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月に一回、「しんぶん赤旗」にコラム記事を書いてる竹田砂鉄氏は、このところ連続して「自民党の裏金問題」を書き続けていることについて、19日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; これまで9カ月連続、このコラムで「裏金をつくっていた自民党議員はなぜ辞めないのだろう」と書き続けてきたが、衆議院選挙を経て、さすがにこの言い方は使いにくくなってきた。いや、なぜ、使いにくいのだろう。そんなことはない。今、一瞬、使いにくくなったと自分が感じてしまったのはなぜなのか。 ある程度の裏金議員が落選し、それでもやっぱり当選した裏金議員がいる。その後者について、自分から、あるいは支援者から「禊(みそぎ)が済んだ」なんて言い方が聞こえてくる。今回の選挙、「自民党とカネ」への評価が下される選挙にはなったものの、当選したからといって裏金が許されたわけではない。議論してから解散すると明言していた石破茂首相が一転して、議論の機会をつくらずに解散に踏み切ったのは、選挙による勝敗の「勝」を「これで許された」につなげたかったからだが、それ以前に、裏金をつくっていた議員は政治の世界から去るべきだった。 ◇ ◆ ◇ 大分2区から出馬するも落選した自民党・衛藤征士郎は「野党やマスコミが不記載問題を『裏金』と訴えたことが大きく影響した」と述べたそう。裏金を必死に「不記載」と言い換えて矮小化に励んだものの、それが及ばないと、野党とマスコミのせいにしてみせる。さすがに見苦しい。 現状、派閥の領袖(りょうしゅう)は裏金の経緯を知らず、会計責任者が勝手にやったことになっている。この「設定」を信じてみるとして、すると、限られた会計責任者の暴走によって、自民党は衆議院選挙で過半数割れになるほどの敗退を喫した。ふと思う。どうして、自民党のトップ・幹部・議員・支球者は、この会計責任者を問い詰めないのだろう。糾弾しないのだろう。 ◇ ◆ ◇ 政治家だろうが、自分のようなライターであろうが、あらゆる仕事には信頼関係が必要。細かい取引が多くなったので、ここ数年は税理士に相談しながら確定申告しているが、もし税理士が書類を改ざんし、不当な利益を得て、その結果、自分の名誉が著しく毀損(きそん)されたと知ったら、自分は自分のために、その税理士を告発する。提訴するかはさておき、事の流れを明らかにして、自分の潔白を立証する。当たり前の話だ。 でも、会計責任者が特に悪かったことになっている今回の裏金問題、政党としての土台がグラつくほどの事態になったのに、なぜか会計責任者を責める声は聞こえてこない。むしろ、野党やマスコミのせいにしたりもする。なぜだろう。 石破政権は裏金問題を受けて、年内にも政治資金規正法を再改正するという。そもそも、今回の裏金問題、誰がどのように始め、一度やめたものを再開するように指示したのは誰で、その金を何に使っていたのか、全体像は明らかになっていない。「ルールを守る」という、小学校の掲示板に貼られているようなメツセージを選挙で掲げた自民党、彼らはまだ何も明らかにしていない。選挙を経たからといってリセットは不要。同じように問えばい 。(たけだ・さてつ ライター)2024年11月19日 「しんぶん赤旗」 8ページ 「竹田砂鉄のいかがなものか-裏金問題 問い続ける」から引用 政治家だろうが、ライターだろうが、あらゆる仕事には信頼関係が必要。それは当然であり、自民党議員の事務所も同じです。自民党議員の事務所に勤務する事務員も会計係も、全員が議員と切っても切れない厚い信頼関係で結ばれているからこそ、「キミ、済まないが、今回の件はすべてオレに相談なしで、キミが独断で全部やった、ということで通してくれ。キミの身分はオレが保障するから、オレを信じてほしい」というような、厚い信頼関係に基づいた会話が交わされた結果、本当は議員の指示で政治資金報告書に記載しないで、議員の指示する金庫に保管し、買収資金として必要な時に金庫から出していたわけです。こういうやり方は安倍晋三事務所が、山口県の有権者団体を東京の「さくらを見る会」に無料招待したときの費用を安倍事務所が全額負担したことがバレて、政治資金規正法違反の罪に問われたときに、安倍氏は「あれは秘書がやったことで、自分は何も知らなかった」という取ってつけたようなウソをついたところ、取り調べの検察官は「なるほど、分かりました」と言って、秘書が勝手にやったことにして罰金100万円を課したのでした。そして表向きはその秘書を安倍事務所は解雇したのでしたが、約1か月後、たまたま安倍事務所の前を通りかかった「しんぶん赤旗」の記者が、ふと見ると、先月解雇したはずだった「秘書」が、何時の間にか「復職」しており、「なるほど、自民党議員と秘書というのは、こういうふうな厚い信頼関係で結ばれているんだなぁ」と、変なところに感心したと同時に「しかし、世の中、これでいいんだろうか?」という大きな疑問を感じたと、その記事には書いてありました。
2024年11月30日
家庭内のトラブルで居場所を失った若い女性が、東京の繁華街にたむろして安易に風俗産業に取り込まれることを阻止するために、救済活動を続ける団体「Colabo」が、その活動を快く思わず、何かにつけて妨害活動を行ってきた暇空茜と仮称する人物との間で裁判沙汰になっていた事例が8件あったが、その8件の裁判はいずれもColaboの勝訴となったことについて、法政大学名誉教授で前総長だった田中優子氏が、10月25日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 10月2日、一般社団法人Colaboは、「ミソジニーと権利の濫用~女性支援に対する一連の攻撃と、少女達に今起こっていること」という報告集会を開催した。この日は代表の仁藤夢乃さん、弁護団のかたがた、そしてColaboの理事たちが列席した。 理事は、性暴力や性搾取被害の弁護に長く携わっていらした角田由紀子升護士、人身取引や女性の移住労働を専門とする大東文化大学特任教授の齊藤百合子さん、そして、婦人保護施設・慈愛寮の元施設長、細金和子さんである。最強のチームだ。私は昨年の5月から、このチームの一員になった。 その時知ったのだが、長く続いた男性たちによるColab攻撃、特にバスカフェを傷つけ、押しかけて脅迫するなどの事件が続いた時には、たくさんの女性たちが「女の壁」を作ってColaboと少女たちを守ったという。その壁の女性たちの志と団結は今でも続いている。 この日の報告集会では、八つの裁判の勝訴報告のほかに、暇空茜と仮称する人物が弁護団の神原元弁護士を訴えた事件の判決についても報告があった。それも含めこの裁判では裁判所が、暇空茜による「デマ」11個を認定したのである。デマ発信の動機が「女性差別」に基づくこと、そして、情報開示請求及び住民監査請求がColaboに対する嫌がらせ目的であることも認められた。領収書の情報開示が、Colaboに身を寄せる女性たちの個人情報の開示となり、極めて危険なことを分かっていないか、分かっていての嫌がらせかなのである。 ネット上で誹謗中傷し、現場での暴力の映像を流すことで、女性たちはColaboに近づきにくくなる。性搾取を仕事にしている人々や女性たちに性的な存在でいてほしい人たちは、自分も数々の可能性と守られるべき人権をもった「人間」であると、女性たちに気がついてほしくないのである。 女性たちがそれに気づいたら、差別する対象がいなくなってしまう。差別によってしか自分を肯定できない人々は、全力で差別構造を保とうとするものだ。 多くの差別が意識化され、克服されてきた。女性の問題はまっさきに解決したかのように見えるが、実はもっとも後まで残る。それは人格全体から「性」だけを取り出して消費できる、と信じている人がいるからである。「トー横」や「ホスト問題」など、そういう人々の作り出している状況は悪化するばかりだ。◆性の売買とは人間の支配 Colaboの活動が封じられたことで、助かるはずの女性たちが、過酷な状況に陥ったかもしれない。それでも少女たちを支える活動は継続している。それを支えてきたのは市民の方々からの寄付だった。 裁判は、それらの攻撃が首謀者によって他の理由(女性差別など興味がない、などの言説)で語られたとしても多くの男性たちのミソジニーを利用したものであることを明らかにした。さらに、東京都庁に書類の開示を求めて不正を暴くがごとくふるまうという、市民の権利を濫用したものであるということも認定された。 理事の中から角田さんと私が報告会に列席した。角田さんは買春問題をさまざまなところで発信している。 たとえばスウェーデンの事例では、「性的奉仕購入の罪」という法律があって、買う方を罰金もしくは1年以下の懲役に処する。業者には「性的奉仕周旋の罪」が科せられ、さらに土地や建物の賃貸や提供も周旋行為を促進した者として罰せられる。性的奉仕にはいわゆる性交のみならずあらゆる性的奉仕が含まれる。そして買われる側には刑罰の適用がなく、むしろ社会的援助と自立支援プログラムを受ける権利がある。この刑罰化によって、街頭の性売買は約50%減少したという。 女性たちが組織で出世するようになれば平等、ということにならない。もっとも大きな問題は金銭による性の売買なのだ。それは人間による人間の支配そのものである。ジェンダー問題の解決には、買春の処罰化か必須だ。女性たちのこれからが開けてくるかどうかは、そこにかかっている2024年10月25日 「週刊金曜日」 1494号 24ページ 「【連載】これからどうする?-女性たちのこれから」から引用 邪な目的を持った暇空茜の裁判が、ことごとく本人敗訴となり社会の正義が実現したのは喜ばしいことと思います。このような裁判の積み重ねで、女性差別の社会構造が次第に改善されることを望みます。上の記事によれば、スウェーデンでは性の売買は買う男性に対して刑事罰が課されるとのこと。その一方で、日本では売る立場の女性が罪に問われるだけで、買う男性には何のお咎めもなしというのは、あまりにも遅れた制度のように思われます。おそらく、スウェーデンの国会は女性議員の比率がそれなりに高いのに比べ、日本で売春防止法を審議して可決成立したときは、ほとんど男性議員だけで決めたのではないかと想像されます。日本が先進国であり続けるためには、この時代遅れの法律を改正する必要があると思います。
2024年11月29日
テレビをほとんど見ることのない私は、当然のことながらテレビ番組のことなど知らないのであるが、今月発売の月刊「創」に掲載された映画監督の森達也氏が連載しているコラム「極私的メディア論」によると、NHKテレビは17年前から、国内の映像コンクールで表彰された番組をまとめて一挙に放送するという企画を実行していて、民間放送局が制作した番組であっても優秀作品とされたものは堂々と放送しているのだそうで、今年はどのような番組が受賞したのか、次のように紹介している; 10月後半、毎年恒例のNHK-BS「ザ・ベストテレビ」の収録が行われた。 この1年間で国内の代表的な映像コンクールで最高賞を受賞したドキュメンタリー番組を一挙に放送する「ザ・ベストテレビ」は、17年前に第1回が放送された。そして僕は、初回からずっとゲスト・コメンテーターを務めている。 NHKで民放の番組が放送される。今でこそNHKと民放のコラボは時おり企画されるが、当時としては相当に画期的だ。誰もが実現は無理だろうと思っていたし、企画段階で相談を受けた僕も、相当難しいだろうなと思っていた。 でも当時のNHKのプロデューサーやスタッフたちはあきらめなかった。ハードルをひとつずつクリアして、遂に実現にこぎつけた。 収録は最初のころは華やかだった。初回か2回目か3回目か正確には覚えてないけれど、当時のゲスト席はひな壇で(つまり数が多い)AKB48や芸人たちが座っていたことを覚えている。でも回を重ねるごとに予算は少しずつ削られて、ゲストーコメンテーターの数も少なくなった。 ただし受賞作を最初から最後まで放送して、その後にスタジオに呼ばれた当該番組のディレクターやプロデューサーがゲスト・コメンテーターからの質問に答えるというスタイルは、初回からずっと変わらない。 ここ数年のゲスト・コメンテーターの顔触れは、森達也とノンフィクション作家の河合香織、そしてヴァージル・ホーキンス大阪大学大学院教授の3人だ。司会はNHKの顔である三宅民夫アナウンサー。2017年に退職したが、今も「ザ・ベストテレビ」の司会は続けている。今回のグランプリ受賞作を以下に記す。○放送文化基金賞最優秀作品『膨張と忘却~理の人が見た原子力政策~』NHK○日本民間放送連盟賞テレビ報道番組 部門グランプリ『こどもホスピス~ いのち輝く。第2のおうち々~』朝日放送テレビ○日本民間放送連盟賞テレビ教養番組部門グランプリ『20年目の花火』鹿児島テレビ放送○ATP賞テレビグランプリ・ドキュメンタリー部門最優秀作品『新・爆走風塵~中国・トラックドライバー 生き残りを賭けて~』NHK○地方の時代映像祭2023クランプリ『立つ女たち~女性議員15%の国で~』NHK 例年はここにギャラクシーと芸術祭のグランプリが加わるのだけど、2023年のギャラクシーはドラマ『フェンス』が大賞作品となり、芸術祭は主催する文化庁が終了を発表したので、今年は5本だけだ。 少し話が逸れるが、芸術祭終了は唐突だった。理由もよくわからない。釜山映画祭に行ったとき、国を挙げてエンタメや文化を支援する韓国の姿勢を実感したと以前にこの連載で書いたけれど、日本における芸術や表現、アカデミズムに対する国の支援は、(特に安倍政権以降)先細りする一方だ。 今回はすべての番組のディレクターがスタジオに来て、質問に答えてくれた。 『膨張と忘却』の放送枠はETV特集。国の原子力政策に長年関わってきた研究者の吉岡斉さんが残した吉岡文書の発見をきっかけに、原発政策決定の舞台裏で行われていた虚偽と欺瞞に迫った作品だ。観れば誰もが、こうした政策決定の果てに福島原発の爆発があったのかと驚きあきれるはずだ。ディレクターは石濱陵。 観て本当に悔しい。この番組が放送される少し前に岸田政権は、原発再稼働の加速と新増設に踏み込んだ原子力政策の大転換を宣言した。福島の記憶と教訓は見事に消えた。本来ならありえない。今年の夏はこれほどに暑かった。でも電力不足の声はほとんど聞こえない。なぜこれ以上に原発を増やす必要があるのか。その政策決定の裏舞台で、自民党の政治家たちと原発関連企業がいかに癒着していたかを知れば、誰もがもう原発は必要ないと思うはずだ。~ 以下省略 ~月刊「創」 2024年12月号 66ページ 「極私的メディア論 第191回 ザ・ベストテレビ」から一部を引用 日頃は政府の広報機関かと思わせるような「政府・自民党よいしょ番組」ばかり放送しているイメージのNHKであるが、中には骨のある職員もいて、報道機関としての使命を忘れることなく「真実」の報道のために努力する人々も存在し活躍しているという話は、なかなか感動的と思いました。それにしても、森氏が釜山映画祭に行ったときに考えた「国を挙げてエンタメや文化を支援する韓国と、文化関係の予算はどんどん削る日本」という比較は、この先の日本がどういう「運命」を辿るのか、一抹の不安を禁じえません。
2024年11月28日
