動物園・水族館 0
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東京は、またまた緊急事態宣言発令中!翻ってみると・・・1回目は 2020年4月7日~5月25日2回目は 2021年1月7日~3月21日3回目は 2021年4月25日~6月20日4回目である今回は、いまのところ8月22日までの予定だとか先週末のネットニュースによると「東京に緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置が出てなかった『ふつうの日』は、今年に入ってたった28日」だったそうです「非常事態」がすっかり日常になってしまいましたね~ただ、今回は美術館や博物館、映画館は平常営業のところが多そうなので一安心^^私の通う体操教室も通常運営なので、宣言解除の日まで多少の息抜きを交えながら過ごすことができそうですとにもかくにも、一日も早くのコロナ終息をひたすら願うのみですわPC内に古い画像が溜まってきたので、今日は5月に行った近場散歩を我が家は東京とは名ばかりの鄙びた地域にあるため、毎日のお散歩コースには事欠かないんですが、この日は夫と一緒にもうひと足遠くまで歩いてみました絹の道生糸の輸出のため、現在の東京都八王子市と神奈川県横浜市を結んだ道。かつては生糸を運ぶ人や牛馬が行きかっていたであろう絹の道。いまでは昼間でも人とすれ違うこともなく、静けさが漂う山道です。幕末から明治にかけて、生糸が重要な輸出品となり、八王子に集められた生糸が横浜へと運ばれて日本の近代産業に大きな役割を果した。 往時は生糸を運ぶ人や牛馬が行きかっていたんでしょうが、いまでは昼間でも人とすれ違うことはホトンドない静かな山道。道の先には当時の養蚕の様子が展示されている「絹の道資料館」があります。ただし、この時は緊急事態宣言のため臨時休館中でした 絹の道資料館生糸商人、八木下要右衛門の屋敷跡に建てられた資料館。庭には土蔵や排水溝の跡が整備され、展示室には絹の道、生糸や養蚕の生産技術、そして絹の道とキリスト教布教の関連性に言及したパネルや資料などが展示されている。(ウィキより抜粋)八木下要右衛門は「鑓水の石垣大尽」と呼ばれただけあって、通りに面した石垣は実に見事✨(復元ではなく修復)こちらは「絹の道資料館」から柚木街道・大栗川の橋を渡った先にある「小泉家屋敷」江戸時代~明治時代にかけての典型的な養蚕農家の造りで、都の有形民俗文化財に指定されています。小泉家屋敷多摩地区南西部の丘陵地帯の養蚕農家としての様相をよく残しています。屋敷の背後にある山林や前面田畑、明治11年(1878年)に建築された母屋、土蔵、納屋、堆肥小屋などを含めての指定となっています。現在も住居として使用されているため、内部は非公開となっています。また、敷地内への立ち入りもご遠慮ください。見学の際は、敷地の外から所有者のご迷惑にならないようお願いいたします(八王子市HPより)上記にあるように、所有者さんが住んでいらっしゃるので、門の外からそ~っと写真を撮らせていただきました<(_ _)> 説明板によると小泉家の主屋(建築面積112平方メートル)は明治11年(1878)に再建されたものであるが、木造平屋建入母屋造、茅葺、田の字形四間取りで、この地方に旧来からみられる典型的な民家建築を示している。屋敷地の面積は約33.2アールで、南面した道路沿いは宅地、田畑地となっており、背後の畑地から北側にかけては山林で次第に高くなり尾根に達している。敷地内には主屋のほか納屋・堆肥小屋・稲荷社・胞衣塚などが点在し、多摩丘陵地域の一般的農家の屋敷構・生活形態を知る上で貴重な民俗資料となっている。(東京都教育委員会)主屋や納屋、裏山などなど、敷地全体が美しく調和して、まさに「日本の原風景」的な姿ぜひ、このまま昔の面影を長く残していって欲しいものです。 長閑な里山風景を楽しみながら30分ほど歩き、国道16号線沿いのカフェ「パペルブルク」でランチしました。 「日本昔ばなし」風の光景から、一転、いきなり中世ヨーロッパの世界へ~なぜにこんなところに、こんな個性的な建物が(?_?)と謎多きカフェです(笑) 夫はサンドイッチランチ、私はピザパイランチをいただきました。 ピザパイはフンワリ&カリカリのパイ生地と野菜&チーズがトロ~リ病みつきになりそうなくらいの美味しかったです
2021.07.13
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昨日13時半にコロナワクチン2回目の接種を受けてから、もう24時間以上経過しました今朝の体温は36,6度!頭痛や悪寒などの諸症状も出てないし、今のところ「副反応は無し」と言っていい状態かもただ注射部位は昨夜から痛くて、今日は腕をちょっと動かしただけでもイテテ~着替えや家事にも差し支えるほどだけど、1回目の時は数日で痛みは消えたから、今回もおいおい薄れていくと思われます。なにはともあれ、極端な副反応が出なくて良かった良かったちなみに2回目の副反応は高齢者より若い世代のほうが出やすい、という説もあるんだとかお若いかたは念のために、接種翌日に休みを取得できる体制や同じ職場内では分散して接種するなどの対策が必要かもしれませんねさてと、今日は4月のお出かけ日記を~国立市古民家<旧柳澤家住宅> 開館時間 午前9時~午後5時休館日 毎月第2・第4木曜日(祝日の場合は開館し、翌日を休館) 12月29日~1月3日、別に国立市教育委員会が定める日見学 無料 3月に「くにたち郷土文化館」に行ったおり、寄りそびれてしまった古民家最近通院してる胃&大腸専門病院は南武線沿線にあるため、診察の帰りに寄ってリベンジ(笑)してきました^^ 矢川駅から徒歩17分くらいの「城山公園」南側に位置する国立市古民家は、惚れ惚れと見とれるほど端正な姿の古民家でした 国立市古民家(旧柳澤家住宅)江戸時代から使われていた農家を移築し、復元したもの。