラ・その他の諸問題は、今後も真相はどうであったのか、国民の前に明らかにする必要があると思います。
2022年07月24日
ゼレンスキー氏は英雄だろうか? 毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、8日の同紙に次のように書いている; 不本意な戦争でも一度始まってしまえば徹底的に戦うしかないと人は説く。「戦う」と言えば勇ましく感動的だが、正しくは「殺し殺される」と言うべきだ。まして徴兵制なら「殺す」のにいやも応もない。ためらいを消すため「戦え」と命じる者は「のために」でさらに言葉を飾る。◆「飾り」唱えながら 殺し殺される現実 「飾り」はいくらもある。国家、民族、歴史、神、君主、愛する人たち、イデオロギー、自由、正義、権利、名誉、平和、運命、子供らの未来。時には虚無や美や惰性や充実感さえもそこに当てはまる。「飾り」は何であれ、戦場の現実は一つだ。あなたは誰かを殺す。その誰かは別の「飾り」を唱えながらあなたを殺す。 「のために」は違っても同じ人殺しである。遠くの見物人たちは映像を眺めながら「のために」を巡っておしゃべりし、触ったこともない兵器と会ったことのない死者の数と知らない地名を数えるだけ。金もうけをたくらむ者もいる。それが戦争だ。 ロシア・ウクライナ戦争が日本に教えることは何か。政治指導者のあり方と国民の態度に絞って考えたい。始めた側の問題はおく。プーチン大統領の悪とウソは皆が知る。信じるのは「ウラジーミル」と呼ぶ例外的な友人たちだけだろう。日本は自ら戦争を始めないのだから、参考になるのは不本意ながら戦争になった側の指導者についてだ。 局面ごとに3タイプある。始めたくなかった戦争を始めるはめに陥る指導者、始めた以上「勝つ」まで殺し殺されるしかないと鼓舞する指導者、まだ殺せるぞと勇む同胞に殺されるのも覚悟で戦争をやめる指導者。日本にもかつていた。日米開戦を回避したかった近衛文麿、「生きるのは恥」と呼号した東条英機、終戦を断行した鈴木貫太郎の3首相である。近衛の無責任さについて歴史家の見方は一致するが、大衆の人気は絶大だった。東条だって開戦から半年は多分頼もしく見えた。◆外交に定見なく 勢いだけで当選 セレンスキー氏は高校教師が突然大統領になるテレビドラマ「人民のしもべ」で人気を博し、番組と同名の政党を作って一気に大統領選を制した。政治を見せ物に仕立てたわけだ。内戦が続き、反露と親露の両極端に揺れる現実政治に疲れた有権者は、ドラマの続きを見る気分で沸いた。ポピュリスムの典型である。就任あいさつ。「私は皆さんを笑わせることに生涯をかけてきた。今後は今以上に泣くことがないよう全力を尽くす」。現にあった政治・外交の行き詰まりを打開する戦略も展望も持たない芸人がドラマの勢いで大統領となり、「和平・中立」の選挙公約は就任後すぐ反露に変わった。これを無責任という。ロシアの非道に憤るウクライナ人の心情が大統領支持に集まるのは無理もない。ウクライナは今まさにナショナリズムの形成途上で「のために」は混乱の極みにある。だが、家も命も失いつつある今、3年前の自分たちの選択は正しかったと誇らしく思っているだろうか。 ゼレンスキー氏は映像を通じた巧みな訴えで世界の共感を集める。カーキ色のTシャツで筋肉を誇示するひげ顔は野戦指揮官の演出として秀逸だ。しかし似た演技は劇団の他の芸人でも演じられるだろう。大統領にはやるべきことがある。屈辱と不正義を引き受けてでも、国民の命を救う本当の指導者の勇気と判断と行動だ。近衛と初期の東条を兼ねた受けのいい指導者は、鈴木にもなれるのか。 AFP通信によると、バイデン米大統領は6月10日、米ロサンゼルスで記者団に漏らした。「多くの人に大げさだと思われていたのは知っているが、(ロシアが)国境を越えようとしていると確信していた。でも、ゼレンスキー氏は聞く耳を持たなかった。なぜ聞こうとしなかったのか理解はできるが、侵攻はあった」。米政府は昨年末から繰り返し懸念を表明していた。同時に米国は戦争を終わらせるより、法外な資金と武器を投入して長引かせることに利益があるという国際政治の冷徹な疑いは根強くある。 世界的なロシア・ウクライナ研究者の松里公孝東京大学法学部教授に4日、日本記者クラブでの講演後、ゼレンスキー氏の評価を尋ねた。苦笑交じりの返答。「言ってもしょうがない。ああいう人に投票すると戦争になるし何万人が死ぬことになる。誰を指導者にするかという一票で失敗したら戦争が始まるのが民主主義だ。ポピュリストに投票したらダメなんですよ」 これは日本の今の問題でもある。参院選で政治家が叫んでいる。「ウクライナを見よ。命がけで国を守っている。日本も・・・」。だが、当の政治家自身は決して命をかけないと私たちは知っている。2022年7月8日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「記者の目-ゼレンスキー氏は英雄か」から引用 この記事は論理が明快で、世の中の「真実」を根拠とした「正論」を述べていると思います。「国を守るために命を賭けて戦う」などという「欺瞞」に、私たち国民は騙されてはならないのです。どんな美辞麗句を並べても、戦争は所詮、人間同士の「殺し合い」なのですから、不幸にして始まってしまったのであれば、一刻も早く「止める」算段をするべきです。ゼレンスキーのように「侵攻前の状態まで押し返せれば勝利だ」などと言って、更に犠牲者を増やすのは、政治家のやることではありません。アメリカは自国の軍需産業が抱えた在庫を吐き出すために戦争を継続する意向であろうことは容易に推測できます。日本の安全保障のために必要なのは、軍事費の倍増や敵基地攻撃能力ではなく、「日本は今までそうであったように、これからも専守防衛でいく」と内外に宣明することです。それによって、周辺諸国も今以上の無駄な軍備増強をする必要がなく、平和共存の道を捜し出す努力も始めやすくなるはずです。
2022年07月23日
企業活動の生産性向上については、経営者の手腕だけではなく労使の交渉や第三者機関との話し合いなどを重ねることによって「新しいルール」を導き出して、発展していくもので、それを実証する史実も存在すると、3日の「しんぶん赤旗」の記事が主張している; 参院選で日本共産党は「やさしく強い経済」を訴えています。国民の生活と権利を守るルールは経済を強くする。「逆では」と思われるかもしれませんが、これは19世紀のイギリス、戦後の日本で実証されています。 19世紀初頭のイギリスでは1日の労働時間は14~15時間でした。労働者の運動で1850年、10時間に制限する「工場法」が制定され、経済が飛躍しました。『世界歴史大系イギリス史3』(山川出版社)によると、1850~70年で石炭採掘高は2・24倍、銑鉄生産高は2・77に倍に増加。同書はこの時期を「イギリス近代史上『繁栄』の時代として知られている」と記しています。 マルクスはこれに注目しました。「労働日が短縮されたにもかかわらず、工場労働者の貨幣賃金は上がり、・・・彼らの労働の生産諸力はおどろくほど発展し、彼らの商品の販売市場は前例がないほどつぎつぎと拡大した」(『賃金、価格および利潤』)。「1853-1860年の大工業諸部門の驚くべき発展は、工場労働者の肉体的および精神的再生と手をたずさえて進・・・」(『資本論』)。工場法に猛反対した工場主も「われわれは、同じ時間でまえよりも多く生産している」と誇りました(同)。発展の理由は労働者が健康になり機械化も進んだからです。 日本にも実例があります。自動車産業が排ガス規制で発展したことです。公害反対運動を背景に74年、東京都など革新自治体の音頭で、7政令市が共同で排ガス規制の運動を開始。技術と開発力はあるはずだとメー力ーに迫りました。公害車は購入しないと東京都は圧力をかけました。 消極的だったメーカーも78年、政府が窒素酸化物排出量の90%以上削減という世界で最も厳しい規制を実施すると、たちまち基準を達成する車を開発しました。日本車の輸出は76年の約370万台が80年には約600万台に急増しました。 気候変動対策で先頭を行くドイツの基本理念はこの事例に基づきます。旧西独政府の委託で研究したヘルムート・ワイトナー博士は「企業は規制で短期的には苦しんでも、長期的には技術革新を生み出し、新しい市場を築く。ドイツはそれを日本から学んだ」(2008年6月1日、NHK)と語りました。日本の運動の教訓はいまや全世界に広がっています。 筆者はドイツに出張した際、博士に会って聞いたところ、都留重人、宮本憲一、柴田徳衛各氏ら公害研究の第一人者に教わったとのことでした。 博士の見解は豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長も裏づけました。「排ガス規制への挑戦でトヨタの技術部は難局を新たな成長の契機と捉える姿勢へと大きく変化し、トヨタ車の国際競争力は一段と向上した」と述べたのです(「日経」14年4月17日付)。大企業の民主的規制で人間本位のルールができれば企業は合わせようとし、中長期的にはより健全で強い経済が生まれることがわかります。田代忠利(たしろ・ただとし 日本共産党出版局長)2022年7月3日 「しんぶん赤旗」 日曜版 20ページ 「経済これって何?-厳しいルールが繁栄を促した歴史」から引用 日本では武士と呼ばれる階級の者が大小の刀を持ち歩いていた1800年代の半ばに、イギリスでは労働運動の結果、1日15時間労働が10時間労働に改善され、その結果、労働者の健康状態が改善されて仕事の能率も向上し、生産性が向上して利益も増大したという、実に結構な実践であったと言えます。その百年後の日本でも、1970年代初頭は東京・神奈川・埼玉に社共共闘の革新首長が誕生し、住民の健康を重視する立場から低公害車の開発を迫ったのは「快挙」であったと思います。それが奏功してトヨタは世界に市場を広げたのは貴重な体験であったわけです。現在の自公政権のように、企業に対する「指導力」は皆無で、目先のことしか考えない経営者にやりたい放題させていたのでは、企業の金庫に現金は貯まるが、庶民の生活は苦しくなる一方ということで、生産性の向上は無理、企業の繁栄もおぼつかなくなるのは無理もありません。
2022年07月22日
参議院選挙一週間前の日曜日の「しんぶん赤旗」に、メディアが参議院選挙をどのように報じているか、ジャーナリストの沢木啓三氏が、次のように書いている; 参議院選挙の投票日まで1週間。今回の選挙は、「改憲勢力」が参議院でも発議条件の3分の2を超えるかどうかを決する重要な局面を迎えます。中でも日米首脳会談以降の「軍事費倍増」論やその財源をめぐる問題は選挙の重要な争点です。 地方紙では、この方向に疑問を呈するものが少なくありません。中国新聞は社説(6月28日付)で「平和国家として目指すべきは防衛力よりも外交力の強化だ」と、防衛費の増額に対して明確に反対の姿勢です。北海道新聞も、社説(26日付)で「日本の安保は専守防衛や非核三原則といった憲法に基づく平和主義が前提だ」として、安易な軍備増強論にくぎを刺しています。 一方、テレビの報道番組は、選挙関連報道に及び腰の姿勢が目立ちます。 選挙公示日、夜のニュース番組で選挙をトップで伝えたのは、NHK「ニュースウオッチ9」だけでした。同番組は、有権者が最も重視する政策課題として、1番目に経済対策、2番目に外交・安全保障をあげていること、経済対策では野党がそろって消費税減税を主張していることを紹介。長谷川実政治部記者が賃上げに関連して、内部留保が増え続けていることを指摘しました。山内泉キャスターは、「経済面でも安全保障面でも財源をどうするかが問われる」とくくりました。 有権者としては、これまでの政治にどんな問題があったのかも知りたいところです。25日のTBS「報道特集」がその疑問の一部に答えていました。国会の議決を受けないで計上された予算、”コロナ予備費”が、史上最大、14兆円を超える税金が使われながら、「9割が使途不明である」との声を紹介しました。 選挙は政権の政策を正すチャンスです。この機会に、有権者の判断に資する情報提供と積極的な検証報道を期待します。(さわき・けいぞう=ジャーナリスト)2022年7月3日 「しんぶん赤旗」 日曜版 35ページ 「メディアをよむ-財源が問われる参院選」から引用 この記事は冒頭で、今回の選挙は改憲派に議席の3分の2以上をを与えるかどうかの重要な局面を迎えると書いており、選挙公報の各党の欄にも一応、憲法をこのまま守るのか、一部を変更するのか、といったことは記述されてますが、しかし、どの候補も立ち会い演説で訴えるのは「憲法問題」ではなく、主に「経済問題」であったと思います。したがって、世論調査による有権者の意識も主に「経済問題」に高い関心が示され、「憲法問題」への関心は数パーセントに過ぎませんでした。そのような状況下で行なわれた選挙の結果は、必然的に「経済問題」を考慮した「結果」であって、ついでに記述しておいた「憲法改正」も「承認」または「支持」されたものではなく、偶然改憲を主張する議員の数が3分の2を超えただけであり、これをもって「憲法改正が支持された」ということは出来ません。しかしながら、「専守防衛」や「非核三原則」を守れと主張する地方紙は立派だと思います。大手の全国紙は、販売部数が伸び悩んで経営状態もあまり楽ではなくなっているせいか、どこか政府の顔色をうかがうような姿勢が見え見えで、憲法問題について「立憲主義を疎かにした間違った改憲論」への批判もせず、また政権があいまいに誤魔化してきた諸問題に対する言及もしないという、こういうことでは選挙への関心は盛り上がらず、若者がそっぽを向いてしまうのも無理はないと思います。
