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「高台の家」「獄衣のない女囚」の中編二つ再読、この前の時は「獄衣のない女囚」が面白しろかった記憶があり、今回は「高台の家」の方が興深かった。解説者森村誠一氏の文章で「ストーリーに入る前の薀蓄が長いので、たどり着くときには脱力してしまうかも」と言ってらっしゃるようにプロローグが饒舌だ。主人公がその「高台の家」になぜ行くようになったかと「東洋史」の薀蓄、その家があるのは東京のどんな屋敷町か、そのお屋敷の形、周りの雰囲気等々、微に入り細に入りだ。しかし、清張好きにはその長い清張節が何ともたまらないということをあらためて思わされた。それともうひとつは懐かしの昭和の風景に、昭和期を過ごしたものにとっては、どっぷりと浸かれるのもうれしい。「高台の家」雑誌掲載は1972年、「獄衣のない女囚」雑誌掲載は1963年、ここがポイント。「獄衣のない女囚」は女性専用のアパートメントが舞台。古いアパートの部屋代が8千円、そこへいくとこの小説の女子公営集合住宅は6千円だから、3~40代のベテラン独身女性会社員の給料が3~4万円、電化商品や家具を揃えて優雅に暮らせるのだが、「女の楽園」ではなく「女の牢獄」かも、というストーリ展開。などと数字を読むだけでも懐かしいのは、わたくしだけかな 笑【中古】 高台の家 PHP文芸文庫/松本清張【著】 【中古】afb清張ミステリーの特色は、こんな悪いやつらが本当にいるのかとおもいながらも、等身大に描かれている登場人物に、ふと身の回りを見まわすような現実味があることである。(中略)現実は事実の中に噓がいっぱいはめ込まれているが、小説は虚構の中に、人間や人生の真実が鏤められている。上はこの文庫の解説者森村誠一氏の文章、このPHP文芸文庫は1979年の文春文庫を底本に2011年に出されたが、その時に森村氏が書き下ろした解説。清張ファンを自認するだけあって素晴らしい読み取りだなあと、ご本人も大作家なのに失礼を顧みず言ってしまうよ。松本清張は戦後の昭和と共生したような作家であった。という森村氏の言葉、大いにうなづいた。
2021年05月31日
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イタリーボッカチオ『デカメロン』スペインモルバンテス『ドン・キホーテ』イギリスデフォー『ロビンソン漂流記』スイフト『がリヴァー旅行記』フィールディング『トム・ジョウンズ』ジェーン・オースティン『高慢と偏見』スコット『アイヴァンホー』エミリ・ブロンテ『嵐が丘』ディケンズ『デヴィッド・カバーフィールド』スティーブンスン『宝島』トーマス・ハーディ『テス』フランスラファイエット夫人『クレーヴの奥方』プレヴォ『マノン・レスコオ』ルソー『告白録』スタンダール『赤と黒』バルザック『従妹ベット』フローベル『ボヴァリー夫人』ユゴー『レ・ミゼラブル』モーパッサン『女の一生』ゾラ『ジェルミナール』ロラン『ジャン・クリストフ』マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』ジッド『贋金づくり』マルロー『人間の条件』ドイツゲーテ『若きエルテルの悩み』ノーヴァリス『青い花』ホフマン『黄金宝壺』ケラー『緑のハインリヒ』ニイチェ『ツァラトゥストラかく語りき』リルケ『神様の手記』トオマス・マン『魔の山』スカンヂナヴィアヤコブセン『愛と死』ピヨルンソン『アルネ』ロシアプーシキン『大尉の娘』レーモントフ『現代の英雄』ゴーゴリ『死せる魂』ツルゲーネフ『父と子』ドストエフスキー『罪と罰』トルストイ『アンナ・カレーニナ』ゴーリキー『母』ショーロホフ『静かなるドン』アメリカポー『短編小説集』ホーソーン『緋文字』メルヴィル『白鯨』マーク・トウェーン『ハックルベリィ・フィンの冒険』ミッチェル『風と共に去りぬ』ヘミングウェイ『武器よさらば』ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』中国魯迅『阿Q正伝』緑太字が読了した本うーんと若いころ桑原武夫著『文学入門』を読んで、巻末の「世界近代小説五十選」を参考、忠実に読んできた結果がこれである。何しろ、この『文学入門』は1950年初版の岩波新書。67年の歳月は、お薦め五十選の内容をどう変えているのか?それに著者によっても違ってくる。わたしの思いつくところは池澤夏樹さん、高橋源一郎さん、あたりだが・・・。そういうことを考えるのも読書の楽しみである。
2017年11月19日
