近鉄ファンのススメ

俺は近鉄ファンである。

俺のことをよく知ってる人たちにはしつこくなるのでおすすめしないが、

このページ意外にも俺の知らない人とかも訪れてるみたいなんで、そんな人たちにひとつ言っておきたい。


近鉄ファンになりましょう。


近鉄はほんまにみてて楽しいチームである。

ここでは近鉄がどんなに魅力的なチームかをつたえるために、

おれが近鉄ファンになったきっかけなどを交えて書きたいと思う。


近鉄ファンになった瞬間

何しろ近鉄ファンになったのはもうかれこれ11年も前の事なので

しっかりとしたことは覚えてないが、ひとつだけ頭に焼き付いているものがある。

ブライアントのホームラン。

11年前といえば1991年。

あの10・19そして89年の優勝、加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言から

まさかの日本シリーズ3連勝から4連敗で日本一を逃すという無念の年のよく翌年。

近鉄はまだ強かった。

近鉄を知るきっかけとなったのはおばあちゃんちが当時の本拠地藤井寺球場に近かったという事。

行く前は野球のルールすら知らなかったので、もちろんまったく興味がなかったが、

球場に行って少し気分が変わった。

「なんかここテレビで見たことある」

これが藤井寺を見た当時9歳のおれの第一声だ。

それまでテレビで見たことある場所にいったことなかったので、

テレビの世界と現実の世界を別々に見ていたのだが、

それがはじめて融合された瞬間だ。

なんか自分がテレビの世界にいるような気がしてわくわくした。

そしてその日みた試合の内容がこれまたそれ以上に感動した。

ほんとのこというと、試合内容というよりブライアントに感動した。

ブライアントを知ってる人は多いかと思うが当時の近鉄いてまえ打線の主砲。

ホームランか三振しかしない。

その証拠に89,93,94年にホームラン王に輝いている一方89,90,92,93,94年には見事三振王に輝いている。

しかも歴代シーズン三振記録の1位から4位は全部ブライアントだ。

93年は204個もしてる。ちなみに5位は西武のデストラーデで165個だ。

どれだけブライアントが三振したかわかってもらえるだろう。

試合のほうに戻ると、その日もブライアントは炸裂した。

詳しい事は覚えていないが、俺の記憶によると場外ホームランと三振の山だ。

場外ホームランは今でも鮮明に覚えている。

藤井寺の夜空にボールが消えていった。

恐ろしいパワーだった。

それ以上に子供心にビビッタのが、三振。

豪快に三振するのはもちろんの事、そのあとバットを折ったのだ。

しかもまるで発泡スチロールのバットでも折るかのように軽がると。

あれにはおったまげた。

それから俺はブライアントをみるようになった。

そんなにしょっちゅう通った覚えはないが、おばあちゃんちにお盆休みなどで行ったときに

見に行ってたようなきがする。

そして気付いたら近鉄ファンになっていた。

みているうちに近鉄の選手みんながすごい事に気付いたのだ。

そーなるといよいよとまらなかった。

月日は流れるが、高1のときついに(遅すぎだが)ラジオというものに気付いてしまった。

それまで近鉄の試合はみたくても、せいぜいテレビで年に数回。

球場に行くのも1,2回だったのではまろうにもはまれなかったが、

ラジオはすごい。ほぼ全試合生中継。

はまった。

まじでやばかった。

テスト前でも欠かさなかった。

そのころはもう球場も大阪ドームに移り、ブライアントも石井もいなくなって、

旧いてまえ打線から新いてまえ打線への変換期だった。

新いてまえ打線にはノリ、クラーク、ローズがいた。

いまでこそノリ、ローズはブレイクしたらしいが、当時は一般人にはほぼ無名。

でも実はそのころからすごかった。

そして新いてまえ打線にはちゃんと旧いてまえ打線の豪快さみたいなのが伝わっていた。

俺がただ一つ近鉄に求めるのはこの豪快さ。

近鉄がこんな野球を続ける限り、アメリカに来ようがどこ行こうがファンをやめられない。

YAHOOのライブ中継を20秒毎に更新するのもへっちゃらだ。

もしこれを読んで興味が湧いた人はさっそく近鉄ファンになる事をおすすめする。

日本にいる人はまず試合を見に行きましょう。

今年は残念ながら優勝は逃してしまったけど、まだ見所はあります。

近鉄はいつだってその豪快さを欠かしたことはないから。。

長々と書きましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。

いやー、いいたいこというと気持ちいい。



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