与党が過半数割れとなった国会で、首相を指名する選挙での各党の行動をメディアはどのように報道したか、ジャーナリストの古住公義氏は、17日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 衆院選を受けた第215特別国会で石破茂首相は11日、衆院本会議での首相指名選挙で決選投票の末、第103代首相に選出されました。テレビがどのように報じたのか振り返ってみます。 同日の「NHKニュース7」は、この結果について政治部の田尻大湖記者が「野党側がまとまれなかったことに助けられたという印象です。衆議院では野党が過半数あるので仮に一致すれば政権を取れた。協力したのは共産党など一部で国民民主党、日本維新の会は応じなかった」と解説。しかし「ニュースウオッチ9」は、各党のコメントのみで政治部記者の解説はありませんでした。非常に物足りなさを感じました。 「報道ステーション」(テレビ朝日系、11日)は、決選投票の84票の無効票について「野党は野党で反省がある。決選投票で出た無効票84票は単なる死に票でなく自民党政権の存続に役立った」と指摘。しかしスタジオでその点を深めることはありませんでした。 「news23」(TBS系、11日)は、国民民主党・玉木雄一郎代表の不倫や「103万円の壁」についての報道が中心で首相指名選挙に触れませんでした。「FNN Live News α」(フジテレビ系、11日)も同様でした。 各テレビ局の恬淡(てんたん)とした紹介に反して「サンデーモーニング」(TBS系、10日)での畠山澄子さん(ピースボート共同代表)のコメントは光っていました。国民民主党の玉木代表が決選投票でも玉木と書く、と発言したことに触れ「党首を担う政治家としてあるまじき発言。事実上無効票になる票を投じたり結果として自民党に利する行動は受け入れたくない」と。有権者が下した自民・公明両党への審判に対し、石破政権の延命に手を貸した各党の姿勢は、メディアも批判すべきでした。(こすみ・ひさよし=ジャーナリスト)2024年11月17日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-物足りぬ首相指名報道」から引用 この度の総選挙は「裏金問題」に対する自民党の不十分な「反省」に業を煮やした有権者が、「こういう政党に政権を任せてはおけない」と批判票を投じた結果、過半数割れとなったもので、民意は「自民党政権を否定した」と理解するべきです。そのような国民の意識に応えようと思えば、一党ではまだ数が足りない野党は、それぞれの党の「共産主義社会の構築」とか「労働者が主人公の社会建設」という「最終目標」は一端棚上げして、「とりあえず政権担当能力を失った『与党』に代わって当面の政権を担う」という共通目標の下に立憲民主党も国民民主党も維新の会も結集するべきだったと思います。しかし、現実には、国民民主党は「その先」を読んで、広範な国民の支持を失った自公政権を助ける結果となる行動に走ったわけで、議席を4倍増にしてくれた多くの有権者を落胆させたのではないかと思います。このような「失敗」を今後繰り返さないためには、「この与党はダメだ」という事態になったときに、有権者の取るべき行動は、自分たちの票が分散して力を失うことを避けるために、共産党支持者も維新の支持者も、「今回に限って、野党第一党に票を結集しよう」と決めて投票する、という「戦略的行動」が必要になるのだと思います。人々が、そのような高度な投票行動をとれるようになるためにも、今回の国民民主党や維新の会の「投票行動」については批判的な報道が必要だったと思います。
2024年11月27日
自公政権が少数与党に転落した先月の総選挙について、朝日新聞編集委員の後藤洋平氏は12日の同紙コラムに、次のように書いている; 8月下旬から9月中旬まで、元プロ野球選手で参院議員も務めた野球評論家・江本孟紀さんに半生を振り返ってもらう連載「人生の贈りもの」を朝刊文化面で手がけた。 甲子園出場が決まっていたのに部の不祥事で出られなかった高校時代、ドラフト外で東映フライヤーズに入団した翌年に野村克也さん率いる南海ホークスにトレードされての才能開花、阪神で活躍したのち「ベンチがアホやから野球がでけへん」の名ゼリフ?での突然の引退。挫折の連続から、予想もしなかった人生を歩んできたことを聞き、記事にした。 連載中には取材先から「エモやんの記事、読んでるよ」と多数声をかけられたが、私の専門がファッションや芸能、放送なので、「なぜお前が江本さんの連載を?」と聞いてくる人もいた。 * 初めて江本さんの取材をしたのは、参院議員を辞して立候補した2004年の大阪府知事選だった。当時私はスポーツ新聞の入社6年目の記者で、大阪を拠点に芸能と社会を担当していた。上司から選挙戦で江本さんに密着するよう命じられ、元サッカー選手のラモス瑠偉さんや吉本新喜劇の池乃めだかさんらが応援に駆けつけたことなどを含め、連日記事を書いた。 連載のなかで江本さんは「俺は政治思想としては少し右寄りを自覚している。でも、権力者は基本的に嫌い。常に反権力の思いを抱いてるんだよね」と語っている。まさにこの「反権力」の姿勢に共感して、「この人の半生を書きたい」と思ったのだ。 政治家としては常に野党で、大阪府知事選では現職に立ち向かった。最後の立候補だった10年の参院選は「小泉郵政改革以降、政治は黒か白、ゼロか100で判断を迫る形に変わった。しかし、実際の世の中は単純ではなく、国民を二つに割る政治はおかしい」と異を唱えた、落選覚悟の選挙だった。うまく立ち回ることよりも、言うべきことや思ったことを口にする(時に、してしまう)姿が、長く広く人に好かれる要因なのだと思う。 一方で江本さんは参院議員時代、「党内からも朝日新聞からも反対された」という1999年施行の国旗・国歌法、「税金じゃないからスポーツが嫌いな人からお金を取ることはなく、今も1千億円以上の売り上げがあって様々なスポーツ振興に役立っている」という98年のサッカーくじ法の成立に尽力したと胸を張った。「世の中のためになると思ったことについては、政策や法案を個別に考慮したうえで実現に務めたつもりなんだ」と振り返った。 * そんな言葉を思い出しながら、10月27日に投開票された衆院議員選挙の結果について考えた。自民党が公示前の247議席から191議席と大きく減らし、与党としても過半数割れに。逆に野党では、立憲民主党が98議席から148議席と1・5倍増、国民民主党は7議席から4倍増の28議席になった。政府予算案の審議を取り仕切る衆院予算委員長のポストを立憲民主党が得るなど、野党の存在感が大きくなりそうだ。 「政治が安定しない」という見方もある。だが、野党が議員時代の江本さんのように、権力と一定の距離をとる姿勢を保ちながら「個別の政策ごとに態度を決める」というスタンスを貫けば、政権が緊張感を持ち、日本の政治のあり方が変わるかもしれない。そう期待しつつ、目を凝らしていきたい。(編集委員)2024年11月12日 朝日新聞朝刊 13版S 13ページ 「多事奏論-エモやん的『反権力』野党に存在感 政治変わるか」から引用 私の記憶では、江本孟紀と言えば阪神タイガースで活躍した選手と記憶しているが、参議院議員を務めたことも記憶している。「黒か白か、ゼロか100かで判断を迫る政治はおかしい」という主張は、私も正しいと思います。しかし、この記事では、少数与党になると「政治が安定しない」という見方もあるなどと書いているが、それは今の時点で持ち出す言葉ではないように思います。それというのも、安倍政権以来の一強と言われた超安定政権が何をやったか、思い起こしてみれば、閣議決定だけで「平和憲法」の精神を捻じ曲げて、自衛隊の海外派遣や集団的自衛権に基づいた軍事行動を「合憲」と強弁する、挙句の果ては、政治資金規正法を欺く「裏金」の横行と、まるで無法地帯のようになり果ててしまったのが、世にいう「安定した政治」の「正体」だったわけで、私たちは二度とあのような政治を許してはならないと思います。
2024年11月26日
1強と言われた自公政権が過半数割れとなった日本の総選挙と、良識派の期待に反してトランプ氏が勝利したアメリカの大統領選挙について、歴史家で学習院大学教授の井上寿一氏は、16日の毎日新聞コラムに次のように書いている; 10月27日、日本では衆院選がおこなわれた。結果は与党の過半数割れだった。野党は国民民主党の躍進と日本維新の会の退潮が明確になった。野党第1党の立憲民主党は議席数を伸ばしたものの、政権交代には程遠かった。 11月5日、アメリカでは大統領選挙がおこなわれ、トランプ候補の大勝に終わった。最後まで予断を許さない大激戦が続いているはずだった。ところが実際は違っていた。 以上の二つの結果は日本にどのような影響を及ぼすのか。二つの選挙の相互連関のなかで、歴史的な観点からこれからの日本を考える。 少数与党内閣は不安定で長続きしない。ふつうは解散・総選挙か連立の再編・政策協議などの政党間連携の二者択一である。さすがに再度の解散・総選挙は無理で、連立の再編・政党間連携となる。与党と国民民主党が相互に接近する。複数の世論調査によれば、石破茂内閣の支持率は急落しているものの、続投を望む声も半数を超える。 「裏金議員」問題に対する世論のきびしい批判にもかかわらず、この程度で済んだことは、あらためて保守の相対的な1党優位を確認させる。「高市新党結成か」などの自民党内の反乱に関する臆測はすぐに消える。政治は数の力がものをいう。自民党は割れれば権力から遠ざかる。自民党の結党の経緯をふりかえればよくわかる。1954年12月に少数与党で出発した日本民主党の鳩山一郎内閣は、翌年2月の総選挙に打って出る。日本民主党の獲得議席は185にとどまる。単独少数内閣が続く。対する革新勢力は、10月に左派と右派の社会党が統一する。このままでは危ない。翌月、日本民主党は自由党と保守合同をおこなって、自由民主党が結党された。 あるいは権力の座に座り続けるためならば、村山富市内閣がそうだったように、対抗勢力の社会党と連立を組むことも辞さない自民党である。国民民主党の要求をのむくらいはいとわないだろう。自公連立内閣は続く。 対する野党第1党の立憲民主党はどうか。50増の148議席である。大躍進のようにみえながら、比例代表の党派別得票数は、前回20%に対して今回21・2%とほとんど変わらない。有権者は政権交代を時期尚早と判断しているのかもしれない。数のうえでは野党の方が多くても、連立や政党間連携は、与党以上に難航している。 立憲民主党は戦後革新勢力の政治イデオロギーの残滓(ざんし)を拭い去って、「保守中道」路線を明確にすべきではないか。それはだめだ、立憲民主党はリベラル政党だ、と言うのであれば、「リベラル」とは何かを具体的に明らかにしなければならない。このことはアメリカ大統領選の結果とも間接的な関係がある。 日本からアメリカ大統領選挙をみていると、トランプ氏の極端な言動に関心が向きがちで、あのような人種差別的発言をする候補者が接戦を演じているとは信じがたいほどである。ところが実際はトランプ氏が大勝した。 有権者はトランプ氏に何を期待していたのか。ワシントンの既得権益の打破、官僚の政治的腐敗の追及、「ディープステート」に対する批判、過度なポリティカルコレクトネスへの反動、移民が職を奪うとの感情論、これらの難題を解決できるのは、リベラルな民主党の候補ではなくトランプ氏だと見なされた。 トランプ氏は、全米ネットワークのテレビや新聞を見限るかのように、多様なSNS(ネット交流サービス)をとおして、有権者のこれらの期待に応えようとした。 アメリカのベストセラー作家スティーブン・キング氏は、自らのホラー小説の背景として、荒廃したアメリカ社会の現実を描写する。その筆致がリアルであればあるほど、現状の打破をトランプ氏に託したくなる。対するキング氏はベトナム反戦世代の価値観を引きずりながら、SNSでトランプ攻撃を展開する。ところがリプライを読むと、キング氏は主観的に貧しい白人の代弁者なのに、客観的には巨万の富を手にしたベストセラー作家=エスタブリッシュメント(既存の支配層)として、批判されているかのようである。 以上のように、従来の固定的な「保守」と「リベラル」の対立図式は大きく揺らいでいる。アメリカの変動は、タイムラグをともなって、間接的にではあれ、日本にも影響を及ぼす。すでに予兆が起きている。7月の東京都知事選での「石丸現象」や先の総選挙の際の国民民主党に対するSNSを通した若い世代の支持、兵庫県知事選の選挙戦における斎藤元彦候補の猛追などである。 これらの変動の予兆は、「保守」勢力の自己改革と「リベラル」勢力の政治イデオロギーの再編を促している。その先にどのような政党政治システムが成立するのか。私たち有権者の責任も重い。2024年11月16日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「井上寿一の近代史の扉-日米の選挙、保守対リベラル図式の変動」から引用 自民党の裏金問題に対する厳しい批判があったにも関わらず、自民党が政権の座を追われることもなく踏み止まったのは、保守の1党優位を確認させる出来事であったと筆者は書いているが、そういう評価を私たちは額面通りに受け止めて良いのか、私は疑問を感じます。自民党は明らかに不正を行っていたのであり、その不正の詳細が明らかにならないように、不正金額の大きい議員だけを役職停止だの公認不許可だのと処分したかのような恰好にしただけで、裏では「公認料」を密かに振り込んでいたという事実が、選挙期間中に「しんぶん赤旗」が報道するという一幕もあったのであり、「裏金問題に対する厳しい批判」などというのはごく一部の有権者に限られ、大部分の支持者は、これまで通りに自民党が作り上げた「利権構造」の上に引き続いてあぐらをかいて不正に利益をむさぼる仕組みを温存したという事実を、はっきり認識した上で、選挙結果を評価するべきと思います。アメリカ大統領選挙の結果をどう評価するか、という点についても、井上氏の論証からは「民主党に裏切られた労働者の怨念」という視点が抜け落ちているように思われて、何か物足りない気分を感じます。
2024年11月25日
日本は女性差別撤廃条約を批准していながら、その条約に基づいた差別撤廃政策を全く実行していないため、国連は何年も前から「選択的夫婦別姓を認める法律の制定」や「同性婚を認めるための法律の改正」等々について勧告をしてきているのであるが、先月末にはこれまでに日本政府に対して行った勧告の一覧表を公表したのであったが、そのことについて、法政大学名誉教授・前総長の田中優子氏は、10日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 国連の女性差別撤廃委員会が10月29日、日本政府に対する勧告を公表した。日本は女性差別撤廃条約を批准している。委員会は条約の実施状況を審査する機関なので、実施を怠っていれば勧告をする義務があるのだ。 勧告された項目は多岐にわたる。「選択的夫婦別姓への法改正」「人工妊娠中絶に必要とされている配偶者の同意要件を、削除する法改正」「緊急避妊薬を含め、避妊への十分な手段を提供すること」「女性が国会議員に立候補する際の供託金を一時的に減額し、国会に女性を増やすこと」は重点項目だ。その他にも「技能実習生のプログラムで、差別的慣行から女性移民労働者を保護する」「沖縄における米国兵士による女性と女児に対する性的暴力を防止し、加害者を適切に処罰する」「同性婚を認める」「男系男子が皇位を継承することを求める皇室典範について、他国の事例を参照しながら改正する」「独立した国内人権機関を設立する」等々が続く。この「国内人権機関の設立」はとりわけ、他の事項を実現する上で重要である。 ◇ ◆ ◇ 選択的夫婦別姓についての国連の勧告はなんと4回目だ。反対する立場の人は「家族の絆が弱まる」と言うが、周知のように日本は古代から明治31年まで夫婦別姓たったわけだから、それで家族の絆が弱まるのなら今ごろ日本人はこの世にいない。知らないのか知っていてうそをついているのか、どちらかであろう。11月3日のTBSサンデーモーニングでは竹下隆一郎氏が、これらの勧告は全て「女性が自分の身体や名前について自己決定する権利の話なので、非常に重要な問題提起だ」とコメントした。高橋純子氏は現状を「同姓強制」と表現した。ご自身は籍を入れずに子供を育てた。「何が幸せでどう生きたいかは個人が決めることであって、その選択肢を増やすのが政治の役割」というコメントは、全くそのとおりだ。 今や選択制導入賛成者の方が多い。にもかかわらず政府は「国民の幅広い意見を聞いてから」と言う。政府は女性を、家族制度内の役割のひとつに過ぎないと位置付けているのだろうか。多くの選択肢も自己決定権も要らない、と考えているようだ。そうだとすると憲法の人権理念に反する。政治家に憲法を守らせる立場にある国民は、国連の勧告を味方にして声を上げる必要がある。 皇室典範についても「男系の男子のみの皇位継承を認めることは、条約の目的や趣旨に反する」と勧告した。これを日本政府は「委員会の権限の範囲外である」としている。委員会はそのことも「留意する」とした上で、それでも「皇位継承における男女平等を保障するため」に、他国の事例を参照しながら改正するよう勧告したのである。 ◇ ◆ ◇ 女性も自己決定権をもつべきだとする世界基準と、慣習を基盤にした国の法律とが齟齬(そご)する場合、どちらを優先すべきか。世界基準を採用した場合、国民が大きな不利益を被るならば、もちろん国法を優先すべきだろう。しかし、たとえば皇位継承者が女性であることで、日本国民は不利益を被るだろうか? 一方、「同姓強制」は国民に多大な不利益を与えている。 現在の政府の見解より国連の勧告の方がどう考えても、国民の幸福を保障するのである。2024年11月10日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-国連の勧告」から引用 選択的夫婦別姓の制度を採用すると家族の絆が弱まると信じている日本人は、いるとしても30%くらいであり、70%の国民は「選択的夫婦別姓」制度を正しく理解して賛成しているというアンケート結果も出ている。この制度を「正しく理解する」とは、夫婦の姓は同姓を希望する人には同姓を、別姓を希望する人には別姓を、それぞれ認める、という制度であり、同姓を希望する人は同姓を選択すれば良いのであり、同姓では著しい不利益を被る人だけが「別姓」を選択してよいという制度なのだから、「そのような制度を認めれば、全国の家庭の絆が弱まる」というのは真っ赤なウソなのである。そして、この期に及んでいまだに「反対」を唱える人というのは、自分の家族の姓は当然同姓であるが、それだけでは満足せず、他人が勝手に「夫婦別姓」になるのが許せないと言ってるわけで、例えて言えば「ウチが夫婦同姓にしているのだから、隣もそのまたとなりも、とにかく全国一律に同姓にするのが当たり前だろう」と言ってるわけで、そういう低レベルの主張を何時までものさばらせておかないで、この辺でしっかりケジメをつける時が来ているのではないかと思います。