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津田由雄は30歳、延という23歳の女性と結婚して半年も経っていない。お延とか延子とか呼ばれる彼女は細おもて色白、目が細いのだけど眉を動かすと魅力的である。新婚なのに津田は病気で手術しなければならない、なのにしかしなにやら家計が苦しいのである。そのわけは新妻に高価な宝石の指輪をプレゼントしたから?いや、裕福に育った派手好きの彼女にいい顔をしたからに違いない。気が強い新妻は新妻とて、なぜだか不安に付きまとわれる。一目ぼれの弱み、彼の愛情を独占したくてたまらないが、いまひとつすっきりしない。深いわけがありそうなきざしがあるのだ。この夫婦がてんでばらばらならば、相談する津田の両親や親代わりの叔父夫婦と、延の親代わりの叔父夫婦らは、みんなそれぞれ、思い通りにはなってくれない。仲人も友人も妹も津田をつつきこそすれ、親身になってくれない。くれない、くれないと言ったって、他人は思い通りにならないもの。その他人だって津田がエゴイストと思っているのだから。その証拠に相思相愛と思っていた清子という人に逃げられた過去がある津田、どうもそんなところに原因があるらしい。らしいしかわからない。なぜなら漱石の死去によって絶筆になってしまったから。いろいろあって津田が別れた清子を「どうして?どうして?」と温泉場まで追って、ストーカーまがいの行動に移っていくのにはあっけにとられる。漱石さんいいところで筆を置いちゃった。とストーリーは通俗的?って思わない。ちゃんと立派な近代小説の始まりにして最高峰、そう、こんな長い会話文の(ドストエフスキーばりの)日本の小説が昔にもうあったんだね。迫力満点、おもしろいのなんの、さすが文豪。これを読んで小説を書きたいと思った人が多い、というのもわかる。いまごろわかって恥なんだが。書いちゃった作家さん、あろうことか続きを書いちゃった水村美苗さんの「続 明暗」すごく楽しみなような、こわいような。
2007年08月27日
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今朝、天気雨が何度かぱらついたので、西の空に、なんどもなんども虹がでた。消えがての虹だけれども、何かの予兆とでも感じる、熱い柔らかい心が見上げるこちらにはあった。おりしも『奔馬』を読み終えた。『・・・日輪は瞼の裏に赫奕と昇った』という一文にここで会えるとは。それは私の無知を曝け出している訳だが。こんなくさいことよく書くよなーとは思う、これも匿名だからという気安さがあるのだろうよ。しかし、感動したという事実は本物なのだから。三島由紀夫は『輪廻転生』という途方もない、夢物語を書いているのだが、諸所のリアルさにおいては舌を巻いてしまう。林真理子が『名作読本』で三島の作品はアフォリズム(箴言)がちりばめられている、と書いているが、この夢想的な物語もしかりである。それが私をなお惹きつける。主人公「勲」の信念、理想は若さゆえの孤独に堕ちる。とりまく大人の知恵、論理が淋しくも本当だからか。この矛盾した夢のような現実をきらびやかに描く、リアルに。ここが面白くないわけがない。詳しく書けば歴史観とか人生観に、心を動かされ、うべなったのだけど、省く。読者は副主人公の「本多」の目になってはらはらどきどき、あぶなっかしい情熱は奔流となって次巻へ繋がる、「勲」の「夢」がそれを暗示して…。『暁の寺』が楽しみ~、となる。
2006年03月06日
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こんなにわかりやすい、エンターテイメントといってもいいおもしろい小説なのに、30年前、何がわからなかったのだろ?たぶん、そのころの私はリアルなもの、ちょっと硬質のもの、優しい人間性に富んだもの、そして民主的で階級性を追求するものが好きだったのだろう。私の中で早すぎたのかもしれない。との私の事情はさておき、第一巻を読了してやはり感想を書きたくなった。みやびのかぎり、思うがままの筆運びで美麗に秀麗に描きつくしている物語。さぞ作者は悦楽の作業であった事かと思う。 主人公、公爵家の嫡男の美少年「松枝清顕(きよあき)」が「情」に生きるが故の、ともに味わってて息苦しいまでのうつつと夢想に、うとうとしいけれど、わかるような…。貴族的な若い命が求める情炎は、外も内も典雅でありたい矜持。それは華麗な滅びの美学。『彼は優雅の棘だ。しかも粗雑を忌み、洗練を喜ぶ彼の心が、実に徒労で、根無し草のようなものであることも、清顕はよく知っていた』貴族を蝕(むしば)もうと思って、彼は蝕んだのではない。知らずして犯してしまう、一族にとって没落の毒なのだ。無意味だけれど『死ぬと思えば生き返り、衰えるとみれば熾(おこ)り 』風に旗がひらめくように、『方向もなければ帰結もない「感情」のためにだけ生きること。……』 このように彼は身を呈(てい)して華麗に滅んでいった。いわば純粋なる犠牲だろうか。有形のものは無くなる、滅びるもの、しかし、無形の魂は残っていくのではないか。いや滅びてはならないと…。理知の人親友「本多繁邦」とくっきりと対比させ、なおかつ、彼に憧れさせ、後の三巻になだれていく。時代は旧いかもしれない、けれど旧いものは古くならないのだ。現代にその摩滅しない想いがうごめく。続きを読むのに、こんなに待ち遠しい思いは久しぶりだ。