2022年07月21日
第二次世界大戦で中国を侵略した日本軍は戦況が泥沼状態となり、行きがかり上米英にも宣戦布告する羽目になり、敗戦は必至となったが、徹底抗戦を企てた軍部は長野県松代に「大本営地下壕」を建設する計画を立て、朝鮮半島から労働者を集めて強制労働を強いて、工事が終わるまで沖縄に派遣した第32軍に米軍との戦闘を継続させて時間稼ぎをしたのであったが、現代の日本では、そういう歴史を知っている日本人はあまり多くはない。そういう現状を、前文科事務次官の前川喜平氏は、3日の東京新聞に次のように書いている; 沖縄の慰霊の日に合わせて琉球新報と信濃毎日新聞が、那覇市にある「第32軍司令部壕」と長野市にある「松代大本営地下壕」について合同でアンケートを行い、その調査結果が両紙に掲載された。 第32軍司令部壕は首里城地下に築かれ、牛島満司令官らが沖縄戦を指揮した壕だ。沖縄戦は本土決戦の準備のための時間稼ぎだった。第32軍は首里を放棄したあと沖縄本島南部に撤退し、多くの住民を犠牲にする持久戦を行った。 松代大本営地下壕は、本土決戦にあたって皇居や大本営、政府機関などを移転するために造られた大規模な壕だ。その工事では多くの朝鮮半島出身者が過酷な労働を強いられた。 第32軍が壊滅状態に陥った1945年6月21日夜、陸軍大臣阿南惟幾らから届いた電報には「貴軍の奮闘により今や本土決戦の準備は完整せり」とあったという。 信濃毎日新聞によれば、昭和天皇は敗戦後の47年10月に長野市を訪れた際、当時の知事にこう尋ねたという。「この辺に戦争中無駄な穴を掘ったところがあるというがどの辺か」と。 アンケート結果では、第32軍司令部壕を全く知らない長野県民が46%、松代大本営地下壕を全く知らない沖縄県民が63%だった。多分東京都民の半分は両方とも知らないだろう。(現代教育行政研究会代表)2022年7月3日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-32軍壕と松代大本営壕」から引用 敗戦からまだ2年しか経っていない時点で、長野県知事に「この辺に戦争中無駄な穴を掘ったところがある」という昭和天皇の口の利き方には、呆れるほかない。昭和天皇の「御名御璽」で戦争が始められ、3百万人の日本人が犠牲になり2千万人のアジア人が日本軍の犠牲になったと言われる。「軍部が暴走した」などと言われるが、その「暴走」した軍のトップは「大元帥陛下」である昭和天皇だったのは、当時の憲法や法律からも明らかだ。そういう歴史の「事実」を、これからの日本人はしっかり学ぶべきだと思います、同じ過ちを繰り返さないためにも。
2022年07月20日
アメリカの最高裁は連邦政府が発電所に対して温室効果ガスの排出量を規制してはならないとする判決を出したとの報道について、文筆家の師岡カリーマ氏は2日の東京新聞に、次のように書いている; つい先日、女性が中絶する権利の合憲性を覆して「アメリカを150年逆戻りさせた」最高裁判所が、今度は連邦政府が発電所の温室効果ガス排出量を規制する権利を制限する判断を下した。石炭業界の勝利だ。女性の人権に続き、気候変動対策でも逆戻りした。 連邦政府の強権から州や企業を守るという主張は、最高裁の保守派判事や彼らを任命した共和党の政治家には法的にも道徳的にも筋が通っているのだろうが、州政府の悪政や巨大資本の欲から人間を守るという視点は、見事なまでに抜け落ちている。 宗教的な理由で中絶を殺人とみなす人々がそうでない人にまでその思想を押し付け、産めるか産めないかという決断を女性本人から奪う権利を最高裁は認めたわけだが、そうやって「守った命」を、無責任なまでに金儲(もう)けに邁進(まいしん)する大企業の環境(=未来)破壊からは守ろうとしなかった。判事のことを英語ではjusticeともいい、つまり「正義」と同義だが、憲法を最後の拠(よ)り所とする個人を守らないで一体どこが正義なんだか。 他人事(ひとごと)ではない。福島原発の事故で、最高裁は国の責任を認めなかった。国民の自由と権利を、権力による侵害から守るのが憲法のはずだが世界で唯一の強制的夫婦同姓を合憲と認める最高裁は、原発裁判でも権力の方を国民から守ったように見える。(文筆家)2022年7月2日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-最高裁は誰の砦(とりで)」から引用 この記事は、保守派と言われるアメリカ最高裁判事の論理矛盾を見事に指摘している。女性が自分の都合で妊娠中絶するのは、一旦授かった「命」を亡きものとする「殺人行為」だ、という考えは、世間を知った大人とは思えない視野の狭い考えと言わざるを得ません。実際に、世の中には不幸な犯罪に巻き込まれて妊娠してしまう未成年の女性もいるのですから、「授かった命は尊い」という信念は、誰もが受け入れられる「普遍性」を持つとは言えず、司法権という「権力」を以て国民に押しつけて良い「考え」とは言えません。そういう軽率な判断だから、「温室効果ガスの排出量を規制して、人々の生活環境を守る」という正しい「目的」を見失い、将来の人類の生存を脅かす事態の「促進」に手を貸すような「判断」が出てくるわけです。アメリカ連邦最高裁の判事は終身任期制で、本人が死亡するか辞任するまでその地位に留まるのですから、アメリカ社会はこの先数十年間は、こういう曲がった判決で苦しめられる運命と言えそうです。
2022年07月19日
アメリカの裁判所が「妊娠中絶を選択する権利」を否定する判決を出したことについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は6月29日の東京新聞に、次のように書いている; 24日、アメリカ連邦最高裁が約半世紀ぶりに「妊娠中絶を選択する権利は、憲法で保障されていない」と判断した。そんなバカな、だ。 なぜこれが大きなニュースになるかというと、妊娠中絶合法化の是非は女性の自己決定権のメルクマールとなる事案だったからだ。中絶の権利は世界中の女性が血のにじむような闘いを繰り広げて、やっと勝ちとった権利だったのである。 日本も例外ではなかった。ちょうど50年前の1972年、旧優生保護法の改正案が国会に提出された。改正案は中絶の要件から「経済的理由」を削除し、胎児に障害がある場合は中絶を認める「胎児条項」を導入するというもので、女性団体や障害者団体が激しい反対運動を展開。結果、法案は74年にぎりぎり廃案となり、96年には優生保護法が廃止されて母体保護法が成立した。 リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)は今日、もっとも基本的な女性の人権といえる。それが保守派の検事の一存で簡単にくつがえる。歴史的経緯を無視した暴拳といわざるをえない。 日本もしかし対岸の火事ではない。刑法の堕胎罪はまだ生きており、経口中絶薬は未承認、低用量ピルは普及せず、緊急避妊薬は薬局では買えない。歴史を逆戻りさせた国と歴史が前に進まない国。どっちもオタンチンである。(文芸評論家)2022年6月29日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-50年の後退」から引用 市民運動やその他人々の努力によって我々の意識も進歩し、封建的な意識や宗教的な束縛から人々が解放されるのが歴史の進歩というもので、時が経てば進歩するのは当たり前と思っていると、上の記事が嘆くような事態が時々起きるもので、まったく油断は出来ません。憲法の実効性を維持していくのと同様、日頃の注意と努力が必要であるということだと思います。
2022年07月18日
元文科事務次官の前川喜平氏は、一向に盛り上がらない今年の参議院選挙を前にして6月26日の東京新聞に、「空想小説」風のエッセイを書いている; 2022年参院選の結果、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党の改憲4党が参議院の総議席の7割を占めるに至った。日銀が放置する中、米欧との金利差が一層拡大。円安はついに1ドル=150円を超え、物価高騰に拍車をかけた。実質賃金は下がり続け、子どもの貧困率は急拡大して20%を超えた。 一方、岸田政権の資産所得倍増プランの下、米欧への投資を増やした富裕層は資産を2倍にした。ウクライナ戦争が長期化する中、証券会社は軍事産業関連の投資信託の新商品を次々に開発。政府は防衛産業の育成を骨太の方針に書き込んだ。防衛予算が急拡大する中、小学校の35人学級計画は中断した。 憲法審査会は着々と審議を進め、緊急事態条項、9条無効化条項などの改憲案が、改憲4党の賛成で両議院から発議された。教育条項には教育理念として國體(こくたい)の尊重と国家への奉仕が書き込まれた。洪水のような広告宣伝が功を奏し国民投票の結果改憲が成立した。 安倍晋三氏が3度目の首相の座についた矢先に富士山が噴火。首相は直ちに緊急事態条項を発動して国会から立法権を奪い、すべての報道機関を国家管理下に置いた。 アメリカがシリアに攻め込むと、安倍首相はすかさず存立危機事態を宣言して参戦。戦死した自衛官は次々に靖国神社に合祀された。(現代教育行政研究会代表)2022年6月26日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-参院選後のディストピア」から引用 実際の参議院選挙の結果は、改憲4党の議席が総議席の7割まではいかないまでも、それに近い数値になった。為替相場の円安も改善の芽はなく、ドル高は続きそうである。安倍氏3度目の首相の座は、突発事件のために「その芽」はなくなったが、これといった独自の「路線」はなにも無い岸田政権は、今後も「安倍政治」を継承していく以外に「道」はない様子であり、とりあえず「自公与党」体制を維持するためには、これ以上安倍政治の欠陥が露わになることを防ぐ「手段」として、安倍氏の「国葬」を大々的に実行して世の中に「追悼ムード」を充満させて、安倍政治の問題点、ひいては自民党政治の問題点を隠ぺいしていく「作戦」のようである。そんな騙しの手口に乗らないで、安倍政権以来の自公政治の問題点を洗い出し、住みよい社会の創設を進めて行かなければならないと思います。
2022年07月17日
安倍氏銃撃事件の直後に「言論を暴力で封じるようなことは許されない」と前置きした後で、事件の背景として自民党と宗教の結びつきについて言及した福島瑞穂議員を、三浦瑠璃・東浩紀・石戸諭の3名が批判したことについて、衆議院議員の米山隆一氏は、14日のツイッターに投稿して次のように述べている: 三浦瑠璃は元々、理屈が間違っていような曲がっていようが「何が何でも自民党は正しい」という立場からしかものを言わない人物なので論外であるが、東浩紀・石戸諭は週刊誌やテレビで、どちらかと言えばリベラルな発言をしていたと記憶しているが、最近は世の中の変化に応じた結果なのか、「自民党と統一教会の関係」については「フタをしよう」とする姿勢をあからさまに見せており、この2人の発言は、今後は注意して聞かなければならないと思いました。岸田内閣は銃撃事件で死亡した安倍議員を国葬にすると決めたらしいが、このような対応も、安倍議員と統一教会の繋がりを「オブラート」にくるんで、そのうち誰の目にも見えないようにしようとする算段であり、法律の規定もないのに何を根拠に一議員の死に「国葬」で対応するのか、注意が必要であり、安倍氏本人が最期まで説明を拒み続けた数々の疑惑については、「国葬」をするしないに関わらず、調査究明を行ない、国民の前に明らかにするべきです。
2022年07月16日
