DERICIOUS!

DERICIOUS!

桜に仰ぐ


入学式当日のその日、校庭のど真ん中に大の字になってうつ伏せに寝転がっていた俺を見つけると、清水は爆笑しながら走って近づき、俺を指差しながら大声でそう言った。俺は顔だけを清水の方に向け直すと、「かーちゃんが、まず最初に学校の地面に感謝しとけって。それが礼儀やって」と答えて、目を閉じて心の中で「ありがとうございます」と念じた。すると清水は笑いながらも、「俺もそれやっとこ!」と言って俺の隣に並んでうつ伏せに寝そべった。俺は目を開いて寝ころんだ清水と向かい合い頷くと、静かに目を閉じた。
清水が大きな声を出したせいで、他の同中の奴らまで集まってきてゲラゲラと笑い声を上げている。清水が隣に寝ころんだ坂田に説明すると、坂田は隣に来た奴に同じように説明し、そのようにして同中の男子生徒達は次々と広々とした校庭に寝そべっていった。

新米の教師らしい若い男性が走って近寄ってくるのが見えると、俺は少し顔を上げた。教師は息を切らしながら俺や他の奴らを一通りまじまじと見つめた後で、俺から一番遠くに寝ころんでいる生徒(多分頼重)に向かって問いただした。
「君達、新一年生だよね、今日、入学式なんだよ?!ここで何してるの!?」
「テルの真似して大の字に寝ころんだら、美里さんのオパーイを入学祝いに揉ませてもらえるって」

「は?!誰だ、それ言い出した奴!」
美里というのは俺の母親である。俺が半身起き上がって、大きな声でそう言うと、一番端の、やっぱり頼重が「俺は、こいつからそう聞いたんだよ」と言って一人前の高橋を指差した。
「俺も、美里さんのパイをもめる権利って」
「俺も、こいつから」
次々に生徒達が「俺はこいつから聞いた」と言い合っていると、山口と武林の間で「俺は言ってないよ」「いやお前が言ったんだろ!」と小競り合い始めた。

「山口~~!!」
俺が名前を怒鳴るように呼ぶと、山口は「お、俺じゃねぇって!!」と大きな声で返す。

「何でもいいから急いで。入学式、始まるから!」
若い男の先生がそう言ってもう起き上がっている頼重の隣の生徒の腕を引っ張って起こし、体育館に向かって走り出したのに続いて、他の奴らも大袈裟に慌てたように、「おい、急ごうぜ!!」と騒ぎながら体育館に向かって走り出した。俺と清水も慌てて走り出す。

「お前、砂めっちゃ付いてるやん!!」
「いや、お前もだろ!!」
「新品の、学生服が!!」
「俺は、お古だから別にいいや」
「お前のかーちゃん、息子の成長に欲張りすぎやろ、ブカブカ過ぎやん!!」
「あっそうかチンチラ?俺らチンチラ?!」
「えっ?!何で?!何でチンチラ?!」
「ネズミって、砂風呂入るんやん」
「なるほど~~清めたのね、入学式の前に一っ風呂浴びたわけか」
「なんでやねん!これがオパイーの代償か」
「払え!払え!!」
「払えたまえ清めたまいぇ~~ぃ」
「うわっ!!げほッ、ゲホッ!!砂ぼこりめっちゃ舞ってんやん」
「早く!!走ってーー!!」
「ていうか、山口ーーー!!」
「お、俺じゃねぇって!武林だって!!」
「武林!武林に、決まってるわ!!」
「それもそうか、タケちゃんだよなそういう事やるの」
「武林ーーー!!」
「じゃあ!認めたら美里さんのオパイーー揉ませてくれんのかよ!!」
「訳ねぇだろ!!」
「ていうか認めたな今ので」
「走れ、走れメロス達ーーー!!」
「あーー、なんか今俺メロン食いたくなったーー」


「いただきます!」
「よく噛んで、ゆっくり、味わって食べるんやで。味わって食べないと、せっかく美味しく作ったのに、もったいないでな」
「お母さん、毎日料理、偉いねぇ」
「お母さんは、調理してるだけやで。ほら、調理するだけって言っても、なかなか大変な仕事やから、まぁ偉いけどな」
「自分で!偉いて!」
「うん。お母さんっていうのは、自分で褒めないと、やってる事、誰も認めてくれないからね。そやけどねテルちゃん、料理は、材料が無いと作れないのよ。もし八百屋さんが野菜売ってくれはらへんかったら、毎日のご飯食べられないでしょ。だから、八百屋さんにも偉いって、思うんやで。ありがとう、いただきますってな」
「分かった、八百屋さん、ありがとう、いただきます!」
「そうそう、それと、肉屋さんもやね。お母さん、お肉だけは、絶対に自分でさばけない。肉屋さんには、本当に頭が上がらない。お野菜は少しは育てられても、肉だけはさばけない。そやからお肉屋さんにも、格別のありがとう、いただきますを」
「お肉屋さん、ありがとう!」
「そして、お米屋さんにも。白いお米は、日本人の心そのものやでな。お米さえあれば、肉も野菜も無くても、何とかなる。お米は日本人の心であり、命やで」
「お米屋さん、白くて甘くて、美味しいお米、毎日ありがとう、いただきます!」
「そうそう、それで、テルちゃんがいただいた食べ物、テルちゃんの体の中であんじょう働いてくれはるからな」

俺の母が俺が幼少の頃に俺に吹き込んだありがとう神話の一つである。そして高校入学式の今日の朝、母は玄関で俺に向き直り、目新しい制服姿の俺を上から下まで見て満足した後で、「高校の校門くぐったらね、まず、高校の校舎と向き合って『僕を迎えてくれてありがとう、よろしくお願いします』と、次に校舎を支えてくれてる地面にも、ありがとうと伝えるんやで。とにもかくにも、大地に感謝しといたら、あとはあんじょうやってくれはるさかい」と俺に玄関で念を押した。俺は「分かった」と頷いて、それが先ほどの校庭での有様の理由である。

俺と同中の男子達の間で、俺の母親の美里は「ありがとう神話」の教祖という地位を獲得し、大層人気がある。やつらの間には俺に断りもなく、「美里神話」なるものが成立していた、というのも、俺の母親の美里は美人なのだ。男というものは、とかく美人に弱い。男は美人でありかつ母親という立場の女性の言いつけには素直に従う生き物なのである。

「であるからして、新入学生である諸君は青春を謳歌しつつも規則を守り、勉学に励み、健全な学生生活と自己実現に邁進し。。。」

母子家庭ということもあり、母は常に俺の同学年の保護者生徒の奴らに不必要にへりくだる癖があった。俺の母親である美里は俺が友達を家に連れてくる度に俺の頭を一緒に下げさせて、「この子、こんなんやけども、仲良くしてやってね」と言った後でやや憂いのある笑顔を見せた。友達という友達がその時に目と口を丸く開いたまま、頬を赤らめて「はい!」と元気よく答えるのを何度見た事だろう。

「おい、やっぱり武林だってよ。後でボコらないとな」
後ろからチョンチョンと肩をつついて、頼重がひそひそとそう言った。頼重は幼稚園からの付き合いで、一番の幼馴染である。
俺は無言で頷き、やっぱり武林かと思った。

1年Cクラスの教室で、校庭でドミノのように並んで寝そべっていた清水や田中とも同じクラスだった事を喜びながら、頼重が「なんだ、嘘かよ。だったら新品の制服汚してまで、校庭に寝ころんだりしなかった」と言った。
「あぁ~~、ミサトさんのオパイーーがーー」
「止めろよ、テルちゃんガチマザコンなんだから」
「別に。嘘ネタに振り回されるようなガキじゃねぇし。だって俺。。。高校生だから!」
「そうだぜ~~俺ら今日から高校生~~フーーゥ!!買い食いも出来るしぃ~~!」
「原付の免許だってとれるしぃ~~!!」
「バイトに、夜遊びに?!」
「結婚も、出来るな」
「いやそれは出来ないだろ。確か、18からだよな」
「俺、ミサトさんと結婚するわ。輝航よ、我が息子よ」
「だから、そういうの!テルちゃんは怒るぞ」
「。。。いい加減にしないと」
「はい引っかかった~~!!ガチマザコン健在~~!!」
「。。。アホかと」

直ぐ隣の席に前後で座ってこちらを見ていた女子達が、クスッと笑って「中学生ね」と言った。そうなのだ、俺達は成りたての高校生、まだまだ頭は中学生の延長線上。
無言で同意していると、ガラガラとドアが開いて、校庭で俺達の所に走ってきた若い先生が姿を現した。
そのようにして俺達の高校生活は幕を切った。


Cクラスの担任になった米山先生は教師歴3年目だという。その時俺と先生は生徒達の机と椅子の殆どを教卓側に寄せた空間の多い教室内で、母親が来るのを待っていた。その日は三者面談で、三者面談は入学式からそれほど日を置かずに設けられた。母は何とかその日のシフトをさいて、同席するという。別に強制じゃない、他の生徒にも予定が合わないから先生と生徒のみ二者面談でという奴もいると言ったのだが、母は「最初が肝心なんよ」と言って聞かなかった。
「中坊じゃないんだから。俺一人で先生と話ちょっとして、終わりやって」
「何言うてるの、高校生になったくらいで。お母さんにしてみたら、昨日のテルちゃんと今日のテルちゃん、何も変わってないよ」

「進路の確認だけど。海士部(アマベ)君は進学希望だよね?」
「俺は本当は就職したいんすけど。母親が『大学は出なさい』と言うので。母が言うには、高校の友達も良いけど、大学の友達はまた違う苦楽を共にするからと。勉強もして欲しいけど、それよりも人間関係のつながりを作る方が大事だと」
「僕は、お母さんが進学させてくれると言うなら、迷わずに進学すべきだと思う。いいご両親じゃないか」
「うち、片親なんで」
「あぁ、そうなんだ。ならなおさら、良いお母さんだね。苦労なさってるんだ」
「はい。だからこそ、俺が家計支えたいんすけどね。。。」
「それは、僕に言わせれば、君のプラスにはならない。お母さんのプライドも、あるだろうし。。。」

「遅れてしまって、申し訳ありません」
世間話のような会話になりかけた時に、母さんが後ろの教室のドアを開けて入ってきた。急いで来たようだけれども、息は整っている。もしかしたらドアの外で俺の声がしたのを、少し聞いていたかもしれなかった。

母が教室に入ってきて俺の隣の席に座るまでの間の米山先生の表情の変化は、これまで何度か母を目にした後の男性の先生が見せたのとほぼ違いは無かった。口元がほころんで開き、目が輝き、だらしないというか、ある意味ではやや間抜けな表情だ。

「お忙しい中、すみません。少しの時間だけなんで」
先生が恐らく無自覚に微笑みながらそう言うと、母親は小さな紙袋を差し出しながら机を挟んで先生に会釈した。先生は「そういうのはちょっと。。。」と濁し、母は「ああ、そうですよね」と言いながら椅子の背の方にそれを置いて、先生に促されると椅子に浅く座った。

「ええと、進路の確認なんですけれども。海士部君は進学希望でよろしかったですね?」
「はい、そうです。そうよね?」
「ああ、うん」
「それで、いわゆる難関大学、東大とかですね、は、目指してはいないと」
「はい、普通科ですので。そうよね、テルちゃん」
「まさか俺が、東大行けるって信じてへんやろ?」
「そういう明け透けなこと、先生の前で言わないの。すみません」
「何も謝らんとってください、輝航君の意思、お母さまの意思を、入学初期の今に確認しておきたいだけですので。これから輝航君の中で、変化していくこともあるかもしれません。もっと勉学に励みたい、勉強が楽しい、あるいは他の強烈な興味が湧いて、何らかの専門学校が志望校に入ってくるかもしれない。今の段階の、気持ちを宣言するというか、自分の目標に自覚的になるというか」
「どうなん?テルちゃんは」
「俺は、まだ志望大学までは絞れてないけど。何がやりたいとかも、さっぱり」
「こんな状態みたいです」
「些細なきっかけで、『これだ』と思える目標が定まってくるものです。僕が教師を志すようになったのも、憧れの先生がいたからでした。『こんな風に自分もなりたいんだ』っていう存在に、タイミングで気付くというか。その為に、アンテナは張っておいてほしいんです。輝航君の、得意な事、好きな事、興味の矛先、輝いて見える職業。。。自分のルーツっていうものに、必然的にたどり着くかもしれない。だけど大事なのは、輝航君自身の意思です。輝航君の人生ですので」
「そうですね、その通りです。私は、輝航に進学して欲しいんですけども。。。」
「僕も、出来ることなら、進学できるならした方が良いと思います。可能性が広がるだけでなく、現実問題、給料にも差がついてきますからね」
「そうなん?」
「そうだよ。大卒と高卒じゃ、就職した時の給料が違うんだ」
「知らなかった、じゃあ、進学しようかな」
「テルちゃん、現金やね。だけどお母さんは、進学してほしいから、理由は何でもいいわ」
「じゃあ、今のところ、海士部君は進学希望、ということで。今日はこの辺で、結構です」
「有難うございます、では私、急ぎで戻らないといけないので」

母はそう言い残すと立ち上がり、座ったままの僕の肩に手を置きながら、輝航をよろしくお願いいたしますと頭を三度下げて、教室からいそいそと、静かに出ていった。

米山先生は母が出ていった後ろの教室のドアを長い間見つめていたかと思うと、思い出したように俺の方に向き直り、数枚の資料を持ち上げてトントンと揃える仕草をした。
どう見ても、間に合わせの仕草にしか見えない。俺が真顔でじっと先生を見つめ続けると、先生は恥ずかしそうに笑って「まいったな」とこぼした。
「僕も、明け透けだったね。こんな事言うと問題発言になりそうだけれども。母親があれだけ美人だと、君、反抗期なんて無かっただろうね」
俺にしてみればごく見慣れた光景だったので、バツの悪そうな先生に対して特に表情を崩さず、首を横に振ってから答えた。
「いえ、ありましたよ。中学三年の夏の終わり、最後の体育祭の後。俺の母親、異常に前向きな事しか言わないんですけど、それが中学に入った後辺りからウザいウザいと思うようになっていって。中学三年間、ずっと好きだった女の子に、体育祭が終わったら告白しようって決めてて、上手くいったら文化祭でカップルで楽しめるもんなって。だけど俺のクラス、ボロ負けして、その後告ったら見事に振られて。泣きはらして帰った時に、母親が『辛いとか悲しいっていう気持ちは、テルちゃんの人生を一層素敵にしてくれるから大丈夫』って。俺、さすがに受け入れられなくて、大声で母親に向かって怒鳴ってしまったんです。『俺は今、ただただ辛いし悲しいんだよ、こんな惨めな気持ちが、素敵な訳あるか、クソババァ!』って。そしたら母さんあまり表情変えずに、『母さんは、クソって言われても何も悲しくないよ。だってそれは、大地に還って土を肥やして、植物達をもっと大きく育ててくれるからね。母さんが嫌いなんは、クソやなくてウソよ。テルちゃんの今の気持ちはウソじゃないんやもんね、だから良い』って。その日の夕飯作ってる時に、キッチンから鼻をすする音が何度もして。『あーー、今日の玉ねぎはようしみるわぁ、新鮮な玉ねぎやったんやなぁ』って声がして。お皿下げるのにキッチンに行ったら、まな板のすみにピーマンのヘタしか転がってなくて。それが最初で最後の反抗期でしたね。二度と泣かせんようにしようと」
「君も、気苦労というか。色んな家庭を少なからず見てきたけど。色々背負ってるんだね」
「苦労なんて、何も。先生、俺思うんですけどね。俺は母一人の片親ですけど、両親揃ってる友達がたまに、俺に気を使ってか、『父親とケンカした』とか、「父親なんて居なくてもいい』とか言うんですけど。それに対して『お前、幸せやな』って返すと、『そんなの何でもない』とか、『普通のこと』やって言うんです。俺の母親、何でもないようなこと、普通のことに対して、『ありがとう』って思いなさいって俺に小さい頃から教えてきたけども、結局それって不幸な事なんやろうなと。幸せが幸せやって、気付かない奴らの方が、本当の意味で幸せなんやろうなって。だからと言って、俺は自分のことを人より不幸やなんて、思った事無いんですけどね」

俺がそう言うと、若い担任教師はしばらく絶句した。そして、「その環境こそが、君を思慮深くした」と話しかけたけども、俺は少し笑って、「慰めてもらわなくてもいいですよ、憐れまれたくもないし」と話を濁そうとした。しかしながら米山先生は真摯な面持ちで、「憐れみではないよ」と落ち着いた声で返した。
「最初から与えられているものの有難さを実感することが人に出来ないのだとしたら、それらは結局、自分にとって獲得しているものではないのかもしれない。その事を実感出来ている君はむしろ、両親がいる人よりも、幸せを獲得していると言えるのかもしれないし」
「俺、『人生の無常』がテーマの哲学書を読んだことがあって。人が存在を本当に実感する時というのは、失う瞬間なのだ。だから獲得する為には失う必要がある、けれども失った後には、その存在は喪失し、実体は失われている。それでも人は、失う事を望むだろうか、その真理、道理を、自分の人生に引き入れる為だけに、って。小学6年の頃によく分からないままに読んだけども、段々理解出来るようになった、実感として。そして自分にそれが実感として理解出来る現実を、悲しい事だと思った。他人事では実感に乏しいし、かと言って自分事になったら虚しいだけ。だから有難みを本当に知るって、俺は不幸な事だって思う」
「不幸でなどないよ。もし君が本当に自分を不幸だと感じていたら、君は今頃グレて、高校受験などせずに、不良になって母親を困らせていたかもしれない。けれどそれをしていないのは、君が君の不足に負けずに自分を律する力があるからじゃないか。本当に不幸な人は、自分より多くを持つ人に自らの不足分を押し付けようとする。それをせずに自ら成長することを止めない君は、絶対に不幸でなどない」
「先生。。。すみません、俺から煽っておいて。俺、ひねくれてるんです。不幸じゃないって、自分で思ってますよ。何が言いたいかっていうと、それよりも嫌なのは、片親だから可哀想って思われることで。結局、俺の劣等感のせいなんですけども」
米山先生は再び長く押し黙り、俺が何を言おうとしているのか察そうとしてくれているようだった。しかしながら俺も言いたい事が次第にこんがらがってきて、一緒に押し黙ってしまった。すると先生は何度か頷いた後で、「いや、きっと僕が悪かったね。片親だから苦労してるって、息を吸うように思われるのが、嫌ってことだよね」と尋ねた。俺は頷いて、「多分、そういう事です」と返した。
「すまなかったね。海士部君を不幸ではないと否定すればするほど、君にとっては憐れみのようで、辛いんだね。君はきっと、本当に自分を不幸とは、思っていないから。だから勝手に、憐れむなと」
「俺の方こそ、すみません。先生におかしな気を遣わせてしまって。やけどさすが国語の先生やぁ、俺が言いたかった気持ちって、それなんです。今まで生きてきて、知り合って間もないタイミングの人間関係で、ずっと不服に思ってきた気持ちやって。今日、初めて分かってもらえたわぁ。すみませんというか、有難うございます」
米山先生は頷き、だけどやっぱり俺を憐れむような、気の毒そうな微笑みを浮かべた。もう一度資料を机の上でトントンと整えた後、「君は、教師に向いているかもしれない」と言った。
「教師というのは、勉学を教えるだけでなく、思春期という、人格形成において重要な意味のある、他者の人生の時間と向き合う職業でもあるんだ。人生における不足を、自分なりに解消しようとしている君の視点、足りないからこそ与えられるものがある。それは君だけでなく、君以外の誰かの為にもなる能力だと思う。きっと君は、自分の人生と向き合って、君だけに実現可能な大切な力を得ようとしている。僕は、君は教師になるのも良いと思う。少し考慮に入れてみたらどうだろうか」
「そうかな」
「うん。そう思うよ」
「考えてみます。ありがとうございました」

三者面談を終えて一人で下駄箱で靴を履き替え、校舎から出て歩き出すと、少し前を清水が歩いているのが見えて速足で追いついた。三者面談でのことを並んで歩きながら話すと、清水は面白そうにこう言った。
「俺は、テルちゃんはホストやと思うよ」
「ホスト?!なんで。。。」
「他人の懐にすこんと入っていく、天性の人たらし力というか。米山、それやられとるやん、っていう。手っ取り早く金稼ぐ一番の職業っていったら、ホストちゃうかと」
「俺、そういう職業はやりたくないわぁ。美里も嫌がるやろうし」
「テルちゃんは、弱みを握らせて相手の懐に入り込む術を熟知してんのよ。美里さん譲りの人たらし力、血の力って偉大やな。まぁ、顔は似てないけども」
「そ、そうやって、ホストって言ったら、男前やないと出来ひんもんな。似てない、って自分でも思てるし、みんな似てないって言うし」
俺がそう言うと、清水はまた面白そうにまじまじと俺の顔を見ながら、ちょっと含むように笑って「お前の家は、鏡無いのか」と言った。
「はぁ?!どんだけ貧乏やって思てん、鏡くらいあるわ。玄関にもあるし、風呂にも。。。」
「いや、そういう意味やなくて。似てるよ、テルちゃんと美里さん。自分で思ってないの?」
「全然、思ってないけど」
「あんな、人の本心て、どこに隠れとると思う?嘘と、嫉妬やで。本気って、やっぱりキレイな言葉には宿ってない。血の流れとる感情っていうのは、嘘の中に隠れてる。嘘と、嫉妬やな。テルちゃん、あんまりそういうドロドロした言葉に馴染んでないもんね」
「清水って。。。物腰フワッとした良い奴やって思ってたのに。高校生になったら人って大人びるもんなんかな」
「アホな、そんなんちゃうよ。あんな、テルちゃんて人を疑い慣れてないけど、それ結構危険なタチやからね。皆が言う事が正しいなんてこと、ないよ。本当はちょっと似てるやんな、可愛いとカッコいいのハイブリットやんな、って思ってんやろ自分の事」
「思ってないよ。だって俺、『俺ってホンマに母さんの子供なんやろか』って、問いただしたことあるもん。そしたら母子手帳、見せてくれた。それ見てホッとしたけど、小学生の頃」
「段々、似てきてるよ。テルちゃんと一緒におると、尻子玉というか、毒抜かれてまうねんて。テルちゃん片親やけど、みんなお前が羨ましいからわざと父親の話出したりして。そやのにテルちゃん、キレたり怒ったりせんし」
「羨ましい??何で。俺なんかさっきも米山先生に憐れまれかけて、悲しいのか悔しいのかよく分からん気持ちに」
「皆羨ましいんよ。美里さんに育てられたからやぁ~~って。ああ、俺のおカンが、美里さんやったらなぁって」
「お前ら、美里の信者やからなぁ」
「そやで。テルちゃんは片親っていう弱みを実際武器にしてる。武器に使うてるんやったら、それ既に弱みじゃないし。美里さん、忙しいのに仕事抜けて、三者面談来たやろ?美里さんが姿見せたら、教師がテルちゃんに良くしてくれるって、ようよう分かってはるねん。テルちゃんにもそういうところあるのよ。俺はだからホスト向いとるんちゃうかって、思うけど」
「ホストか。。。そやけど、美里が苦労してお金の工面してるとこ見てきてるからなぁ。。。女の子からちょっと話するだけで大金巻きあげるなんて、俺出来ひんわ」
「だから、それ、それ。今、俺の心のドン・ペリニョンが開いたわ」
「ドン、ぺ??」
「客の女の子が『いいお酒、たのんだ方が良いかな』って聞いてきたら、テルちゃんこう言うんやろ、『俺、片親で、母親が金工面するのに苦労してきてるの見て育ったからさ。君が頑張って稼いだお金、高いお酒に使わせるなんて、女の子にそんなこと、させられないよ』って。そしたら今開けないでいつ開けるっつって、ドン・ペリいっちゃうわけよ」
「何でも揃ってしまう、激安ジャングル。。。」
「それ、ドンキ」
「エロい道具、こっそり買いに行くっていう激安ジャングル。。。」
「だからそれ、ドンキ。それはどうでもええけども。テルちゃんにポロっと、匂わせるような毒吐くやろ?その後のテルちゃんの返しで、気付いたら空になってた、心のグラスタワーに、シャンパンが並々注がれていくんやて」
「お前、そんな良いように言ってくれるの、カッコいいと可愛いのハイブリットとか、俺初めて言われたわ。気ぃ使ってくれてんやろ、清水、ええ奴やな。ありがとうな」
「だ、だから、それ、そういうやつ」
「美里が、『愛はタダやないよ、むしろ一番得難い、高価なもんやで。優しさを人様から向けてもらったら、口に出さんでもいいけど、ありがとうって思うんやで』て、小さい頃からよう言うてるわ。ホンマ、ありがとう」
「テルちゃんが言うから真実味があるんよね、俺がそれ言っても、嘘やって言われてまう。。。そういうところが羨ましいんや。そやけど、世の中良い奴ばっかりちゃうでな。危ういわぁとも思うけど」
「そうなんかな」
「無防備過ぎるというかね」
「うん。。。深いな。。。でもホストはやらんで」
「うん。やらんて言うと思って言ったけど」
「お前。。。優しいんか意地悪なんか、分からんなぁ」
「俺が、普通やて」
「普通な。。。俺、いつも普通ってやつには、悩まされるわぁ。清水のそれは、多分幸せなんやで。幸せやで、出来るんやなぁ」
「ま、またやってくる。。。どんだけ俺の心のボトルを開けさすねんて。テルちゃんも、幸せやろ?」
「どうなんやろ、何とも、よう言わん。幸せって何なんやろかって、いつも悩む。何が綺麗で、汚い事なのかも。何が優しくて、何が意地悪なのかも。清水は、意地悪なようで、優しいやん。俺って優しいようで、意地悪なんかな。ホンマはお前の方が、ええ奴なんちゃうやろか」
「あん!」
「え、何?」
「なぁ、俺ら。。。めっちゃ高校生やな!」
「ああ、そっかこれって、俺らが高校生になったせいなんやな、この、玉虫色の心模様」
「多分、そやで。俺ら今、めっちゃ青春してるんや。よし、ドンキ行こ!」
「そやな、ドンキ行って、探検してくるか!高校生やし!よーーし行こうぜ、激安ジャングル!」
「どんどんドン、ドンッッっキー!」
「俺、マクドも行きたい、マクドも寄ってこ!俺、高校生になったら、マクドで友達とお茶して帰るのが憧れやってん、ああーー楽しみ過ぎる、今日夢が叶うわぁ。そんでさぁ、二人ともハンバーガーのセットにしてーー」
「それそれーー、めっちゃ高校生がやるやつ!高校生バンザーーーイ!」
「ポテトとナゲット分け分けしようぜーー!!」


