優しいって?親切って?




★★★たった今、やらなきゃいけないことに出会える幸せ★★★2001年12月11日・31日更新

体が勝手に動いた、第三者から見ると『親切な人』の行動。
自分の行動を、なるべく冷静に、細かく振り返ってみたいと思う。


■■
■■……自分が小学4年だったか、登校班で並んで学校へ行く途中、
低学年の子の重そうな荷物を持ってあげたことがある。
最初素直に「重そうだな、持ってあげよう」と感じただけだったのに、
そのうち「自分は優しいな、偉いな」というような感情が占めてきて、
いいことをしている優越感と、
そんな風に思ってしまう腹立たしさがごっちゃになった。

「やさしさ」は、本人が「自分はやさしい」と感じてしまうと、
なんだかおこがましいモノになる気がする。
でも相手が、ちゃんと「やさしくされた」と思うなら構わないのだろうか?


電車内事故遭遇。
■■
■■……数年前、電車で移動中。
電車が駅に着いた時、若いお母さんが抱いていた赤ちゃんの腕が、
開いた電車のドアと一緒に引き込まれてしまった。
赤ちゃんの腕は細くて痛くはないらしい。きょとんとしている。
母親の方が驚いてしまい、腕が戸袋にはさまれた赤ちゃんを抱いて半泣き状態。

目の前だったので、瞬間、自分は何をしたらいいのか?と思った。
ぱらぱら駅員がきて、細い戸袋の隙間に数人で指を差し入れ、
その力でドアをゆるやかに引っ張り出そうとする。
私もその手伝いをし、指を差し入れて一緒に引っ張り出そうとしたが、
そのうち赤ちゃんも泣き出してしまい、うまく腕が抜けない。
半ベソの母親に「がんばって!」と言った。

気付くと駅員がもっと集まってきて、大勢で同じ作業を始めた。
私は1歩離れて見守っていたけれど、どうにもじれったく、
素人ながら「ドア、自動で閉められないんですか?」と聞いてみたが
出来ないらしい…。

…ずっと、動悸が止まらない。
どうしよう?腕が折れてしまったら?怪我をしてしまったら?
まだこんな小さいのに、一生腕が変形してしまうことにならないだろうか?
このお母さんも自分を責め続けていくことにならないだろうか…?

そして、やっと腕が抜けた。
母親は赤ちゃんを抱いたまま、ホームにぺたんと座り込んでしまった。
駅員たちは慣れているのであろう、すぐさま持ち場へ散ってしまった。
私は、知らず、涙が出ていたが、発車するというので電車に乗った。
ドアが閉まる前、
自分の正面に、まだ放然と地べたに座っているそのお母さんがいた。
「がんばってくださいね!」と言うのがやっとだった。
ホッとしたのもあり、自分も涙がすぐには止まらなかったのだ。

赤ちゃんの腕は大丈夫だったのか?
どこかへ行く途中だったんだろうに、これから病院へ行くのだろうか?
動悸が次第に収まるのを感じながら、そんなことを考えていた。

■■
■■……また、別の時。
出勤途中の地下鉄の駅。わりと空いている時間。
私が降りたとたん、車内でドサッと人が倒れた。
その人もこの駅で降りようと椅子から立ち上がった時に倒れたらしい。
周りの乗客もすぐかけよって様子をみている。
私は一番前の車両だと言うのに、車掌へ、地下鉄のホームいっぱいに響くよう
「ドアを閉めないで下さーーーい!!」と、叫んで、
その後すぐ近い改札へ走って行き、駅員に事情を話した。
この時も駅員は慣れているようで「はいはい」と出てきた。

倒れた人は意識をやや取り戻したようで、這うようにホームへ降りてきた。
「貧血かなぁ?少し休んだら?」と駅員のオジサンののんびりした声。
周りの私を含めた出勤途中の乗客はその声に安心して、その場を離れて行った。


■■
■■……また、別の、これは帰宅途中の電車内。
まだ次の停車駅まで時間があるという時に、私の後ろの方でゴトン、と音がした。
とても混んでいて、どこかで大きな荷物でも落としたかと思ったが、
振り返ると、人の波の中で、やや高齢の痩せた女性が倒れている。
「大丈夫ですか?」と、そばの男性が声をかけているが、
白目をむいて、口元に泡まで吹いて、意識が薄いようだ。