2024年11月24日
民主主義のルールとか社会の常識を敵視するトランプ氏がアメリカの大統領に再選されたことで、世界はどのように変わるか。9日の毎日新聞は、次のような一橋大学教授・市原麻衣子氏の談話を掲載している; 米国を民主主義の観点から見ると、第2次トランプ政権は1期目よりも悪化すると考える。 第1次政権が連邦最高裁判事に3人の保守派を指名したように、既に人の配置や米社会の制度の弱体化がトランプ氏に都合の良いように進んでいる。こうした状況で、今後は三つの側面で民主主義の弱体化が進むと考えている。 一つは、さまざまな形で自由や人権が侵害される可能性があるということだ。今回の選挙ではトランプ氏への支持を公言しない「隠れトランプ」が少なかった。トランプ氏が作り出す極端な言説に対して、人々の心理的なハードルが下がっている。 トランプ政権下では米国際開発庁(USAID)や全米民主主義基金(NEO)など民主主義分野の支援を行う機関への政府予算も削減されると予想される。これらのことが米国の自由主義的な価値をさらに下げ、メディア報道の抑圧につながったり、マイノリティーの人権や女性の権利擁護のための活動が難しくなったりする。市民社会の空間が小さくなる恐れがある。 二つ目は、人々の間の信頼関係が弱体化するということだ。本来は知らない人でもある程度は信頼できると想定し、地域内で協調した取り組みを行うことができる。しかし米国では分断的な言説が強まっており、アイデンティティーや宗教、経済格差を起点にした亀裂がさらに深まるだろう。 そして最後に、情報分野での懸念もある。民主党のバイデン政権下で、米社会はロシアなどからの偽情報の取り締まりを強化してきたが、共和党は情報の取り締まりを嫌い、相当反発していた。今後、共和党が政権に就き、米国がさらに偽情報対策をしなくなる可能性が高い。海外からの情報工作に弱くなり、何が真実の情報かますます分からなくなる。米国は民主主義のモデルではなくなってしまう。 ハリス副大統領の敗北要因として「女性であることが不利に働いた」との意見や、政策面でのアピールが不十分だったとの指摘がある。民主党としては政策合戦よりも民主主義制度の存続にとっては「ハリス氏が良い」ということを示したかったはずだ。しかし、こうした主張は市民には十分理解されなかった。【聞き手・松本紫帆】<いちはら・まいこ> 1976年生まれ。米ジョージ・ワシントン大大学院博士課程修了。関西外大准教授などを経て現職。米カーネギー国際平和財団客員研究員なども歴任。2024年11月9日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「トランプ2・0 識者に問う-民主主義の弱体化進む」から引用 トランプ氏が大統領になることによって、アメリカは人権や自由が侵害される社会になる。今までは知らない人同士でも常識をもって話し合い助け合う社会であったが、トランプ政権下ではそのような常識は消滅し、人々は利害関係で対立し互いにいがみ合うようになる。そして、共和党は「偽情報対策」が嫌いなので、これからはアメリカでは偽情報が氾濫し、何が本当なのか分からない社会になる。こうしてアメリカ社会は民主主義の規範を失い、社会の統合を失い、社会全体の活力が低下して没落していく、ということのようである。アメリカがこのようにして没落していく時に、日本に少しでも「民主主義」を理解し実践する政党があれば、少しはアメリカの肩代わりをして、世界の民主主義を守る役目を果たすことも理屈の上ではあり得たはずであるが、実際のところ、そんなことは夢幻であることは残念なことである。
2024年11月23日
都知事選挙で160万票を集めた石丸伸二氏について、毎日新聞徳島支局長の井上英介氏は9日付け同紙コラム「井上英介の喫水線」に、次のように書いている; 石丸伸二氏(42)を私が知ったのは、例の発言でだった。 2年前、広島県安芸高田市の市議会本会議。居眠りする、質問しない、と市長就任直後から議員たちを批判し続けてきた石丸氏が、議場で言い放った。 「恥を知れ、恥を!」 そのニュース映像に私は当時驚いた。しかし、もっと驚いたのは今年、任期途中で市長を辞し、東京都知事選で次点の165万票を得たことだった。 動画サイトやSNS(ネット交流サービス)で支持を広げる石丸氏に興味を抱き、彼や市議会をめぐるネット動画を何本か見た。正直、げんなりした。鋭く対立する石丸氏と多数派議員たちの応酬が展開される。むろん、それ自体は問題ない。自治体行政を執行する首長と、それをチェックする議会は対等で、互いに独立して選ばれる。この二元代表制において意見の食い違いは少しも珍しくない。 げんなりしたのは石丸氏の過剰なレトリックだ。質問する議員たちは広島なまりで、流暢(りゅうちょう)とは言い難い。一方、京都大卒、大手銀アナリストだった石丸氏は立て板に水。反問権(質問意図の確認で市長側に認められる)で議員にいちいち逆質問し、「主張が矛盾する」「不勉強だ」とまぜっ返す。議員に足らざる点がもしあっても、反問などせず、一度の答弁の中で簡潔に指摘すれば済むだろうに。 市の財政再建の問題でリストラが必要だと説く石丸氏に、議員が懸念を表明する動画があった。部外者の私にはどちらが正しいか判断する材料も資格もないが、石丸氏に理がある一方、議員も一定数の市民を代表していると感じられる。石丸氏は議員の論破に熱心だが、その向こうで不安を抱く市民への説得の努力は十分だったのか。 それ以上に気分が悪くなったのは、彼の支持者たちによる多数の切り抜き動画だ。「アホ発言に失笑」「論破されて逃走」「ポンコツ」・・・市議会動画の一部を切り取り、議員をあざける下品な字幕をかぶせる。コメント欄は石丸氏への賛辞と議員への非難であふれている。 地元で傷ついた人もいるだろうな・・・私は現地を目指した。 安芸高田市は人口2万6000人、広島駅から車で1時間。中国山地に抱かれた農村だが、マツダ関連の工場がある。 「反論すれば炎上する。何を書き込まれても無視するしかなかった」。石丸氏と対立していた山本優(まさる)議員は言った。同じ会派だった山本数博議員は昨年9月、予定していた一般質問を取りやめた。「加害を示唆する書き込みがあり、身の危険を感じた。警察にも相談した」と経緯を語る。質問取りやめに「ざまあ」「被害者ヅラすんな」「職務放棄なら議員辞めろ」とネット上で非難が殺到した。 異常な事態だ。政敵なら罵倒されても、脅迫されてもよいのか。石丸氏は市長時代、自著でこう書いた。「言葉は悪いが、燃やせるものは何でも燃やしてきた。炎上商法と言われても構わない」(「覚悟の論理」2024年5月刊) なるほど、確信犯か・・・。彼はネットを駆使し、政治に無関心な有権者を引きつける「政治の見える化」を目指してきたという。だが私には、故郷で市長の立場や議会を利用し、「過剰なレトリック」で政治家としてのセルフブランディングに励んでいたように見える。 石丸氏が去って、安芸高田に何が残ったのか。 「市民はむかし、みな仲良しでした」。市役所そばで45年続く喫茶店「茶房いなだ」を営む山中章生(ふみお)さん(65)は言う。声を落とし、続けた。「石丸さん以降まちに分断が生まれた。石丸派も反石丸派も店に来る。どちらも大切なお客様ですが」 すべては河井事件から始まった、と振り返る。19年の参院選広島選挙区で当選した河井案里氏と夫の克行元法相による大がかりな買収事件で、安芸高田でも関与した市長が辞職。これに伴う20年8月の市長選に石丸氏が立ち、前副市長を破った。「彼は事件に憤る市民の心をつかんだ。今でも支持する人は多い」と解説する。徒手空拳の37歳が事件で揺れる故郷を切り裂いた。これを「地元の一体感を損なった」と見るか、「閉塞(へいそく)感を打ち破った」と見るか。 石丸氏に近かった南沢克彦議員は彼を「劇薬」と表現する。「政治へのあきらめが漂い、活力が失われつつある局面で、市民の政治的関心を劇的に高めたが、同時に分断も生んだ。人にはよい面も悪い面もある。まちの活性化には悪い面を攻撃するのではなく、よい面を生かし合うべきだと提案したが、彼は関心を高めることを優先し、貫いた」。それでも南沢さんは、劇薬服用を経て市民がまちにかかわる流れが強まることを期待する。「時間が必要で、今後どうなるか分からない。でも、関心が高まったことで若い人が何人か市議を目指しています」 その安芸高田市議選が、あす10日に告示される。2024年11月9日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「井上英介の喫水線-石丸伸二という『劇薬』」から引用 この記事は、石丸伸二という男が何を考えてあのような奇異な行動をしているのか、分かりやすく説明してくれているように思います。要するに、自分の味方以外は徹底的にこき下ろして侮辱して蔑んで見せる。それによって、自分が攻撃されたわけではない者が、いつか自分が攻撃される時が来ることのないように、前もって彼の味方であることを表明し、支持者であることを表明する行動に出る。しかし、そうやって「支持者」を増やしていって、その先に何を実現するつもりなのか、不思議である。昔、ヒトラーがやったように一国を支配する立場にまで登り詰めるつもりでいるのか、そんなことが可能だと思っているのか、なお謎は残ります。
2024年11月22日
アメリカの大統領選挙を予測した日本のテレビと、それに反応した日本のテレビ視聴者の発言について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は、9日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 米大統領選の投開票日、X(旧ツイッター)のトレンドには「日本のマスコミ」「マスゴミ」「ハリス優勢」などのキーワードが並んだ。地上波テレビ各局の報道姿勢への疑問に関するものだ。選挙期間中、ハリス氏がトランプ氏に対して優勢であるといった主張をしていた経緯を踏まえたうえで、当日も同様のトーンで報じたことを批判したのである。 途中、獲得した選挙人の数が約2倍になっても、ハリス氏が優勢であることを番組はテロップで流し続けた。解説者もハリス氏を褒めたたえる。だが、その意に反し、トランプ氏の圧勝に終わったことからこれらキーワードが並ぶ結果となったのだ。しかも、勝利後は「なぜトランプ氏(のような危険人物)に投票するのか」と首をひねる出演者までいたことも反感を買った。 投開票日に大きく差がついた時、「どこが『ハリス優勢』だ」という書き込みが多数見られたが、ハリス支持者は、こう反論した。 「田舎の州は集計が早いから、田舎の票がまずトランプに入っているだけ。ハリスが強い大きな州は田舎の州の何倍もの選挙人の数がいるから、一気にハリスに終盤、票が入るのだ」 これは正しい分析だが、さすがに序盤から差がつき過ぎた。一方前回、バイデン氏が僅差で勝った時、保守派は「不正選挙だ、卜本当はトランプの勝ちだった」と騒いだ。そんな疑念を抱いていたからこそ、終盤になってバイデン氏の票が伸びたことを「(不自然な)バイデンジャンプ」とネットでは呼んだ。今回も終盤、「ハリスジャンブ」発動を予想する意見は多々書かれた。 毎度、勝った方の支持者は大喜びして反対陣営をバカにし、負けた方の支持者は負け惜しみを言ったり、世界が破滅に向かうと予言したりする。実に熱心だ。 冒頭の「日本のマスコミ」の話に戻るが、Xでは「ネットを見ている人間だけが本当のことを分かっていた」との意見が共感を集めた。これは言い過ぎ、両陣営の支持者がネットを見ているわけだから、あくまで「自分の支持する情報がたまたま当たった」ということだ。まあ、テレビの報道は軒並み大外れだったのは事実だが。(ネットニュース編集者・中川淳一郎)2024年11月9日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「週刊ネットで何が・・・-『ハリス優勢』TV大ハズレ」から引用 上の記事を掲載した東京新聞は、同じページの隣接するスペースに「本音のコラム」があって、そこでも師岡カリーマ氏が大統領選挙の結果について書いており、それによると、選挙戦の終盤でバイデン氏はトランプ支持者を「ゴミ呼ばわり」するような発言をして、トランプ陣営の結束をより強めて集票力を強化する結果になったこと。トランプ氏とヒラリー夫人の戦いだった前々回の大統領選のときも、ヒラリー候補はトランプ支持者たちを「嘆かわしい人々」と読んで痛恨のミスをして落選したことなどを書いている。 上の記事で中川淳一郎氏は「毎度、勝った方の支持者は大喜びして反対陣営をバカにし、負けた方の支持者は負け惜しみを言ったり、世界が破滅に向かうと予言したりする。実に熱心だ」と書いているが、「勝った方」と「負けた方」というのは、単純にそれだけの違いではなく、「勝った方」というのは日頃から低収入で不満を抱えて生活している人たちで、「負けた方」は「大統領というからには、礼儀正しくて最低限、社会の常識を身に着けた人物であるべき」という良識派で、トランプのような非常識な者がアメリカ大統領の座についたのでは、世界にどんな事件が引き起こされて日本人もどんな目に会わされるか分かったものではない、という「危機感」を持っている。そういう深刻な事態が、SNS上の「対立」になっているものと思われます。最後まで「ハリス優勢」の視点からコメントを続けたテレビ出演者たちも、「トランプ大統領という最悪の選択だけは、やめてほしい」という潜在意識が、目の前の投票結果を判断する「目」を曇らせたのかも知れません。
2024年11月21日