「ていう話をして、マクドデビューして帰ってきたんだけど」
「それ、お前もホストちゃう?」
「へぇ?どこが」
「ホストのトークテクニックで、そういうやり方ありそうちゃう?美人の女優さん上げて、女の子に『でも君には似てないね』って落とすやろ。女の子が自信無さそうに、『そうやんなぁ』ってうつむいたら、『嘘だ?ホントはちょっと似てるって、自分で分かってるんでしょ』って」
「うわーー、俺、きしょいやん。テクニシャン過ぎるやん。テルちゃんにはナチュラルにそう思ったから言ったのに」
「そやけど、やっぱり天然モノにはかなわんな」
「俺もそう思うわ」

CクラスとDクラスの間辺りの廊下の窓を開けて、清水と頼重が話をしているのを見つけると、俺は「はよさん」と声をかけた。
「なぁ、俺と清水、昨日マクドでポテトとナゲット、セットに別々で頼んで、分け分けしたんやで?羨ましいやろ、頼重」
「また嬉しそうに」
「ちょうど今、その話してたんよ。ホストクラブで務めたら、俺が二番でテルちゃんが一番やて」
「そんな話、してないやろ、あれ、してたっけ?」
「それから、ドンキでチラッ、とエッチな道具探索の冒険に出かけたんは。。。」
「そっ、その話は今はすな!!」
「そのくだりは、聞いてないわ」
「勇気が無くてな、売り場の前でウロウロウロウロ」
「あああーーー」
「結局仕切り直すことに」
「しゃあないで、それは俺も行くか」
「そうしよ、そうしよ」
「あーーーっ、武林!!」

武林が廊下の向こうから、俺と清水と頼重の二人を見つけた後「イッ?!」という表情をして、廊下を走って引き返していくのを俺は追いかけ後ろから四の字固めをくらわし、そのまま二人のところまで引っ張ってきた。武林は入学式から半月、俺と頼重に出くわすのを上手に回避してきていたのだ。武林はジタバタしながら、開き直ったかのように「素直に白状したんやから!!揉ませてくれたって、ええやろ!?」とわめいた。そして二人の前まで着いた時に、くるっと体を捻って逆に俺の後ろに回って、「美里さんがダメなら、お前、揉ませろ!!」と言って俺の両胸板辺りをオラオラと言いながら揉みしだいた。
俺は思わず「やっ、止め」と弱々しい声を出して腰を引いた。その後武林が脇腹を思い切りこしょばしたので俺はゲラゲラと笑い、「や!マジ止め!!止めれ、ギャハハハ!!」と言いながら抵抗したのだがなかなか止めてくれない。

「このくらいで、良いことにしといたるわ」
「し、死ぬかと思った。笑い死ぬかと」
「テルちゃんちょっと、感じたやろ」
「いや、しめてやろうって思ってたのに。頼重、助けろや」
「なんか楽しそうやったでまあ良いのかと思って」
「薄情者め」
「タケ、お前も男達の冒険に加わりたいか」
「冒険て、なに」
「激安ジャングルや。大冒険やで」
「ドッキドキドンキーの秘境へ乗り込むんや」
「何それ楽しそう、行くに決まっとる」
「お前は、絶対そう言うって信じてたで」
「俺も、俺も」
「そんで帰りはマクドな」
「めっちゃええやん。絶対行くわ」

「武林君」
その時、武林に声をかけてくる女子の声がしたので、俺らは一斉にそちらを見た。女子の二人組が武林に手招きをしたので、武林は嬉しそうにしながら俺らの顔を見た後、小走りにその女子の方へ向かった。するとその周りにいた何人かの女子も、まるで待っていたかのようにその輪に加わった。

「なに、どうしたん?」
「武林君、この子が携帯番号交換したいんやって」
「全然ええよ」

「なんであいつ、モテとんねん。腹立つわ」
女子に呼ばれて明るい笑い声を上げている武林を見つめながら、俺達は表情を曇らせて小口をたたいた。
「しゃーない、何だかんだであいつ背も高いし、スポーツ出来るし」
「なぁ、あいつやっぱり、冒険に加わらせるの、やめよ」
「そやな。モテやがって、裏切り者め」

「亀原君も」

武林を呼んだ女子達のうちの一人が頼重にも催促をし、頼重は顔を綻ばせながら「いってきまーーす」と言ってそちらへ駆け寄った。俺と清水は面白くなさそうに、窓の外へ視線を投げて「あいつら、モテる気でいるんだぜ」「結局、探検隊は俺達二人だけか」といじけていると、女子達は少し大きめの声で「ねぇ!海士部君達もついでに交換しよ!」と俺達にも催促した。

「ついでにって!」
清水がそう言った後で、少しバツの悪そうな顔をした。
清水と俺は顔を見合わせたけれど、俺は清水の背中をポンポンと叩いた後で、女子達に「ごめん、俺、携帯持ってないねん」と答えて、清水に頷いて行ってくるよう促した。清水は少し済まなそうに、「ごめんな」と言って女子達の方へそそくさと向かった。

俺は窓の外を眺めて、なんで謝るねんと内心悪態をついた。そして、だけど仕方ないよな、携帯の料金て、高額な月は一万いくとか、誰か言ってたもんな。それが、毎月毎月かかる。。。完全に贅沢品やもん。と思いを巡らせ、つい先日、母さんが改まってリビングに俺を呼び、向かい合って座らせた時の事を思い出していた。

俺はその時に、「俺にもいよいよ携帯電話を持たせてくれるのか」と、期待したわけだけれども、結局違ったのだ。
美里は真面目な面持ちで俺と向かい合うと、それまで着いていたテレビを消して、「テルちゃんも、高校生になったから」と切り出した。

「中学の時と違って、高校生は自由が増えます。だけど、未だ大人とは、違うのよ。大人とは違うけれども、大人が出来る、自由と、危険な事が身近になってくる。輝航が高校生になったら、これだけは念を押しとかんとあかんと思ってね。まず、性犯罪」
美里が真面目な顔で俺を見つめながら性犯罪と言うので、俺は最初、女の子を犯すような事だけはするなと言われるのだと思ったのだけれど、そういう意味ではなかった。
「今の時代。。。女の子だけが被害者になるとも、限らなくなってるから。テルちゃん、もし、お金出すからって言われて、体の関係を要求されても、絶対にしたらダメやでな。それだけは、せんといて。お金のことは、お母さんに任せて。何か欲しいものがあったら、お母さんに絶対に、相談するんやで」
「そっちか。性犯罪って言うから俺はてっきり、女の子を大事にしろとか、そういう話かと」
「お母さん、テルちゃんのこと信じてるから。テルちゃんは女の子に乱暴なんて、絶対にしないって。だけど、女の子を好きになる、中学のころよりも、もっと深く好きになる、気持ちだけじゃなくて、体のことも。それは、当然よ、少しずつ体も成長してきたんやもんね、本能的な事やから、それは普通の事。お母さん、テルちゃんは健全な恋愛をしてくれるって、信じてるから。それよりもお母さんが怖いのは、テルちゃんに金にモノ言わせて、体の関係を求めてくる大人の方。テルちゃん、可愛過ぎるから、狙われてしまうんやないかって。これまで以上に行動範囲が広くなって、大人の目にとまった時に、弱い所に付け入る人も沢山いるから。お母さん、テルちゃんが心に、一生消えない傷を負う事からは、何があっても守りたいんや。だけどテルちゃんは、もう子供じゃない。子供じゃないけど、大人でもない。高校生って、とっても不安定な時期よ、流されやすいし、悪い事を魅力的に感じてしまう、多感な時代。お母さんがこれから大人になっていく輝航に、これだけは念を押しておきたかった」
「何言いだすかと思ったら、アホやなぁ。そんな事、起こるわけないやろ」
美里は俺が大笑いしながらそう言うと、真剣な表情を変えずに「大人の世界は、起こるわけないことが、ごく当たり前に起こるの」と付け加えた。
俺はその時に、それまでもずっと気になっていた懸念のことを、今やと尋ねてしまった。
「それは、母さんの経験則やろ?それで、心配なんや?」
「うん?」
「お金とか、仕事とか。あんじょうしてやるさかいに、体を、って話。何でそんな心配するって、自分が受けてきたからやろ?受けん訳が無い、あるよな、そういう事も、って、俺はずっと心配してたよ。それって、俺のせいやんな。俺を育てる為、俺を守る為やったら、どんな事でも、って」
「要らん事考えて。お母さんはそういう汚いやり方、大嫌いや。お金を稼ぐ方法なんて、いくらでもあるけど、一回汚いやり方で楽して金稼いだら、終わりや。お母さんを信じてないの?」
「信じる、信じないじゃないんや!俺はただ、母さんが」
俺が感極まって泣いてしまうと、母さんはさっと俺の後頭部を支えるように抱擁した。俺はその時に、号泣してしまった。
美里は俺の背中をさすりながら、静かに話続けた。「確かに、女って弱い生き物やけどね。女使ってお金稼ぐことを自分に許して、色んな言い訳してそれなりに生きても、自分の子供も結局、同じ事をする、それが血や。血には、記憶が宿ってる。私はどんな事があっても、体で金稼ぐことだけはしない。テルちゃん、お母さんが美人やから、心配してくれてんやもんね」
俺が母さんの腕の中で無言で頷くと、母さんは俺の背中を撫でながら、「確かにね、あるのよそういうお誘いは。面倒なくらい。。。美人なんて、この年になったら、面倒なだけやなてよく思う。だけど感じよくしてもらえるのは、武器でもあるからね。良いように使ったらいいだけ」
「そやけど、母さんかて、俺がおらんかったら。俺のせいで苦労せんなんやん」
「何言うてるの、アホやねぇ。親が子供のことで苦労するなんて、当たり前のことよ。虫かて、子供残す為に、水の中で、土の中で果てる。そんなアホな心配、子供にさせるようでは、私母親失格やね」
「そうやで。。。俺、見事にマザコンに育ってしまった。友達にもマザコン認定されてるし。母さんのせいやで」
「こんな良い子に育って、一体誰が育てたんや。。。ああ、私か!」
「欲しいもの言えって、この際やから言うけど。俺、もうそろそろ携帯電話持ちたいんやけど」
「それは、ダメ」
「なんでダメなん?」
「お金の問題じゃないんよ。大学生になるまで、待って」
「友達みんな、持ってんやって!」
「分かるけども。それだけはダメ」
「ほんなら自分で買うよ。そやで、バイトする!」
「バイトも、ダメ。高校生の本分は、学業。何の為に金払って勉強しに行ってるか、分からないよ。バイトする時間があったら、勉強して」
「そんなぁ!!」
「言うたやろ、高校生は、子供じゃないけど、大人でもないのよ。大学生になったら、好きにしたらいいから。高校生のうちは、お母さんの言う事、聞いて」
「。。。分かった」

