Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2012年06月22日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「仏教」三法印(諸行無我)
 諸法無我とは、仏教の教義の基礎を成す用語の一つであり、三法印・四法印の一つであり、釈迦の悟った項目の一つでもあります。此の世に総べる存在には、そもそも主体とも呼べる「我」(ワレ)なぞ存在しないことを云います。諸行無常といわれるように、一切のものは瞬時の間も刻々変化しています。ところが我々は、変化を繰り返し続ける中に、変化は存在しない常住として捉えたり、他の何かが変化して行くものだと考えようとする傾向があります。。その変化を主観する主体を想定してそれを我(が)と云います。 我とは「常一主宰」(常とは常住、一とは単独、主宰とは支配)のものといわれ、つまり常住である単独者として何かを支配するものを指します。インドの古来の考え方には、変化するものに対して、諸法が主体としての変化しない法を想定した有為を説く「有我論」(うがろん)があります。ところが、大乗仏教の在っては、存在とは現象として顕われるのであり、変化そのものであり、変化するという主体を捉えること自体が間違いであると主張します。。此の妄想された「我」に執着する執着を破るために釈迦が諸法無我を説きました。諸法無我は、インド在来の実体的な「我」の存在を否定し、「我を含むあらゆる存在は「実体」ではありえないことを主張しています。
 我々人間は、私自身の現存在の肯定を通じて、幼時から成長して現在にいたるまで身体や精神の成長変化を認め、そこに「私」と呼ぶ実体的「我」を想定し、成長変化してきた私を捉えて、私は私自身であると考えます。しかし、諸法無我はそれこそ我執であるとして退け、変化をその変化のままに変化そのものこそ私なのだと説くのである。この意味で、諸法無我は、自己は、一切「空」の中に「関係そのもの」であり、縁起の理法を覚ることを示し、眼に見えるもの見えないものを含めて一切が縁起によって、「共々に生かされて生きている」という自覚の中に慈悲の働きが生まれる「悟り」があるとします。

Gotama1
ブログランキング・にほんブログ村へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年06月22日 09時02分54秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: