ぶちゃママとペコママ

ぶちゃママとペコママ

ペコの誕生



長女ペコは、妊娠3回目の子供です。
結婚当初すぐには子供はいらない、って思ってました。
門限が厳しくて外泊も許されなかった私に、もっと世の中の
色々なものを見せたいと、暫くは二人の時間を大切にしようと
主人と良く遊びに行ってました。

その時は、「欲しいと思えば、いつでもできる」と思っていました。
生理も毎月きっちりと来ていたし、月経痛も酷くは無かった。

しかし、そんなに甘いものではなかった。


【不妊症を疑われる】

結婚二年目を過ぎると、どちらの両親に限らず
周りがうるさくなって来た。
自分達もそろそろと思っているところに、やいのやいのと急かされて、
挙句の果てには「どこか悪いんじゃないの?病院行ったら?」という
姑の一言で、泣きながら婦人科を受診しました。

避妊を止めて一年位で受診したので、Dr.からは
「一年では不妊とは言わないし、子宮も卵巣も正常」
と嬉しい言葉をいただきました。
「ストレスをためないように」とも。

主人に報告をすると、
「いらんことを言うな。俺らの問題に口出しするな」
と義母に電話で怒鳴ってくれました。


【一度目の妊娠】

引越しをして程なく妊娠し、ウキウキとして
近所の病院へ行くと
「赤ちゃんの袋しか見えない」と言われる
「心拍が確認できないので、来週来るように」と。
行くのが早かったかな?位にしか考えていなかったのだか
待っている一週間のうちに、腹痛と出血が始まった。

受診してみると、
「赤ちゃんの姿がまだ見えません」
「流産している可能性が90%」と言われる

『10%は大丈夫かもしれないんでしょ』と納得できない私。
腹痛と戦いながら、諦め切れないでいた。

決心がついたら来る様にとDR.から言われ
腹痛が酷くなり、出血量がいきなり増えた。
トイレから泣きながら出てきた私に主人はびっくりしていた。
真っ赤に染まった便器を未だに忘れられないと言う。


【1回目の流産】

結局、赤ちゃんは育ってはいなかった。
「稽留流産」
と言われた。
11週目だった。

手術の為に入れたタンポンのようなもの、
徐々に子宮口を広げるものだった。
無理に広げるのだから、痛みは相当なものだった。

思い切る日が遅かったせいか、体力も気力も限界だった。
やっとの思いで病院へたどり着き手術を受けることに。
あの時すぐに手術を受けていれば、痛くも無かったかもしれない。
ギリギリまで躊躇してしまったためか、麻酔もさほど効かず
掻爬手術は相当痛いものになった。
Dr.は「ほら、水しか入ってない」と赤ちゃんの入っていない
袋を見せてくれた...


【2回目の妊娠】

流産からなかなか立ち直れずに、引きこもってばかりいた。
貧血の症状がつづき、精神的にも辛い毎日だった。

ようやく前向きに考えられるようになった頃、
貧血で受診した内科で妊娠がわかった。
前回の流産のことや貧血の事、ポリープの事もあったので
国立病院を紹介していただいた。

このとき、正直妊娠は半分あきらめていた。
症状が1回目と同じだったから。
軽い腹痛と出血が若干あった。

国立の産婦人科のDr.も「流産している」と言われた。
ただ、このDR.は納得いくように説明をしてくれた。

初期の流産は、赤ちゃん側に問題があって、母体には問題が無いこと。
自然淘汰であって仕方ないこと。

手術は麻酔が効いていたはずなのに、これからって時に
血圧が若干上がったようだ。条件反射で体が痛みに対して
身構えてしまったようだった。

念のため入院した病室は、新生児の沐浴室の隣だった。
赤ちゃんの鳴き声が耳について離れなかった。
「私は、赤ちゃんを産めなかったのに」
そう思っては涙が出てくる。

歩けるようになると病室を出て、沐浴室の赤ちゃんを
新生児室の赤ちゃんをあえて見に行った。
「いつか私もママになるんだ」と誓った。


【3回目の妊娠】

結婚して3年目を迎えようとする頃、妊娠が解った。
心拍が確認できるまで、主人にも言わなかった。
「おめでとうございます。今度は大丈夫ですよ」
Dr.の言葉に涙があふれた。
その日主人に報告が涙でできなかった。
「嬉しいことやのに何で泣いてんねん」と不思議だったに違いない。
「おめでとう、って言われた」と号泣したのだった。

しかし、安定期に入るまでは親にも言わなかった。


【初めてのマタニティーライフ】

つわりは想像していたものとは違って、吐くほどのことは
めったに無かった。
しかし、ご飯の炊ける匂いや焼き魚の匂いには参った。
食料品売り場では、足早に買い物を済ませ、
惣菜コーナーには近づけなかった。

お腹の張りは、常にあった。
長く歩いても、荷物を持ってもお腹が張った。
いつもショッピングカートを引いて、買い物に出た。
エレベーターの無い3階へは、重いものを持ってあがるのは辛かった。
ある日、ポストに洗濯洗剤を入れておいたことがあった。
主人が帰宅したら、持ってあがってもらった。

健診の度に電車を乗り継ぎ、お腹の張りが強くなると
座って休み、エコー写真で赤ちゃんに会えるのが
楽しみでならなかった。

エコー検査の時には、手を振ってみたり、
にっこり笑ってみたりと、とても可愛かった。
早く会いたくて会いたくて、
張り易いお腹を撫でながら、ず~っと話しかけていた。

近所に大きな公園があったので、良く散歩もした。
とても穏やかな気持ちになって、
「お花きれいね」なんて、話しかけながら散歩をしていた。
ベンチが沢山あるので、疲れたら腰掛けて、
お腹を撫でながら、歌ったり話しかけたりしていた。


【出産】

38週の健診時、Dr.から
「うん、いつ生まれてもいいよ。産み頃やね~」と
まるでスイカの出来具合でも探るかのように
お腹を触って言った。


帰宅してから、もう一度入院バックを点検し、
ふと不安になって次の日に買い足しに出かけた。
バスに揺られて大型スーパーへ。

入院の準備も整ったし、のんびりと新聞なぞ読んでいると
ぐにゅぐにゅぐにゅ~といつもとちがった胎動。
「狭いよ~苦しいよ~」とでも言いたそう。
「そんなに窮屈なら、産まれてきてもいいよ」なんて語りかけてました。

その日の夜中に破水した。

不思議と慌てないものだと思った。
一瞬おねしょをしてしまったのかと慌てて
トイレへ入ると、お印らしき出血もあった。

病院へ電話をすると、すぐに来いとのことだった。
タクシーが捕まらず、その頃、車が無かったので、
主人の友人に来てもらって病院まで送ってもらった。

破水はしたものの、
「羊水は沢山あるから、自然分娩でいきましょう」と
Dr.が言ってくれた。
陣痛も来てるし、さほど時間は掛からないだろうと皆が思っていた。

陣痛は8分間隔からなかなか進まない。
子宮口も全開にならず、陣痛も一進一退を繰り返す。

駆けつけてくれた実母がそばについていてくれたが、
陣痛を逃すために、ベットの上で布団を丸めて抱えるようにして
座る姿勢が楽だった。看護婦さんたちには心配されたが、
甘えるのが下手な私は「大丈夫」といい続けた。

吐き気を伴う陣痛に、食事もとれず、お茶を飲んでは
噴水のように吐き、点滴の管と心電図や赤ちゃんのモニターの
コードに囲まれて、体の向きを変えるのも一苦労だった。

回診時に先生から「あ~反対に回ってる」「あご上げてる」
と言われても、(だからどうなの~?????)
「時間かかるよ~頑張ってね。赤ちゃんも頑張ってるから」と。

長期戦に入り、疲れた母は、半分空いているベッドの
私の足元側で横になっていた。

Dr.や看護婦さん、助産婦さんたちが代わる代わる様子を
伺いに来てくれた。
何せ、陣痛室に後から来た人たちが、どんどん
分娩室へ移動していって、とても焦っていた。