俺が廊下の窓から外を見ながら、美里が金の為に体を汚していないことを知らされた時の事を思い出して少し涙し、目頭を押さえていると後ろからバンバンと背中を叩いて、「おい!!なに泣いてんねんて!!皆に連絡回ったら、俺がテルちゃんに逐一教えてやるって!!」と清水がいち早く戻ってきて俺に言った。俺は首を振って、「違う、これはホンマに携帯とは無関係のやつ」と否定したけれども、清水はそうとは受け取ってくれなかった。
「そやけども、美里さん過保護やん。携帯電話って、過保護な親は率先して持たせたいものやと思ってたけども、何で美里さんテルちゃんに携帯持たせへんのやろなぁ」
「中学の終わり頃から、何度も催促してるんやけど。メリットよりも、デメリットの方が心配なんやろなとは思ってるけど」
「全然知らんヤツと繋がってしまったりやろ?有り得ん話じゃないけど、それだってテルちゃんがそんなんに付いていく訳、無いやんなぁ」
「そうとは思えないから、持たせたくないんじゃないの?知らんけど」

俺はまた廊下の窓辺に清水と並んで立つと、少し沈黙した後で、「俺にも、分かるよ。信じる信じないじゃないっていう気持ち。疑ってる訳じゃない、信じてない訳じゃない。だけど、心配する事を、止められないっていう気持ち」
「それって、結局愛なんやなぁ」
「愛というか、大事というか、大事にし過ぎて、お互いに過保護なんやろな。それって、窮屈やし、健全じゃない事のようにも思うけど。携帯くらい、持たせてくれたらいいのにって思うけど、携帯って毎月毎月金かかるから、ちょっとホッとはしてるのよ、これ以上母さんの負担大きくしたくないで」
「何でやろ、窮屈かもしれんけど。俺、テルちゃんの方が羨ましいわ。俺の親、『高校生やし携帯ええやろ』って言ったら、『そやな』てそのまま携帯ショップ行ったんやけど。不要な課金系のゲームやったら自分で払えって、それ以上の事は何も言われんかった。これって、俺愛されてないのかな」
「違うやろ、バランスが良いって事なんやって。健全てやつ」
「俺、美里さんと親交換してくれるんやったら、携帯持たんでもええわ」
「無い物ねだりやで」
「そうかなぁ」
「なぁ、携帯電話って、どんな事出来るん?ちょっと触って見せて」
「ええよ~~、めっちゃオモロイで。色んなアプリあるし、ゲームもやり放題やし。インターネットも見れるし、テレビも見れるんやて」
「それって、凄すぎるやん。。。ドラえもんのポケットより凄いんちゃうん」
「いや~~、ドラえもんには勝てんやろ、なんせ未来の世界の猫型ロボットやし。こうやろ?こうやって指でタップしたらな。。。」
「うわっ!!なにこれ未来過ぎるやろ怖っ!」
「直ぐ慣れるよ、ほんでこれを触ると。。。」
「携帯あったら、他のメカ要らんやん。俺も、めっちゃ欲しい~~」
「ほな、美里さんと携帯電話、交換する?」
「それは、あかん」
「ほやろ?マザコンめ。。。そんで、これを指で開いたら。。。」
「うわっ、大きくなった!大きくなっちゃった!」
「うひゃひゃ、テルちゃん、昭和やなぁ~~」
清水のスマートフォンという携帯電話の画面を覗き込みながら、俺は「分かった」と言った後、美里が嫌悪感を交えてポロっとこぼした言葉と、その後のやり取りを思い出していた。普段何かに対して嫌だとか悪いとか、あまりにも言わない美里から出てきた、内面の吐露。

「分かった。そやけど、ずっと心配やったんや。安心した。母さん、異性に好かれやすいで」
「余計なこと気にしてたんやね。お母さんは体で金稼ぐなんて、絶対にやらないよ。それは、輝航の為でもあるんや。お隣の国、見てみ。相手が日本からメリケンになっただけで、ずっと同じ事繰り返してる。。。お金を体で稼ぎ出したら、快楽も手伝って、抜け出せんようになるんや。そのくせ、被害者面して金たかって。自分の体を犠牲にして金稼ぐことを、美談にすらしてくる。戦前戦後、日本にあっちの血が混ざってしまった。未だに日本にもおかしな影響与えてきよる、同じ女として、ただただ嘆かわしい」
「そやけども母さん、在日何世の人達は先入観でようさん苦労してはるで、可哀想やって言うてたやん。子供は親を選べへんって」
「そやで、ホンマの被害者がおるとしたら、子供の方や。親が自力で断ち切らんと、いつまでたっても血に引き継がれていくっていうのに。子供は親を選べへん、可哀想に、あっちの国の血さえ混ざってへんかったら、余計な事気にせんでも良かったのに」
「母さん、それは偏見やで。嫌やという気持ちが嫌やを増幅させる、そしてその嫌やは増幅しながら連鎖して、どんどん広がっていく、だからあかんて、母さんが言うてた言葉やろ」
「。。。そやったね。そうなんやけど。輝航にも、そのうちに嫌でも分かってくる。いいか、戦争っていうのはね、いつの時代も、全然終わってないんや」

清水の携帯電話を覗き込んでいると、後ろからクスクスという女子の笑い声がして、どうも視線を感じるので聞き耳を立てた。すると、女子達が「テルなのに、携帯持ってないとか、ウケるんだけど」「テルなのに」「テルなのにね」などとヒソヒソ言いながら笑っている。俺は女子の方に振り返って、「おい!聞こえとるぞ!!」と怒鳴った。

「テルちゃん、耳真っ赤やで。女子慣れ、せぇへんなぁ」
「違っ、これは怒りで!は、腹立つなぁ、あいつら」
「なぁ、テルちゃん部活、何入る?」
「それがなぁ、未だ悩んでん。清水は?」
「俺は中学と同じく卓球部」
「頼重が、同中仲間で一緒の部活入ったらオモんないから、それぞれにしよって話になったもんな。俺中学は、美里が中学生の部活はお願いやから運動部に入ってくれって言うから、バドミントン部入ったけど。俺、スポーツ向いてないってそれで思い知らされたから、出来たら文科系行きたいんや」
「なんで運動部入れって?」
「中学生は体が作られる時期やから、運動やって欲しかったらしい」
「そんでも、身長あんまり伸びひんかったなぁ。俺もやけど」
「うん。あんまり。男で165センチっていったら、中途半端やもんなぁ」
「そやなぁ。女の子に最初に論外認定されてしまうし」
「男でチビは、損やな」
「ホンマ、損」
「でもなぁ、それかて偏見やで。一人と一人で向き合って、好きってなったら、問題じゃないやろ」
「最初のハードルが上がるのは確かやけど、まぁそうか。。。てか、それかてって何?」
「あっと、いやその、こっちの話」
「どっちの?」
「あのーーーあ、先生来たやん!」

チャイムの音が鳴って、俺達は教室に戻った。
六限の国語の授業が終わった後で、国語の教師でもある米山先生が教室から出ていくのを、速足に追いかけた。
「先生」
「ああ、どうしたん」
「俺、将来何がやりたいか、少し考えてみて。生活で一番お金がかかる部分て、家賃かなって思ったんです。家賃が無くなって、持ち家戸建てになったら、家賃浮いて毎月の出費が各段に減るやんな、と思って。そやで、建築系に行こうかと」
「それって。。。土方ってことか?」
「いえ、目指すんやったら一級建築士やんなと思って。どうですかね?」
「止めはしないよ。沢山調べて、自分に向いているのか興味が湧くのか、色々な可能性を広げるのはいい。だけどね、君はどうしてもお母さんの為に何かしようっていう気持ちが優先的に働いてしまうみたいだけれども、人生は最終的には君のものなんだよ」
「誰かの為にって動いた方が、やる気が続くっていうことはないですかね。母が喜んでくれる方が、自分が楽しいよりも俺は嬉しいし」
「自分の特性、興味の矛先、ルーツ、能力、まだまだこれから、少しずつ身について、試して明らかにしていくことになる。一つ目標が見つかったのは、良いと思うけど。もう少し模索してみてもいいと僕は思う。ところで、海士部君は部活は決めたの?」
「まだ迷ってます。文科系に行きたいってとこだけは決めてて」
「絞れてないのなら、僕は生徒会の担当教員なんだけど、生徒会はどうだろうか」
「生徒会?!」
「とても有意義な仕事だよ。予算を割り振ったり、全体的なことを決めるのは、仕事にも必ず役立っていく。敷居の高いイメージがあるかもしれないけれども、もし何も決まっていないのなら、候補にいれてみたらどうかな」
「風紀委員ってことですよね。。。俺に、務まるかな」
「最初から向いてるか向いてないか、分かる人なんて居ないよ。仮入部期間のうちに、入ってみたらどうかな。他に興味がある部活が見つかるまででも。全倶楽部の全体像を把握し取り締まるって、こんなに有意義で面白いんだな、やりがいがあるんだな、って分かってくると思うんだけど」
「全然俺の中の候補には無かったけども。生徒会ですね、考えてみます。ありがとうございました」
「ぜひ検討してみて」

「テルちゃん、帰ろ」
「悪い、ちょっと図書室寄っていきたいんや」
「また?高校でもやるんや、それ」
「だって、タダやし。テレビは欲しい情報くれんけど、図書室は探したい放題やし。。。」
「んーー、分かった、ほなね」
「ほなね」
「何調べるん?俺も行こかな」
「行くんやったら、一緒に行ってもいいけど」
「じゃあ、俺も行く」
「ほな、一緒に行こか」
俺と清水は結局教室で分かれる事なく図書室へ行く事になった。二人で教室を出た所辺りの廊下で、朝の女子達に囲まれていた頼重が俺らを振り返ると、「なんやお前ら、またマクド行くんか。俺も混ぜろ」と言って俺達のところに来た。
「女子らーはほったらかして良いんか?モテ太郎君」
「そんなに毎日行ったら、マクドの有難みが無くなるやろ。今日は図書館」
「何するん?」
「ちょっと、調べ物」
「俺は、テルちゃん見物」
「ストーカーか!」
「それ俺も、行くわ」
「お前もか!」