今回の参議院選挙が公示された日の東京新聞に、近年低下傾向を示している「投票率」がどうなるのかを心配する東京大学教授・宇野重規氏のような記事が掲載された; 参院選が公示された。この参院選は日本の政治と民主主義にとって、いかなる意味を持つのだろうか。 早くも気がかりなのは投票率だ。昨年10月の衆院選の投票率は小選挙区で55・93%であった。かつて70%を超えるのが当たり前だった国政選挙の投票率も、近年ではその低下が著しい。前回2019年の参院選は選挙区で48・80%であり、実に国民の2人に1人が投票しなかったことになる。はたして今回はどうだろうか。一部には、史上最低であった1995年参院選の44・52%を下回る可能性すら指摘されている。そうなったら、いよいよ「民主主義の返上」になりかねない。参院選公示を受けて、まずそのことを危惧しなければならないのが残念である。 ◇ ◆ ◇ このような懸念が示されているのも、選挙の結果がある程度、見えているからである。全体の趨勢が決まる上で重要なのが、32ある改選1人区の行方である。1人区の場合、当然であるが、与党に対抗する野党はその候補者を一本化して初めて勝負になる。にもかかわらず、今回は野党共闘は極めて限定的であり、共倒れの可能性も大きい。与党優位の構図は明らかであり、むしろそれを大前提にどの政党が野党第一党になるかを競っている印象さえある。 安定した戦いを進める与党と、相互に足を引っ張り合う野党の競争では、あたかも「2つのゲーム」になってしまう。国民が政権を評価し、選択するためにはゲームはあくまで1つであるべきだ。このような状況で、はたして昨年誕生した岸田政権の政策について、適切な評価が行えるか疑問である。 この参院選を乗り越えると、岸田文雄首相は今後3年間、衆院を解散しない限り選挙なしで過ごすことができる。じっくり政策を展開するには好都合であるが、それだけに選挙戦を通じて、「新しい資本主義」や「デジタル田園都市国家構想」の内実を吟味することが重要である。各党間の充実した論戦に期待したい。 また自民党の茂木敏充幹事長は、憲法改正原案を選挙後に国会に提出したいとの考えを表明している。もしそうであるならば、どのような改正を考えているのか、参院選において明確に示す必要があるだろう。参院選で十分な議論をせず、それが終わったら数に物を言わせるというのでは筋が通らない。 ◇ ◆ ◇ そうだとすれば、この参院選で問われていることは、実に重大だと言わざるをえない。第一に、ロシアのウクライナ侵攻により緊張の高まる国際情勢にあって、日本はいかにして自国の安全を守るだけでなく、国際秩序の回復に寄与できるか、そのビジョンが問われている。防衛費の大幅な増加をめぐっては、与党内においても激しい議論の対立が見られる。「世界の中の日本」について短絡的ではない、地に足のついた議論が必要である。 第二に、「民主主義の未来」が問われている。日本国民が政権のあり方を含め、自らの力で自らの未来を決定しているという実感をどうすれば取り戻せるか。現在の政治状況も、長く続いた低投票率の産物とも言える。数ポイントの投票率の上昇でも、大きな変化が生じる可能性がある。与野党のあり方を含め、望ましい政権のあり方を今こそ考える必要がある。これから数年の日本のあり方を念頭に一票を投じたい。2022年6月26日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-民主主義の未来問う選挙」から引用 宇野氏がこの記事を書いた頃は、まさか安倍晋三銃撃事件が起きるとは誰も予感していなかったから、日本の民主主義の心配点と言えば「投票率の低下」くらいのものだったかも知れないが、安倍銃撃事件によって、私たちは「日本の民主主義の危機とは、そんなレベルのものではない」という現実を知らされたと思います。民主主義の危機の第一は、主要メディアが権力と結託しているか、もしくは結託する方向を目指していることです。それは、安倍銃撃事件は安倍議員と統一教会との深い繋がりが原因で起きた事件であるにも関わらず、どのメディアも「統一教会」が自ら記者会見を開くまで、その名称の公開を避けたことに表れています。また、統一教会は元々、「オウム真理教」と同様のカルト団体として公安警察の監視対象であったものが、安倍政権下の2015年に、何故か監視対象から外されていた、という事実にも表れていると言えます。如何なる理由で公安警察の監視対象から外されたのか、調べる必要があると思いますが、いまのメディアにそういう重大な事案を調査する意思や能力があるのかどうか、日本の民主主義の未来がかかった重大な事案だと思います。
2022年07月15日
安倍議員が銃撃されて死亡した日に、原子力工学の専門家で京都大学大学院助教の小出裕章氏は、次のような文書をインターネットに掲載した;2022年7月9日 アベさんに対する銃撃について思うこと 小出 裕章 アベさんが銃撃を受けて死んだ。悲しくはない。アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。朝鮮を徹底的にバッシングし、トランプさんにはこびへつらって、彼の言いなりに膨大な武器を購入した。彼は息をするかのように嘘をついた。森友学園、加計学園、桜を観る会、アベノマスク・・・彼とその取り巻きの利権集団で、国民のカネを、あたかも自分のカネでもあるかのように使い放題にした。それがばれそうになると、丸ごと抱え込んだ官僚組織を使って証拠の隠ぺい、改ざん、廃棄をして自分の罪を逃れた。その中で、自死を強いられる人まで出たが、彼は何の責任も取らないまま逃げおおせた。私は彼の悪行を一つひとつ明らかにし、処罰したいと思ってきた。 私は一人ひとりの人間は、他にかけがえのないその人であり、殺していい命も、殺されていい命も、一つとして存在していないと公言してきた。アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった。悪行についての責任を取らせることができないまま彼が殺されてしまったことをむしろ残念に思う。 多くの人が「民主主義社会では許されない蛮行」と言うが、私はその意見に与しない。すべての行為、出来事は歴史の大河の中で生まれる。歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である。 国民、特に若い人たちを貧困に落とし、政治に関して考える力すら奪った。民主主義の根幹は選挙だなどと言いながら、自分に都合のいい小選挙区制を敷き、どんなに低投票率であっても、選挙に勝てば後は好き放題。国民の血税をあたかも自分のカネでもあるかのように、自分と身内にばらまいた。原子力など、どれほどの血税をつぎ込んで無駄にしたか考えるだけでもばかばかしい。日本で作られた57基の原発は全て自由民主党が政権をとっている時に安全だと言って認可された。もちろん福島第一原発だって、安全だとして認可された。その福島原発が事故を起こし、膨大な被害と被害者が出、事故後11年経った今も「原子力緊急事態宣言」が解除できないまま被害者たちが苦難にあえいでいる。それでも、アベさんを含め自民党の誰一人として、そして自民党を支えて原発を推進してきた官僚たちも誰一人として責任を取らない。もちろん裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らはこれからもまた原子力を推進すると言っている。さらに、これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。 愚かな国民には愚かな政府。それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する。今回、アベさんを銃撃した人の思いは分からない。でも、何度も言うが、はじめから「許しが たい蛮行」として非難する意見には私は与さない。 心配なことは、投票日を目前にした参議院選挙に、アベさんが可哀想とかいう意見が反映されてしまわないかということだ。さらに、今回の出来事を理由に、治安維持法、共謀罪などがこれまで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないかと私は危惧する。 この記事は安倍晋三という政治家が、どのような「業績」を残したのか、客観的に記述していて内容も正確だし、適切な評価になっていると思います。私が毎朝聞いているTBSラジオ「生島ひろしのおはよう一直線」では、パーソナリティの生島ひろし氏が毎朝番組の中で「惜しい人材を失ってしまった。世界の大物を相手に堂々と交渉できる唯一の政治家であった。日本にとって、国家的損失は計り知れない」などと歯の浮くようなおべんちゃらを並べ立てているが、「桜問題はどうなっているんだ」と言ってやりたい気がします。市井の一般人が亡くなったのであれば「お気の毒に」という「対応」が常識と思いますが、一国の統治機構の最高位にいた人物については、安倍氏の任期中に日本の政治がどのように推移したのか、統一教会との関係はどのようであったのか、今後明らかにしていかなければならないと思います。
2022年07月14日
参議院選挙の投票日前々日に元自衛隊員に銃撃されて安倍晋三議員が死亡した大事件について、犯人が自供した犯行の動機は「母親が統一教会に過大な献金をしたせいで、家庭が崩壊したことを恨んで、統一教会と関係が深い元首相の安倍議員を襲撃した」ということで、警察は記者会見でその内容を発表したはずなのに、メディア各社は「統一教会」という組織名を伏せて、「宗教団体」などと表現して報道した。「日本会議」と同様に「統一教会」と関係が深い政治家は、特に自民党に多く存在していることに、メディア各社は「忖度して」、敢えて組織名を伏せたのではないか。もしかすると、メディア各社にも「統一教会」は入り込んでいて、それなりに「情報操作」をしているのではないか、との疑念も生ずる事態となっているらしい。昨日のツイッターには、次のような投稿があった; 昔、メディアが「統一教会」と言っていたカルト団体は、現在は「世界平和統一家庭連合」という名称に変更になっているが、今も相変わらず「壺」や「印鑑」などを高額で販売する事業をやったり、信者を集めて高額の寄付金を納めさせているらしく、今回の銃撃事件の犯人の母親もこの「統一教会」に多額の寄付をしたらしい。しかし、メディアは「統一教会」と政治家の関係には敢えて触れず、安倍氏を逆恨みして犯行に及んだ、という「ストーリー」をテレビ視聴者に印象づける報道をしており、事の真相を知るには組織に帰属しないフリーのジャーナリストの努力が必要かも知れない。
2022年07月13日
沖縄県に駐留する自衛隊幹部は、毎年「慰霊の日」の深夜に制服制帽の姿で「黎明の塔」を参拝していたのだが、今年は中止になった。その経緯を、「沖縄タイムス」記者の阿部岳氏が「週刊金曜日」7月1日号に、次のように報告している; 漆黒の東の空か赤に染まり、やがて朝日が昇っても、自衛官は現れなかった。「慰霊の日」の6月23日、沖縄戦最後の激戦地になった沖縄島南部の黎明之塔(れいめいのとう)。陸上自衛隊は2004年から18年間続けてきた明け方の集団参拝を、今年は見送った。 塔は沖縄戦で日本軍を指揮した牛島満司令官と長勇(ちょういさむ)参謀長をまつる。塔の名は2人が1945年のこの日、黎明(明け方)の午前4時半に自決したという説に由来する。沖縄の陸自は自決の時間に合わせ、トップの第15旅団長を先頭に、制服姿で、連れだって、参拝を重ねてきた。 陸自はこれを、「私的参拝」だと強弁した。昨年の慰霊の日も、旅団長は私の質問に「個人的に参拝している」と答えた。しかし、陸自中枢の陸上幕僚監部(陸幕)が同じ日に作成した報告文書が情報公開で明らかになった。そこには、次のような記述があった。「旅団長、旅団最先任上級曹長及び旅団司令部総務課長(3名)が、私的に(制服着用)黎明之塔を含む各施設に慰霊を実施」「他隊員は、私服、あるいは他の時間帯での実施を予定し、慰霊を実施している模様(最大25名程度の様子)」「模様」「様子」などとぼかしてはいるが、参拝の様子を組織として把握している。そしてこの報告は、トップの陸上幕僚長まで上がっていた。組織ぐるみで公認される参拝の実態が浮かんだ。 報告文書を入手したのは「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」代表の中村之菊(みどり)さん。「愛国者」を自認し、だからこそ自衛隊のあり方を厳しく問う。 「もし日本軍を継承するなら、自衛隊はまず沖縄戦の過ちを謝罪すべきだった。それもせずに、明らかな組織的参拝を私的参拝だとごまかしてきた。報告文書がバレると、組織を守るために参拝そのものを中止した。こんな張りぼての組織はあってもしょうがない」 自衛隊は、住民を守らず、虐殺した日本軍を顕彰するのか。後継者を名乗るのなら、「敵軍」の米軍に隷従する日米一体化はどういう整合性があるのか。ごまかしと無理を重ねた参拝は、戦争を総括しないまま出発した自衛隊、ひいては戦後日本の姿を象徴している。 沖縄県民や野党国会議員の批判を受け、陸幕が2020年以降、15旅団に対して「地域の住民感情に十分配慮し、今後はより熟慮の上で対応するように」と注意していたことも判明した。それでも昨年の参拝は強行された。本気で止めようとしない中枢、暴走する現地部隊。「満州事変」を拡大した関東軍のようなありさまで、陸幕長は記者会見で「統制違反ではないか」と厳しく追及された。 今年、参拝が中止になった理由は明確ではない。15旅団は「プライベートなことで答えられない」と、私的参拝だったという建前をいまだに崩さない。 毎年抗議を続けてきた沖縄県平和委員会事務局長の大久保康裕さんは、現場で中止を見届けた。「自衛隊増強をスムーズに進めるため、火種を増やさないという判断があるのかもしれない。しかし、市民の監視が実り、犠牲者の尊厳が守られたという意味で、率直に良かったと思う」 別の男性は「参院選が影響したのか」と推測しつつ、「今度は集団参拝を再開させないために監視の目が必要になる」と語った。<あべたかし・『沖縄タイムス』記者>2022年7月1日 「週刊金曜日」 1383号 19ページ 「阿部岳の政治時評-自衛隊の日本軍顕彰、市民の監視で中止に」から引用 沖縄県にある「黎明の塔」は、昭和27年に沖縄の米軍基地建設工事のために本土から沖縄に集められた建設労働者の中にいた牛島司令官の元部下が、自決直後に建てられたと見られる朽ちかかった木の墓標を発見し、地元沖縄の仏教関係の団体と協力して石造りの「黎明の塔」としたものらしい。したがって、地上戦が戦われ日本軍からは地下壕に入れてもらえなかったり、スパイ扱いされたり、挙げ句の果ては「集団自決」を強要した日本軍に対し、恨みを持つのは無理のないことで、そのような「県民感情」を顧みることなく、戦時中の日本軍の行動を顕彰する態度は、許されるものではないと思います。
2022年07月12日