他に手をかける人がいないようなので、近寄ってしゃがんで支えた。
その人の肩を抱えて、さてどうしよう、といっても次の駅までまだかかるし…
…すると、意識がちょうど戻った。
「あら、あたし、また倒れちゃったの。恥ずかしい」と、立ち上がろうとするので、
じきに停まりますからこのままでどうぞ、とずっと肩を抱いていた。
なぜか、支えているはずの自分が安心感を感じるような気がした。

で、混雑した車内で二人しゃがんだまま駅に到着。
ゆっくり駅のホームへ降りると、その女性の物らしい荷物を
持ってくれていた男性が、無言で一緒について降りてきた。
親切な人だなぁ、と思ったら、その二人、ベンチに並んで座った。
その女性のご亭主か息子か、なんにせよ連れの方だったのだ。
なんだか私は、余計なでしゃばりをした気がして、
その場をそそくさと離れた。


■……今「いちばんやるべき事は何か」考えられて「行動できる」のは、
ある意味、非常に気持ちがいい。動悸や不安もあるが、精神衛生上、良い。
本当は、普段日常からそうあるべきだと思うのだが……

交通事故遭遇。
■■
■■……春頃だったか、仕事を終えて勤務先のビルから出て、
芝居の稽古へ向かう為に大通りを数十メートル歩いた所で、
向かい側の、反対車線でドン、と音がした。目撃した女の子の悲鳴。
交通事故だ。
道に乗用車が斜めに停車し、その影から倒れた人の腕が見える。
動かない。
夕方でいつもにも増して人が多く、車やバイク、自転車でごった返している。

めまいに近い感覚に襲われながら、頭で何をするべきかぐるぐる考えていた。
まず、救急車だ。
PHSで119を押す。指が震えている、と思ったが、全身震えていた。
なかなか出ない。早く出ろ、死んでしまったらどうする。
やっと繋がると、以前の駅員と同じ、悔しいくらい穏やかなのんびりした声で、
「消防ですか?救急ですか?」「どうしました?」
「場所は?あなたの名前と電話番号は?」
「では向かいます」
自分の方は、何も隠せないハダカみたいな声なのだ。
「あの、他にも同じ連絡してる方がいるかも知れませんが…」
「えぇ、反対車線で様子はよく見えないんですが…」
「ただ通りすがりで、実際目撃してはいないんですが…」

電話を切り、とりあえず、人が倒れている通りの向こう側へ渡った。
通りから駐車場に入ろうとした、中年位の男性達の普通の乗用車が、
バイクを引いていた若い男に接触したらしい。
道路に倒れたまま微動だにしない。大きく怪我はしておらず、血も滲む程度。
しかし、どこか強く打ったかもしれない。

「すみません、勝手に救急車呼びました」
口早に、当事者の運転手に言っておいた。
意識をなくし倒れている以上、本人に勝手に触れない方がいい。
そのまま、ガードレールをつかんで祈りながら救急車を待つしかなかった。
人通りが激しいが、しかし、皆横目で通り過ぎて行く。
自分が立ち止まってどう出来るというわけでもないから、歩き去るのも解るが、
なんだか怖い。こんな状態の人を見て、どういう感覚で通り過ぎるんだろう?

救急車がこない。道も非常に混んでいるから、仕方ないが。
と、彼が意識を取り戻した。ゆっくり頭を起こし、腕の怪我に目をやっている。
「だいじょうぶ、すぐ救急車がくるよ。安心してな」と背中を軽くさすった。
すると、蚊の鳴くようなかすれ声で「スミマセン」と返事したので、
「あやまらなくていいよ、だいじょうぶだよ、平気だよ」と笑って返した。
なんと言っていいのか、わからない。
自分が冷静なのか、慌てているのかも、わからない。面白い感覚だった。
近所のビルの人が、水やタオルを持ってきてくれた。