俺達は3人は談笑しながら図書館へと向かった。
「そやけど、頼重と帰り一緒になるん、なんや久しぶりやなぁ」
「頼重、野球部やで、一緒になるの部活始まるまでくらいちゃう?」
「うちらの高校の野球部、調子良い年は甲子園行くらしいもんなぁ」
「スポーツ本気でやるヤツのモテ方はマジやで」
「俺もお前らと、マクドデビューしたい」
「今日はあかんで。タケちゃんもおる時にしよ」
「楽しみは後にとっといた方が、喜びも倍になるってよく言うやろ?」
「俺は好きな食べ物は、なるたけ早く、一番最初に食べるタチやねん」
「いや、2日連続マクドは、飽きるて」
「お前ら食わんかったらええやん」
「なんちゅー自己チュー!一緒に行く意味ないやろ!」
「いやそれはそれでオモロイというか」
頼重は幼稚園から一緒の幼馴染で、一番の親友だ。しかしながら中学の終わり頃から、何となくの距離が出来たようにも感じていた。

図書館に入ると俺は迷わずに、パソコンが数台並んだ個人ブースに向かった。俺が向かう方へ、清水と頼重も付いてくる。
俺が左一番端のパソコンの前に座ると、清水と頼重は直ぐ後ろの大テーブルの椅子を引っ張ってきて俺の両隣りに座り、少し後ろからパソコン画面を覗き込んだ。俺は左右を交互に見て、「お前ら、マジで俺が何するか見学する為だけに来たんか?!」とやや大き目の声で二人に言った。

「シッ。図書館での会話は、静かに、やぞ」
「お前らも何か興味あることの本、探しに行けよ」
「俺は、テルちゃんの人生に興味津々」
「ええーー、頼重は?」
「何でもいいから、はよ調べろや。図書館5時半までやで」
「お前ら暇すぎるやろ。。。」
俺は中学3年の時に授業でやった、パソコンの操作方法を思い出して、たどたどしい手つきで検索したいキーワードを入力した。
「ええーーっと、『一級建築士 仕事内容』っと」
俺がキーワードを入れてエンターを押すと、画面上に沢山の情報が出てくる。動画が見たかった俺は、『一級建築士の仕事』というタイトルの動画をクリックした。

「お前、一級建築士を目指すつもりなん?」
「目指すかどうするか、調べたかってん」
「なんで、建築士?」
「俺、美里に最高の家を建ててやりたいんや」
「泣かすわーー」
「ふーん」
「なんや頼重。。。気に食わんのか」
「いや、やったらええんちゃう?」
「あれ?これ、人喋ってはるけど、音出んなぁ?」
「これちゃう?ヘッドホン、コード刺さってるわ」
「あ、ありがと」
俺がヘッドホンを頭に付けようとすると、清水が「ちょっと待って!」と言う。
清水がリュックからイヤホンを出してきて、コードを指し直すと片方を俺に渡し、「これで聞こ!」と言った。
「恋人か!!」
「だって、俺も見たいし」
「まぁいいけども、頼重は音聞けんやん」
「俺は、本探してくるわ」
「ああホンマ?ごめんな」
「別にええよ」

俺と清水は動画を見ながら、「建築士って絵描けんとダメやん」「製図?!見てこれ、めっちゃ細かい」とかヒソヒソ言いながら動画を見続けた。
そうこうしている間に、5時を過ぎた頃、清水のスマートフォンが音を立てて、清水は慌てて携帯を手に持つと「おカンからや!」と言って席を立ち、図書室の外へ行ってしまった。清水は戻ってくると、「ごめん、おカンが今日お好み焼きやから早く帰ってこいって、先帰るわ。それとも、一緒に来る?」と俺に尋ねた。
「いや、閉館ギリまで調べてから帰るわ」
「ほな、また明日学校で」
「ほなね」
「うん」

清水が行ってしまうと、俺は「あ、清水イヤホン忘れていったわ」と思いながら、イヤホンをまとめてリュックに入れ、コードをヘッドホンに切り替えると再び動画を見続けた。

清水と入れ替わりで頼重が戻ってくると、頼重は後ろから画面を覗き込んで、「まだ見てるんか?」と小さく言った。頼重に気付くと俺はヘッドホンを外した。
「ああ、どうやった、何か見つかったか?」
「なんぼか。そやけど、そんな動画、携帯あったら一日中見れるのに」
「アホか。無いから、図書室来たんやろ。図書室のパソコンやったら、お金かからんし」
「それもそうやけど。お前、一級建築士の他に、調べたい事あって来たんとちゃうんか」
「ど、どういう事?!エロい動画見るとでも思てたんか、そ、そんなもん、図書室で見れるか!!」
「違う、違う。。。そうやのうて。お前、自分の父親が誰か、気にならん?」
「俺の父親の話やったら、俺が幼少の時分に病気で死んだって美里が言ってたやろ」
「それその言葉のまんま、信じてんのか」
「おう?うん、信じてるよ」
「俺は、調べた。興味があったでな。それで、見つけた。もうええやろ?図書室出よう。ここのパソ使ったら履歴残るで。パソコンて怖いもんやで、何を検索したか、見れる人が見たら全部残っとるでな」
頼重は意味深なことを言って、俺に図書室を出ようと催促した。俺は個室ブースに何も持ち物を残してない事と、清水のイヤホンがバックに入ってることを再度チェックしてからその場を後にした。

随分、身長に差が出来たなと、俺は久々に頼重と並んで歩きながら思った。頼重は中学3年に入った頃辺りから、ぐんと身長が伸びてきてはいたし、中学でも野球をやってはいたけれど、それでも帰りは一緒だった。しかしながら、中3の秋ごろがら、頼重と帰りが一緒になることが少なくなっていった。一緒に帰ろうと声をかけると、「用事がある」と言って一緒にならない時が増えていった。俺が何かしたかな、と気にしてみたけれど、分からないままで。

「ヨリ、高校生になってもまだ、身長伸びとるんちゃうか?っていうか、久々な気がするわ、お前と並んで歩いて帰るの」
「実際伸びてるよ。お前は、あんまり伸びてないな!」
「ふん。別に気にしてないよ。チビが好きな女だって、世の中に居てるやろし」
「それはそうやな」
「なぁ、覚えとるか?小学1年の時の、春の遠足の前の日に、俺に他の男どもが『おい、テルテル坊主~~!明日、晴れにしろやぁ、お前、丸刈りチビのテルテル坊主やろ』って面白がって言ってきて。背が低いからってそいつらから俺が丸刈りの頭クリクリされて、俺が『出来るわけないやろ!!』って暴れてる時に、背の高いお前が『やめろや!』ってかばってくれて。『じゃあお前ら、明日晴れたら、テルに謝れや!』って。そいつらが、『じゃあもし雨になったら、お前罰ゲームやで』って滅茶苦茶な事言い出して、俺が『関係ないやろ!』って言い返したけどお前は『ええで。もし雨になったら、テルと同じように丸刈りにしたるわ』って。それで結局、遠足の日見事に晴れて。あいつら、俺に謝ってくれた」
「あーー、あれオモロかったよな。それで、遠足から学校までバスが帰って来た時に、お前迎えに来てた美里さん見た時の、あいつらの顔!」
「あれは、面白かった。あいつら、『テル君とは、めっちゃ友達です!』とか言ってて。美里はええんやけど、ヨリも俺のこと、守ってくれたよな。さすがは幼馴染。ありがと」
「なんも。どっちにしろ、野球始めるのに丸刈りにされる事は決まってたから、俺にしてみれば晴れても雨になっても、どっちでも一緒やってん」
「あーー!!そう言えば、あの後お前、丸刈りにしとったな。。。」
「そやろ?それに俺かて、美里信者やさかい」
「そうは言いつつ、俺がちょっかい出される度に、止めに入ってくれたやろ。っていうかな。。。俺、お前に何かしたんかな。最近、お前に避けられてるような気がしててん。何かしたんやったら、黙ってないで、教えてほしい」
「うん。その事も合わせて、公園で話しよや」

俺と頼重が公園のベンチに並んで腰かけると、頼重はスマートフォンの画面を明るくして、「そんでも半年くらい、かかったわ」と言うと、何度か画面を切り替えた後に、俺の前に差し出した。
「これが美里さんが、お前に携帯電話を持たせたがらへん理由や」