近頃の日本では、前途のある学生に「学生ローン」と称する過大な借金を背負わせるシステムがあり、有能な若者をスポイルするのではないかと思わせる記事が、6月26日の朝日新聞に掲載された; 5月、兵庫県に住む男子学生(19)は大学から届いたメールを開いた。「奨学金の振込はありません」。淡い期待は打ち砕かれた。◆仕送り頼めない 男子学生が愛知県内の私立大に入学したのは昨春。シングルマザーとして自分と妹を育ててくれた母(53)が、冠婚葬祭関連の仕事を失った翌月だった。 2020年4月に始まった国の修学支援制度を利用し、年約90万円の給付型奨学金の支給と、年約70万円分の授業料の減免を受けることが決まっていた。 ただ、授業料は年約160万円。奨学金は全額支払いに充てた。母や、受験を控える妹を思うと、仕送りは頼めない。4万円の家賃や光熱費、食費を含めると最低でも月7万円必要だった。飲食店やコンビニのバイトをかけ持ちした。 今年1月、睡眠時間を削って勉強し、テストに臨んだ。疲れから体調が優れなかった。テストが終わって数日後に発熱し、新型コロナの感染がわかった。 3月、「留年」との通知が届いた。留年すれば、4月からの奨学金の給付はなくなる。母の失業やテスト期間中の体調不良が「やむを得ない事由」に当たらないか。大学側にかけ合ったが、認められないとの回答がメールで届いた。 男子学生は今、大学を休学し、実家からアルバイトに通う。せっかく入学したのだから学業を続けたい。就職を考えると、「大卒」の学歴もほしい。 だが、奨学金が支給されなければ、生活は立ちゆかない。貸与型の奨学金や学生ローンを申請することはできるが、「要は借金。そこまで無理して大学に通い続けるべきなのか……」。結論を出せずにいる。◆「借金怖くなり」 大阪府の看護師の女性(30)は、総合病院の整形外科で働く。シングルマザーの家庭に育った。父は自分が3歳の時に失踪した、と母から聞いた。家計に余裕はなく、奨学金を高校で約60万円、大学で約570万円借りた。27歳で看護師となり、返済が始まった。 当時の残高は、計600万円強。毎月3万3千円ずつ、20年かけて返す計算だった。返済を始めると、家計を支えていた父が消え、困窮した母の姿が思い浮かんだ。病気やけがで、私もお金に困るかもしれない-。借金を抱えていることが、急に怖くなった。 繰り上げて返済するため風俗店で月3回ほど働くことにした。病院での夜勤を終え、午前11時ごろ帰宅。3時間ほど仮眠し、店に出勤する。稼ぎは1日約10万円。収入は奨学金の返済のほか、貯蓄に回す。 「奨学金には感謝しています。でも、生まれた家によって負担の差が大きすぎませんか」 参院選では複数の政党が奨学金をめぐる政策を公約に掲げた。同じ苦労を若い世代がしないよう、投票先を慎重に選びたいと思う。(塩入彩、田中紳顕)◆463万人が返済中、滞納13万人3割が非正規 国内の奨学金事業の約9割を担う日本学生支援機構によると、2020年度末時点で奨学金の総貸与残高は約9兆5900億円。借りている約616万人のうち現役学生らを除く約463万人が返済中という。 返済を3ヵ月以上滞納している人は減少傾向にあるものの、なお約13万人(約3%)いる。20年に実施した抽出調査によると、うち3割が非正規労働者で、失業・休職中の人も7人に1人いた。また、7割が年収300万円未満だった。 滞納者に対しては、支払い督促を経て、給与を差し押さえる強制執行などの法的手続きがなされる。支援機構は20年度、438人への強制執行を各地の裁判所に申し立てたという。 参院選の公約では、減額返還の年収要件の緩和(公明)や、返済不要の給付制を中心にした拡充(共産)などが掲げられている。2022年6月26日 朝日新聞朝刊 14版 29ページ 「お金は生まれた家次第」から引用 我々が学生だった頃は、学費も今のようには高くなかったが、どうしても「大学卒」の学歴がほしいと思わせるような社会的要因もなく、十分な経済力がない家庭の子弟は中卒で就職したり、高卒で就職するのは「当たり前」の時代であった。中卒でも高卒でも、それなりの収入を得ることは可能であり、学歴で出世のスピードが異なるとか出世の限界があるというような「弊害」もあったかも知れないが、学歴がないために「劇的に不利な待遇」になるということもなかったような気がします。そして何よりも、当時は経済力のない学生を相手に「金貸し」の商売をやるという不道徳は許されない、という「社会の常識」があったのだと思います。しかし、長年の自民党政治は欧米風の資本主義を模倣して、学生を相手にした金融ビジネスを合法化して、前途ある若者に過大な借金を背負わせる事態となっている。アメリカではバイデン大統領が、コロナ禍を機会に学生のローンを帳消しにするという「決断」をしたという報道もありました。日本政府も見習ってほしいものです。また、学生諸君も、数百万円の学費を借金して「大卒」の学歴を得たとしても、卒業後に就職する先が「派遣社員」ではどうなのか、損得勘定も必要だし、社会も、若者がそこまで思い詰めて借金をしなくても済むような環境をつくってあげるべきだと思います。
2022年07月11日
月刊「クライテリオン」伊藤貫氏の記事の続きは、2014年にCIAを使ってウクライナにゼレンスキーを中心にした傀儡政権を組織したアメリカは、その後どのようにロシアを追い詰めたか、次のように述べている; ウクライナの親露派政権が米政府によるクーデターで破壊され、隣国ウクライナがアメリカの実質的な属国となってしまったのを見たプーチンは、クリミア半島とウクライナ東部ドンバス地域を占領した。この2地域の住民は、大半がロシア語を喋りロシア正教会に所属している親露派である。プーチンは、「1991年にソ連邦が崩壊した時、ウクライナに置き去りにされた1200万人のロシア同胞を救え!」という国内世論の嵐に応える必要があったのである。(ミアシャイマー、コーエン、マトロック駐露大使の3人は、「アメリカが仕掛けた2014年のクーデターにより、米露関係は実質的な戦争状態に入った」と述べている。その通りである。オバマ政権のウクライナ・クーデターは、ロシアに対する露骨な挑発行為であった。) 事態を憂慮した独仏両政府は2014年と15年、ミンスク協定と呼ばれる妥協案を成立させた。露・ウクライナ両国は、この協定に署名した。この協定では、ドンバス地域に住む親露派住民に一定の自治権を与えることを条件として、露・ウクライナ両国は武力紛争を停止することになっていた。しかし米政府とウクライナの右翼集団がミンスク協定の実施に激しく抵抗したため、この協定は無効になってしまった。ネオコン族と米政府内の好戦派とウクライナの国粋右翼は、ロシアをウクライナとの戦争に引きずり込みたかったのである。 2014年のクーデターに成功してウクライナを”保護国”としたアメリカは、活発な軍事介入を始めた。数百名の米軍将校をウクライナに常駐させて、ウクライナ軍と極右集団に対する米国製兵器の供与と軍事教練を行った。米国本土にウクライナ軍を滞在させて、米軍と共に戦う訓練も実施された。公式には「NATO加盟国」ではないウクライナが、着々と「アメリカの実質的な軍事同盟国」になっていったのである。この動きは、ロシアにとって強烈な脅威となった。米国製の最新兵器がウクライナに大量に流れ込み、米軍の情報システムと戦闘指揮システムを使いこなせるウクライナ軍が出現すれば、隣国ウクライナはロシアに対して巨大なダメージを与える攻撃力を持つ軍事国家に変貌するからである。 しかも2021年、バイデン政権になってから、ドンバス地域に駐留しているロシア兵が、米軍に訓練され、米国製のドローンを使用するウクライナ兵によって殺害され始めた。じりじりと追い詰められたロシア政府は、「このままではロシアの立場は、毎年、着々と不利になっていく。手遅れにならないうちに、ウクライナの軍事力増強の流れを止める必要がある」と決断した。プーチンは、ウクライナ侵攻を決意したのである。 2014~22年のロシアは、着々と戦争せざるをえない状況に追い込まれていった。西側諸国のマスコミが報道するように、「狂気のプーチンが、突然、何の理由もなくウクライナに襲いかかった」のではない。2014年以降、執念深く米露軍事衝突の可能性を増大させていったのは、米政府とネオコン族であった。好戦的で挑発的であったのはアメリカである。◆米露戦争長期化で利益を得るのはチャイナ 米政府は今回の露・ウクライナ戦争を長期化させることによって、ロシアの軍事力・経済力・国際政治力に、決定的なダメージを与えることを狙っている。この戦争は、陰惨な泥沼状態の長期戦になる可能性がある。現在の米政府が望んでいるのは、ロシアのレジーム・チェンジ(体制転換)であり、次のロシア政府の「エリツィン政権化」である。エリツィン時代のロシアは、米政府の言いなりであった。マトロック大使が指摘したように、「米政府はロシアを、まるで敗戦国日本のように扱っていた」。アメリカはロシアを「敗戦国日本のような従属国」に作り変えたいのである。 筆者は、そのようなレジーム・チェンジ構想が成功するとは思わない。ロシアは豊富な自然資源を持つ、核兵器大国である。西側諸国から厳しい経済制裁をかけられても、簡単に屈服する国ではない。しかもロシア人は、とても粘り強い。対ナポレオン戦争でも対ヒトラー戦争でも、鈍重で田舎っぽくて”野蛮な”ロシア民族は、目の玉が飛び出るような巨大な犠牲を払って自国の独立を死守した。一度戦争に負けると、あっと言う間に「護憲左翼」や「拝米保守」に変身してしまう”素直な日本人”とは、価値観や文化が違うのである。 現在のウクライナ人は、米露間の覇権闘争に利用されているだけである。米政府もネオコン族も、本音レベルでは「親ウクライナ」などではない。米政府は本気で「ウクライナの民主化」や「西欧化」が可能だと思っている訳ではない。ウクライナの内政は、他の欧州諸国よりもはるかに腐敗している。現在のウクライナは、真の法治国家になれない。 今回の米露戦争の長期化・泥沼化によって、最後に笑うのはチャイナである。このような愚劣で不必要な対露戦争を長期化させれば、アメリカは中国封じ込め政策を遂行する能力を失っていくからである。それによって強烈なダメージを被るのは、勿論、日本である。自主的な核抑止力を持たない日本は、十数年後に滅びるであろう。(終わり)月刊「クライテリオン」 2022年7月号 54ページ「30年間、ロシアを弄んできたアメリカ」から一部を引用 この記事によると、アメリカの狙いは「ロシアを敗戦国日本のような従属国」にすることのようであるが、ロシアはアメリカをしのぐ核ミサイルを保有しており、そう簡単に「従属国」になるとは考えられません。この後、紆余曲折を経て最後にアメリカが目的を達成するにしても、そこに辿り着く前にはロシアはどこかで核兵器を炸裂させる時があるのではないかと予測されます。そのような無駄な争いを避けて、平和な世界への道を切り開くのが人類の英知ではないかと思いますが、それにはアメリカの邪な野心を改めさせる必要もあります。それにしても、この記事の末尾には「自主的な核抑止力を持たない日本は、十数年後に滅びる」などと、なんだかヤケクソのような恫喝の文言が記されており、もう少し冷静で沈着な言動があって然るべきではないかと思われます。
2022年07月10日
今月6日から連日引用している月刊「クライテリオン」7月号・伊藤貫氏の「30年間、ロシアを弄んできたアメリカ」の続きは、ウクライナに民主的な選挙で誕生したヤヌコヴィッチ政権に対し、アメリカはCIAを使ってクーデターを起こしてヤヌコヴィッチを国外に追放し、操り人形のゼレンスキーを大統領にするという茶番を演じた、その経緯を次のように述べている;◆米政府が企画し実現した、ロシア・ウクライナ戦争 今年の2月に始まった露・ウクライナ戦争は、過去30年間のアメリカの対露政策の”当然の帰結”と言ってよい。筆者は、米露関係が実質的な戦争状態になったことに強く失望しているが、「米政府があのように不正な政策を実行してきたのだから、戦争になったのは当然だな」とも感じている。 フランスの人口学者・外交分析家であるイマニュエル・トッドは、20年前に次のように述べていた:「冷戦後のアメリカの対露政策の目的は、2つである。それらは、(1)CIAを使って旧ソ連邦諸国内における民族主義的な独立運動を刺激し高揚させて、ロシアの勢力圏を分裂させる。(2)ヨーロッパ諸国とロシアの関係を悪化させて、ロシアを孤立させる。」このドットの指摘は、現在でも正しい。キッシンジャーも2014年、「ウクライナ問題を東西衝突の焦点とすることは、今後数十年間にわたり、ロシアと欧州の関係を悪化させることに役立つだろう」と述べていた。これが米政府の本音である。 以下に、米政府がウクライナ問題を利用して、ロシアを窮地に追い込んでいった経緯を解説したい。 ブッシュ(息子)政権は2008年、「ウクライナとグルジアをNATOの加盟国とする」という決定をした。独仏両政府はこの政策に乗り気ではなかったが、米政府に押し切られてしまった。米政府(特にイラク侵略戦争を敢行したブッシュ政権内のネオコン・グループ)は、「NATOに加盟したウクライナとグルジアに米軍を進駐させれば、アメリカはロシアを脅しつけて、屈服させることができる」と本気で信じていた。(ネオコン族は現バイデン政権でも、外交政策決定の中枢部にいる。バイデン家は過去40年間、ウォールストリートのユダヤ系金融業者から百億円以上の政治資金を受け取ってきたから、イスラエル・ロビーとネオコンの要求に従順である。)ロシア政府は、ウクライナとグルジアをNATO加盟国とすることに何度も激しく抗議したが、米政府と米マスコミは抗議するロシア人を嘲笑しただけであった。 2010年、親露派のヤヌコヴィッチがウクライナ大統領選に勝利すると、米政府は即座にヤヌコヅイッチを失脚させる秘密工作を開始した。国務省とCIAは以前、イラン、グァテマラ、南ベトナム、ブラジル、チリ、エジプト等で、民主的選挙で当選した大統領や首相をクーデターや内乱によって失脚させた「実績」を持つ”クーデター工作のプロ”である。「世界中に民主主義の政体を拡めるべきだ」と国際社会に対して高邁なお説教をするのが大好きなオバマ大統領とバイデン副大統領は、民主的選挙で選ばれたウクライナ大統領を失脚させることに躊躇しなかった。 