2006年03月01日
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「愛人業」事件は覚えておりましたが、「カジマナ」?ネットで調べて、そのネーミングの妙におかしくなりました。わたしもちょっと意地悪な見方をしていたでしょう。その後「後妻業」なる事件も起こり、ますます男性の問題がくっきりしてきたと思うのですが、この文庫の解説をなさっている山本一力さんは、この小説を「女性同士の友情と信頼である」と言い切っていらっしゃっるようで、それもあるがそんなことおっしゃってるから、それが証拠のようなものですよ、と言いたくなります(笑)たしかに雑誌記者の「里佳」と、大学時代からの友人で妊活中の「伶子」の友情との信頼関係が描かれています。獄中の「カジマナ」こと殺人容疑者「梶井真奈子」への面会もそんな風になって行きます。若くも美しくもない「カジマナ」がどうして男性を惹きつけるのか?理知的なキャリアウーマンの「里佳」と「伶子」が突き止めようとします。けれども実は「里佳」がボーイフレンドとうまくいかないのや、「伶子」が夫とちぐはぐになってしまう理由も一緒に解ってくるのです。男性の歴史的遺物遺伝子との闘いなんですね、つまり男と女の役割分担とか何とかの都合のいいごまかし。古くて新しい確執。昔のわたしたちのように「若いうちに売らねば、ゆき遅れる」とばかりにお見合いで永久就職したのから、現代の婚活大作戦で結婚にこぎつけたのに至るまで、いえ、恋愛の末結婚したとしてもその男と女の行き違い、この現代のコロナ離婚やら荒れ模様のSNSをみれば、ず~っと続いている闘いのようなもの。でもこの小説はそんなガチガチの闘う話ではなく、全編、バターのこってり、まろやか、いい香りにつつまれて(それがなんともうまいのだけど)おもしろかなしく、やっぱり努力するのは女性だったか・・・というもの。痒い所に手が届くようにとても痛快な小説です、女性の問題?いいえ男性の問題で、と読み解きました。それは、男が人間という生き物として、きちんと一人で生きているのかい?ということです。
2020年07月15日
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『湖畔亭事件』と『影男』乱歩ものを15年ぶりに読む。傑作と言われているものは読んでいますけど、未読作品を2冊図書館で借りてきました。『湖畔亭事件』「湖畔亭事件」大正15年(1925年)と「一寸法師」昭和2年(1927年)が収録されていて、「湖畔亭事件」は「H山中A湖」(というから箱根・芦ノ湖ね)が舞台の温泉地ミステリー。語り手の覗き趣味が高じて殺人事件に巻き込まれ、最後はお定まりの謎解き。そこはまあ普通だけど、当時の温泉宿描写がレトロでおもしろい。「一寸法師」の方が有名ですね、「へんてこ」という表現がお好きらしい。これ昭和初期にだからスルーされたのか。何回も映画になったそうだから、興味的に見てしまう人間の側面なのだろう。謎解きはともかく、おどろおどろしい描き方は乱歩ならではのもの。『影男』昭和30年(1955年)作者60代の作という。あれやこれやと奇想天外な話のてんこ盛り、初期の作品の焼き直し感もあるが、乱歩世界の手練れた描写で再び浮かびあがる、地中の楽園大ジオラマ。現代のガラス張り水族館などが真っ青じゃないかしら。いつの時代も好きなんだな、こういうのがね。いまやAIつきのゴーグルで自由自在にバーチャルな別世界へ行けますもんね。
2022年04月02日
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『最後の一葉』は昔の教科書に、有名な作品ですからよく知っているような気がしておりましたが情緒たっぷりで、もっともっと激しく、わたしの中でふくらんでおりましたたぶんそれはリライトが、ドラマが、盛り上がりを大きくしていたのでしょうかページ数にして11ページ、こんなに短かったのですね簡潔な文章、とくに売れない絵描きの老人の描写のあっさりしていることとくに嵐の夜に老人の傑作が生まれる情景はしつこかったそれに、だからか老人が努力したのに、肺炎の娘さんがあえなく死んでしまいましたという結末だったと覚えており・・・(勝手に操作してはいけません)今回280編余りの作品のうちの91編を新潮文庫、大久保康彦訳で読みつくし構成といい、意外性といいやはり名短編作家であったと改めて思った次第ちなみにわたしの好きな作品は『緑の扉』『馭者台から』『人生は芝居だ』『人生の回転木馬』『二十年後』意外性の裏側というか、意表を突いているのに普遍性なんだよなあ
2018年09月09日
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