頼重の携帯画面を覗き込むと、そこには「海士部史郎」という人物と、法務省法務大臣という名前が大写しになっている。

「海士部史郎?」
「戦後直ぐ、東条秀樹内閣の後の内閣府に、海士部史郎という人物が法務省の法務大臣に就任してる」
「あっ、アッハハハハ!何の冗談、こいつが、父親やって?戦後の内閣って、一体何十年前の話やねん。昔過ぎるし、父親なわけないやろ」
「まぁ聞けって。この海士部史郎という人は、結婚はしてたんやけど、子供はおらんかった。それが、死ぬ一年ほど前に、法務省御用達のある弁護士の女性を養子にした。海士部史郎が亡くなった時に、この養女の弁護士は彼の側妻なのか、はたまた遺産相続詐欺なのかとマスコミが嗅ぎつけた。やけども、結局さほど問題視されず、派手な話題にもならなかった、というのも、正妻がこの弁護士の存在を既知していたことと、財産相続に関しても海士部史郎直筆の遺書が残されてて、その内容を了承していたからや。犯罪性が無い上に報道規制もかかったので、世間で話題になることは結局無かった。弁護士は養女になり、海士部の性を名乗った。ところが、この弁護士はその直ぐ後に別の男と結婚し、子供を出産している事が分かった。俺の考えているところでは、この子供が美里さんのお母さん、ていうわけや」
「いやいや!海士部っていう苗字の人間が、日本に一体どれだけおると思っとんねん!性が一緒やからって、安直な!笑うわーー、完全に人違いやろ!」
「七十人。日本に居てる海士部さんの総人数、たった七十人や」
「七十人?!少なっ!!いや、だからって、とは言え人違いやろって!お前、いつからそういうファンタジー脳というかミステリー脳というか、探偵屋さんみたいな事、好きやったっけ、ミステリ小説とか」
「真面目に聞けって。俺の推察が正しかったとしたら、美里さんは内閣府法務大臣と内閣府法務省御用達の弁護士の血を引いとるっちゅうことや。そんで、テルもその血を引いた子孫」
「あくまでも、正しかったらの話やろ、まさか、お前、そのおとぎ話のせいで、俺と距離を置いてたとでも言うんか、ちょっと笑うというか、笑いを通り越して、呆れるわぁーー、アホらしい」
「この説に辿り着いたんが、中学卒業間際の二月でな。携帯手に入れてから、グーグル使って、キーワード入れまくって、暇な時はいつでも夢中になって検索かけた。『海士部、隠し子、不倫、スキャンダル』、この辺りでは何も出てこなかった、やけど『養子』って入れたら、一つ見つかって、一つ見つかったら、後は芋ズル式や。お前が列記とした公人の血統やって、その可能性が視野に入って来た時に。。。お前とどう接していいのか、分からんようになった。俺は、お前を弱い存在やって、思ってたんや。片親で、俺より体もずっと小さくて、俺が守ってやらなあかんのやって。やけど、本当は弱いどころか、下手したら俺よりも血も優れてて、金だって持ってるかもしれない。守ってやるなんて、おこがましい存在かもしれない。お前に対する自分の気持ちを、整理し切れんようになった」
「なんや。。。そんな下らんことが、お前の態度が心持ち、よそよそしくなった理由やったんか。良かった。。。俺、お前に知らず知らず、嫌われる事したんやろかって、随分悩んでたんやで。どっちにしろ、有り得んレベルの可能性の一つやろ。もし万が一、俺に出世してる奴らの血が流れとったとして、俺に何の関係がある?そんな理由で俺がお前にとって全然知らん奴みたいな、別人みたいな扱いになっとったとしたら、めっちゃショックやわ」
「そうじゃない。お前が変わった訳じゃない、俺の気持ちの問題で。ただ、混乱しとった、整理がつかんままになってた。きっと、俺だけじゃない。清水も、タケも、他の同中の奴ら、皆、お前と向き合う時に、それまでと全く同じようにはいかんと思う」
「みんなが、俺を避けるようになるって言うんか。腫物に触るみたいに」
「違うって。どう言ったら伝わるのか、ただ、戸惑うっていうことや。それまでのお前を知っとる、お前っていう人物が既に出来上がっとる奴らが、実は由緒正しい血統の子孫やったって知らされた時には、アフターのお前を受け入れるまでに、ちょっと時間かかるぞ、っていう話や。逆に、高校から一緒になったクラスメイトやったら、『へーーそうなん?凄いやん!』で済むかもしれへん。だけど俺は、そうじゃなかった」
「俺が格下やから、可哀想やから、一緒におってくれたって?」
「そういう気持ちもあったって、この事実に辿り着いた時に気付かされた、だから正直に言った。俺の中の、お前に対する気持ちが、複雑に変化してしまった。俺は、お前の事、好きやで、そやけど割り切れん気持ちが出てきてしまった、俺は今でも、それに戸惑ってる。それは多分他の奴らも、同じやって言うてんねんて」
「ヨリは、この話他の同中の誰かに、話したんか?」
「話すか!あんまり見くびんなや。。。俺はお前がだからって嫌いになった訳でもないし、他の奴らに話して騒ぎ立てたい訳でもない。それこそ推理小説みたいな気持ちで、面白半分で調べだしたら、一つ見つかって、調べれば調べるほど、信憑性が増してくる。調べて、新しい情報が見つかる度に、戸惑いの濃度も深くなっていって。お前に隠れて調べた後ろめたさとか、気持ちが複雑になっていって。嘘付いてるみたいな気持ちを、いつかお前が見透かすんじゃないかって、正面から向きあわんように、必然的にそうなってしまった」
「お前の態度に何となくの距離が出来てた理由は、分かったわ。そやけど、俺はお前の推理、全然信じてへんで。だって、その海士部っていう法務省?のおっさんが養子にしたんは、女やんな。その後直ぐに養女の女が他の男と結婚したんやったら、その結婚相手との子供やって考えた方が自然なんちゃうん?それに普通は結婚したら、男の方の性を名乗るやろ?やったら逆に、そのおっさんの血を引いてるかもしれない子孫は、海士部っていう性を既に名乗ってないんとちゃうんか」
「離婚しとる。海士部の養子になった女性は、間を置かず結婚したと思ったら、子供を産んでまた直ぐに離婚した。子供を産む前に婚姻届けも出されてるから、法律上はその女性の子供は、結婚した男との嫡出子っていうことになっとる」
「ほ、ほやけども、その子供が美里の母親に当たるとしてやで、その母親だって、男と結婚して美里を産んだんやんな?そしたら、美里が海士部の性を名乗ってるのは、逆におかしいんと違うか?」
「ここからは、完全に推測やで。美里さんの母親も、美里さんも、結婚して子供産んだ後に、離婚した、そして旧姓の海士部に戻った。彼女達は男の子が生まれるまで、結婚しても離婚することにしたんやないかって」
「なんで?なんでそこまでして海士部の性にこだわる、もし海士部っていうおっさんの血脈やっていう事実を隠したいんやったら、逆に男の側の性を名乗った方がええやん、どう考えたって」
「男の子が産まれたら。。。その子を政治家にする。そして、堂々と『海士部史郎の正統な血脈ここにあり』と、名乗りを上げさせる。海士部史郎の意思を、ついに実現させる為に」
「へっ?!そ、そやったら俺、政治家目指さんなんて話になるけど??」
「少なくとも美里さんのお母さんの代までは、そう考えとったんちゃうかっていうのが、俺の推測。美里さんも親から言い伝えられた意思を引き継いで、テルが生まれた後直ぐに、離婚した。だから俺の考えでは、美里さんの結婚相手は、お前の父親は、離婚しただけで生きとる。それが誰かまでは、分からん」
「しっかし、ヨリ、よう調べたなぁ。だけど結局、『男の子が産まれるまで結婚しても離婚して旧姓に戻る』っていうのは、ヨリの憶測でしかないんやろ?やったら、可能性としては有り得んとしか思えないような」
「海士部史郎の死は、暗殺の可能性があるんや。。。ここからは俺の憶測と言うよりは、出所が怪しい情報の寄せ集めやで。テル、36チャンネルって知っとるか?」
「36チャン?テレビ。。。は10チャンネルしかないで、ラジオか?」
「知らんのかい。。。ネット上にある、匿名掲示板っていう情報交換サイトや。噂話程度には知っとるやろ?」
「いや、だって俺、携帯。。。」
「ホンマに全然知らんのやな。図書館でインターネット検索、したやろ?それと同じように、ネット上に36チャンネルっていう名前の匿名掲示板サイトがあるんや。そこでは匿名同士の奴らが集まって、スレッドっていうお題目立てて、そこでわりに好き勝手な意見を交換する。自分が誰かっていう個人情報を隠したままで参加出来るから、ダークな意見も出せる、噂話レベルの話も、だからよくソース出せっていう話になる、ソースのないただの噂話も混ざってる。そこの社会カテゴリで、暗殺された政治家っていうスレッドが立ってて、気になったから見てみたら、案の定、『海士部史郎は何者かに暗殺された』っていうネタがあった」
「そのサイトにあった情報が、お前の推論の理由になってるってことなんやな?」
「俺の推察はそこの情報と自分が調べた記事をより合わせた結果やけども、つまり暗殺されたかどうかは、眉唾モノの情報ではあるけども、っていう話ではある。正直、政治家が死んだ時に暗殺を疑われるっていうのは、よくある噂話。やけど海士部史郎に関しては、確かに不自然な動きがあった事が分かっている。海士部史郎は心不全で無くなってる、つまり病死や。海士部史郎にはそもそも持病があった。やけどな、心不全っていう死因は、即ち『何が死因か分からない』時に診断される病名なんや。海士部史郎は45歳っていう異例の若さで法務省法務大臣に任命された、勢いも正義感もひときわ強い政治家やった。せやけども、一度は法務大臣を務めたんやけど、1年ちょっとで大臣の座から退いている。8年後に再び法務大臣に就任し、そこで大々的に推し進めたのが、憲法第9条改正や。これが、その当時の日本には受け入れられんかった」
「ごめん。。。自分なりに、話整理してもいいか?海士部のおっさんが暗殺されたかどうかはさておき。。。どうして弁護士を養子にしたのかの理由が、海士部のおっさんの子孫を残す為、ここまでは合ってるやんな?」
「合ってるで。確かに、暗殺されたっていう話は噂話レベルでしかない。そやけど、海士部史郎は憲法第九条改正を推し進めようとする事で、次第に政界から煙たがられられるようになった。暗殺される理由は十分にあった」
「やけど、海士部のおっさんて、死ぬ前の年齢が60手前やろ?そんなおっさんでも、子供って産めるもん?」
「産めるやろ、女の方が若かったら。海士部史郎は政界内では扱いづらくなっていたけれども、法務省っていう内輪関連では、特に若い弁護士や検事、自衛隊関係の奴らからは絶大な支持を得ていた。結果的に、海士部史郎は死ぬ間際、海士部シンパの若い弁護士を養子にした、遺言書まで残して。その養子はその後直ぐに他の男と結婚して子供を産んだ、そして直ぐに離婚した。この行動が意味するところは、『海士部史郎の血脈を残す為』これしかないやろ」
「それが、俺やって?なんか。。。話が通り過ぎて、逆に胡散臭いな。正直、全然事実やって思えないんやけど」
「お前は、元ネタの新聞記事とか、ソースとか見てないでな、俺がかいつまんで話しただけやで、実感なんかないやろ。まだ噂話程度にしか感じられん、当たり前や。この話が嘘かホントか、確かめる方法がある。美里さんの部屋か納戸に、六法全書があるか、探してみろ。養子の女性はそもそも弁護士で、その子供も弁護士になったっていう所までは情報が出とる、その人が美里さんの母親やったとしたら、美里さんは六法全書を保持しとる可能性が高い。見つかったら、ビンゴや」
「いいで。調べてみたるわ。その代わり、見つからんかったら。。。もうこの話、忘れろよ。そんな噂話レベルの情報で、お前に神妙な態度とられるなんて、嫌やもん」
「とりあえず、探してみ。情報は一つずつ、潰していくしかない」
「なんかお前、刑事みたいやな」
「俺が調べた情報、大筋は全部、これで話した、あーー、めっちゃスッキリ!遅なったな、もうそろそろ帰ろか」
「うん」

俺達は公園から二人並んで帰り道を歩いた。夕暮れ時の赤い太陽が、景色を、俺達ごとほの赤く染めていた。
俺は頼重と黙ったまま並んで歩きながら、頼重から聞かされた美里の秘密、俺の祖先の話を頭の中で反芻した。もしその話が本当だった場合に、じゃあどうして美里はその話を俺に隠したままでいるのか。もし俺が政治家を目指す事が、美里や、美里の母親、俺のおばあちゃんの代々の望みなら、相応の勉強をさせたり、社会情勢に詳しくさせたり、インターネットだって使いこなせないといけないだろうし、もっと美里は教育ママのようになって俺を育てていないとおかしいのではないだろうか。それに、美里は働きづめの生活をしている。美里は大手のパン製造会社、「富士日の出パン」の菓子パン工場で今日だって菓子パンをせっせと作っているはずだ。頼重は、お金がどうとか、遺産相続とか言っていた。もし美里が十分な金を保持していたとしたら、週1日しか休まずに、菓子パン工場で働く必要なんてない。
俺は少し気になって、頼重に尋ねた。
「なぁ、海士部のおっさんが養子にした弁護士のその女は、どのくらいの遺産を相続したんかな」
「海士部史郎は実業家でもあったんや。やで、死亡時の遺産は数十億は持っとったと言われてるけど、正確な額までは分からん。今の法律では、配偶者と子供が相続する遺産の割合は、半々。海士部史郎に子供はおらんかったから、海士部史郎の妻が半分、養子になった弁護士が半分。しかも、養子の実親の法定相続分は養子になったからと言って消滅しない、だから、その弁護士の実の親が亡くなった時に、実親の遺産も相続してるはずなんや、つまり。。。数億はくだらん、ひょっとすると何十億っていう、とんでもない額の可能性もある」
「じゃあ、やっぱり違うんじゃない?もしその女から海士部史郎の遺産を引き継いでたとしたら、美里が働く理由が無くなるやん。美里が贅沢したがる事も、させてくれる事も無いし」
「単に使ってないだけかもしらんやろ」
「もし、美里が十分な金持ってて、今の生活してるとしたら。。。俺は、なんか嘘付かれてるみたいで、嫌やわ。じゃあ、今美里が苦労してる姿って、単なる演技なん?全然する必要のない努力なん?俺が、そういう自分の母親を助けたい、恩返しして幸せにしたい、って思ってる気持ち、踏みにじられてるっていうこと?ヨリの話がホンマやったら、俺、嫌な気持ちにしかならんわ。。。」
「なんでや。金なんて、いくらあったって困る事ないやろ。単純に、喜べや」
「政治家やれ、やって?俺、頭そんなに良くないし、特技もないのに、そんなプレッシャー、背負えへん、無理。他人事やと思って。。。三代もの祖先の心願成就、叶えんかったら、たたられそうやし。。。俺には無理や」
「そんなに深刻になるとは思わんかったわ。もっと喜ぶかと」
「俺、自分が置かれてる自分の環境に、甘えてるもん。。。『今俺がこんなもんなんは、持って生まれたものが少ない、現状のせいや』って。政治家?びっくりや、そんな仕事、全く頭に無かった。。。俺、出来ひん、政治家って、日本の社会を動かす仕事やんか、そんな責任、負えへん。俺に出来る精一杯のことは、母さんに大事に育ててもらった恩返しをすること。美里を幸せにすることくらいや」
「いや、それでええんちゃう?」
「全然、良くないやろ。他人事やと思って」
「誰かを本気で幸せにしたいっていう願い、それが家族か、国家かっていうだけの話やろ。その人がどうやったら幸せになれるか、必死になって考えて、提案して、説得して、実行に移す。それが政治家なんちゃうか」
「ヨリ、なんかやれそうやな。ヨリがやったら?」
「もし俺の推測がホンマになったら、テー、逃げたらあかんで。それとな、政治家って、別に東大も京大も出てへんでも、その辺の主婦でも『やります!』って声上げたら、立候補出来るんやで。そやで頭なんて、良くなくても出来る。むしろ、頭が良くなくても特技が無くても出来る、お前にうってつけの職業ってことや」
「酷いわぁ、面白がっとるやろ。なぁ、もし家に帰って納戸に六法全書無かったら、この話、もうせんとってな?」
「それは無理やわ。無かったら無かったで、一つずつ調べて明らかにしていかんと。お前かて、もし実の父親が生きとったら、自分の父親がどんな人か、知りたくないんか」
「知りたいよ、会いたいとも思う。やけど。。。今まで死んだと思って生きてきて、実は生きとるって期待して、やっぱりそんな話無かった、嘘やったってなった時に、期待のせいで悲しみが倍増するかと思うと。今の状態で、逆に変な期待、したくもない」
「そやな、気が早かったかもわからんな。やけど、希望は生まれた。それは嬉しいやろ?」
「そりゃあ、まぁ、うん」
そこまで話したところで、俺のアパートの下までたどり着いた。
「ほな、また明日」
「ほなね。ヨリ!」
「なんや」
「久々に長いこと喋れて、嬉しかったわ。何というかその。。。ありがとうな」
「なんも。俺もやっとテルに話せて、スッキリしたし。後ろめたい気持ちも解消したで、良かった」
「うん。ほなまた、学校で」
「学校で」