もとは甲州街道沿いの青柳村(現国立市青柳)に建てられていた江戸時代後期、茅葺き・入母屋造りの家屋。建築されてから昭和56年に使われなくなるまでに、4回改築された痕跡があり、時代の流れと家族構成の変化に応じて、家を改造してきたことが分かります。明治時代以降、養蚕が盛んになると、土間はもちろん、座敷・アガリハナまでも作業場となり、小屋裏では蚕を飼育するようになりました。また柳澤家は屋号を「たくあん屋」といい、明治から昭和初期にかけては養蚕とともに漬物業も営んでいました(HPより) ↑上は土間(農具が展示)、下左は厩(こちらにも農具が)下右部分は台所↑厩のそばに下がっていたコレ、いったい何かと思いきや・・・弁慶という名前で「囲炉裏のそばに下げて魚や鳥をいぶして燻製にする藁細工。武器を背負った弁慶の姿に似ていることからこの名がついたとされる」だそうです。へ~囲炉裏であぶった燻製、さぞかし美味しいでしょうね~ 復元にあたっては当時の農家の姿を忠実に再現したそうです。自然豊かな城山公園の緑に囲まれて、なんとも風情ある古民家でした見学者は私一人だけだったのでユックリと寛いでいるおり、解説員のかたに「他にもいい古民家いっぱいあるよ~」と色々教えていただけました。彼いわく「この近くだと、立川の川越道緑地古民家園 や町田の薬師池公園内の旧永井家住宅・旧荻野家住宅もおススメ」だとか!都内の郷土資料館などもお詳しくて、とても勉強になりました^^これまでも郷土資料館内の古民家では解説員さんと話し込むことが多いんですよね^^貴重な情報をうかがえるひとときは、古民家見学の醍醐味かも
2021.05.31
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全国的に模様のお天気みたいですね。しばらくぐずつくものの、週末はお天気回復方向とか。良かったですね~いよいよGW突入間近皆様のご予定は?我が家の娘&息子は10連休だそうです。いまのところ両人とも大きなプランはないようす私も同様に差し当たっての計画はありません行楽地は人が多そうだから、衣類の整理や部屋の片づけ、庭の草取りなどの家事に専念したいと思ってますもちろん途中で息抜きのお出かけはするつもりですが~今日は春ドライブの続きをば神奈川県愛甲郡愛川町にある「古民家山十邸」に行ってきました。てっきり山十家の家かと思いきや・・山十というのは屋号だとか山十邸明治16年(1883年)、中津地域の豪農熊坂半兵衛の邸宅としてつくられました。宮細工として知られる矢内家の三兄弟によって建てられたといわれています。戦前の思想家大川周明が昭和19年(1944年)に熊坂家より購入。以後昭和32年(1957年)に死去するまで、周明の住居として使用されていました。主屋と門は国の登録有形文化財(パンフレットより)↑薬医門明治中期頃の建築。木造、石造基礎で、屋根は瓦葺き切妻。実に豪壮な門でした武家屋敷でも、これだけ立派な門はなかなかないのでは?先日行った駒込染井の旧丹羽家といい、明治期の農家や商家が大きな財力を有していたことに驚かされます 主屋は瓦葺きの入母屋造り。明治初期には草屋根の家が多かったそうですから、こんな立派なお屋敷はさぞかし珍しかったでしょうね~屋内は座敷飾りを備えた広間ほか、どこもかしこも意匠をこらした造りでした 千枚格子や雪見障子の細やかな細工には驚嘆w(゜o゜)w 囲炉裏や火鉢も味わい深くて素敵☆ところで、↑の天井にある穴は通気口なんですかね~(??)解説員さんがいればお聞きしてみたかったんですが・・・邸内には管理人風のご婦人がお一人だけ。お掃除にお忙しいようで、声をかけられずじまいでした(:_;)でも、確かにこれだけ立派なお屋敷を掃除&管理するのは大変でしょうね!床や柱はピカピカに磨かれて黒光りしておりました階段を上ると・・そこには別世界がぶっとい骨組みを仰ぎ見ると・・「棟札」でしょうか?「大改修」と書かれてるようだったので、おそらく改修工事時のものでしょうね(^_-)棟札寺社・民家など建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札である。書かれる内容は築造・修理の目的を記した意趣文やその年月日や建築主・大工の名・工事の目的など建築記録だが、関連して他の事に及ぶものもある(ウィキより)庭がまた格別の素晴らしさ~(〃▽〃) 思わず「鄙にはまれな」と言いたくなるほど端正な枯山水で、惚れ惚れ裏手にあった井戸も趣きある姿↓ 土蔵の中は農具や生活雑貨などが展示されてました ↑下段左は金庫(奉安殿)第二次大戦終了時まで小学校で使われていた金庫だそうです。ちなみに奉安殿とは、戦前、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物のことなんだとかウィキによると、そもそも「学校の宿直」もこの御真影の保護を目的として始められた面があるんだそうですよ(´・∀・`)ヘー↑上段左はトイレの蓋ww なんと黒漆塗り 上段右は昭和20年代の煎餅焼き器。左上はお椀。左下は大正6年頃のお皿。右側は、ペリーの黒船来航の翌年嘉永7年に新調されたお皿主屋も土蔵もお庭もすべて見どころたっぷり~ そうそう!展示中だったお人形も【中古】単行本(実用) ≪歴史・地理≫ 日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く / 佐藤優【中古】afb
2019.04.24
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