シカゴ大学のミアシャイマーの著作『Great Delusion』(2018)によると、オバマとバイデンはウクライナの反露派陣営に6500億円以上の資金を注ぎ込み、ヤヌコヴィッチ政権を破壊する工作を実行した。この目的のため国務省とCIAは、1930年代から親ナチ・親ファシスト運動に参加していたウクライナの極右レイシスト集団まで、熱心に支援した。「ウクライナの親露派を破壊するためなら、何でもあり」というのが、国務省とCIAの態度であった(ウクライナの極右集団は過去90年間、拷問、暗殺、テロ、他民族の大量虐殺等の犯罪を平然と実行してきた無法者集団である)。オバマ政権にとっては、「ウクライナの民主的な選挙の結果を覆(くつがえ)すことが、国際社会の民主化につながる」というロジックであった。実にOrwellianである。 国務省とCIAは2014年2月、キエフ(キーウ)でクーデターを起こすことに成功した。国内暴動によってパニック状態となったヤヌコヴィッチは、国外に逃亡した。このクーデターは西側諸国のマスコミにおいて、「民主的なマイダン革命」と描かれることが多い。しかしその実態は「民主的な革命」ではなく、国粋主義的なレイシスト右翼集団による流血クーデターであった。(国粋右翼によるマイダン・デモ参加者の虐殺に関して、東大教授〔スラブ学専門家〕の松里公孝氏が『プーチンの戦争目的』というエッセイを書いている。このエッセイの中で松里氏は右翼集団による虐殺行為を解説し、日米欧のマスコミのウクライナ報道にはあからさまなバイアスがあることを指摘している。松里氏は東大教授には珍しく、知的勇気のある人である。) このクーデターの際、キエフの米国大使館で政変の指揮を執っていたのが、現バイデンン政権のビクトリア・ヌーランド国務次官である(オバマ政権時は、国務次官補であった)。彼女は、単にウクライナ政権の破壊を煽動・指揮していただけではない。彼女は、「次のウクライナ首相を誰にするか」という重要人事に関しても、ウクライナ人に命令を出していた。実に”民主主義的”なアメリカ外交官である。19世紀・大英帝国の植民地統治を彷彿させる振る舞いである。 ヌーランドは、ワシントンで有名な”ネオコンの猛女”である。彼女の夫は、ロバート・ケーガンという著名なネオコン言論人(イスラエル・ロビーのプロパガンディスト)である。この夫婦はクリントン政権時代から、イスラエルと対立するイラク・イラン・シリアに対して米軍が戦争を仕掛ける必要性を力説していた。2人とも2003年の国際法違反のイラク侵略戦争を、熱心にプロモートしていた。彼らはロシアに対しても、執念深く攻撃的である。2人とも、父親や親族は東欧から移住してきたユダヤ系移民である。プリンストン大のスティーヴ・コーエンによれば、「ロシアや東欧から移民してきたユダヤ人には、ロシアに対して深い怨恨を抱いている人が多い。彼らは米露関係を悪化させて、ロシアに復讐しようとしている」。そのような”ネオコン猛女”が、現バイデン政権の対露政策を決定しているのである。(つづく)月刊「クライテリオン」 2022年7月号 54ページ「30年間、ロシアを弄んできたアメリカ」から一部を引用 アメリカ政府が世界のどこかに都合の悪い政府が出現すると、CIAを使ってクーデターを起こさせ操り人形のような傀儡政権を作らせるというのは、アメリカが昔から繰り返している悪行である。ロシア軍がウクライナに侵攻した当初から、メディアは「プーチン大統領は『ウクライナのファシストとの戦いだ』と言って違法な侵略行為を正当化している」というような報道をしており、何も知らない我々は「プーチンはしょうもない言い訳をしてる」と思い込んでいたのであったが、上の記事を読むと、プーチン氏の発言にもそれなりの「根拠」があることが分かります。アメリカの悪行がこのまま未来永劫に続くようなことは、あってはならないと思います。
2022年07月09日
一昨日、昨日と引用してきた月刊「クライテリオン」伊藤貫氏の記事の続きは、米国CIA高官フリッツ・エアマースが米連邦議会でどのような証言をしたか、次のように述べている; 1993年にニクソン元大統領がモスクワに来た時、彼はエリツィン大統領に対して、『ロシア庶民の経済的な困窮に、もっと注意を払うべきではないか。ロシア議会の政策提言にも、耳を傾けた方が良い』と忠告した。するとエリツィンは、『クリントン政権は、そのようなことを言っていない。彼らは我々に、国民と議会は無視しろと言ってくる』と答えたのである。このようにクリントン政権は当初から、『ロシア国民の生活は無視しろ』という態度であった。 ロシアの国債市場は、投機業者が常に巨利を獲るように仕組まれている。そのためロシア財政は破綻してしまった。露政府は国民に対する給与と年金の支払いを止めてしまい、医療制度も崩壊している。このような犯罪的な経済政策にもかかわらず、IMFは露政府に対して巨大な経済支援を供与し続けた。そしてアメリカ政府は、ロシアにおける虚妄の”経済改革”が成功しているかのごときお芝居を演じ続けた。 ロシア経済の腐敗と犯罪は、CIAの分析官がわざわざ証拠を探し出す必要もない明白な事実である。ごく普通の庶民ですら、露政府の腐敗と犯罪を知っている。しかし不思議なことにアメリカのマスコミと外交政策エスタブリッシュメントは、露政府の腐敗と犯罪に気が付かないふりをしてきた。我々情報分析官は、そのことに注意を喚起しようとした。しかし我々の抗議は無視された。IMFが露政府に対する盲目的な経済支援を続けたことは、ロシア国富の窃盗行為を”合法化・正当化”しただけであった。しかもIMFがロシアに供与し続けた資金は、部分的に盗まれていた。 この腐敗した”経済民営化”によってロシアの国富を窃盗した犯罪者たちは、2000億ドルから5000億ドル(約26~65兆円)の利益を国外に持ち出した。彼らはこの資金の大半を、マネー・ロンダリングしてからアメリカの金融市場と不動産市場に持ち込んだ。そしてアメリカの民主・共和両党の政治家たちは、この資金移動から恩恵を受けていた。私はそのことに関して、確信を持っている。この資金移動から、アメリカの報道陣も恩恵を受けている。米マスコミの動きを観察すれば、そのことが理解できる。ロシアからの犯罪資金の移動を監視してきたFBIの捜査官たちも、そのように言っている。 このようなアメリカへの大規模な資金移動には、米政府有力者の”お世話”や”協力”が必要である。そのような”お世話”と”協力”が、どのように最近のアメリカ政府の対露政策を変えてきたのか、そのことを調査するのは連邦議会の任務であると思う。アメリカの投機業者たちは、ロシア国債市場において巨利を獲てきた。ソロス氏やその他の人々は、これら投機業者が米政府とIMFの対露政策を変えてきた、と示唆している。」 以上がフリッツ・エアマースの議会証言である。非常にショッキングな証言である。証言したエアマースは、National Intelligence Councilの前議長なのである。米政府官僚のエリート中のエリートであり、米政府の情報分析の最高責任者であった人物が、アメリカの政治家・金融業者・報道機関・外交政策エスタブリッシュメントの腐敗と欺瞞を、あっさり暴露したのである。 しかしエアマースの勇気ある議会証言にもかかわらず、米政府の腐敗した対露政策は何も変更されなかった。クリントン政権、米金融機関、マスコミ人、外交政策エスタブリッシュメントは、自分たちがロシア国民の財産の大規模な窃盗作業に積極的に加担したことを、まったく反省しなかった。そのような不正で冷酷な仕打ちが、ロシアの一億数千万の庶民の生活に強烈なダメージを与えたことに対して、彼らは良心の呵責を感じなかった。このロシア人に対する米エスタブリッシュメント層とマスコミ人の高慢で侮蔑的な姿勢は、現バイデン政権でも続いている。(この問題に興味のある読者は、ロシア学者Stephen CohenのFailed Crusade(2001)とWar with Russia(2019)をお読みください。コーエンは著書の中で、「ロシア人に対する敵意と侮蔑に満ちた政策」を続けるアメリカは、「近いうちに対露戦争を始めるだろう」と予告しています。コーエンが死去した1年半後、彼の予告は現実のものとなりました!)◆ロシア経済破綻と嫌米感情・反ユダヤ主義の台頭 アメリカ政府が1993年以降、エリツィン政権に押し付けた”ロシア経済の民主化と民営化”は、歴史に残る大惨事となった。ロシアのGDPは7年間で半減し、ロシア人男性の平均寿命は、1980年代の67歳から90年代の57歳へと急降下した。戦時でもないのに、たった10年間で平均寿命が10歳も低下しだのは歴史的な大事件である。ハーバード大学とゴールドマンーサックスと米ヘッジファンド業者というアメリカの”スーパー・エリート”がロシア国民に押し付けた国有資産の民営化は、多くのロシア人の経済基盤と生命を破壊しただけの「bandit capitalism(山賊資本主義)」(エアマースの表現)であった。 エリツィン時代の国有資源の窃盗により、数十人のロシア人がオリガークと呼ばれる超富豪になった。彼らの一人当たりの個人資産は、数千億~数兆円であった。その一方、5割のロシア国民の平均所得は、年600ドル(もしくはそれ以下)となってしまった。このような低所得で生きていくのは不可能である。数百万のロシア人が栄養失調で餓死した。ロシア人の83%は、病気になっても医者へ行けない(もしくは薬が買えない)窮状となった。ロシアの農村地帯は荒れ果てて、家畜の4分の3は死亡してしまった。ロシアの製造業の生産性も半減した。 当時、ロシア政府を実際に支配していたのは、エリツィン大統領ではなく、一握りの超富豪グループであった。著名なのは、Boris Berezovsky, Vladimir Gusinsky,Mikhail Khodorkovsky,Mikhail Fridman, Roman Abramovich等である。彼らは、イスラエルのパスポートを持つ二重国籍者であった。これらのオリガークたちは資産を外国に移し、必要な場合には何時でもロシアから脱出できる態勢を整えていた。彼らは、自分たちが実行した”ロシア経済の民主化・民営化”が単なる窃盗行為にすぎないことを自覚していたから、「何時でも逃げ出せる態勢」を整えていたのである。 クリントン政権後半期、世界で最も大量の違法資金のマネー・ロンダリングが行われていたのはイスラエルであった。不思議なことにアメリカ財務省は、この大規模な金融犯罪行為を一切取り締まろうとしなかった。(エアマースが指摘したように、一旦、イスラエルで「浄化」された大量の犯罪資金は、アメリカの金融界・政界・エスタブリッシュメント層に流れ込んでいた。米露間の巨大な違法資金の移動が放置された理由はここにある。) 米ウェルズリー大学のロシア学者マーシヤル・ゴールドマンは、「国民資産の急速な民営化によって巨富を獲たオリガークの大半は、ユダヤ人であった。そのため多くのロシア人が、反ユダヤ感情を抱くようになった」と述べている。ユダヤ人であるゴールドマン教授が、ロシアにおけるanti-Semitism(反ユダヤ主義)の原因を指摘しているのである。 ハーバード大の著名なロシア学者であるリチャード・パイプスは、「エリツィン政権後のロシアでは、民主主義体制に対する支持率がたった10%に落ちてしまった。その一方、8割のロシア国民は、『民主主義というのは、少数の者が国富を盗む詐欺行為だ』と思うようになった。そのためロシア人は、『権威ある強い指導者』を望むようになった。その願望に応えて登場したのがプーチンである。エリツィン政権を『レジティマシー(正当性・合法性)ある政権であった』と考えているロシア国民はたった12%しかいない。しかし米政府は、エリツィン政権を全面的にサポートし続けた。現在のロシア国民が最も嫌悪する国は、アメリカである」と述べている。 ”超秀才”のハーバード経済学者とニューヨーク投資銀行が発案し、”善意と理想主義に満ちた”米政府が実行に移した「ロシアの民主化・民営化」プランは、飢餓と窮乏と絶望に苦しんだ何千万ものロシア人に、鋭い嫌米感情と反ユダヤ主義を植え付けただけであった。(つづく)月刊「クライテリオン」 2022年7月号 54ページ「30年間、ロシアを弄んできたアメリカ」から一部を引用 ロシアから不当に強奪した巨額のカネはイスラエルでマネー・ロンダリングしてアメリカの富裕層に渡り、その一部はメディアの業界にも流れ込んだために、その「犯罪性」を報道するメディアはなく、汚れたカネの流れを逐一把握していたFBIも記録はしたが告発することはなかった。呆れた泥棒国家である。その一方では、NATOを拡大してロシアを包囲し、それに反発するような(プーチンのような)政治家が出てくれば、徹底的に叩きまくって、二度とアメリカに歯向かうことのないように仕向けていく、それが泥棒国家アメリカの国家戦略だということのようです。こういう地獄のような世界を、日本はどう生きていくのか、考える必要があると思います。
2022年07月08日
ロシアの国民資産が欧米の金融業者によって盗み取られたのは、アメリカがクリントン政権の時代であった。昨日の欄に引用した月刊「クライテリオン」・伊藤貫氏の記事の続きは、次のように述べている; しかし米政府の対露政策にとって都合の悪いことに、ワシントンDCのGeorge Washington UniversityがNationalSecurity Archiveという極めて便利な政府文書の公開システムを運営している。これはインターネットにnsarchive.gwu.eduと打ち込めば、誰でも即座に閲覧できるシステムである。読者諸姉諸兄がこのサイトにアクセスし、”NATO expantion”という情報要求を書き込めば、46もの政府文書が即座にダウンロードできる仕組みになっている。 読者の方がこれらの文書を読めば、「NATOを東方に拡大しない、ロシア封じ込め政策を実行しない」という約束は、当時の米政府高官だけでなく、英仏独3政府の大統領・首相・外相レベルの高官も、ロシア側に伝えていたことが理解できる。しかも閣僚レベルの高官だけでなく、アメリカ国務省の局長レベル・部長レベルの中堅官僚まで、この約束をロシアの外務官僚に伝えていたのである。最近の米政府の「あの約束は、たった一回だけだった」とか、「ベーカー国務長官の思い付きにすぎない」とか、「米政府側には、そんな約束をしたという記録は何も残っていない」などという言い逃れは、すべて嘘(真っ赤な嘘!)なのである。 約束を守らない米政府は、2008年以降、「ウクライナとグルジアをNATOの加盟国にする」と公言し始めた。ロシア人がアメリカに対する不信感と敵愾心を強め、パラノイア的な対米恐怖感を抱くようになったのは当然の帰結であった。◆「経済自由化」というロシア国民資産の大窃盗 安全保障政策に関してロシアを裏切った米政府は、「ロシア国民資産の大窃盗」という(我々日本人にとって)信じ難い犯罪まで実行した。クリントン政権は1993年1月、「ロシアが所有する巨大な自然資源を民営化させる。この民営化プロセスを、米政府と米金融業者がコントロールする。この民営化によってアメリカが利益を獲る」という大胆なプランを企画し、冷酷に実行したのである。 この「ロシア資産民営化」プランを最初に発案したのは、ハーバード大学の経済学者とウォールストリートの投資銀行・ヘッジファンド業者であった。彼らは「ロシア国有資産を急速に民営化させれば、アメリカの投資家と金融業者は大儲けできる」と気付いたのである。クリントン政権のルーピン財務長官(投資銀行ゴールドマン・サックスの前会長)とサマーズ財務副長官(ハーバード大・経済学教授)は、この「急速な民営化」を米政府のロシア政策の最優先課題とした。そして、ウォールストリートから大量の政治資金を受け取っていたクリントンは、エリツィン大統領に、「ロシアがIMFと西側諸国から経済援助を得たかったら、アメリカが作成したロシア経済民営化プランに賛成せよ。もし賛成しないのなら、我々はロシアに経済援助を与えない」と申し渡したのである。(当時アメリカ東部に住んでいたソルジェニツィンは、エリツィン政権のコズィレフ外相に「アメリカの民営化プランを採用すると、ロシア人はアメリカの奴隷になってしまう。こんなプランを受け入れてはならない」と忠告した。しかしコズィレフはすでにアメリカの金融業者に取り込まれており、ソルジェニツィンのアドバイスを無視した。) クリントン政権の対露経済政策に関して、カーター大統領の安全保障補佐官を務めたブレジンスキーは、著書『Second Chance』(2007)において、「ロシア経済に群がったアメリカの”経済コンサルタント”たちは、ロシアの自称”改革派”と共謀して、一擢千金のロシア資産民営化プランを強行させた。この腐敗した”経済改革”によって、ロシア国民の巨大な資産が窃盗された。この行為のため、米政府が提唱していた”ロシアの新しい民主主義”というスローガンは、悪趣味なジョークとしか見なされなくなった」と述べている。クリントン政権時、モスクワの米大使館に勤務していた国務省官僚のドン・ジェンセンも、「米政府が”ロシア経済の民主化・民営化”と称する犯罪的な政策を支持し続けたため、多くのロシア国民は、アメリカのことを”国有資産窃盗の共犯者”と見なすようになった」と回想している。 当時、モスクワに勤務していたアメリカの財務省・国務省・CIAのキャリア官僚たちは、ワシントンの米政府に、「ロシアの経済改革は大失敗である。エリツィン政権は腐敗したオリガーキー(=急速な国有資産の民営化によって、たった数年間で巨万の富を獲得した金融犯罪者たち)によって支配されている。このような犯罪を止めさせるため、西側諸国とIMFはロシアに対する経済援助を即座に停止すべきである」という内容の報告書を繰り返し送った。しかしクリントン政権の財務長官・国務長官・中央銀行総裁(グリーンスパン)は、これらの報告をすべて握り潰したのである。米露イスラエル3国の金融業者がロシアにおいて濡れ手で粟の荒稼ぎをしていた7年間、クリントン政権は巨大な犯罪行為を容認し続けた。 このクリントン政権による犯罪容認行為に関して、1999年9月21日、CIAのロシア政策・最高責任者であったフリッツ・エアマース(Fritz Ermarth)が、非常に重要な議会証言をしている。(エアマースは、レーガン政権の安全保障会議のロシア政策主任であった。彼は次のブッシュ政権からクリントン政権にかけて、National Intelligence Councilの議長として、米政府で最も権威あるnational inteligence estimateという情報分析書の内容を決定していた。つまり彼は、アメリカの16の情報機関に所属する数万人の情報分析官のトップであった。) エアマースは米露の金融業者による巨大なロシア国有資産の窃盗に関して、以下のように証言している(この証言は現在でも、c-span.orgという公共放送のインターネット・サイトで視ることができます): 「現在のロシア経済は泥沼状態である。”民主主義的な資本主義”と称される経済において、政府公認の経済犯罪が横行している。”ロシアの民主主義”とは偽物の民主主義であり、”ロシアの資本主義゛は虚妄の資本主義である。これは、ロシア国富の単なる窃盗行為にすぎない。ロシア政府の”経済改革”とは、最初から犯罪者たちによる富の収奪行為であった。しかもエリツィン政権の作り出した超インフレによって、大部分のロシア国民の貯蓄は破壊されてしまった。現在のロシア国民は、資本主義体制を憎悪している。(つづく)月刊「クライテリオン」 2022年7月号 54ページ「30年間、ロシアを弄んできたアメリカ」から一部を引用 欧米の金融業者がロシアの国民資産をやりたい放題に勝手に盗み出していたのを黙認したのがクリントン大統領だったが、アメリカではその妻も大統領選挙に立候補して争った相手がトランプだったというのは、あの選挙はどっちが勝っても「アメリカは最悪」という事態を免れない構図になっていたのだ、ということが今さながらに実感されます。バイデン大統領も、ウクライナ紛争の悲劇から民衆を救うことよりも、武器援助で自国企業の繁栄を画策するだけで、世界の平和への道はかなり遠いように思われます。
2022年07月07日
東西冷戦が終結した当時、アメリカ政府はロシアにどのような約束をしたのか、その後アメリカはどのようにその約束を反故にしたのか、経済アナリストの伊藤貫氏は月刊「クライテリオン」7月号に寄稿して、次のように述べている; ついに米露戦争が始まった。この戦争は西側諸国のマスコミでは、「ロシアとウクライナの戦争」と報道されている。しかし今回の戦争の本質は、「東西冷戦終了後も執拗に世界覇権の掌握を目指してきたアメリカによる、ロシア弱体化のための戦争」である。この米露間の戦争がどれくらい続くのか、筆者にはまったく想像もできない。もしかしたら数力月で停戦するかもしれない。しかし数年間、もしくは数十年間も続く長期闘争になるかもしれない。戦争というのは、「いったん始まれば、いつ終わるのか不明」な行為なのである。クラウゼヴイツツは、「いったん戦争が始まると、その後はすべて霧の中」と指摘していた。それが戦争である。満州事変を開始した関東軍の将校たちは、自分たちが開始した紛争がどんどん拡大して中国大陸の占領となり、14年後には広島・長崎での核虐殺、その後の日本の77年間の対米隷属という結果になることなど、想像もしていなかった。2月に開始された今回の戦争が長期化・混迷化・拡大化していけば、今から10数年後の国際政治は、「8千発の水爆弾頭を所有する中朝露・三核武装国による、東アジア支配」という事態に変貌しているかもしれない。戦争が拡大していけば、国際構造は大変動する。それが歴史の教訓である。 以下の拙稿では、「米露関係がここまで悪化してしまった原因は何か」ということを解説したい。筆者は、シカゴ大学の国際政治学者ジョン・ミアシャイマーやプリンストン大学のロシア史学者スティーヴ・コーエン(一年半前に死去)と同様、「最近の米露関係悪化の原因の大部分は、冷戦終了後のアメリカの対露政策にある」と考えている。本稿では、米政府の対露政策の企画と実施に参加した国務省やCIAの高官の証言を引用しながら、「最近のアメリカ政府が、どのようにロシア国民を弄(もてあそ)び、搾取し、裏切ってきたか」という経緯を解説したい。◆冷戦終了時の美辞麗句、その後の裏切り 最近30年間の米露関係悪化の最も重要な原因は、2つである。それらは、(1)米政府が、「我々はNATOを拡大しない。我々はロシア封じ込め政策を採用しない」という約束を破棄したこと。(2)米政府と米金融業者が、「ロシアの経済改革に協力したい」という美しい名目の下に実行した、ロシア経済資源の巨大な窃盗行為。アメリカのこれら2つの行為は、ソ連帝国の崩壊によって窮乏化していたロシア国民に対するショッキングな裏切りであった。(米国において、このようなアメリカ政府による裏切り行為を真正面から批判したのは、ミアシャイマー、コーエン、ケナン、ハンティントン、ケネス・ウォルツ等、少数の知識人だけであった。アメリカの圧倒的多数の言論人・マスコミ機関・学者・シンクタンクは、この深刻なロシアに対する裏切り行為に関して沈黙したままであった。したがって米国民のほとんどは、米政府による「2つの裏切り行為」に関して完全に無知である。このことに関して、世界的に著名な言語学者であるノーム・チョムスキーは、「ロシア資産の窃盗に参加した米国のエリート・クループが、アメリカのマスメディアと政治システムを支配している。一般国民は、無知な状態に置かれている。現在のアメリカには、真の『言論の自由』が存在しない」とコメントしている。) レーガン政権・ブッシュ(父)政権で5年間も駐露大使を務めた国務省官僚(ロシア専門家)ジャック・マトロックは、冷戦終了期の米ソ間交渉の責任者であった。彼はレーガン・ブッシュ両政権が作った米露間の新関係構築に参加した重要人物である。マトロックは引退後の著作『Superpower Illusions』で、次のように述べている: 「米ソ冷戦終結のための交渉は、米露両国の国益を同様に尊重するために行われたものである。この交渉は、戦勝国と敗戦国の間の終戦交渉ではなかった。”アメリカもロシアも、冷戦構造を解消することによる国際政治の2つの勝利国である”というのが、両国に共通した態度であった。しかるにその後のクリントン政権は、ロシアのことをまるで日本のような敗戦国として扱い始めた。一方的にNATO拡大方針を決定した。そして次のブッシュ政権は国際法を無視してイラク戦争を決行し、しかも『ロシア封じ込め政策をとらない』という重要な約束を破って、NATOを大規模に拡大していった」。 米政府によるこの重大な約束違反行為に立腹したマトロック元大使は、クリントン政権の高官に「何故、米露間の大切な約束を反故にするのだ?」と尋ねた。するとこの高官は、「あの約束は、紙に書いて署名したものではない。単なるカジュアルな口約束にすぎない。口約束だから守らなくてもかまわない」と答えたという。(同時期にプリンストン大学のスティーブ・コーエンも、クリントン政権の国家安全保障会議のメンバーに「何故、米露間の約束を守らないのだ?」と尋ねた。するとこの安全保障会議の出席者は、「冷戦後のロシアは軍事力も経済力も弱体化しており、アメリカの約束違反行為に対する報復能力を持たない。我々がロシアに対する約束を守らなくても、現在のロシアは泣き寝入りするしかない。だから我々は約束を守る必要がない」と答えて、ニヤッと笑ったという。若い頃から熱心な民主党員であり、大統領選挙ではクリントン候補に投票したコーエンは、「クリントン政権のやり方の卑劣さにゾッとした」と回想している。) しかし「NATOを拡大しない」という米露間の約束は、米政府の「単なるカジュアルな口約束」ではなかった。これはブッシュ(父)政権内部で熟考の上に決定された、真剣な約束であった。ブッシュ政権の高官たちは1990年と91年、ゴルバチョフ大統領とシュヴァルナゼ外相に対して、「ロシアが、ワルシャワ条約機構加盟諸国をロシアの勢力圏から解放してくれたら、米政府は絶対にNATOを東方に拡大しない。我々は東欧諸国とコーカサス諸国をアメリカの勢力圏に組み込むようなことを、絶対にやらない」と何度も繰り返し明言したのである。べー力ー国務長官はゴルバチョフとシュヴァルナゼに面と向かって、「we give you iron-clad guaranteres that NATO will not extend one inch to the east」(「『我々はNAToを1インチたりとも東方に拡張しない』という鉄の保証を提供しますしと明言している(マトロック大使は、その場に同席していた!) しかし過去20年間、ロシアのプーチン大統領とラブロフ外相が、「アメリカは『NATOを東方に拡大しない』という重大な約束を守らず、米軍によるロシア包囲網を着々と強化している。米政府は、ロシアと過去300年間、緊密に共存してきたウクライナやグルジアにまで米軍を進駐させようとしている。これは我々にとって深刻な軍事的脅威であり、文明的な脅威である。アメリカは、我々の文明と安全保障の基盤まで破壊しようとするのか? もし最新兵器で武装したロシア精鋭軍がアメリカのメキシコ国境やカナダ国境にまで進駐してきたら、アメリカ人はどう思うか?」と抗議するたびに、米政府高官は不誠実な言い逃れを並べ立ててきた。 クリントン・ブッシュ(息子)・オバマ・バイデン4政権の高官たちは、「あれはたった1回だけの口約束にすぎない」とか、「ベーカー国務長官が思い付きで口にした気軽な発言である。彼にとってあれは半分ジョークだった」とか、「あの約束の真の意味は、今でも曖昧である」とか、「その場で紙に書いて署名していない。だからあの約束は最初から無効だ」とか、「ロシア側か誤解しているだけだ。アメリカ側には、『NATOを東方に拡大しない』などと露政府に約束した記録は残っていない」などという言い訳を繰り返して、米露間の重大な約束の存在を否定してきたのである。(つづく)伊藤貫(いとう・かん)1953年東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。国際政治・米国金融アナリストとしてワシントンのコンサルタント会社に勤務。ワシントン在住。「シカゴ・トリビユーン」「フオーリンポリシー」「voice」「正論」などに外交・金融分析を執筆。CNN・CBS・BBCなどで外交と経済問題を解説。著書に『自滅するアメリカ帝国』『中国の核戦力に日本は屈服する』『歴史に残る外交三賢人ビスマルク、タレーラン、ドゴール』など。月刊「クライテリオン」 2022年7月号 54ページ「30年間、ロシアを弄んできたアメリカ」から一部を引用 米英の白人は、その昔アメリカ大陸を搾取し多くのインディオの文明を滅亡させ、アフリカ大陸を植民地支配して搾取し、今またロシアを騙してロシアの富を盗み取っている。日頃は「民主主義」だの「人権」だのときれい事を並べておきながら、その裏では「紙に書いて署名したわけじゃないから」と、やりたい放題というのは、彼らが信頼に値する民族ではないということを意味していると思います。こういうことをやって来たアメリカだから、その反動で中央アジアのテロリストが旅客機を乗っ取ってニューヨークの超高層ビルに突っ込むという事件も起きるわけです。
2022年07月06日
ベルギー国王がかつて植民地支配したアフリカのコンゴを訪ねて「植民地支配は遺憾であった」と伝えたことについて、文筆家の師岡カリーマ氏は6月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; アフリカにおけるベルギーの植民地政策は残酷を極めたといわれる。1960年までベルギーの植民地だったコンゴは、19世紀末から20世紀初頭、つまりそろそろ人権意識に目覚めていいような時代だが、ベルギー国王の所有地として搾取され、強制労働などで1千万の現地人が死亡したといわれる。欧州諸大国の美しい街並みを可能にした富の多くは、そういう犠牲の上に築かれた。 今月、ベルギーのフィリップ国王がコンゴを歴史的訪問。「封建主義と差別と人種主義」にまみれた「正当化できない」植民地政策は「苦痛と屈辱をもたらした」と遺憾の意を表した。でも謝罪はなかった。謝罪(=許してほしいという懇願)が「遺憾」と違うのはそれが、相手を対等と認めることを大前提とするからだ。君主の謝罪に、象徴的価値はある。 コロニアリズムにも良い面はあった、という反論は今もある。そりゃそうだ。プーチン政権も北朝鮮も、功績だけ探せば出てくる。だからといって非人道的な体制の肯定材料とはならない。「現地にインフラや学校や病院をつくった」といって植民地搾取の歴史を正当化することもできない。 国王訪問に際し、かつてコンゴから持ち出された儀式用の仮面がベルギーから戻された。ただし当面は返還ならぬ「無期限貸与」。返還が望まれる工芸品は約8万4千点という。(文筆家)2022年6月25日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-コロニアリズムと謝罪」から引用 ベルギーがコンゴを支配した約100年間に強制労働で死亡した労働者は1千万人と、この記事は述べているが、似たようなケースはコロンブスがアメリカ大陸への航路を発見した直後から始まったスペインとポルトガルによる植民地搾取で、中南米の鉱山で多くのインディオが強制労働を強いられて、1千数百万人いたと推定される人口が、各地の金鉱が閉山する頃には2百万人に減少したと言われており、インカ帝国の跡のように都市遺跡だけが残って「人」がいないのはそのせいと考えられる。 また、ベルギーが植民地支配した100年間にコンゴから持ち出した文化財は8万点以上にのぼるとのことであるが、それはヨーロッパにベルギー王国が出来る何百年も前に、コンゴにはベルギーを凌ぐ文明が発達していたことを物語っており、不当に持ち出した文化財を「謝罪して返還する」のではなく、ただの「無期限貸与だ」とは、「盗っ人猛々しい」とはこのことだ。
2022年07月05日
生存中は傍若無人な言動で世間に迷惑をがける一方だった石原慎太郎について、時々新聞に彼を礼賛するかのような記事が掲載されるのは、何故なのか、ジャーナリストの斎藤貴男氏は7月1日の「週刊朝日」に次のように書いている; 2月に死去した石原慎太郎元東京都知事は、作家・政治家として物議を醸す発言が絶えなかった。そんな過去を忘れたように石原氏を「礼賛」する報道が相次ぐが、本当にそれでいいのか。『東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(講談社文庫)などの著書があるフリージャーナリストの斎藤貴男氏が本誌に緊急寄稿した。 やっぱりこういう持ち上げ方をするのかと、悲しくなった。都内で6月9日に営まれた、故・石原慎太郎元東京都知事の「お別れの会」で──。「歯に衣着せぬ物言いや、信念を貫く果断な行動。強烈な個性に惹かれた」と岸田文雄首相が挨拶した。安倍晋三元首相は、「時に傍若無人に振る舞いながら、誰からも愛された方」だったと偲んだ。 訃報を伝えた2月2日付朝刊各紙の引用みたいな言い回し。自民党の後輩が亡き先輩を立てるのは自然でも、彼らの言葉は事実と違う。生前の石原氏による差別の数々は歯に衣や、いわんやポリコレどうこうのレベルではなかったし、あまりの傍若無人を心の底から憎んだ人も山ほどいる。 私はあの日の礼賛紙面を許せない。あまつさえ4カ月が過ぎてなお、新旧の首相が揃って、手垢のついた筋違いを繰り返すとは。軽く済ませてよい事象ではないと思う。 私は2003年にルポルタージュ『空疎な小皇帝 「石原慎太郎」という問題』を発表した者だ。衆院議員を経て1999年に都知事となって以来、「三国人」「(重度障害者に)人格あるのかね」「ババアが生きているのは無駄で罪です」等々、公の場で差別発言を連発していた男と、それが持て囃される社会はいかにして出来上がったのか、という疑念が出発点だった。 拙著は幸い好評を以て迎えられ、版元を変えながら数次の文庫化も果たした。だがこの間にも石原氏は、いじめを苦にした自殺予告の手紙が文科省に届けば、テレビで「さっさとやれ」と追い詰めた。都議会で公費や人事の私物化を追及されると、「いかにも共産党らしい貧しい発想だ」とあざ笑う。東日本大震災には「天罰だ」。文芸誌の対談で、障害者施設の入所者19人を刺殺した犯人の気持ちが「分かる」と言い放ったのには愕然とした。 石原氏が都知事の地位にあった2000年代を通して、この国の市民社会はすっかり分断された。構造的には階層間格差の拡大を不可避とする新自由主義の横溢、およびSNSのとめどない普及が主因だが、デマゴーグとしての石原氏の影響力も、また計り知れなかった。 なにしろ首都行政のトップが、社会的弱者を日常的に嘲笑し続けた。それが何らの咎も受けずにいたのだから。「黒いシール事件」をご存じだろうか。1983年の衆院選を控えた前年11月。東京2区から自民党公認の出馬を表明した新井将敬氏(故人)のポスターの7、8割方に、黒地に白抜きで「(昭和)41年北朝鮮より帰化」と記された大判(縦16センチ、横7センチ)シールが貼られた。彼は確かに在日2世で、日本国籍を取得もしていたが、祖父母は韓国・慶尚北道の出身だった。 有権者の差別意識を煽るとともに、“北のスパイ”の連想を掻き立てようとしたらしい。実行部隊の中心は、選挙区も自民党公認も同じ石原氏が大手ゼネコンの鹿島建設から預かっていた公設第一秘書・k(当時33)だった。2人の出会いをよく知る人物に、私は事実関係を確認している。 露見しても石原氏は、「秘書が勝手に」と言い募る一方、有権者の“知る権利”を主張。選挙区内の有力者らに新井氏の除籍原本が送り付けられる騒ぎもあった。一応の謝罪はなされ、ウヤムヤになるやkは鹿島に復職し、やがて営業統括部長や専務執行役員などを歴任することになる。 晩年の、豊洲市場移転問題で都議会百条委員会の証人喚問を受けた際の石原氏を想起されたい。脳梗塞の後遺症で「すべての字を忘れた」と空とぼけた彼は、その後も何冊も本を出している。 石原氏の標的にされた人々は数限りない。口惜しさのあまり涙ぐむ人に私は嫌と言うほど会った。 私自身も泣かされた当事者だ。かつて東京23区の大半が房総や伊豆の海岸で運営していた「健康学園」が、石原都政の下でことごとく潰された。 虚弱や喘息、偏食、アトピー等に苦しむ小学生が一定期間、療養しながら学ぶ全寮制の学校施設。私は豊島区立の学園に寄宿して、おかげで丈夫になり、生きていく自信を育ませてもらった。全国に拡げられてしかるべき教育・児童福祉政策だ。■“石原流”を欲す権力とメディア だが石原都政下で、成長しても生産性のタシになりそうもない役立たずなど切り捨てる政策が加速した。某区の教育委員会は廃園撤回を求める親たちに、「お宅らの子どもには1人当たり年間1千万円もかけてきたんですよ!」と吐き捨てたという。忖度が役人の言葉遣いも変えたのだ。 私は自分の全人格を否定された思いに囚われた。現役の児童や保護者たちはいかばかりだったか。 石原氏の言動をフォローする取材活動は、自分の心にもあるに違いない醜さを剥き出しで見せつけられているようで、やり切れなかった。彼に近い編集者たちには幾度か、「紹介してあげるよ」と誘われ、本人の談話が欲しい立場としては乗りたい衝動にも駆られたが、そんな形で会えば、書くべきことを書けなくなる。都庁を通した公式ルートでの取材に拘ったが、叶わなかった。 昨年の暮れ頃から、石原氏に、今度はどんな手段によっても会ってみたくなった。万が一にも慙愧(ざんき)の念らしき言葉を引き出せたとしたら、みんなにも、本人にも、私にとっても幸福だと考えたが、先に死なれてしまった。 全盛期における石原氏の人気と没後の礼賛報道、「お別れの会」での新旧首相の弔辞などに接するたび、私は恐ろしい仮説に苛まれる。この国の権力と、それとの一体化を急ぐマスメディアが今、最も欲しているのは、石原氏のような思考回路ではないのか、と。 彼の言動が、多数派に「歯に衣着せぬ」「慎太郎節」「石原節」などと、なんだか爽快でカッコいいものとして受け止められる世の中ならば。格差社会や監視社会はもちろん、加害の歴史の正当化も、沖縄への基地集中も、中国や北朝鮮との有事を想定した軍拡も戦時体制を築く経済安保も、さしたる抵抗もなく進んでいく。戦争が近くなる。 そう言えば、「都民葬」の話も消えていない。訃報の直後に小池百合子都知事が口にしていたが、差別の肯定に公費が使われるべきではないだろう。 仏様になった人を今さら恨もうとは思わない。私はこれからのために書いている。合掌。※週刊朝日 2022年7月1日号AERAdot.「ジャーナリスト・斎藤貴夫『あえていま、石原慎太郎を批判する』から引用https://dot.asahi.com/wa/2022062100077.html?page=1 戦後、新しい憲法の下で「基本的人権の尊重」をモットーに「差別のない社会」を目指して50年も60年も営々として積み上げてきた「新しい日本」を、根底から覆してご破算にしたのが、石原慎太郎の「三国人」発言であった。戦後生まれで、戦前の日本人が朝鮮人を差別するためにそういう言葉を使っていたなどということを知らない日本人に、「そうか、そうやって彼らを差別できるんだ」と教えたのが石原の暴言だったのであり、それが今では、堂々と参議院世挙に立候補して差別を吹聴する事態になってきている。 この国の支配層と、それと一体化を急ぐマスメディアが石原のような思考回路を欲しているのではないか、というこの記事の指摘は当たっていると思います。これを放置すれば、戦争が近くなるという指摘ももっともな話で、私たちはことある毎にこの流れに抵抗していくべきだと思います。
2022年07月04日
愛知県と名古屋市が後ろ盾となって3年前に開催された「あいちトリエンナーレ2019」は、直前になって名古屋市長の河村たかしが展示内容にクレームをつけて騒ぎだし、それに誘発された右翼が愛知県庁や実行委員会に脅迫電話をかける騒ぎになり、開催を妨害されたのであったが、実行委員会の努力と大村愛知県知事の理解に助けられて、なんとか開催にこぎ着けたのであった。ところが、展示会妨害に失敗した河村たかしは、あろうことか事前に約束した経費負担を拒否したため実行委員会は裁判に訴え、名古屋地裁は河村市長に「約束どおりに、経費を支払うように」命令する判決を出したと、6月19日の東京新聞が報道している; 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の未払い負担金を巡る訴訟で、名古屋地裁は5月、展示が不適切だったなどとする河村たかし名古屋市長の主張を退ける判決を言い渡した。河村氏は「判決は暴論」として控訴、大村秀章愛知県知事が会長を務める実行委員会との異例の法廷闘争は継続する。背景には大村氏との確執があり、識者は「泥沼対立が続くことによる県、市への弊害は大きい」と指摘する。◆識者「不支出は非常識」 「市民、国民の気持ちを無視するような判決だ。いくら命じられても(支払いは)できない」。河村氏は5月30日、控訴を発表した記者会見で語気を強めた。 発端は芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」。河村氏は元慰安婦を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇の肖像を使った創作物を燃やす映像作品に関し、公金を使った展示として問題だと批判。抗議や脅迫を受けて中止に追い込まれた不自由展が再開する際は、会場前で座り込むパフォーマンスを見せた。 芸術祭閉幕後に名古屋市が実行委に支払う予定だった負担金約3380万円の不支出も決定。20年5月、大村氏は支払いを求め、実行委を原告として提訴に踏み切った。 河村氏は自ら出廷し、持論を展開。不自由展の一部展示に関し「鑑賞者に甚だしい不快感や嫌悪の情を催させるという意味で、いわばハラスメント」「公共事業で政治的に偏向した表現活動を容認すれば、これを後押しする効果が生じる」と負担金支払いの拒否は正当だと主張した。 名古屋地裁判決は、芸術活動は多様な解釈が可能であり、鑑賞者に不快感を生じさせる場合があるのはやむを得ないとして「ハラスメントで、違法であると軽々しく断言できない」と指摘。展示は芸術監督や実行委が自律的に決定しており、市が負担金を交付したからといって政治的主張を後押しするとは言えないと判断した。 名城大の昇秀樹教授(地方自治論)は「負担金不支出は非常識だし、訴訟費用は税金で賄うことになる」と河村氏の対応を疑問視。芸術祭の運営も含め大村氏との対立が続いているとして「県と市が別の方向を向いていたら県民、市民に不安を与え、民間も投資できない。地域にとって重大な損失だ」と指摘した。2022年6月19日 東京新聞朝刊 12版 22ページ 「河村氏控訴 泥沼対立続く」から引用 この記事は「泥沼の対立続く」などと、対立する愛知県知事と名古屋市長の間に立って中立の立場を表明しているかのような報道姿勢は、私はおかしいと思います。芸術とか思想とか教育という分野は、行政はその「振興」を支援することはあっても、内容に立ち入って「これは良い、これはダメ」というような判断をすることは許されないのであって、憲法に「表現の自由」とか「思想の自由」を明記しているのは、そのような意図です。したがって、上の記事が報道する裁判においては、被告の河村たかしの言分は日本国憲法に照らして間違った主張であり、何度控訴しても名古屋地裁の判決が覆ることはありません。もし万が一覆るようであれば、それは日本の民主主義が終わる時なのだと言うべきでしょう。東京新聞には、そのような確固たる立場から、真実を報道する記事を書いてほしいと思います。
2022年07月03日
元小学校教員で現在は「沖縄戦」の歴史を研究している牛島貞満(68)氏は、最近、自民・公明・維新の議員が主張する「軍備拡大」について、6月19日の「しんぶん赤旗」で、次のよう批判している; 沖縄戦を指揮した牛島満第32軍司令官の孫、牛島貞満さん(68)=東京都=。30年近く沖縄を訪ね、祖父がしたことを見つめ直しています。話を聞きました。<本吉真希記者> 武力による解決は、再び沖縄を戦場にする恐れがあります。ウクライナへのロシア軍の侵略から日本の軍事力拡大や核兵器による抑止力をと声高に叫ぶ人もいます。 牛島さんは「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓に基づき「国同士の意見の相違は対話で解決すべきです」と訴えます。 「軍備を拡大して危うい戦争への道に進むのか、それとも外交や経済的結びつきを強め共存し合う努力をするのか。ウクライナの悲劇を日本や東アジアに持ち込まないために、いま沖縄戦から学び、真剣に考えるときです」<4面につづく> 沖縄は戦時中、国体護持(天皇制存続)と本土決戦の時間稼ぎのための戦場にされました。元小学校教員の牛島貞満さんは、2004年ごろから「牛島満と沖縄戦」をテーマに授業を始め、いまは講演活動をしています。 授業では当時24歳の安里要江(あさと・としえ)さんの証言を紹介します。大本営は1944年3月、沖縄を中心とした南西諸島に第32軍を創設し、主に中国戦線から部隊を移駐しました。安里さんは「沖縄を守りに来たと思った」-。しかし、それは幻想でした。 米軍は45年3月26日に慶良間(けらま)諸島に、4月1日には本島に上陸。安里さんは生後6ヵ月だった娘の和子さんをおぶい、本島中部から家族ら20人で南部へ逃げました。米軍の容赦ない艦砲射撃に次々と家族の命が奪われました。安里さんは避難できる壕(ごう)を見つけて、日本兵に願い出ました。 「この子たちだけでもいいから、防空壕の中に避難させてくださいませんか」 兵士は安里さんの話を遮り「ばかやろう! 君たちがこんなところをうろうろするから戦(いくさ)はここまで追い込まれているんだ。出て行け、出て行け」と追い払いました。 やっと入れた轟(とどろき)の壕では、日本兵に「子どもを泣かすな」と銃剣で脅されました。「それが一番の恐ろしさでした」。栄養不足で母乳が出なくなり、和子さんは安里さんの手の中で息を引き取りました。 その後、安里さんたちは米軍の捕虜に。一緒に逃げた20人のうち11人が沖縄戦で命を落としました。◆小学生が調査 牛島さんは、祖父が命じた第32軍の「南部撤退」が多大な住民犠牲を招いたと考えています。撤退の通り道にある長嶺小学校(豊見城市)で「牛島満と沖縄戦」の授業をしてきました。6年生が2004年、学区域の犠牲者を月別に調べました。撤退開始(5月27日)直後の6月に、犠牲者全体の約70%(218人)が集中していました。 同小学校の授業では祖父母の沖縄戦体験を聞き取ったAさんの発表がありました。 「当時おばあちゃんは10歳で(家族が砲弾で次々亡くなる中)1歳の弟をおんぶしながら逃げ回り(大きな木の下に)隠れました。そして、おんぶしていた弟を背中から下ろしてみると、顔がなくなっていて、下半身だけがあったそうです」 牛島さんは砲弾の破片を手に説明します。 「もし砲弾が30センチ前方を飛んでいたら、当時10歳のおばあさんも弟と一緒に即死でした。その場合、おばあさんの子も孫のAさんもこの世に存在しません。人が住んでいるところが戦場になるということは、こういうことなのです。生きるか死ぬかは紙一重です」◆無意味な突撃 牛島司令官は6月19日、最南端の摩文仁(糸満市)の司令部壕で「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」と命令し、3日後に自決しました。「命令を受けた南部の日本軍兵士たちは数百人単位で米軍に斬り込むなど、なくさずに済んだ命を落としていきました。戦闘は6月23日には終わらなかったのです」 捕虜になることを禁じた「戦陣訓」(41年)と「最後まで敢闘し」の牛島司令官の命令によって無意味な突撃が頻発したのでした。◆首里司令部壕の公開を 沖縄の日本兵の戦闘は天皇が終戦を伝えた8月15日以降も続きました。9月7日、沖縄の日本軍は降伏調印し、沖縄戦は終結。戦死者は日米で20万人を超え、うち沖縄県民は12万人超に上りました。 皇民化教育で「悠久の大義に生きる」=天皇のために死ぬことが徹底されました。牛島さんは「正反対の考え方が『命どぅ宝』(命こそ宝)だ」と強調します。 「軍隊は住民を守らない」は沖縄の住民が身をもって得た教訓です。それは「軍事作戦と機密を優先する軍隊の普遍的性質かもしれない」と牛島さん。 「かつて日本は、いまと同様に声高の論議に乗せられて、中国大陸に軍を派遣。欧米列強の経済封鎖に対抗するため、米英に勝ち目のない戦争を仕掛けました。その結果、大きな犠牲と惨禍と沖縄に地上戦をもたらしました。こうした事実と沖縄戦の実態を発信することは、アジア諸国との平和と共存につながると考えます」 「ドイツがヨーロッパの政治の中心にいるのは、ナチスの戦争犯罪を反省し、過ちを後世に伝える努力をし続けているからです」 首里城(那覇市)の地下には、司令官らが南部撤退を議論し決定した全長約1キロの司令部壕が埋もれています。牛島さんは戦争と平和を学ぶ重要な場として保存・公開を提案します。「過ちを後世に伝える責任は戦後世代の私たちにあります」2022年6月19日 「しんぶん赤旗」 日曜版 1,4ページ 「人の暮らす所が戦場に」から引用 ドイツがナチスの戦争犯罪を反省し、過ちを後世に伝える努力をし続けているのは立派です。それに比べて日本では十分な反省が行なわれなったのは、GHQのトップであったマッカーサーが「天皇を処刑すると、一般国民の反感を買うことになり、戦後処理に余分な経費と時間を費やす危険がある」と判断して、天皇を免責したためと考えられます。天皇を免責したということは、対中国侵略戦争や太平洋戦争を遂行した軍以外の政府の要職にあったブレーンが、戦後少しの間「公職追放」の期間があったとは言え、ほどなく戦後の政治に復活し、岸信介から宮沢喜一まで、かつて満州国を支えた人材が戦後の日本を背負って立っていたわけで、これでは「侵略戦争の反省」が出来なかったのは無理もない話でした。これらの人々が世を去った今こそ、明治維新以来の「侵略の70数年」を反省する好機だと思います。
2022年07月02日
ロシア軍のウクライナ侵攻をチャンスとばかりに防衛費増額を主張し始めた自民・公明・維新に対し、青山学院大学名誉教授の土山實男氏は6月19日の東京新聞で、「防衛費増額はそんな単純な話ではない」との観点から、次のように批判している; 自民党の提言には宇宙、サイバー、人工知能(AI)など新たな安全保障の課題が登場するが、「政策の基本原則」がなく、日本の防衛政策の優先順位を何に置くべきかが分からない。 敵基地攻撃能力の保有が検討されている。長年、米国は矛、日本は盾と言われてきた。敵基地攻撃能力を保有するなら、日米同盟が変貌する転換点になる。実質的に専守防衛を見直すならそれに代わる新しい政策の基本原則を示すべきだ。 敵基地攻撃能力で日本が具体的に何をすることになるのか、明確にしなければならない。理論上は攻撃された後に敵基地をたたけば報復、攻撃される前にたたけば先制攻撃になる。自民党提言には「指揮統制機能等も攻撃対象」とも書かれている。これは日本の基本戦略を大きく変えることになる。これまでの防衛政策の原理原則をひっくり返す可能性がある。日米同盟の根幹に関わる問題でもあり日米間でもしっかりコミュニケーションをとらなければ、亀裂が入りかねない。 太平洋戦争ではアジアで1千万人以上が亡くなったとされる。アジア諸国の不信感が高まる恐れがある。相手国に必要以上に恐怖を与えないことは重要だ。 防衛費の問題では、日本に対する脅威への効果的な対処政策を策定してから予算をつけるべきだ。あらかじめ防衛費にGDP比2%を充てると決めるのは異例だ。防衛費を増やすにしても、ロシアによるウクライナ侵略の危機に乗じて「こういう時だから増やせるものは増やしてしまおう」というのは良くない。日本は同盟国のなかでひときわ大きい米軍駐留負担額を払ってもいる。 日本には1千兆円を超える国債発行残高がある。人口減少という大きな課題も抱えている。日本が今直面しているのは社会の活力をどう維持していくかということではないか。防衛費の増額は「2%ありき」ではなく、必要な額を積み上げていくべきで、国民への丁寧な説明を伴うべきだ。(聞き手・佐藤裕介) ◇ ◇ 政府が「国家安全保障戦略」などを改定する年末に向け安保戦略見直しの検討を進める中、さまざまな考えを持つ国会議員や有識者らの意見を今後も随時掲載していきます。 つちやま・じつお 青山学院大国際政治経済学部教授、同大副学長、国際安全保障学会会長などを務めた。福井県鯖江市出身。青山学院大法学部卒。メリーランド州立大学大学院修了。71歳。2022年6月19日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「安保戦略見直し・私はこう考える-他国の不信高まる恐れ」から引用 私たちの日本は敗戦の1945年以降、軍備を持つことを止めて必要最小限の自衛力のみで平和外交に徹するとの方針で70数年間、これといった武力紛争に巻き込まれることもなく、また他国の侵攻を受けることもなく、無事に過ごしてきました。このような状況は、ひとり日本が勝手に思い込んでいるのではなく、近隣の諸国も、またかつて日本の侵略を受けた被害国も「戦後の日本は平和主義なのだ」と認識して、その結果として、自国の防衛体制も「この程度で十分」という認識に至っているものです。それを、ウクライナの例があるからと言うだけで、いきなり防衛費増額だの敵基地攻撃能力だのということになれば、余分な警戒心を誘発するだけであって、百害あって一利なしとはこのことです。今月の参議院選挙では、むやみに防衛費増額を主張する政党に投票するのは大変危険な道を選択することになります。そのような無責任な行動を止めて、防衛費増額に明確に「反対」を表明している日本共産党(または、民主社会党)に投票することが、子孫に平和な日本を継承することに繋がる道だと思います。
2022年07月01日
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