アメリカで、あの評判の悪いトランプ氏が大統領選に勝利したことについて、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は9日の同紙朝刊コラムに、次のように書いている; これは民主主義の失敗か、はたまた危険な復元力か。米大統領選におけるトランプ前大統領の完勝は、一人一人が抱く民主主義イメージに難しい反省を迫る。 トランプ氏の実像は語り尽くされてきた。調査報道で著名なボブ・ウッドワード氏は、元側近や本人への取材を通じて1期目の4年間を総括した本を、こう締めくくった。「結論は一つしかない。彼はこの重職には不適格だ」 表題は「RAGE(レイジ)怒り」。「私は人々の怒りを引き出す。長所か不都合か分からないが、そうする」という本人の言葉から取られた。そして人々は、見事にまた怒りを引き出された。 前面に表れた問題はインフレと移民でも、その奥には民主主義についての問答が横たわる。 バイデン・ハリス政権は「トランプ政権で失われた民主主義を取り戻す」のを使命とした。ところが「リベラルの行きすぎ」と反感を買うほど多様性と人権を言い立てながら、他方で血塗られた二つの戦乱を長引かせた。 民主政治の偽善を止めるため、非民主的な前職の扇動に乗り、民主的選挙で転換を図る逆説。 トランプ氏が、どんな形であれウクライナ戦争を止めることになれば、次は世界が問われる。自由と民主主義、法と正義、命と人権、豊かさと安全。全てを含むねじれた苦い実を食うか、拒むか。 まず民主主義が、正しく等しく、朗らかで健やかな善きものであるとの思い込みをやめよう。 すがすがしさの裏面には、まがまがしく、たけだけしく、ウソや攻撃や排斥をいとわず、唱和し、はやし立て、追随する熱狂がビタッと貼り付いている。 それもまた民主主義の別の顔なのだと思い知るがいい。トランプ氏を呼び戻した米国民の歓呼からは、そうしたうなりにも似た低い声が聞こえた。 民主主義と民主主義の争いを形容する呼び方はいくらでもある。エリートと草の根。正しさと強さ。理念と実感。知識と情念。明日と今日。傲慢な賢さと平凡な自尊心。どちらも民主主義には違いない。そして、どちらも片方だけでは多分うまくいかない。 民主的な選挙で表れた民意を、常に神聖な英知のように夢想するのもこっけいである。民主主義の歴史は、浅はかさ、愚かさ、過ちの先例に事欠かない。 「民主主義は最悪だ。他に試されたあらゆる政治形態を除けば」(チャーチル元英首相)。常に矛盾と不満を抱え、完成形にたどりつかない。もちろん日本政治も同じ宿命にある。(専門編集委員)2024年11月9日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-トランプ氏の帰還」から引用 この記事を書いた伊藤氏も、アメリカは民主主義本国であり、民主主義は崇高なもので、冒すべからざる理想なのだという「思い込み」を出発点として議論を組み立てているのではないかと思います。そして、「にも関わらず、トランプ氏のような人物を選んだアメリカ民主主義」の実態を「それもまた民主主義の別の顔なのだと思い知るがいい」と、どこかの芝居のセリフのような言辞で飾り立てているように思われます。私は、この度の「トランプ氏再選」が、そんな崇高なものではなく、もっと「日本の自民党政治」に近い低次元の話が「真相」だと思います。アメリカの民主党は、戦後の永い間、「労働者の味方」をアピールして支持を増やしてきた政党でしたが、「労働者の味方」は建前に過ぎず、本音は「資本家・富裕層優先」の政党であったことがラストベルトの労働者階級に知れ渡ってしまった事件が、2000年代に起きた「リーマン・ショック」でした。リーマンブラザーズが多額の負債を抱えて倒産すると、アメリカの経済は大混乱となり、多くの労働者が住宅ローンを払えなくなり、夢のマイホームを手放す労働者が続出したのに、当時の民主党政権は困窮する労働者を救済する措置を取らず、それ以来、ラストベルトの労働者たちは「民主党に裏切られた」と骨身にしみて悟ったであろうことは想像に難くありません。「民主主義と民主主義の争い」だの「エリートと草の根」の問題などではなく、社会のマジョリティである労働者を正しく代表する政党がないための「混乱」であるという認識が必要と思います。
2024年11月20日
在日コリアンの崔江以子氏と弁護士、新聞記者等の共著『「帰れ」ではなく「ともに」』(大月書店)について、当ブログでは今月7日の欄に東京新聞の記事を引用して紹介したが、10月25日の「週刊金曜日」では、ジャーナリストの佐藤和雄氏が、次のように書いている; 「この本は、差別に苦しむ人々が差別をする側に立ち向かい、差別をなくしていった記録です」――。執筆者の一人である神原元(かんばらはじめ)弁護士が「まえがき」の冒頭でこう書く『「帰れ」ではなく「ともに」』(大月書店)の出版記念会が、10月12日、神奈川県川崎市の川崎市労連会館で開催され、神原弁護士や在日コリアン3世、崔江以子(チェカンイジャ)さんら執筆者5人が登壇した。 12日の開催には、実は重要な意味が込められている。 「日本国に仇なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」とブログに書かれるなどの差別を受けたとして、崔さんが起こした訴訟で、横浜地裁川崎支部は昨年の同じ日に、「帰れ」はヘイトスピーチ解消法に定める差別的言動にあたり、日本国憲法第13条で保障される人格権を侵害する違法なものと認定。ブログを書いた男性に対し、計194万円の損害賠償を命ずる判決を下した。 そんな快挙を成し遂げた日だったのだ。 原告の崔さんに加え、勝訴に導いた神原弁護士、師岡康子(もろおかやすこ)弁護士、重要な意見書を提出した板垣竜太(いたがきりゅうた)同志社大学教授、さらに、本誌2023年10月20日号に判決の記事を執筆するなど、メディアの一員としてこの裁判を伝えた石橋学(いしばしがく)『神奈川新聞』記者の5人が執筆し、出版したのが、この『「帰れ」ではなく「ともに」』だ。◆差別と闘う報道を 5人の講演は本の内容紹介にとどまらず、それぞれの深い考察が示された。 石橋記者がまず登壇し、次のように口火を切った。 「景色は変えられるんだ、社会は変えられるんだ、と今実感しています。(在日コリアンが多く暮らす川崎市川崎区)桜本での闘いが社会を、この国を変えていった」 さらにこう続けた。 「従来の報道の仕方ではなく、差別と闘う報道が必要だ。メディアこそが先頭に立って、反ヘイト・反差別について報道で取り上げなければならないということに気づかされた。桜本の闘いや、江以子さんの闘いは社会を変えただけではなく、メディアのあり様も変えることになった」 神原弁護士は、判決の法律上の意義について詳しく説明した。 「『帰れ』(という言葉はそれまで)は違法行為ではなく、意見表明と解釈されてきたが、それを突破したのが今回の判決だった。この発言一つで(原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料として)100万円というかなり高額の賠償を認めた。そういう意味で法律上、非常に大きな前進だ」 次にこれからの活動として「私たちは、この川崎の闘いをまとめた本を全国の朝鮮学校に寄贈したいと思っています。まず在日の子どもたちがレイシストから抗議を受けたときにぱっと反論できるような武器にしてほしい。日本人の子どもたちにも読んでほしい。『帰れ』の一言がどれほど人を傷つけるかを伝えたい」との構想を明らかにした。 最後に崔さんの言葉を紹介する。驚いたのが次の事実だ。 「もう(差別的言動は)ないだろうと思っていたら、残念ながら(昨年)10月の判決から半年後、今年3月からひどいインターネットの差別投稿があり、206の言葉が連なっていた。またかと思いながら刑事告訴した。9月に特定され、未成年の青少年だった」 そのうえで「この本をぜひ(私が刑事告訴した)少年にも読んでほしい。少年の更生を支える家族にも読んでもらいたい。未成年が加害者になってしまう環境が野放しにされている状況をこのまま放置せず、被害も加害も生まないネット環境を求めながら、みなさんと一緒にもう少し頑張っていきたいと思う」と力強く語った。 そして最後は、いつものようにこう述べたのである。「前へ、前へ、ともに」<佐藤和雄・ジャーナリスト>2024年10月25日 「週刊金曜日」 1494号 6ページ 「きんようアンテナ-被害も加害も生まぬ環境を」から引用 この記事が主張するように、2023年10月に出された「『帰れ』発言は差別であり、罰金100万円に相当する」という判決は画期的な判決であり、国民の認識を改めるためにも、裁判の経緯を本にまとめたのは有意義だったと思います。著者のグループは、全国の朝鮮学校に配布して、生徒たちに読んでもらう構想とのことですが、多くの一般市民も公立図書館に「リクエスト」を出して、だれでも手軽に借りてきて読めるようになるのが望ましいと思います。ひと昔まえの通勤電車などは、「チカンは犯罪です」とか、スーパーには「万引きは犯罪です」というステッカーが貼られて、注意を喚起しておりましたが、それと同じようにして、私たちの社会は「差別は違法だ」という認識を広げていくべきなのだと思います。
2024年11月19日
先の総選挙で議席数を4倍に増やした国民民主党は、少数野党になった自公政権に協力する代わりに自党が選挙戦で有権者に約束した「103万円の壁撤廃」を実現するために与党と協議することになったが、「103万円の壁」を撤廃するための財源をどうするのかという点に関する提言がないことについて、元文科官僚の前川喜平氏が、3日の東京新聞コラムで次のように批判している; 自民党・公明党と国民民主党の間のいわゆる「部分連合」に向けた協議が行われている。国民民主党は課税最低限の103万円から178万円への引き上げ、トリガー条項発動によるガソリン税引き下げ、消費税率の5%への引き下げなどを要求しているという。 これは超大型減税だ。確かに「手取りを増やす」効果はあるだろう。しかし、その財源はどうするつもりなのか? 毎年生じる10兆円規模の税収減をどう埋め合わせるつもりなのか? 歳出を減らすのか? いったいどの予算を減らすのか? 防衛費を半分にしても4兆円しか出てこない。それとも全部国債で賄うのか? そうなれば、いよいよ日本国債の信認は低下し、円安も物価高騰もますます進行する結果になるのではないか? 国民民主党は税収増で賄えると言うが、それこそ「捕らぬ狸の皮算用」だ。 課税最低限を引き上げるなら、高所得者により大きく生じる減税効果を相殺するよう最高税率を高めるとか、金融所得課税を強化して「1億円の壁」を解消するとか、消費税を引き下げるなら、大企業の法人税を引き上げるとか、内部留保に課税するとか、確実な財源確保策を責任をもって提案するべきだ。 「対決より解決」と言いながら、責任ある解決策を示さないのなら、国民民主党はただの無責任な「ゆ党」だ。(現代教育行政研究会代表)2024年11月3日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-無責任ゆ党」から引用 この記事が主張するように、勤労者の手取りを増やすために「103万円の壁」を撤廃するというのであれば、それによって発生する「税収減」をどのようにカバーするのかという「対策」まで示すのが、政党として責任ある態度と言うものです。子どもではあるまいし、国民民主党はしっかりした「対策」があっての主張であろうと、常識的に判断するむきもあるかも知れませんが、何しろ国民民主党は電力会社経営者の肩を持って「原子力発電推進するべし」という態度を取っている政党だから、「103万円の壁撤廃のため、最高税率を高める」とか「金融所得課税の強化」など言うわけがないと踏んで、おそらく国民民主党は「選挙中に発言した公約どおり、与党と協議はしましたから」という恰好をつけるだけで誤魔化されるのではないか、との観点から「無責任なゆ党だ」と言ってるのだと思います。しかし、有権者は「手取りをふやす」というスローガンを信じて投票したのですから、ここは覚悟を決めて「大企業の法人税引き上げ」と「内部留保に課税」というような確実な対策を要求して、「103万円の壁」の撤廃を実現してほしいと思います。
2024年11月18日
先月行われた総選挙の結果について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は10月30日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 27日の衆院選。小選挙区の当選者一覧を見ると際立った特徴のある地域がいくつかある。 まず県内5小選挙区すべてを自民が制した群馬県。自民が全区を独占した県は8県あるが、熊本は全4区、他は全2、3区で、全5区自民一色の群馬はやはり目立つ。 逆に全区を立憲民主が制したのは新潟県と佐賀県で、特に全5区立民一色の新潟は目を引く。 極端な結果になった理由は一応あるようだ。 群馬は5人中4人が世襲で、しかも3人は元首相の直系である(中曽根康隆氏、福田達夫氏、小渕優子氏)。群馬は強力な政治家一族が君臨する自民王国。裏金もどこ吹く風の無風区というか無風県で、そのせいか投票率も50%を切る。 新潟は最近まで野党共闘のモデル県だった。テレビ新潟の報道によると今衆院選でも1区以外の4選挙区に共産は候補を立てず、間接的な支援に回ったという。協力的な関係が奏功した形だ。 しかし、どこより異質なのは府内全19区を維新が制した大阪府だろう。ほかでは完敗でもここでは全勝。熾烈な戦いで公明の4議席を奪った結果というが、謎の独裁国家がぽつんと存在するかのよう。在阪のマスコミも芸能事務所も味方につけた維新帝国。でも外には支持が広がらない。 どんな事情で選ばれたにせよ1議席は1議席。さて勢力図が変わった国会は?(文芸評論家)2024年10月30日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-それぞれの事情」から引用 群馬県では3人の首相経験者の親族が自民党所属の世襲議員だから、地元にはその世襲議員を核にした盤石の利権構造が存在し、何かといえば裏金で結束を確認する宴会を開いては甘い汁を獲得しているわけで、そういう利権構造とは無縁の一般市民はもはや批判票を投ずる意欲も失っている、子どもの頃よく見た西部劇で、町の悪徳保安官がならず者と結託して市民を支配するが、いつかヒーローがやって来て、抑圧された市民のために悪徳保安官をやっつける「物語」を連想してしまいます。しかし、投票率が50%を切っているということは、将来、群馬県の人たちが地元の民主化を求めて立ち上がるときの「味方」が、少しずつ力を蓄えつつあるという、今はそういう段階なのかも知れません。 大阪府では維新が「全勝」という事態も、不思議な現象です。芸能事務所と在阪マスコミを味方につけていると言っても、そのテレビ放送は兵庫県や奈良県、京都府にも放送されているのだから、それらの府県にも影響力は及んでいるはずなのに、議席を得るほどではない、という「現実」が何を意味するのか、興味を惹かれます。
2024年11月16日
先月行われた総選挙について、メディア各紙は「争点」をどのように報道したか。弁護士の白神優理子氏は、10月27日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 総選挙の争点をメディアはどう伝えたのでしょうか。 大争点の裏金問題について、「毎日」(10日付社説)は「自民政治のゆがみ問う時」と指摘しました。「裏金問題は、不透明なカネを使って党勢を維持し、権力の座にあぐらをかく自民の実態を浮き彫りにした」といいます。 「『裏金』に審判を下そう」というのは「東京」(10日付社説)です。「自ら定めた法律に背き、国民に隠れて違法な資金を手にした議員に、職にとどまる資格があるのか」石破政権の解散そのものも問われています。「選挙を単に『みそぎ』の場にするのか」(「朝日」16日付社説)、「変節ぶりが目に余る」(北海道新聞2日付社説)。 裏金、解散以外でも――。 「『自民政治』を総括する時」と書いたのは信濃毎日新聞(10日付社説)。「原発ゼロ」「選択的夫婦別姓」「金融所得課税」「日米地位協定見直し」「保険証廃止見直し」での石破氏の後退を批判します。河北新報(19日付社説)は被団協のノーベル賞受賞をあげ「『核なき社会』に向けて道筋を」と求めました。 琉球新報(14日付社説)は、名護市辺野古への「新基地建設の是非」もあげ、「県との対話に応じず工事を強行する政府与党の姿勢も改めて問われよう」とします。 ジェンダー平等を社説で争点に取り上げる地方紙(中国新聞、京都新聞)も。熊本日日新聞はこの観点から「選挙戦の争点」は「選択的夫婦別姓」として、導入の是非を避ける自民党と、「早期実現」「法制化」をとなえる野党を対比させました。 一方で一部メディアの論調には、政府追随のものも。 「日経」(2日付社説)は、石破首相のアジア版NATOは「日米同盟の強化や世界の安定に寄与する可能性はある」と擁護。「産経」(20日付主張)は「原発で日本回復を目指せ」。「安保」「原発」と聞くと思考停止では困ります。(しらが・ゆりこ=弁護士)2024年10月27日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-総選挙争点 どう伝えた」から引用 毎日新聞が指摘した「自民政治のゆがみ問う時」は、正鵠を射た表現であり、多くの国民が目を覚ますように執拗に喧伝するべきであったと思います。また、自民党の「裏金問題」以外にも、「原発ゼロ」「選択的夫婦別姓」「金融所得課税」「日米地位協定見直し」「保険証廃止見直し」等、石破氏が党総裁選の時に発言したテーマを、せっかく総裁選に勝利して首相の座に就いたのですから、自民党総裁選のときから石破氏に期待していた人たちに応える意味でも、是非とも在任中に取り組んでほしいものです。それにしても、日本経済新聞が石破氏の思い付きであるアジア版NATO構想を支持するとは、呆れた話です。本物のNATOがロシアを過度に挑発してウクライナ侵攻の「火元」になったことを考えれば、アジア版NATOなどというものは「火事場に余分なガソリンを持ち込む」ような話であり、アジアの人々の賛同など得られるわけがありません。日経新聞の知的レベルが疑われます。
2024年11月16日
恐竜が滅亡したとされる6千万年前の地層からイリジウムという隕石に含まれる物質がある程度まとまって発見されることから、恐竜が滅亡したのは巨大隕石が衝突して気候が激変したことが原因ではないかという学説が生まれたのは有名な話であるが、アメリカではそこから更に話が進んで、次に巨大隕石が地球めがけて飛んできたときには、地球に衝突する前に核ミサイルで粉砕するという「手段」の研究が進んでいるとのことで、中央大学教授の目加田説子氏は、10月27日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 1968年にノーベル物理学賞を受賞したルイス・アルバレス博士(素粒子物理学)は、広島への原爆投下の目撃者でもある。45年8月6日。米爆撃機「エノラ・ゲイ」に随行した科学調査機に搭乗していたルイスは爆発規模を推定する任務を負っていた。 原爆投下後、テニアン島の米軍基地に戻る機中で幼い息子ウォルター宛てに、大人になってから読むよう手紙を書いた。 「これからの時代、国々は友好的に共存する必要があり、さもなければ一夜にして壊滅的な奇襲攻撃を受けることになるだろう」「この恐ろしい兵器が世界の国々を結び付け、さらなる戦争を防ぐことにつながるのではないかという希望がある」「ノーベルは高性能火薬の発明が戦争をあまりに恐ろしいものとしたことで、戦争自体がなくなるよう願ったが、残念ながらそれとは逆の反応を引き起こした。われわれの新しい破壊力は何千倍も増しており、ノーベルの夢が実現するかもしれない」 だが、冷戦がこうじて米ソの核軍拡競争も進みルイスの夢は遠のいた。彼自身も、より破壊力の大きな水爆の開発を支持した。 ◇ ◆ ◇ そのルイスが後年、核時代に新たな一石を投じることとなる。 恐竜がいた白亜紀と絶滅後の古第三紀の間に、生物種激減の地層がある。ルイスとウォルター(地質学)は親子で調査を進め、その地層にイリジウムという物質が大量に含まれることを突き止めた。イリジウムは隕石(小惑星)の成分であり、巨大隕石の衝突によって恐竜を含む多くの生物種が絶滅するほどの環境変化が起きたとの説にたどり着いた。80年に発表された「アルバレス仮説」である。 同説によれば、衝突で発生した大量のチリが地球を覆って太陽光を遮り、気候が寒冷化して大量絶滅が起きたとされる。この仮説はその後、カール・セーガン博士(惑星科学)らが、核戦争でも同様に気候寒冷化か起こるという「核の冬」論を展開するきっかけになった。現在でも、核戦争による気候の寒冷化とそれがもたらすグローバルな飢餓リスクが、核兵器を非人道的と批判する論拠のひとつになっている。 ◇ ◆ ◇ だが今、あろうことか隕石の衝突を避けるために核爆発を活用しようという研究が米国などで進められている。地球に衝突する恐れのある隕石の軌道を変えたり、宇宙で破壊したりして「地球防衛」をはかるのだという。その実効性には疑問の声があかっているが、地球を守る名目であっても核爆発の威力を用いるなど、もっての外である。 今年のノーベル平和賞は、核兵器廃絶を訴えてきた被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞することになった。大量破壊の忌避から非戦に進むというノーベルの夢をこれ以上遠ざけないためにも、地球の非核化のみならず、宇宙での核爆発利用も許してはならない。 ルイスは自伝(87年)に、「アルバレス仮説」の延長線上にある「核の冬」論が、核戦争の防止につなかってくれればとの思いを記している。だが今、ノーベル賞委員会が懸念を示した通り、核使用のタブーが崩れかねない状況にある。被爆地が繰り返し強調しているように、核兵器の使用を完全に防ぐ唯一の方法は核廃絶である。2024年10月27日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-『地球防衛』用の核もいらない」から引用 ノーベルがダイナマイトを発明して「こんな破壊力のある兵器が出来たからには、人間が未来に生き延びるためには、もう戦争を止めるしかない」と考えたというのは、情緒的な発想で、人間の欲望とか自分中心とか、そのような「きれいごと」からはみ出した要素を見落とした「発想」ではないかと思います。核兵器こそは最終兵器であり、これを使わないためにこそ、世界は平和に維持されなければならないという「崇高な」演説を聞くこともありますが、しかし、核兵器の抑止力こそは「国防の要」だなどという論調もあり、単純な話ではないように思います。それにしても、いつ飛んでくるか来ないか分からない隕石に核ミサイルを命中させて粉々にするという作戦も、気の長いと言うか、雲をつかむようなと言うか、まあ、余裕のある方々には、そういう研究をしていただくのも悪くはないような気がします。目方先生は「もっての外」と大反対の様子ですが、地球に放射線被害が及ばない程度の遠距離で「命中」させることが出来れば、恐竜の二の舞を避けることに役立つのではないかと思いますが、より確かな議論を今後に期待したいと思います。
2024年11月15日
欧米諸国と比べても異常な日本の「富裕層優遇策」について、税理士の浦野広明氏は10月20日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; いま世界で経済格差がかつてないほど拡大し、あらためで不公平税制の是正が焦点となっています。日本で大きな問題となっている税制の一つが金融所得課税です。 これは、預金利子、株式・投資信託の配当や売却益などの金融商品から得た所得にかかる税です。その課税方式(申告分離課税・総合課税・申告不可)には、民主的な課税原則に反する問題があります。 不公平さの代表例は「1億円の壁」です。累進課税では所得が増えると税負担が多くなるはずが、逆に所得が1億円を超えると負担が減るのです。それは、株式の売却益などの金融所得が他の所得と分けて課税(分離課税)され、税率が累進ではなく一律20%と低率だからです。 富裕層の所得の多くを株式の配当や売却益が占めているため、分離課税によって税負担は少なく済みます。 欧米諸国と比べても日本の富裕層優遇は異常です。(表) 憲法がめざす民主的な課税原則は「応能負担原則」(応能原則)といいます。応能原則は、財産運用・不労所得に重課、勤労所得に軽課、大所得に重課、小所得に軽課、最低生活費は無税、生活必需品は軽課または無税、ぜいたく品は重課、などの内容を実現するのが道理です。 もともと分離課税は、利子が1978~87年、配当が78~2002年の長期にわたり35%の税率が採用されていました。たとえば22年度の利子・配当・株式所得に30%の税率を適用すると、12兆4525億円の増収となります。分離課税ではなく総合課税にするのが応能原則への道です。 他方、利子所得は、申告不可で20・315%の税率(所得税15%、住民税5%の合計20%に0・315%の復興特別所得税が加算)が預金口座から源泉徴収されます(特定公社債の利子を除く)。株式などで生じた所得にかかる税金は、納税者が法定の課税方法を選択します。利子所得が源泉徴収の一択というのは、自主申告の原則から問題があります。 こうしたもとで、政府は「貯蓄から投資へ」と少額投資非課税制度(NISA)の枠を大幅に拡大しています。 しかし、こうした「賭け事」の投資でお金は増えません。負けた人のお金が、勝った人に移動するだけです。投資で確実に利益を得るのは、投資を運用する金融機関や自在に相場を変動させる巨額投資家だけです。 人々をささやかな資本所有(株式所有)に追い立てるNISAは、各人を「金利生活者」(利子、株式配当を期待する人)の地位におとしいれる機能をもちます。資金力で「無力」な庶民の零細なお金をかきあつめ、これを資本集中の手段として利用するものです。同時に、「無力」どころか、株価に一喜一憂し、政治から目をそらすように庶民の意識を変えてしまい、大企業寄りの政権を存続させる役割をはたしてしまうと危惧します。<うらの・ひろあき> 立正大学法制研究所特別研究員・税理士2024年10月20日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何-富裕層の負担、不当に軽い仕組み」から引用 税制は、本来の応能負担の原則に戻すべきです。今までは、自民党が圧倒的多数だったから、やりたい放題でなりふり構わず富裕層優遇をして来ましたが、少数与党となったこれからは、野党は「予算審議」を人質にして、応能負担の原則に立ち返り、生活必需品は非課税、ぜいたく品には高率課税を原則として、税制改革を進めていくべきだと思います。
2024年11月14日
先月の総選挙投票日の朝日新聞朝刊は、次のような社説を掲載した; 衆院選の投票日だ。デモや議会への請願など民主政治に参加する方法はさまざまあるが、なかでも選挙だけは、忙しい時間を割いて、体の不調をおして、出かけてきたという人は多いかもしれない。 ただ残念ながら、政治や政党に何かを期待する気持ちが、ともすればしぼみそうになる状況が続く。前の衆院選からの3年間の出来事だけではない。幻滅の根はそれ以前にさかのぼる深いものだ。 政界の内向きな権力闘争のあまりの「遠さ」に気が遠くなりながら、つぶやく。「あの原発事故なんか、なかったみたい」「生活の苦しさは、全部自分のせい?」「無償化、減税もいいけれど、将来借金を背負うのは誰?」 言いっ放しの愚痴だっていい。つぶやきから、政治参加の種火がふくらんでいく。 この先もこの国で生きていくしかない大多数の私たちは、政治を諦めたくても、諦めるわけにはいかないのだ。冷静な怒りと希望を枯らさず、ままならない政治を鍛えていきたい。 政党政治への嫌気が充満する現状には危険もある。「きっと今よりはまし」に映るもの、例えば、政党政治を全否定するカリスマや、人工知能に政策決定まで委ねようという主張が現れれば、一瞬まぶしく見えるかもしれない。 しかし、テーブルの上が散らかっているからとクロスごと引き払えば、気付かないほど当たり前だった大事なものまで床に落ちてしまう。骨は折れるが、課題を一つ一つ片付けるしかない。政党政治が支持を失い、軍部主導の政治へ傾いていった、戦前の歴史も思い起こしたい。 男子普通選挙の実現から来年で100年、女性が選挙権を得てから80年だ。どの政治家が信じられるか、どの政策がよい未来を引き寄せるか。選択は簡単ではない。それでも、失敗から少しずつは学びながら、何十年と投票を重ねてきた日本社会の経験知が、選択を支えてくれると信じ、今日の一票を投じたい。 選挙で約束されたことを覚えているのが、明日からの仕事だ。忘れたふりをされたなら、声を上げるのに次の選挙を待つ必要はない。政治に参加する方法は一つではない。 自分の未来のために投票する気力は、もうわかないという人もいるだろうか。それならば、困っている隣人など、誰かのためになりそうな政策に票を投じたっていい。誰かのためになら、意外な力がわくことがある。同じこの国に生き、投票に行くことが難しい人、選挙権のない人のためにも、政治はある。2024年10月27日 朝日新聞朝刊 13版 8ページ 「社説-政治を諦めないで」から引用 この社説も、相変わらず「どの政治家が信じられるか」などときれいごとをのべているが、普段会うこともない候補者一覧の選挙公報を眺めて、「どの政治家が信じられるか」など分かるわけがありません。そうなると、まじめな人ほど「そんな選択は無理だ。考えるだけ時間の無駄だから、もっと有効な時間の使い方を」と考えて、投票所とは別のところへ出かける羽目になるというものでしょう。この社説が自ら指摘しているように、現在の国民生活の苦境は「前の衆院選からの3年間の出来事だけではない。幻滅の根はそれ以前にさかのぼる深いもの」なのだから、社説としては「現在の与党が、30年前から大企業・富裕層優遇の政治をしてきたから、今日の問題が存在する」とはっきり、断言するべきであり、だから今日の投票は「富裕層の応分の負担を主張している共産党に投票を集中して、政権交代を目指すべきです」と、はっきり主張するべきで、新聞がそういう姿勢を見せれば、「それなら、世の中を変える可能性は大きいな」と判断して、より多くの若者が投票所に足を運んだはずです。長期低落傾向の日本を立て直すには、先ず新聞の論調から改善していく必要があると思います。
2024年11月13日