「赤ちゃんの心音は力強いよ、頑張ろうね」
「大丈夫、長いけど頑張ろうね。ちゃんと詰め所で見てるから」

24時間を超えた。
待合で待機していた主人は一旦帰され、再び呼び出された。
「時間が掛かっています。正午までに生まれなければ帝王切開に移ります」
とDr.が説明すると、
「今すぐにでも切ってくれ」と叫んでいたようです。
母体が持たないとか、いろいろと脅かされて、
一人待ってる不安が大きかっただろうと思います。

そうこうしているうちに、ようやく出産が近づき
分娩室へ移ることになりました。
陣痛の合間を縫って、ベットから分娩台へあがると
お腹がグぅ~となるではないですか。
のまず食わずで30時間、生む体力が残ってるの?と
不安になった。と同時に緊張が解けたのか、自己暗示を掛けようとしたのか
「お腹空いてきた~」と助産師さんに告げていた。

「赤ちゃんと一緒に頑張ろうね」
そう、ず~っとお腹の中から一緒に頑張ってきたんだもの。
出産だって頑張れる!!

分娩台へあがったら、あっという間に生まれた。
「ひっひっひふぅ~」は一度も言わなかった。


【対面】

破水から34時間後、ようやく、3,110gの女の子(ペコ)の誕生です。
11日早く生まれたのに、大きいな~

「いや~この子目開けてるわ~」と助産師さん。
「見えてるみたいやね」とDr.

産まれてすぐに胸に抱かせてもらって、
ぱっちり開いた目が驚きだった。
ちっとも、赤ちゃんらしくなくって、

しわがない、つるんとしてるし、
(3,110gだと、ちゃんと出来上がってるんだ~)

ぎゃんぎゃん泣かないし
(産まれてすぐ泣かないから、心配した。一応二泣きほどしたので安心)

目は開いてるし
(部屋中見渡してる、先生と目が合ったらしい)

両手は開いてる
(幸せを握り締めて産まれて来るんじゃないの?)

「初めまして、よく頑張ったね~」
初乳をあげながら、長い指を見つめていた。
(この子キレイな手してるな~まつ毛長いな~)

その日は、10分おきにお産が重なって、先生も助産師さんも
てんてこ舞いだった。
お陰で、ゆっくりおっぱいもあげられたし、
じっくり観察させてもらった。

「もう産みたくないんじゃないの?」って
助産師さんに言われたけど、
「ううん、また産みたい」っていってびっくりされた。

病室へ帰ってからは、嬉しくって、嬉しくって、
歩行OKの時間が待ち遠しかった。

歩けるようになると、新生児室のガラス越しに
ず~とペコを眺めていた。
看護婦さんたちからは「大丈夫?」って心配されるくらい。

その分翌日、死んだように眠っていた。
妹が「ねえちゃん、ぼろぼろ...」とつぶやいてた。

沐浴は、見学です。
看護婦さんたちから「可愛い」って言われるたびに
にまにまと笑いがこみ上げてきました。
(それ、うちの子です♪)

7日、七夕だと言うのに、ペコは保育器の中だった。
黄疸がでたとのことで、24時間の紫外線治療?
目隠しのテープを張られ、何だか痛々しい...
手だけ入れてもいいっていうことで、搾乳のおっぱいをあげて、
頭や顔、体を撫でながら、「七夕」の歌を歌っていた。
涙がぽろぽろ出てきてしまって、「病気じゃないんだから」って
何度も何度も自分に言い聞かせていた。

せっかくお見舞いに来てくださった親類の叔母様たちに
ず~っと頭を下げていた。
ごめんなさい、ごめんなさいって。


© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: