別離・待機




人生に出会いがあり、出会いがあるから別れもある。

席替え、クラス替え、転校、卒業、引越、留学、転職、離婚、再婚、家出…
出稼ぎ、単身赴任、出兵、懲役、事故、病気、…誕生と死別。

一期一会?
別れは、次の出会いの為にある?
別れても好きな人?
津軽海峡?

恋愛の「別れ」は、理解に苦しむ。

例えば、親や友人や勤務先の人間と、ひどく喧嘩して、絶交状態になるような、
恋人との別れも、そういう類の別れなら納得できようが。

「他に、(アナタより)好きな人が出来たから」とか
「恋人として見られなくなった。友人として続けよう」とか

いままでと、どういう違いがあるのか?
どうして違うつながりに変えねばいかんのか?
宣言して??
そんな風になる可能性のあるつきあいって、ナンナンダ?

親ではなく、兄弟から突然
「お前は今日から俺の兄弟じゃない」って突きつけられた感覚。
もちろん様々な兄弟がいると思うが、ここでは単純な意味で。

“父”と“母”は家族ではあるが、厳密に言えば他人同士。意志の疎通も大切。

“兄弟”は、お互いをわざわざ尊重しなくとも、ただ血を分けたつながりがある。
つきあう、って、そういう関係に近い。(あくまで、rauhinn的には)

とある友人曰く「一度好きになってつきあった人は、別れても嫌いにはならない」

また他の友人は「一度別れた人とは、絶対またダメになるから復縁はしないが、
        一度深いつきあいをお互いに経験したから、つきあい方がわかるので
        友達としては、ずっとつきあっていける」

また別の友人は「フッてもフラレても、気まずいので、連絡は一切取り合わない」

…いろんな意見があるが。
「別れ」たから、こういうつきあいにしなきゃいけなくなる、なんてナンセンス。
「こういうつきあい」になったから、別れた事になった…と、言う方がまだわかる、理屈では。


自分はやっぱり、つきあうとか、恋人とか、皆目検討がついていないようだ。

なんとなくその人と仲良くなって、好きな部分も、そうでない部分もあって、
それが人間だしね、と納得したり、どうして違うんだ?と憤慨したりして。

…自分から、離れよう・別れようなんて思わないし、思えない。
そりゃ、意見の違いや気分で、少し離れていたい時もあるけどさ。

偽善なのか、自己防衛なのか、他人を嫌えない。
そういう自分に、自ら苦しんでしまっている。
時に自分を責め、
時に同道巡りをし、
現実を否定し、世の中を斜めに見る。

TVドラマを真似た「つきあってるんだから、こうでなきゃ」も、
「別れたんだから、こうでなきゃ」も、もちろん、ない…。


本当に、冷静に、「別れ」にどう対処したらいいのかわからない。
どう理解したらいいのか、どう納得したらいいのか。

頭では、自分を慰める事のできる言葉がたくさん浮かぶ。

でも、人を嫌えない。嫌う必要もないと思っている。
自分も否定したくない。過去の自分も。現在の自分も。

失った恋の相談を友人にすると、よくこう答えがくる。
「そんな簡単に割り切れないから、連絡取らないようにして、早く忘れなさい」

…?…どうして、そんな事をする必要があるのだろう?

自分が、哀しみ・苦しみから逃れる為に?
ただ、その為に?

生きてきた自分の人生の一部を、消す事は出来ない。
消さねばならない、と思う事さえ、嫌だ。
恋愛に限った話ではない。

…どうして、そんな必要のある出来事に出くわすんだ?

自分の行動が、よもやこんな妙なラストを迎え、
「仕方ない、理由はいろいろある」と頭で理解するのは別にして、
兄弟のつながりを断つような、こんな不可解な出来事を生むとは。


「別れ」には、いろいろ理由や原因がある。
…うん、わかる。
親しい人と離れなくてはならない哀しみを緩和する為に、忘却しようと試みる。
…うん、わからないでもない。
自分が選んできた人生に、良い出会いがあり充実していた。
…うん、そうともいう。


記憶は、自分そのものだ。
無くなったら、自分で無くなるのと同じだ。

その自分を、消す。
思い出を消す。
良い思い出に、変える。変わるのを待つ。
成長の肥やしに、変える。変わるのを待つ。

待つ。待つ。待つ。

私の言動で、傷ついた方、ごめんなさい。
私には、待つことしか出来ないようです、今は。


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