先月の総選挙投票日翌日の朝日新聞夕刊に、同紙オピニオン編集部記者の尾沢智史氏は、選挙戦を振り返って次のように書いている; オピニオン編集部に在籍して15年ほどになる。国政選挙のたびに企画を展開してきたが、今回の衆院選ほど困ったことはなかった。 なにしろ争点がわかりにくかった。自民党の石破茂総裁も、立憲民主党の野田佳彦代表も、穏健な保守層をターゲットにしているようだった。経済や安全保障の政策で違いは目立たなかった。政治学者の中北浩爾・中央大学教授の言葉を借りれば「接近戦」である。 今回、多くの小選挙区で自民と立憲が競り合った。どちらが勝っても政策が大して変わらないのでは、「コップの中の嵐」という感がどうしても否めない。 衆院選は政権選択の選挙だとされる。二大政党を想定するような小選挙区制は、そもそもこの国の実情に合っているのだろうか。有権者のニーズをもっと反映できる制度があるのではないか。 そんな疑問を抱きながらAIエンジニアの安野貴博さんにインタビューした。7月の東京都知事選に立候補し、15万を超える票を得て注目された。 安野さんは選挙に出る前にいろんな政治家に話を聞いた。「有権者に何を託されたのかがよくわからない」という人が多いことに驚いたという。 そこで有権者とのコミュニケーションのツールとして活用したのがAIだ。膨大な意見を整理し論点を可視化することで、政治家と有権者の間で建設的な議論が可能になるという。 政治改革関連法が成立し、衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されたのはちょうど30年前の1994年。そろそろ、有権者の声を採り入れた「バージョンアップ」が必要な時期ではないか。 たとえば、各国の選挙や政治制度をAIに学習させ、有権者の希望を反映するにはどうすればいいのか検討することも考えられる。 民意を反映するには小選挙区や中選挙区、比例代表をどう組み合わせればいいのか。有権者が政治に望むことをデータとして収集し可視化すれば、あるべき制度が浮かび上がってくるかもしれない。 衆院選で各候補や政党は、政権への意欲や政策などを必死でアピールしてきた。それを有権者たちは、どこか冷めた目で見ていたように感じる。 有権者の思いを、候補者や政党はどこまでくみ取れていたのか。祭りのような選挙戦が終わったいまこそ、選挙制度のあり方を改めて問い直したい。(オピニオン編集部) *<おざわ・さとし> 9年間の出版社勤務を経て1996年入社。出版局(当時)で書籍編集者として採用され、44歳で新聞記者職に異動。オピニオン編集部員としての最初の国政選挙は、政権交代が起きた2009年の衆院選だった。2024年10月28日 朝日新聞夕刊 4版 12ページ 「取材考記-民意をより映す選挙制度とは」から引用 日本を代表する大手新聞の記者が、「今回の選挙は、争点がわかりにくい」とか「どっちが勝っても政策は大して変わらない、コップの中の嵐だ」という認識で記事を書いていたのでは、出来上がった記事は与党の「問題」を覆い隠す「効果」を発揮して、本来は与党の座から転落するはずの自民党を辛うじて与党の座に残らせる結果をもたらした。日本の政治が自民党一党支配から抜け出せず、昔ながらの腐敗政治が続いているのは、大手新聞のこのような体質が大きく「貢献」しているものと思われます。もし真実を報道する新聞であれば、「国民の血税を裏金にして有権者の買収に使うような政党に政権を委ねていいのか」というキャンペーンを貼って、「民主主義の国の政治は、どうあるべきか」を論じるのが大手新聞の役割のはずであるが、残念なことにわが国の新聞社には、そのような高邁な精神は存在せず、その場の強者に媚びを売って利益を上げることにのみ専念しているのでは、人々が将来に夢を持つこともできず、コストのかからない人生を過ごそうと思えば「結婚」もやめておこうと思うのが自然であり、少子化に歯止めがかからないのも自然なことです。
2024年11月12日
物は言いようとは古来からわが国に伝わる諺であるが、文筆家の師岡カリーマ氏は10月26日の東京新聞コラムに、「物は言いよう」について次のように書いている; 海上自衛隊の大型護衛艦「かが」と「いずも」を事実上、空母化するための改修が進み、F35B戦闘機が船上で発着する実験も行われた。政府によれば、F35Bで構成する部隊を常時搭載することはないから、憲法上保有が許されない攻撃型空母には当たらないらしい。「物は言いよう」だ。でも「物は言いよう」が蔓延する社会ってどうだろう。憲法の精神と理念の実現よりも、言葉巧みに抜け道を作る方に精を出す国って、誰のためになるのだろう。 核兵器の「共有」は「保有」ではないから非核三原則に抵触しないというのも同様の詭弁に見える。選択的夫婦別姓問題もそうだ。現に当事者が不便や理不尽を被っているというのに「旧姓併記できるってみんな知らないの」ではぐらかそうとする。世論調査では国民の大半が選択的別姓に賛成なのに「国民の理解が得られない」という。事実上の護衛艦空母化について、私たちの理解を待たれた記憶はない。待たれているのは多分、私たちの忘却だ。旧統一教会との癒着問題徹底調査や、裏金問題の解決といった当然の要求を、国民がいずれ忘れることだ。 結局、この政権にとって国民は、自分たちが思い描く国家像のようなものの実現を邪魔する面倒な存在でしかないのではないかと思えてくる。選挙の時は、「国民の皆様」とサマヅケしてすり寄っても。(文筆家)2024年10月26日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-物は言いよう」から引用 「憲法の精神と理念の実現」は、一般庶民が平和に生活する権利を保障するために存在しているのだから、自民党政府がその「精神と理念の実現」を「物は言いよう」という手段で詭弁を弄して欺く目的は、一部国民、すなわち武器製造業の経営者と投資家を儲けさせるためである。国民は、自民党政府がウソをついていることに気付くべきだ。 「核兵器の共有は、保有ではない」というのも、真っ赤なウソである。日本語の意味として、核兵器を一国で保有する場合は、間違いなく「保有」であるが、核兵器を一国だけではなく、他の国と共同で「保有」することを「共有」というのであるから、「共有」も「保有」の一形態であることに間違いはない。このような自民党政府のウソを、国民は気付いて、「ウソだらけの政治はやめろ」と声を上げるべきなのに、多くの自民党支持者は選挙が始まると事務所に「あいさつ」に行き、そこで酒食のもてなしを受けて気分が良くなって、投票日には後先を考えずに自民党候補に投票するという低レベル選挙をやっている。こういう選挙をやってるのでは、やがていつか、また頭上に原爆が炸裂する日が来ることを防げないと思います。
2024年11月11日
法務省に設置された法制審議会が30年も前に導入を認める答申を出した「選択的夫婦別姓制度」が、いまだに実現しない状況について、立命館大学の山口智美教授は10月23日の東京新聞で、次のように述べている; 選択的夫婦別姓制度は、1996年の法制審議会で導入を認める答申がされました。ですが、それから約30年止められたままになっているのは、日本会議や今回衆院選でも政治家とのつながりが厳しく問われている旧統一教会のような「宗教右派」と呼ばれる団体に支持されている自民党の人たちが筆頭となり、反対してきたからです。 反対派は「別姓で家族が崩壊する」と主張し、「伝統的家族」にこだわる。両親の姓が違うと「子どもがかわいそう」とも言うが、主張が非常にあいまいで怪しいのに、一定の人たちに説得力を持ってしまった時代が長く続きました。 現在は、世論調査がとても変わってきて、マジョリティー(多数派)が別姓を支持しています。しかし、「宗教右派」と呼ばれる勢力にとって、別姓制度の導入を阻止することは大きな運動の目的の一つ。 保守政冶家たちにとっては大きな票田の一つであり無視はできず、連携してきたという経緯があります。 自民党内の一部の人たちにとっては絶対に負けたくないテーマで、その人たちが政治に力を持っています。今月、国連の女性差別撤廃委員会で日本の女性政策について対面審査がありましたが、国連から強い勧告が出ても、世論調査で賛成の意見がどんなに増えても、こうした人たちが権力の中枢にいれば実現は遠いと思います。石破茂首相も総裁選では別姓制度を進めるのが当たり前という姿勢だったのに、就任後は急に後ろ向きになった。党内の反対派への配慮が働いたのではと推測します。 海外でも、宗教右派は人工妊娠中絶やトランスジェンダーの人たちの権利獲得に反対するなどの運動をしていますが、姓に関してそこまでこだわる日本の状況は異様に映ります。(聞き手・竹谷直子)2024年10月23日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「選択的夫婦別姓を求めて-実現阻み続ける『宗教右派』」 この記事は、学者の発言を文章化したにしては、議論が「雑」な印象を受けます。反対派が「伝統的家族」にこだわるから「選択的夫婦別姓」制度が実現しない、という認識は正しいのか、疑問に思います。男女が結婚して同じ姓を名乗るという風習は、江戸時代の武士階級の間に存在したもので、そのころの庶民は姓を持たなかったという事実を、私たちは見落とすべきではありません。全国民が姓を義務付けられたのは明治維新以降のことであって、たかだか100年超の風習を守りたいとか、それが無くなると家庭が崩壊するかも、と心配な人は「夫婦同姓」をそのまま継続すればいいだけのことであって、「選択的夫婦別姓制度」を導入する目的は、「夫婦同姓」を強いられることによって著しく不利益を被る一部の人々を救済することなのであり、全国民に「別姓」を強要するものではない、という点をしっかり押さえた議論をするべきだと思います。そのような議論によってこそ、「選択的夫婦別姓制度」に反対することが、如何に馬鹿げた議論なのかということを、広く世間に訴えるべきです。
2024年11月10日
今年のノーベル平和賞に日本の被爆者団体が選ばれたことを日本のメディアはどのように報道したか、ジャーナリストの古住公義氏は、10月20日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; ノーベル平和賞を日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞しました。各局は、かなり時間を割いて報じました。 「ニュースウオッチ9」(NHK、11日)は、日本列島の喜ぶ声や各国の報道などとともに、箕牧(みまき)智之氏(日本被団協代表委員)の「″核兵器があるから世界は安全″という言い方は、私たちは絶対反対」というコメントを伝えました。社会部記者が日本はアメリカの核の傘の下、核兵器禁止条約に参加していないことを解説。「核には核で応じるしかないという発想を転換し、核の脅威を減らす方向に世界を導くことができるのか。日本政府の役割は大きい」とまとめました。石破茂首相の「核抑止論」への固執や、「核共有」の主張については言及しませんでした。 「報道ステーション」(テレビ朝日系、11日)は40分ほど、意欲的に報道しました。ヨルゲン委員長(ノルウェー・ノーベル委員会)の受賞理由も3分半にわたり放送。大越健介キャスターが箕牧氏にインタビューし「来年3月の核兵器禁止条約締約国会議には日本は最低オブザーバー参加をしてほしい」という声を伝えました。 「サンデーモーニング」(TBS系、13日)は、コメンテーターの畠山澄子さん(ピースボー卜共同代表)のコメントが出色でした。「被団協がやってきたことは、本当に草の根なんです。草の根の積み重ねこそが核兵器を使わせない、というタブーをつくってきた」と。「今度、問われているのは日本政府。核兵器禁止条約に賛同すべきだと思います」と強調していたのは、正鵠(せいこく)を得た発言でした。 各局には一般論にとどまるのではなく、唯一の戦争被爆国である日本政府の核兵器禁止条約への参加を具体的に求め、「核抑止論」の問題点を掘り下げる報道を期待したい、と思います。(こすみ・ひさよし=ジャーナリスト)2024年10月20日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-『核抑止論』掘り下げて」から引用 ウクライナでもガザでも組織的な人殺しが行われていて、国際社会はそれを止めることもできないでいる時に、ノーベル平和賞と聞いてもなんだか白ける気分ですが、それでも日本被団協の存在とその意義が認められて受賞したことは良かったと思います。日本政府は防衛予算を倍増させて武器を買い増すことを計画していますが、これ以上の武器の増強は「防衛」の範囲を超えた、明らかな「戦争準備」であり、わが国憲法の精神を逸脱していると思います。再軍備反対の声を挙げて、平和への道を取り戻していきたいと思います。
2024年11月09日
政府は少子化対策として、都会から地方へ移住する女性に奨励金を支給するというような政策案を発表して、あまりにも不評のため引っ込めるという一幕がありました。日本は、少子化問題にどのように取り組むべきか、東京大学教授の山口慎太郎氏は10月25日の朝日新聞で、次のように述べている; 日本が直面する少子化の危機。政府はこれまで「2030年代に入るまでが少子化傾向を反転できるラストチャンス」とし、昨年末に少子化対策を盛り込んだ「こども未来戦略」を閣議決定した。今からでも対策に取り組めば、少子化は克服できるのだろうか。東京大学の山口慎太郎教授(家族の経済学)に話を聞いた。■反転できる「ラストチャンス」とっくに逃した■人口減少・労働力不足に備え、家族支援も必要――日本の少子化の主な要因は「未婚化」と指摘されています。その理由は何だと思いますか。 日本の場合は給料が上がらず、経済的に将来を楽観できない状況にあることが大きいと思います。日本では結婚後に子どもを持つケースが非常に多いわけですが、結婚を考える段階で、将来子どもを持つことのコストを大きく感じて結婚しない方が増えているのではないでしょうか。――子どもを持つ費用が上がり続けている、と著書で指摘されていました。 子育てはお金も時間もかかります。学費などの金銭的な支出だけではなく、子育てに時間を費やすことによって失われたであろう収入、「子育ての暗黙の費用」まで考えると、とても大きなものです。 日本は家事育児の負担が女性に偏っており、子育て中の女性は働く時間が減って収入が減ったり、キャリアを断念せざるを得なかったりする場合もあるでしょう。キャリアのある高収入の女性ほどそのインパクトは大きく、結婚・出産のメリットは薄れているのではないかと思います。――少子化傾向を反転する「ラストチャンス」として政府は少子化対策の旗を振っています。 率直に言うと、ラストチャンスはもうとっくに逃しています。ボリュームが大きい団塊ジュニア世代(1971~74年生まれ)、就職氷河期世代と重なるわけですが、この方たちが結婚、出産しやすい環境を整えるための政策的な仕掛けができず、第3次ベビーブームは起きませんでした。出産適齢期を迎える女性の人口は今後、減る一方です。 しかし、だからと言って少子化対策をやらなくてよいという話ではなく、出生率が反応しなかったとしても家族支援策は必要なものなので、やらなければいけません。人口減少や労働力不足への対策、経済政策として考えても、やはりやるべきだと思います。――他の先進国も少子化問題に悩んでいます。少子化対策のモデルにされてきたフランスや北欧諸国も近年、合計特殊出生率が下がっているのはなぜなのでしょうか。 統計的に検証されておらず理由ははっきりしないのですが、欧州の専門家らに尋ねると、「価値観が大きく変わってしまった」と言います。家族を持つことの幸せより、個人としてのキャリアや趣味を追求する、自由を重視する価値観が強くなってきたのではないか、と言われています。――少子化の克服は難しいですね。 政策で誘導して動かせる出生率の割合は本当に小さなものです。子育て支援策は出生率にプラスの方向に働くことは過去の実績で分かっていますが、それだけでは十分に打ち消せないぐらい出生率を下げる世の中のトレンドがあるというのが、先進国の現状ではないでしょうか。既に他国で出ているような対策を日本が導入したとしても、出生率2・0のような水準になることは現実的ではありません。――日本には人口減を前提とした議論が足りないような気がします。 そうですね。出生率は増えないというシナリオのもとで、日本の社会や経済をどうするのか。社会保障のあり方や労働力不足への対応について、中期、長期の具体的なプランを国として立てていく時期はとうにきており、検討した内容について国民のコンセンサスを得る必要もあります。戦略的な移民の受け入れについても正面から議論すべきだと思います。(聞き手・平井恵美) *<やまぐち・しんたろう> 東京大学経済学部教授。専門は結婚や出産、子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」や労働経済学。2024年10月25日 朝日新聞朝刊 13版 27ページ 「少子化を考える-出生率増えない前提、具体的プランを」から引用 少子化傾向を反転する「ラストチャンス」はとっくに逃していると聞けば、衝撃的ですが、考えてみれば確かにその通りで、今頃「若い女性に奨励金を出せば、出生率が上がるかも」というのは、政府が考えるレベルの「政策案」にしては、あまりにも軽率のように思われます。人口減少のために、トラックやタクシー、バスの運転手が不足し、学校の先生も足りない、医師のなり手も不足して地方の病院の統廃合が検討されているなど、問題は深刻化していう様相ですから、この記事が訴えるように、これからは「人口減少を前提」として、移民の受け入れで「人手不足」の問題に対応していくのが正解と思います。欧州では、十分な準備をしないで移民を受け入れた結果、社会に溶け込めずに孤立して問題を起こす「移民集団」と、そのような「集団」を敵視する右派の人々との軋轢なども報道されており、それらを参考にして、日本政府はよりましな「移民対策」を考えてほしいと思います。