アパートの階段を上っている最中も、鍵を開けて家の中に入った後も、俺はヨリが小さい頃からよく俺を呼ぶ時に使っていた「テー」という愛称で、久々にヨリから呼ばれた事を少し気恥ずかしくも嬉しく思っていた。ヨリとの間にあった僅かに出来ていた距離が、完全に払拭されたであろう事をニヤニヤしながら喜んでいた。
しかし、青色のスクールバッグを自分の部屋の床に置いた時に、美里が帰ってくるまでに俺がやらなければいけないミッションを思い出して、俺は少し慌てた。美里の部屋に忍び込むのは気が引けたので、まずは納戸から調べることにした。
美里が帰ってくるまでの8時くらいまでに、あと1時間と少しくらいしかない。ヨリと随分話し込んでしまったと後悔しながら、俺は納戸のドアを開けて、部屋の電気を付けた。

納戸は空気がよどんでいて、かび臭い臭いがした。殆ど入った事がない、物心ついた時からこのアパートに住んでいるので、何が何処にしまってあるのかも母さんしか知らない。片っ端から箱を開けてみないとダメなようだった、ヨリから探すよう言われた六法全書を見つけるのに、今日だけでは無理に違いなかった。

「六法全書って、本。。。やんなぁ。一体どんな本、多分、普通の漫画とかハードカバーの小説とかより、もっと分厚くて、もっと大きな本。。。ああ、こんな事ならヨリに、携帯のネット検索で、実物の画像見せてもらっておけばよかった。。。」

俺はひっそりと静まりかえっている納戸の部屋で、独り言を言った。納戸の空気は少し怖くて、独り言を言っていないと幽霊でも出て来そうな空気があったのだ。
本は本だけでまとめてあるものだろうと思ったので、持ち上げられる程度の軽い段ボール箱は開けないで、重たいものを先に開けてみることに決めた。ドアの近くの箱から順に持ち上げ、端から3列目の一番下の箱を開けてみた。
すると、そこには俺の中学生時代のノートや教科書が入っていた。そう言えば使わないものを納戸にしまうから持ってこいって、3月の終わりに言われた事あったな。
「とすると。。。入り口付近の箱には、最近しまった物が入ってるって事か。じゃあ、部屋の奥の箱を探さないとダメやんな」
「中に入っている物が古いからと言って、段ボールまで古いって事は、あるんかな。なるべく年季の入ってそうな箱を開けてみよ」
しんと静まり空気の動きもない部屋で独り言を言いながら、俺はかぶっているホコリの量が多い箱を見分けようと、ジッと一つ一つの箱を見ていった。小さい頃に着ていた、見覚えのある洋服が、透明の収納ケースに入っているのを見て「うわーー、懐かしいなぁ、このつなぎ~~、覚えてる、あ、これもやぁ」と古い記憶を手繰り寄せながら、中に何が入っているのか分からない古そうな段ボール箱がないかと探す。持ち上げてみると重たい箱を開けて、中身を出してみると、幾つか本が入っていて、それはいかにも時代の古そうな書籍だったので俺の期待は高まった。

「もしかしてこの中に。。。『マルクス主義』『啓蒙思想』。。。ないな。っていうか、六法全書がもしあっても、美里の部屋にあるんじゃないのか?だって、俺に内緒にしておきたい一物やもんな」
一冊ずつ本のタイトルを見てみるものの、六法全書と書かれた書籍は見つからなかった。やっぱり、ヨリの憶測に過ぎないのではないだろうか。
「だけどアイツ、六法全書見つからなんだって言っても、絶対に諦めてくれへんやろな。今日のアイツの話し方、熱がこもって、生き生きしてたもん。推理小説の探偵になったみたいに熱中して、ただただ楽しんでるんや。他人事だと思って、ヨリめ。。。」

「あ。。。難しそうなタイトルの本ばっかりやったのに。これだけ小説やわ」

『誰がために鐘は鳴る 上巻/アーネスト・ヘミングウェイ』、箱の一番下に入っていた一冊だけが哲学や経済関連でない、タイトルも作者も何となく耳にした事がある小説であった為、俺はその本を「せっかくだから、読んでみよう」と箱から抜き、箱から出した他の本をしまい直して、小説だけ持って納戸から出た。段ボール箱の中には上巻しか無かったけども、下巻も他の段ボール箱の中にしまってあるのだろうか。俺は納戸から持ち出した本を床に置いたままのスクールバッグにしまうと、「美里が帰ってくる前に食器だけ洗っておこう」とキッチンへと向かった。

美里は何か手伝いをしようとすると、「それは母さんがやるから、テルは自分がやりたい事やって」と、家事を全て自分だけでこなそうとするので、美里の居ないうちにシンクに残っている食器くらいは俺が洗うようにしていた。
母さんは特に冬場、手荒れが酷くなる。冬の冷たい水道水での食器洗いと、食器用洗剤が原因だと思う。

シンクに溜まっている食器を洗いながら、やっぱりヨリの思い過ごしに過ぎないのではないかと思った。4LDKのアパートのキッチンは飾り気がなく、ただただ小ざっぱりとしているし、トイレとお風呂が一緒のユニットバスだし。後ろが白いチラシは落書き帳か、小さく切ってメモ用紙になっているし。ご飯用のお茶碗だって、未だに幼少期のものを使っているし。うちはどう考えたって、必要最小限の物で生活している、母一人子一人の細々とした家庭だ。スポンジで食器の内側と外側を擦り水道水で濯ぐ。いつも通り食器を洗っているうちに、ヨリの話を聞いていた時の心の高揚感など、シンクの泡と一緒に洗い流されてしまった。

「ただいまーー」
食器を洗い終えて濡れた手を拭いているところで、美里が帰って来た。
「おかえり。おつかれさん」
玄関で美里が両手に持っていたスーパーの袋を引き受け、一緒にリビングへ向かう。
「食器、いつもありがとね、助かるわぁ」
「ええよ。食器洗うくらいしか出来へんし」
「それが一番助かるんやぁ。おかず作るから、待っとって」
「うん」

冷蔵庫を開けてスーパーの袋から品物を移すと、二人分コップを出して麦茶を注いだ。「置いとくで」と言うと、「ありがと」と返ってくる。俺は麦茶のグラスを手に持って、リビングでテレビを付ける。美里が帰って来た時のいつものやり取りだった。

俺はキッチンで動いている美里に、ソファーの背中から尋ねてみた。
「俺、一級建築士目指そうかと思てるんやけど、どう思う?」
すると、母さんは明るい声で答えた。
「ええやん!なんで建築士になろうと思ったん?」
「母さんの望み通りの一軒家、俺が作れたら喜ぶかなと思って」
「それは、ホンマにめっちゃ嬉しいけど。母さんは出来たらテルちゃんに、テルちゃん自身が一番興味のある事、好きな事に全力で向かっていってほしい。自分の望みって何なんやろ、って、沢山悩んで、悩んで、決めたらいい。もちろんホンマに興味があるんやったら、建築士でもいいけどな」
「ほやんなぁ。。。母さんは、そう言うと思ってた」
「何?ごめん、換気扇の音で聞こえない」
「いや、そうは言うけど、自分がやりたい事って、簡単に見つからないよ。特に、何もない。無いんやったら、俺は誰かが喜ぶから、っていう理由の方が、動けるんかなって」
「少しでも興味があること、試してみたらいい、沢山悩んでやってみたら、きっと見つかると思うよ」
「そうやんな。とりま今の、報告」
俺はそれだけ言うと体の向きを戻して、テレビニュースを見た。明日の天気は曇りのち晴れ、所によりにわか雨だそうだ。
「明日、ちょっと雨降るかもやてー」
「分かったー」

やっぱり違うのだろう、とテレビ画面を見つめながら考えた。もしヨリの推測が本当だったら、美里は俺に「何が何でも、たとえ血を吐くほどの努力を自らに課してでも、政治家を目指せ」と言うはずではないのか。
俺は政治家の話とは別に、死んだと聞かされた父親が実は生きているかもしれないという可能性も一緒に立ち消えになった事を悲しんだ。もし生きているのなら、会いたくない訳が無かった。
父親のことで自分が想像していた以上に気持ちが沈んでしまっているのに気付いて、俺は立ち上がり美里と俺のご飯用のお椀を出して、炊飯器からお米をよそった。
「もうそろそろ出来るやろおかず」
「うん、丁度」
「ほな、チンするで」
電子レンジはいつもと変りなくグルグルと回って「チン」と鳴った。
しかしながら俺はその時に、一瞬泣いてしまいそうだった。

その日のベッドの中で、結局俺は声色に気をつけながら枕を濡らした。納戸から持ち出してきたハードカバーの小説など、手にとってよく見たいとも思わなかった。これまで自分の人生を憐れんだり、そのことで泣いたり、一度もした事がなかったのに。物心ついた時から母一人子一人という環境も、これが自分の人生だからと、割り切っているつもりでいたのに。
希望のせいだ、と俺は思った。父親が本当は生きていて、会えるかもしれないという希望のせいで。そうだ、本当は居て当然なんだ、それが本当のはずだと期待したせいで。
父親に会えるという所に立ってしまったのだ、それで当たり前だろう、という所に。そこから現実を見てしまったせいだ、結局、居ない今が本当だというのに。
俺は、部屋の外に泣き声が聞こえないようにすすり泣いた。こんなにも悲しい気持ちになったのは、生まれて初めてのような夜だった。

「おはよう」
「あ、はよう」
「なんやお前、目ぇショボショボやないか」

いつもより少し早く家を出た為か、登校途中の頼重とタイミングがびったり合ってしまったらしい。俺は寝不足の目を擦ると、「なんや昨日、よく眠れんかってん」と覇気のない声で返した。
頼重が黙ったままでいるので、俺は「やっぱり、違ったぞ。六法全書、見つからんかった。とりあえず、納戸では」と続けた。
頼重は「そうか」と言った後で、「金持ちやなかったんがショック、っていう事は無いわな、テルのことやで」と控えめの声で返した。俺は黙ったまま頼重と並んで歩いた。
校門にさしかかった時、「とりあえずこの話は、学校終わった後で」と頼重が言い、俺も「そやな」と同調した。

