オセロ

2007/01/03
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テーマ: 心の病(7263)
本日1月3日は父方の祖母の命日です。

私が小学3年の時に亡くなりました。

原因は頭の神経が切れてだそうです。

はっきりしたことは私も知らされていません。

そして、それを気に病気になろうとしました。

小学3年の子がどうしてそんなことを思ったか・・・

祖母は救急車で病院に運ばれる途中に脳の血管が切れたんです。

どの病院も正月ということで受け入れてくれなくてガタガタした道を運んでいるうちに・・・

病院についた時にはもうなにもすることはなく、ただ亡くなるのを待つという状態だった

そうです。

その知らせの電話を取ったのが私なんです。

あの日家族で買い物に行き戻ってきたら電話がなっていて出た電話。

その電話こそ祖母のことを告げるものだったんです。

小さい私と弟は母方の祖母に預けられて1日をすごしました。

そして夜なくなった事を知らされておお泣きしました。

あの日の悲惨だったことは今でも鮮明に覚えてます。

その時子供な考えではあったけど、祖母を殺した病院の医者を見つけてやる。って

思ったんです。

その時祖母がどの病院にも受け入れてくれなかったことは知らず、何も処置されなかった

とだけ思っていたのでした。

それで、私は祖母がなくなったと思われていた病院に嘘でもぐりました。

「腹痛がする」「熱がある」さまざま理由で・・・・

まずは小児科から・・・

何をするわけでもないが、ここにいるんじゃないか?という気持ちで探しました。

そのうちに本当に精神的にやられて本当におなかが痛い熱が出るようにまでなり。

これが私の病気の始まりでした。

でも、このことを誰かにいうことは決してありませんでした。

何かプライドみたいなものがあったんだろうと思います。

それから13年の年月がたってから真実を知りました。

病院が悪いわけではなかった事。誰も悪くない事。

その時悲しかった。

誰かのせいにしておきたかったのでしょう。

でも、どうして正月だからと拒んだの?という理由がいつも頭を過ぎります。

そして祖母がなくなった病院も違いました。

私達には両親は本当のこと大きくなるまで教えてくれなかたったのです。

祖母が亡くなり15年になる今日。

私はやっと死を受け入れれたんです。遅いですけど。

そんな祖母の死。

どんな時でも抱いてくれていた祖母。

そんなに会っていたわけではないけど大切な存在だったんです。

だから今でも大好きでしかたないのです。

一緒に父とお供えをもっていくことは出来ないのですが・・・

だけど、いつか本当にたちなおれたら堂々と祖母の前にいきたいのです。

フリーターの私を親戚がどんな目で見ても堂々といける日が来たら。

それまでは、お供えで我慢してください。

命日は心穏やかにすごせました。

おばあちゃんありがとう。そっちにたくさんの友達がいきました。

私がいくまでよろしくね。

私が行くまでにあの大きな木を植えて置いてください。またあの木の下でお話をしましょう。

大好きなおばあちゃん。





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最終更新日  2007/01/03 05:32:01 PM
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