2024年11月08日
ネット上の差別投稿を訴えて勝訴した崔江以子氏が、裁判の経緯や判決の意義について語ったことを本にまとめて、この度出版記念の集会を開いたことを、10月20日の東京新聞が、次のように報道している; 「祖国へ帰れ」というネット投稿を差別と訴え、違法と認める判決を勝ち取った在日コリアンの崔江以子(チェ・カンイヂャ)さん(51)の裁判を記録した本の出版記念集会が、川崎市内で開かれた。執筆した崔さんや弁護団が登壇し、判決後もネット上で在日コリアンや埼玉南部のクルド人へのヘイトスピーチが続いていると指摘。止めるための差別禁止法が必要と訴えた。(安藤恭子) 本は「『帰れ』ではなく『ともに』―川崎『祖国へ帰れは差別』裁判とわたしたち」(大月書店)。12日の集会には約140人が参加した。川崎・桜本の共同学習の場「ウリマダン」に集まる在日のハルモニ(おばあさん)たちが動画でメッセージや歌を贈り、「裁判に勝って良かった」「子どもたちがこの国で生きていける」と祝福した。 90代のハルモニは「嫌というほど民族差別を受けてきたのに、今さら帰れ、殺す・・・ヘイトスピーチがひどくなった。私たち日本でまじめに働き、ちゃんと生きています。許されていいのでしょうか」と訴えた。崔さんは「『帰れ』という言葉を投げ付けられてきた、みんなの勝利と思っています」と受け止めた。 裁判では、ネットのブログで4年以上にわたり誹謗(ひぼう)中傷をされ精神的苦痛を受けたとして、茨城県の男性に損害賠償を求めた。昨年10月の横浜地裁川崎支部の判決は「日本国に仇なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」と記した投稿はヘイトスピーチ解消法に基づく差別的言動で違法な権利侵害に当たるなどとして、慰謝料194万円の支払いを命じた。 この判決が確定後も、崔さんのネット被害は続いた。今年2月に掲示板に名指しで「日本から出ていけ!」というタイトルのスレッド(書き込む場所)が立てられ、「消えろ」「汚物」など200余りの差別と侮辱を投稿された。崔さんは刑事告訴をしたが、9月に侮辱の疑いで書類送検されたのが少年と分かり、衝撃を受けたという。 今月出版する本は「帰れ」と言われてきた朝鮮学校の子どもたちへ「あなたたちは悪くない。沈黙を強いられず、下を向かないでほしい」と励ますためにと、準備してきた。いまは「少年や更生を支える家族らに届いてほしいと願っている」と話した。 川崎市の差別禁止条例制定に尽力した元自民党参院議員の斎藤文夫さんも集会にメッセージを寄せた。在日コリアンの苦労を知らない日本人におごり高ぶりがあったとした上で「日本の軍国主義時代、覇権主義により、多大なご迷惑をおかけしました」とつづり、日中韓のスクラムによる平和の維持と繁栄を望んだ。 在日コリアン49人の声を集め、裁判の意見書を書いた同志社大の板垣竜太教授(朝鮮近現代社会史)は「『帰れ』ヘイトは、植民地主義の延長線にある。裁判の後ろに無数の被害があることを論証しようと、自分に課した」と振り返った。 クルド人に対するネット上の差別拡散などの問題も受け、弁護団からは「外国人が来ると犯罪が増えるという言説、あるいは日本人を在日と非難する『みなし差別』も起きている」として、ヘイトスピーチ解消法の3類型(危害の告知、侮辱、排除)に当てはまらない差別の問題も指摘された。師岡康子弁護士は「これ以上差別の被害者を矢面に立たせていいのか。頑張るのは多数派の私たちの方だ」と呼びかけ、人種差別などさまざまなマイノリティー差別を実効的に止めるための包括的反差別法の制定を求めた。2024年10月20日 東京新聞朝刊 11版 20ページ 「こちら特報部-『祖国へ帰れ』は差別 ともに生きる社会を」から引用 昔の日本では、在日の人々への差別はひどいものだった。それは、政府が在日の人々に「指紋の押捺」を義務付けるとか、身分証明書の常時携帯を義務付けるという、如何にも上から目線で「取り締まりの対象である」とでも言い出しそうな態度だったから、一般国民もそういう行政の態度を見て「彼らにはそういう態度で接していいのだ」と思い込んだものと思われます。そんな時代に比べれば、「差別」は違法であると定めた法律が存在する現代は、だいぶ進歩したようにも見えますが、青少年に「差別」を教え込むような「違法な大人」がいまだに蔓延っている私たちの社会は、この度の崔江以子氏の本でも読んで、よく勉強する必要があると思います。
2024年11月07日
人気俳優・西田敏行氏の訃報が報じられたことに因んで、元文科官僚の前川喜平氏は10月20日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 亡くなった西田敏行さんが日本アカデミー賞を受賞した役は、夜間中学を描いた1993年の映画「学校」(山田洋次監督)の黒井という教師の役だった。 この黒井先生のモデルは複数いる。塚原雄太氏は東京の夜間中学で57年から20年以上教鞭(きょうべん)をとり、夜間中学廃止の危機を乗り越えて夜間中学の教育を先導した人物だ。毎年開かれている夜間中学の生徒のスピーチ大会は、塚原氏の詩の一節から「花咲け出愛(であい)」スピーチ大会と呼ばれている。 見城慶和(けんじょうよしかず)氏は塚原氏の著書「夜間中学生」に感銘を受けて61年に夜間中学の教師になり、40年以上教えた。その様子は2003年のドキュメンタリー映画「こんばんは」(森康行監督)に生き生きと描かれている。 松崎運之助(みちのすけ)氏は1973年から30年以上夜間中学で教えた。映画の原作となった本の著者だ。田中邦衛さんが演じた「イノさん」は、松崎氏が実際に教えた井上さんという生徒がモデルだ。 夜間中学はこうした教師たちが作り上げてきた。文部科学省の主導で作られた学校ではない。文科省は10年前に態度を改め、今では全国の教育委員会に夜間中学の設置を促しているが、現場の教師が日々の実践から積み上げた学びのあり方を離れて夜間中学は作れない。単に昼間の中学校を夜に移したものではないのである。(現代教育行政研究会代表)2024年10月20日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-映画『学校』の黒井先生」から引用 私は映画もテレビもあまり見ないので、西田氏がアカデミー賞を受賞した映画も見たことはないが、夜間中学と言うと個人的な問題とか、家庭の事情とか、様々な事情で義務教育が満足に受けられなかった人たちが多く通う学校ということで、私が知るところでは、在日の韓国朝鮮人の高齢者が、それまで日本語の読み書きが出来なかったのだが、夜間中学で日本語を学んで、新聞や雑誌を読めるようになったのが嬉しいのだ、というようなことを書いた新聞記事を読んだことがあります。日本の文科省は、10年前に態度を改めるまでは「日本も先進国だから、もう時代遅れの夜間中学は廃止したほうが・・・」という考えだったのかも知れませんが、夜間中学の必要性に気付いてもらったのは良かったと思います。
2024年11月06日
衆議院が解散になって総選挙が公示されて4、5日経った10月19日の東京新聞は、裏金問題で処分され総選挙にも不出馬を決めた塩谷立前衆院議員のインタビュー記事を掲載した; 27日投開票の衆院選で最大の争点となった「政治とカネ」の問題。自民派閥裏金事件を起こした旧安倍派(清和政策研究会)の座長で、党から処分を受けて政界引退した塩谷立前衆院議員(74)が、本紙のインタビューに応じ、「真相解明がない中で、本質的な議論がされていない。だから処分も法改正も、結局国民から支持されなかった」と語った。 裏金事件を受け、岸田文雄前首相も8月に辞任表明に追い込まれたが、塩谷氏は「(辞任が)遅いよね。岸田さんが辞めるなら、こちらの処分は何だったんだ」と首をかしげる。「私か党のために辞めて収まるなら良かったが、収まらなかった。『犠牲』にもなれなかったという意味では、犬死にだ」と話した。 派閥への捜査では、パーティー収入のキックバック(還流)の不記載が長年続いていたことが明らかになった。塩谷氏は「還流があることは知っていたが、不記載は知らなかった」と改めて釈明。一方で「不記載の自覚があった人もいたはずだが、調査が不十分なので、事実は不明のままだ」と述べた。 事件後、自民内の派閥がほぼ解散したことについては「派閥をなくしてどうするのか。議論がしにくくなるし、派閥は『クラス分け』と呼んでいたが、人事でも適切な評価に必要だった」との見解を示す。先の通常国会で政治資金規正法が改正され、国会議員の責任が一部強化されたが「場当たり的な議論だけで、(政治とカネの)本質的、本音の議論がされていない」と訴える。 党内には衆院選がみそぎになるとの見方もあるが「選挙結果がどうなるにせよ、国民の信頼回復は簡単ではない」と指摘。「多くの声を聞いて政策立案する『仕事』をしようとすれば資金はかかる。国会議員が何をしているのか、本来もっと発信が必要だったかもしれない」と振り返った。 文部科学相や党総務会長、選対委員長などを歴任した塩谷氏は1990年、父・一夫氏の地盤を引き継ぎ、政界入り。初当選時から清和会に所属し、第2次安倍政権下で事務総長を務めた。今年4月、派閥幹部だったことを理由に、党から「除名」に次いで重い離党勧告処分を受けた。9月に引退を表明した。(大杉はるか)★用語解説★ 自民派閥裏金事件 東京地検特捜部が捜査した政治資金規正法違反(虚偽記入)事件。安倍、二階、岸田の3派閥は、派閥パーティー券の販売ノルマを超えた利益の各議員への還流分や、収入額の一部を政治資金収支報告書に記載せず「裏金化」していた。不記載額は2018~22年で計17億円超。今年1月、3派の会計責任者や、不記載額が「3500万円以上」の国会議員ら計10人が立件された。2024年10月19日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「裏金事件『調査不十分』処分受け引退 塩谷前議員」から引用 裏金事件が「しんぶん赤旗」のスクープで世間の知るところとなり、岸田政権は政治資金規正法の一部を改正して「20万円以上の献金は、献金した企業名を明記する」となっていた法律を「5万円以上の献金は」と変更し、派閥は解散する(麻生派だけは解散せず)、裏金議員で金額が多額の者、責任が思いと見られる議員(例えば塩谷議員のような)に離党勧告を出す、等の「改革」を断行したのであったが、一向に内閣支持率は向上せず、岸田氏は次の総裁選挙には出ないと宣言して「党内刷新」のイメージを作る演出をする以外に方法はない、と言うことになったのであった。だから、早めに「離党勧告」に従って「党のためになるなら」と離党した塩谷氏のような立場の前議員は、「なんだ、自分に対する処分は全然意味がなかったじゃないか」とほぞを噛むことになったのであった。しかし、この記事の中で、塩谷氏は「多くの声を聞いて政策立案しようとすれば、資金はかかる」などと言ってるが、そんな言い訳が「だから、裏金も実は必要なのだ」などということにはならないわけで、インタビューした記者も、黙って聞いてないで、鋭く突っ込みを入れるべきだったのではないかと思いました。
2024年11月05日
先月の総選挙投票日前日の毎日新聞に、専門編集委員の伊藤智永氏は選挙の結果予測と石破政権の行方について、次のように書いている; 今年は年間を通して世界主要国で国政選挙が行われ、政権与党の敗北や劣勢が相次いでいる。 英国で保守党が大敗し、14年ぶりに政権が交代。フランス下院選では当初、マクロン大統領の政党「再生」が敗北し、決選投票で左派連合が第1党になった。インドでもモディ首相のインド人民党が、予想外の過半数割れに陥った。 争点や事情が異なるため、そこに一貫した説明をひねり出そうとすればこじつけになる。本紙連載「時代の風」で7月、待鳥聡史京都大教授はふんわり「現職の危機」と名付けていた。 11月の米大統領選は、すでにバイデン大統領の撤退により、命名通りになる。明日投開票される日本の衆院選も、各メディアは終盤情勢を「自民党大敗か」と分析し、石破茂首相に早くも退陣論が起きかねない雲行きだ。 もし日本も「世界選挙イヤー」の潮流に沿う結果になるとしたら、「政治とカネ」を超えた構造的要因を探す方が理にかなう。 「現職の危機」現象に、あえて共通の意味を見いだすなら、何の課題であれ、今までのやり方や説明ではもう納得できない、という不信の表明に違いない。 自民が大敗したら、責任者はもちろん石破氏だが、まだ就任1カ月足らず。本当の責任者は、世論の不信をほったらかして辞めた岸田文雄前首相。さらにたどれば、裏金問題の巣窟だった旧安倍派の議員たちである。 裏金問題は、安倍晋三長期政権のおごりが助長した権力腐敗だ。「裏金議員」が多数落選しても、それを民主主義の健全な働きと認めないのは無理がある。 となると「反安倍政治」を説いてきた石破氏は、20年近い「清和会(旧安倍派)支配」の大掃除に泥をかぶった「功績」で名を残すのかもしれない。 明日の選挙には、「安倍時代」総決算の意味もある。 ただし選挙の民意に、過剰な期待を抱くのは禁物だ。待鳥教授も「時代の風」で、各国の「選挙で躍進した勢力に、持続可能な代替案があるかどうかは疑わしい」と指摘していた。 日本では立憲民主党が大幅に議席を伸ばすとの予測がある。野田佳彦代表は「政権交代こそ最大の政治改革」と演説してきたが、今の野党関係では、選挙後に立憲中心の非自民政権ができる見通しは相当難しそうだ。 むしろ与党が過半数割れしても、あの手この手で石破政権は続くかもしれない。釈然としないが、世界の民主主義国が同じ忍耐を試されている。(専門編集委員)2024年10月26日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-もし自民が大敗したら」から引用 総選挙の結果は、だいたい伊藤氏の予測のとおりとなった。しかし、石破氏が旧安倍派である清和会支配の大掃除で泥をかぶる気があるのかと言えば、その気はないのではないかと、私は思います。もし石破氏が、旧安倍派を徹底的に「大掃除」する気があるのなら、総裁選の時に言っていたように「先ずは予算委員会を開いて、安倍・菅・岸田の三代の実績について、野党に質問させて、自民党の新総裁としての立場から、是は是、非は非という議論を尽くした上で、解散・総選挙という手順にするべきであった。しかし、石破氏は組閣の時点で、そのような「路線」では党内の協力を得られないという「現実」の前にして、総裁選の最中に口走ったことがらは全て覆して、党内の「従来路線」と妥協して「のらりくらり」路線で行こうとの考えのようですから、「日本政治の正常化」を実現するには、来年の参議院選挙で自民党に「引導を渡す」という作戦で行くしかないように思います。
2024年11月04日