それにしても、救急車がこない!
と、遠くから巨大な消防車が2台連なってきた。仕事帰りらしい。
中から職員達が、倒れている彼や私達をじろじろ見下ろしながら去っていく。
この人も連れていってくれ!!
続いて、やっと反対からサイレンが聞こえてきた。
少年のそばを離れ、勝手に反対車線の車に合図し、救急車を誘導しようとしたが、
近付いてきたら「ガス緊急車」みたいな普通のバンで、通り過ぎてしまった。
「なんだ、違うのか」まわりのオジサン達も思わず口にしていた。

そのうち彼は、上半身起き上がっているのが辛くなってきたらしく、
身動ぎを始めたので「寄り掛かっていいよ」と膝枕をした。
だんだん重みを増してくる。
私の膝で死なないでくれよ、と祈る思い。
と、当事者のオジサンが近寄り「お知り合いですか?」と私に聞いてきた。
私は「いえ」と短く答えた。こんな状態で聞くな!
この彼が、今この状態で、いちばん会いたい人や好きなタレントかなんかを
うつつにイメージしてるかも知れんではないか(笑)。

果たして、救急車が到着したのは、私が電話してからジャスト15分だった。

救急隊員の方は一言「ありがとね」と軽く声をかけてくれただけだった。
私の使命は終わった、と思った。
警察官たちが現場検証しているのを、わずかな間無心に眺め、立ち去った。

その後、現場に花束が飾ってあったらどうしようと思ったが、なかった。
どこかで達者にやっているといいなぁ…。

翌日、こうなったら仕事を辞めて一日中、道を歩いていようか、と考えた(笑)。
人の命を救える事に繋がるのなら、充実した生き方ではないか?

そもそも「その人」が、家族や大事な友人と、どう違うと言うのだ。
大好きな人が意識不明で倒れているのを、素通りできはしない。
私には、そう見えるのだが……。

■■
■■…以前、新大久保駅で、線路に落ちた酔っ払った人を救おうと、
線路に降りた韓国人学生の男性と、カメラマンの男性が、
その人と共に電車に引かれ、亡くなってしまった事故があった。
とても、他人事ではないと思った。
その場にいて、自分に出来る可能性を感じたらきっと行動してしまうだろう。
その男性二人も、出来るであろうと思ったからこそ、降りたのだ。

TVで、それぞれのご家族や友人のコメントを拝見した。
占める思いは「まさか」ではなかった。
「あの人ならやりかねない」「そういう運命だったのでしょう」

■ 
…宮沢賢治の作『銀河鉄道の夜』を思い出した。
少年カムパネルラは、川に落ちた友達のザネリを助け、
天国への銀河鉄道に乗っている。
「おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか」
「ほんとうのしあわせのためなら、きっとゆるしてくれるだろう」
「けれども、なにがしあわせか、ぼくにはわからない」


他人の命を助けて、死んでゆくのが良いか…
(死んでゆく、とは、この先の事をすべて放棄してしまう事にもなる。
 家族や友人の悲しみや不幸にも繋がる)
完全な可能性でなければ、無理をせず、本意にそむくのが良いか…
(一生、その苦しみを背負う事になるかもしれない。
 他人の目、そして何より自分の心が傷を負うだろう)

カムパネルラの父親は、懐中時計を見て穏やかに言う。
「川に落ちてから45分経った。もう見つからないでしょう」


…新大久保の事故を聞いた後、私は家族や親しい友人に伝えた。
その場にいて、自分に出来る可能性を感じたらきっと行動してしまうだろう。
後先を考えられないだろう。きっと、動かずにいられないだろう、と。
もしもの時はごめんなさい、と。
そして、恋人や結婚相手は持たない方がいいだろう、と思った。
自分よりも信念を大事にされては、相手も気の毒だ。


話が少し逸れるが、エジプト考古学者の方が言っていた。
「なぜ独り身でいるかというと、給料全部エジプトの勉強に使ってしまったら、
 奥さんは困るでしょう?だから結婚しないんです」
それは、奥さんなるものに対する優しさであるかもしれない。

角度を変えたら、とてつもないワガママかもしれないが。

おおきな、おおきな、優しさかもしれない。


……じゃあ、私は……??


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