全10件 (10件中 1-10件目)
1

瑣事に明け暮れたあっという間の一年という月並みのなかで、やはり読書関係は忘れ難い。なんと言っても夏目漱石を読破したこと。私にとって時宜を得ていたと思う。漱石の小説が決して古くなく、今に通ずるものとわかったのが嬉しい。年間100冊以上読んだけれど、量ではない。幾冊、心に残ったかが問題。さて、何が心に残る一書か?指針になるような、自分の軸を回転させたり、ぶれを修正させ、何かが得られる本を読めたら最高。そして、ああ面白かったといえる本。わたしの初もの作家で興趣深かった小説は下記の通り。『慟哭』貫井徳郎『未亡人の一年(上)(下)』ジョン・アーヴィング(追加感想)『未亡人の一年(上)(下)』ジョン・アーヴィング『ねじの回転』ヘンリー・ジェイムズ『青の物語』マルグリット・ユルスナール『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午 『テロリストのパラソル』藤原伊織 『鯉浄土』村田喜代子『幽界森娘異聞』笙野頼子『ナイトメア』小倉千加子『上野千鶴子が文学を社会学する』上野千鶴子そして最近知った、『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』高野文子(アフタヌーンKC)というわたしにとっては異色のまんがも加えたい。行間を読むという言葉があるが、まんがも行間が読めるんだねとおどろきの一書。さあ、来年も再読と新しい本を求めていざ進まん!やっと暮れの闖入者どもも去り静寂のきわみ、いえ、第九のCDを聴きながら気持ちよくブログ収めをいたしております。読んでくださっているみなさま!今年もありがとうございました。みなさまもそれぞれによい来年でありますように。
2007年12月31日
コメント(6)
25日から娘が女の子供二人を連れて泊まりに来ている。つまり里帰り。わたしも息子や娘が小さい時は実家によく行った。母はご馳走を用意して、温かい布団を整えて迎えてくれ、わたしはのんびりしたもんだ。だからわたしも畑の家を建てた時には、ことさら座敷をふたつ余分に作ったのだ。そして母の如くおいしいご馳走と、羽毛布団に包んでやってる。また、子供好きとはいえない性格なのに「ばあば」を疲れ知らずに演じるのだ。と、前にも書いたような…。何が言いたいかというと。むかし、戦後すぐから東京オリンピックの頃まで、東京に住んでいるものの家にはよく地方の親戚が泊まりに来た。夫婦に3人の子供、なのに3部屋とキッチンしかないアパートマンションだったのだが、遊び、出張、病院通いにと親戚は遠慮なく泊まりに来た。部屋の割り振り、布団のやりくり、一畳くらいの台所でのもてなし。そのたびの大騒動は迷惑だったろうに、何事もないようにやっていた母はえらい。母も若かっただろう、時代だっただろう。見習ってわたしも若いうちは狭かろうが、姑が泊まりにくるたびきちんともてなした自信がある。しかし、しかしである。今、わたしは大きな台所と、ゆったりした部屋数なのに「かんべんして」と心で思ってしまう。もちろんお客様じゃない娘だし里帰りなのだから、そこは適当にすればいい、大変ではないはず、つもり?!わたしの妹は家族に見合った部屋数のマンションに住み、客布団をはなから用意しないで、誰も泊めたくない意思表示を貫いている。あっぱれ。それが出来ないわたしはうじうじしているのだ。その妹夫婦も畑の家に泊まりに来たんだけども。
2007年12月29日
コメント(16)
![]()
昨夜のTV映画を、平積みで見かける東野圭吾の本『手紙』の表紙やら、沢尻エリカの騒動につられて観ました。(ミーハーです 笑)期待してなかったのですが、案に相違してよかったですよ。主役の山田孝之や沢尻エリカという俳優さんの演技がなかなかいいのです。思わずつぼつぼで大涙してしまいましたよ。とくにおふたりの目の演技が心の奥をのぞかせて、観るものに迫ってくるんです。二人のその後の姿、つまり気楽な若者から結婚して子供との家庭生活まで演じるのですが、その演技も不自然でないのです。よく若い人が年輪を演じると変なのですが違いました。沢尻エリカが単に人形のような美形にどどまっていないだろう、と感じましたがどうでしょうか。山田孝之にも将来性をみました。加害者の家族、被害者の家族の「不幸・重圧」というテーマは、この映画だけで描ききるには大き過ぎますが、手紙で「あやまれば終わりということではない」とのメッセージは、最近の様々な不祥事の陳謝だけするような姿に重なり、考えさせられます。東野圭吾の本のメッセージもそうでしょうか?
2007年12月24日
コメント(6)
最近、JR有楽町駅前に行ったことのあるひとはわかると思うけど、様変わりに驚く。とくに交通会館側がひどい。いや、きれいになった。日劇がマリオンになった時はわたしもやや歓迎、カラクリ時計にみとれていた。けれども、けれどもこんどはもの哀しい。これではどこの駅前だかわからない。このごろみんなこんな風なんだもの。秋葉原だってそう。もちろん、駅前再開発は利点もおおありだろう。そうなる時勢だことは知ってはいたが…。松本清張や井上靖の『氷壁』に登場する薄暗い二階喫茶店とか、ガード下の飲み屋街。猥雑でくすんだ灰色の横丁が消えた。むかし、むかし数寄屋橋を無くす高速道路工事のころ、東京へ引っ越してきた初めての日、従姉と「シューベルト」の映画を見に行ったことが思い浮かぶ。マリナ・ブラディが魅力的だの、音楽がすばらしかった印象を押しのけて、有楽町駅前で食べたラーメンのうまさが忘れられないという中学生のおかしさ。今から思えばたいしたことはないんだろうけど、洋食屋のおいしかったエビフライ。いち早く山盛りのイチゴが安かった果物屋(その果物屋は残っていた!)。やはりパチンコ屋さんもきれいなのが出来ていたけど、それもパチンコのザラザラ、ジャラジャラの中をくぐり抜けるように駅へ急いだ昔のようではない。去るものは追わず、思い出す、にび色風景のみ。
2007年12月23日
コメント(4)
![]()
12月も終わりだというのに、ことしはやっと銀杏が黄葉して散っている。さすが陽に映えるさまは美しいけれど、落ち葉のかさこそ鳴るはもの悲しい。『黄落』の書き出しの「こんにちでは六十五歳以上を老人というから、わたしはまだ老人の部類ではないが、還暦を間近にしてちかごろ、駅の階段で時折つまずく。」という主人公が「老親老後」をおくるもの悲しさは身にしみる。私小説かとまごうフィクションは、高齢社会突入現代の普遍性が散りばめられている。主人公といっしょに「どうしたらいいんだろう」と途方に暮れる。30年くらい前有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになった時は、わたしも若いゆえ遠いことのように思っていられた。介護保険が充実していろいろなサービスを受けられるようになっても、この『黄落』で持ち上がるような当惑や苦労が減るわけではない。黄落 佐江衆一(新潮文庫)
2007年12月18日
コメント(4)

知人が言った。「お歳暮の送り先をできるだけ減らしたの、今年がこんなに苦しいとは思わなかった」余裕のある暮らし向きではないだろうと察してはいたが、いろいろなものの値上がりを来年に控えての実感であろう。まさか食うや食わずには至らないと思うけど、いかにも心配そう。「パンが食べられないならお菓子を食べれば」と言ったのは誰だっけ。知人は「おいしいもの」にめがなく「おとりよせ」仲間でもある。おごってしまった口はどうするのか?いや、ひとごとではない。林芙美子の『風琴と魚の町・清貧の書』を読んでいる。『放浪記』もそうだったけど「貧乏の匠」みたいな明るさが妙になつかしい。『風琴と魚の町』一日の行商で稼いだお金で家族三人、素うどんをすする時の情感に笑う、「一杯の掛けそば」みたいにいやらしくない、ほほえましくなる。「私」の丼には三角の油揚がはいっているではないか。どうして父さん母さんのには入ってないのか。黙って食べろという父さんにやがて「私は一片の油揚を父の丼に投げ入れてニヤッと笑った。父は甘美そうにそれを食った。」『風琴と魚の町・清貧の書』(新潮文庫)にある9短編、「貧乏なんて甘くはありませんぜ」といいつつ、そこはかとないユーモアが漂う。だから貧乏は作家自身の文学宝みたいなもの。でも文学じゃなかったら、微笑んでいられない。困る。
2007年12月14日
コメント(14)
![]()
こういう本を読むと「わたし、学問をしなかったんだなー」っていう気持ちになる。同じ文学を読んでも考えること違う、深い。とうぜんでしょ、一流の社会学者(フェミニズムでも)だもの上野千鶴子先生(笑)文学も言葉表現だけのものではなく、時代と背景の産物、しかもおもしろければ多くの人に読まれる。りっぱな歴史、民族の資料である。これを社会学の読み解きにしない手はない。「社会学」は簡単なことをわかりにくくいう学問と思われている(あとがき)だって。わかった振りするわけじゃないけど、なるほど、文学もここまで読み取れれば元を取れる。(なにいってんだか)文庫本になってる、買っておこうかな。上野千鶴子が文学を社会学する
2007年12月11日
コメント(0)
かまびすしい食品偽装発覚事件。産地偽り、品種偽り、はたまた賞味期限・消費期限の引き伸ばし。しかし、賞味期限・消費期限は誰が決める?という疑問がわたしにはある。だからリンク友のalex99さんが提案されている「個人的には、賞味期限・消費期限など、無くてもいいではないか?と思ってしまう。(中略)生産日だけを表示しておけば、あとは消費者の判断と胃の消化力?に委ねる。昔は食品を嗅いで、まだ食べれるものかどうかを判断したものだ。」の方法も大いにいいなーと思うし、実行もしている。けれど生産日が押さえてあっても、材料が古くなってる偽りだったらという不安は残る。もう疑心暗鬼!そのことに付随して、困惑したことがひとつ。わたしには、ここ一軒だけの老舗でしか作っていない御菓子を手土産にする、という楽しみがある。たとえば上野の「うさぎや」の「どらやき」。訪ねる先を遠回りしても、わざわざそれだけのために御徒町で降りて、それを得々として知人にさしあげていたのである。知人は大喜びだし、ついでに自分の分も購入できるし、ちょっとした贅沢である。「うさぎやのどらやき」の消費期限は二日。当日作っていると思う(かは知らないけれど)、お店に行くといいにおいが漂っている。お店では宅配便にて送らない、冷凍はしないでとおっしゃる。だから食べきる少量しか買わない。食べて文句なしに新しいと思うし、確実においしい。皮もふっくら、粒餡のおいしさったら!!けどけど、これは営業経営的にはいい、大成功。その証拠に引きもきらずお客様が来ている。だからこそ…以下自粛。わたしはわたしの舌を信用する。こんなこと思われて「うさぎや」さんはおおいに迷惑だろう。東京にはそんな頑固な老舗の御菓子屋が多々あるし、他の土地土地にもあると思うから。
2007年12月10日
コメント(10)
『オリエント急行殺人事件』『風とともに去りぬ』『ジェーン・エア』『嵐が丘』『赤毛のアン』『悲しみよこんにちわ』『たけくらべ』『ピーターラビット』『第二の性』『みだれ髪』『若草物語』『アンネの日記』『大草原の小さな家』この書名を見たら誰でも読んでいる名作と思う。作家名わかるかな。超有名な漫画家でもある池田理代子は、この女性作家たちの「自分を生きた」様子を、時には自分になぞらえてたどっている。平明な文章が心地よい。あとがきなどでおぼろげに知っているけれど、きちんと伝記などは読んではいないわたしは、彼女らの作品の後ろの人生が興深い。例えばマーガレット・ミッチェル。自動車事故で若死にをしてしまったことだけは知っていたけれど、最初の夫がレット・アップショーという男で、小説のレットと似て放蕩者、なにやら怪しげな商売、才気煥発、性的魅力満載のひとだったなんて。離婚すると今度はアシュレ的落ち着いた友情篤い男と再婚し、その励ましのもと名作『風とともに去りぬ』を一冊のみ書き上げ、ベストセラー作家となった。自動車事故も49歳だった。
2007年12月09日
コメント(4)
「この人なら自分のことが分かってもらえる」と作家に「心の迷路の物語」をするナイトメアと呼ばれている女性が主人公、が、だんだん作家自身と渾然一体になっているような物語。「ナイトメア」は声に悩まされている。罵りの言葉に。「ナイトメア」は母に愛されていない。兄を溺愛する母に。「ナイトメア」は女であることを思い知らされる。感受性が強いから。母の誇りの兄(男)のようになりたくて、能力を発揮し努力をして手に入れたものを母は喜ばない。母に認められないことの悲しみと怒りが噴き出してくる「ナイトメア」罵りの声が聴こえるのは「ナイトメア」の心の声。女は女の子を産むと自分の雛形コピーと思っていないか、という深い洞察。知らず知らず同質を強要しているかもしれない。それを知ってしまった母娘は仲良くはなれない。というところにわたしは思い当たるのでものもあるので、暗澹たる気持ちになった一書。
2007年12月05日
コメント(2)
全10件 (10件中 1-10件目)
1
![]()

![]()