イエスは出生の事情から悩み、或る時期岩窟に籠って教義を研究する集団に属していました。その時に天啓を感じ、この世界の理法を読み解き、自己の生の在り方とその後の行動の姿を読み取ったに違いありません。一方の悉達多は、釈迦国の第一皇子として夕食は饗宴に続く饗宴、釈迦自身その楽しさを告白致して居ります。が、翌朝の虚しさは、比肩するものない程空しかったと云います。また、奴隷の息子が食べ物を盗んだとして、その母が油煙に投げ込まれるのを見、人の身分から来るこの様な苦に悩み耐え切れず、世界の理法に答えを求めます。共に世界の理法たる父、或いは理法たる空を共通の基盤としています。我々が理法に「こころ」を委ねれば、神仏がその存在を受け入れ、安寧寂滅の涅槃・神の御心に抱かれることが可能となります。

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