こうしてようを授かりました。

来てくれてありがとう♪


平成元年に24歳で結婚。
夫も24歳。

2人とも子供が大好き。

学生時代からのつき合いで充分二人きりの時間は
過ごしていたのですぐにでも子供が欲しいと思っていた。

子供が欲しくて結婚したと言っても良いくらいだった。

避妊はせず2年経ったが妊娠しなかった。

一緒の時期に結婚した友達はどんどんおめでた報告。
羨ましいと思う。

高校生の頃から生理痛がひどかったこと・時々不正出血があるなどの
心配事があったため近所の産婦人科へ検査をしに行く。
この頃はまだ仕事をしていたため”近所”にしか通えなかった。

そこでは特に異常は見つからず漢方薬(芍薬甘草湯)が処方された。

このとき夫の検査も薦められた。
夫は嫌がることはなく応じてくれた。
結果は精子の量は少ないが通常妊娠可と言う結果だった。

その後も私の漢方薬治療のみで1年が過ぎた。

振り返ってみてもこの2年は全く無駄な時間だった。
その後専門医にかかることとなるが
今不妊治療についてお悩みの方には私は絶対最初から専門医に
かかることをお薦めします。

平成4年7月から名古屋市内にあるK医院へ通い出す。
その頃はまだまだ専門医が少なくとにかくものすごい患者数だった。
診察も一日がかりだった。

一通りの検査(卵管造影含)を終え3ヶ月後から排卵誘発剤を服用。
同じ頃夫は精子減少症と診断される。
自然妊娠は無理ではないが難しいと言われた。

原因は男性不妊だった。

そして本格的な戦いが始まった。

男性不妊(夫)の場合食生活に気を配りあとは漢方薬治療を施す程度。

結局私の身体の方をより妊娠しやすくする治療が主になる。
セキソビットを4ヶ月服用する。
その間にも妊娠しやすくなると言われる子宮内膜掻爬や、
抗精子抗体、24時間の尿採集の検査等も受ける。

すべて異常なし。

その後誘発剤の種類をクロミッドに変更。
3ヶ月後の2月第一回目の人工授精(AIH)。
見事失敗。

そして毎月人工授精を試みるがことごとく失敗。

4回目からはパーコール法(洗浄濃縮人工授精)で行う。
転院してから1年が経っていた。

そして8回目初めての妊娠。
でも9週目で切迫流産をしてしまう。

10回目に2度目の妊娠。
これも10週目でまたも切迫流産だった。

この時期、私達より2年あとに結婚した実の妹が年子で2人を出産。
羨ましがりはピークに達していた。

どうしてこんなに心身共に辛く悲しい思いをしなきゃ
子供が授からないのか・・・。

精神状態はかなりきつく
夫に当たる日々・・。
夫もきっと同じくらい・・いや、私よりももっとつらかったと思う・・。

今でも夫には申し訳ないことをしたと思ってやまない。

そのあと一度HMG・HCGを使うがまたもや失敗。

なんと人工授精は20回に達した。

そしていよいよ自分の中では最後の手段と思っていた
ラパスコ(腹くう鏡検査)を薦められる。
全身麻酔で入院も必要。
怖くて悩んだがここまで来たらやるっきゃない。
覚悟を決めて挑んだ。

麻酔の効きが悪くあんなに怖く痛い思いはもう二度としたくないと思った。

その直後21回目の人工授精でようを授かる。
諦めないで良かったぁ。
切迫流産で2度、4ヶ月間の入院を経ての出産だった。
結婚して7年が経っていた。






ようを妊娠したときの体温表です。
参考になるかどうかはわかりませんが
私はとてもよその体温表が気になりましたので・・・。



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こうしてさよを授かりました


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