「あっ、清水や。おはよう」
「おはよう」
「おはよう!あれ、珍しいな!」
俺と頼重が肩を並べて廊下を教室まで向かってきた時、クラスのすぐ近くの廊下の窓辺にいた清水が明るい声でそう返した。

「お前ら、最近はあんまり二人揃ってなかったなって思ってたのに」
俺は清水に指摘された後で、思わず表情を強張らせ、「べっ、別に、何もないよ」と素っ気なく答えた。頼重も声色を上ずらせながら、「珍しく、時間が合っただけやって」と答える。

清水が口に手を当てて、「まさか、お前ら。。。」と言ったその時に、俺はその言葉の意味を理解してはおらず、清水が俺の海士部の名前の事で、もう何か嗅ぎつけたのかと誤解し、余計に慌てて「なっ、何もないよ、何も!なぁ、頼重!」と頼重に助けを求めた。すると頼重は「いや、多分清水が、いかがわしい誤解をしとる」と俺にヒソヒソと言った。
「そんなに慌てるなんて、『そうや』って言うてんのと同じやで。。。お前らついに、一線を越えてしまったんか。。。」
「は?!な、何でそうなる」
「だってその、神妙な、ぎこちない表情。。。テルちゃんの、今まで見せた事のない激しい動揺。。。二人、一番の仲良しやんか。。。昨日一緒に帰ったんやろ、そのまま、テルちゃんがヨリの思いを、受け入れて。。。」
「お前、マジキモい想像働かせるん止めや。。。」
「なんや、違うん?やったらその動揺の理由って何?」
「ほや、昨日!清水、昨日図書室にイヤホン置いたまま帰ったやろ」
俺は話題を逸らす為にも、カバンから直ぐにイヤホンを取り出して渡した。そして、「俺ら実は、中学終わった頃辺りから、小さいケンカしてたんや。やけど昨日、ちゃんと仲直りして、それでちょっと気恥ずかしかっただけ」と誤魔化した。すると清水は「やっぱり?」とあっさりそれを信じた。
「俺も何となくやけど、二人ちょっと疎遠な感じちゃう?って、思てたんよ。だけどそれも。。。ヨリが無理やり、テルちゃんに迫ったから。。。じゃないの?!」
「お前は、腐女子か。というかお前がBLか」
「違うけども。。。一応俺、ひょっとしたらテルちゃん、いや、テルの父親になるかも分からんし」
「出たーー、『テルは俺の息子』モード!それこそキモいで、やめぇっちゅうに!」
「美里さんが再婚する気になったら。。。有り得ん話じゃないやろ?」
「ないない!」
「いや、美里さんが選ぶとしたらお前やなくて俺やろ」
「なんでや、絶対負けへんで」
「俺はお前に負ける気だけはせんけどな」
「お前ら、それネタやんな。。。」
清水と軽口を交わしながら俺達は教室へ入った。清水の悪ふざけのおかげで、沈んでいた気持ちもその時はすっかり軽くなり、俺はやや腫れぼったい目の重みも気にせず笑っていた。

2限の歴史の授業を受けながら、バッグの中の本が気になって、俺はそっとそれをバッグの中から出し、机で隠すようにしながら、自分の膝の上でパラパラとページをめくってみた。すると、ページの間に、一枚の白黒写真が挟まれていたことに気付き、俺は下を向き開いたままのページの上にある、その白黒写真にじっと見入った。二人の男女が、屋外のどこかに立って並んでカメラに向かって微笑んでいる。男性と女性は身長差があり、男性の背の高さに対して、女性の背の低さと小柄さが際立っている。男性の方は後ろに両手を回しており、女性は両手を前で握り合わせている。背の高さにしろ、手の仕草にしろ、対照的な男女だった。しかしながら二人の背筋はしゃんと伸びて、どちらも凛々しい表情で微笑んでいるのは同じだった。
(この二人は、誰やろ。。。随分古い写真やけど、美里の父親と母親、かな。俺は会った事もないで、分からへんわ)

俺は本のページを写真をそのままに閉じて、教卓の先生の目を盗みそっとバッグに戻すと、黒板の文字をノートに書き写しながら写真の二人の事を考えた。
(美里の父親と母親かもしれないし、美里の尊敬する先生かもしれないし、俺の父親の両親かもしれないし。。。可能性としては無限やけども。母さんが買った本じゃないかもしれへんな、写真もやけど、本もどえらい古い感じやし)
4限が終わった後教室でご飯を食べて、6限のチャイムが鳴るまで、俺は本をバッグの外に出すことはなかった。

「テルちゃん、今日も図書館寄っていくん?」
「あ。。。っと、今日は、どうしようかなぁ」
「何もないんやったら、帰ろ」
「えっとな、そやな、やっぱり図書館、寄っていくわ」
「俺も、調べたい事あるで」
その時に頼重が清水と俺の会話に加わった。清水は訝しげに俺達を見て、「お前ら、やっぱり。。。」と言った。
「あーーー、もう、無いない!清水はどうする?」
「テルちゃんの邪魔したら悪いで、今日は帰るわ」
「そうか」
「今、ホッとしたやろ」
「してない、してないよ!」
「図書館の近くまで、二人に付いていくわ」
「ほな、そこまで一緒に行こか」

俺達と清水は教室を出て、図書館に向かう渡り廊下の辺りで分かれた。
清水に手を振りながら、頼重が「あんまり早く学校出たら、清水に追いついてまうで、しばらく図書館で時間潰そう」と囁いた。俺は頷いた。

図書館の本棚と本棚の間で、ヒソヒソ声で俺と頼重は20分ほど会話をした。
「俺、清水に指摘された時に。。。お前が俺にどう接していいのか分からずに疎遠にしてた理由が、やっと分かったわ。友達に明かせない秘密を持ってるって、こんなに後ろめたいもんなんやなって」
「後ろめたいやろ?自分の感情を、コントロールする為にある程度殺すというか、低く保つというか。思い切ってバカ騒ぎも、隠し事があるとな、ふっと冷静になってしまう自分がいて」
「俺、お前が俺に対して変な感じになってる間、清水と自然と一緒におる時間が増えてん。なぁ、清水にこの話、打ち明けたらあかんかな?」
「あかん、やめとけ。アイツは顔広いし、ポロっと口から出してしまうかも。隠し事っていうのは、知っとる人間は、少なければ少ない方がいいやろ」
「そやんなぁ。あぁ、この先清水と話する時に、ずっとこの、なんや嘘付きながら一緒にいるような、居心地の悪い気持ちにならんなんのかぁ」
「そんなに気にしないように、って考えると、余計にぎこちなくなるでな。そうすると、ある程度感情を殺すっていうのが、最善やって気付く」
「お前は悟りの僧か」
「『一切皆苦、一切皆空』やな」
「モノホンか」
「そろそろ、ええんちゃうか?」
「そうかな。ほな、学校出るか」
俺と頼重は図書室を後にし、学校から公園へと向かった。

「ほやけど、あいつポヤッと天然ぽく見せといて、意外と鋭いんやって」
「そやな。清水にはいつか、気付かれるかも分からん。お前の動揺具合を細かく読み取って、事実に辿り着くかも」
「それやったら、俺らから打ち明けた方が、『ずっとハブにされとったんや』って、清水が傷つくことも、無いんちゃう?」
「『俺は、何でも話せる友達やって思ってたのに。テルちゃんは俺を、信じてへんのや。俺が裏切るって、思ってたんやろ?』とか言いそうやなアイツ」
「絶対言うよ。それで、もう口聞いてやらんわって、じっとりと傷ついた素振りを続けて。。。」
「目に浮かぶようやな。そやけども」

俺と頼重は公園に辿り着くと、以前と同じベンチに腰掛けて話を続けた。
「この秘密は、友情にヒビを入れることになろうとも、絶対に他の奴らに知られたらあかんトップシークレット案件や。もし全くの思い違いやった、全く別の海士部さんの話やったって分かるまで、絶対に誰にも、清水にも話したらあかんと、俺は思う」
「そうやんな」
「多分お前は未だ半信半疑で、この事実が一体どれくらい大きな意味を持つのか、頭では分かったつもりでも、体では分かってないと思うで。そのうちに、絶対に守り通さんとあかんのやって、実感出てくる。その時が来るまでは」
「そ、その時って。。。」
「『海士部史郎の血脈、此処に在り!!』って、世間にお前が名乗り出るその時や」
「それって。。。別に、やらんでも良いんやろ?」
「アホか、腹くくれって言ったやろ」
「事実やったらね。事実じゃなかったら別にいいやろ?ほれ、戦利品や」
俺は本気の頼重に少し呆れながら、膝の上に乗せたバッグの中からハードカバーの古い小説の本を取り出して、右隣に座った頼重に手渡した。頼重は本のタイトルを声に出して読み上げた。

「『誰がために鐘は鳴る 上巻/アーネスト・ヘミングウェイ』。俺、読んだ事無いわ」
「俺も、無い。けど、名前だけはどっかで聞いた事があるような気がして。有名な作品やったら、面白いんかなって」
「上巻ていう事は、下巻もあるはずやけど。下巻は?」
「とりあえず、同じ段ボールの中には無かったんやけど。納戸の他の箱開けたら出てくるかもやけど、そこには上巻しか無かった」
「ほな下巻はまたテルが探すとして。この本の事調べるか」
頼重はそう言いながら自分のスマートフォンを取り出して、俺を見るとニヤリと笑った。
「お前に、文明の利器の力を見せつけたるわ」
頼重は得意気にそう言って、本を膝の上に置き、何度か携帯の画面を触ると、電気で光っている画面を俺に差し出した。インターネット検索のページである事は俺にも分かった。俺は画面の文字を読み上げた。
「『誰がために鐘は鳴る』は、スペイン内戦が舞台。ロバート・ジョーダンとマリアの愛と、犠牲的な死を描いた、アーネスト・ヘミングウェイの長編小説。『誰の為に鐘は鳴るのか』という意味のタイトルは、イギリスの詩人、ジョンダンの説教の一説から引用された。1940年、刊。戦争物の小説ってことか」
「それと、いわゆるラブストーリーやな。どや、凄いやろ。ググルーで調べたら、直ぐに、知りたい情報秒で出てくるんやで。羨ましいやろ、欲しいやろ。この一台で、辞書、歴史書、ゴシップから今日のニュースまで、何でもそろう魔法のメカ、買うなら今ですよ、お客さん」
「テレビショッピングか。お前って、意外とそういうお茶目なとこ、たまに出るよな、昔から。堅物ですって顔してるのに」
「別に。だけど、欲しなったやろ、スマートフォン。この話、さっさと美里さんに問いつめたら、多分諦めて持たせてくれるわ」
「それが白黒付いて早いやろとも思うけど。動かぬ証拠ってやつが、いるやろ。もしホンマやったとしてやで、証拠が無かったら、上手にはぐらかされるやろし。まぁ、六法全書無かったで、思い過ごしが濃厚になってきたけどな。あっ、そうやった」
俺は頼重の膝から本を取って、ページを開き、写真を頼重に手渡した。そして、「今日、授業中にパラパラッと開いてみたら、本に白黒写真、挟んであったんやったわ」と付け加えた。頼重はそれを見て、表情をみるみる変えた。目を大きく見開き、少し野生的な微笑みを浮かべる。俺は本のページに指を挟んだまま、「それって、美里か、俺の実の父親の両親なんやろか。それとも、知り合いの。。。」

「お前、何言うとんねん。これで決まりやろ」
頼重が興奮を喉元で抑えるような、やや緊張感のある声色でそう言った。そして、携帯の画面を、もう一度何度か触る。
俺の前に差し出された携帯の画面には、写真に写った男性と同じように見える人が映っていた。
「そいつが、海士部史郎や。そしてこの写真に写ってるのは海士部史郎と、隣におる女性は、間違いなく海士部史郎の養子になった、女弁護士や」

桜を仰ぐ 2へ続く。


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