自民党総裁選挙が無難な石破茂氏を選出し、その石破氏がいきなり衆議院を解散すると言い出したことについて、前法政大学総長の田中優子氏は、10月18日の「週刊金曜日」巻頭コラムに、次のように書いている; BSーTBSの「関口宏の一番新しい江戸時代」の収録が1800年代に入った。黒船来航よりだいぶ前だが、ロシア船、イギリス船が次々とやってくる。アヘン戦争一歩手前のこの危機的状況の中で、徳川家斉(いえなり)は50年も将軍の地位にあり17人の妻妾との間に53人の子ども(ただし約半分は成人前に死去)を作った。異国船打払令以上の政策は特になく、子どもたちを諸方の大名につなげて権力範囲を広げていた。政策より世襲権力。このことが幕府の倒壊を招いたことを私たちは知っている。今の自民党にとてもよく似ている。未来の人々は今の日本を「なるほど。こうだったから日本はダメになったのね」と言うかもしれない。 安倍晋三氏が生まれ変わって女装しているような人が「日本で最初の女性首相」にならず本当によかったと、総裁選で石破氏が勝った時には胸をなで下した。しかし10月4日の所信表明演説には唖然とした。総裁選で言っていた「本当のやりとりは予算委員会だ」と議論の必要性を強調していたことなど忘れて、すぐに解散するそうだ。 総裁選では処分された議員を次の選挙で公認しない可能性に触れていたが、裏金議員らを公認する方針を固めた(後に撤回)。防衛政策については何も触れず、期待していた日米地位協定の改定は親分の米国によって封印されたのだろう、と察しがついた。さすがに「アジア版NATO」はないだろうと思っていたが、やはり消えた。農山漁村の雇用と所得による活性化はとても大事な政策なのだが、具体的な方法は述べられなかった。言葉だけで終わるかもしれない。 残ったのは「防災庁」設置と自衛官の待遇改善ぐらいか。自民党はやはり誰が首相になっても同じだった。徳川家の延命策と同様、政権を握り続けることだけが、目的になっている。だから裏金づくりと宗教団体との結束は、必ず残る。 上西充子法政大学教授が「総裁選で石破氏が語っていたことと首相になってから石破氏が語ることをわかりやすく対比させて報じてください」とメディアに注文をつけていたが、そのとおり。「自民党とは何か」を、私たちはじっくり知る必要がある。 で、政権交代は? 立憲民主党はカマラ・ハリス的な対立色を鮮明にするどころか「穏健な保守層」とやらに尻尾を振った。それどこにいるの? その人たちは自民党に満足でしょ。「とんでも選挙」が始まる。2024年10月18日 「週刊金曜日」 1493号 3ページ 「風速計-とんでも選挙」から引用 この記事が言うように、私たちは「自民党とは何か」を、今さらではあるが、じっくり知る必要があります。自民党内の多数決が「高市早苗」を排して「石破茂」を選択したのは、世間の常識にそった妥当な選択だったと思いましたが、実は自民党のマジョリティは「石破茂」を全面的に信任して彼を選択したのではなく、とりあえず「世間の逆風」をしのぐための「一時しのぎ」で彼を利用しただけのことで、その証拠に、石破氏は総裁就任前に発言していた「解散前に予算委員会を開く」等の一連の発言をひっくり返すことになったもので、石破氏を総裁にしたから世間も油断してると見込んで、表向き「公認をはずす」と宣言しておきながら、裏ではこっそり選挙資金、2000万円を振り込むという「裏切り」をやらかしている。総選挙の運動期間中に、この自民党の「正体」に気付いた有権者は「もう自民党には投票できない」と判断することができたのですが、その数は限定的だったため、野党第一党が過半数を得るには至らなかったわけです。しかし、引き続き「しんぶん赤旗」等の報道を頼りに「自民党とは何か」を、私たちは認識を広げていく必要があると思います。
2024年11月03日
東京電力・福島第一原発の事故の後で設置された原子力規制委員会の委員を10年間務めてこの度退任した石渡明氏は、10月19日の朝日新聞で、インタビューに応えて次のように述べている; 原子力規制委員会の委員として、活断層の審査をめぐって原発の再稼働を認めない結論をまとめ、60年超運転に道を開く法改正に異を唱えた地質学者が今年9月、退任した。未曽有の大事故から13年半、いつか来た道に戻ってしまってはいないか。地震や津波対策の審査を10年間率いた石渡明さんに聞いた。――日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)の審査では、直下の断層が活断層である可能性を否定できず、新規制基準に適合しないという結論をまとめました。一部に、証明しようがないことを求める「悪魔の証明だ」との批判もあります。 「新規制基準をもとに審査した結果です。事業者から見れば悪魔かもしれませんが、大した悪魔ではない。すでに17基の原発が審査に通り、うち12基が再稼働しました。事業者が、詳しい調査で、断層が動いていないことを証明し、『否定できない』とした有識者会合の結論が覆った例もあります。電力各社から見れば17勝1敗。これで相手が強すぎると言えるのか、と思います」――地層の観察記録の書き換えをはじめ、原電側にも問題がありました。 「事業者は、何としても審査を通すのが至上命令ですから、科学的な妥当性よりも自分たちのストーリーに沿ったデータを集めがちです。原電は断層の幅のデータを出していませんでしたが、確認すると最大3メートル、平均約70センチと大きかった。十分に調べないまま、それだけの断層が、調査地点から延びずになくなると言っている。ちょっと信じがたいです。基本的なデータをきちんと扱っていない不備があったと思います」――もともと敦賀原発の敷地内には、「浦底断層」という活断層がありますね。 「米カリフォルニア州では、建設計画があった8原発のうち4原発が、活断層が見つかって建設中止になっています。2原発は運転開始後に近くで活断層が見つかり、運転をやめました。その後、別の原発の近くで活断層が見つかったときも、電力会社がすぐに規制当局と対応を協議しています。一方、浦底断層は1991年に専門書で活断層だと指摘されましたが、原電が活断層と認めたのは2008年。動きが全然違います。反省すべき点です」 ■ ■――そもそも規制委員の仕事を引き受けたのはなぜでしょう。東日本大震災で東京電力福島第一原発事故が起きたときは、仙台にいましたね。 「たまたま調査用に線量計を買ったばかりで、各地の放射線量を測って回りました。何かあるたびに高くなる。これは大変なことが起きたと思いました」 「869年の貞観津波の痕跡は、仙台平野を掘ればどこでも出てきます。あれだけの大津波が過去に来たことは地質学の世界では知られていた。原発も、その可能性をきちんと考えて対策を講じておくべきだった。事故を起こすと影響が大きいシステムにはもっと総合的に地球科学を生かす必要がある。そう考え、委員を引き受けました。福島のような大事故を二度と起こさせない、それに尽きます」――原子力の世界に入って感じたことは? 「私はずっと、地質学など理学の分野をやってきた人間です。一方、原子炉を作って運用する人たちは大部分が工学系で、規制委もそうです。工学系は理学系と考え方が全然違うんですよ。何というか、人間が万能のように考え、きちんと設計して施工すれば、きちんとしたものができる、と。その外側のことはあまり考えないですね」 「地震は日常的に経験していても、津波や火山になると、なかなか想像の範囲に入ってこない。どういう危険が具体的にあるのか、なかなか思いが至らない面があると思います」 「地球科学的な現象は、普段生活しているスケールをはるかに超えています。研究者なら10万年前、100万年前に何があったかをイメージできる。ビシッとした答えが出ることはめったになくても、自然の複雑な動きをどう理解すればいいかを身につけている。それが存在意義だと考えてきました」 ■ ■――日本列島はプレートが沈み込み、地震や火山が活発な「変動帯」です。原発の利用について、どう考えますか。 「日本で生活している以上、原発を使いたいなら日本に適したやり方をするしかありません。もちろん、やめてしまう手もありますが、幸い規制委ができてから大きな事故は起きていない。規制機関がきちんと監督や検査をし、事業者も緊張感をもって運転する仕組みがそれなりに機能してきたと思います」――政治家や原子力業界からは審査期間の長さを問題視する声もたびたび出ました。圧力はありませんでしたか。 「誰かから直接、『審査を早めろ』と言われたことはありません。よく行政審査は2年が原則だと言われますが、じゃあ2年で審査が終わらないものは不許可にしてしまえば迅速ですけど、事業者は『それは困ります』となりますよね。我々だって引き延ばす理由は何もない。長期化の大部分は、事業者側の責任だと思います」 「およそ科学的に納得できないような考え方を持ち出してきて、これで大丈夫なんですと言い出す。それを受け入れるわけにはいかないですよ。『ならば、その根拠を出して』と言うと、その調査だけで1~2年かかる。時間がかかるのはやむを得なかったと思います」 ■ ■――昨年の国会で、原発の60年超運転を可能にする改正法が成立しました。経済産業省が主導し、規制委側が歩調を合わせた形です。石渡さんは「安全側への改変とは言えない」「審査をする人間としては耐えられない」と、委員でただ1人、法改正に反対していました。 「原子炉等規制法に原則40年、最長60年という明確な数字が書かれていたわけです。福島の事故を受け、国会の議論を経て決まったことです。私はこの法律を読んで、これを守るということで就任したわけで、それを勝手に変えてしまうのは納得がいきませんでした」 「新しい知見が得られたといった理由があるなら別ですが、それもない。しかも、審査が長引いた分を運転できる期間に足すという話ですから、どう考えてもおかしいですよ。今も考えは変わっていません」――規制委が20年にまとめた見解が逆手に取られ、経産省に主導権を奪われたように見えました。電力業界の声を受けて出したもので、「運転期間は原子力利用に関する政策判断にほかならず、規制委が意見を述べる事柄ではない」としていました。後悔していませんか。 「当時は詳しく議論していませんでした。あれが重要な意味を持つということは、私自身うかつだったかもしれないけど、気づいていませんでした」――事故の教訓の風化や規制委の変質を懸念する声もあります。 「私自身は一生懸命やったつもりです。どんな組織でも、やっているうちに問題は出てくるものですが、規制委は公開の場で議論をしています。ネットで中継され、即座に全国放送になる。あの緊張感たるや、本当に胃が痛くなります。事業者もこちらも相当なストレスですが、おかしなことは言えない。やはり公開でやっていくしかないと思うんですね」――事業者には「公開の場では言いたいことが言いにくい」という意見もいまだあります。 「これを譲ってしまったら、規制委は終わりだと思います。むしろほかの役所にも広がれば、日本社会も変わってくるのではないかと思いますけどね」(聞き手 福地慶太郎、編集委員・佐々木英輔) *<いしわたり・あきら> 1953年生まれ。金沢大教授、東北大教授、日本地質学会長などを経て、2014年9月、原子力規制委員に就任。原発の地震や津波対策の審査を担った。■取材を終えて 前任の委員だった地震学者、島崎邦彦・東京大名誉教授も、自然に対して謙虚であることの大切さを強調していた。地震や津波、噴火といった自然現象は人の想像を超え、思わぬ被害を引き起こす。わかった気になったり、軽く見たりしたまま原発を扱うのは危うい。 そもそも規制委は、原発の運転を容認する前提でできた組織だ。審査は安全対策が一定の水準にあるかどうかを確認するもので、絶対の安全を保証しているわけではない。石渡氏も、どこまでのリスクを許容するかは「社会の価値判断」だと言う。 「核のごみ」処分も含め、日本列島で原発を扱えるのかは長く議論になってきた。一方で事故から13年が経ち、原発回帰の動きも目立つ。今後のエネルギーを考える上では、原発事業者は信頼できるのか、規制が将来にわたり機能するのかという視点も欠かせない。(佐々木英輔)2024年10月19日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ 「オピニオン&フォーラム-原発『来た道』戻らぬように」から引用 この記事はなかなか面白い。工学部出身の学者は「しっかりした設計図に基づいてしっかり施工すれば問題ない」と考えるようだが、理学部出身の学者は一千年、一万年の単位で自然がどのように変化してきたかを認識して今後のことを考える、という指摘は「なるほど」と思いました。また、カール・マルクスの「資本論」には、「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。」との一節が有名ですが、原子力発電所をもつ電力会社経営者なども、原発は自分が生きてる間だけ無事故で運転できれば、後のことは後の者が良いようにしてくれるだろう、くらいの気分でいるのではないかと思いました。この狭い国土に、すでに50基を越す原発を作っておきながら、さらに新増設を目指すという自民党や国民民主党の「企み」は、是が非でも止めさせるべきです。
2024年11月02日
創業者が長年に渡って所属のタレントに性加害を行っていた事実を認め、事務所の名称を変更し、被害者の救済に取り組むと宣言して一年が経過した先月、取材に当たってきた朝日新聞・島崎周記者は、10月18日の同紙夕刊に、次のように書いている; この場で話すべきなのは、被害者の彼らなのだろうか――。旧ジャニーズ事務所(SMILE―UP.〈スマイルアップ〉)が、創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題を認めてから1年が経ったことを受け、被害当事者らが9日、日本記者クラブで記者会見を開いた。 「なんとか生きてきた」「被害者たちの言葉を聞き、無視しないでほしい」。被害者たちは時折声をつまらせながら、顔と名前を出して被害を告白してきてからのことを振り返った。そして、会見を開いた理由についてこう語った。 「声を上げる人がいなくなったら、この問題は風化の一途をたどると思う。だからこそ声を上げ続けていかないといけない」。見ていて、胸が痛かった。 一方スマイル社は、昨年10月に行った2回目の会見以降、一度も会見を開かず、ホームページ上での見解表明や発表にとどまる。同社が設置した「被害者救済委員会」は9月末、この1年の活動状況をまとめた報告書で、999人が被害を申告し、うち504人と補償内容で合意したと、「数」を示した。スマイル社はこれらによって「被害の全容が明らかになっている」とし、被害の時期や背景といったことを明らかにする意思を示さなかった。 だが、約1千人も被害を申告したという前代未聞の事態だ。数の把握だけで済まされていいのか。ある被害者は会見の場に寄せた手紙で「なぜ半世紀近くもの間、加害行為が放置され続けてしまったのか、改めて調査を行うことをスマイル社に求めたい」と訴えた。 スマイル社は、会見について、「一部誤解等を与えうる内容があった」などとして、翌日に見解をホームページに掲載した。一方的に文書を掲載するだけでなく、会見で直接説明すべきではないか。朝日新聞は会見の開催や、社長の東山紀之氏への対面取材を求めてきたが、実現していない。これだけの性加害を生んでしまった会社として、公の場での説明は最低限の社会的責任だと考える。 約1年前、私は「取材考記」でこう書いた。「事務所は『徹底した調査は行われた』とし、全容把握をするつもりはないようだ。(中略)被害者の声に時間をかけて耳を傾け続けなければ、『真の救済』にはつながらないのではないか」 あの時から、事務所の対応は何も変わらない。このまま、この問題を終わらせるわけにはいかない。だからこそ、私は書き続ける。<東京社会部> *<しまざき・あまね> 2014年入社。大津、鹿児島、西部報道センターを経て東京社会部。連載「子どもへの性暴力」取材班の一員。旧ジャニーズの問題のほか、宗教団体内の性暴力についても取材し、9月からは文部科学省の担当。2024年10月18日 朝日新聞夕刊 4版 7ページ 「取材考記-旧ジャニーズ、会見で説明を」から引用 この記事は、正論を語っていると思います。昨年、旧ジャニーズ事務所が長年に渡って創業者の犯罪行為を隠蔽してきていたことを認めた時点でも、事務所関係者と取引先の関係者らは、事件の悪質さ、責任の重さなどを理解できておらず、とりあえず創業者の後を継いだ親族は責任をとって「社長」の座を東山紀之氏に譲ったのであったが、この東山氏も事件の深刻さ、責任の重さを理解できておらず、軽率な発言が禍して余分な批判の声がさらに大きくなるという事態になり、それ以来、余分な発言は極力控えて、現状のように、何か発表するときは「文書のみ」という、誠意を疑われる状況を招いてしまっているものと思われます。この記事が訴えるように、旧ジャニーズ性加害問題をこのままうやむやにして終わらせるのでは、同じ問題が繰り返すことにもなりかねませんから、今後も「正しい解決」と「適切な被害者救済」のためにも、取材を継続するべきだと思います。
2024年11月01日
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